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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第七章〈勇者の最後〉編
90/132

7―(2)「背水の陣②」

 

「妖怪大戦争ってそういうことかいな……!」

 東雲は空を染める黒い染みを睨みながら絞りだすように呟く。

 あれだけ大量の怪物がどうして現れたかはこの際どうでもよかった。胸の奥から沸き上がってくる恐怖だけが、東雲を絡めとっていく。

 どうしたらいいかわからなかった。なにかしなければならない。頭ではそれがわかっているはずなのに、なにもすることができない。なにかできるのかを考えることさえできずにいた。

 それはほかも同様だ。ただただ絶句し、その場で呆然と立ち尽くすしかない。

 染みは空を覆っていき、領域を広げている。もう間もなく頭上に到達するところまで来ていた。

 東雲は真っ白になった思考を全力で回転させる。状況を打開する糸口を掴みかけているのに、それはあっさりと手をすり抜けていく。

 どうにかしなければならないと焦るが、それが真っ白になった思考を悪い意味で塗り潰していく。

 汗が内側から噴き出してくる。さっきから思い浮かぶのは最悪の結末だけだ。一度考えがマイナス方向に行ってしまうと、負の連鎖がどんどんと続いていく。

「……っ!?」

 小さな感触が東雲の手を掴んでいた。体を恐怖で震わせ、弾かれたように視線を自分の手に落とす。そこには、不安そうに見上げてくる少女がいた。

 東雲だって不安や恐怖でいっぱいだ。しかしふっと表情を和らげると、膝を折って目線をあわせる。

「そないに心配せんでもええ。私がなんとかしたる」

 その言葉に一葉は首を横に振った。

「んな引き攣った顔で言われたって説得力とかねぇって」

 言葉の発せない一葉を代弁するように、姫路がそう言った。

「こっちだって恐ぇのは一緒なんだ。んなひとりで気張るこたぁねぇよ。見ろ、女にあるまじきスゲー手汗だ」

 両手を広げると、汗が滲んでいる手のひらを東雲に見せる。突き出された手は小刻みに震えていて、冗談を言った姫路の表情も強張っていた。

 そうだ。恐いのは自分だけではない。それだけで姫路と気持ちを共有できたような気がして、いくらか楽になった。

「…………」

「どないしたんや? てかあとええんやけど」

 いつまでも手を見せている姫路にそう言うが、一向に引っ込める素振りがない。

 姫路はなにかを考えるように唸ると、なにを思い立ったのか、手のひらを東雲の頬に押しつけてきた。手汗でぐっしょりになったそれをだ。

「うぎゃあああああああああ!? なにしとんねん、ばっちぃやろ!」

 当然、汗は東雲の頬へとへばりつく。

 東雲は姫路の手を叩くように払うと、袖で汗を拭う。

「あんまり怖がってるもんだから、リラックスさせてやろうと思ったんだよ」

「ほかにもやり方っちゅうもんがあるやろ! なんで手汗? ただ拭いたかっただけなんやないんか!?」

「いかにも」

「いかにもやないわ!」

 姫路の反省する気のない態度に小一時間ほど説教をしてやりたいところだが、敵は待ってはくれまい。そして勝つことしか許されていない。

 今回ばかりは負けの汚名を背負って逃げ帰ることはできないだろう。負けるということは死とイコールで気張る繋がっている。

 志乃ならばあるいは見逃してくれることがあったかもしれない。限りなくゼロに近い可能性かもしれないが、しかし逆に捉えれば、わずかではあるが逃げ延びることができる。

 だがあれらにはそんな慈悲はない。隙を晒せば、すかさず噛みついてくる。

 これは生ぬるい戦いではない。生きるか死ぬかの、本当の殺し合いだ。

 それを改めて言い聞かせ、迫る脅威戦闘意識を高めていく。

「幸いなことに、ここにいんのは攻撃力に特化した能力者ばっかりや」

 落ち着いた口調で告げられたことにお互いに顔を見合わせる。

 重力の大きさやベクトルを自由に変化させられる一葉。念動力によって多彩な攻撃ができる来夏。空気を圧縮した弾丸を放てるガンマ。炎を自在に操れる東雲と揺火。攻撃力に欠ける十六夜のナイフもサポートに適している。

