7―(6)「一騎当千①」
「貴女はなにをやっているのですか?」
藍霧の蔑んだ視線などものともせず、ゆかりは投擲の姿勢を崩して、本体を失った鞘を機内に放った。
「なにって、息子がピンチだったから助けただけだぞ?」
きょとんとした表情であっけらかんと言うゆかりに頭痛のする思いだった。
たしかに彼女の言ったことに間違いはない。藍霧もまさか魔王が顕現するとは思っておらず、姿を顕したときは焦ったものだが、それよりも隣にいるゆかりの行動には度肝を抜かされた。あろうことか、己の唯一の武器である刀を投擲したのである。
神経が極限まで研ぎ澄まされ、妬ききれんほどの集中力があったからちょうどよく掴めたものの、そうでなかったらいまごろは刀に串刺しにされていたところだ。
結果、不馴れな二刀流という荒業を行使して魔王を撃退したからいいものの、ゆかりにはもっとよく考えて行動してもらいたかった。もちろんのこと言っても利かないのは火を見るより明らかで、わざわざ口にしたりしないが。
ひとまずこれで魔王の撃退に魔獣の殲滅、『門』を閉じるまで終えたことになる。
「いやー、なんというか、なんとも言えないにゃー……」
言ってから思わず口に出てしまったとばかりに、ゆりは感嘆に近い感想を洩らす。
元勇者と魔王の戦いは苛烈などという言葉で表現できない境地に昇華されていた。まず目に映らない時点で人間をやめているとしか思えない。さらにはただの余波で大規模災害並みの被害を及ぼすとはどういうことだ。これは一度、真剣に話し合うべきではないだろうか。
ゆりは半ばなげやりな思考回路でそんなことを考える。なにを話し合うかは定かではないが、とにかく話し合った方がいい。
ジェット機を島に向かわせようとしたが、藍霧の判断で頃合いを見計らって突入するらしい。ゆりの能力をもってすればジェット機を雷速で飛ばすのは造作もないことだ。しかしそれでも物足りないらしく、大人しく指示に従うしかなかったのだ。
背後から突き刺さる双子の視線に居心地の悪さを感じながら、そのときが来るのを待つ。
そんなときだった。不意に機体が傾いた。
「今度はなんなんだにゃぁ!!」
あまりのパニックに泣きそうになるゆりを目尻に藍霧は考える。
魔獣はもういない。魔王のような脅威となる個体もほかには確認していないし、いま現在自分たちに危害を与える輩はいないはずだ。この戦いはすでに超能力者同士のものを越えている。並みの超能力者は入り込む余地はない。
ならばなにが機体に乗っているのか。思い当たるのは、『門』から現れてすぐにどこかに行った光条くらいだ。
あの光条からは懐かしく心地良くも、無意識の嫌悪感がごちゃ混ぜになった感情を抱いた。そしてその感情が、たったいま藍霧の胸の中心に降りてきた。
「私にしては珍しく嫌いでも壊してしまいたいと思わないのですが、まあ、あちらはなにやら用があるみたいですし」
「行くのか?」
「武器のない貴女は引っ込んでてください」
言葉を詰まらせてしまう辺り、武器もなしに出ていくつもりだったらしい。義手義足で武器もないゆかりでは、いくらなんでも共闘するメリットがない。ここは大人しくしていてもらおう。
「なら僕がついていこうか? 君が戦ってきた世界を見ておきたくてね」
八雲の発言に藍霧は表情が出にくい体質になっててよかったと思った。言動だけなら想像できないが、八雲の洞察力は油断ならないものがある。
ごくわずかな、針の穴を通すような話でも八雲は絶対に聞き逃さない。言った本人が意識してないことでさえ注目している。それを利用して話を誘導し、情報を引き出そうとするのだ。
これまでの言動は藍霧を油断させる流れだとするなら、見事に出し抜かれた。上にいるのが異世界の敵だというのは知れているにしろ、直接的に藍霧に関わったとは言ってない。
