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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第七章〈勇者の最後〉編
91/132

7―(3)「背水の陣③」

 

「――邪魔だ」

 意識が、凍った。

 そうとしか思えないほど、彼らはそれに見入るしかなかった。

 取り囲んでいた異形の化物が一瞬で土へと帰したのだ。

 白髪が風になびく。まるで陽炎だ。周りの空間が流れる髪に会わせて歪んで揺れている。粉のような血液が頭上から降り注ぎ、風に乗って散っていった。

 からん、と鈴に似たゲタの音が脳髄を刺激する。ようやく目の前で起こった現象を理解しようと脳が回転を始めた。

 いかに異常なことだろうと、それをやってのけるだけの存在がある。

 白髪の着物の女は衣擦れの音を立てながら近づいてくる。最初に出会ったときとはひどく気配が薄くなっているが、威圧は禍々しく渦巻いている。触れるだけで呑まれてしまいそうな雰囲気に意識が遠退いていく。

 一難去ってまた一難――いや、ここに来てから難が去ったことなどない。常に晒され続ける命の灯火の危機に、感覚が麻痺してしまっていた。

「蝿がちょろちょろと動き回りおって。目障りだ」

 憔悴しきった志乃は、乱れた着物の裾を直しながら言う。

 おそらく彼女は自分がどれだけのことをしでかしたのかわかっていない。この魔獣を強制召喚したことも、その魔獣を難なく屠ったことも言葉の通り邪魔だからやっただけに過ぎないのだ。

「智香、この醜い蝿はなんだ? 妾が気を失っている間になにがあったのかのう?」

 友達にでも話しかけるような気軽さに智香は正気を疑った。

 さっきまでお互いに殺し合いをしていた。なのにどうして平気で声をかけられる。志乃にとっては殺すべき対象も仲間も等しいとでも言うのだろうか。

 初めて志乃と出会ったときとは印象が違いすぎる。芯の通った女性だと思っていたし、少なくとも家族や仲間を蔑ろにするようには見えなかった。

 でもそれは思い過ごしだったのか。彼女と過ごした時は紛い物だったのか。

「ぼんやりとしてどうしたのかのう、智香?」

 すぐ目の前に志乃がいて、智香は反射的に後ずさる。

 お互いの距離は目算で十メートルはあったはず。それを反応させることなく埋めたのである。超能力なしの純粋な身体能力でだ。驚くなとは無理な注文だ。

「む、なんだその反応は。妾とてそのように拒絶されると傷つくぞ」

「はい?」

 志乃の態度に智香は毒気が抜かれる。拒絶もなにもさっきまで殺しあっていたわけで、それに比べれば大したことではないはずだ。

 わずかに頬を膨らませて拗ねるその姿からは、とても五百年を生きてきたとは思えなかった。

「そちらも警戒せんでもよい。いまのところ、そちらをどうにかするつもりはない」

 武器を下ろすことができない。そう言われても信用するほど素直ではないのだ。友好的に接しているが、油断したところでやられては元も子もない。

「大丈夫よ二人とも。志乃は嘘を言っていない」

「でも……」

 御神は志乃へ視線を注ぐ。たしかに敵意は感じられないが、それは敵として見られていないからとも考えられる。

 そもそも信用に値する要素がなにもない。この島にやってきたのだって志乃を倒すためである。予期せぬ事態に陥ったからとて目的が変わるわけではない。どうあったって御神は、志乃を信用してはならないのである。

 疑念の眼差しを正面から受けても、志乃はなにも言おうとしない。それはすなわち御神が正しい判断をしているからではないのか。

 志乃が唐突に口を開く。

「九重よ、右眼の調子はどうかのう?」

 言われて九重は右眼の痛みが引いていることに気づいた。

 志乃は改めて御神に向き直る。

「これでわかったであろう? そちらに敵意を抱いているならば九重のモノとなった右眼が疼くはずだからのう。それでも信用できぬならそれでもよい。妾が知りたいのはなにが起こっているかだけだ」

