再会
王都は不吉な程の静寂に包まれていた。
市街に居る人影はまばらで、ディスル軍が通っても興味なさ気な一瞥をくれるだけで、死んだように動かない。
かつては潮騒の都と呼ばれ、華やかな賑わいに満ちていた都が、今は一転して無気力の海に沈んでしまったかのようだ。
貴族の屋敷に入っても財宝などはなくもぬけの殻で、そのことで欲求不満に陥った兵士たちが建物を破壊したり、残る市民に危害を加えようとしたりしているのを、グラナートは厳しく咎めた。無益なことはすべきではない、と。
そして、王宮へと進軍するとようやく形ばかりの戦闘が始まったが、あまりの勢力差にあっという間に勝敗が着いた。なんともやるせない気持ちしかなかった。
我先にと地下の宝物殿になだれ込む兵士を横目に、グラナートはラウファレナを探すために王宮の奥へと急いだ。エルドーラ王女の所在について、今のところ何の情報もない。2日前に、民衆の前に姿を見せたらしいというのが最後だ。彼女は一体どんな思いで民の前に立ったというのか。その心情を察して、グラナートは悲痛な気持ちが強まるのを感じる。
―――早く、一刻も早く。
複雑な迷路のような回廊を、当てもなくただ全速力でグラナートは駆けた。
誰よりも早く、ラウファレナを見つけ出さなければならない。
暫く走り回ったあと、もしかしたらラウファレナも他の貴族と同じように、海の向こうへ亡命したのではないか、そんな気がしてきた。何故ならこの王宮には彼女の気配が感じられない。ラウファレナの春の日差しのような柔らかな気配が全くない。代わりにあるのは、鋭利な刃物のような尖った気配。グラナートがこのままラウファレナの探索を続けるかどうか悩み始めたところ、丁度通りがかった部屋の中から鋭い殺気を感じて速度を落とす。その瞬間、部屋から短剣が飛んできて、咄嗟に身を躱す。短剣はそのまま壁に当たって突き刺さることもなく、大理石の床に甲高い音を立てて転がった。
明らかに素人の仕業だった。それを見て、犯人にすぐ察しがついた。
「ラウファレナ、そこにいるのか?」
誰何する声が、意思に反して心持震えた。
間を置かず、返答があった。
「ええ、ディスルの王子」
凛とした声が、部屋の奥から聞こえた。
鈴のような綺麗な彼女の声は記憶のままだ。しかし、その声に含まれる響きは、彼の全く知らないものだった。硬く、氷のように冷やかな響きは今までにないものだ。グラナートは彼女の変貌に胸を痛めた。原因は間違いなく自分にある。彼女の国を、全てを奪ってしまった他でもない自分に。
「…………ラウファレナ、それは――!!」
部屋の中に彼女の姿を認めた時、グラナートは記憶の中の彼女の姿とのあまりにも多い相違点に目を瞠り、絶句した。
長かった美しい髪は肩の下でバッサリと切り落とされており、何より彼女の可憐な美貌を損なうあまりに酷い傷は直視できなかった。額から頬にかけて切り付けられた傷痕は痛々しい。傷の周囲も腫れ上がっていて、傷がまだ新しいものであることを物語る。その無残な姿が、思わず駆け寄って抱きしめようとしていたグラナートの衝動を圧し止めた。
「その傷は、一体?!」
知らず声が掠れ、僅かに上擦った。
最愛のラウファレナの美しい顔をこんな風に傷つけるなど、グラナートにとっては何よりも許し難い冒涜である。しかし、答えるラウファレナは至って冷静だった。
「これはかけがえのない者を奪われた民の怒りの痕。貴方にわかるかしら……」
左目の傷痕を指でゆっくりとなぞりながら、ラウファレナは静かに言う。その妖艶ともいえる仕草に、グラナートの背に悪寒が走った。全く別人のように変貌してしまった恋人に、彼は言いようのない不安と恐怖を感じた。
「私を討ちに来たの? それとも捕虜にするつもり? 御存知かもしれないけれど、今この王都に居る王族は私だけ。あとはみんな天に還ってしまわれた。ヴィルシリード兄様、ユージスカ兄様お二人とも逝ってしまわれた。殺されたのよ、貴方たち侵略者に!!」
憎悪を隠すことなく、瞳に漲らせてくるラウファレナの視線を正面から受け止めて、グラナートは無言で腰に携えていた長剣を鞘ごと外し、ラウファレナに投げて寄こした。
「弁解はしない。陛下の野望を止めることができなかった俺にも、咎は十分にある。けれどこれだけは信じてほしい。俺は君を傷つけるためにここに来たんじゃない。俺は全てを捨てる覚悟でここに来たんだ……伝書鳥は帰ってないのか?」
突然の話題転換にラウファレナは露骨に怪訝な顔をしたが、律義に首を振った。
「いいえ、帰ってきていないわ。それがどうしたの?」
「いや、何でもない。帰っていないなら仕方ない。それよりラウファレナ、俺は君を救いたくてここに来たんだ。今更、この俺が何を言っても信じてもらえないかもしれないが、俺はどうしても君だけは助けたかった。君を逃がすために、身代わりの遺体も用意した。追っ手のかからないよう、手筈も整えてある。どうか一緒に逃げよう、ラウファレナ!」
要するに、もともと恋仲だった二人が将来を悲観して心中した。もしくは切羽詰まったエルドーラ王女が敵将のディスル王子を巻き添えにして王宮に火を放ち、焼死した。そのような筋書きだ。
グラナートの言葉に、初めは不快気に顔を背けていたラウファレナだったが、話が進むに連れて彼女は苦しげに顔を顰め、ついには両手で耳を塞いでしまった。
「嫌よ、止めてちょうだい! 私を誰だと思っているの? 私はエルドーラの最後の王女だわ。今や私がエルドーラ自身なのよ。ここ以外に私の居場所がどこにあるというの?!」
彼女はそのままの姿勢で、ありったけの大声で叫んだ。
その言葉は、グラナートの胸を深く刺し貫いた。