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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第七章〈勇者の最後〉編
92/132

7―(4)「背水の陣④」

 

「なにやってんだ。お前はこんな簡単に後ろをとられる奴じゃないだろ」

 言葉に棘が混じっているのは志乃が不甲斐ない姿を晒していたからに違いない。……というのは、もちろんただの八つ当たりだとわっている。

 本当は自分を倒したくせにやられそうになっている志乃を見てどうにも言えない気持ちになったのである。

 魔獣を休むことなく吐き出し続ける穴――すなわち『門』を閉じるにはまず前提として膨大な波動を内包していなければならない。加えて空間を掌握する圧倒的な支配力と他を凌駕する絶対的な素質。それらがあってようやく『門』に触れる条件を満たしたことになる。これではまだ閉じることはできない。

 そこから必要となるのは痛みに耐えると忍耐力と魂の破壊に対抗しえる精神力だ。

『門』にはありとあらゆる怨念が宿っており、間違っても素手で閉じるべきものではない。正式な閉じ方があり、それでやっと完全に閉じることができるのだ。

 志乃だからこそこうしていても耐えられるのであって、いかに優秀な波導使いだって触れた瞬間にあの世行きだ。

 しかしその志乃といえど、ほかに意識を回す余裕がないほど追い詰められていたのだ。黒装竜に背後を取られても仕方がない。

「生きて、おったのか――冬道かしぎ」

 驚きの表情で問う志乃に俺は答える。

「当たり前だ。このままじゃ死んでも死にきれん」

 天剣を片手に俺は群がってくる魔獣を一掃する。空中でも――いや、空中に『門』が開いているからこそ全盛期にかなり近づいているようで、軽く振っただけでこれだ。ポーカーフェイスを維持してるが内心で冷や汗だらだらだ。

 でもまさか黒装竜が出てくるとは思わなかった。

 異世界に召喚されて初めて戦ったのも黒装竜だった。あのときは何時間もかけてしかも二人がかりでやっとだったのに、いまでは一瞬あれば十分だというのだから、俺もそれなりに成長したということか。

 負けなしだなどとおこがましいことを言うつもりはない。それはあまりにも傲慢だ。俺はひとりでは『魔王』を倒すどころか、旅の半ばで力尽きていた。これは予想でもなんでもなく事実である。還ってきてからも何度も死にかけたし、志乃との戦いに至ってはほぼ死んでいたと言っても過言ではない。

 俺なんて後ろに誰かがいてくれなければまともに戦場に立てやしないのだ。

 ……あれ、なんか鬱になってきたぞ。

「なんだそのように塞ぎおって。妾は嬉しいのだぞ? よくぞ戻ってきた」

「それ、人のこと殺しかけた奴のセリフじゃねぇだろ」

 マジで嬉しそうな顔しやがって。そんな無邪気にされたら戦いにくいだろうが。

「それはお互い様というものだろう? そちも妾を殺そうとしていながら先は我が身の安否を気遣ってくれたではないか。やはり色男は違うのう」

「お前はほくほくした顔でなに言ってんだよ」

 話している間にも志乃は『門』を閉じようとしている。本当なら口を開くだけでも辛いはずなのに、それをおくびも表に出さない彼女には敵ながら感服してしまう。

 これこそがひとりで戦うことのできる人間の一種の完成形だ。

 師匠のように一点を究極的に極めたもの。

『魔王』のように圧倒的な支配力をもつもの。

 完成形は無限に存在しているのだろう。武芸の数だけ頂の向こうがある。

 だが俺はそのどれも極めてはいまい。天剣という伝説の武器に認められたなどといっても、『魔王』を倒したといっても結局は俺自身の力ではない。狡をして、それを我が物顔で使ってきたのだ。

 そんな俺がひとりの力で志乃に勝とうとしたこと自体がすでに傲慢だ。

 けれど――。

 それでも勝たねばならない。俺を待っていてくれる人たちがいる。たとえ醜くても俺は勝ち続け、今後は負けてはならないのだ。

「よい目をしておる。まさか覚悟を決めたわけではあるまい。覚悟とは生き死にが定まらぬときにやるものだ。敗北の許されぬそちがすべきは生への執着であろう?」

「それくらいわかってるっての」

 わざわざ諭してもらうまでもない。もともと俺には覚悟なんてありはしない。

 いつだって恐怖している。どんな相手だろうと必ずしも生きて帰るなんてことはできないのだから。いままで勝つことができていたのは『勇者』の搾りカス程度でも十分すぎたポテンシャルの高さと運がよかっただけなのだ。

