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第四章

『はいはいはいはい、どうもどうもどうも。ご無沙汰しています。あなたの心のパートナー、三倉彩音です』

「毎度毎度名乗らなくてもわかってるっつの」

 週が明けた月曜の放課後、終業を見計らったように彩音から電話がかかってきた。ちなみに後から直接来られても面倒くさいので、既に着信拒否は解除していた。

「お前、着メロの設定とかわかるか?」

『今時それくらいできないほうが珍しいですよ。何ですか、気に入った曲でもあるんですか?』

「お前からの着信をできるだけ不吉な曲にしたい」

『おやおやおやおや、特別扱いしてもらえるなんて光栄なことですね。それじゃあついでに夜鷹さんに来たメールとか着信情報とかも全部私の端末に転送できるように設定しておきますね』

「お前に個人情報保護という観念はないのか」

 こいつにだけは携帯を触らせまいと心の中で誓った。学生鞄と木刀をひっつかみ、廊下に出る。その間携帯は耳にあてたままだった。一応校則では教室内での携帯仕様は禁止されていたが、注意してくるものはいなかった。ただこれは夜鷹を恐れてのことではなく、その程度の違反なら誰しもが行っているからだ。

「それで、今度は何の用だ。また仕事探してるとかじゃねえだろうな」

『いえ、そういった用件ではないのでご安心ください。それに本部にはまだ事件を調査中ということで報告していますから』

「あ? 何でだよ。もうあれは解決したろうが。よく知らねえけど、早く終わらせた方が評価は上がるんじゃねえのか?」

『度合いによりますよ。いくらなんでも情報を入手して一日で済ませました、では内容が軽く見られてしまいます。土日を使って調査して、今日解決くらいで報告するつもりです。私も土日ゆっくり休めましたしね』

「空いた時間に仕事を見つけるのが大事なんじゃなかったのか」

『いかに要領よく手を抜けるかも仕事を続ける上で重要なことですよ。あ、そうそう。それから夜鷹さんの報酬の件も申請はあげときましたから。最終的に私が案件解決の報告をして、そこから審査されるんでしょうけど、聞く限り大丈夫そうでしたので安心してください』

「ふうん、そうか」

 平静を装っていたが、正直なところ夜鷹は安堵していた。電話で見えないのをいいことに、小さくガッツポーズすらしている。あれだけ面倒なことをやって、無償というのは割に合わない。どの程度もらえるかはわからないが、これで少しは報われるというものだ。頭の中で所持金と貯金、次の仕送りまでの日数を数えた。

『それでいくつか夜鷹さんの署名が必要な書類があるんで、今日そちらに伺いますね。冴崎さんに改めてお礼も言いたいですし。今、まだ学校ですか?』

「……いや、ちょっと出かけてるな。帰りも遅くなるから書類は郵送で送って――」

『背後の声を聞く限り廊下に出たところですね。あ、見つけました見つけました。おーい。こっちですよー』

 携帯を耳から離し、廊下の先に目をやると彩音が小さく手を振っていた。ニコニコと上機嫌な様子で歩いてくる。前回同様制服に身を包んでおり、学生の中に完全に溶け込んでいた。いつもは必要最低限のものしか持ち歩いていないが、今日は珍しく紙袋を手にぶら下げていた。口からデパ地下で買ったような菓子折りの箱が覗いていた。

「……何だ、お前。もしかしてそれ気に入ったのか?」

「あ、ばれました? いやー、高校の制服なんて着ることないと思ってましたからね。それよりもいい加減露骨に避けるのやめてもらえませんか。さすがに傷つきますよ、私でも」

「……ああ、確かに傷心の顔だな」

 全く傷ついた風もなく彩音は満面の笑顔だった。実際、彩音は夜鷹の態度など特に気にしていなかった。基本的に他人どう思われようとどうでもいい。彩音にとって重要なのは、その相手が自分に有用か否かということだけだった。その中で夜鷹はまだ役に立つ部類に入っている。

「今のところは、ですけどね」

「何がだ?」

「いえ、こちらの話です。それではまずオカ研に向かいましょうか。一応お土産も用意しましたし、早いとこ渡したいんですよね。余計なもの持つのって嫌いなんで」

「……そうかよ」

 土産一つを渡すにしても自分本位なところが見え隠れするのが彩音らしい。まだ知り合って日は浅いものの、そんな部分にもある程度慣れてきた。許容というよりか諦めに近い感情ではあるが、夜鷹は取りあいもせず流していくことにした。