 姫路の能力は聞いていないが、性格 からして控えめということはまずないだろう。

「あんたはどないや?」

 問題なのは凪だ。このなかで一番火力があるとすれば、それはおそらく凪だろう。

 しかし凪は志乃と戦った直後、能力が消失ロストしている。彼女の能力は曰く付きで特例だ。ちょっとしたことで使えなくなってしまう。

「……問題ないであります」

 そしてなんの前触れもなく戻ってくる。『組織』の能力者も、凪自身もこの能力についてわからないことが多々ある。だがそれを差し引いても強力であることに変わりない。

「よし。ほなら、やれるな?」

「おい待て九十九の女。作戦もなしに戦うつもりか」

 ガンマは眉間にしわを寄せ、東雲を睨む。

「作戦? あるわけないやろ。あんなセオリーもなんもない奴ら相手で、しかも数も圧倒的に劣ってるんや。立てられる作戦なんてなんもないわ。ちゅうても私はってだけや。あんたはなんかあるんか?」

「……いや、お前の言う通りだ。悪かった」

 彼女が言っていることはもっともだ。作戦を立てろと言われたとしても、連携が可能なメンバーではないし無意味だ。空中分解してしまうのが目に見えている。

「東雲が美人だからってあんまり絡むなよ黒豆。小学生ですかー?」

「誰が黒豆だ!」

 激昂するガンマを十六夜が宥める。実際は東雲を狙っているかもしれないガンマに制裁を加えようとしていたが、その心配はなさそうだ。

「せやけど陣形は組まんとな。ただでさえ不利なんに私らが足引っ張ったら話にならんからな。……ホンマなら戦わんのが一番ええんやけどな」

「そうもいかないだろう。真っ直ぐにこちらに向かってきて見逃すわけがない」

 揺火に指摘されるまでもない。それにあの化物が世に放たれてしまえば混乱は避けられまい。そればかりか、進行を食い止めなければ世界が滅ぶことさえありえる。もう自分たちがやるしかないのだ。

「私と揺火、姫路は前衛。一葉と来夏とガンマは後衛や」

 東雲の指示に名を呼ばれたものが頷く。

「凪やけど……」

「我輩はお兄様についているであります」

 静かに殺気を漲らせる凪の瞳は、何度見ても気圧される。能力ではなく、凪という個人が本質的に王の資質を持ち合わせている。そう考えればこの威圧にも無理矢理ではあるが納得がいく。

