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終章

 片代夜鷹は霊が見える。見えるどころか殴れるし、蹴れるし、木刀でぼこぼこにすることもできる度を超えた霊媒体質だった。やる気はないが、関節技をかけることもできるだろう。

 そうして物心ついた頃から幾度も苛んできた霊障は収まることを知らず、つい昨日も夜の校舎で乱闘を繰り広げたばかりだった。一張羅の制服は所々破れているし、不器用に張りつけた絆創膏や残った青痣が痛々しい。一晩寝てもとれない疲労感と筋肉痛を引きずりながら、それでも夜鷹は律義に学校へ向かっていた。

「ああっ! くそ、忌々しい!」

 節々を軋ませながらの歩みを止め、夜鷹は声を上げた。強張った顔つきで、腹立たしげに自分の足元に視線を投げる。視界には剥げかかった白線、数日で履きつぶしてしまいそうなスニーカー、そして左足首を掴む腕があった。

「……またお前か」

 根負けしたように夜鷹は息を吐いた。肘から先だけの女性と思われる細い腕。それが夜鷹の足をしっかと掴んでいた。確か先週も憑いてきていたが、あのときは右腕で今度は左腕だった。左右の違いに何か意味があるとも思えないが。

「何だよ。用があるなら、さっさと言えよ」

 放っておいてもどうせ学校の結界で追い払えるのだろうが、それまで引きずっていくのも面倒くさい。嫌々ながら、夜鷹は対話を試みた。霊の中には自分の意志を伝えるだけで満足して成仏していくものもいる。そう多いことでもないが、試してみるくらいのゆとりは今の夜鷹にもあった。

 夜鷹の言葉を受けて、左腕はすぐに反応を示した。手指を手話のように動かし、何かを伝えようとしている。声を失くし、他に手段がない彼女には、それができる限りのの意志伝達だった。そうやって必死に想いを表すその腕を、

「わかんねえよ」

 夜鷹は容赦なく蹴りつけた。軽く助走さえつけてのトゥーキックをくらい、左腕は綺麗な放物線を描いて道の向こうに消えていった。

「もっと字を書くとか、そういうのがあるだろうが」

 腕の飛んで行った方を一度だけ見やって、夜鷹は再び通学路に戻った。いつものように背後から白い目が向けられているようだったが、今日ばかりは相手をする体力がなかった。やはり一日くらいは休めばよかったかと後悔し始めた頃、夜鷹の携帯が初期設定のままの着信音を鳴らした。相手を確認するのも億劫で、夜鷹は深く考えもせず電話を受け携帯を耳にあてた。

「はい、もしも――」

『やあやあやあやあ、おはようございます! あなたの素敵なパートナー、三倉彩音でござ』

 ぶつ、と音を立てて通話が切れた。というか切った。耳に響く声に反射的に切ってしまった。小さく「あっ」と声を出したが、もう遅い。夜鷹の見ている前で携帯が再び着信を知らせた。心の底から出たくなかったが、無視すればもっとひどいことになりそうだ。夜鷹は仕方なく通話ボタンを押し、開口一番に謝ることにした。

「悪い、あまりにうざかったから切っちまった」

『これはこれは、どうもどうも。とても斬新な謝り方ですね。あまりの誠意に怒り心頭で怒髪天を衝く勢いですよ。何ですかね、夜鷹さんって根本的に性格が悪いんですかね。それとももしかして頭が悪いんですかね。あるいは両方なんですか?』

「とりあえず電波の調子は悪そうだ。切るぞ」

『まあまあまあまあ、そう急かないでくださいよ。嫌ですね、ちょっとしたじゃれあいじゃないですか。この程度の嫌味で根を上げているようじゃまだまだですね。私が本気を出せば胃潰瘍を5・6個作ることになりますよ?』

「その場合労災は降りるのか?」

『申請は一度私を経由して本部に行きます』

「降りないんだな」

 あいも変わらずの言いように疲れる半面、夜鷹はどこか安心していた。直接戦闘に参加したわけではないが、彩音も同じ霊害に巻き込まれ結構な目に遭っていた。さすがにこたえたのではないかと思っていたが、夜鷹の想像以上に彩音は図太いらしい。柄にも無く、心配していたことが馬鹿馬鹿しく思えてきた。

