烏牛NO6
いつもの牛の夢を見ても、口をもぐもぐさせているだけで、天井の自分もいなくなった。いつも通りに目が覚めて淡々と何もなかったかのように仕事に取り掛かる。いつものこの5年間の生活に牛の夢と光物が増えただけのことだ。
それから10日ほどたった頃大異変が起きた。誰も知らない大異変。いつものように口をもぐもぐさせてうとうとしていたら、鶏の一番声を聞いた。と同時に目が覚めるはずなのにその朝は目覚めなかった。心が焦りにあせる。『早くマサカリを研がなければ』。
重たい手足と巨体とをごろりとベッドからずり動かして、やっとのことで四つん這いになった。『間違いなく俺は黒牛だ』。焦りと緊張で口ばかりもぐもぐと長いよだれをたらしながらじっと突っ立ったままどうしたものかと、ひたすらもぐもぐと口を動かしていた。
すると玄関の扉が開いて、ここにいたのかと言いながら丹鈍が入ってきた。烏牛の鼻輪の縄を思い切り前に引く。死ぬほど痛い。烏牛は何か言いかけようとしたがモーと低い不明瞭な音にしかならない。『俺だよ俺、烏牛だよ。気付いてくれよ、丹鈍!』。モーモーという低音しか出ない。
「おーよしよしそうわめくな。もうすぐ楽になるから。天下一の烏牛様の手にかかれば、一瞬にして極楽へ行けるから。ほれほれ足元に気をつけて」
黒牛の烏牛は丹鈍に引っ張られて屠殺場へ向かった。
『待て待て、今日の烏牛様はマサカリを研いでいないしまだ何の準備もできていない。馬鹿なことを言っちゃいけない、烏牛は俺だ、ここにいる』
ひときわモーという声が響く。牛の烏牛は無理矢理小部屋に入れられた。
丹鈍が木戸を閉めながら言った。「少し狭くて暗いがもうしばらくの辛抱だ。烏牛様のマサカリで幸せ者だよ、お前は」
真っ暗闇。突然前の扉がパッと開いて仁王立ち、
なんとそこにはいつもの烏牛が、紛れもない烏牛自身が、にっと口元を引き締めて両眼をかっと見開いて、頭上高々と研ぎすまされたマサカリを、と思う間もなく影が動いて振り下ろされた。