8―(1)『青春の謳歌①』 ルート分岐――Ⅰ
今話より第二部の始まりということで、最終部に向けて仕様を変更したいと思います。
サブタイトルの後ろに『分岐ルート』がつきますが、最終部まではまったく関係ありません。
ですのであまり気にせずとも良しです。
……前回、番外をままぜると言いましたが、省略させていただきました。
理由は活動報告を、ご覧ください。
約一ヶ月ぶりの投稿となりますが、ぜひご覧ください。
ところで、いまは夏休みである。
高校生活における最大のイベントと言っても半数くらいからは同意してもらえるだろう、あの夏休みである。
ひと夏の甘い経験。今後の人生でなにも考えず楽しめるのは、せいぜい高校二年生くらいまでだろう。来年になれば現実な問題に直面しなくてはならず、楽しむ余裕なんてきっとない。
まあ俺――冬道かしぎは裏家業、自分の持ち味を生かした、人に言えない職業に就けばいいだけのことかもしれないが……いや、考えるのはやめておこう。
せっかくの幸せのひとときにそんな現実に浸ってたまるか。
そう、ひと夏の経験だ。
俺はこの地獄のような夏休みに、ついに春を迎えたのだ。毎日が充実している。こんなにも幸せだと思ったことは初めてだ。
「かしぎさん? どうかしましたか?」
「ん。いや、なんでもないよ」
下から覗き込んでくる透き通った瞳。すっと筋の通った鼻立ちに、添えられた桜色唇、精巧に作った人形のような端正な顔立ちは、見ているだけで吸い込まれそうなほどだ。
どうやら今日はきっちりではなくゆったりをイメージしているらしく、サイドテールではなく二つおさげに髪を結っていた。
彼女は藍霧真宵。なにを隠そうこの夏、俺は晴れて彼女と恋仲になったのである。
ふふふ、京都から帰ってきてからもにやにやが止まらんぜ。
「幸せだなと思ってな」
「なに言ってるんですか。私だって幸せですよ」
我ながら凄まじいピンク空間を形成しているなと思う。
なんぞこれ。自分たちでやってなかったら発狂していたかもしれん。
にやけてしまいそうになるのを堪えながら、俺は手元のコントローラーをかちかちと動かす。連動してテレビ画面に映るキャラクターがアクションを起こしていく。
いま、俺と真宵は話ながらも真剣勝負の真っ最中だ。『ゴマッシュシスターズX』というゲーム会社満点堂が発売した対戦アクションゲームである。満点堂の発売した様々なキャラクターを使用できる人気の逸品だ。
俺はそこまでやりこんでいるわけではないが、それなりには上手いと自負している。ちなみに俺が使ってるのは剣が主体の勇者キャラで、真宵は放電をかます危険な小動物だ。
「か、かしぎさん、そこは……だめです」
艶かしい声が真下から聞こえてきて集中力を削っていく。できることならもう少し聞いていたいところだが、知識という水を垂らせばがんがん吸収するスポンジのような真宵に勝つまたとないチャンスだ。
みすみす逃すつもりはない。勝負とは常に残酷なのだ。
慣れた手つきで必殺技のコマンドを入力し、小動物を吹っ飛ばす。
「あぁ!! ……やられました」
「完全勝……なぁ!?」
落胆する真宵に対して勝利宣言をしようとしたのも束の間、脇から割り込んできたガチムチの格闘家に殴り飛ばされた。
俺と真宵は互いに復活するためのストックが尽き、残った最後のひとりが勝者となってリザルト画面に変わった。
ガチムチの格闘家が気持ちの悪いポーズをとっていた。非常に腹立たしい。
「完っ全っ勝っ利ぃ!! 兄ちゃんに真宵さん、あたしをすっかり忘れてた報いだ!」
背後のベッドから空中三回転ひねりを披露しながら目の前に登場した少女は、俺の妹であるつみれだ。
最新式のコントローラーを片手に、つみれは文句を申し立ててくる。
「兄ちゃん、真宵さん。あたしもいるんだから無視しないでよ」
「別に無視してたわけじゃないんだが……」
正直に言うと視界に入ってなかったのだが、ばか正直に本音を告げることもないだろう。知らない方がいいこともある。
「なんでみんなでゲームしてるのに、あたしだけコンピューターと戦ってなきゃいけないんだよ。おかげでいいとこ取りしちまったじゃねぇかー」
不満そうに顔をしかめるつみれはリザルト画面を終了して、さっさと次の対戦に入ろうとしていた。しかもコンピューターを排除して三人でやろうとしている。
よほど除け者にされたのが悔しかったんだな。
ちなみに余談だがこの『ゴマッシュシスターズX』に登場するキャラクター、全員が女だったりする。つみれが使うガチムチの格闘家でさえ女だというのだから、製作側はなにを思ったのやら。
こんな気色悪いやつのどこに需要があるっていうんだ。おまけに使いづらいときた。つみれくらいだぞ、こいつを好んで使うのなんて。