「で、何の用だよ。こっちは昨日の今日で疲れてんだから、つまんねえことだったらどつくぞ」

『おやおやおやおや、流石の夜鷹さんもお疲れですか。それでは、不詳私三倉彩音の美声で以て癒して差し上げることにいたしましょう』

「決めた。どつく」

『本当に余裕がないようですね。いや、もともとこんな感じだったでしょうか。わかりましたよ。私も不必要に暴力にさらされるのは不本意ですので、さくっと本題に入りましょうか。とは言え、既に予想されていると思いますが、当然昨日の一件についてのことです」

 夜鷹が焦れてきたのを察して彩音はすかさず話を切り出した。声のトーンが一向に変わらないのは今もふざけているのか、それとも最初から真面目だったのか、あるいはそれらすべてをひっくるめての演技なのか。いい加減そこら辺を探るのにも飽きてきた夜鷹は、食指も動かさず話の流れに乗ることにした。

「昨日の一件って、あれはもう一件落着じゃないのかよ。また依頼人が来たとか言わねえだろうな。もしそうなら俺は今日から耳が遠くなるからな」

『いえいえいえいえ、それはありません。この霊害は昨夜で完璧に完結しました。ただ仕事って言うものは終わった後にも色々と手続きが必要なものでして。簡単に言えば一連の報告を上げるので、夜鷹さんにいくつかチェックしてもらう書類があるんですよ』

「そうか、じゃあ郵便で家に送って――」

『送ったらちゃんと書いていただけるんですか? 一切の書き損じも一個の書き漏らしもなく? 無理ですよね。無理なことやらないでくださいよ。そのしわ寄せは他の人が受けることになるんですよ。この場合は私です。いいから夜鷹さんは私の言われた通りにほいほい書いていけばいいんですよ。また今日の放課後にお邪魔しますので、勝手に帰らないでくださいね』

 帰っても家まで行くだけですけど、と言い含めて彩音は通話を切った。重い足取りは既に完全に止まり、夜鷹は路上に立ちつくしていた。これから学校で授業を受け、その上彩音の相手をしなければならないのか。考えただけで疲労が倍になりそうなスケジュールに、夜鷹は無性にどこか遠くへ行きたい衝動に駆られた。

 せめて数日は構わずゆっくりさせてもらいたいところだったが、到底許してくれそうにはない。それでもダメもとで試してみようかと携帯を睨みつけていると、先の着信とは別にメールが届いているのに気がついた。差出人は冴崎で、届いた時間は深夜2時。夜鷹が帰って泥のように眠っている時間帯のものだった。不吉な予感を感じながらも、無視するわけにもいかず夜鷹はメールを開いた。

件名:無題

本文:こんばんは。先刻はお楽しみだったようね。また学校で詳しい話を聞かせてもらうのを楽しみにしているわ。

「……ああ」

 立ち止まるだけに留まらず、夜鷹は路上に膝をつきそうになった。一見すると簡素な短文メールだが、それは冴崎の情動の裏返しだった。今までも夜鷹が霊害を解決すると冴崎はその話を聞きたがった。しかもただ聞くだけではなく、本人も忘れているような微細なことまで根掘り葉掘り質問してくる程の執心ぶりだった。最長では解放されるまでに4時間かかったこともある。

 彩音と冴崎のダブルパンチに夜鷹の心はほとんど折れかかっていた。路上だろうと関係ない、もうこのまま何も考えずに横になりたい。人としての尊厳と防衛本能の狭間で揺れる夜鷹は、それでもどうにか一歩を踏み出した。厄介事が重なったということは裏を返せば、今日さえしのげばまた平穏な毎日に戻れるということだ。自分自身にそう言い聞かせ、夜鷹は顔を上げた。その先にある安寧を見据えようと目を開き、


 こちらに手を振る来島を見つけた。


 朝の陽射しも眩しい中、夜鷹の目の前は真っ暗になった。走馬灯のように今までの記憶が脳裏を巡る。自分を取り巻く人たち、かつて祓った霊たち。様々な顔が入れ替わりまわって行く。深い闇に沈みゆく心の中で、夜鷹は思わずにいられなかった。生まれてこのかた16年、決して長くはないが多様な経験から導き出した一つの結論。

「…………生きた人間の方が、よっぽど面倒だ」


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