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九 謎の文

「非常識ですわ」


(非常識です)


 千草と音橘が同じことを思うのは、目の前に広げられた文である。柔らかい香を焚き締めた紙に壱師の花が添えてある。赤く細い花弁がまんべくなく広げられたその花はまるで御仏の台座にも見えなくもない。別名曼珠沙華ともいう。


「なにがだ?」


 わけがわからない、と健皇子が首を傾げている。この皇子が、ばさら者すぎて貴族の一般常識にかける。『イチシ』は『一死』、忌むべきものとして嫌われる花である。それ以外にも、死を連想させる別名の多い花である。実際、この花の根には毒があり、食べると中毒を起こしてしまうのだ。飢饉の年なれば、飢えた農民がこれを食らい、腹を下してしまうという。


「そんな不気味な花を貰っても喜ばないでください」


 千草がきっぱりはっきり申し上げた。たかだか一女房風情にそんなことが言える相手ではないが、当の本人は気にしておらず花をつかんで「きれいなのになあ」とのん気なことを言っている。


「本当に毒があるのか?」


 健皇子の言葉に音橘はこくりと頷く。


「なんで知っているんだ?」


 するどい返しに音橘はびくりと肩を揺らせた。本来、皇族の末席である音橘がこんなことを知ることはない。部屋から一歩も出ず、生涯をすごすものさえいるのだから。


(お腹が空いていたから)


 そんな理由を今更口に出したらどうなるだろうか。しかたないのだ。空腹が耐えられず、池の蛙、雑草も粥のかさましに使うことすらあったぐらいだ。一度、あまりにお腹がすきすぎて屋敷を飛び出して食べ物を探すことがあった。音橘の気性を考えると、信じられない話であるが、それを上回る空腹というものがある。まだ、代筆の仕事をする前で、千草が出産のためいなかったころだった。そのころ、千草は音橘の両親が死んだことを知らなかった。もし、彼女がいれば好き勝手に両親の遺品をむしりとられなかったのでは、と考えたが仕方ないことである。


(あれは大変だった)


 くたびれたとはいえ、それでも高価な着物を着ていた音橘は外に出るなり身ぐるみはがされてしまう。命からがら逃げて橋の下に隠れると、そこには音橘と年の変わらない子どもたちがいたのだ。そこで食べていたものが、一師の花の球根である。


 そのままでは毒があるが、丹念に水にさらして毒抜きをすると食べられるようになる。年貢の対象にならないその花の根は、飢饉の際の非常食として川べりに植えられていた。

 食うものがない子どもたちは、そんなものでも食べなくてはいけなかった。


 食べられると知った音橘は、泥だらけになりながらも、地面を掘ってその根を屋敷に持って帰った。球根は半分を庭の片隅に植え、半分を水にさらして食してみたが、毒抜きが十分でなく苦しみを味わう羽目となった。


 そのとき、助けてくれたのが意外にもあの代筆の仲介屋だったりする。新規顧客を得るべく、いろんな貴族の屋敷を回っており、字の下手な不器量な娘を探していたのだ。音橘の屋敷は、一見立派だったので下見に来ていたらしい。

 そのような縁で助けてもらった故、音橘は仲介屋に強いことを言えないわけである。もっとも、音橘の性質さがを考えれば、たとえそんなものがなくとも態度は変わらないだろうが。


 話を戻すとして、なぜそんな縁起の悪いものを文につけてよこしたのか、というのが問題である。紙は陸奥紙みちのくがみ、ちりめんの手触りが残る美しい紙だ。普通、文は薄い紙を二枚合わせて使う場合が多い。高級な陸奥紙を使うというのは、それだけ相手も高貴なかたであるということか、それとも相手が健皇子だったためか、どちらともとれる。それに香を何種も合わせている。花以外は特におかしいところもない。むしろ、相手の趣味の良さが現れるものとなっている。


 ためらいながら音橘は、健皇子を見る。


「見るなら見ていいぞ」


 音橘の心の声を読んだかのように健皇子は言った。


(他人の文を見るのははしたないけど)


 そのような奥ゆかしい考えを持つ貴族の娘は、今の時代そうはいないが、音橘はそのような姫であった。ためらいながらも、折られた文を開く。

 そこには、陸奥紙にも香にも負けないたおやかな美しい筆致があった。流れるかな文字をみるだけで、ぬばたまの髪と白い肌、柔らかい輪郭をもつ美女が眼に映し出される。


(ああ、これは……)