こっちに帰ってきてから藍霧は始めての気の抜けない相手に、殺意を灯らせた。
「貴方も引っ込んでいなさい。邪魔になるだけです」
「やれやれ、僕も嫌われたものだねぇ」
「もとは好いていたような言い方はやめてもらえませんか? 寒気を通り越して殺してしまいそうになりますから。もっとも……」
復元していた地杖を八雲の喉元に突きつける。
「そうなりたいなら、話は別ですけど」
そもそも会ったときから気に食わなかった。理由なんてどうだっていい。とにかくこいつが在ることが我慢ならなかった。
頭を振る八雲を視界から外す。ハッチを開いて機体に上がる。
そこに彼女はいた。
「ふーん、てことはここがチキュウなんだ。片方のオリジナルがいたからまさかとは思ったけど……また会えたね、オリジナル」
閃光が弾けた。
『魔王』は配下を従えるのを嫌う傾向にあった。どちらかと言うと己の足で領土を広げるやり方を好み、他人に干渉されるのは妙に嫌がっていた。
しかし逆はそうでない。『魔王』の圧倒的な力に魅せられ、あるいは私利私欲のために利用しようと近づくものが多かった。後者で近づいたところで『魔王』に魅せられたものは利用することを諦め、生涯を捧げんとするのだ。
そのなかでも屈指の実力を誇る三人がいた。
ひとりは『水天』にも選ばれた本名不明の男。もうひとりが反射波導の使い手。そして最後が鏡対波導の使い手である。
『水天』は言わずもがな水系統を極めた波導使いのことだ。反射と鏡対は特殊な波導であり、考案したものしか使えないのである。
鏡対波導――簡単に言ってしまえば人物を複製する能力だ。当初は『魔王』を複製しようとしていたのだが、結果だけを述べれば失敗に終わっている。
だから『魔王』に敵対する『勇者』を複製することにした。しかし『勇者』は二人もいる。ゆえにその二人の強さを兼ねたコピーを誕生させることとした。
それが、いま目の前にいる女性だ。
「久し振りだねオリジナル。できれば会いたくなかった」
「奇遇ですね。私もです」
お互いに無表情でありながら、女性の声にはありありと感情が籠っており、とんでもない違和感が藍霧の気分を悪くさせる。
長い前髪に隠された右眼。サイドポニーに結われた髪は風になびき、真紅と碧の瞳が自分と想い人を連想させた。
「カザリ、私になにか用ですか?」
腰に下げられた鎖型の属性石を復元させるつもりはないとでも言いたいのか、波動を巡らせないどころか触れさえしない。
女性――カザリはクスクスと嗤いながら、藍霧を見やる。
気に入らず雷を放ってやるが、片手であしらわれた。これだけでわかったことがある。藍霧たちは異世界から還ってきて肉体的なアドバンテージを失ったが、カザリにはそれがないらしい。
いや、ある程度はあるらしいが、気づいていないだけか。
少なくとも感電死する程度の威力はあった。それをなんなく見切って、しかも形のない雷を素手で弾くなど不可能だが、本来の力ならばそうすることもなかったはずだ。
「危ないねオリジナル。殺す気か? 殺す気だったよね? 相変わらず困ったオリジナルだなぁ。こんなんを参考に作られたなんて吐き気がするよ」
「私は、私になにか用があるのかと訊いたはずなのですが、それすらもまともに答えられないだなんて、本当に私を参考にしたのですか? あまりのできの悪さに呆れてため息も出ませんね」
「はははっ、言ってくれるなぁ――――殺されてぇか?」
やろうと思えばすぐにでもできるだろう。カザリはこちらに来たばかりで劣化のことに気づいておらず、悟られないよう隙を見せないようにしている。
もちろん簡単にやられてやるつもりはないが、彼女は『魔王』も認めた精鋭だ。どう足掻いてもいずれは屍となって果てることになる。