「さぁさぁ兄ちゃんに真宵さん! もいっかい勝負だ!」
かれこれ二時間くらいやりっぱなしなのにまだやるのか。と言っても、俺と真宵がストーリーモードで遊んでただけで、つみれはついさっき混ざったばっかりだからやり足りないのだろう。
しぶしぶ同じキャラクターを選択して決定するなか、真宵は顎に手を添えてなにかを考えている。
「どうしたんだ?」
「いえ……なるほど、大体は理解しました。――やりましょう」
そう言って真宵が選んだのは姫様と盗賊を交互に扱えるキャラクターだった。
おかしいな。これまで真宵はこいつは使ってなかったはずなんだが。
「残念ですがもうあなたたちに勝ち目はありません。私はすべてを理解しました」
「うわ、出たな才能の無駄遣い。少しは楽しもうぜ」
「私は楽しむことよりも、勝つことの方が優先したいのです。負けるのは嫌いですから。かしぎさんだってそうでしょう?」
そりゃあそうだ。俺だって負けるのは真っ平ごめんだ。――そう、もう二度と負けるわけにはいかない。ゲームならともかく現実は、絶対にだ。
地獄のような夏休み、俺は二度も敗北した。これ以上にないほど完膚なきまでに、覆しようのない絶対的な敗北を味あわされたのである。
全盛期の実力をもってしても俺は勝てなかった。それすなわち、地力の差がはっきりと現れたことを意味している。
あいつは俺よりも消耗しながら一切休むことなく、立て続けに何度も戦いながらすべてに勝利した。もしかしたら、良い意味でも悪い意味でも諦めることのなかった彼女に勝利の女神が微笑んだのかもしれない。
だとすれば俺は足りていなかったのだろう。勝利への執着も、なにもかも。
「兄ちゃん? 決まったんなら早くしてくれよー」
「ん? ああ悪いな。ちょっと考えごとしててさ」
決定をコマンドしてステージ選択に入る。『ゴマッシュシスターズX』はステージを好みに合わせて改造できるのだが、俺たちがよく使うのは障害物もなにもない一直線のものだ。これだと実力をはっきりさせられるからな。
それでもさっきはつみれのことを忘れてたのだから、我ながらすごいもんだ。
俺たちのキャラクターがステージに設置され、音声がカウントを刻む。
このゲームはカウント方式が独特で、カウントを刻むたびに歯車が付け足されていくのだ。ファンタジー要素が強いというのに、ここだけは古めかしさを感じる。
ひとつ、またひとつと歯車が組合わさり――回りだした。
振り下ろした刃はやすやすと躱される。動作後の事後硬直を考えれば迂闊に攻めこむべきではなかった。いまにしてみればあの隙はわざと見せ、そこからカウンターに繋ぐための布石だったのだろう。
硬直した背中に鎖鎌が投擲される。握り締めた剣で振り向き様に鎖鎌を弾く――はずなのに、
「ああああああ! なんでだよ!」
弾くことはおろか振り向くことすらできず、ダメージを加算された剣士は吹っ飛ばされ、画面からフェードアウトしていった。おもわずコントローラーを投げつけてしまいたくなる。
俺自身は反応できているのにコントローラーを通じて動くアバターには硬直時間があるため、いくら操作しても意味がないのだ。
真宵はその辺りも計算しているから動きに淀みがない。つみれなんて真っ先に狙われたかと思えば、あっという間に退場させられる始末。しかも残機を三つに設定して、ひとつも削ることができなかった。これはチートと言っても差し支えないぞ。
相も変わらず俺の膝を占領する真宵は上機嫌に鼻を鳴らす。
「どうですか? 私が少し本気を出せばお二人などちょちょいのちょいです」
「ぐぬ……才能の無駄遣いめ……」
「無駄遣いとか言わないでくださいよ。ヘコみますから」
ぷくっと頬を膨らませる真宵は本当に可愛くて、おもわず抱き締めたくなる。
「兄ちゃん兄ちゃん、あたしっている意味、あったのかな」
陰鬱なオーラを纏ったつみれが体育座りをしながら訊いてくる。
こうなるのも仕方ないのかもしれない。対戦が始まったかと思えば真宵の集中砲火を受け、あっという間にフェードアウトさせられていたのだ。それはもう神速を紛うほどで、正直、あんなのじゃ楽しめなかっただろう。
さすが友情壊しゲームと呼ばれるだけのことはある。噂にたがわぬ外道さだ。
「まぁゲームなんだし、そこまで落ち込むなよ」
「落ちのみもするよ!」
立ち上がったつみれはコントローラーを操作してスコアの一覧を表示する。そこに並べられたスコアは、多少しか内容を理解していない俺が見ても、なかなかハイスコアを叩き出しているとわかった。
そう言えば休日とかもこれに時間を割いてたっけ。
ということは、もしかしてつみれってかなり強かったのか?