 終業直後の教室前、部活なり帰宅なりで廊下には多くの生徒が溢れかえっていた。普段一人で行動している夜鷹が女生徒と一緒に歩いていることに驚きの視線が向けられた。中には見覚えのない彩音を怪訝に思う者もいたが、直接声をかけてくる者は一人もいなかった。誰もが遠巻きに気にしながら、一定の距離を保ち続けていた。それが現状、夜鷹の築き上げた立ち位置だった。

 そんな状況を夜鷹はまだしも彩音も全く意に介していなかった。周囲の目など気にも留めず平然と廊下を進む。夜鷹はつまらなそうに無愛想をふりまき、彩音は通常運行の営業スマイルだった。まるで釣り合っていない二人だが、神経が太いという点では揃いのコンビと言えた。

「う~ん。あんまり感心しないなぁ、そういうの」

 そんな夜鷹たちに声がかかったのは、教室前の人込みを抜け、渡り廊下に差し掛かった頃だった。声を聞くや否や、夜鷹の顔が忌々しげにしかめられた。不思議そうな顔の彩音を間に挟み、振り返る。来島瑞希が腕を組み、やれやれと首を振っていた。

「……何か用か、来島」

「用がないわけじゃないけど、そうじゃないでしょ。ダメだよ、知り合いとはいえ勝手に部外者を入れたら。今は色々うるさいんだから」

 瑞希は聞き分けのない子供に説くように夜鷹を叱りつけた。教師の目すらかいくぐった彩音の制服姿も瑞希には通用していなかった。じとりとした半眼で睨みつけられる。瑞希なりの精一杯の怖い顔だった。叱るだけではなく、怒ってもいるらしい。それでもまわりに人がいないところまで黙っていたのは瑞希なりの心遣いだった。

「あー、いや、こいつは――」

「ありゃりゃりゃりゃ、ばれてしまいましたか。っと、誰かと思えば先日の方ですね。その節はご親切に教えていただき、誠にありがとうございました。おかげさまでこうして夜鷹さんに取り入ることができました。ああ、重ねて失礼、申し遅れました。私、全日本心霊統合協会の三倉彩音と申します。以後お見知りおき下さい」

 しかし見抜かれてなお、彩音は動じなかった。言い訳を試みる夜鷹に割り込み、それが通行証と言わんばかりに名刺を差し出した。瑞希は困ったように名刺を受取るが、それでもひるまず真正面から苦言を呈した。

「三倉さん、ですね。私は来島瑞希と言います。見る限りしっかりされた方のようですけれど、校内に入るのなら入口の事務室で腕章をもらってつけてください。ここいらではあまり聞きませんが、最近は物騒なものですから。教師たちに見つかればそれ相応の騒ぎになってしまいますよ」

「いやいやいやいや、全くもって仰る通り。誠に申し訳ない限りです。どうにも所属が所属ですので許可が下りにくいものでして。次からは必ずそのようにいたしますので、今日のところはどうかお目こぼしを」

 手を合わせてお願いしつつも、彩音はへらへらと笑っていた。言葉に全く反省の色が見えなかった。こいつは次からも無断で入るだろうな、と夜鷹は確信した。

「……夜鷹くん、ちょっといい?」

 拳を額に当てながら、瑞希が小さく手招きをした。普段なら無視するところだが、低められた声には妙な迫力があった。夜鷹が重い足取りで近づくと彩音の方を一瞥し、ひそひそと話しかけてきた。

「んだよ」

「あの人、どういう人なの? 引き合わせたのは私だし、あんまり人づきあいとか口出ししたくないけど、ちょっと信用ならない感じ。大丈夫? 何かトラブったりしてない?」

「あー、まあ、信用ならないのは同感だが、特に問題はねえよ。一応仕事上の付き合いっつーか、そんな感じだ」

「全霊会の人でしょ。心霊関係の審査とかやってる。それは知ってるよ。それとは別に深入りしない方がいいよってこと。本当に困ったこととかない? 言ってくれれば相談に乗るよ」

「ねえっての。しつこい」

 夜鷹は執拗な心配を突き放すように拒んだ。後ろから見る彩音には、高校生の男女がじゃれているように見えたが、夜鷹の顔には気恥かしさではなく、明らかな嫌悪感が浮かんでいた。

 瑞希が協会について知っていることには特に驚かなかった。交友関係の恐ろしく広い瑞希の情報網はあらゆる分野に広がっている。4つの携帯を持ち、そのうち3つの電話帳を完全に埋めているような人間を、夜鷹は来島以外に知らない。冴崎のネットワークほど深くはないが、その人脈にはオカルト好きな連中も入っていた。

