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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第七章〈勇者の最後〉編
96/132

7―(8)「『勇者』として」

 

 九十九志乃は絶望にうちひしがれ、歓喜に震えた。

 左眼の解放は己のすべてを前面に押し出した、出し惜しみなしの全力全開である。それは超能力によって不老不死になった自分とて滅させるほどだ。

 有無を言わさず死に至らせる魔眼とも言えるそれで、いったいどれほどの死を見つめてきただろう。思い出すにはあまりにも多すぎて、時間がいくらあっても足りやしない。

 あるときは同胞を亡骸にし、あるときは異形の存在を無に還してきた。『死』はすでに彼女の肉体であり、存在となっている。いまさらそれをなくして生きていくことなど、到底できることではない。

 死にたがりが『死』がなくては生きられないとは、なんとも皮肉な話だなと志乃は内心でせせら笑う。

 以前に鏡に映った自分を見れば、自分を殺せるのではないのかと思ったことがある。結果は志乃が生きているのだから一目瞭然だが。

 この魔眼が死さすことができるのはあくまでも眼球が直接見たモノに限定されるらしい。見たと感じているのは、脳に送られる電気信号が鏡に映った自分と認識しているだけであり、眼球が見ているのは鏡に過ぎない。鏡になにが写ってようがいまいが、眼球が見ているのは鏡だ。当然のごとく死ぬのは鏡でしかないのである。

 超能力は万能の薬ではない。それを実感させられた瞬間だった。

 しかし諦められない。

 その想いが集い、いまに繋がるわけだ。


 二刀流でなくなったことで隙が見えやすくなるのは言うまでもないことだが、それにしたって彼の動きには失望させられた。

 しかし次に思考したときには、その考えを改めることとなった。

 隙がどれだけ大きくとも付け入る余地がない。晒された隙に無闇に飛び込もうとするたび、脳裏に不要なダメージ・・・・・・・を喰らわされるイメージが浮かび上がるのだ。

 超回復によってダメージは蓄積されないが、死から遠ざかる・・・・・・・遠ざけられる・・・・・・ものまで喰らってやる義理はない。従って回避に手間を省かされることになり、さらに追撃されることになる。後手に回るのに意識がいってしまい、余計なことを考えさせてくれないのだ。

 指先から歓喜で震えた。早いとは言いがたいが、確実な死を近くに感じられる。

 ――――思い通りにはさせません。

「がは……っ!?」

 瞬時に理解することができなかった。周りの景色が目紛るしく流れていき、焦点が合わずに目線上にいるはずの二人の姿がぶれている。下腹部に焼かれた激痛が走っている。手足の関節が外れているかのように自由が利かない。

 そこまで状態を確認して、重力と炎熱系の能力を喰らったのだと理解した。

 まさか予想外の一撃を初めて喰らったわけではない。能力が発現する前はありふれた脆弱な人間だったのだ。発現したあとでもまだ能力を御しきれず、よく殺されかけていたものだ。

 思えばあのときに殺されておけばよかったのかもしれない。

 そうしたら、こんな想いをせずに済んだのだから。

 ――でもそれだと、一葉や皆に会えなかったのではないのか?

 ふと頭をよぎった言葉を即座に否定する。単に彼女たちは利用していただけだ。使い勝手さえよければ、誰にでもよかったのだ。近くにあったから、左眼の継承ができなかった出来損ない共に役割を与えてやっただけだ。

 それなのに、どうしてこうも心が喚くのだろう。

「――βベータ

 抑揚のまるでない、ともすれば機械音のような声が志乃の耳に届く。

 降り注いだ雷槍は衝撃を逃がすことなく四肢を貫き、背中を押し上げる逆向きの重力が貫通するに発展させた。

 志乃の皮膚は天剣と素手で鍔迫り合えるほどの硬度がある。『死乃』となってから体質となったので能力ではなく、調整が利かない欠点があるが、こうもあっさりと傷つけられたことはない。炎剣技でさえ複数回の斬撃でやっとだったくらいだ。