「こんだけやりこんだのに今日が初めての真宵さんに瞬殺! ああもう、真宵さんさすがすぎるよ! ギャフン!」
「悔しいんだか誉めてんだか屈してんだかよくわかんねぇぞ」
とりあえずゲームはもうやらなくてもいいや。どうせやっても、もう真宵には勝てないわけだし。
本体の電源を落としてコントローラーを放る。綺麗な弧を描いたそれは、数瞬後にはフローリングに叩きつけ――られることはなく、ぶつかる直前でふわりを浮かび上がり、ゆっくりと置かれた。
「兄ちゃんこそ才能の無駄遣いじゃない?」
「俺のは有効活用ってんだ。扇風機派の我が家でこの部屋が涼しいのだって、俺が涼しくしてるからなんだぞ」
もちろん扇風機派とかいう派閥はない。単にクーラーを購入しないだけである。
「波導だっけ? 兄ちゃんと真宵さんだけずるいぞ!」
「ずるいと言われても困るだけなんだが」
いまにも噛みついてきそうなつみれをなだめる。
波導――俺と真宵がそれを手にしたのは春休み、異世界に召喚されてからだ。『魔王』を倒す『勇者』として呼ばれ、そして役目を終えてここにいる。
ただ、この間の戦いで聞き捨てならない話を聞いた。
もしもそれが真実であるならば、俺たちの役目は、まだ果たせていないのではないだろうか。
「いまさらだけどごめんね真宵さん」
「なんのことですか?」
小首を傾げて真宵は問い返す。
「せっかく兄ちゃんと二人っきりなれるのに、あたしが同席しちゃってさ。しかもゲームで盛り上がっちゃったし」
そうなのである。真宵と二人っきりで会話をしていたところ、暑いと叫びながら俺の部屋に突入してきたのだ。
俺もつみれもこの前のことでお互いに異常性を確認しているため、家にいるときに限り、わざわざ隠す必要がなくなった。だから俺が家にいる間、つみれはずっと後ろについてくるのだ。
これではゆっくりする暇もない。しかも暑いのは同じだから波動は切れないし。
「別に構いませんよ。これからはかしぎさんとはずっと一緒にいられるわけですから、未来の義妹と親睦を深めるのも悪くはありません。さぁ、私をお義姉さまとお呼びなさい」
「お義姉さま!」
俺の膝に座りながら両手を広げる真宵の胸のなかに、つみれが飛び込んでいく。
なんぞこの茶番は。以前の真宵からはこんな姿、想像もできないな。
「ところで、もう結婚する気、というかした気なんだね」
「結婚などという形式的なものはどうでもいいのですが、やはりないよりはあった方がいいでしょうね」
「そっかぁ。兄ちゃんにはもったいないくらいの美人さんなのに」
「私が美人さんなのは知っていますが、かしぎさんにもったいないということはないと思いますが。どう見てもお似合いの夫婦です」
どうしよう。ツッコミどころが多すぎて、どこからツッコミを入れればいいかわかったもんじゃない。
とりあえず真宵が美人さんなのは知ってる。異論は受け付けん。
「そういえばアウルさんはどうしたのですか? まだいるのでしょう?」
「あー……えっと」
「あはは……」
乾いた笑みで誤魔化すことしかできない俺たちを、真宵は不思議そうに首を傾げながら見つめてくる。可愛い。
「アウル姉ちゃんはね、あれからあんまり話してないんだ」
「話していない、といいますと?」
「部屋から出てこないんだよ。呼ぶと返事したり、飯のときに会ったりしてるからそんなでもねぇんだけど、よく考えると全然話してないんだよな」
戦いの真っ最中は戦地の違いからアウルと会えなかったわけだが、京都での打ち上げパーティーが終わって帰ってきてからずっとこの調子なのだ。
なにか思い詰めた表情で、どうかしたのか訊いても答えてくれない。
こっそり部屋の前でなかの様子を探ってみたところ、誰かと話しているようではあった。もちろん色っぽい内容ではない。なにやら別件で動いているようだが、詳しくは聞き取れず終いだ。
むやみやたらと詮索して警戒されても困るし、アウルに関してはアクションを起こさないようにしている。……気取られているようだけれど。
「誰しもそういう時期はありますよ。ほっとけばいいんです」