「それとその衣装はなんだ? 前とは違うようだが」

「あー……これはな……」

 俺もびっくりしてるところだ。なぜ意識だけが異世界にいったのかは不明だが、あらは夢ではなく紛れもない現実だった。リーンと戦ったときの想像を絶する痛みはいまも鮮明に覚えている。

 それはまず置いておくとして、俺が波動を使ったら服装が着流しに変化したのだ。

 たしかに手渡されたのだがこんなことがあるのだろうか? なにせ前例がないだけに推測しかできないのである。

「まあ服装の違いなんてどうでもいいだろ」

「妾としてはなかなか興味深いことではあるのだが、そちがそう言うのなら追求するのはやめておこうかの」

 志乃はそう言い、顔を『門』へと戻す。

 俺も背中を合わせるようにして迫る魔獣に戦意を傾ける。

「とりあえず、いまは味方って解釈でいいんだろ?」

「ならば妾も問おう。いま、そちは妾に助力してくれるのだな?」

 目線を合わせて口角を吊り上げると、お互いのやるべきことのために動き出す。

 派手に登場してしたおかげで魔獣の敵意の矛先は俺に向けられている。そのせいで後ろにいる志乃まで狙われているが、ここを通さなければいいだけのことだ。俺が来る前は志乃が派手に暴れてたみたいだし、狙われても仕方がない。

 視界を埋め尽くすほどの魔獣。相当数を減らしてこれだけ残っているのだから、もしも志乃が協力してくれていなかったときのことは想像もしたくない。この状況で志乃と戦うはめになってたら手の施しようがなかった。

 竜一氏とレンで魔獣の対処はできても『門』を閉じれるかまではわからない。

 この『門』の閉じ方というのは『勇者』を召喚する工程の一つだと姫さんから教えてもらった。となればその技術がなかったころに異世界に喚ばれ帰還した竜一氏たちは知らないことになる。

 俺も閉じ方を知ってるだけで実行に移せるわけではない。

「ああくそ……俺ってひとりじゃ本当になにもできねぇな、チクショウ」

 やっぱりあいつが隣にいてくれないとだめだ。

 向かってくる魔獣を一閃して片付ける。

「数だけの有象無象がぞろぞろと目障りだ。さっさと失せろ」

 言葉が通じるとは思えないが声に出さずにはいられない。よく志乃はこんなことを続けようと思ったものだ。

 同じことの繰り返し。死ねないための永遠にも及ぶ排除活動は、精神的に堪えるものがある。こんなことを平然と続けられるのは精神異常者か生粋の戦闘狂くらいだ。

 それが億劫になったからこんな実力行使に出たんだろうけどさ。

 背後からは敵の気配が増える兆しはない。思いのほか『門』を閉じるペースが早いようで外に抜け出せないのだろう。

『門』から無理やり這い出てこようとしている魔獣に氷柱を撃ち込んでお引き取りしてもらう。とりあえず片付けなければならない数は多いものの、これ以上増えることはないはずだ。となればあとは時間の問題だ。

 このまま面倒なのが引っ込んでくれれば、だけどな――。

 ひとまず目の前に集中する。数に比べて質が低いのは、これがまだ序盤だからではないかと俺は思う。後半になってくれば黒装竜のような上級個体が何体もおいでになる可能性は極めて高い。

 志乃が『門』を閉じるのが先か出てくるのが先か。できれば志乃に頑張ってもらいたいが、見る限りだとこれで全力のようだ。

 客観的に観察していると魔獣の行動パターンに変化が生じる。ただ突っ込んでくるだけだったのに左右から挟み込むよう二手に別れていた。この雑魚の集まりにも統率力のある個体がいたってことか。

 戦いは数が上回っている方が圧倒的に有利だ。どれだけ実力があろうと、囲まれて袋叩きにされたらたまったものではない。太刀打ちできるのなんてほんの一握りの強者だけだ。

「お困りかしら?」

「いいや。問題ない」

 幼い声に答えて天剣を構え直す。敵に囲まれるなんてことは当たり前だった。それを天剣だけで乗りきらなくてはならなかったのだ。この程度で弱音なんて吐いていられない。

「――けど、手ェ貸してくれるか?」

 にっと八重歯を見せたレンのトンファーブレードから極大の雷が放射される。近くにいるだけで水分が飛ばされるほどに跳ね上がった熱が刀身に凝集され、味方であるはずの俺まで巻き込まんとする勢いだ。