「やかましいですね。まるで狂犬です。犬なら犬らしく、わん、と吠えていてはいかがですか? あなたにはお似合いですよ」
この挑発もカザリ余裕を見せつけるためだ。以前は一対一で対峙し、藍霧が勝利を納めている。立場をはっきりさせてしまうと覆すのは至難で、敗北した相手には苦手意識がついてしまうものだ。
まれに逆境に立たされると力を発揮するのもいるが、カザリはそんなタイプではない。藍霧の睨んだ通り、萎縮して必要以上に踏み込まんとしていた。
しかし、いつぞやの時代の魔王に自分たちの知る『魔王』の配下と、ずいぶんと規格外なのが迷いこんでくものだと藍霧は思う。
それにあの『門』のことも不可解な点がある。たとえこちらとあちらを隔てる境界線が不安定になっていたとして、そのもっとも揺らぎの大きいところに波動が叩き込まれたとして、それだけで『門』が開くものなのか。
開いたとして、どうして別の時代にいるはずのカザリがここに来れたのか。
『門』を開くには特別な術式と王家とされる人間の波動がなければならない。しかも藍霧たちを召還したヴォルツタインの皇女は歴代は遥かに凌ぐ波動の量だった。それでも二人を召還するには五年も要したのだ。
たかが漏れだした波動を体内に蓄え我が物にしたからといって、それだけで『門』を開くには至らないはずだ。そうなると誰かが意図的に『門』を開いた、ということも考えられる。あり得ないと思えても、あり得ないことではない。
「ちっ……お前に会うとすぐにこれだ。あっちと全然違ってつまんないね」
観念したようにカザリは吐き捨てる。
「別にオリジナルに用はないよ。見つけたから挨拶に来てやっただけさ。用があるのは――――『魔王』にだよ」
血も凍るような感覚に包まれる。ここまでで考えていてことがすべて吹っ飛び、全身の毛がよだつのを止められなかった。
『魔王』に会いに来ただと? それではまるで、『魔王』はこの世界の人間であるような言い方ではないか。
「知らなくて当然だよ。『水天』に教えてもらえなかったら、誰も知り得ないことだったんだからさ」
思考を読み取ったような言葉に、しかし藍霧はいいや、と反論する。ほかにも知るすべはあった。ヒントはとっくに開示されていたのだ。
『魔王』は二十年前に突然現れて世界を支配した。そう、突然に現れてだ。
異世界から『勇者』を召還したときも伝聞で急速に広まったように、『魔王』の襲来で存在が確立されていった。同じなのだ。『勇者』も『魔王』も知られ方に違いがあって見落しがちだが、どちらも突如現れて、世界を揺るがす存在となった。
「にしても、だとするならとんだ迷惑だろうさ。わざわざ『勇者』を異界から召喚しても、『魔王』も異界から召喚されてたんだからさ」
いやらしく口角をつり上げるカザリに、さすがの藍霧も言葉に詰まった。
あえて考えないようにしていた。『勇者』も『魔王』も地球から召喚され、異世界で力を発揮したとはいえ、あちらからしたらいさかいをより大きな形にされて巻き込まれただけになる。
『魔王』が君臨していた二十年間での被害はどれくらいなのだろう。いくつかの大陸を消滅させられ、屍とされた人間の数はもはや数えることはできない。
それだけの被害が外からもたらされたもので、当事者でなくとも関係者である藍霧の立場からしたら、言い返すことはどうしても憚られた。
たとえ直接的な人災をもたらした相手に言われたとしてもだ。
まあもっとも――、
「ああ、最ッ高だねェ。オリジナルを黙らせられるなん……」
恍惚として笑むカザリの表情が凍りつく。
まあもっとも、手を出さないかどうかは、まったく別の話になってくるわけだが。