 それよりも瑞希が彩音を気に入っていないことに夜鷹は少なからず驚いていた。人から慕われていると同時に、誰にでも分け隔てなく接するのが来島瑞希という人間だった。それは博愛主義と言ってもいいほどに、瑞希は他人を拒まない。その瑞希が印象から相手を警戒するのは、夜鷹の知る限り初めてのことだった。

「ご歓談中のところ、失礼します。夜鷹さん、少しいいですか?」

 今度は彩音に呼ばれ、夜鷹は顔をあげた。にこやかに手で招き寄せているが、これまた何とも言えない圧力を感じた。呼ばれるまま近づくと、瑞希と同じように顔を近づけこそこそと話しかけてきた。

「何ですか、あの方? どうにもああいう真面目ぶった方って苦手です。気持ち悪くっていけません。ここはテキトーに言いくるめてさっさと行きましょうよ」

「……何なんだお前ら」

 根っから真面目な瑞希にどこか軽薄な彩音。確かに正反対の二人だが、どちらも人づきあいには長けている。ここまで相性が悪いとは想像だにしなかった。初対面の時に交わしたあの朗らかな挨拶はどこに行ったのだろうか。思わぬ板ばさみに夜鷹は困惑するが、彩音は構わずその場の切り上げにかかった。

「さあさあさあさあ、それじゃあ時間もありませんし、急ぐとしましょうか夜鷹さん。それでは来島さん、私達はここらで失礼しますね」

「あ、ちょっと待って。まだ話は終わってないんだから」

「あー、それは大変申し訳ありません。ですがあいにくと先約があるものでして、御用でしたらお手数ですが次の機会にお願いいたします」

「あの、すみませんが私は今夜鷹くんと話しているんです。関係ない方は下がっていてもらえませんか」

「いやいやいやいや、そちらこそ、邪魔立てしないで頂けますか。私達は仕事が控えているんですから、学生のお遊びに付き合っている暇はないんですよ。青春ごっこなら、また今度にしてください」

「ルールも守れないような方が社会人面しないでください。何だったら、先生を呼んで対応してもらってもいいんですよ。いいから、夜鷹くん。こっち来て」

「行くことありませんよ、夜鷹さん。さっさと部室に向かいましょう」

「夜鷹くん、私の話、聞いてくれるよね?」

「夜鷹さん、無視ですよ、無視」

「なあ、俺もう帰っていいか?」

「「ダメに決まってるでしょ!」」

「…………お前ら、実は仲いいだろ」

 本音で話してみたら両サイドからステレオで怒られた。何だこの状況は。わけのわからないいがみ合いに巻き込まれて、夜鷹は心底うんざりした。そもそもこれは見方によっては自分を巡って異性が張り合っているという、男なら一度は夢見るシチュエーションのはずだ。なのに一向に気持ちが盛り上がらないのは何故なのだろうか。夜鷹は腕を組み、自分を見つめる二人の顔を交互に見比べる。数秒の思案の後、夜鷹が導き出したものは、

「ああ、そうか。俺、お前らどっちも大嫌いなんだ」

 という何もかも台無しにする結論だった。

「あ、今そういうのは別にいいです。というか夜鷹さんの心情なんて最初から勘定に入れてませんから」

「そうそう、好きとか嫌いとかそんなのはどうでもよくて、どっちの言い分を聞くかってことだから」

「もう、死んでくれねえかな、お前ら」

 しかして返ってきたのは感情の全否定と言う手痛いしっぺ返しだった。何だってこんな目に遭わなければならないのか。あまりに理不尽に傷つけられた心を抱えながら、夜鷹は自分の女運のなさを呪った。本当に、これならお守り様のが何倍もましだ。大人しいし、手間がかからない。何もしていないにもかかわらず、夜鷹の中で相対的にお守り様の株が急上昇していた。

「ああ、もう面倒くせえ。来島、話があるっつうんなら、また明日にしろ。俺はもうこいつとの用事を済ませてさっさと帰りたいんだよ」

「だから待ってってば! もう、話っていうのはいつもの『用事』のことなんだって!」

 話を終わらせ立ち去ろうとする夜鷹を瑞希は呼びとめた。用事、という言葉を聞いて夜鷹は足を止めた。怪訝そうな顔の彩音を置いて、夜鷹は瑞希にしかめっ面を向ける。大概の事は何でもこなす瑞希が夜鷹に対し頼む用事。それは瑞希に出来なくて、夜鷹にできるただ一つのことだった。

