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二十 前触

 霜月も半ばにかかったころであろうか、屋敷がずいぶん騒がしかった。普段、使用人がほとんどいない屋敷に、庭の手入れをするものや、慌ただしく家具を持ってくるものたちがいる。


「一体なんでしょうねえ」


 庭で額に手をやり様子を眺めているのは、浅葱だ。相変わらず男装のままで、町娘たちにきゃあきゃあ言われているらしい。屋敷に残っている下女たちは、その点、教育の行き届いたものばかりで、頬を赤めるものの声をかけることすらできないようであるが。おかげで、彼女が娘であることに気づくことはなく、風彦の勘違いは継続中だ。


 音橘は、砂箱に「千草は?」と書く。

 先ほど、朝餉を片付けにいってから帰ってきていない。半時ほどたつだろうか。


「母上なら、風彦どのといがみあっていましたよ、仲のよろしいようで」


 見た目はおのこのままで、恋わずらいする娘の表情をする。浅葱は鍛えられた肉体の男が理想タイプらしい。そして、ああ見えて風彦はかなり鍛えられているという。人は見かけによらないが、よく考えてみると、健皇子についていくものならば、多少他のものより丈夫でないといけないので、それもそうかと納得する。


「母上は、我が母ながら美しいですから」


音橘はいっそ着物をかえればいいのにと思うが、その方向へと進まないようだ。話を聞くと、浅葱があんまりあっさり音橘の元へ来た理由は、最近囲いたいという貴族の一人がうるさいという。その目を欺くには、違う貴族に囲われた形にすることがよいということになり、今に至っているわけだ。もちろん、そのための資金は事実、健皇子から払われているようで、半ば嘘ではない。だが、念のため、今のような恰好をしているらしい。女とは化粧で変わる、凛々しい浅葱も紅を引けば美しい舞姫に変わるので、そうそう気づかれることはあるまい。実際、先日、健皇子が行った宴にも浅葱は呼ばれていたが、その一人とは気づかれなかったらしい。


「新しい父さまになるのでしょうか?」


(それはないと思うよ)


 千草の三人の子は皆、父親が違う。千草の下の二人の子は、それぞれ父方に預けられている。千草は見目麗しいので、子も美しくなることだろう。それを見越して引き取ったのだろうと千草は言うが、音橘は千草の元にたまに元のつまたちから文が届くことを知っている。できればよりを戻したい、それが夫たちの理想だろう。


 なにやってるんだろうねえ、と二人で御簾越しのぼんやり眺めていると、しゅるしゅると衣擦れの音が聞こえてきた。音のする方向を見ると、渡殿わたどのから千草が素早い動きでなおかつ、足音をたてずに音橘のほうへと近づいてきた。

 その面は、少し引きつっているようで思わず御簾の前ですさっと濡れ縁をすべるように正座する千草に驚いて音橘は後ろへと引き下がってしまう。


「どうしたのです? 母上」


 浅葱が穏やかな顔を向けてたずねると、千草はぎりっと顔をさらにゆがめる。

 浅葱も思わず身を引いていることが、御簾越しにわかる。


「どうしたもこうしたもありませんわ」


 衣擦れの音をたてながら、濡れ縁からひさしへと近づきつつ着物を整える。音橘ほど袿を重ねているわけではないが、それでもあれだけ素早く動けるのだから大したものである。男姿に慣れた浅葱も感心している。


「明日、宴を催すそうです」


 音橘は人差し指を額に当てる。そして、一瞬待ったのち、砂箱で「どこで」と書いた。


「ここですよ、ここ。この屋敷です」


 千草は、ばんばんと床を叩きながら言った。いら立っているのか、どこか行動が乱暴だ。


 音橘は、全身で驚きを表すように、畳の上にはんなりと倒れこんだ。最近、食生活がよくなったため、前ほど頻繁に気絶することはなくなったが、それでも皆無になることはない。


 ぺちぺちと頬を叩かれたので、目を開けると千草が呆れ顔でのぞきこんでいた。


「姫さま」


(……それは本当なの?)

 

 貴族の邸宅で宴を催すことはさして珍しくないことだ。現に、健皇子は音橘と一緒になってからも、何度も宴や歌会に呼ばれている。

 

 なので、そのくらいのことで気絶するのは、いけないと思うのだが肝の細さでは、音橘は蚤のそれよりも小さい。

 こうして千草が起こしてくれるのはいつものことだが、逆を言えば理解できない点が一つ。どうして、千草は健皇子に対して怒っているのだろうか。

 たしかに、音橘と健皇子は特殊な夫婦であるが、それでも宴の一つくらいするべき身分であろう。健皇子は客人が来る場合も想定に入れて、この屋敷の使用人について考えていた。それを千草が理解できないはずがない。


 たしかに、音橘たちの食事に変なものが混ぜられていたことはあったが、それで客人を呼ばないとならば、ある意味健皇子の沽券に係わることだろう。その手のことでは、あの皇子ははったりを利かせるほうが得手だろうから。


「やはり何を考えているのかわかりませんわ。あの皇子さまには」


 千草は近くの文箱から筆をとると、さらさらと紙に書いていく。そこには幾人もの女の名前が書いてあった。女の名前とはいえ、『千草』や『浅葱』といった固有名詞ではなく、『二の娘』といった、どこの大臣の何番目の娘か、といったものである。

 

 はて、と音橘は首を傾げる。


「他にも参加者はいますが、この方々が来るということはどういうことでしょう」


 音橘は、それを聞いてびくっと肩を上げてしまった。


 千草から紙面を奪い、目をこらす。確かに女の名前が連なっている。それがどういう意味であろうか、音橘にわからないわけがない。


 貴族の娘というのは、生涯、ほとんど屋敷を出ずに、良家の娘とならば部屋すら出ずに生活するのである。外出はよほどのことでないとないものであり、簡単に宴を開くから来いというものではない。


 千草のいう「何を考えているのか」というのはそこに当たる。


(何を考えているの?)


 音橘もまた、そう思うしかなかった。


 浅葱だけは欄干を背もたれにして、「いい殿方が来るといいなあ」とのん気なことを口走って、母親たる千草に叩かれた。




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