「相変わらず歪みねぇぜ」
――いや、歪んでいるからこそこうなのか。
「真宵さんも母さんと同じ意見なのかぁ。それじゃあほっとくしかないか」
「ゆかりさんと同じでしたか。というより、ゆかりさんにはアウルさんのこと、どのように説明したのですか?」
「フツーに説明したけど……」
つみれはフツーにだなんて簡単に言ってくれたけれど、実際はそんな悠長な話ではなかった。母さんも母さんでつみれは関わらせないようにしていたから、知っているわけがないのだ。
あのときはすでに闇期に入っていたアウルでさえたじたじになったが、その辺はあえて省略しておく。あんな下らないこと、語るまでもない。
「お疲れさまでした、かしぎさん」
「……ありがと」
俺の苦労をわかってくれるのは、どうやら真宵だけらしかった。
話す機会があれば話してやるとするか。あの三日三晩に渡る聞くも涙語るも涙の壮大な親子喧嘩について。
「お前ら、昼飯、食べるだろ? ……って、なにやってるんだ」
「な、なんでもない」
音も立てずドアを開けた母さんからとっさに距離を置こうとして、真宵を抱えて飛び退いていた。
ノックくらいしてくれ。まだ警戒が抜けきってないんだから。
視線を落とすと恥ずかしさからか真宵が顔を真っ赤にしている。いつもなら降ろしてやるところだけど、可愛いからこのままにしておこう。
「いまさら訊くまでもないだろうけど、食べていくだろ?」
「いただきましょう」
「なんで偉そうなんだよ。まあいい。食うならさっさとリビングに降りてこい」
母さんはそれだけを言うと何事もなかったように静かにドアを閉めた。次いで隣の部屋からドタバタと慌てた物音が聞こえ、俺には仲間がいたんだな、と安堵する。
そうだ。母さんに怯えているのは俺だけではないのだ。
俺はひとり頷き、真宵を降ろす。
しばらく座りきりだったからか、足に妙なしびれが残っていた。動かそうとすると微妙に痛いし、動かそうとしなくても痛みが強くなる。怪我と違ってどうもこの痛みにはなれそうもない。
「……ん?」
ひそひそと話す声が後ろから聞こえて振り返ると、真宵とつみれが俺をちら見しながらなにかの企みの相談をしていた。こんなときの企みといえば一つしかない。
俺は風系統の波動を放出して体を浮かせ、すぐさま逃走を開始した。
テーブルに並べられた料理の数々と母さんの顔を交互に見る俺。それを訝しげに見返す母さんに、そんな俺たちを見守る真宵とつみれという珍妙な光景が食卓に広がっていた。
別段、料理が下手なわけではない。むしろ母さんの作る品々は和食から洋食までそこらの料理人も顔負けな出来映えで、この家に生まれたことに感謝したいくらいだ。
うん。料理にはなんの問題もない。ないんだけど……、
「なんで赤飯なんだ」
さらに鯛や伊勢海老といった縁起のいい食材を用いた料理がずらりと並んでいる。
おかしい。今日は誰かの誕生日や記念日ではないはずだし、こんな縁起のいい料理が並ぶことなんてなにもないぞ。
「真宵から聞いたぞ。もう少しで孫の顔が見られるらしいな」
「はぁ!? なんの話だよ!?」
「なんのって……お前らの間に子供ができたって話だけど」
ぎゅんと真宵の方を向くと、さっと目線を逸らされてしまった。おいこらこっち向け目を合わせろ。
人の親にどんな嘘をついてやがる。いつにも増してそわそわしてたからどうしたのかと心配してたけど、まさか母さんにこんな嘘を吹き込んでたなんて。
「母さん、悪いんだけどそれ、真宵の嘘だから」
俺たちは子供のできる行為に及んでいないばかりか、まともに手を繋いだことすらないのだ。キスをしたり膝に座らせたり寝かせてもらったりは、まあしたことあるけど――とは言わない。さすがに恥ずかしい。
「それくらいわかってる。オレだって常識くらい持ち合わせてるさ。真宵の冗談に乗ってやっただけだよ」
「ならいいんだけど」
だとしたら母さんに落胆の色が映っているのは、俺の見間違いなのだろうか。
「でもオレとしては、早めに孫の顔を見せてくれると嬉しいよ」
「…………」
