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十九 誘文句


 人には合う合わないというものがある。音橘のような内気なものにとって、多くの人たちは恐ろしく合う合わないという以前の問題だ。

 なので、音橘は奔放だが、なんだかんだで人の輪に紛れ込んでいく目の前の皇子を見てうらやましく思った。人を合う、合わないで選ぶのではなく、合わせることができる人なのだろう。

 音橘には真似できないことである。


「皇子さま、やはり食事は私が作ることにしますわ。皇子さまには悪いのですが、それで我慢していただけますか?」


 千草が健皇子に提案する。食事に異物が混入されたということもあって、千草はかなり慎重になっている。健皇子が人員を入れ替えたとはいえ、それでも納得がいかないようだ。

 それでも、用心深い千草がこうして健皇子に相談するところを見ると、かなり皇子のことに気をゆるしていると音橘は思う。


「俺は別にかまわないが、お前のほうが大変だろう。音橘から離れることが増えるほうが不安じゃねえのか?」

「その点につきましては、浅葱が増えたことで大丈夫です」


 千草の娘である浅葱は、健皇子に遠慮してか部屋の外で待っている。廊下の縁に座り、同じく横に控える風彦をじっと見ていた。どこかしら、風彦が熱い目線で見ている。

 千草曰く、浅葱は下手物喰いらしい。すなわち、少し崩れた顔のほうが好みだという。


 浅葱は身内びいきを抜いても美しい顔立ちをしている。健皇子に散々、女性経験のことでからかわれている風彦なので、正直、ちょうどいい相手ではないかと思うが、問題は、浅葱の格好である。白拍子の衣装をそのまま色違いにさせた着物は、男にしか見えず、風彦もそのように思っているようだ。


(すなわちすみれと勘違いされている)


 のである。

 菫とは、男同士の同性愛を意味する。別に貴族間では少なからずある事例であり、音橘も幾度か同性相手の文を代書したことがあるが、残念ながら風彦にはそんな趣味はないらしい。

 いや、正しくは菫ではないのだが。


 浅葱はわざわざ自分の性別を紹介する真似はせず、千草は風彦のことなどどうでもよいのでほっておかれている。健皇子は多分知っているようだが、面白がっているのか間違いを訂正する気はないらしい。


(ややこしすぎる)


 御簾の向こうで近づいては離れていく影を見て思う。


「浅葱には別の仕事についてもらおうと思う。できるだけ、お前には音橘の元についていてもらいたい。食事は、そうだな。俺の乳母を呼び寄せて作らせようと思うがどうだ?」

「できるのでしょうか?」

「普段の人数なら問題ねえ。客人が来るような場合は、向こうの屋敷から人連れてくりゃいいだろ」

 

 千草は、質問を口にする。乳母とはいえ、健皇子のような皇族に仕えるとあらば、飯炊きのような仕事をする立場ではない。多くは貴族の娘で、手ずから飯をつぐことも卑しいとされる場合もある。


 本来、千草も同じような身の上のはずだが、残念なことに主が落ちぶれてしまったため、飯炊き女の真似をさせてしまったのである。音橘は申し訳なく、つい縮こまる。


(客人かあ)


 なんだか嫌な予感がするのは音橘の気のせいだろうか。


 そんな不安を無視して健皇子は話を続ける。

 

「俺の乳母だぞ。たいがいのことができずに務まるか?」

「なるほど」


 健皇子の妥協案に千草はしぶしぶ納得することとなる。

 家にもよるだろうが、乳母というものは時に実母より大きな存在になる場合がある。音橘は、実母の乳の出が悪かったため、ほとんど千草の乳で育った。千草には、音橘より半年早く生まれた子どもがいたがそれは、その時の夫の家に預けて音橘につきっきりだったという。


 そのためか、同じ千草の子であっても浅葱と違いもう二人の子どもとはあまり仲が良くない。それは当然であろう。音橘のために母親を奪われたようなものであり、それは今も現在進行形である。


 しかし、恐ろしいものだ。


 自分の食しているものに、あのような薬を混ぜ込まれるとは。しかも、ご丁寧に精力剤に誤魔化して入れていたという。

 生憎、音橘は心の臓は小さいが、意外としぶといので問題はなかったのだが。


(命が狙われるなんて)