『雷天』に選ばれたレンが仲間を巻き添えにするなどという初歩的なミスをするとは思えないが、いまいち信用に欠ける。なにせあの性格だ。もしかしたらということがあるかもしれない。

 そもそもレン共闘意識があるかが疑わしい。仲間に背中を預けていることを前提としているなら、被害を与える力の解放はタブーだと理解しているはずなのだ。けれどレンはそれを気にした様子はない。

 しかし自分勝手にしているというわけではない。信頼しているからこそ、このくらいになら並び立てると信じて疑わないからこそに思える。

 つまりレンがこのように振る舞うのは俺のことを認めてくれているからであり、共に戦うことを許可してくれたということでもあるのだ。ならばそれに応えないわけにはいかない。

「――っ!!」

 短く吐き出した気合いの息と同時に右足を蹴り出す。前傾の姿勢のまま魔獣の合間を縫って滑空しながら、手首を捻って天剣を突き上げた。刀身から伝達される刃が肉に食い込んでいく感触を意識の外に追い出すと、一気に腕を振り抜く。振り抜いた勢いを削ぐことなく天剣に上乗せし、次の攻撃へと繋ぐ。

 斬り捨てたいずれかの魔獣に硬化した皮膚を持っていたものがいたのか、甲高い音を立ててわずかに押し返された。その瞬間、鈍色の刃が喉元に飛び込んでくる。

 魔獣とは群れを作りこそするが統率のとれる生物ではない。統率力があるのは上級個体からが主でそれ以下ではごく少数だ。千単位、もしかしたら万単位で召喚されたのだから、それが複数いてもおかしくはない。

 だがタイミングがぴったりすぎる。数がいるのだから偶然ということもあるが、こうまで的確に狙いすませるものなのか? どちらにせよやることは同じだ。

 伸びきった腕を強引に引き戻し、素早く柄を逆手に持ちかえ、体ごと回転させてその刃を両断する。尻尾の先に取り付けられた鎌に似た刃。それが浮遊落下を始める前に掴み、胸の中心に突き立てた。深々と突き刺さった刃の具合で生死は確認するまでもない。

 靴底を平たい切断面に押しつけ、跳んだ勢いで体勢を立て直す。右手の天剣を水平に構え、左手の掌で刀身を支える。

氷型こおりがた

 振り払った軌道に沿って氷の剣が何本も形成される。

「――ふせ連弾」

 遠距離専門の術師と違って剣士は敵と近接して戦うのが常となる。刃を主軸とした武器を使うのだから当たり前だ。

 そうなると詠唱する余裕はなく、あったとしても格下の相手になる。対人ならそれでいいかもしれないが、魔獣が相手ならそうもいかない。格下といえど魔獣なのだ。武器だけで生き延びるのは至難と言える。だから先人たちは無詠唱でも威力のある術を生み出そうとした。

 それが『伏』だ。敵に見つからないように伏せて展開する術式。もちろん正式な手順を踏んで発動されたものに比べれば威力はないに等しい。代わりに扱いに慣れてしまえば多様できるのが『伏』だ。

 反動で波動があっという間に尽きる欠点があったが、いまなら使える。

 無尽蔵に波動が湧き出てくるこの感じなら――!

 ぞわりと悪寒が走る。魔獣ではない。心臓を鷲掴みにされたような、底知れない恐怖に束縛されたような感覚。調子に乗るなと警告とばかりに現れたそれを振り払うようにして氷の剣を放つ。

『きゃっほー! なんかワケわかんないとこキター!!』

 そんな声と共に脇を光条が通りすぎていく。女にしては低めだ。なんとか視界に納めた後ろ姿は人間を形取っていることから、それが魔獣でないことだけはわかった。

 冷気と暴風を相席させ脇を駆け抜けたそいつは、魔獣を悉く撃ち落としていく。貫通し、爆散させ、消滅させていく様は俺たちと同じ目的というより、ただ行き先にいるからやっているだけに見えた。