「……わかりました」

「うむ。それで智香、これはなにかのう?」

 志乃より向けられた言葉に、智香は簡単に状況の説明をする。

 聞かされたことに志乃は唸ることしかできなかった。

 九重にやられたとき、自分のなかから沸き上がってくるものがあった。超能力とは別の異能。いつの間にか住み着いていたそれが暴発してこの事態を招いたという。

 詳しいことは智香にもわからないらしいが、細部を求めてところで認識を改めることはないだろう。目障りな蝿が彷徨いている。魔獣などそれだけでしかない。

 しかし小さきも群を成せば脅威となる。単体ではさほど戦力にならずとも、徒党を組まれると厄介だ。体格や身体能力の差が攻撃力に直結する。当然ながら人間以外との戦闘経験がないのだから、必然的に動きが雑になってくる。普段より機動力を求められる以上、些細なミスも致命的だ。

 ただ志乃は不死だ。肉を切らせて骨を断つ捨て身の特攻もやれなくもない。

 だが終わりがないというのは精神的に影響を及ぼす。

 志乃に、ではなく、志乃以外にだ

 すべての魔獣を一度に相手取るのは難しいだろう。打ち洩らした何体かは彼らに任せるしかない。そうなると負の連鎖が始まる。

 志乃は深い息を吐き出し、全身を巡るパイプに水を流し込む。

「目障りな蝿は落とすまで。あれらをのさばらせておくのは癪に触るでのう」

 凄惨に笑む志乃の背後から波動が放たれる。それが右の掌に凝縮していき、頭部ほどの大きさとなった。

「ちょ、ちょっと待って志乃! まさかそれを投げるつもり!?」

「そうだが、それがどうかしたのかのう?」

 振りかぶり、いままさに投擲しようとしていた志乃は、智香の慌てぶりに不思議そうに首を傾げた。

「さっきも言ったでしょ。あれは志乃のその力のせいで開いたって。なのにまたそれを使ったら、今度こそなにが起こるかわかったものじゃない」

 たしかにそうかもしれない。穴が浸食する速度はそれほどではないが、これが引き金に速まってしまうこともあり得る。安易に手を出すべきではないだろう。

 五指を閉じて球体を握り潰す。

 別段、波動がなくて困ることはない。やり方は他にいくらだってある。

「……なんでアンタは、俺たちを助けるようなことしてんだ?」

 不意に投げられた疑問に志乃は嘲笑する。

「妾がそちらを助けているだと? 面白いことを言うではないか、九重よ。妾が蝿を処分しようとしているのは単に目障りだからだ。そちらを助けるつもりなど欠片もないわ」

「ならどうして戦ってくれるの?」

「決まっておろう。能力者以外の人間を害虫から守るためだ」

 本格的に志乃のことがわからなくなってきた。言い方からすれば志乃の狙いは能力者だけ。そのほかの無関係な人間には絶対に手を出さないと言っているようなものだ。

『組織』の統計によれば能力者の総数は全人口の一パーセントに達すかどうかだ。そのすべてをこの世から消すのであれば、どちらにしろ一般人にも多大な影響を与えることとなるだろう。

 さらに言えばいまは発現していなくとも、いつか能力に目覚める人間だってきっと現れる。必ずしも先天的に発生するわけではないのだ。

 例えば秋蝉かなで。彼女はなんの前触れもなく、突発的に能力を身につけた。

 例えば九十九東雲。彼女は能力には性格が関係していると知り、自分を変えることで後付けを施した。

 いま能力者を葬り去ったとしても、このようにいくらでも増えていく。

 志乃の祈願を成就させるためにはやはりすべての人間を殺してしまうほか、方法はありはしないだろう。

「志乃……」

「どうした智香よ。妾が死ねば生き永らえることができるというのに、なぜそのように心配そうな表情をしているのかのう?」

 背中に手を回して抱き締めながら、志乃は囁く。

「案ずるな。おそらくそちらを殺す前に――妾が滅ぶはずだ」

 言葉の真意を確かめようと口を開こうとするが、それよりも早く志乃が空気に溶けていった。ふわりと優しく撫でていった風からは寂しさが伝わってくる。

 おもえば本当に殺意を伴った攻撃を仕掛けていたならば九重や御神はもとより、智香だって屍と成り果てていたはずだ。

 いや、それ以前に『式神化』を解いてしまえばそれまでである。『陰陽師』の式神の触媒は生身の死体だ。能力者を基準とした強さを有するのが利点であるが、欠点でもある。式神が反抗してくる可能性があるからだ。同等の強さで戦い、確実に屈伏させられるとは限らない。だからこそ『式神化』の解除が可能なのだ。