「三倉さんがいるのも、ちょうどいいと言えばちょうどいいかな。私の友達が困ってて、またちょっと力を貸してほしいの」

 そこまで言うときょろきょろとあたりを見回し、瑞希は夜鷹たちに歩み寄った。噂話でもするように額を寄せて、二人に小さな声で聞いてきた。

「ねえ、『暗がりの男』って知ってる?」


 オカ研に菓子折を持っていき、挨拶もほどほどに夜鷹たちは学校を後にした。前に利用したファミレスに移動し、今度は向かい合ってではなく並んで席に着く。そうして向かいに座る相手を待っていた。

「いやいやいやいや、やって下さいましたね。まさか仲介者が2人いたとは」

「別に一人しかいないなんて言ってねえだろ」

 瑞希から夜鷹への頼みごと、それは除霊の依頼だった。交友関係が尋常じゃなく広い上、面倒見の良い瑞希は絶えず様々な相談事を請け負っている。ただ、いくら瑞希が優秀な人間だったとしても得手不得手、できることとできないことがある。そういった自分の手に負えないカテゴリは広い人脈を駆使して解決にあたっていた。そして中でも特に人選が限られる心霊関係のトラブルを回す相手、それが夜鷹だった。

「そういえば、夜鷹さんは私に冴崎さんを紹介することを渋っていましたね。にもかかわらず、来島さんのことは紹介せずむしろ隠してさえいるように見受けられます。それはつまり、彼女の方をより気にかけている、というものと捉えていいのでしょうか?」

「よかったな、ここが店内じゃなかったらぶちのめしているところだ」

 にやにやとこちらを覗き込む彩音にデコピンを打ち込んだ。あびし、と妙な声をあげて彩音の顔が引っ込んだ。横目で睨むと額を抑えながら涙目でふーふーと息を整えていた。

「逆だ逆。先輩と違って、あいつにだけは頼みごとをしたくねえんだよ」

 冴崎からの依頼は二つ返事で受ける夜鷹も、瑞希の紹介には必ず相談料を請求している。助け合いというよりもあくまでビジネスライクな関係を貫いていた。冴崎にするように夜鷹の方から仕事の都合をしてもらったこともない。瑞希に対しては貸しも借りも作らないよう、細心の注意を払っていた。

 今回の依頼に関しても、瑞希は同席させず、直接依頼人に会うように取り決めていた。とにかく瑞希と関わりたくない夜鷹は、今までの依頼でも同じようにしているらしい。面倒くさがりの夜鷹が手間を増やしてでも距離を置きたがっている様子は彩音にしてみれば信じられないことだった。

「話した感じ、頼めば快く引き受けてくれそうな方でしたよ? そこが気に入らないと言えば気に入らないんですが、夜鷹さんは夜鷹さんであの人を忌避しているようですね。一体どういう人なんですか? 実は後で見返りを要求されるとか?」

「……いや、あいつの優しさは無償のものだ。あいつの人助けで誰かが困ったこともない。だから世間一般で言えばいい奴なんだろうぜ。けど俺はダメだ。俺はどうしてもあいつが――」

 最後まで言い切らず、夜鷹は口を閉ざした。入口の方からこちらに向かう人影に気づいたからだ。彩音も夜鷹の視線を追う。他校の制服を着た女子高生が二人を見下ろすように立っていた。校則を知らなくても違反だとわかる程に気崩された制服に、あちこちに小物がちりばめられていた。化粧もしているのか、まつ毛や唇のがやたらと色濃い。まさしく遊び慣れている女子高生の典型といった風態をしていた。

「えっとー、あんたらが、ミズちゃんの言ってた人? え、てかマジで一コ下なわけ?」

 開いた口からは見かけどおりの軽い言葉が放り投げられた。初対面にも関わらず、馴れ馴れしい態度に夜鷹はむかっ腹を立てた。自分のことは棚に上げて、こういう礼節を重んじない手合いが夜鷹は大嫌いだった。

「ええ、そうです。あなたが依頼者の鈴本カンナさんですね。私、全日本心霊統合協会の三倉彩音と言います。こちらが協会認定霊媒士の片代夜鷹です。ともに若輩者ですが、お役にたてるものと自負しておりますので、ご安心ください。むしろ同世代ということでご気軽にお話しいただければ幸いです」

 見る間に機嫌を悪くする夜鷹に代わって、彩音が愛想よくとりなした。鈴本は聞いているのかいないのか、適当に相槌を打ってから夜鷹たちの向かいに音を立てて座った。目の前に話し相手がいるにもかかわらず、不作法に携帯を取り出しカチカチといじり出す。他の客たちの談笑の中、気まずい空気が流れた。仕切り直すように姿勢を正し、彩音が本題を切り出した。