言葉にして答えるのは少々気恥ずかしさがある。だから俺は母さんの手料理を、いただきますの一言もなしに口に運ぶことで答えにすることにした。
微笑ましげに見つめられてさらに気恥ずかしい思いをしながら、そんな姿を見るとやっぱり母さんは母さんなんだなと実感させられて――。物心ついたころから母さんとは離ればなれになっていたから、こうして一緒に食卓を囲むことが、なんだかとても嬉しかった。
美味いなぁ。幼いころから母さんの手料理、大好きだったもんなぁ。
俺が手を動かすことをやめずにいると、二人も慌てて食べ始める。そんなに焦らなくてもなくならないから、あんまり慌てなくてもいいのに。
「ほら」
俺が箸を止めたのを見計らって母さんが焦げ茶色の封筒を渡してくる。箸を咥えながら受け取り、裏面に書かれていた差出人を見て疑問符を浮かべた。
差出人は『組織』のトップ――凪からだった。
『組織』とは超能力者を管理する機関の名称だ。能力によって問題を起こした、あるいは起こす前の能力者を保護、もしくは処分する機関なのである。
ビギンズナイト――始まりの夜とでも言うべきあの日に俺も超能力に出逢い、こうして深く関わることになった。
最初は『機関』に目をつけられて危険対象とされていたけれど、まさか手紙を送ってこられるくらいにまで信頼されるようになるとは思わなかった。
封を切り、達筆で書かれた文章を読んでいく。
しかし何故だろう。読み進めていくにつれて悲しい気持ちになってくる。洗礼された内容、大人の作法をしっかりと守った文章。つまり俺よりも社会に適応しているということだ。
こんな気持ちになった理由は判明したが釈然としない。小学生を卒業したばかりの年齢の子供ができているのに俺はできないのだ。悲しくもなる。
「なんと書いてあるのですか?」
「えっと……ようは遊びに来いってことだ」
内容こそ堅苦しいが、簡潔に言えばそういうことになる。
文章の頭に『冬道家御一行様、並びに藍霧真宵様』と書いてあるけど、たぶんこの前のことに関わった全員に送ったのだろう。
「遊びに来いと言われましてもどこにいけばいいのですか?」
「別荘だとさ。律儀に地図まで同封してやがる」
三つ折りにされていた地図をテーブルに広げる。
起点が冬道家であるところを見ると、おそらく能力で製作したものだろう。手紙を送った相手が何人にしろ、こんな面倒なことを手作業ではやるまい。
「どうする? 次の金曜日から二泊三日の予定らしいけど」
「海! 行く! ねぇねぇ、真宵さんも行くでしょ!?」
「そうですね……」
顎に手を添えた真宵は真剣な眼差しでぶつぶつ呟き始めた。こっそり聞き耳を立ててみると、胸やらウエストやらいう体に関する単語が何個も聞き取れた。ペタペタと胸を触りって溜め息をこぼす。
なんとなく悩んでる事情を察することができた。別に気にすることないのに。
「俺は真宵の水着姿見てみたいなぁ」
「行きましょう」
ビックリするほど即答だった。
「胸が小さいからなんだというのですか。人の価値は胸で決まるものではありません。そうですよねかしぎさん!」
「お、おう」
真宵の気迫に逆らえず頷くしかなかった。けど真宵は将来に期待があるだけまだマシな方だ。世の中には希望すら抱けないほど絶望的なやつらがたくさんいる。
それに俺はどちらかと言えば小ぶりな胸が好きだ。
包み込める手頃なサイズと言うべきか。ただデカイだけの胸より形のいい綺麗な胸の方がそそられる。
巨乳がいいだとかよく言うけど、年齢を重ねていくと垂れてくるなんて話も聞いたことがあるし、もはや貧乳は人類の希望かもしれない。
「……えい」
「うおっ!? あぶねぇ!?」
眼球に向けて突き出された指を間一髪で回避する。指先からは波動が迸り、まともに喰らっていたら失明するところだった。
「いやらしい目で私の胸を見るのが悪いんです」
「まだなんも言ってねぇだろうが」
「かしぎさんの言いたいことなんてなんだってわかりますから」
そう言って真宵はそっぽを向いてしまった。胸の話題はご法度だったらしい。
