7―(5)「背水の陣⑤」
魔獣の召喚は塞き止められた。あとは地上に蔓延るのを駆逐するだけで異物を取り除くことができるわけだが、いかんせん戦力に偏りがありすぎる。地上にいる人間だけでは難しいだろう。
波導使いと超能力者。異能を所持してはいるが両者には絶対の差があるのだ。
ひとくちに異能といっても様々な起源――ルーツが存在している。世界に合わせて形を変えて進化を遂げていく。初めはどれも同じだったのかもしれないが進化していく過程で分岐し、いくつもの異能へとなっていったのだ。似かようものもあれば、性質が正反対のものまで多種多様だ。そのうちの二つが『波導』と『超能力』である。
これらは比較的同一の起源を辿ってきているようだが、決定的に違う部分がある。
地球という生命を繁栄させた星には人間を脅かすような狂暴な生物がいない。肉食獣など危険なものもたしかに存在しているが、刺激しなければめったに襲うことはないだろう。ゆえに『超能力』の進化のベクトルはその方向ではなく、同種族に対抗することに向かわなかったのだ。
対して『波導』は対人ではなく、自身を魔獣から守る方向に進化した。異世界では魔獣が我が物顔で闊歩している。おかげで騎士団を組んだり、防衛ラインを敷いたりするはめになった。そのときに『波導』を使っていたことから、自分より力を持つものへの対抗手段とあったのである。
対人として進化した超能力が束になったところで魔獣に通用しないのは、いくら似たようなルーツであったとしたも、向かったベクトルが違うのだから当然のことだと言えよう。
しかし――もしも『波導』に限りなく近いルーツを辿ってきた『超能力』があるのだとしたら、それは魔獣への脅威になる。
九十九志乃。
超能力者にして超越者。
彼女はたったひとりで魔獣を悉く屠ってきた死の旋風。
そんな彼女の因子を宿している『九十九』の能力者には魔獣に対抗するだけの可能性が秘められている。
「だあああら――っしゃああああああ!」
ガントレッドに獄炎が灯る。あまりの熱量に周りを歪ませ、使用者も蝕まんとする勢いだ。しかもまだ序の口だ。空気に触れて誘発したように爆発的に肥大化していく炎は、やがて青色へと変化していく。腕を後方に引き、残像が見えるほどの速度で腕を振り抜いた。
東雲は因子を宿しているなかでも色濃い方だ。超越者にこそならなかったものの、『死乃ノ目』の真名を授かり、そして真価を発揮している。
一〇〇人近い『九十九』がいるなかで発揮しているのは東雲のほかには柊しかいない。厳密に言えば柊はすでに『九十九』ではないのだから、東雲だけだなのだ。
『九十九』の当主である一葉も、最強の座に位置する九重もそこに至っていない。
とどのつまり志乃がいる地点を垣間見れたのは東雲だけで、到達できたのが柊だけということなのだ。
もともと四番に位置付けられたものは『九十九』のなかでも、能力の優劣に関係なく特別視される。そういうふうにこの家系を作ったのだ。
一葉の『一』でもなく、九重の『九』でもなく、ましてや揺火の『八』であるわけがなく、 凪の『七』などあってはならない。いまにして思えば、全ては『四』を生み出すための糧でしかなかったのだろう。
『四』――すなわち『死』の知恩を受けた東雲は、魔獣に絶対的な効力を及ぼす兵器と化す。
蒼炎に包まれた魔獣は一瞬にして灰となり、塵も残さずに消え去った。なんの前触れもなく、突然威力の上がった炎に周囲は唖然とする。必死に攻撃を躱し、見つけた隙を突いて一体ずつ着実に倒していく寸断を取っていたはずなのに、いきなり東雲が単独で成果を出してしまったのだ。
しかし一番驚いているのは他ならぬ東雲自身である。後付けで発現した能力であるとはいえ、何年も使い続けてきたのだ。どの程度でどのくらいの威力なのかは熟知している。数度の調整もお手のものだ。いまだって全力ではあったが、せいぜい皮膚を爛れさせるのが関の山だと思っていた。