「そないに睨まんでも最初っからそのつもりや」

 志乃と戦った双弥の怪我は重症だったが、それはすでに完治している。とはいえ参加することはできないし、動くことさえままならないのだ。

 戦いになれば他者を気にかける余裕はない。いざというとき動けるものがいなくては、逃げることもできないだろう。

 凪に双弥を任せるのは、そのいざというときに備えてだ。

「……って一葉? なんか不満でもあるんか?」

 居心地の悪い視線を感じてその方向を見ると、一葉が口をへの字に曲げていた。

 一葉がなにかを言おうとしているのだが、声が出せないため内容がわからない。凪と双弥を交互に指差したあと、自分のことも指差している。

 東雲はとりあえず思ったことを言ってみることにした。

「もしかして凪が双弥の近くにいんのが気に食わないんか?」

 一葉が激しく首を縦に振る。まさかこれが正解だと思っていなかった東雲は、おもわず額に手を当てて上を仰いだ。

 なにも東雲は嫌がらせでこの陣形を敷いたわけではない。考えつく限りの最善を突き詰めた結果がこうなったというだけだ。

 だからこう私情でわがままを言われると反応に困ってしまう。

「あんな? 一葉も双弥のそばにいたいのはわかる。けどこれが一番なんや。それがわからん一葉やないはずやで」

 しかし論理だけで説き伏せられるほど、感情は穏やかではない。

 最善なのは一葉だって承知だ。自分では双弥を守りながら戦えるほど余裕がない。それゆえに凪が選ばれたのだ。

 わかっている。わかっているが、納得はできない。好きな人を同じくする凪に先を越されたくないのだ。

 こんなつまらない意地なんて邪魔なだけかもしれない。

 けれど、つまらない意地だからこそ、貫かねばならない。

 言葉を紡げない一葉にとって意地とは言葉と同じだ。自身を表現して、周りに発信していく一種のコミュニケーション能力。

 しばらく見つめあい、先に折れたのは東雲だった。

「わかったわしゃーない。そないに不満そうに戦われても危なっかしいだけやわ。どうせ一葉は後衛やから距離とか関係あらへんしな」

「よく考えて東雲。いくら後衛でも近い方が狙いは定めやすいでしょーが」

「せやな。うん、頑張りぃや、来夏」

 来夏が文句を垂れ流し始めようとする。一足早く来夏を視界から追い出してそれを回避すると、雨雲のように空を支配する影を仰いだ。

 話している間にだいぶ近づいてきていた。塊に見えた影が、いまでは一つ一つはっきりとしている。絵に描いたような異形の化物が、たしかにこちらを捉えていた。

「ふざけんのもここまでや」

 たった一言で気が引き締まる。

「こういうときなんて言ったらいいのか、正直私にはわからん。でも一つだけ――」

 言葉を区切って一拍置く。たった一拍にどれだけの想いが込められていただろう。

「生きて帰ろう、みんなで」

 しかしその想いは、たしかに伝わった。


     ◇◆◇


「で、お客さん方、行き先はどこなのかにゃん?」

 問いかけに対する返答はない。

 それはなぜか。問いの主は楽しそうに後部座席に座る人物たちを見る。搭乗者たちは例がいなく口を一文字に結び、襲いかかる重力に耐えていた。

 超高速で空を移動しているのは八雲が足として呼んだ小型ジェット機だ。ただし捕捉させてもらえるなら、能力によって通常のそれの出せる速度の数倍にも及ぶ怪物ジェット機である。おかげで負担となる重力も数倍となり、口を開くことができずにいるのだ。

 どうやら一人を除いて、ではあるようだが。

「この地図にある場所に向かってください」

 藍霧はそう言って操縦者に司から受け取った地図を渡す。

「オッケーだよーん……ってはにゃ? ここどこ!?」

「無人島らしいです。行き方を示したのも一緒にありますからそれを見てください」

「あ、ホントだ。ふい~、あぶにゃいあぶにゃい。ミーは方向音痴だから地図がなかったら迷子になるところだったよ」

 操縦者にあるまじき発言を聞いた気がするが、あえて聞かなかったことにする。

 機内は無音だ。あるのは操縦者の決して上手いとは言えないが、気持ちよさそうにリズムを刻む歌だけである。速度が音を置き去りにしてまっているようだ。

「にしてもすごいねー。ミーの『ジェト。二号』に乗って普通に話せるなんて」

「なんですかそのネーミングセンスの欠片もない名前は。もう少しまともな名前はなかったのですか?」

「可愛いからいいんだもん。あ、ちなみに『ジェト。二号』のマルは句読点だから間違えないようにしてほしいにゃん」

「そんなのはどうでもいいです。あとその話し方やめてください。不快です」

「そういう仕様だから仕方ないにゃん」

「コスプレ喫茶で働いてなさい」

 辛辣に突き放して会話を打ち切る。いつまでも付き合っていられない。

 藍霧が重力の影響を受けないのは闇系統の波動を使っているからだ。最初はいきなりで面食らってしまったが、すぐに重力を相殺して、快適な空の旅を満喫している。

「いきなり八雲お兄ちゃんに呼び出されたからどうしたのかと思ったけど、まさかタクシーの代わりとはにゃー」

「……八雲、お兄ちゃん?」

 兄妹というなら別だが、八雲を兄というにはいささか無理がある気がする。

「あ、お店の外じゃそう呼んじゃいけないんだった」

「…………」

 藍霧は八雲に侮蔑の視線を送っておく。この女が本当にそういう店で働いていたのも驚きだが、八雲がそれに通っていることには嫌悪感を抱かされた。

 八雲のことだからそれだけが目的ではないはずだが、それを差し引いても妙に親しい関係にあるよう見える。どちらにしろ軽蔑することに変わりない。

「あ、でもいつもご奉仕してもらいに来てるわけじゃにゃいんだよ? 初めて会ったのだってゆかりお姉様と仕事がバッティングしたからだもん」

「……え? ゆ、ゆかりお姉様……?」

 藍霧は一瞬、聞き間違いをしたのかと思った。

「うん。ゆかりお姉様はミーの母親のお姉さんなんだって。だからミーもお姉様って呼んでるんだにゃん」

「なるほど、そういうことでしたか」

 ゆかりまでも八雲のようなことをしていたのなら、見方を改めるところだったが、そんな心配は杞憂に終わった。まかり間違ってもゆかりがそういうことを目的で店に入ったりするわけがない。

「ところで仕事と言っていましたが、なにをやっているのですか?」

「コスプレ喫茶でネコミミメイドをやらせてもらってるにゃん」

「私が聞きたいのはそんなことではありません。わざとやってるんですか? 仕事というのは超能力を使うような仕事はなにかと聞いてるんです」

 藍霧の苛々もだいぶ高まっているらしい。言葉の端々から棘が見え隠れしている。

 いくら鈍感な人間でも無視することのできないそれに、苦笑いを浮かべる。

「ミーはただの運び屋だにゃあ。ゆかりお姉様を現地に配達するのが主だけど」

「ゆかりさんはなにをしているのですか?」

「それは極秘だから言えないにゃん」

 はっきりとした口調で言い切られると追及しにくい。

 しかしゆかりがどんな仕事をしているかは大体で予想がつく。周囲から見つかりにくい黒い服装に刀を常備、そして秘密裏に各国を移動しているのだ。とても他人に話せる内容ではあるまい。

