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八 歌会


「雨降らねえかな?」

「その場合は、屋内でありますよ」


 健のぼやきを返すのは風彦である。奴はいつもより上等な衣をまとっている、馬子にも衣装だがその狐顔はちらりちらりと周りを見ていた。まるで東方から上ってきた田舎貴族の振る舞いだ。主が歌会など興味ないため、こういう雅な場に慣れていないからだろう。健とてできれば断りたいところだが、情報収集という面でこの場は有効である。


 普段なら獣肉を食らい、獣の毛皮をまとったばさら者である健も、それなりに空気を読んでごく普通の狩衣を着ている。歌会といえど、場所は大納言の庭、野外の宴であれば遊び着で十分であろうと判断した。暇になれば蹴鞠でもやるかもしれない。

 

 此度の宴は、曲水の宴を真似たものだ。その宴から一番遠い日を選び、歌会をやろうというものだから、主催者は雅なのかひねくれているのかよくわからない。ただ、庭の主である大納言は摂政家の血筋でありのちの大臣になることは明確である。


「さくっとやってさくっと帰ろう」


 朱色の傘と緋毛氈でつくられた宴の座に健は座る。まだ、日ざしが強い季節であるが、傍に流れる水音でいくらかましになっている。緑が茂り、小川が流れ、水干姿の童が酒を運んでくる。小袿を着た女房達は皆見目麗しく、赤塗の机の前に座り、歌を書き写している。


「大納言家の娘はなかなかの歌人でなかったかな?」


 そばに控える風彦にだけ聞こえる声で健は言った。歌に興味がない健は、他のものが題目にしたがって歌っているところなど興味がないのだ。正直、宴のついでに催される白拍子の舞が一番楽しみだったりする。


「ええ、二の姫ですね。さすがに歌会には参加しないようですけどね」


 大切な政略結婚の道具をそこらの女房と同じく人目にさらす真似など誰がするだろうか。ましてや年若くも歌の才を見込まれる娘ならなおさらだ。健の父または兄のもとへと入内するのも遠くはないと踏んでいる。現在、一の姫が現帝のもとにいることから、東宮のもとにくるのが自然であろうか。


 健たちがそんな話をするくらいだ、他の来客者たちはそわそわと母屋のほうを見ている。御簾の向こうから歌会をのぞく姫を垣間見ようとしているのだろう。


「物好きなことだ」


 姿も見えぬ相手に懸想する。それがこの時代の恋である。顔も見えぬまま、体臭すら香で誤魔化したまま、逢瀬を重ねあうのだ。だが、それはある意味幸せなのかもしれない、陽の光も浴びず、ほとんど外にでることもない大事な政略道具たちは、皆青白く垢にまみれた姿をしている。それを知らずに、知らないふりをして想像上の相手と恋をするほうがよっぽど幸せである。


「あんなきたねえもん相手にできるなんて信じられん」

「皇子、口を慎んでください。むしろあなたがおかしいくらいです。なんで妙なところできれい好きなんですか?」

「風呂が気持ちいいからだろ」


 あっけらかんと述べる健。普通、禊を毎日行うのは、もっとも尊きご身分のかたくらいだ。その子の一人であるとはいえ、毎日、湯あみをする健は少々変わっている。しかも、蒸し風呂や水浴で終わらせるのではなく、庶民の如く身体をこすって垢を落とすように入っている。


「毛穴から邪気が入り込んだら、どうするんですか?」


 湯浴みをするにも暦を見る貴族たちは、垢を削ったら毛穴から悪いものが入ると信じているらしい。それで病になるというなら、健はすでに何百回も死んでいることになるだろう。

 最近では、音橘にまで湯浴みを毎日行うように言っている。信心深い音橘は最初戸惑っていたが、今は言われたように湯浴みをしている。


「はあ? それよかきたねえほうが嫌だろうが。みてみろ、いいとこの女房より、遊び女たちのほうがよっぽどいい匂いがするぞ」

 

 そういって目線をおくるさきには、紅白の衣に烏帽子をつけた白拍子がいる。彼女らのつけた香はそれほど強いものではないが、上品に鼻にかかってくる。


 風彦は、ほわんとした目をして、白拍子を見る。だんだん鼻の下が伸びている。


「一晩、お相手させてもらったらどうだ?」

「な、何を言っているんですか! やめてください、皇子」


 そんなこんなで器用にひそひそ話をしているうちに健の番がやってきた。


健はあらかじめ用意しておいた歌の中で一番無難なものを選ぶと、あたかも今がんばって考えて作りました、という風に歌ってみせた。


 頭の中では、白拍子の一人をけしかけて風彦をからかおうかと考えながら。



〇●〇



 やってられないわ、と二の姫は思った。


 外では、楽しく宴が催されているというのに、自分は部屋の中でうかがうことしかできない。歌会で歌うこともできず、白拍子の舞を見ることもできず、ましてや蹴鞠など参加できるはずもない。