だが蓋を開ければどうだ。炎の熱は限界をいとも簡単に越え、魔獣を一撃で屠っているではないか。
唖然としたまま手を開閉させる。東雲の意思とは関係なく微量だが溢れでる蒼炎はガントレッドを溶かしていた。八雲が能力で作り出したものをだ。
八雲が作り出す数々は裏、それも『闇』と称されるほど深層ではかなりの高値で売買されている。ゆかりの四肢を担っているほどだ。『闇』に属する能力者は重い事情を抱えている人間ばかりである。必ずしも高位の能力者というわけではないのだ。
そういう能力者が八雲の創作物を求めてくる。自分より遥かに強力な敵を打ち倒すために。
東雲のガントレッドはそのなかでも最高傑作の部類に入る。そのガントレッドを溶解してしまったのだ。もはや東雲の蒼炎は文字通り度を越えた域に達している。
「……ははっ」
笑みがこぼれる。
「東雲、後ろだ!」
蒼炎が毛細血管を辿って全身へと染み渡っていく。馴染んでいく。一体となって溶けていくような心地よい感覚。
緩く握った拳を振り返るついでに突き出す。肉を細胞から分解し炭化へと還し、魔獣を絶命させる。一点に集束された蒼炎は飛び火することなく、心の臓だけを燃やし尽くした。
「貴様、なんだそれは……」
揺火は信じれれないものを見る目で訊ねる。そこにあるのは恐怖だ。知っていたはずのものが急に離れていった気がして、どうしようもなく不安になってしまう。
「さあな、わからん。せやけどこれなら――」
筋肉を一瞬でトップギアに入れる。骨が軋む音を体感しながら一歩を踏み出した。
しかしその一歩は、はたしてただの一歩と侮ることができるだろうか。蹴り出した地面は脚力に耐えきれず陥没している。気づいたときには魔獣のところにおり、そう認識したときにはすでに次の標的を狙い撃っていた。
踏み切りと踏み込み。短い距離ですら相席させられないことを同時に行っている。常軌を逸した行為にはリスクがついて回るものだが、いまの東雲はそれさえも跳ね除けてしまうだけの力が備わっているのだ。
下級な魔獣ではもう東雲は止められない。
四足で駆ける魔獣の顎を蹴りあげる。爪先で骨の砕けた感触を確かめながら、曝される形になった腹部に潜り込み、掌打による一撃で体躯を持ち上げた。すかさず一葉が重力をかけて魔獣を叩き落とし、それに合わせて蒼炎を放つ。
尾を引くように蒼炎が消えたころには東雲は次のステップへ進んでいる。
確認するまでもない。この蒼炎に包まれて生きていられるのは空にいる化け物たちだけだ。
東雲の脳裏を掠めていくそんな思考に思わず舌を打つ。力を手にした途端これだ。すぐに調子に乗って、あとで取り返しのつかないことをしでかすに決まっている。
自分は調子に乗っていい立場ではない。様々な人を自分勝手な事情で巻き込み、最善な判断を下した少女を憎むということをしたのだ。
力を得たなら自分のやるべきことは本能に任せて破壊するのではなく、大切な人たちを守ることだ。間違っても心配させることなどしてはならない。
深呼吸し、気持ちを落ち着かせる。暴れていた蒼炎を静め、小さくさせる。
――――よし、こっからが本番や。
東雲の纏う雰囲気が変わった。他者など気にかけない自分勝手なオーラが消え、どこか懐かしい空気になったと一葉は思った。
しかしどこで感じたものだっただろう。懐かしいといってもそれほど昔ではない。
囚われながらも穏やかだった時間。自由はなかったけれど居心地のよかった、彼女と過ごしたあのときがそうだ。
志乃は自分を本当の家族のように大切にしてくれた。困ったことがあれば一葉に秘密に解決してくれたりもした。気づかれいないと思っているらしいが、ちゃんと気づいている。いつも近くにいる志乃がいなくなっているときは大抵がそうだ。