 太陽の光を背に影が落ちてくる。右手が不自然に伸びたシルエットをしていることから、それが誰であるか容易に判断がついた。

 雷槍を粉砕し、手刀で迎え撃つ。幾度目の衝突かも忘れて手腕を振るう。

 最初はあの黒衣の侍――冬道ゆかりの息子だという一点から、もしかしたらと予感していた。芽吹いた種子と違う花を咲かせた奴なら、自分を殺せるのではないかと。

 予感は見事に的中だ。瀕死の重傷を負いながらも立ち上がり、前回を遥かに凌駕した才気を魅せてくれている。加えてパートナーの存在が冬道かしぎという『勇者』を完成にまで引き上げているではないか。

 塔で初の邂逅を果たした彼でも、着流しに身を包んだ彼でもない。

 隣に藍霧真宵という少女がいる彼こそ、本当の冬道かしぎなのだ。

 六年前の再現のようでありながら、しかし圧倒的に凌駕する『勇者』に、志乃は初めてだらけだった。後手に回り防御に徹しなければならないのも、負けるかもしれないと思ったのも。

 彼の瞳に吸い寄せられる。真紅に染まった真っ直ぐな瞳。光が迸る――迸った、ような気がした。まるで幻だったように、けれど克明に。

 剣を鞘に納め、抜刀のモーションに入った。

 踏み込む。間合いのうちに捉え、頂肘を顔面に叩き込んだ。

 はずなのに――。

 冬道は捉えたはずの間合いから遠く離れた位置にいた。幻視系の能力にかかったというわけではない。回避できるタイミングを確実に外していたのだから、そもそも避けられるはずがないのだ。おそらく避けられたのではなく、空振りにさせられたのだと結論付けるまで数瞬といらなかった。

 もう敵は冬道ひとりではない。冬道だけであれば抜刀術など手段のひとつに換算していなかった。藍霧がいるから、そばいてくれるからバリエーションが増える。

 藍霧の存在はまさに冬道にとってのリミットの解除だ。そしてまた、冬道が藍霧のリミットの解除でもある。

 戦力は先刻の比ではない。全力でも勝てるかわからない敵に、志乃は思わず昇天しかけていた。

「――γガンマ

「それがもう見飽きたわ!」

 藍霧の呟く短い言葉が、超能力で言う発動のキーワードになっていることは最初の一回で見抜いている。能力とは違い言葉という明確なタイミングがあるのだから、詠唱された直後に回避に移ればいい。

 詠唱から発動までおおよそ一瞬とも満たないタイムラグがある。世界の違いからそうなってしまうのかもしれない。当人たちが一番わかっているはずだが、志乃も見切っている。そうするだけの判断材料はたくさんあった。

 詠唱され、杖の尖端の水晶が禍々しく光を放つ。

 体の芯をずらしながら前進する。すぐ真横を過ぎていく戦慄を意識化から消し、抜刀しようとしている冬道の脇を通り抜け、藍霧の胸の中心に手刀を突き立てる。

 見立てでは藍霧は近距離での戦いが苦手ということではないらしいが、冬道のように専門としているわけではないらしい。動きからして志乃についてこられるほど、本来の性能に近づけていないようだ。

 そこが狙い目だ。この程度の逆境を跳ね除けられなくては話にならない。

 殺意を手刀に憑依せ、なおもって溢れるそれを狂気に変えて藍霧を襲う。

「先輩に背中を見せるなんて、あなたはどうしようもない愚か者ですね。私に構う暇があるのでしたら、先輩に斃されないようにするのが妥当でしょう?」

「ぬう――杖術か」

 やはり一筋縄ではいかない。杖に弾かれて半ば消失している右手を再生させながら、志乃は首を回して左眼を迫る冬道に傾ける。

 死へと誘う魔眼を向けられては攻撃を続けるわけにはいかず、冬道は真横に体をスライドさせて視界から逃げる。直前まで喰らっていた傷口が開いて血飛沫が舞い、魔眼によって消滅した。