 智香もそれを覚悟の上で志乃と対峙することにした。決して短くない時間を過ごした家族を止めたかったから。

 志乃を姉のように慕う双子と道化師。彼らだって同じだ。だからそれを代表して自分が犠牲になろうと決めたのだ。

 なのに志乃は『式神化』を解くことはしなかった。

 それは何故か――思い当たる答えは、一つしかなかった。

「志乃――!」

 彼女が本当にそれを欲しているなら、自分たちのやってきたことはなんだった。

『九十九』の能力者をわざと・・・駆り立て、『吸血鬼』の眷属を率いて志乃という脅威を煽り、柊詩織と九十九一葉を拉致して救出にくる勇敢なるものを誘き寄せたのはいったいなんだったのか。

 これらは、ただ一つの結末へと導くための布石だったというのか。

 智香はその場に崩れ落ちる。

 志乃は最初から能力者を全滅させるつもりなどなかった。

 彼女の真の目的は――


 黒い染みの真っ只中に飛び込んだ志乃はまず、手近にいた魔獣の首と胴体を無造作にちぎって生命活動を停止させた。噴き出す鮮血に、こやつらの血も赤いのか、などと場違いな感想を思い浮かべている間にも、次の標的を沈黙させていた。

 能力で派手にやるまでもない。たかが腕力で死する相手に異能を行使するなどばかばかしいにもほどがある。これなら彼らと戦っていた方がよっぽど有意義だった。

 ただでかいだけの化物に技術はない。力で押しきるだけなら志乃に通用しない。

 智香たちはずいぶん苦戦していたようだが、志乃ほどになると理不尽だけでなにもかもを覆すことができる。それこそ自分と同じ理不尽をもった存在がいなければ、阻むものはないほどに。

 そして志乃が求めたのはまさにそれだった。

 六年前と今回と。

 しかし志乃は自身が思うよりも強大になりすぎていた。悠久と思えるほどの時間を生かされ続けた彼女は、異界の力でさえ跳ね返してしまうほどに。

 そのせいで招いてしまった絶体絶命のこの事態。どうせこれからも同じことの繰り返しをしていくことになるのだから、それが化物退治になったところでいつか馴れてしまうことだろう。

 それでもしばらくはいい。けれどそれが当たり前になってしまったら?

「……それは、つまらんのう」

 手刀が次々に魔獣を屠っていく。魔獣はようやく志乃に仲間がやられていることに気づいたのか、威嚇の咆哮を浴びせてくる。

「――黙れ」

 周りを取り囲んでいた魔獣が風船にように破裂する。やったのは手を添えるだけ。体内に加えた衝撃の逃げ場を塞いだのだ。

 ほんのわずか間を置き、再び魔獣が押し寄せてくる。

 言葉にならない虚しさを抱え、志乃も動き出す、敵意の伴わない殺しは単なる殺戮だ。害虫の駆除となんら変わらない。どれだけ倒しても、満たされない。

 飛び交う魔獣から魔獣へと移り、機械的に手刀を振り抜いていく。

 魔獣の破片が宙を舞う。目障りなそれらを一喝して吹き飛ばす。

 こうして数に換算すれば少なく見積もっても三桁は越えたかくらいに差し掛かっているが、目に見える範囲では変化した様子はない。いくらでも兵隊を召喚する穴は迎撃率がほぼ百パーセントである志乃が参加したところで、絶望をいくらでも振り撒いてくる。さらに無敵に近い志乃がいてもこの有り様ということに、地上で戦うものたちの戦意を削ぎ落としているかもしれない。

 迎撃率がほぼ百パーセントでも完璧ではない。残るコンマ以下に位置する魔獣は地上で、あるいは空で活動していることを意味している。それだけでさえ無視できない数だ。

 自分が完璧主義者とは思っていない。むしろ大雑把だと自負している。多少のズレであれば無理やりねじ曲げることで元の道に正すのは造作もないことだ。

 だがそれではだめだ。大雑把に、言い換えればでたらめに振る舞えるのはあとに控えているものだけで十分だったからだ。

 あとがない。志乃がこれ以上がないほどに慎重にならなければならないのだ。

「骨が折れるな」

 ひとたび攻撃の手を休めれば噛みついてくる犬の躾は面倒だ。だから大元を壊すことにした。

 魔獣を吐き出し続ける穴を塞ぐ。それが現時点においてもっとも最良だ。どうやったら塞げるのかは検討もつかないが、やれる方法を試すくらいは問題はない。

 志乃が消えた――そう錯覚させるほどの速度を越えた速度で穴を目指す。魔獣は余波で近づくことさえままならず、無様に死体を海に沈めていく。

「…………」

 穴にたどり着く手前で志乃は停止する。瑠璃色の双眸は暗闇の奥にいる不気味に蠢くものを捉えていた。

 これまでとは威圧が桁違いだ。並の能力者なら感じとることさえできず、強力な能力者であれば卒倒していてもおかしくないほどだ。『勇者』や『死降』でも怯むくらいはしたかもしれない。