「ゆかりお姉様とは最近ずっと会えてなかったから、呼ばれて嬉しかったにゃ」

「その言い方ですと、そこの変態とはずっと会っているようですけど」

「あはは……」

 その渇いた笑みは、八雲がどれだけ入り浸っているかを物語っていた。

「でも八雲さんはいい方だよ。こういうお店に来る人って変な注文とかしてくることもあるし、お触りだってしてくることもあるんだよ」

 叫ぼうにも触られるのを承知でやっているようなものだから、仮にそうしたところで興奮させてしまうだけだ。

「そういうときは腕をへし折ってやりなさい。そしたら懲りるはずです」

「一生もののトラウマになると思うんだけどにゃあ。ネコミミメイドに腕をへし折られたって」

「別にいいんじゃないですか?」

「鬼だ、ここに鬼がいるにゃ」

 八雲は同感だと思った。というより、こちらは重力に苦しんでいるのに、なんて話をしているのだと思った。

 聞いている身として居心地が悪すぎる。唯一の救いは藍霧以外に侮蔑の視線を向けられないことくらいだろう。

「そもそも嫌なら辞めてしまえばいいのではないですか」

「あれ、まだその話題引っ張るにゃ? うーん、お触りはやらないでほしいってだけで、そこまで嫌ってわけでもないんだけど」

「そういう仕事にセクハラはつきものでしょう。我慢しなさい」

「だから愚痴を漏らしてるんだけどにゃあ……」

 藍霧からは物騒な解答しか返ってこない。話を振る相手を間違ったかなと心のなかで呟く。

 会話の切れ目を見計らって、地図と進行方向が合ってるか確かめようとすると、遠くでなにかが歪んでいるのが目に入った。蜃気楼のように景色が靄がかっている。さらに奥へと目線を進ませる。

 そこにあったのは縦を一直線に走る光の柱だった。先端には底の知れない不気味な穴が大口を開け、黒い染みを吐き出している。

 雨雲とは違う。細かく小さな粒がいくつも集まり、染みのようになっているかに見える。

「なんだにゃ……?」

 速度を徐々に落とし、安全圏で停止する。墜落しないのは彼女の能力のためだ。

「嫌な感じだにゃ。近づくのは危ないかもしれな……」

「右です!」

 操縦者の独り言を遮り、藍霧の悲鳴にも似た叫びが機内に反響する。とっさに急上昇をすると、真下をとんでもない衝撃が通過していった。

「え、なになに!? なにが起こったにゃ!?」

 言われたから行動したものの、なぜそうしなければならなかったのかまではわかっていない。

 説明を求めて慌てて振り返ると、どこから出したのか、杖を片手にした藍霧が窓の外に注意を向けていた。その横顔は先ほどから一転し、無機質なものとなっている。

「そのしゃべり方、キャラを作ってるだけだと思っていたのですが本当に素だったんですね。正直に言わせてもらうと、ドン引きです」

 地杖を振って機内にかかる重力の負担をなくしておく。

「それっていま言うことかにゃ!? しかもさらっとひどい!」

「普通に考えて語尾が『にゃ』などという人がいるわけがないでしょう」

「傷つくにゃあ……じゃなくて! なにが起こってるか説明してほしいにゃ!」

 なにかに狙われていることだけはわかる。その場に留まっていては恰好の的になってしまう。ひとまず旋回して穴から離れておく。

 藍霧はめんどくさそうに眼球だけを動かし、周りを見渡す。すでにゆかりは戦闘態勢は万全のようだ。

「説明してもわからないと思いますし、知らなくてもいいことです。――来ます!」

「あーもう!」

 舵を大きく切って機体を動かすと、その近くを再び衝撃が通り過ぎていった。

 しかし今度は見逃さなかった。一度は追うことができなかったが、動体視力には自信があるのだ。二度も視認できずになるものか。

 だが、見てしまってから後悔した。悲鳴を洩らしたのは当然の反応だろう。

 鳥の頭蓋骨を皮だけで覆ったような頭部。薄紫色の翼にはいくつもの血管が浮かんでおり、それが力強く脈打っている。陸地でも活動するためか、両足の筋肉が異常なまでに発達している。それはジェット機ほどのサイズを誇っており、まさしく怪鳥と呼ぶにふさわしい見た目だった。

