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二十一 輝夜 その一

 男と違い女の外出は、それはもう大変だというのがやんごとなきものたちの常識だ。素顔をさらさないように市女笠を被る。何尺、十何尺もある重い髪を束ね、普段、動くことのない脚を使わねばならない。


 その上、顔を隠してどうやって歌会の参加するのだ、と音橘は思っていたが、そんなことくらいさすがに健皇子もわかっていたようだ。


 今、南庭にずらりと牛車が並んでいる。どれも同じ造りをしたそれは、健皇子が特別に作らせたものらしい。装飾が少ないがその分大きく作られているように見える。簾の下から衣がはみ出ていた。

 車は全部で四つ、その中でもっとも高位の姫がのっているのは一番寝殿に違い場所にある車だった。こぼれた衣はどの車から見えるものより高価で焚き染められた香もさぞやよいらしい。まるで、花の蜜に誘われた虫たちのように、他に呼ばれた貴族たちが目を輝かせていた。


「ありえないわ」


 千草が御簾の隙間から眺めつつ、ふうっとため息をつく。あんな近場に殿方がたくさんいては姫たちも怯えてしまうであろう。まるで見世物のようだ。

 姫君たちとしては、ある意味屈辱というべき仕打ちではなかろうか、と音橘は思う。


 しかし、千草の考えは違ったようで、顔をひきつらせながら車を見ていた。


「あれ一つでいくらすると思っているのかしら」


(そこなの!?)


 音橘は千草のほうを見る。その視線は、一つ、一番手前の車に向けられていた。


「それでも、あの姫にははしたのようなものなのでしょうけど」


 その口調はどこか、疑問をまじえたものだった。

 音橘は、千草の書いた出席者の名前を見る。そのうちの一人、それは見たことのある名前であった。

 その姫は他の姫君たちとは少し格が違っていた。いわば、東宮妃になることも不可能でない身分の姫である。

 左大臣の孫娘である、あふれんばかりの才覚と美しさから輝夜かぐやと呼ばれる姫であった。


「他の姫君たちはいわば落ちぶれ。参加すれば、あの牛車がもらえるとあらば喜んできましょうか。うまくすれば、嫁ぎ先も見つかるので」


 どの姫を妻に迎えるかによって、つまの出世は大きく変わる。結婚後、夫の生活を支えるのは妻側の義務だ。ゆえに落ちぶれた姫を妻にする男は少ない。それは姫たちにとってゆゆしき事態である。

 姫たちは自分たちをどうにかして売り出して夫を捕まえる必要があるのだろう。それゆえの捨身の働きだ。


 対して、輝夜は違う。出衣いだしぎぬからわかるように、その生活は困っているはずがない。なのでわざわざこんなところまで、足を運ぶ必要はないのだ。たとえ、誘いの相手が健皇子であったとしても。


 だが、一方で音橘はわかる気がした。

 輝夜はあの健皇子に喧嘩を売るような文をよこした相手だ。そして、それに対して返事した健皇子に対していくらかの興味を持っているはずである。


 輝夜は噂通りの才色兼備の美女ではないと音橘は思う。

 ぞくりと全身が粟立ち、なにやらいやな予感がしてならなかった。






「どうだ、面白い顔がそろったろう?」


 健皇子がにやにやと笑いながら、塗籠ぬりごめの中に入ってきた。音橘は、あまりに庭に人が多いため、つい寝殿のさらに奥に引っ込んでしまった。庭には客人たちが、牛車の中の姫君たちに興味津々だったが、それと同様にこの屋敷の主にも興味を持っていた。


 千草と浅葱は、さすがに塗籠までは入ってこれず、外縁で下世話な客を見張っている。寝殿は家人もしくはよほど親しいものしか入ってこれない場所だが、酒が入った場合も考えて音橘を守ろうとしているのだろう。


 音無しの姫、健皇子との婚姻から聞こえなくなっていた昔の呼び名がちらほら聞こえてきた。

 音橘とて本来はこうして牛車に乗って見世物にされている姫君たちと変わらない立場である。糊口をしのぐために、物につられて参加していたかもしれない。


 だからだろうか、音橘は今回、健皇子の行動を素直に受け止めることはできなかった。顔をしかめ、常に面白そうな皇子の顔を見ている。いや、にらんでいるといってもいい。


 それだけ、許せない行動だと思ったからだ。

 自分がそんな立場にあったからこそわかる屈辱。それがこの皇子にはわからないのだろうかと。


「どうした? その顔?」


 なんでもありません、と音橘は砂箱に書く気も起きず、うつむいて床を見た。


 なにを考えているのかわからない。この皇子は一体なにをしようとしているのだろう。


 ふとそんな気持ちでいっぱいになる。

 なんだか悔しいというか悲しいというか、少し複雑な気分だった。


 思わず砂箱にこう書いていた。


『姫たちに恥をかかせて面白いのですか?』


 歌会は始まっている。先ほどから、簾の隙間から女房たちが短冊を受け取り代わりに詠んでいる。どの姫もそれなりに優れた歌人らしく、なかなか風情に満ちた歌を歌う。だが、少し残念なのは、その中にかすかに自分の状況を練り込み、同情を誘うような文句になっていることであった。


 彼女たちには、何をするすべもない。ただ、男たちに自分を売り込み囲ってもらうことしかできないのである。

 それが落ちぶれた姫の末なのだ。


「面白いだあ? ふざけた話だな」


 音橘の言葉に、健皇子は少しいら立った声を上げた。

 いつも機嫌の良い皇子にしては珍しく、音橘はしまった、と顔を青ざめてしまった。


 しかし、もう遅い。

 健皇子は音橘に近づくと、うつむいていた顔を強引に上げた。おびえる音橘の表は、ひくついた健皇子の顔と向かい合った。


「すべてはお前のためだよ」


 健皇子はそういうと、音橘の首をゆっくりつかみ、御簾の隙間をのぞかせた。


「好きなのを選べ。それを新しいつまに迎える」


 唸る狼にも似た声で健皇子は続ける。


「子は必要だ。お前にその気はなくとも、絶対にな」


 低くうなるような声だった。


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