 この現象を科学者が目にすれば仰天ものだ。法則などあったものでなく、科学で証明できないことばかりが起こっている。

 超能力は説明の利かない代物だ。不可能を可能にする奇跡。志乃は持っていないが、時間漂流や森羅万象を司る能力者だっているかもしれない。その存在のことを耳にしたこともあるが、眉唾物だと切り捨ててきた。

 死を司る――それが神の領域を汚さない最大限の譲歩なのだ。時間漂流や森羅万象の制御は、まさに神の領域に踏み込んだ罪人と言えよう。そんな能力者が存在することなど、きっと許されないだろう。

 だから世界から追放される。様々な手段を用いて、運命を破壊して――。

「妾も聖域を汚せば、こんなことをせずとも殺してくれるのかのう……」

 静かな呟きとは裏腹に戦場は激化の一途を辿っている。魔眼から逃れようと動き回っているが、人の視線ほど速いものはない。それが対等な実力者同士であるならなおさらだ。

 せめてもの救いが、捉えたモノが瞬きをしたあともその場所になければならないという制限があることだ。大抵なら避けきれるものではない。瞬きさえ致命傷になる相手でからこその対策だ。

 藍霧は速く動けない代わりに絶え間なく遮蔽物を創り、視界に入らないようにしている。不合理なやり方ではあるのに一向に捉えられる気がしない。

 しかも隙あらば波導で八つ裂きにせんとする気迫がひしひしと伝わってくる。

 志乃は魔眼で冬道を追いつつ、戦法を切り替える。

「む……!?」

 急に足元が掬い上げられた。いや、なにかが下から持ち上がってくるのか。無理やり位置を変えられた藍霧は焦ることなく対応する。

 感覚からしてこれは柱だ。半径数メートルとない小さな円柱。蹴りだして柱から飛び下り、遮蔽物を展開しながら地杖を志乃に向ける。

「――アインス

 二つの波導を平行発動させているのがギリシャ文字での詠唱、単発で発動させているのがローマ数字である。区別しているのは気まぐれだ。意味はないし逆にしたって同じことだ。

 もっとも藍霧に限った話であり、全章詠唱しなければならない波導使いは、波導の平行発動は物理的に不可能なのである。

 同時に二人が詠唱すれば藍霧と似たことはできるだろう。それでも寸分の狂いもなく波導を完成させられなければ不発に終わるどころか、術者にも大きな反動が跳ね返ってくる。

 これは藍霧だからこそ可能な、彼女だけの武器なのだ。

 乱気流のように渦巻いた白銀に染まった極太の炎を発射する。続けて二発、三発と放つ。ご丁寧に二発目以降は平行発動させて死角から飛び込むように調整している。

 特性さえ知れてしまえば対策は簡単だ。視界に捉えられる前に攻撃を加えてしまえばいいだけのことである。複数の攻撃でも消されてしまうのは想定済みだ。ぶつかるまでやり続ければいい。

 志乃はわずらしげに視線を動かし、順に炎を消滅させていく。三発目を消滅させると同時に詠唱を重ね、氷柱や水弾の雨、雷槍から炎柱まで四方八方からでたらめに波導をぶつける。