 音橘は額に手の甲をやり、くらくらと倒れそうになった。「姫様!」と、千草が音橘の身体を支える。


「貧血か?」


 健皇子が顔をのぞきこんでくる、音橘はびっくりして持っていた扇で顔を隠してしまった。貧血ではない、むしろ反対だ、逆上せてしまったといえる。音橘は文を見ただけで心ときめかせてしまったのだ。出会わずとも、文のやりとりだけで恋に落ちる、そういう時代である。


 音橘だけでなく、健皇子に控えている風彦とて例外ではない。この文をすでに見ているのだろう、御簾の奥から見える手は日焼けとは別に赤らんでいるようにも思える。健皇子の言葉を信じるなら初心うぶな男である、音橘が逆上せてしまう文章を見てなんら感じないわけがない。


(いけない)

 

 音橘は体勢を立て直す。身体にめぐった血を落ち着かせようと大きく息を吸い、吐いた。顔のほてりがおさまったところでもう一度文を見る。


(あからさまな誘いの言葉)


 それが文にかかれていた。

すでに、健皇子が音橘を囲っていることは周知の事実である。別に一夫多妻はごく普通にあることであるが、相手は音橘である。傍流とはいえ先の帝の血の流れを汲むものに喧嘩を売るとは、と目を血走らせた千草が後ろにいて怖い。


 それに、健皇子はばさら者であると有名だが、その血脈はこれ以上やんごとなきものである。帝の第二子であり、同母の兄は東宮だ。不吉なことであるが、もし東宮になにかあれば、健皇子が次の帝になると皆は思うだろう。


(いや、それは……)


 まったくないわけではないが、無しに等しいと音橘はわかっている。健皇子の今の処遇を考えるに当たり、現帝は健皇子の秘密を知っているのではないかと思う。そして、その状況をよしとせずとも、目を瞑っているのはなにかしらの理由があるからではないかと考える。

 現に、血生臭い検非違使けびいしの真似事をすることで、健皇子は浮いた話がほとんどわいてこなかった。さらに、落ちぶれたとはいえ、血筋に申し分のない音橘を囲うことでさらにけん制となっていたはずなのに。


(どこぞ物好きが……)


 文には美しいかな文字で四季を彩った歌が添えられていた。情景が目に浮かぶような美しい歌である。その端々に女の艶が垣間見える語句を散りばめられている。万葉の歌を元に編曲アレンジを加えたものもあって、それがさらに昇華されているのがにくいところだ。ただ、気になるところと言えば、季節がかなりずれていることだろうか。

 存分に色気を醸し出した文章は美しくもはかなく、それゆえ品の悪さは見られない。千草は、「随分お盛んな御方のようですね」と口を引きつらせながらいやみを言っているが。


 最後に『あなかしこ』で終わっている。


(ん?)


 音橘は文に相手の名がないことに気が付く。砂箱を引き寄せ、指で『誰からのものですか?』と聞いてみた。

 貴族同士の手紙である、秘め事になる場合も多く宛名を書かないこともあろう。だが、恋文ともなれば、相手に自分の名を知らせねば意味はない。


 音橘は、健皇子が一瞬、動きが止まったのをみて「しまった」と思った。それはそうだ、恋文を出した相手の名を聞くなど、なんとあさましいことをしてしまったのだろうと、音橘は顔色を悪くする。


 しかし、健皇子から返ってきた言葉は、


「それがわからんのだ」


 と、あっけらかんと言ってきた。


 頭をむしりながら、健皇子は親指で御簾の向こう側を指す。


「おかげで、あれは顔も名前も知らぬ相手に懸想して、全然仕事にならん。どうにかしてくれ。童貞をこじらせるとほんとに性質が悪い」


 健皇子の言葉は、手紙がどうのこうのというより、そのせいで風彦が役に立たないから、文の相手を探してくれとのことらしい。本人はいたって、文のことは気にしてないようである。死に花を贈られようが、文が歌仙の美女もかくやというものであろうとおかまいなしなのだ。


 健皇子はあくびをしながら床に横になると、音橘の膝の上に頭をのせた。


 音橘は驚き固まってしまい、千草といえば「あらあら」とにまにました顔で部屋を出て行った。

 再び血が頭に上り始めた音橘は、読経を心の中で唱えることで心の臓の音をおさえることで精いっぱいで、対して健皇子は規則正しい寝息をたてはじめた。


なんちゃって平安ものなので、ここでは壱師の花はヒガンバナになっております。

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