 そうやって傍観していると、不意に進行方向を変えてきた。放物線を描いていた光条は直角に折れ曲がり、真正面から襲ってくる。

 正体の不確かなものに正面からぶつかりたくないのが本音だが、もう避けている余裕はない。

 正眼に置いた天剣を振り下ろす。鍔迫り合いになった途端に全身へと襲いかかった威圧感に気圧され汗が噴き出してくる。汗は天秤にかけられた衝撃によって蒸発し、あるのは腕にのし掛かる重圧のみだ。

「――また会えたね、オリジナル」

 囁かれた言葉をちぎる一閃をそいつに見舞う。――違う、タイミングをずらしてわざと打たされただけだ。場所を入れ換えるようにしてすれ違い、それに合わせて天剣を凪ぎ払うも、呆気なく回避される。

 慌てて振り返るが、すでにそいつは視界のどこにもいなかった。

「な、なんだったんだ?」

 どこかで聞いたことのある声だった気がする。でもどこで聞いたんだ? 思い出そうとすると、それを拒むかのごとく頭痛がしてくる。これは思い出すなということなのかもしれん。

 すっかり緊張感を欠かせれた気持ちを引き締めるように天剣を握り直す。

「なにいまの、あんたの知り合い?」

 サイズが縮み、戦いの勘を掴めていないらしいレンは肩で息を切らせながら言う。

 リーチも距離感も普通なら当たり前に把握しているものだが、こっちに来て前触れもなく縮んだのだ。まともに戦うことすら困難なはずなのに、さすがは『雷天』だ。

「そのはずなんだけど思い出せないんだよな」

「ま、敵だとしても潰せばいいだけだし、そうじゃないならほっとけばいいわ」

 両手のトンファーブレードを鳴らして大きく息をつき、気怠そうに脱力する。

「いい加減飽きてきたわ。ちょっとキツくなってきたし」

 俺たち二人がかりで魔獣の殲滅を行っているが、志乃がやってたのも換算すると大分減ってきているとは思う。目算で見てもかなりの撃破率を誇っているが、まだ数百体は生存しているのだ体力の都合を考えればこれ以上の戦闘を続行するのは負荷が大きすぎる。

 レンはノアでもあり、ノアはレンでもあるのだ。連動して体力の限界値は低くなっている。『雷天』の波導はほかと引けをとらないほどだが、基礎的なパラメータがあってこそだ。俺と同様ステータスをほぼ初期化されたレンには波動はあっても、それを支えられるだけものがないのである。

 こんがりと小麦色に焼けた肌に浮かぶ大粒の汗が顎を伝って滴り落ちていく。思えば勝ち気な性格の彼女が弱音をこぼした時点で、言葉以上に限界を迎えているのだ。

 大規模な殲滅戦では複数人の『八天』かそれに準じたものが投入され、頃合いを見計らって交代で行うのがセオリーだ。殲滅戦の場合は敗北が許されないため、安全マージンを取るのである。

『八天』ともなれば大抵は一人で片がつくが、複数人というのがポイントだ。

 いざというときに控えがいなければ危険を招きかねない。だから武器を手にするにしても自分のペースで戦えるわけだから、さほど消耗を実感できないのだ。それでもめったに交代することはない。大抵が面倒だからと押し付けあい、最終的にはクジで決めることもあるほどだ。おそらくレンも例外ではなかっただろう。

 ツケが回ってきた、と言えばそれまでだ。民を守るための戦いを、機械的な作業として行ってきたのだから。

 しかしどうなのだろう。機械的だろうとなんだろうと、民を守ったきたのは紛れもない事実だ。それに文句を言われる謂れはないはずなのだ。

「デッカイのでぶっ飛ばしてやろうかしら。うん、そうしましょうか」

「無理すんなって。あとは俺がなんとかするからさ」

「バーカ、あんたこそ無理するんじゃないわよ。こんな雑魚退治が本番じゃないんでしょ?」

 くいっと顎で指した先には志乃がいる。

 そうだ、魔獣を殲滅させることが俺の目的ではない。

 いまは協力してくれている志乃を倒すことことが――彼女を阻止することが俺の成すべきことなのだ。たかだか魔獣ごときに無駄な余力を割けるほど、すんなりやらせてはくれまい。

 だから無駄なこと・・・・・はしない――。

「だな。そろそろいけそうだし、これで終幕だ」

「いけそうって……ああ、もしかしてシルヴィの?」

 返事は言葉ではなく構えで済ませる。

 レヴァンティン秘伝奥義――鼠花火

 刃の形のまま斬撃破が周囲に撒き散らされる。本来は炎系統で放たれる斬撃破が獲物を喰らうまでどこまでも追い続ける魔の手となるのだが、何度も言ってきたようにこれは炎剣技を自分用にアレンジしたものだ。氷系統で射出された斬撃破は、獲物を喰らっても止まることをせず、いつまでも巻き込み続ける。