 数は多くとも手抜きはない。どれも最大限に密度を高めた一撃だ。

 だが――。

 志乃の魔眼には関係ない。視界を埋め尽くしていたそれらは一瞬にして一掃され、藍霧の姿が真正面に捉えられた。

 さすがにまずい。あの魔眼には制限はあっても際限はないらしい。消耗して効果が薄まることはないならば、いつなんどきも真正面に立つのは致命傷だ。

 ――それに時間稼ぎはここまででいい。

 藍霧と志乃の間に黒い影が割り込んでくる。

「おおおあああああああああああッ!!」

 気合いの雄叫びが木霊し、剣が描く軌跡が空気を振動させる。振り下ろされた刀身は志乃の肩に食い込み、鎖骨を巻き込みながら斜めに斬線を走らせた。

「かしぎィ……っ!」

 真紅と瑠璃色が交錯する。天剣を振り抜いた体勢のまま、冬道はヘットバットを繰り出す。志乃は刃を振り抜く直前に刀身を鷲掴みにしていたのだ。

 岩を叩いたような鈍い音が響き、お互いの額から一筋の血が流れる。

 苦悶は洩らさない。ただの意地ではあるが、ただの意地でさえ貫き通せないようでは意思を突き通すのは夢のまた夢だ。

 額をぶつけたまま、冬道は問いかける。

「本気で、死にたいって思ってるのか?」

「おかしなことを聞くものだ。言ったであろう? 妾は妾を殺せる人間を選別するためだけにこれを起こしたと。それは妾の本心であり、最終的な目的だ」

 体を捻って刃を引き抜き、冬道から離れる。

「なぜそのようなことを聞く。まさかそちに限ってそれはないとは思うが、妾に同情して、下らなく薄っぺらい言葉を吐いたわけではあるまいよ」

「…………」

 冬道は答えない。もちろん同情などしていないし、するつもりもない。

 無言で志乃は溜め息を溢すと、腰に手を当てて冬道を見下した。

「失望させないでくれよ、冬道かしぎ。そちは妾をどうしたいのだ?」

「んー……どうなんだろうな。正直なところ、殺したいとは思ってない。だけど許してやるつもりはないってところだ」

 眉間に寄せた皺が深くなっていくのを冬道は見逃さなかった。

「……殺したいとは思っていないだと?」

 志乃は顔を伏せると、小刻みに肩を震わせ始めた。それに合わせて大気が悲鳴を大きくしていくのを肌の表面だけでなく、内蔵にまで浸透してくる。例えるなら和太鼓を近距離で叩かれているようだ。

 緩めに握っていた柄を握り直す。呼吸を整え、波動を全身に巡らせる。 後ろで藍霧も波動を練り上げ、詠唱する段取りを整えていた。

 そして――決壊する。

「笑わせるでないぞ、かしぎィッ!! この期に及んで殺したくないと宣うか!? まさか貴様がそこまで下らなく愚かで、甘い男だと思わなかったぞ!」

 全身を穿つ殺気は魔王を遥かに凌駕する勢いだ。全盛期でなかったなら、これを受けて卒倒していても不思議ではない。その全盛期でも無意識に後退させられるのだから、志乃が積み上げてきた五百年は紛れもなく本物だと思い知らされた。

『勇者』となって五年。それ以外に経験を持たぬ冬道の積み上げなど、彼女にとって塵に等しいものだろう。

「勝手に期待したくせにその言い分はどうかと思うんだが」

「同感です。先輩は甘々ですからね。そんなところも、私は好きですけれど」

「……サンキュ」

 恥ずかしげに頬を掻き、そう言う。

 やはり心地よい。これだけ強大な相手を前にして心が落ち着いている。一切波打たぬ水面に映るのはまさに明鏡止水。志乃は強大であれど、勝てない相手ではない。

「教えてやる。世界はいつだって、優しくなんてないことを」

「――黙れ!」

 怒声に反して志乃動きは冷静でなおかつ的確だ。

 冬道の構えには癖があり、重心を右に寄せてしまうのである。わかっているからこそ剣を左側に添えているのだが、重心がずれていることでどうしても欠点が生じてしまう。二刀流のときはそのカバーもできていたが、片手ではそうもいかない。