「さて、それではお時間をいただいても何ですので、さっそくお話をお聞かせいただけますか? 来島さんのお話では、鈴本さんが霊害に困ってらっしゃるので力になってもらいたい、と伺っておりますが」

「なんかさー、私別にそんな困ってるわけじゃないんだよねー。ちょっとミズちゃんに話したら、勝手に心配しだしちゃってー。んで話だけでもっつって? ここきたわけなんだけど。ミズちゃんってそういうおせっかいなとこあるよねー。あ、ミズちゃんて瑞希ちゃんのことなんだけどー」

 携帯をいじりながら、鈴本はぼやくように喋り出した。しかしその内容は期待したものとは程遠い、独り言レベルのものだった。夜鷹は目の前で揺れる頭をはたいて、洗いざらい口を割らせたい衝動を何とか抑えた。過去にこの手の輩の依頼を受けたこともあるから、対応の仕方はわかっていた。こういった連中は自分のペースを乱されることをやたらと嫌う。自分中心というか、まわりが合わせて当然と心のどこかで思っている。下手に話を強いればへそを曲げてしまうのが容易に想像できた。ただでさえ面倒な相手にこれ以上手をかけるのは夜鷹も本意ではない。置物のように黙り込んで商談は彩音に任せることにした。悔しいことに、こうなると口の上手い彩音がいることが非常にありがたく思えた。

「ていうか私が言ったのだって、何か帰り道に変なおっさんの顔が浮いてたとか、そんな話だったわけ。そしたら急に『暗がりの男』? とか何とか言いだしてさ。ね、ちょっとやばくない? うけるっしょ?」

 少しだけ前進した話中にキーワードが浮かんだ。夜鷹と彩音は目だけで確認しあう。ファミレスに来る前に立ち寄った、オカ研での冴崎との会話が思い出された。


「浄霊したはずの『暗がりの男』の相談、ね。ふふ、面白いわ」

 優雅に紅茶を飲みながら、冴崎はテーブルに置いたノートPCを操作した。ネットに接続し、冴崎が管理しているオカルト専用の掲示板を開く。地域別のカテゴリから地元の板を選んで、夜鷹たちに画面を向けた。

「実は『暗がりの男』の話は今ここらの中学生の間で流行っていてね。この土日いくつか目撃談も届いているのよ。もちろん、全部が全部本物ということはないわ。気を引きたいだけの虚言や思い込みから来る勘違いもあるでしょう。それでも全部が全部偽物、ということもないと思うわ。この怪談はもう独り歩きし始めているのよ」

「怪談の、独り歩き……?」

 オウム返しに彩音が聞き返した。冴崎はすぐに答えず、一呼吸置いてから紅茶に手を伸ばした。口には運ばず、カップの中で揺らめく水面を覗き込みながら静かに微笑む。

「霊を始めとする怪奇現象は人々の想いを強く反映するの。恐ろしいものだと思えば恐ろしくもなり、美しいものと思えば美しくもなる。もっと言えばあると思えばありえてしまうのよ。感情豊かな中学生たちに囁かれるうちに、『暗がりの男』は長臣の幽霊とは別に形を持ってしまった。恐らくそういうことでしょうね」

「そんな、それじゃあ私達のしたこと何だったんですか? 浄霊が終わっても消えないんじゃあ、終わらせようがないじゃないですか」

 冴崎の言葉に思わず彩音は食ってかかった。あれほどの思いをして浄霊したというのに、その全てを否定された気がした。

 そんな彩音の後頭部を、落ち着けと夜鷹が木刀で小突いた。ただ今回は彩音の気持ちもわかったので、痛くない程度に加減されていた。

「意味がねえわけじゃねえよ。怪談が独り歩きしたところで、実を持ってなきゃ大したことは起こらねえ。精々目撃談が増える程度だ。放っておけばすぐに収束して次の噂に移っていく。そういうもんだ」

「でも、怪談話を反映して怪奇現象は起こるんですよね。だったらとり殺される結末が知れ渡れば、それが現実のものになってしまうんじゃないんですか?」

「健全な精神状態なら、まず大丈夫よ。夜鷹くんほど高くはないとしても、霊害に対する抵抗力は誰しも持っているものだから。ただひどく落ち込んでいたり、この世を憂いていたり、心が乱れているときだと危ないかもしれないわね。まあ、それに関してはこっちで対策を打っておいたから、心配しないで頂戴」