 青色に光る無数の目玉が暗闇に宿る。一つが二つに、二つが四つに―― 堰を切ったように増殖する目玉は瞬く間に一個の塊となった。それが無数にいる魔獣ならばこれまでと同じように潰せばいい。しかしそうでないことは明白だ。

 そして――。

 姿を現す。影のようなと比喩するより、そのものと表現した方が適切だろうと思われる巨大な腕が穴から這いずり出てくる。空に刻まれた亀裂を無理やり抉じ開け、全身を顕界させた。

 全身に縫い付けられた青色の目玉はぎょろぎょろと別々の方向に動き、大木ほどに発達した腕に比例して脚部も異様なまでに発達している。背中から伸びる細い触手は同胞であるはずの魔獣を捕まえ、捕食していた。

「これはまた薄気味悪いのが出てきたのう」

 のんきに構える志乃に触手が飛んでくる。生理的に受け入れられないためおもわず眉をしかめ、無色の柱を上下から挟み込み押し潰す。

 雷撃砲を右腕に招来させる。地鳴りのように唸りながら雷が充填されていく。それは近寄る寄らずに関わらず魔獣を灰へと還し、その灰を食らってさらに強大なものとなっていく。砲の先端が竜の口となって差し向けられる。

 紛うことなき地獄への片道券だ。まともに対抗しようものならそれだけで力ついても不思議ではないほどの威力があり、九重の右眼――元を辿れば志乃の眼球があったからこそようやく回避できたほどの代物だ。対人戦ならこれを見せただけで大抵は腰を抜かすか尻尾を巻いて逃げるか、命乞いをするだろう。九重たちは退けない状況にあったからだが、そうでなかったならば凌げるか定かではないことに賭るわけがなかった。

 しかし奴らはなんの反応も示さない。まるで感情が宿っていないような、己の価値をわかっていないような感じだ。

 薄気味悪い。

 常軌を逸している彼女もこの世界で人格を形成してきた。持ち合わせている価値観には若干の違いがあれど、万人とそうズレているわけではない。ゆえに異界の価値観は理解しがたかった。

「滅べ」

 放たれる。

 出番を待ち望んでいた雷撃砲より撃たれた光条は雲を突き抜け、魔獣の表皮を食い破る。込められた熱量に耐えたのはほんの一瞬。融解と蒸発が瞬時に行われ、体面に風穴を作った。

 光条はそれでもなお減衰することなく、穴から現れんとする雑兵を蹴散らす。

 まだ終わらない。

 再生を始める魔獣へと接近すると爪先を突き刺した。それだけで体の一部が消滅したが、打ち込まれた衝撃は体内で生きている。外へ突き抜ける衝撃を逃がすまいと出口へと先回りし、さらなる衝撃を上乗せして押し戻す。

 骨格のない軟体動物であるような体を叩くごとに、それが変形していくのが拳や爪先を通じて伝わってくる。再生は不可能だと判断した細胞が残った部分で再構成しようとしているからだろうか。だとするならそれより早く消滅させればいいだけだ。

 体内を行き交う衝撃を増やす。志乃も速度を上げる。

 もはや肉眼では補足できない速度に到達し、端から見れば魔獣が自壊しているかのようだ。

 再生も再構成も間に合わない。いや、超越者を相手にして瞬殺されず回復を間に合わせようとしているのを誉めるべきだろう。数秒とはいえ志乃を集中させることができたのだから。

「思わせ振りな登場をしておいて、この様かの?」

 人間の等身大サイズとなった魔獣の頭上に姿を現す。

 足を振り上げる。股関節の付け根から爪先までが斧だとしたら踵は刃だ。

 下ろされた斧は魔獣の頭部をあっさりと消し飛ばし、脱け殻だけが空を踊る。

「期待はずれだ」

 黒い影は跡形もなくなった――違う。

 なくならない。

 これらが本当になくなるのは、複雑に絡み合った螺旋状の物語の紐解きが終わったときだ。終わりの見えないこの世界で、彼女は舞う。

 未来に自分の姿がないことを望みながら――。


     ◇◆◇


 コンマ以下に在する魔獣が空だけにいるのかと訊かれれば、否と答えるべきだ。穴から降り立った魔獣に必ずしも飛行能力が備わっているわけではない。放り出される形で召喚されて島に落下し、活動している個体もいる。