藍霧は八系統すべてを『八天』に限りなく近いスペックで使うことができる。しかも地杖はほかの属性石と違い、それだけで八系統に対応している。つまり、大胆に言ってしまえば『八天』全員を敵に回したといっても過言ではない。
カザリも言われずともわかっている。だから言葉を途中で切り、藍霧から距離を置いたのだ。
しかし藍霧は波導術師である。剣士の間合いで離れたとしても、そこはまだ藍霧の間合いのなかだ。しっかりと補足し続けている。
絞られた弓から矢が放たれるがごとく、空間を押し広げ、光条が差し向けられる。雷系統と闇系統を並列させた技だ。
炎や雷は形が固定されていない分、有効範囲が広いが威力が減少してしまう。波動を多く込めて補っているが、それは無駄でもある。もし雷系統などでなく個体である氷系統に同じだけ注いだなら、相性さえ除くなら確実に威力は高くなるだろう。
けれど相性は厳然と立ちふさがってくる。結局はそうするしかない。
しかしそれに納得できなかった藍霧は、もっと効率よく波動を回せないかと考え、これを生み出した。
形が固定されていないなら、固定してしまえばいい。どの系統にも訳隔たりなく重力が作用している。やったのはその重力の向きを強引にねじ曲げ、形を維持するということだ。
言葉にするのは簡単でも実行するのはかなり難しい。雷系統を放出したあとは闇系統を使い続けなくてはならないわけで、波動の消費量が尋常ではない。しかもコントロールもしなくてはならないため、事実上使えるのは藍霧だけだ。
カザリは身を捻って光条を避け、そのまま逃走しようとする。逃がさない。
「――α」
まっすぐ進んでいた光条が曲線を描き、カザリを追尾していく。
藍霧は褐色少女の動きを細部まで観察していた。なぜ波導を使えるのかは興味ないが、あの動きには目を見張るものがあった。雷系統であそこまでの芸当ができるのは『雷天』くらいのものだ。
魔王に通用してないかに見えたが、その後の炎剣技を避けられなかったのは雷の怒濤の攻撃があったからだ。藍霧もあれを凌げと言われても正直できるかわからない。
そのなかでも藍霧が注目したのは初手行った雷の柱だ。垂直落ちているように見えたが、実は標的に合わせて湾曲していたのだ。一定の距離を置けばさすがに避けられるものの、ならばその距離による安全圏への避難をなくしてしまえばいい。
光条が追尾型なのはそのためだ。見た目こそ脆弱だが、被弾すれば『雷天』放った雷柱か、それ以上の威力が秘められている。
「逃げないでください。当たらないじゃないですか」
「いやいやいや! 逃げんなって死ねってことじゃないですか!?」
「産業廃棄物にも劣る低脳の分際でよく理解できましたね。ご褒美に追加してあげましょうか」
罵倒があるのはデフォルトだ。一本だった光条は藍霧の合図とともに分裂する。
カザリの表情から余裕が失せた。これまで反撃の姿勢を作ろうともしていなかったが、ここにきて属性石を復元させる。
『勇者』を複製したのだから当然、戦いかたも似かよってくる。複製された武器は天剣や地杖に及ばずとも、魔剣で上位に入るだろうと思われる禍々しさを有していた。
魔剣を逆手に構え、光条を一閃する。しかし藍霧が予測した結果にはならない。
とはいえ驚くことはない。魔剣を見た瞬間にそれが波導を無効化するものだと見抜いていたからだ。あれでは波動をいくら込めても無効化されてしまうので、無駄に消費するだけになる。
波導術師のような遠距離を主体とするタイプにはまさに天敵だ。けれど、藍霧には天敵になりえない。
地杖を抱えたままカザリに向かって跳躍する。
「ハァイ残念でしたァ! こっちはオリジナルとオリジナルの思考パターンまでインプットされてんだからテメェがそうするってのはわかってんだよォ!」
