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十二 斎宮

「なんか何気に衝撃ショックなんだけど」


 健は、狐のように目の細い従者に愚痴を言った。場所は牛車の中、がたがたと揺れる。風彦は、牛車の隣を歩いている。周りに他の従者がいるが、健の声を聞こえるのは風彦くらいである。風彦の耳は、生まれつき犬のごとく優れている。

 風彦は呆れたように深く息を吐いた。


『こちらのほうが、驚きました。あのあと、うまくごまかせたからよいものを。せめて、湯帷子ゆかたびらくらい着て入ってください』


 その口は動いているが、音は発していない。健は風彦の唇を読んでいる。乳飲み子のときからの主従関係である健と風彦は、このような歪な会話をすることができた。


「何言ってんだ? んなもんつけたら、気持ち悪いだろ」


 あんなものを着て風呂に入る輩の気がしれないと健は思う。身体の表面にこびりついた垢を落とそうにも落とせない。健は、奇妙な異国人『さんぜるまん』から貰った『さぼん』を使って、身体を洗うことが好きなのだ。彼は、「あと四百年くらいは秘密でおねがいしマスね」と意味不明なことを言っていたが、別に他に『さぼん』のよさをわかってくれないものしかいないだろうから喋ることもないだろう。


「あんなんで、子作りできるか、本気で心配だ」


 実にゆゆしき問題だ。事実、妹背ふうふとなってから数か月、未だ夜の睦言以上に進んでいないのだ。

 実に問題だ。


「あんまり気は進まんが、無理やりにでも事を進めるべきかな?」

『……騒ぎになるようなことはやめてください』


 地獄耳の狐男は、そのように口を動かした。この男、頭が固くもっともなことしか言わないのだ。ゆえに、からかいがいがある。


「わかった。音が外に漏れぬよう、猿ぐつわをして、手足は縛っておこう。できれば、場所は屋敷ではないほうがいいか。子宝祈願とでも言って、参拝しにいくか。女房が周りにわんさかいたら、盛り上がるもんも盛り上がらねえだろ」

『……どうして、そういう発想に至るんですか?』


 眉を歪めて風彦が言うので、


「おめーの愛読書だよ。行李こうりの一番下なんて、安直な場所に隠すなよ。縛りものの上、人妻趣味なんてけっこう引くと思うぞ」


 と、言いかえしてやった。


 風彦はあんぐりと口を開けて、まさに開いた口が塞がらないという顔をしていた。赤くなったり青くなったり顔色を秋空よりもめまぐるしく変えた後で、なんとか平静を装って歩いたが、手と足が同時に出ていた。

 実に、飽きない男である。


 そんなわけで、話しているうちに健は目的地に到着したのであった。






 都の西郊にあたるその場所には、真新しい殿舎がある。そこは、一昨年退下した斉宮いつきのみやに代わる新しい斉宮が住んでいる。


「さあてと、行きますかな」


 健は、牛車を降りると首と肩を回す。その姿は、いつものばさら者の服装ではなく、文官束帯を着ている。会う人物の立場上、おかしな格好はできないのだ。


「おめーは留守番だ。そこで、これでも喰ってろ」


 健は襟から懐紙に包んだ干し柿を投げてよこした。


 風彦は受け取ると、


「派手なことをやらかさないでください」


 と、渋い顔で言って干し柿を食み始めた。






 案内される屋敷は、実に地味な造りだった。この住まいを使う期間は一年であり、それが終わると取り壊される。華美な装飾をしたところで無駄なのだ。

 そこに仕えるものは、皆、女である。主が女であり、神事を行う立場であれば当然といえる。ただ、殿舎の入口に、護衛とばかりに陰陽寮の輩がいるのが気になった。


「うらのつかさどのはここに入り浸っているのか?」


 健は案内する女官にたずねた。初老の女官は、眉をぴくりと動かすだけで何も言わなかった。健は皇子である、だが、同時に検非違使けびいしでもある。血の臭いをさせるを神聖な場所に入れることは耐え難いのだろう。

 たとえ、それが同種同胎の兄弟であろうとも。


 簡素な屋敷内で本殿といえる場所に通されると、嗅ぎなれた香の匂いがした。最後に会ったのは、昨年、大内裏だいだいりだったか。


「久しぶりだのう、お兄さま・・・・


 おのこのような声が聞こえる。御簾みすの内からだ。


「お兄さまとか気持ち悪い言い方すんなや、咲耶さくや。変わんねえようだな」


 健は、己がであり、斉宮である咲耶に言った。

 御簾の前の板張りに、クッションがおいてある。そこに胡坐で座り込む。


「それは嫌味かや?」


 低い男のような声は、鈴の鳴るとは程遠い笑い声をあげる。これが、幼い女童の見た目から出ているのだから不思議なものだ。

 御簾越しでもかすかに透けて見える姿は、以前と変わりないものに見えた。背丈は今も四尺をこえていないだろう。成長が遅いというより、成長自体が止まってしまった、と咲耶は皮肉めいて言う。


「呪われた身体だからの」


その髪はぬばたまとは程遠く、生成りの絹よりも淡い色をし、肌も淡雪よりも薄く、その目は晴天の空を薄めた色をしていた。


 生まれつき、そのような色をしていた。白子しろこと昔から呼ばれるそれであった。


 『さんぜるまん』曰く、『あるびの』というらしい。


 白く成長のない肉体、それに宿るは男の声を持った皮肉屋だ。

 実にちぐはぐな生き物だと、健は思っており、それは咲耶当人も納得している。


 昔の書にある白髪皇子しらがのみこと同じく、咲耶もまた父親によって位を与えられた。斉宮という位を。表向きは卜占うらないによって決められるものだが、父の意向を深く反映していることは聞かずともわかった。