 重心のずれと剣の据え置き位置の中心、そこが弱点になっているのだ。

 まさかもっとも弱点とならない場所に隙があるとは思わない、あってとしても罠だと勘繰ってくれるからこれまでは騙せてきた。

 志乃は騙せないか。冬道は心中で呟き、一歩を踏み出す。守りに入る必要はない。後ろには誰よりも頼れる半身がいるのだから。

 もう何度になるかわからない衝突。大気を震わせ、空間を歪ませる。

 お互いに異能は出し尽くしている。冬道は二刀流から炎剣技、志乃は己に秘められた能力の数々から死を司る魔眼まで、余すことなくすべてだ。それでも最終的に雌雄を決するのはひたすら鍛え上げた武なのだ。

 異能で仕留めるなど愚の骨頂。

 武人として、己が信念を託すのはそれ以外に他ならない。

 繰り出される軌跡が軌跡を打ち消し合う。薙ぎ払い、跳ね除け、振り落とす。手数で劣る分は力で補うよう、一撃一撃に必殺の威力込められている。志乃でさえ反射的に防いでしまうほどだ。

 志乃が防御しようとしないのは『吸血鬼』の回復力があるからだと思っていた。食らっても再生させてしまえばなかったこととできる。

 しかし話を聞けばそうではない。自分を殺したいと思っているからこそ攻撃をあえて喰らっていたのだ。

 そんな志乃が反射的にとはいえ防御した。――まるで、死にたくないと思っているかのように。

「そのような、馬鹿なことが……!」

 あるわけがないとは、続けられなかった。不意に脳裏に浮かび上がった双子の少女と道化の青年、式神となった女性――そして、九十九一葉。

 彼らのことを想うだけで胸が締め付けられた。

 死にたいという気持ちは変わっていない。五百年の永い時を生き、擦れきった心に終止符を打つ。――変わっていないはずなのに、彼ら共に生きたいと思っているのも事実なのだ。

 矛盾という螺旋は志乃を絡めて捉え、身動きを封じている。

 徐々に対応が間に合わなくなる。冬道の剣技と藍霧の波導は、揺れる心で相手取れるほど生易しくはない。

 それを示すように冬道の天剣が胸に突き立てられた。

 ――しまった……!

 崩花火は厄介だ。数年間の療養期間で体内に作られた波脈を破壊する炎剣技だ。この波脈が不老不死である志乃を殺すことができる一因となっているわけだが、いまは喰らうわけにはいかなかった。――なぜ?

 隙を打たれて死ぬなら心残りはない。あくまでも戦ったのは自分と同等の実力者を選定するためだ。そのお眼鏡に叶ったのだから、もう終わりでいいのだ。

「あの双子、私に頼んできたんです」

 藍霧の声が遠くから聞こえた。

「あなたを助けるように――と」

 閉じていた目を見開く。胸に突き立てられた刀身を鷲掴み、強引に引き抜いた。

 左眼で冬道を捉えようとしたが、先に回避されてしまった。

「……ククク、よもや妾が死から逃げるようなことをするとはな」

 自嘲じみた笑みを浮かべた志乃は、目を手で覆いながら空を仰いだ。

 生きることを苦痛に感じていたはずなのに、死ぬためだけに行動してきたはずなのに、どうして逃げてしまったのだろう。

 手駒として甦らせた彼らを思い浮かべるだけで死ぬことに躊躇いが生じる。まだ生きたいと思ってしまう。ようやく見つけた自分を殺せる人間に全力で抵抗しようとしてしまう。

 ――妾はまだ、彼らと過ごしたいのか?

 自問するが答えは返ってこない。わからないのだ。いままでこんな感情を抱いたことはなくて、戸惑っているのかもしれない。

 そうだ。きっと我が儘で二度目の生を与えた彼らのことが気掛かりになっているだけだ。

 志乃はそう結論付け、視線を前に戻す。

「ずいぶん余裕そうだな。いまの妾は決定的な隙を見せていたはずだ。それとも隙など突かずとも問題ないということかな?」

「せっかく生きたいと思えてきてる奴に斬りかかるわけにもいかないだろ」

「戯言を。妾が生きたいと思うわけがない。先の沈黙をそのように受け取ったのは構わぬが、勘違いはいまのうちに訂正しておかねばならんのう」

 そう言って志乃は構えるが、そこには冬道に剣を持ち上げさせるだけの威圧感は残されていなかった。悲しげに瞳を揺らし、手刀を覆っていた朱色のオーラは少しずつ解け出している。それでも退こうとだけはしない。