 そう言って冴崎は掲示板の書き込みの一つを彩音に見せた。そこには『音を立ててガムを噛むと逃げ出す』とか『何々と3回唱えれば大丈夫』といった、『暗がりの男』への対処法が広められていた。

「なるほど。噂には噂、ということですか」

 たとえどれほど厳しく緘口令を引いて情報統制を行ったとしても人の口に戸は立てられない。ましてやメディアの溢れた現代において噂話を消し去るのは不可能なことだ。それならば逆にそのメディアを利用して噂話を作ればいい。人の想いを映して現象が起こるのなら、弱点の設定も現実のものになるのだから。

「呪詛と解呪は鏡合わせなもの、ということかしら。今は有志に三つ四つ噂を流してもらってるの。その中で一番流行ったものにそれらしい裏話を後付けすれば盤石ね。というわけで、こちらは任せてもらってかまわないわ」

 確かな自信を持って冴崎はそう請け負った。どれほど霊感の強い夜鷹だろうと地域を巻き込んでの情報操作など真似ることもできない。しかし冴崎にとっては手慣れたものだった。そうやって冴崎は今まで幾多の都市伝説を作り、蔓延させてきた実績がある。良くも悪くも、ことオカルトにおいてこれほど影響力のある人物もそういないだろう。

 そのままフォローは冴崎に任せて、夜鷹と彩音は依頼人に会うためファミレスに向かうことになった。二人の出て行ったあと、一人部屋に残った冴崎はもらった菓子折りをブードゥー人形ひしめく棚にしまった。いわくつきのオルゴールのゼンマイを巻き、お気に入りの曲をかける。一人掛けのソファに身を沈め、冴崎は小さく呟いた。

「たくさん死んだ方が面白いのに……」

 放たれた言葉は誰に届くこともなく薄闇に吸い込まれていった。


 そういったやり取りの末、夜鷹たちは鈴本と対面していた。今のところ想定される事態は冴崎の言ったとおり、怪談として独立した『暗がりの男』が霊害を起こしているというものだ。この場合は夜鷹も述べたが実害を出す可能性は低い。全国規模ならまだしも、一地域で流行った程度では大した力を持つことはなく、せいぜい出会いがしらに遭遇して肝を冷やす程度のものだ。

 しかしそうとわかっていても夜鷹はどこか釈然としないでいた。出先で部屋に鍵をかけたか気になるような、座りの悪さが付きまとっていた。

 例えばこの依頼人。対面する相手に気取られないよう仔細に眺めれば、本人のものとは別の気配が感じ取れた。生者のものではない、とり憑いた霊の霊気がまとわりついている。夜鷹が「縁を結ぶ」と呼ぶ被霊害者に見られる典型的な症状だった。このことから依頼人の鈴本が何らかの霊にとり憑かれていることは間違いない。本人の言を信じるならば、それは『暗がりの男』なのだろう。だが、何故鈴本なのか、それが気になった。『暗がりの男』が怪談として形を持ったなら、その性質は怪談に従う。即ち「話を聞いた人間のもとに訪れる」はずなのである。しかし話を聞く限り、鈴本は瑞希に言われるまで『暗がりの男』を知らないでいた。これでは怪談話とのつじつまが合わない。

 他にも『暗がりの男』を浄霊したときもそうだ。浄霊自体は問題なかった。魂を打ち砕いた感触、この世から消えていく感覚。何度も経験したからわかる確かな手ごたえがあった。浄霊は間違いなく完了している。しかし浄霊云々以前に、どうしてあの男は結界の中に入ることができたのだろうか。彩音には適当な推測を答えたが、言った本人が納得できないでいた。確かに霊体相手に常識は通じない。ただもっとデタラメな話ならまだしも、ほんの少しだけずれているような引っかかりが気に入らない。まるで正しい道の一本隣を歩いているような、正答なのに書く欄を一つずつずらしたような気持ち悪さがあった。

 そんな矢先にこの依頼だった。夜鷹は出来過ぎたタイミングの良さに因縁めいたものを感じ取っていた。こういう話は往々にしてこじれやすい。平静を装ってはいるが、心の中で夜鷹はいつも以上に警戒していた。

「はぁ!? 何それ、意味分かんない!」

 静かなBGMの流れる店内に怒鳴り声が轟いた。夜鷹を始め、店中の目が何事かと向けられた。その中心には鉄の笑顔を浮かべる彩音と、食いつかんばかりに身を乗り出した鈴本がいた。