 根が水を吸い上げて地面に網を広げるのと同じく、獲物を取り込み続ける斬撃破はみる間に幻想的な空間を作り上げていく。

 逃げようと悪足掻きでしかない。行き着く先にはなにもないのだから。

 巨大な氷華が花びらを開く。

「フィナーレ――だな」

 天剣を花びらを叩く。入った皹は瞬く間に氷華全体へと伸びていき、海に降り注ぐ氷の欠片となって決壊した。

 黒の染みはきれいに洗い落とされ、本来の青空が顔を現す。

「イッツ・ア・ワンダフォー。シルヴィの物真似にしてはやるじゃない」

「物真似って言うな。本人から教えてもらったんだから使う権利はあるだろ」

 といってもアレンジしないといけなかったわけで、正確に言えば原型を模しただけの物真似なのだが、気にしないでおこう。

「でもなんでシルヴィはあんたに教えたのかしら? あんたが炎系統を使えないってわかってたはずなんでしょ?」

「うーん……そればっかりは師匠に訊いてみないとなぁ」

 師匠に弟子入りすることになった際に俺は自身のことを包み隠さず話した。使える系統は前提として、異世界からやってきたことまでだ。

 最初は剣術だけを指南してくれていたが、ある日突然、炎剣技を伝授してくれるようになったのだ。当時はまだ『伏』も覚えておらず、敵を倒すのに長い時間をかけて誘導し、あるいは怯ませてから波導で最後を飾らなければならなかった俺にとって、剣による必殺を獲得できるチャンスは喉から手が出るほど欲しいものだった。

 そのため深く考えないで飛び付いてしまったが、なんで師匠は俺に違う属性の極みである炎剣技を伝授してくれたのだろうか。

 結果的に氷系統で構築することで似たような技に仕上がったものの、これならわざわざ炎剣技でなくてもよかった気がする。

「そういえば竜一氏はどうしたんだ?」

「下にいるわよ。なんでも専門家として専門の対処をしないといけないとか言ってたけど、たぶんほかの奴らのとこに行ったんじゃない? たしかシノノメ、とかいう奴のとこだったはず」

「東雲さんも来てんのかよ……」

 そういう大事なことはちゃんと言ってもらいたいものだ。奴らってことは東雲さんのほかにも何人か来てるみたいだけど、それなりに実力のあるメンバーだろうし、竜一氏が助けに行ってくれたのだから心配はない。

 こんな低級な魔獣ごとき、竜一氏なら下手を打っても間違いは起こらないだろう。

 ひといきつきたいがまだ早い。『門』が閉じるまでは――閉じてからも気の休まるときはないのだ。

『門』が魔界に繋がってるのは明白だ。すべての魔獣の原点である場所とリンクしてしまったいるのだから、上級個体よりさらに上が顕現したとして不思議はない。知性を有するそいつらは『門』の安全性を確認し終えたころだろう。来るとしたらそろそろだ。

 そんな俺の思考を読んだようなタイミングで『門』が無理やり抉じ開けられた。隙間からほっそりとした長い指が『門』の外枠を破壊したのだ。瘴気が空気に紛れ込み、喉の奥で嫌な感じが粘りついている。

「これまた随分いやーな感じね。まだ指しか見えてないってのにさ」

 行き場のない漏れだした殺気だけで空間が歪み、震えている。わかりやすくこれまでと一線を画した殺気に、俺たちの口数はさらに少なくなった。

 気を抜けないのだ。言葉を紡いで集中力を欠片ほども途切れさせようものなら、二度とお天道様を拝めなくなってしまうような――言い表せないほどの存在が『門』の向こう側からやってくる。

 俺のいまの状態は限りなく『勇者』だったころに迫っている。ある程度までなら強引に無理な体勢から斬撃を見舞うことも可能だ。できることなら避けたいところではあるが、レンの限界の底も見え始めている。正念場であるこの戦闘こそレンを主体で進めたい――が。

 気配からして特異点クラスなのはほぼ確定だ。いまのレンにそれを相手にしろ、というのは死ねと言うのと同義だ。余力を温存しておきたいなどと言ってる場合ではない。まずこのときを生き延びる方が先決だ。

 ――来る――っ!