 冬道は息を吐いて天剣を正眼に置き、藍霧も地杖を掲げる。

 間合いを見計らい、飛び出す――飛び出そうとした、のだが。

 虚を突かれたのは冬道だけだではない。藍霧はもちろん、志乃でさえも動きを止めざるを得なかった。

『だめーーーーッ!!』

 赤色と青色のレインコートを着た少女が、冬道と志乃が激突する寸前に間に割り込んできたからである。

 驚きに目を見開いた志乃と呆れを隠せない藍霧を見る限り、二人は顔見知りのようではあるが、少女たちと面識のない冬道は状況を飲み込めずに目を白黒させていた。

「志乃をイジメるならアミが相手だ!」

「今回ばかりはアミに賛成。エミも協力するよ」

 赤と青のレインコートの少女――支倉亜美と依美は咆哮すると能力を発動させた。

 物体を変形させる能力と物体を爆発させる能力。一見すれば相性のいい能力ではあるが、それゆえに弱点も同一のものとなる。空中というモノのない場所において、変化させるモノも爆発させるモノもない以上、能力は発動されないと同じだ。

 いや、たとえ発動していたとして、はたして効果を期待できたのかと問われれば、まず通用しないと言うしかなかっただろう。

 冬道は波動を練ることなく放出し、支倉姉妹を吹き飛ばす。あまり強くやってしまうと『吸血鬼』の眷属といえどそれ相応の痛みを伴う。風で吹き飛ばす程度に納めたのは、彼なりのいらぬ気遣いだ。

 志乃は飛んできた二人を掴まえ、

「馬鹿者! なにをやっているのだ!!」

 戦闘の最中に見せたのとは別の気迫を以て一喝した。

「妾たちが止まらなければ取り返しのつかぬことになっておったぞ! わかっているのか!?」

「ご、ごめんなさい……」

 怒られて小さくなってしまうのは子供として当たり前の反応だ。このようなやり取りを見せられると、戦いなど忘れて微笑ましくなる。

「まるで母親と子供のようですね」

「ああ。あれを見る限りじゃ……」

 とても死にたがりには見えないなと、冬道は複雑そうに天剣を何回も握り直す。

 ――あの死にたがりを心変わりさせるには、これくらいやるしかないか……。

 しかしそうなると、どれだけのデメリットを背負い込むことになるか。想像の範疇では五体満足でいられるのだが、想像をするりと掻い潜り、それ以上の被害を被ってくる志乃であるのだから、それで済めば儲けものだ。

 溜め息をどうにか飲み下すと、申し訳なさそうに藍霧に言う。

「あとで治療、してくれるか?」

「もちろんです。当たって砕けてきてください」

「できれば砕けたくはないんだけどなぁ……」

 やれやれと頭を振ると、まだ説教を続けている志乃に視線を向ける。

 殺気を霧散させ敵意を失い、気配を殺す。踏み出す足から音をさせず、三人が動き出すよりも早く背後に回り込み――双子の首を撥ねるように、天剣を薙ぐ。

 その光景を志乃が目にした瞬間、体が勝手に動き出していた。自分以外のすべてがスローモーションとなり、天剣の軌道が支倉姉妹の首を的確に巻き込んでいるのを確認できた。

 とっさに二人を庇って軌道上に乗ると、能力をなにも発動させず、素手で刀身を鷲掴みにした。何回も掴んだ刀身なのに、これほどまでに憎らしいと思ったことはなかった。

「よもや、貴様が不意打ちをするとはな。先は不意打ちを促したが、まさか本気でやるとは思わなんだ。――そして、妾は貴様を赦さん」

 怒りの形相で表情を固めた志乃は握力を込める。たったそれだけで、天剣の刀身が砕け散った。

 冬道の目が驚愕に見開かれる。天剣は伝説とされる宝具である。『魔王』との戦いも生き抜いた剣が、ここに来て崩壊した。属性石に戻せば再生しているだろうが、これは驚くべきことだ。