 また、飛行能力があるが地上に餌を求めてやってくる場合もある。グリフォンなどがまさにそれだ。下級に指定された魔獣は、持っている能力が強大でも発揮しきれないのがほとんどである。だから人間を襲ったり食物を強奪したりするのだ。

 中級より上位の個体になると知性と力の制御を覚えてくる。人間を襲ったりしなくとも、自らにとって栄養価や量の多い魔獣を食らうようになってくる。さらに知性が備わったことで、無駄な戦いを避けるようになるのだ。とはいえ魔獣も人間と同様に個体差がある。好戦的な性格をしている魔獣は誰彼構わず襲うので厄介だ。

 そして上級個体。これらは知性と力の制御のほかに知性まで持ち合わせている。どうすれば効果的にダメージを与えることができるのか、こいつに効果的なのはこれだろうなど、人間のような思考をするのだ。戦って勝てないと悟れば気配を消したり、気づかれる前に逃げたりし生き延びてきた猛者というわけだ。

 戦うなら最低でも軍隊の一つや二つは壊滅するのを覚悟せねばなるまい。単身で勝負を挑むなど自殺行為でしかない。やるとするなら『八天』やそれに近い実力が求められる。

 そしてその感覚はあくまで魔獣間で培われていたものだ。人間を矮小な存在としてしか認識していないのだから、結局どの個体も同じだ。 警戒するのは人間にも脅威を抱くようになる魔獣だけでいい。

 そうすると今回の殲滅戦は数の異常さを除けば比較的楽な方だった。

「――雷姫らいきよ、凍てつく息吹と贋作の鉄槌を!」

 小さな雷の化身が嘶く轟音と共に一直線に駆け抜けていく。

 ハイビスカスの髪飾りに健康的に焼けた肌。活発そうな顔立ちに添えられた勝ち気な笑みは、魔獣の死骸が背景でなければさぞかし映えたことだろう。

 両手にあるトンファーブレードを振って熱を払うと、八重歯を剥き出しにする。

「こんなもんじゃないでしょ? もっとレンを楽しませなさい!」

 異世界から迷い混んだ少女――レンはこう見えても『八天』の一人に数えられたことのある波導使いだ。

『雷天』として崇められていたころの美貌は隠れてしまったが、実力まで陰るわけではない。最強の一角を担うものとして存分に力を発揮するのは当然だ。

「おいレン、楽しんでる場合じゃねぇだろうが。キリキリ働け」

 低い気怠そうな声にレンは渋面を作る。

「リュウイチのくせに偉そうにしないでよ。久しぶりなんだから少しくらい楽しんだって誰も怒ったりしないわよ」

「おれが怒るっつってんだよ」

 竜一はレンの楽観的すぎる考えに頭が痛くなってくる。付き合いは長くこういうのには慣れたつもりだったが、久しぶりに共闘すると全然治っていないのだと思い知らされた。

 いちいち注意していたら戦闘中はずっと言ってなければならないので、一回で聞かないならサポートに重点を置くことにしている。もちろん危険が迫れば前にでなければならないが、レンはこれでも『雷天』だ。そう滅多なことは起こらない。

「つーかよくこんなときに楽しめるもんだな」

「まぁね。レンにしてみればチキュウが魔獣共に貪られたって関係ないから」

 レンの活動範囲は基本的にこの島だけだ。誰が言ったわけではないがレンは島から出ようとせずに、ひっそりと暮らしている。とはいえ、それは『レン』がというだけだ。普段こちらでの肉体の所有権は『ノア』という地球にやってきたときに形成された人格にある。

 ノアは竜一の世話になりながら小学校に通っている。夏休みを利用してこの島に遊びに来たところ、これに巻き込まれたのだ。

 とにかく、行動が制限されているなら地球がどうなったところでそれが改善されるわけではない。食料についてのちに考えることになるだろうが、それはなったときに考えればいいことだ。