『九十九』の頂点に君臨するということは、すべての能力者に狙われる存在になる。
『組織』が『光』とするならば『九十九』は『闇』だ。
どんな手段も用い、一般人への被害を抑えようとしない奴らに命を狙われる生活は、まだ十歳を越えてそう経過していない少女には残酷すぎる。一葉は能力と立場以外は、普通の同年代の少年少女と比べても劣っている。感覚が発達していないのだから、本来はこんな血生臭い戦場にいるべきではない。
志乃がいなければとっくにこの領域に踏み込んでいた。
いつだって志乃は自分を守ってくれていた。敵対する選択肢をとった一葉でさえ傷つけたりしないほどに。
あのとき志乃が攻撃を仕掛けていたのは双弥と凪だけだった。やられても絶対に反撃しようとせず、ただただその身に攻撃を受け続けた。
いまにしてみれば、志乃の言葉は本当だったのだと思う。
――妾は、一葉と過ごしていたい。
一葉は顔を上に向け、未知なる敵と戦う志乃へと視線を注ぐ。
彼女は能力者の敵である。けれで人類の敵となったわけではないのだ。
ならば――いま彼女を助けることになんの縛りがあるというのだ。それに能力者の敵になった志乃をどうして死に追いやろうとしなければならない。
苦しんでいる志乃を助けたいと思いながら、それと真反対のことをやろうとしていた己の矛盾を否定し、決意の灯火を宿す。
そうだ。助けてもらっておきながらそれを仇で返すなど、あってはならない。
「九十九一葉、どこに行こうとしているでありますか!?」
凪の怒声が背後から突き刺さってくる。竜を彷彿とさせる威圧感。『九十九』と『組織』との間に生まれた異端児には、一葉をもってしても萎縮してしまうものがある。しかし、立ち止まれない。
「まさか志乃のところに行こうとしているのではあるまいな?」
小さな竜の禍々しい剣呑を正面から受け止めながら、言葉を持たない一葉は目で返答する。
それがどうかしたのか――と。
ときに意思は言葉よりも強靭な刃となって他者へと襲いかかる。ましてや言葉を持たぬ一葉だ。それはよりいっそうの鋭さを有している。
一葉と凪は複雑な姉妹だ。両親のどちらかが同じのしかし、それでも血の繋がった姉妹。同じ人を隙になり、対極の位置にいれどその頂点に登り詰めた姉妹である。
凪をも凌駕する威圧が一葉の内側から芽を出したのがわかった。それは凪のような王の資質のよるものではなく、単純に家族を守りたいがためにある――あろうとするものだ。
それほどのものがあっても、志乃がいる領域には遠く及ばない。助けにいったとしても足手まといにしかならないかもしれない。……いや、かもではなく、確実に足手まといにしかならないだろう。
けれどなにもしないのはもううんざりだ。なにもできず、大好きだった人たちを傷つけることしかできなかった六年前の二の舞にはなりたくない。
「……行くなら勝手にするであります」
全身を駆けずり回っていた威圧感が消える。
「我輩に貴様を止める資格はないであります。足手まといにしかなっていない我輩に、意思のある貴様を止める資格は……ないでありますよ」
震える声で、爪が食い込んだ拳を握りしめて、凪は懺悔に似た呟きを投げる。
一葉もいまの凪の気持ちが痛いほどわかる。己の無力さが恨めしい。目の前で起こっていることに、なにひとつとして加勢することのできない苦痛。
六年前の自分がそうだってように――いま、凪もそうなのだ。
凪の心は折れかかっている。それをギリギリのところで繋いでいるのが、一葉に対するプライドだと、本人たちは気づくまい。
きっと一葉がいなくなれば、なにもできぬ自分に絶望するだろう。そこから這い上がれるかどうかが、彼女の分かれ道なのかもしれない。
「貴様なんぞ、さっさと行ってしまえ」