表情を歪めたカザリは藍霧と同じように跳躍し接近する。お互いに距離を縮めあえば、その分だけ接触までのタイミングは早まる。遅まるのならいくらでも合わせられるが、早まるのは逆にこちらが危険だ。
もっとも、藍霧がそれを考慮しないはずもない。
「やはり貴女はおつむが足りませんね。本当に私たちのコピーなのですか? あっさり仕掛けに嵌まってくれるだなんて、愚かすぎて罵倒する気にもなりません。条件は同じなのですから、私にも貴女がなにをしようとするかがわかるのですよ?」
急停止をかけた藍霧は地杖で宙を叩く。目の前に半透明の陣が形成され、術式を開始した。
波導にも様々な種類がある。詠唱するものから強化させるもの、そして藍霧が使ったのは設置型ものだ。設置型は大掛かりな手間が必要なため、余裕がないなかでは使えないのだ。事前に組んでおき罠にかけるのが定石だが、藍霧にそんな常識は通用しない。
カザリが入り込んだのを境に陣が輝き出す。それは時間の経過と共に強さを増していき――爆ぜた。
なにも闇雲に光条を動かしていたわけではない。波導陣は実線で描かずとも、波動さえ通っているのならば地下だろうと海上だろうと空中だろうと関係ない。光条から波動を垂れ流しておくことで形を成したのだ。
効力は光条と同じ雷。光条で当たらないと判断した途端すぐに切り替えられるのが藍霧の強みでもある。ただしそれはがらんどうの名残だ。藍霧としてはあまり嬉しくない代物ではあるが、使えるものは使わない手はない。
雷鳴に掻き消されて悲鳴は聞こえない。いや、そもそも悲鳴はないのだ。
「ンなことわかってンよォ。それがわかんねぇなんて救いようがねぇな、オリジナルさん?」
後ろから聞こえた声に、戦いのなかで藍霧は初めて嗤いをこぼした。
「というのもわかっていない貴女には、こういうのはどうですか?」
藍霧は使い勝手のよさから雷系統をよく多用する。だからと言ってほかの系統が劣っているだとかそういうことではない。むしろ多用する雷系統よりも相性が合ってるものもあるほどだ。
そのひとつが闇系統である。それは性格が関係しているとかではなく……いや、多少は関係しているかもしれないが、妙に相性が合致している。
無秩序に乱れる重力の奔流に呑まれたカザリの肢体が無造作に掻き乱される。手足はあらぬ方向に曲がり、噴き出す鮮血も滴り落ちることなく宙を回っていた。
一葉の超能力で発生させる重力とはわけが違う。比べる比べない以前に、そうするのもできないほどスペックに差があった。遮蔽物がない球体のなかで他者を巻き込まないようにするのだって造作もないことだ。
重力に呑まれたカザリの動きが止まる。だがまだ重力の奔流は解いていない。
「いってェなァ……ンなもン効かねェっての」
ほぼ肉塊と化していたカザリの体が再生を始める。捩じ曲がった手足はそのまま戻っていき、血は噴き出した地点に吸い込まれていく。厳密に言ってしまえばこれは再生ではない。
『勇者』の複製だとはいえ、固有のスキルがないわけではない。この再生――回帰こそがカザリ与えられた唯一無二の能力だ。モノを元の状態、あるいは元の状態以前に減退させることができる。ただし欠点があり、あまり使い勝手のいい能力とは言いがたかった。
カザリは破壊される前に回帰した肉体の調子を確かめる。
「なんだ? 妙に不便になってるんだけど……」
舌打ちするのと押し倒すのはどちらが先だったか。藍霧はカザリの胸を鷲掴みにしたかと思えば、そのまま海上に叩き落とした。海水が何メートルも跳ね上がり、それが頭上から降り注いだ。
「いまさら気づいたんですか? まあ、思ったよりも早かったですが」
「いってェ……くっ、なんだよこれ……!?」
カザリの浮かべる苦悶の表情は演技のそれではない。疑問と激痛も入り交じり、理解不能な恐怖に混乱していた。