 第一にレンはいつまでもこっちの世界にいるつもりはない。一日でも早く元いた世界に帰りたいのだ。

 レンには地球を守る気持ちも理念も持ち合わせていない。

 けれど――、

「できるもんなら、やってみろって」

 自分がいる前で下等生物がのさばっているのを黙って静観しているつもりはない。少なからず思い入れのある島を荒らされて頭にきているのだ。

 数が多かろうとそれこそ関係ない。

 立ち向かってくるなら容赦なく叩き潰すだけだ。

「素直になりゃいいんじゃねぇの?」

「レンはいつだって素直ですぅ~、素直じゃなかったときはありません~」

「きめぇからそのしゃべり方やめれ」

 レンの頬にほんのりと赤みが指す。

「わ、わかってるわよ。自分でも柄にもないことしたって思ってるから」

 さすがに無理があったとレンは思っているが、いまのシルエットなのでむしろ似合っていると竜一は思っている。

 ただ、レンの大人バージョンも知っているためなんとも言えないのもたしかだだ。おそらくなにも言わないのが正解だろう。

「……ってなににやにやしてんのよ! 丸焼きにするわよ!?」

「んな背丈で凄まれてもこれっぽっちも迫力ねぇよ」

 しかし雷を纏わせているトンファーブレードを振り回すのはやめてもらいたい。刃に触れたら冗談抜きで丸焦げになってしまう。

 レンはトンファーブレードを下ろすと、不意に空を見上げた。

「アムリアスが出てきたってことは、そろそろもっと面倒なのが来るんじゃない?」

 黒い影――アムリアスは上級個体でも下位にいる魔獣だ。そして不吉の象徴とされている。

 現れれば災厄を撒き散らし不幸に陥れると言われているのだ。そのせいで個体数が少なく目撃することはほとんどないのだが、だというのに異界の地で遭遇するとはどこか運命めいた嫌なものを感じる。

「やめろよ。それでくそ面倒なんが来たらおれらが戦うはめになんだぞ」

「そしたらレンがやるから。こんな雑魚だけじゃ物足りないのよねぇ」

 遊び感覚で殺し合いをすると宣言するレンを見ていると、やはり過ごしてきた環境が違うのだと思い知らされる。

 こう軽率に判断を下せるのはただ単純にレンが強者だからだ。上級個体といえど『雷天』とまともに対峙していられるのはほんの一握りからさえもこぼれ落ちてしまうほどしかいない。特異個体と呼ばれる存在なのだがそれはほぼ幻に近い。

 それゆえに命の重みを軽んじてしまうときが多々ある。レンは特にだ。

 力のあるものは自然と戦いを望み、身を投じていく。まるで戦場のなかに己の墓場を探しているかのように。

 戦う人間は皆がみなそうではないだろう。しかしレンは本人も意識せずしてそうしてしまっているのだ。

「あれ、あいつなにしてんの?」

 レンの視線を追うと、穴に急接近していく志乃の姿にぶつかった。魔獣を撃ちもらすことなく撃墜させ、穴の真正面に入り分身する。

 そしてあろうことか、空間に発生して触ることができないはずの穴の両端を掴むと、力ずくで閉ざそうとしていた。

「うん、なんというか……めちゃくちゃやってるわねぇ」

「ああいう奴なんだよ。理論や道理が通用しねぇんだ」

 現時点でどう穴を閉じればいいか不明とはいえ、得体の知れないものに直接的に関与しようとは思えないだろう。しかもそれでゆっくりと閉じ始めているのだから文句も言えない。

「ならレンたちはその間、魔獣を蹴散らせばいいわけね」

 閉じ始めているといったが、魔獣が通るにはまだ十分な広さがある。

 志乃は集中しているため戦いに参加する余裕がなくなり、抑えつけていた魔獣が防衛ラインを次々に突破していた。

「……って、タイミングがいいのか悪いのか、随分でっかいのが来たわよ?」

 黒い鋼のような鱗。広げた翼は体を覆い隠せるのではないかと思わせるほどだ。前足より後ろ足が発達しているのは、空中での活動を前提として進化したためだろう。口の隙間から覗く牙は、見るものを恐怖に陥れるものがある。

 黒装竜デュオス・ドラゴン――二人の『勇者』が初めて戦った相手だ。

 それが外に出るのではなく、身動きのとれない志乃へと向かっていく。

「助けなくていいの?」

「そんな義理はおれにゃあねぇよ。それにおれより適任がいんだろ」

 空を切り裂くように一本の軌跡がうち上がる。

 そしてそれは、黒装竜を貫いた。


     ◇◆◇

 

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