 白というものが、神聖さを表していると感じるのは、今も昔も変わらないらしい。


 健の兄弟は咲耶の他に、兄である葛城かつらぎがいる。咲耶ほどではないが、葛城もまた病弱である。皆、同母から生まれている。父である現帝には、他にも妃はいるがそれに子はいない。懐妊することはあったが、どれも流れるか死産であった。


 呪われているというのであらば、それは咲耶だけを示すのではないと、健は思う。


 現帝の父であり、健の祖父に当たる先帝もまた帝の位についてまもなく崩御している。


 そのときも呪いなどという噂がまわった。

 健の祖父の代で、血で血を洗う兄弟間の争いがあったと聞いた。何人もの皇子が東宮になったとともに、毒殺、暗殺されたと。

 そして、残ったのが健の祖父であり、それ以外は臣籍降下した音橘姫の父だけだと。


 その後、位をついだものを考えれば誰が首謀者であるか暗黙の了解となる。


 どんな手を使っても勝ったものが正義だ。敵のいなくなった祖父は、鼻息を荒くしながら三種の神器を手にし、それから次第に弱り始めたのだ。


 結局、一年も経たずに現帝に位を明け渡し、病に苦しみながら息を引き取ったのだ。


「呪いなど馬鹿らしい」


 健は、頬杖をついて御簾の向こうの咲耶に言った。


「ははは、健らしい。どうせ、みそぎもふざけた娯楽のごとく扱っているのだろう」

「どうせなんでもやるなら、面白いほうがいいだろ?」

「ああ、実に健らしい」

 

 低い声をした女童のような咲耶とまだ声の変わりきっていない束帯姿の健、遠くからみればどちらがどちらの声かわからないだろう。


 周りには、老いた女官が一人いるだけだ。咲耶の乳母めのとであり、口が堅いことは折り紙つきである。

 だからこそ、こんな話ができる。


「そうだ。このあいだ、姫を一人囲ったんだ。そのうち、連れてこようか」

「ほお。噂では聞いていたが本当だったか。健の条件に合う姫が見つかる日がくるとは思わなんだ」


 御簾の向こうで、咲耶が扇をあおぎながら言う。


「俺だってそう思ったけどな。前に会ったとき、お前、言ってただろ? 俺と同じ立場の姫がいればめでたいとか、なんとか」

「言ったか? そんなこと」


 健と咲耶は同じ血をわけた存在であり、実に性格がよく似ている。何事も面白いほうへと興味が向くところも、言ったことにあんまり責任を持たないところも。


 時に思う、少し立場が違えば、もしかしたら健と咲耶は反対の立場になっていたのではないかと。自分は、翌年神宮に向かうため、野宮にて身を清め、咲耶は検非違使でないにしろ、宮廷にて自分の役割を務めているのではないかと。


 ふざけた想像を鼻で笑い、健は本題を伝えることにした。


「相手は音橘っていうんだ。うちのひい爺さんの孫で、親父とは従弟にあたる」

「……それはそれは。ずいぶん、都合がいいものがあったのう」


 咲耶は、少しゆっくりとした調子で言った。聞いた言葉を頭の中で整理しているようだ。そして、それが何を意味しているのか、一瞬で判断する。


 健のなそうとしていることを最も深く知るのは、咲耶である。思考の根本が一緒であるからこそ、最低限の情報を与えれば、何をするか互いにわかってしまうのだ。

もっとも近しい人物をあげるとしたら乳兄弟である風彦なのだが、立場の差がある以上、すべて口にするわけにはいかない。なにより、風彦は反対するだろう。


「俺もまた呪われていたら元も子もないだろ。それでも、音橘には子を作ってもらわなければいけない」


 呪いという言葉を鵜呑みにするわけではない。でも、呪いと思わせるなにかが、健を含む皇族の血筋に入っている可能性は考えられた。それを示唆したのは、奇妙な異国人である。


 だから、最悪の場合も想定して、協力者をもう一人作る必要がある。ある程度、地位があり、利害が一致し、頭はよいがでしゃばり過ぎない。できれば、割り切った遊び心のある人物。


「左大臣の孫の姫を引き入れようと思うが、どうだろうか」


 健は御簾の向こうの姫にたずねた。


「ははは。それは、難しかろうに。我らが大おばあ様が何かに感づくやもしれぬぞ」

「そうかもな」


 咲耶の言葉は健も想像していた。


 もし、健の祖父が自分の兄弟を蹴落としてでも帝の位に執着していたとすれば、その元凶となったのはその母親であろう。

 いや、祖父は傀儡で、糸を引いていたのが『大おばあ様』である可能性のほうが高いと、健も咲耶も思っている。


「早くくたばらねえかな、あのばばあ」

「それは無理だろう。御年七十を過ぎて、寺巡りを続けているのだからの」


 健と咲耶は、とても性格が似ている。そして、それが先祖の誰に似たかといえば、きっと『大おばあ様』であると思う。『大おばあ様』もまた、健の考えを最低限の情報で導き出してしまうだろう。


 実に困った老害であった。


「それにな」


 咲耶は、今度は少し口調を変えて健に言う。


「その方法をとるとなると、音橘姫とやらの気持ちはどうなるのかや?」


 想像もしていなかった言葉に健は首を傾げた。


 珍しく咲耶の言いたいことが理解できなかった。


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