深闇
グラナートはずっと昔から心の奥に深い闇を飼っていた――とても獰猛で、残忍な闇を。
その闇は戦場に立つ度に目を覚まし、彼の心を喰らいながら、戦場を鬼神の如く駆け回る。闇は何時如何なる時でも彼の命を護り、彼の軍を必ず勝利へと導いた。悲しみの大地を赤く染め、それを大量の屍が覆い隠すように大地を埋め尽くす。故に彼は十四の初陣以来、たった一度の敗戦もない。彼は全ての地獄から生還してきた――彼の心に棲む闇の持つチカラによって。
思えばロドニアより帰国してから、王宮より戦場で過ごした日々の方が多いくらいだ。強欲で、情けを知らない王の治世では、反乱も戦も絶えることはない。
初めは人の死に怯え、また自分の死を夢に見て震え、自身の肩を強く抱きしめながら眠れぬ夜を幾度となく過ごしてきた。今ではすっかりこの状況に慣れてしまっている自分が確かに存在していて、地獄の光景に何の感慨も持てなくなりつつある自分が、戦争に、人の死に慣れて行く自分を象徴しているようで堪えられない気持ちになる。
グラナートはこの後の人生でどれだけの贖罪をしたところで、懸命に神に祈ったとしても、決して天へは還れないだろうと確信している。でも、だからもうこれ以上罪は重ねたくない。これが前世の自分の罪に対する報いだというのなら、自分だけを傷つければいい。こんな、無関係の人を巻き込み苦しめるようなことは、もう御免だ。
「グラナート、お前は気が優しすぎる。いちいち気を遣い過ぎるから自分自身を追い詰めてしまうんだ。もっと肩の力を抜いて、落ち着いて周囲を見てみるんだ」
ようやく口を開いたエイスフォールは、俯いているグラナートの顔に手を添えて強引に上向かせる。
「自分の与えられた場所で、自分に出来る限りのことをする――最善を尽くすんだ。それが戦地に散った命に対する、最高の償いになるんじゃないだろうか。俺はそう信じるよ」
エイスフォールはグラナートの瞳をしっかりと見つめながら、とても真摯に、ゆっくりと告げた。
「……………ありがとう………」
グラナートは漸く落ち着いた口調で囁くように言った。どうしようもなく熱くなった眦を押さえながら。それを見届けたエイスフォールはにっこりと微笑む。
「しゃんとしろ、グラナート。お前はディスルの将なんだぞ。戦況はお前次第で如何様にも変わるだろう。全てはお前に掛かっているんだから、しっかりしなくては、な」
「ああ、そうだな」
グラナートの背中を二度ほど叩いて、エイスフォールは立ち上がった。どうやら自分の天幕へ戻るようだ。それを視線だけで見送って、グラナートも天幕へ戻るため漸く重い腰を上げた。
この地での戦いは明日中には決着がつくだろう。
そしてあと数日もすれば、エルドーラの王都ハサイアへ到達する。
「………ラウファレナ………」
愛しい少女の名前を呟いて、彼は脇に差していた長剣を鞘から抜き出す。銀色の刃が月の光を反射して妖しい輝きを放つ。
明日も自分はこの剣を手に、阿鼻叫喚のこだまする死の大地を鬼神さながらに駆け廻るのだろう。
「俺にできる最善を尽くすから。他でもない、唯一の君のためだけに。ただ、それだけのために。だから神よ、どうか。どうか彼女を俺がその元へ辿りつくまでお護り下さい」
そっと剣を元の鞘に戻し、月を神に見立てて跪き、崇める。
その彼に月光が優しく、抱きしめるかのように降り注ぐ。光は神聖な輝きをもって、月の愛児と伝説で語られる竜と同じ琥珀色の瞳を持つ彼の想いを、受け止めてくれたように感じた――まるで神が、自身の定めた供物の献上者に祝福を与えるかのように。