「わりぃが、そうさせるわけにゃいかねぇんだな」
その声は一発の弾丸と共にやってきた。蛇行しながら地上をのさばる魔獣を貫いていくそれは、生きているのではないかと錯覚させる。
「おめぇがあそこに行ったら、さすがのあいつらでもサポートしきれねぇからな」
「竜一……」
紫煙を振り撒く男――雨草竜一の制止によって一葉は動きを止める。
竜一は魔獣を一掃したことを確認したあと、空へと視線を傾けた。つられて空を見上げると、そこには異様な光景は広がっていた。
さっきまでも異様だったが、そんなものはいまの非ではない。
ぱっと見て魔獣の殲滅が終了した空がある。ある――はずなのに、違う。
『九十九』の血縁があり、視認すれば志乃のことはわかる。もう二人ほど誰かいるのだが、距離があって誰かを判別することはできない。とはいえ、空には志乃を含めば三人しかいないのはたしかだ。なのに魔獣がいたとき以上の緊迫感がある。
そして緊迫は、前触れもなく爆発した。
一瞬の空白を挟んで状況は一転する。一葉たちを重力とは違う重みがのし掛かる。
「水系統は守りに向いてねぇんだから、無理させんじゃねぇよ……!」
水の膜が力を受け止めていた。耐久力の警告であるかのように、水がしきりに赤く明滅している。手元にある海銃は血が滲んでいるかのようだ。
「余波だけでこれなんだ、なんつってもいかせるわけにゃいかねぇよ!」
叫ぶ竜一には余裕がない。波導を取り戻したばかりでこれだけの圧力を受けるにはあまりにも微弱すぎる力だ。
三人の『八天』とパーティーを組んでいたころに比べると、その半分が発揮されているかどうか。立て続けに迫る圧力を耐えるにしても数撃が限界だろう。
「なにがいるのでありますか竜一! 我輩にはなにも見えないぞ!」
「ああ見えねぇだろうなァ! あいつらはよォ――」
音速を越えて殺りあってんだよ――竜一はそう言った。
◇◆◇
魔王と呼ばれた黒い布切れは、俺の時代に世界を支配していた『魔王』を知っている身としては信じられないほど脆弱な気迫だった。
『魔王』は常に相手に隙を与えない威圧的な態度に加え、撒き散らしているとしか思えない殺気は、それだけでどれだけの実力を兼ね備えているかが把握できた。おそらくはわざとしていたものだろうが、雑魚を怖じけさせるには打ってつけの方法だと言えよう。
彼女は面白いこと、楽しいことを追求していた。雑魚と戦ったところでその欲求が叶うことはない。だから『魔王』はあんな姿勢を取っていたのだろう。いうなれば王であるがゆえの吟醸とでも言うべきか。とにかく『魔王』にはそれなりの節操というものがあった。
しかし魔王は違う。こいつには『魔王』にあったような気高さがない。存在によって支配していたのが『魔王』だとしたら、破壊のよって戒めの対象とされていたのが魔王だ。
だがそこには確固とした、裏付けされた強さの証明がなされている。実力だけで魔界の頂点に登り詰めたのだ。もしかすると『魔王』すら凌ぐかもしれない。
その実いまの俺は『勇者』に近いポテンシャルを取り戻しつつあり、音速を越えての戦闘にも反応してはいるが、正直なところ、手詰まりと言うのが本音だ。どうしても後手に回らざるを得ない展開になっている。
そしてレンも同じ状況下に置かれている。竜一氏がいてくれたらもう少しまともに戦えていたはずだが、あの人は俺たちの戦いの余波を防ぐので手一杯だ。
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「――っ!?」
脳内に直接響いてきた怨念の籠った声に剣筋がわずかにブレる。凪いだ一閃は顔の横辺りの布をかするだけになり、細長い指が心臓に突き立てられてきた。
志乃にやられたときの光景が脳裏をよぎっていく。不本意なことこの上ないが、志乃との経験が役に立ちそうだ。一度踏んだ罠をもう二度と踏むへまはしない。