「何なの、あんたらミズちゃんの友達じゃないの? 何でお金とかとるわけ!?」

「確かに来島さんとは面識がありますが、今回はご紹介をいただいただけですので。こちらといたしましても仕事を続ける上で、依頼者ご本人様から正規の料金をお支払いいただかなくては――」

「何が、正規の料金よ! どうせぼったくりなんでしょ! 詐欺じゃん、詐欺!」

 満足に彩音に喋らせず、鈴本は怒鳴り散らした。テーブルの上のタブレットには料金表の画面が映っていた。知人の知り合いだから無料になるものと思い込んでいた鈴本は提示された金額に納得がいかないらしい。もともと心霊事を信じてもいないらしく、しきりに詐欺だと喚いていた。

 料金の支払いに関して揉めることは何も珍しいことではない。夜鷹が一人で依頼を受けていたときでも10人に一人は文句を言ってきていた。特に危機感が薄いためか、軽度の霊害被害者に多かった。中には鈴本のように詐欺と決めてかかり、逆に夜鷹を脅してくるような輩もいたほどだ。ちなみにそいつは目の前で木刀の素振りをしたら黙って帰って行った。

 今までなら説得するのも面倒だと、言われるがまま無料で引き受けていたが、協会に登録された以上勝手なことはできない。その代わりに今の夜鷹には彩音がついていた。普段はうっとおしいだけだが、彩音の口の上手さは夜鷹も認めている。こういった交渉難の相手では実に頼もしい限りだった。

 しかし頼りにしていた彩音の口から出たのは意外な言葉だった。

「なるほどなるほど、わかりました。では今回のご依頼はキャンセルとさせていただきますね」

 一切の説明や譲歩を行わず、あっさりと彩音は話を終わらせてしまった。鈴本に向けていたタブレットも手元に戻し、さっさと休止状態にしてしまう。会話の駆け引きなどではなく、本当に依頼を無効のものとするつもりらしい。自分のコーヒーを飲み干すと伝票を片手に席を立とうとさえしている。慌てて夜鷹は彩音を呼びとめ、隣に座らせた。

「おい、待て! どういうつもりだ、お前」

「はい? 何がですか?」

「何じゃねえよ、こいつは明らかに何かにとり憑かれてるぞ。『暗がりの男』かどうかはわからねえが、このまま放っておくつもりかよ」

 夜鷹がひそめた声に力を込めて糾弾するも、彩音は表情を崩さなかった。目の前の鈴本に配慮するつもりもなく、平時の声量で夜鷹に答えた。

「そうは言われましてもこちらも慈善事業じゃありませんからね。料金を支払っていただかないことにはお引き受け致しかねますよ。まあ、価値観というのは人それぞれですし、ご自身の安全と端金を天秤にかけて、後者をとった鈴本さんのご立派な意志を尊重しようじゃありませんか」

「ちゃんと説明するなり、宥めすかすなり、やり方があるだろうが! 得意の口八丁はどうしたんだよ。らしくねえぞ」

「いやあ、お力になりたいのはやまやまなのですが、こうも了見の狭い方だと話しても無駄ですからね。というか、らしくないと仰るならそれは夜鷹さんのほうじゃないですか? いつもはこんな手のかかる方のお相手なんてしないでしょうに。どうされちゃったんですか? 何か変なものでも食べました?」

 彩音の口上はこれまで散々聞かされた嫌味混じりのものだった。しかしまくしたてるような喋り口は、普段の余裕を持って相手を見下すものとは違っていた。

「……何だ、お前。何怒ってんだ?」

「怒ってなんかいませんよ、心外ですね。どうして私がこの程度の人相手に心乱されなきゃいけないんですか」

「いや、つっても……」

「何なのよ、あんたら!」

 目の前でごたつく二人に業を煮やした鈴本が怒声を上げた。乱暴に荷物を引っ掴み立ちあがる。それからぎりっと目を吊り上げ、彩音の顔を上から睨みつけた。

「ミズちゃんがどうしてもって言うからきてやったのに、人のことバカにして! マジうざい! あんたらホント覚悟しといたほうがいいよ。私の知り合いやばい人いっぱいいるんだから!」

 そう捨て台詞を残すと大きな足音を立てながら、足早に去って行った。咄嗟に夜鷹が追おうとするが通路側に座った彩音は動こうとしない。

「おい、邪魔だ! どけ!」

「行ってどうするおつもりですかー?」

 歯がみする夜鷹が声を荒げると、彩音は焦らすようにのんびりした声をあげた。くるくると髪を指でいじりながら、小馬鹿にした笑顔を浮かべる。そうしているうちにドアの開閉の音が届き、鈴本の退店を知らせた。

