俺と日常
一つ一つのクラスの中からガヤガヤとした声がくぐもって聞こえる。
それに対して廊下は静かだ。
俺と目の前を歩く担任の足音だけが響く。
この担任、来たばかりの転校生の緊張を崩そう、とか慣れ会おうとかいう気は全くおきないらしい。
まあさっきからずっと黙ってる俺も俺だが。
「ここが2年A組。お前のクラスだ。」
振り返った髭がワイルドな男前の担任に俺は無言で頷いた。
ガラガラッ…
おもむろに開いた戸に、クラスが静まり返る。
担任の後について俺が入るといったん静かになったクラス内にひそひそ声が漏れはじめた。
好奇の目がグサグサ刺さる。
これからどうするのか、と担任をちらりと見るとだるそうに此方を見返した。
どうやら、適当に自己紹介でもしとけってことらしい。
俺は白のチョークを借りて名前を書いた。
指についたチョークの粉を払うと振り向く。
そして皆の視線がこっちに向く中、俺は久しぶりに口を開いて声を出した。
「… 立花 慧…。」
それだけ言って俺は隣の担任を見やった。
「俺の席…どこ?」
授業がおわった。
俺は自然な流れで教科書をしまい、カバンをつかみ席をたった。
それを見た途端、教室のドア付近で雑談していたクラスメイトが俺のために道をあける。
俺はちらちらと視線を感じながらも、誰とも目を合わせることなく教室を出た。
俺がこの天宮高校に転校してから一ヶ月。
どうやら俺は不良扱いされ、敬遠されてるらしい。
俺は別に不良でもなんでもない。
クラスの中で喧嘩した訳でも無いし、チャラついてる訳でも無い。
だが、こうなったのは自分に問題があることも自覚済みだ。
問題なのは俺が必要最低限のことしか喋らない、ということだ。
別にコミュ障とかあがり症とか口ベタって訳じゃない。
喋ろうと思えば喋れる…と思う。
なんで俺があまり喋らないのか。
それにはちゃんと理由がある。
くぅん…
微かに聞こえた鳴き声に下を向くと仔犬がいた。白に茶色の斑がはいっている。
(怪我してる…。)
どこで怪我をしたのか、後ろ足を引きずって歩く姿が痛々しい。
俺は仔犬を抱き上げると、路地裏に入って行った。
ひと気のなさそうなところで仔犬を抱いたまま俺は声を発した。
「治れ。」
俺の目の前でみるみる仔犬の傷が塞がってゆく。
他にも傷がないか確認してから仔犬を下ろす。
わんっ
先より心なしか元気に鳴くと仔犬は走っていった。
俺の言葉は現実になる。
それに気付いたのはわりと幼い頃だ。気付いて以来、俺は喋らなくなった。
俺の些細な言動でなにが起こるか分からない。
だったら誤解されようが何だろうがしゃべらない方がいい。
そう、思うようになった。
仔犬を助けた後は特に何事もなく、帰路につく。
路地から商店街の方へ行くとふっと揚げ物の匂いが鼻を掠めた。
俺が転校数日前に越してきたここ、天宮町は田舎とも都会とも言えないどっちつかずの町だ。
ここには俺の本家、つまりじいちゃんの家があるので今はそこに住んでいる。
この町は大雑把に言って二分できる。
駅の方のだいぶ栄えたほうと山のある田舎っぽいほう。
じいちゃんの家はどちらかというと山の方にある。
駅に近い学校から商店街を通れば徒歩20分。
近からず遠からずだ。
ガチャ…
「…ただいま。」
俺の声にばあちゃんが部屋から出てきて出迎えてくれた。
「おかえり、慧。
今日は学校どうだった?」
すかさず聞いて来るとこを見ると
やはり心配をかけてるらしい。
そりゃそうだ。
なんてったって今回の転校だって喋らない俺に友達ができないことを心配した親からの配慮なんだから。
「別に。いつも通り。」
端的に答えるとばあちゃんの横を通り過ぎて2階の自分の部屋へむかった。
「…そう。晩ご飯できたら呼ぶから来なさいよ。」
ばあちゃんの声を背中で聞きながら部屋に入っておざなりにたたんである布団にダイブした。
前の自分の部屋はベットだったからいまだ新鮮な感じがする。
部屋も学校も周りの人間も。
全てが変わったのに、いや変えたのに状況は何も変わらなかった。
(俺自身が変わらないからな。)
自嘲的に心の中で呟くと、俺は目をつむった。