 音橘は、父母の最後を思い出す。帝の実子でありながら、母の力が弱かったため、虐げられた父。幼き頃から幾度となく命を狙われて、最後には不慮の事故によって身まかられた。

 父は、帝の子であることを、自分がおのこであることを憎んでいた。


『お前にはこんな目にあわせたくない』


 その言葉によって今の音橘がいる。

 因果なことに、父をそのように追いやったものたちの流れでありながら、音橘と同じ境遇の者がいるのは、世の中面白いところだろう。


 一人の姫は自分の殻に閉じこもり、ずっと周りをうらやましく眺めるだけ。


 一人の皇子は奔放に型にとらわれず、周りを巻き込み動いている。


 音橘は思う。

 自分は本当に、この皇子の妹背であっていいものか、と。


 もっと別に、健皇子にふさわしいものがどこかにいるのではないかと。



〇●〇



「ふーん」


 やる気のない声が自然にもれていた。後ろに控える女房が眉を寄せる。やんごとなき家柄の子女には合わぬ行動だと言いたいらしい。


 知ったことではないわ、と輝夜は思う。


 輝夜は退屈でたまらない。特に、噂によって凝り固まられた理想の二の姫像を押し付ける貴族の野郎どもの手紙には。


 どれもこれも美辞麗句を並べただけ、多少ひねりはあったとしても、もう少し刺激のある内容にできないものか、と思う。


 万年御花畑の野郎しか、この世にはいないのか。


 世の男どもは、輝夜のことを思って夜も眠れず魂の尾を削っているらしいが失礼な話だ。輝夜が何をしたというのだ。それならば、輝夜もまた言いたい。おまえらのつまらねえ歌を見る立場にもなれよ、退屈で輝夜のほうが死にそうになる。


 輝夜はとりあえず読んだ文をどんどん屑籠に入れる。どうせなら、読まずに捨ててもいいのだが、そんなことをすれば父がうるさいのだ。あの狸親父は、よりよき将をうたんとする強欲爺なのだから。

 わざわざ後ろに女房をつけて、監視させるほどに。


 輝夜は手折られた花を女房に投げつけ文を読んでは捨てるを繰り返す。


 手紙というものは、やはり興味を引くものを先に手にとるものだ。これだけたくさんあれば、どの文にどんな香を焚きしめているのか判別はつかないが、より目に引く花が付いているものを手に取ってしまうものだ。もちろん、それは輝夜も同じだ。理由は、かさばるので先に片付けてしまおうという考えだが。


 あらかた大きなものを片付けると、比較的地味な文ばかり残る。正直、輝夜はこれからが楽しみだったりする。意外に面白い歌を作るものは、こういう中に含まれているものだ。


 その中で、ひとつ、特に地味なものがあった。枯れ枝に文がついている。枝はつぼみも葉もない。本当にただの枯れ枝だ。


 なによ、これ。


 喧嘩を売られているのだろうか、と輝夜は思った。まるでそこらで拾った枝です、といわんばかりのただの枝なのだ。

 手にとって、それを開く。紙も特に珍しいものでなく、香も焚き染めていない。中には荒々しい字が、書き連なっていた。


「……」


 そこに宛名はない。だが、輝夜は思わずにんまりと口を弧にした。その相手に気が付いたからだ。


 輝夜は退屈が嫌いだ。


 そして、この文の主も同じ性癖を持っているだろう。


 共通の意識があるからこそ、最低限の接点で通じあうことができる。


 輝夜は笑いを殺しながら、仏頂面に戻す。そして、女房のほうへと振り向いた。


「ねえ、新しい着物を作りたいのだけど」


 輝夜には珍しい提案に女房の顔が間抜けなものとなっている。あんぐりと口を開いたままだ。


「お父様にお話しをつけてくださるかしら」


 女房は、たおやかさの少々かけた機敏な動きで「わかりました」と部屋を出る。輝夜の癇癪が始まらないうちに行動にうつしたことはほめてやろう、多少は、ここにきて学習したらしい。


「いい遊びができそうだわ」


 輝夜は粗雑な文を眺める。


 そこには、何の飾りもない誘い文句が書かれていた。


『歌会をしたいのでうちに来ないか』


 ばかばかしくなるくらい率直な言葉であった。




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