 反射的にレンの前に出た俺は天剣を全力で振り上げていた。目の前で火花が弾ける。少しでも根負けしたら押しきられる。腹の底から吐き出された雄叫びと共に腕を振り抜いた。なにかが頭上を越えて反対側に落ちていく。

 受け流しきれず刀身から浸透してきた衝撃は、それだけで肘から先の感覚を一時的に喪失させた。痛覚どころか、触覚さえ失わせるほどの一撃を生身で受けていたなら人溜まりもなかった。

 それに片手だったことが幸いした。当たり前すぎて忘れがちだが、触覚は人間にとって重要な基盤を担っている。触れて感覚を電気信号として脳へ伝え、そこからどう行動するか命令する仕組みなのだ。それが機能しなくなれば視覚で確認しなければならなくなる。戦闘のなかで一瞬でも敵から目を離すのは命取りだ。

 天剣を左手に持ちかえる。感覚のない右手で剣を振り回そうものなら、握りが甘くてすっぽ抜けるなんてこともありえる。それはあまりにも致命的だ。

 半分ほど振り返ったところで、意識を強制的に加速させた。――否、せざるを得なかった。黒い布切れに身を包んだそいつがすでに体勢を立て直して切り返し、レンの背中を穿とうとしていたのだ。

『八天』とはあくまでも属性を極め、指標とされるべき武芸者に与えられる単なる称号だ。言ってしまえばそんなものは飾りでしかない。怪我だってするし、心臓を貫かれたら生命活動を維持するのは限りなく不可能に近い・・・・・・・・・・。もちろん普通なら即死だが、『八天』とのならば各々の方法で延命するすべを持ち合わせているものだ。

 レンも一つくらいはあるだろう。――しかしだ。

 いまのレン・クウェンサーは『雷天』の称号はあっても『雷天』たる肉体には至っていない。成長と共に蓄積されてきた『雷天』であるための経験値は全てリセットされているのだ。

 現状レンは力をかなりキープしている。もうひとつの人格であるノアは雷槍を立て続けに放っていたが、加減ができなかったためだろう。あのまま力比べを続けていたら、下手をすれば生死に関わっていた。それがわかっているレンは大技を連発せず、少量でも威力の発揮する武器への属性付加を選択したのだ。

 つまりいまのレンは満足に力を振るえないばかりか、『雷天』式の延命術に耐えきることさえできないのだ。

 風穴を開けられようものなら、そのあとは考えるまでもない。

 瞬時にそこに至った俺はレンを押し退け、布切れの横っ腹にあたる部位に回し蹴りを叩き込む。体幹から衝撃が通り抜ける前に感覚のない右手の掌底を打ち込み、擬似的な挟み撃ちを再現した。なにかが砕ける鈍い音を耳にしながら、うち上がった布切れに追い打ちをかける。がら空きになった真下から天剣を振り上げ、その体躯を両断する――はずだった。

 そう、はずだったのだ。思わず我が目を疑った。反応が追いつかない――追いついたとしても対応できないほどの速度で天剣を振り抜いたのだ。腕全体でそうしたのだから、切っ先は見切る見切らないの範疇を越えている。だというのに、剣は予測した斬線の始点で受け止められている。蹴れば折れてしまいそうなほどのか細い指でだ。

 手抜きはしていない。紛れもなく全力の一閃だった。

 しかしそれを受け止められた。ダメージをものともせず、致命傷になりえる一撃だけを正確に。

 ――そして、ここまでが加速の限界だった。

 ゆっくりと流れていた時間がもとに戻る。いち早く空気の変化を察したレンはトンファーブレードから紫電を撒き散らすと、有無を言わせない一閃を黒い布切れに送る。体勢を寸分も崩さないまま後方に飛ばれ、それは空振りで終わった。

「こいつは厄介ね。というか、まだしぶとく生きてたんだ。ほんとーに執念深いわ」

「あいつのこと、知ってるのか」

「ええそりゃあもう嫌ってほどにね」

 瞳の奥に爛々とたぎっているのは憎悪の炎だった。存在から否定したいものが目の前にいて、それが我慢ならない。彼女からは、そんな印象を受けた。

「レンたちの時代の魔界の統治者――魔王ってやつね。そしてあの戦争の引き金になった災厄の存在よ」


     ◇◆◇



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