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六 天狗

 風彦かざひこはため息をついた。

 どうにも彼の主は、規格外すぎる。


 たとえ、十三年以上付き従ってもその頭の中はわからない。


 一体何を考えているのやら。


 今の風彦は、水干を着ていた。彼の主たる健皇子もまた、直垂を着、足に脛巾はばきをつけている。どちらも庶民の服で、やんごとなき血筋のものが着るにはあまりに質素な恰好である。


「今日は、何をするんですか? み……、坊ちゃん」


 「皇子」と、言いかけて風彦は訂正する。よく口にだしそうになるが、そのたびに脛を蹴られるのだ。


「今日はお散歩だ」


 慣れた様子で都を闊歩する皇子に、風彦は大人しくついていく。仕事帰りの寄り道をするのはいいが、自分の立場というものを考えていただきたい。

 やんごとなき血筋というものは、それだけで命を狙われることも少なくない。


 まあ、今の健皇子がある程度、自由に生きているのも、東宮が同母の兄であり、他に男児がいないからである。その昔、先の帝の時代に帝の血を引くおのこが次々に死ぬことがあった。呪いだのなんだの言われているが、実のところをいえば暗殺である。

 そして、現在、直系の血筋が誰であるか考えると……。


 血にまみれた血筋であることを健皇子はわかっている。

 それなのに、飄々と町中を散歩するのだ。


「おい、海彦うみひこ。あれ、食おう」


 『海彦』というのは、風彦の偽名である。もっと違った名前をつければよいのに、「わかりやすい」ということでこんな名前である。


 皇子が指さす先には、露天があり、串に刺した肉を売っていた。炭と油の焼ける匂いがする。


 風彦はため息をつくしかない。獣肉、それは仏の道を反するものである。

 先日もこの串焼き屋で買い、それを土産に最近囲い始めた音橘おとたちばな姫に食べさせていた。


 食べさせる皇子も皇子だが、食べる姫も姫である。獣肉を差し出されて、侮辱と感じるのがふつうの貴族の感性であろうに。

 姫の場合、良心の呵責に苦しめられながらもおいしそうに食べていた。


「海彦、金」


 皇子の手のひらがさしだされる。風彦は懐の銭袋から、銭を取り出し渡す。


「串を五本くれ」

「これじゃあ、四本しか買えないぞ、坊主」


 店の親爺が、首を振る。


 皇子は眉をしかめ、


「そりゃねえだろ。この間は、五本で釣りがきたぞ」

「まあねえ。数日前だったらね」


 親爺が残念そうに首を振る。こちらも商売あがったりだ、と言わんばかりだ。

 

「おい、海彦」

「はい」

 

 銭の価値は変動しやすい。

 海彦は、今度は銭ではなく、布を渡す。布の価値は、銭ほど変わらないので、問題ないかと思いきや。


 銭を戻し、布を渡したが、親爺はそれでも首を縦に振らない。


 しかたなく、布に追加でもう一枚、銭を渡す。

 

「まあ、ちょっと足りねえが、おまけだ」


 親爺は串を筍の皮に包んで、健皇子に渡す。

 皇子は、そこいらの悪餓鬼と変わらない笑顔で礼を言う。

 

 これで誰が、この国でもっとも尊き血筋であると思おうか。


 健皇子は早速、串刺しの肉を頬張ると美味そうに咀嚼する。


「お前も、食うか?」

「遠慮します」

「うめえのに」


 もぐもぐと口を動かしながら、次に向かう先は都の外である。


「また、あそこに行くんですか?」

「また、あそこに行くんだよ」


 常識のない皇子は、やんごとなき血筋とも思えぬ健脚であり、馬の遠乗りも得意である。


 ため息をつきながら風彦は主のあとに続いた。




 


 馬に乗ること半時ほど。

 場所は、都のそばの山の中。

 人に隠れるようにあるそのあばら家は、まるで山賊か山姥の住処のようである。


 皇子曰く、『残念なこと』にこの付近では山賊も山姥も出たりしない。

 そばには、僧兵たちが日夜修行に励む寺があるので、そんなものたちはすき好んで根城にしない。


 では、誰がいるといえば。


「ちーす。土産持ってきたぞー」


 何とも緊張感のない口調で、健皇子はずかずかとあばら家に入っていく。狭い屋内は小さな竈と、一段上がった板張り、その上に寝床らしき筵が敷いてある。

 外側に比べると、いくらかきれいにしてある。


 だが、その壁には、奇妙な紋様の描かれた紙が、不気味と思えるくらいはり付けてあった。男手かんじでも女手かなでもない、その奇妙な文字は海を渡ったそのまた向こうの言語だという。