右手を振り抜くのに連動して左拳を魔王の頬に叩き込む。体勢が悪く腕だけでうまく重さが乗らなかったが、速度が代わりとなってくれている。錐揉み回転しながら魔王が離れていく。
これでひといきつけると思ったのも束の間、魔王は一時停止でもしたかのようにぴたりと動きを止め、予備動作もなく再度接近してきた。
フードの奥で煌めく眼光が心層を抉じ開け無理やり入ってこようとする。はたしてそれは恐怖からくるものなのか、なにかがざわつくのを感じる。五臓六腑に染み渡る不可思議な感覚。それさえも糧とし、魔王を迎え撃つ。
細長い指が変形していき剣となる。ただし五指すべてが剣になったわけだから、対応も五倍になったことになる。常識的に考えれば指が剣になったところで驚異にはならない。振れるわけがないからだ。指一本では重みに耐えられない。とはいえ常識の範囲内ではだ。
異世界で俺は地球の常識が通じないことを痛感した――させられた。しかも魔王ともなれば、五指が剣になったところで動きに不備が生じるはずがないのだ。
魔王の五剣が別々の方向から襲いかかってくる。切り払い、打ち上げ、断続的に斬撃を防いでいく。火花が弾け、視界を埋めつくしていくのでさえ煩わしかった。ほんの一お瞬でも魔王から目を離せば、その時点で生きている実感がなくなる。死んだも同然だ。
寸分の狂いも許されない――そう思えば思うほど緊張して筋肉が硬直してしまう。ある程度は必要だが、過度な緊張は不要だ。
――神経を研ぎ澄ませろ、斬線を見極めるんだ。完璧など存在しない。必ずどこかに綻びがある。
「レンのこと無視してくれんじゃないわよ根暗ヤロウ!」
雷のごとく間に割り込んできたレンが魔王の剣を次々にへし折っていく。
ナイスなタイミングだ。下手に介入されたらピンチになるところだったが、レンともなればそんなことはしない。ちょうど繋ぎのところで割り込み、チャンスを作ってくれた。
魔王の剣は影を編んだものだろう。再生してしまうのも時間の問題だ。その前に剣を叩き込む。
斜めに走らせた刃を手首を返して抜き打ちへと繋ぎ、袈裟斬りへと変化させて凪ぎ払いに持っていく。全身の関節を総動員させ、溜まった衝撃を外へ逃げていく前に黒ずくめの体躯に斬撃を走らせる。
風系統には雷系統には劣るものの、加速の効果がある。使用者の動きはもちろんのこと、対象となる物体が停止していなければそれも同様だ。
ほかはそうではないらしいが、俺にしてみれば勝手がいいのは風系統だ。雷系統は意識した対象にしか効果を期待できないが、風系統は無作為に意図しないものにまで効果が及ぶ。
そう――意図しないものにまでだ。
腕が加速すればそれによって生み出された剣速も高まることになる。連鎖が連鎖がを爆発させ、代償として歯止めが効かなくなってしまい、肉体が破壊されることになるが、どうせ止まるつもりも止めるつもりもない。
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二重螺旋の円盤が浮かび上がり、天剣の軌道を遮った。薄紫色のそれの外周には文字が刻まれている。記されているのは『絶対防御』の意。
波導ではない。これは――『魔導』だ。
挟み込むように俺の両側に魔方陣が展開される。内側の円が高速回転を始め、なにかを吐き出そうとしていた。後ろに飛んで回避を試みるが、両足がいうことを利かない。下を向けば、魔方陣に足を固定されていることに気付いた。
間に合わない、そう思ったときにはもう遅い。
ほぼゼロ距離から魔力の塊が射出される。舌打ちをこぼしたくなるも、そんな余裕はない。ありったけの波動を天剣に封入し、迫る塊を相殺する。素早く左右を入れ替え、多少無理な体勢から反対側のも両断した。
――まだだ!