 外を自由に歩けたのは十の年までで、それからこの部屋を出たのは一体何回だろうか。


 二の姫こと輝夜かぐやは、いっそ名前の通り月から使者が現れて自分を連れ去ってくれないかと思ったがそれもなかろう。あるとすれば、宮廷からの入内の話くらいだ。父や祖父が情勢を見ながら、どちらに嫁がせようか考えあぐねているのだろう、もう年は十八、貴族の娘としては適齢期を過ぎようとしている。


 今年中はさすがにないとして、来年には帝か東宮、どちらかに入内が決まるだろう。


 姉君が帝の女御であることから、東宮の元へと向かうのが自然だろうが、東宮は幼き頃から身体が弱い。父が輝夜をいまだ手もとに置いているのはその関係である。


 東宮の下に、皇子は一人いるがどうしようもないばさら者と噂である。現帝の子でありながら検非違使けびいしなる血なまぐさい中にいるという。その扱いから、実は帝の種ではないのか、という疑問さえ浮かぶ人物だ。


 東宮と同腹の兄弟であることもあってか、周りには病弱な東宮を差し置いて、ばさら皇子をたてようと思う物好きはいないらしい。少し前に、そういう動きもあったが、どうしようもない皇子の性格に誰もが手を引いたと聞いたことがある。


 今日の宴には、そのばさら者も呼んでいるらしい。部屋の隅で、貝合わせで暇つぶしをするしかない輝夜は、女房の噂話を聞くことしかできなかった。


「あれでもまともな恰好をしていきたつもりなんでしょうね」


 どこの東者あずまものかと思ったわ、と笑う女房達。輝夜にとっては、主の世話もせず噂話に花を咲かせる女房達のほうがよっぽど笑えてくる。

 ずいぶん、奇抜な着物の色の合わせをしていたらしく、それがおかしかったらしい。


「春先でもないのに、あれはないわ。よりによって花山吹だなんて」


 花山吹とは、狩衣を着る上での色の合わせのことである。どこが奇抜な組み合わせなのかと言えば、季節が違うのだ。名前のごとくそれは春に使われる重色目であり、秋に使われるものではない。貴族であれば常識である。


 父がばさら者の皇子を呼んだのも、一応、帝や東宮以外で考えられる嫁ぎ先として配慮にいれたためだろう。勿論、改めて論外と判断されよう。


「でも、歌はまあまあだったわよ」

「あれって、誰かに作ってもらったんでしょ。即興で気のきいたもの作れるわけないじゃない」

「そうね、誰でもやってることだしね」

「楽しそうね、あんたたち」


 思わず輝夜は言葉をもらしてしまった。


 笑いあう女房たちが御簾の隙間からの視線に気づき、慌てて取り繕い始める。

 輝夜は半眼で女房達を見る。たおやかな歌を作ることで名の知れた大納言の二の姫であるが、その実態は不満だらけの日常を女房に八つ当たりする嫁ぎ遅れにすぎない。外に出られない欲求不満は、食欲へと矛先をうつし、誰よりも恰幅のいい姿となっている。


 末摘花のように馬面ではないが、牛のような姿に幻滅することもあろう。ゆえに、深窓の姫君は、御簾からの垣間見も避けて暮らしている。それが戯れに妻問おうとする遊び人たちの想像力を掻き立て絶世の美女に押し上げているのだ。


「歌会のうつしあるでしょ、見せてよ」


 怯える女房達に言うと、女房の一人が書き写した紙をだした。


 輝夜は面倒くさそうに受け取ると、御簾の奥へと戻り、歌の写しを読んでいく。特別、歌人を集めたわけでもないため、飛びぬけてうまいものはない。いくつか面白い出来の歌もあったが、選集にのるようなものでもなく、むしろ、余興に呼んだ白拍子の舞のほうが本題だったのかもしれない。


「まあ、曲水の宴の真似事ならこんなものね」


 ふと口から洩れた言葉に、輝夜は目を見開いてしまった。


 さきほど女房達は季節外れのばさら皇子の格好について笑っていたが、宴自体が季節外れのものであった。曲水の宴は三月三日、本来の季節は春にあたる。


 まさかね、と思いつつ、輝夜は歌の写しをじっと眺めた。ばさら皇子の作ったとされる歌は、どれも可も不可もなく、あえて言えば惜しいものばかりだった。


 牛のような姿をした輝夜であるが、その頭は牛ほど緩慢ではない。歌の才だけは、噂に違わず本物であった。



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