「いねえな? でかけたか?」

「いますよ。ここデスよ」


 奇妙な口調の男の声が後ろから聞こえた。

 風彦は、気配も感じさせずに現れた男にびっくりする。


「お、おどかすな」


 風彦は、現れたあばら家の主に言った。


「ハハ、カゼヒキさんはオクビョウですね」

「風邪ひきじゃない、風彦だ」


 名前を堂々と間違えてくれるその男は、風彦よりも頭一つ分高かった。

 背だけでなく、顔も手も足も大きい。そして毛深い。

 都の人間ならば、その姿を見てこういうだろう、『天狗』だと。


 髪はぬばたまには程遠く、潮風にいくら吹かれてもこれだけ赤くはなるまい。

 その鼻は高く、目は色硝子のようであった。


 知識のないものが天狗と呼ぶその正体は、異国人である。

 異国人とはいえ、それでも最初は人かどうかさえ、風彦は疑った。それほど、この男の姿が風彦の知る人とは異なっていたからだ。

 本来、西方の港にのみ門を開いているが、そこやってくる者も、黒い髪に黒い目をしているというのに。


 男のいう話では、その異国人たちの住む国のさらに西から来たという。


 得体のしれないことこの上ない。

 

 だが、残念なことに、風彦の主は面白いものが大好きであった。


「よお、天狗殿。調子はどうだ?」

「こんにちワ。ミコ。ワタシはテングではなく、サンジェルマンですよ」

「そうか、さんぜるまん」

「そう、サンジェルマン」


 微妙に発音が違う気がするが、別に本人は気にしていないらしい。

 風彦は面倒なので、天狗と呼んでいるが。


 天狗は、重ねた筵を叩く。ここに座れ、ということらしい。


 風彦は、健皇子が座る前に筵に蚤がいないか確認して皇子を座らせる。


「シッケイですね」

「当たり前の行為だ」

「すまねえな。うちの童貞はいちいち細かいから」

「それは関係ないでしょ!」


 毎度、自分の経験について口を出すのはやめていただきたい。

 

「それはそれは。ハヤくソツギョウできるといいですね」


 なぜか天狗に憐れみの目で見られた。

 もう死にたい。


「天狗、そんなことより、いつもの勉強をしよう」

「そうデスね」


 そんなこと、と言われた風彦はがっくりとうなだれながら、あばら家の入口に座る。外にあった薪割りの木を持ってきて、その上に腰掛ける。


 異国のさまざまな知識というのは、健皇子にとって歌や笛よりもよっぽど楽しいものらしい。

 行き倒れた奇妙な天狗を見つけて一年、こうして手習いに来ている。


 ここは、帝の直轄地と僧兵の根城のはざまである。天狗が現れると言われる場所に、わざわざ天狗を匿うのは、物好きな皇子の酔狂というしかない。

 しかしそれにより、民草はこの場所に近寄らず、僧兵もとやかく口を出さない。なにかあれば、天狗の噂だとごまかせばいい。


 悪知恵が働くことで。


 同じく物好きな異国人は、帝がおさめる金の国を見てみたいと渡航してきたという。金の国とはなんのことかと思えば、我が国のことらしい。どういう伝聞かしらないが、古い時代に金を銭の代わりに使っていた事や、ここより東の北にある豪族の作った仏堂がねじられまくって、金の国と言われるようになったのでは、と天狗は推察している。


 金の国でないことがわかったなら帰れ、と言ったが、来るのはよいが帰るのは難しいそうだ。

 最初から、来なければいいのに。


 まあ、異国人が西の港町を出ること自体問題であり、何より都まで来ているとあらば、見つかればどうなるのかわからない。最近、幅を利かせている陰陽師たちは、何かしら魑魅魍魎を必要としている。捕まって生きて帰られるとは限らない。


 また、それを匿うものも同罪である。

 たとえ、帝の次子であろうとも、なにかしら因縁をつけられかねない。


 それだけ、怪しげな術を使う輩は、肩幅を広げて歩くようになったのだから。


 風彦としては、どんなに閨の経験がないことを馬鹿にされようと、自分の主を守ることは最優先事項である。

 耳を澄ませ、ただ、怪しい輩がいないか神経をとがらせる。


 健皇子が、他に護衛をつけないのは、必要としない理由があるからだ。


 目の利く皇子は、自分に役に立つ人間かどうか見極めるのが上手い。

 それは風彦しかり、この天狗しかり。


 そして、最近、囲いだした姫君もしかり。


 自分が必要な存在とされるのは、悪いものではない。

 あの姫ももしかしたら、自分と同じことを考えているのでは、と風彦は考えることがある。


 もし、そうであれば、なんとも罪深い皇子であることか。


 風彦は懐に入れてある短刀と全身に忍ばせた細い棒状に作らせた投擲武器を使わぬことを祈りながら、目を閉じた。


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