両足を封じる魔方陣を叩き割り、魔王の間合いに踏み込む。
天剣はもともと『魔導』に対抗するために創られた宝剣だと言われている。魔力で結合された術式のほころびを断ち、無効化させることが可能だ。担い手の器量により振れ幅は異なってくるらしいが、『魔導』の天敵であることは紛れもない事実だ。
魔王の障壁を打ち破るのは容易ではないにしろ、それが攻撃の手を休める言いわけにはならないのである。
天剣を障壁に突き立てる。極彩色に変色した障壁はそれだけであっさりと砕け散り、欠片となって消えていく。あまりの呆気なさに疑問を抱いたその直後、鋭利な痛みが鎖骨ごと肩を抉っていった。
耳元で鎖が擦れる金属音の先に目を向ければ、そこにはは鎌が取り付けられていた。片手サイズの小さなものではなく、死神が持つような大鎌だ。
魔王が鎖を手繰り寄せ、大鎌を引き戻そうとする。しかしそれよりも速く魔王の懐に飛び込んだレンのトンファーブレードが、か細い腕を一切の淀みなく断絶した。
「――雷姫よ!」
レンが詠唱に入ると同時に俺たちは弾けた。
なぜ波導を発動するには詠唱が必要なのかと疑問を抱いたことがあった。呪文のほとんどは言葉を発することで効果を発揮するものばかりだが、どうして詠唱をしなければならないのか。
聞いてみれば、言葉にすることで精霊に祈りを捧げ、力の一部を借りているかららしい。呪文は祈りの言葉で、言葉にするのは祈りを届けるため。だから途中で詠唱を遮られると効力を失ってしまうのだ。
天剣を振りかざし、レンの邪魔をしようとする魔王を食い止める。
ここからは波導も魔導もない剣の世界だ。ただひたすらに磨きあげた剣技を押収しあうだけの攻防戦。おのずとわかってくることなのだ。剣を極めんとする者は決してそれ以外に結果を委ねない。ここぞというとき剣士が宛にするものはなんなのか。
決まっている。我が剣にほかならない。
一合、十合と刃を交えていくにつれ、お互いにモーションが単調になっていく。ただ打ち合うだけの、しかしそれゆえに基本的な剣筋は必殺の威力を秘めていた。読み読まれるなかで相手に決定打を与えるには上回るしかない。
常に前に出る姿勢をとる。気持ちで引けば一気に押しきられてしまう。実力が拮抗しているなら、決め手となるのは気持ちだ。心のありようだけで剣筋は大きく変わってくるものだ。
そして、タイムリミットだ。
「ぶちかませレン!」
「わあってるわよ! ――凍てつく息吹と贋作の鉄槌を!」
雷が招来した。それは魔王を巻き込む柱となり、空と海を繋ぐ大穴を開通させた。
大袈裟に言ったがこれは単なる体当たりでしかない。しかしさっきの詠唱は自身を雷と同化させるものだ。
『雷鎧』は雷を纏うものでしかない。それでは瞬間的に雷速に達せられたところで思考も追いつかないし、カウンターを受けようなら防御が間に合わず二乗の痛手を負う欠点もある。それをなくしたのがいまのレンだ。
常時雷化は思考までも加速させ、機動力を増大させる。さらに雷系統の特典はそれだけでなく、突貫力も絶大になるのだ。ただの体当たりであろうと、それは最強の矛となる。
魔王を呑み込んだ雷から小麦色の少女が飛び出してくる。手を前に掲げたレンの背後に雷槍が出現した。それも一本ではない。体内の波動を絞り尽くす勢いで形成されていく雷槍は合計で数十本にも及んでいる。
あれを直に食らった身としては背筋が凍るどころか心臓が止まる衝撃だ。一本でも島を消し飛ばす威力の雷槍をあらだけ喰らえば、魔王といえどひとたまりもないだろう。
撃ちだされた雷槍は未だに詠唱によって蝕まれている魔王に注がれていく。漏れた雷だけで皮膚や眼球の水分が蒸発していき、轟音は腹の底から響いてくる。しかも脳からの電気信号にまで影響を及ぼしているのか、手足の感覚が麻痺していた。
「まだ――まだァ!」
だめ押しとばかりにレンは波動を練り上げる。トンファーブレードにありったけの波動を叩き込み、そして雷が消えて姿を曝した魔王に止めの一撃を放った。
放たれただけ。それだけで俺は無様に背を向けて逃げ出していた。