コップにほぼ満タンに注いである水を一気に飲み干す。
「でも海に行くってことは、水着を買わないといけないよな真宵さん!」
つみれに突然話を振られた真宵は驚いた表情を作った。
「そ、そうですね。私は中学生のとき授業で使っただけですから水着は持ってませんし。さすがに衆目の面前でスクミズを着るわけにもいきませんから」
「じゃあいまから買いにいこうよ!」
思い立ったら即行動が我が妹の長所であり短所でもある。一度決めたら最後までやり通す芯は強いが、周りを問答無用で巻き込んでくるので厄介なのだ。
いつも俺が巻き込まれてるけど今回は真宵らしい。内心で合掌しておく。
「いまからですか? そこまで急がなくてもいいと思いますけど」
「どうせ兄ちゃんとイチャイチャしてるだけなんだから、いまでもあとでもおんなじだとあたしは思うのだぜ」
「……行きましょうか」
つみれに論破されていた。というかどうせとか言わないでもらいたい。真宵と一緒にいるだけで幸せなんだよ。
「あ、買いに行くとしてもかしぎさんはついてこないでくださいね?」
「なぬ!?」
海で水着姿を見るのも楽しみだけど、一緒に買いにいって水着を選ぶのも夏の醍醐味だというのにそれを潰そうというのか。
「本当は選んでもらいたいのですが、やはりかしぎさんには私が選んだ水着を海で見てもらいたいんです」
「なら仕方ないか」
真宵がそう言うなら無理やりついていっても邪魔になるだけだろう。ありきたりな展開として試着してるときに周りの視線が集まってきたり、知り合いと会ったりするかもしれない。
後者はともかく前者は見せ物みたいで気に食わないし大人しくしておこう。
俺は真宵の提案に頷く。
「邪魔者の牽制は終わったみたいだし早く行こうぜ~」
「おいこら妹、いうに事欠いて兄を邪魔者呼ばわりするとは何事だ」
頭部に平手を叩き込む。ハリセンで叩いたような小気味良い音がこだまするも、当のつみれはというと、
「安心しなよ兄ちゃん。あたしがしっかりと真宵さんの生着替えを拝んでくるから」
けろりとしながら、けしからんことを宣いやがった。
ふざけるな。真宵の生着替えを拝むのは俺の役目だろうが――などと、心のなかで思っても口には出せない。
俺は煮え切らない感情の猛りをつみれの頭部で発散しておくと、今度こそ痛かったらしく本気の涙目で抗議してきた。ざまあみろ。
「ふんだ! 兄ちゃんなんか……うーん、なんかなにが起きても平気そうにしてそうだから……あ! 修羅場に巻き込まれちまえ! 真宵さん、母さん行こ!」
「な、オレもか!?」
ドタバタとしながら、つみれは二人を連れて飛び出していった。
つーかあいつはなんつう捨て台詞を残していくんだ。おおかた、なにかで死んじまえって言おうとしたんだろうけど、この前の死地を乗り越えた俺に対してそんな現実味のないことは言えなかったに違いない。
だとすれば、不本意ながら修羅場に巻き込まれろって方がよほど現実的だ。
しかし急にやることがなくなった。夏休みの宿題も真宵が手伝ってくれたおかげで済ませてあるし、誰かと遊ぶ約束をしているわけでもない。
というか後輩に宿題を手伝わせるってどういうことだ。そして俺のアドレス帳にはいまだに同級生の電話番号がほとんど登録されていないってどういうことだ。……そういうことなんだろうなぁ。
アドレス帳が埋まったといっても『九十九』や『組織』のやつらとか来夏先輩、八雲さんといった能力関係者ばかりだ。これはカウントのうちには入らない。実際、一回も連絡したことないし。
いや、一回だけ来たっけ。『九十九』の提示連絡を一斉送信で俺のアドレスも選択されてたらしく誤送信されてきたんだった。
「どうすっかなぁ」
テーブルの上に置かれた食器を片付けながらぼんやりと呟く。
アウルのことも気になるけど、なにやら込み入った内容らしいから下手に踏み込んでいくのも気が引ける。
ならせっかくの夏休みで久しぶりのひとりなわけだし、外出するのも悪くない。
「どうすっかなぁ」
もう一度そう呟き、とりあえず食器洗いを済ませることにした。
◇◆◇