 だが、そんな感情を抱く余裕はない。文字通り腹部に突き刺さった手刀が内蔵を次々に消滅させていき、それは細胞にも至る。指先から失われていく感覚に焦りを覚えながら、残った波動をなにも考えず志乃にぶつけた。

 爆発が起こり、お互いに体を吹き飛ばされる。回避ができた志乃とは違い、発信者である冬道は避けることなどできるわけがなく、両腕が弾けとんだ。

 肘先から消滅した腕の断面からおびただしいほどの血が流れ出る。直前まで喰らっていたダメージに加え、この流血が意識を持っていこうとしていた。

 そんななかでかろうじて意識を保ち、風系統の波動を制御しているのはさすがと言うべきだろう。

「……やっぱり、な」

「――なに?」

 藍霧に後ろから支えられている冬道の呟きに、志乃は訝しむ。

「お前は死にたがりじゃない。お前は自分が思ってるほど、死にたいなんて思っちゃいないのさ」

「なにを言い出すかと思えば……まだ、そのような下らぬ妄言をするか。――いだろう、ひと思いに殺してやる」

 視界が霞む。志乃がなにかやろうとしているようだが、それを確認することができないほど冬道は重傷だ。前回受けた傷も癒えきったいなかった上に魔王と戦い、さらに連戦ともなれば、『勇者』に選ばれた人間にも限界が訪れる。

 できることと言えば、あとは自分の言葉を伝えることくらいだ。

「お前はたしかに死にたがり――だった・・・かもしれない。でもいまは違うんじゃないか?」

 志乃は黙って言葉に耳を傾ける。世迷い言だと切り捨てることもできたが、あながち的を射ていないわけでない言葉を、最後まで聞いてみたくなったのだ。

「というより、元々お前は自分を殺せる人間を探してたんじゃなくて、自分が生きる意味、生きていいだけの意味――家族を求めてたんだと、俺は思う」

 そこまで言って冬道は咳き込む。内蔵が機能しないどころか、欠損している箇所まであり、大量の血が流れ落ちていく。

 志乃はそれを客観的に見ながら、冬道に言われたことを心のなかで復唱する。

 自分を殺せる人間を探していたのではなく、自分が生きる意味、生きていいだけの意味――そして家族を求めていたと。

 正直下らない推論だと思った。生きることに絶望したてなお『生』に縋りつこうとし、その意味として家族を欲していた。そんなものはただの推論だから言える、実に下らなく馬鹿馬鹿しいことだ。

 でも、そうしたらどうして支倉姉妹の行動に怒りを覚えたのだろう。二人は『吸血鬼』の眷属なのだから、塵も残さず消滅しても数分もすれば元通りに再生しているはずである。身を呈してまで守る必要はなかったのだ。

 それなのにとっさに守っていた。考えがあっての行動ではない。ただ無我夢中で、ただ本能的に、そうしたいと思ったのだ。

 きっと一葉や智香が同じ状況に置かれていても、同じように行動していただろう。

 それに楽しかった。『生』に絶望したなかで一葉と交わしたとりとめのない会話をしているだけで、救われたような気さえしていた。

 ――それこそ、永遠に生きていたいと思えるほどに。

「……そうかもしれんな」

 はたまた、死にたがりのフリをして構ってもらいたかったのか。

 どちらにせよ願いはとうの昔に叶っていたのだ。

「認めよう、妾は生きる意味を、家族を欲していたのだと」

 志乃が微笑んでそう言ったのを最後に、冬道の意識は一気に遠退いていった。


 

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