形振り構っている場合ではない。見た目こそ大したことないが、あれには核兵器など比べものにならない膨大な爆弾が積まれている。なまじ観察眼があるばかりにわかってしまうのだ。炸裂すれば辺り一帯が消し飛ぶ。近くにいたら直撃せずとも灼き尽くされ、塵すら残るまい。
ふと癖で周りを確認し、俺は絶句した。
魔王に気を取られ過ぎていたため失念したいたが、『門』はまだ閉じきっていないばかりか、志乃は避けられない状況下に置かれている。さらに『門』を閉じるので精一杯のためまともに喰らうことになる。
舌打ちをこぼすと亜音速で空気を蹴り、反動に身を削りながら切り返す。
空中だろうと一直線に進むのはわりと簡単だ。勢いをつければあとはバランスを調整すればいいだけである。ただし方向を変えるのは難しいのだ。
水を走るには着水したとき足が沈む前に次の一歩を踏み出せばいい。切り返すのもまたしかりだ。それと同じで空気も触れた感覚はないがしっかり掴んでいるし踏んでいるわけだから、霧散する前に飛び出せば空中での移動も可能となる。滞空には風系統の波動が必要だが、残念なことにそんな余裕は皆無だ。
志乃の前に立って天剣を構え、振り下ろす。
刹那――世界から音が消えた。
全身を貫く衝撃は遥かに許容値を越え、破壊し尽くしていく。
世界は動きを止め、色が徐々に薄くなっていく。
そんななか、やつは悠然と聳え立っていた。
黒い布切れを纏う、言いようのない気味の悪さを漂わせている存在。
「うそだろ……」
あれだけの攻撃を喰らいながら、魔王は原形を留めていた。ダメージがないということはないだろう。しかし、魔王は耐えきったのだ。『雷天』の全身全霊、全力全開の必殺を。
オワリ ダ
魔王が手を天に翳した。花が開くがごとく空に浮かび上がる巨大な魔方陣。それは大気にわずかに漂う波動を吸収して魔力に変換し、さらに根を張っていく。加えて俺たちの波動すらも食い尽くすつもりなのだろう。体内から消化器官が引き摺り出される感覚が駆け回っている。
俺は打開策を練ることも忘れ、魔王との距離を縮める。あれだけの規模の魔導が放たれたら最後、俺たちどころか地球の半分が消し飛んでしまうだろう。
間合いに捉えた魔王に次々に剣技を繰り出していく。これまで出会ってきたものから我流まで、順列組合せ様々に繋ぎ会わせ、息をつく間も与えない。
しかし魔王はその悉くを往なしていく。焦燥感に囚われた俺の剣技など取るに足らぬとでも言いたいかのように片手であしらわれ、その一切が触れることもしない。
フードの奥で爛々と鈍く煌めく眼光が悠然と語っていた。
お前らの負けだ――と。
いまの俺には言い返す余裕も剣を振るうのに注いでいる。切羽詰まった状況下において言葉など意味を持たないからだ。
このままだと本当に負ける――いいや、そんなのは、死んでもごめんだ。
「終わるのは――」
背後から急激になにかが近づいてくる。手を伸ばし、それを掴む。
その瞬間に俺は掴んだそれがなんであるか理解することができた。けれどどうしてそれがこのタイミングで飛んできたのか。確認するには時間が惜しい。
天剣を右手、刀を左手にした俺は、二刀流から剣技を放つ。
「――お前だ!」
レヴァンティン秘伝炎剣技――流星花火
左右から剣と刀のラッシュを魔王に叩き込んでいく。さっきのでたらめなやり方でなく、型に填められた連続的で遅滞のない猛攻。刀身からは灼熱が迸るが、見た目とは対照に絶対零度が辺りを凍結させていく。
直撃を避けたかったのか魔王が防御の魔方陣を敷き、斬撃を阻もうとするが、構わずに攻撃を続行する。神経が灼き切れんばかりに振るわれる剣と刀の刻む銀色の閃光は、まさしく流星と称するに相応しいものとなっていた。
かつてない加速感が俺を包む。感覚がシフトアップするたびに攻撃のギアも上がっていく。
分かる。奴の魔方陣の構成から魔力の流れまでなにもかも。
軌道をわずかに修正し、魔方陣の綻びに刃を滑らせる。矢継ぎ早にそこを攻め、ついには魔方陣を決壊させた。
魔王に焦りが窺えた。いまが勝負どころだ!
