約束(後)
「もう、全て終わったんだ」
エイスフォールが従兄弟であり親友である青年の姿を発見した時、彼は長椅子に横たわる少女にそっと寄り添うように座り込んでいたが、エイスフォールの存在に気づいてそんなことを言った。
夕暮れ時の赤光を浴びた彼の横顔も同じ色に染められていたが、彼が尋常でなく蒼褪めていることは傍目にも一目瞭然で、呟く声は独り言のように小さく、弱々しい。
彼の側の長椅子に静かに横たわる少女には一見して命に関わるような外傷は見受けられなかったが、彼女が最早同じ時の住人でないことは確認するまでもなく明らかだった。
それを見て、エイスフォールはその側に寄り添う従兄弟がどのような心境にあるかを想って居たたまれない気持ちになり、また一抹の罪悪感も覚えた。
「何だ、お前らしくない。そんな顔をして。――心配するな、お前のせいだとか思ったりしてはいないさ。責は俺にある。全て、この俺に」
彼はぎこちない動作で顔を上げ、俯くエイスフォールを見てわざと明るい口調で言った。
「ラウファレナは最後まで立派に王女だったよ。しかも俺の顔など当分見たくないんだと。どうあっても俺に楽はさせてくれないみたいだ……」
ふふ、とグラナートは小さく笑った。エイスフォールが知っている彼にはありえなかった、狂気すら含んだ苦笑だった。
「馬鹿な話だ。今、ようやく気付いたんだ。前に言っただろう? 俺は心に闇を飼ってると。だがな、本当は俺は闇に飼われたんだ。闇が、ラウファレナに鎖の端を預けていたことで、俺はその幸せに油断して闇の存在など忘れ、飼われていた事実すら失念していたらしい」
「……グラナート?」
エイスフォールは急に寒気を感じて、喘ぐように従兄弟の名を呼んだ。彼の体は自身の制止も利かず、震え出すのを止められなかった。
「――お前は、一体……?」
無意識に口が動く。その質問内容に他の誰でもないエイスフォール自身が驚愕した。
「俺……いいや、『わたし』か?」
そんなエイスフォールの動揺などまるで意に介さぬふうに、彼はゆっくりと片手を胸に当てて自らを誇るように微笑んだ。
「わたしはグラナート。お前の従兄弟であり、またそれとは異なるモノ。そう、かつて『俺』が『闇』と呼んでいたモノ」
言いながら彼は少し目を瞠り、何かを断ち切ろうと頭を振る。
「いや、わたしは俺で、俺はわたしだ。ようやく本来の姿になったと言うべきかな」
一瞬以前の『彼』のような陰のある表情を見せたが、それも瞬く間に消え失せる。エイスフォールには最愛の恋人の死が、彼を狂気に走らせてしまったのではないかと思えた。しかし、以後のグラナートの表情にはもう危うさは見いだせず、けれども以前の『彼』がよく見せたような孤独やある種の怯えといったものも同時に消えていた。
「エイスフォール、わたしは王になれるだろうか。この呪われた身で」
やや自嘲気味にグラナートが口を開く。
エイスフォールは一瞬の間を置いて、彼の言葉の意味を理解し破顔した。
「ああ、勿論だ。ディスルの未来を託すに相応しいのは今の王家ではお前だけ。俺はお前以外の王など考えられない」
やっと決心してくれたのだと、エイスフォールは思った。王位などなりたい者にくれてやる、そんなものに興味はないとはっきり明言していたグラナートだが、今回の一件で父王の理不尽な命に従い続けることに心底嫌気がさしたのだろうか、と。しかしそれは半分正解で半分違った。彼はラウファレナと『約束』を守る手段として、王になる決意を固めたのだ。しかし理由はどうあれ、エイスフォールは彼の決意を歓迎しているようだった。
「このわたしに忠誠を誓ってくれるか、エイスフォール……血塗られた玉座に就くわたしに」
「何を今更。ここで誓えと言うなら、そうしようか? ならば――この剣と魂にかけて、我が命と永遠の忠誠を我が君に……」
恭しく跪き、両手で剣を掲げて深々と頭を垂れ――形式に則った騎士の礼を取るエイスフォールを見下ろして、グラナートは複雑な表情を浮かべ、何かを断ち切るように目を伏せた。