「まさか、彼女に憑いている霊を祓うっていうんじゃありませんよね?」

「そうに決まってんだろうが! あのままみすみす行かせるつもりか」

「勝手なことしないでください。言ったはずですよ、協会の許可なく依頼を受けてはいけないって」

「どうせお前の評価が下がるだけだろうが! 知ったことじゃねえよ」

「次から契約書はハンコを押す前によく読んだ方がいいですね。契約不履行を行えば、夜鷹さんにもペナルティがありますよ」

 彩音は事務的に告げて、はん、と鼻を鳴らした。それから意味もなく手元のタブレットを点けて、無造作にページを切り替え始めた。見るからに不機嫌なのはわかった。しかし何が気に入らないのか見当もつかない。たとえ頭に木刀を落としてもここまで機嫌を損ねることはなかったというのに。

「……どうしたっつーんだよ、お前」

 困惑する夜鷹を一瞥して、彩音は気だるそうにに頬づえをついた。とんとんとタブレットを指で叩きながら、不承不承に想いの内を吐きだした

「……ああいう見識のない人って嫌いなんですよね。見てるだけで腹が立ちますし、話を聞くだけで反吐が出ます。別に霊を信じてないってのはいいんですよ。世間ではそれが多数派でしょうからね。でもあの人は、自分が実際に目撃してるわけじゃないですか。にもかかわらず、それを受け入れようともせず、他人の声を聞こうともしない。話しをするだけ馬鹿を見るのはこっちじゃないですか。これはもう、少しくらい痛い目をみたって仕方ないですよ」

 彩音の表情に取り繕われたものではない嘲笑が浮かんだ。隠しようもなく浮かんだ侮蔑の色に、夜鷹は彩音をいい聞かせることは無理だと察した。

「じゃあ、いいよ。ペナルティでも何でも好きにつけりゃあいい。お前はそこで、そうやって寝ぼけてろ」

 夜鷹はテーブルを乗り越え、反対の座席にまわった。そのまま振り返りもせず、出口に走る。外に出ると既に日は落ち、夜の帳が降り始めていた。立ち往生したのは数分にも満たない。徒歩で来ていたのなら、今から走ればまだ追いつける。即座にそう判断して、夜鷹は駅の方角に向かって駆け出した。

 夜の通りに消えていく夜鷹を、彩音は窓ガラス越しに眺めていた。ついていく気はさらさらなかった。頭の中で夜鷹が問題を起こした時の隠ぺい方法を練っていた。依頼人の鈴本のことなど、既に思考の端にも入れていなかった。


 暗い部屋に電子音が鳴り響いた。部屋の隅に置かれた棚の上で携帯が点灯していた。液晶には着信を知らせる文字が機械的に表示されていた。何回目のコールか、棚の横に置かれたベッドから腕が伸び、携帯をつかんだ。寝ぼけ眼をこすりながら、彩音が布団の下から這い出てきた。

「……何だっていうんですか、もう」

 顔にかかる髪をかき上げ、携帯の時計を確認した。不鮮明な頭にデジタル表示はすぐに入ってこず、結局壁に掛けた針時計を見て大まかな時間を見た。時刻は7時前、昨晩は夜鷹と別れた後、遅くまで報告書を作成していたので睡眠時間が足りていない。込み上がる睡魔から逃れるようにベッドから立ち上がり、あくびをかみ殺した。

 そして携帯の着信はその夜鷹からだった。向こうから電話をかけてくるのは初めてのことで、珍しいこともあるものだと彩音は眉をひそめた。ふと無視してやろうかという気持ちも湧いたが、鳴りやまない着信にもうんざりしてきた。仕方なくタッチパネルを指で軽く叩き、通話状態に切り替えた。

「はいはいはいはい、三倉です。おはようございます。何ですか、こんな朝っぱらから」

 寝起きのテンションと昨日の件も踏まえて、声のトーンはわざと落としていた。これで今更謝ってきたら面白い。そのときは思いっきりいじりまわして溜飲を下げることにしよう。何の用かはわからないが、彩音の心構えはそんなものだった。

『……一応報告だけはしとこうと思ってな』

 電話口の夜鷹の声は、彩音以上に低い調子だった。それは冷静な声というよりも、感情を押し殺した声だった。必要最低限の短い前置きの後、少しの間をおいてから夜鷹はそれ以上に短く告げた。

『昨日のあいつ、死んだってよ』

 それは眠気を晴らすには充分な言葉だった。


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