「うおおおおおおおおおおおおおおおあああああッ!!」
雄叫びと共に魔王の体躯に刃を捩じ込む。噴き出す血飛沫と魔力が花弁のごとく魔王に装飾を施していく。魔力が枯渇していくのにつれて魔王の肉体が人らしくなる。
本を正せば魔王も人間だったのだ。こうなってしまったのは、人の身では御しきらなかった魔力の豊富さと魔導の才能があったためだろう。不運だったと片付けてしまえばそれまでだが、俺はそう思わない。
きっとこいつだって魔王になるまで、最後のときまで抗っていたはずだ。ただ、救いがなかっただけなのだ。だから、俺が救ってやる。
いつの時代も魔王に迷惑をかけられるのは勇者の役目だ。
完全に人間の姿を取り戻した魔王の頭上に両方の柄で殴りつける。残っていた魔力を振り絞り、落下の衝撃を魔方陣で緩和していた。けれどそこが限界だ。もう次撃を受けきるだけの力はないはず。
天剣にすべての波動を封入し、投擲の姿勢に構える。刀身の輝きが頂点に達した瞬間――放つ。直下した天剣は魔方陣ごと魔王を貫き、封入されていた波動を体内で爆発させた。
――あとひと押し!
妙に禍々しい刀を携え、天剣の辿った軌跡を追いかける。抱えた速度と勢いを刀に伝達させ、魔王に突き立てた。
跳ね上がった水飛沫がいまごろになって頭上から降り注ぎ、俺の全身をずぶ濡れにしてくれる。前髪から滴る水を頭を振って飛ばし、一気に息を吐き出した。同時に血まで吐き出してしまったが、それは海水によって薄められてすぐに見えなくなる。
魔王は生命活動を停止してはいない。過去のことを考えれば止めを刺すべきかもしれないが、どうも動く気になれなかった。
同情とかそういうことではなく、文字通りこれ以上動けないというだけだ。
空を仰げば、ちょうど『門』を閉じたらしい志乃が俺を見下ろしている。
「そいつ、止め刺さないの?」
隣にやってきたレンは疲弊しきった顔で訊ねてくる。
「それやるにも波動を使わないといけないからな。思いの外、俺も限界なんだ、このあとのこともあるし、やるならレンに任せるよ」
「そ。なら好きにさせてもらうとして――あいつ、いまから戦うには分が悪すぎるんじゃない? それでもやるの?」
天剣と刀を魔王から抜き取り、だらりと腕を下げる。正直なところ、もうこの二刀を持ち上げるのも辛い。
でも、
「やるしかないさ。あいつは、俺をご所望だ」
崇高から見下ろす死の体現者。あいつを倒すのは俺だ。
『勇者』だのなんだの関係なく、冬道かしぎ個人として、あいつを倒したいのだ。
「あんたも大変ねぇ。まっ、レンはもう用事もないし力も残ってないし、引き上げさせてもらうわ。死なないように頑張りなさい」
「幼女に偉そうにされてもなぁ」
「誰が幼女ですって!? あいつとやる前にレンとやる気!?」
「どうどう、落ち着けって」
噛みつこうとする幼女をなだめつつ、戦闘意識を高めていく。体のダメージは思いの外深刻で、これで戦うなんて言おうものならエーシェ辺りが激怒しそうだが、ここからが本番なのだ。いままでのは前哨戦にすぎない。
俺はレンを適当にあしらって退かすと、志乃の目線と同じ高さまでいく。
無言で視線を交錯させる。志乃は楽しそうに笑いながら口を開いた。
「大変だったのう。まさかあのような輩が攻めいってくるとは思わなんだ」
「誰かさんのせいでな」
「かっかっか、そう言われてしまうと返す言葉がないのう」
そう言って志乃は嗤う。
嗤う。
嗤う。
嗤う。
「さあ――死合おうか」
◇◆◇