それもそうだろう。カザリは複製されてから一度も脆い肉体を有したことがない。常に核兵器すら苦にならない強度を誇っていたのだ。水面に打ち付けられただけで痛みを感じるなどいままでなかった。
「これが人間ですよ。貴方にはわからないでしょうが」
自分がこんなことを語る日が来るとは思いもしなかったと内心で呟きながら、カザリをどうするかを考える。
『門』が開いたのを狙ってこっちに来たわけではなさそうだ。偶然見つけて、通ってみればここについたという感じだ。
はてさてどうするか。いっそのこと海に沈めてしまおうか……、
「――さっすがだねェ、主人公?」
カザリの一言に藍霧は首をわずかに傾ぐ。
「そう思わないか? 異世界に召喚されただけの学生が世界を左右する力を手にいれ、あまつさえ救ってしまうなんて、まさに物語の主人公のようだと思わないかな?」
言われて藍霧の思考が停止した。そうだ、その通りだ。異世界に召喚されてその補正で力を手に入れたが、所詮は戦いなど知らない学生だったではないか。それなのにどうして、あそこまで戦えたのだ。
いいや、それ自体は構わない。結果的に生き延びることができ、しかも手に入れた力は私生活でも困るものではない。なにかと役に立つしありがたいと思っている。
だが、なぜ異世界にいるはずの二人が、伝説の武器に選らばれた?
それはまるで、本当に物語の主人公のようではないか。
「召喚されただけの学生というのは語弊か。藍霧真宵と『魔王』はただの、ではないからねェ。でもあいつはどうかな?」
告げられたあいつ、というのが誰を差すのか用意に想像できた。
「冬道かしぎ――あいつの周りは特殊かもしれないけど、あいつ自身はいたって普通じゃないか。重い過去があるわけじゃない、面白味のある性格じゃない、誰かに慕われる態度じゃない――なのに、どうもあいつ中心に物語が進んでいる」
おかしいだろ、とカザリは嗤う。
「運命があいつに向かって収束しているとしか思えない。オリジナルたちの『勇者』としての、『魔王』としての役目は、まだ終わってないんじゃねぇの?」
『勇者』としての役目。それは『魔王』を打ち倒し、世界に平和をもたらすことではないのか。そうでないのなら、はたして自分たちはなんのため召喚されたのだろう。
そして、だとするのなら『勇者』としての本当の役目とは?
藍霧自身は『勇者』としての役目を果たしたと思っていない。そもそも二人もいる必要があったのだろうか。
『魔王』と直接戦ったのは彼だ。藍霧は彼の道を妨げる敵を排除していただけであって、それだってほかの誰かだったとして問題はなかった。藍霧が召喚される意味はなかったのだ。……いや、藍霧にとってはと言うべきか。
冬道かしぎにとって藍霧の存在はなくてはならないものだった。
たしかにその通りだ。物語は、彼を中心に動いている。
「ですが、なぜ……?」
「さーてね。ただ言えるのは、『魔王』ですらあいつの踏み台だったってことだ。それにあの白髪の女もな」
言ったカザリは藍霧の腕を振りほどき、腹部を蹴りあげて脱出する。
すんでのところで直撃は逃れたが反応が遅れたことは否めない。それに藍霧の意識はカザリにはなく、先の言葉だけに注がれていた。
「じゃあなオリジナル。今度は会えないといいね」
それだけを言い残してカザリの姿が忽然と消えた。
「さて、それは無理じゃないでしょうかね」
藍霧にしては珍しく直感していた。これから先、近いのか遠いのかまではわからない。しかし自分たちは必ず再会することとなる。予期せぬ場所で予期せぬ時に、不測の事態を引き連れて。
まだ『勇者』としての役目は終わってないと言っていた。ならば今度こそ成し遂げなければならない。押し付けるのではなく、自分も舞台に立って、やるのだ。
「私は――」
彼女は告げる。
「『勇者』になる」
◇◆◇