「ミーは疲れているのかもしれない。そうに違いないにゃ」

 そう言って眠ろうとする操縦者をゆかりが叩き起こす。

「ゆり、目をそらすな」

 操縦者――ゆりの後ろに立ったゆかりは、周りを飛び回って維持しているだろう怪鳥を目で追いかけながら言う。

「だってゆかりお姉様ぁ……」

「情けない声をだすな。オレたちがなんのためにここにいると思ってるんだ」

 ゆかりは黒衣を翻してハッチを開けようとする。

「相手がなんだろうと関係ない。邪魔をするなら押しきるまでだ」

「ちょっと待ちなよゆかりくん。いくら君でもこの悪条件で勝てるほど甘くはないと思うぜ? そうだろう、真宵くん」

 このタイミングで巻き込むのかと藍霧は内心で呟く。

 だが八雲の言うとおりだ。ゆかりはまだ藍霧と戦闘した後遺症が抜けきったわけではない。加えて移動の自由のない空中に体格の差にリーチの短さ。どう見積もっても勝てる要素はないし、そんな状況で戦いを挑むなんて理解しがたいことだった。

 でもやはりなと思う自分もいる。なにせゆかりはあの元勇者の母親である。どんなに不利だろうと、勝つつもりなのだ。

「バーゴイル――ガーゴイルの親戚みたいなものです。特性の攻撃を捨てて速度に特化した種族です。見たのは初めてになりますけど、まだマシな見た目ですね」

「あれよりキモいのがいるにゃ?」

「あんなのよりエグいのはたくさんいますよ。それこそトラウマになるくらいのが」

 ただし、そういうのに限って大して強くはないですけど。藍霧はそう補足してからさらに続ける。

「バーゴイルで気をつければいいのは速度だけです。見えればの話ですが」

 藍霧はステータスがリセットされてからほとんど戦ってこなかった。それはすなわち、肉体が戦闘向きになっていないということだ。

 これまでは持ち合わせるセンスだけで凌げてきた。けれど今回はそうもいかない。なにか一点を極めた相手に対してセンスだけでは不足なのだ。

 ゆかりと交戦したとき、一瞬とはいえ見失ったのはそのためだ。どちらかといえばゆかりは速度に特化した剣士といえる。

「ゆかりさんとゆりさん、でしたか? 私がサポートしますので、お二人にはバーゴイルをどうにかしていただきたいのですが」

「ミーもかにゃ? ミーは『ジェト。二号』の運転くらいしかできないけど」

「それでいいんです。バーゴイルについていけるのは、現状でこのジェット機しかありませんから」

 藍霧の『雷鎧』があれば追えないことはないが、見えないのでは意味がない。広域範囲を広げて、でたらめな出たとこ勝負でなら藍霧だけでも問題はない。けれどあとのことを考慮すれば無駄な消費は抑えたいところだ。

 ゆかりが前に立ち、ゆりが足となり、藍霧が指示をする。不安は少なからずあるが、バーゴイル程度の中級の魔獣なら十分だ。

「決まったなら早くやるぞ。あっちもお待ちかねだ」

 ゆかりは刀を手にしてハッチを開放すると、空へと身を投じた。

 それに顔を青ざめさせたのは藍霧も例外ではなかった。

「あの人はバカですか!」

『雷鎧』

 藍霧は雷を纏いながら、ゆかりのあとを追ってジェット機から飛び降りる。青白い軌跡を描きながら空を舞う姿は、見る者には幻想的にさえ映るだろう。

 だがその本人にそれを客観的に捉えられるほどの余裕はない。落下の真っ最中であるゆかりは常人離れしているが、逸脱しているわけではないのだ。この高さから落ちてただで済むわけがない。

 地杖を持つのと逆の手でゆかりの首根っこを掴む。足を振り回して体勢を入れ換えると、水分を凍らせて足場を組み上げる。爪先で蹴って次の着地点をめがけて移動すると同時にバーゴイルが翔けていった。

「かしぎ先輩もむちゃくちゃでしたが、あなたはその上をいきますね。さすがです」

 そう皮肉を言うが、ゆかりには気にした様子がない。

「少しは考えてください。以前はどうか知りませんけど、いまのあなたは無茶のできる体ではないんですから」

 淡々と言う藍霧だが、実は悠長にしていられない。バーゴイルがゆかりを標的として捉え追いかけてきているのだ。雷の尾を引きながら角度のつけた移動を繰り返し、この距離を保つのがやっとだ。反撃する余裕すらない。

『勇者』でないことがこんなに苦痛だとは思いもしなかった。本来ならバーゴイルなど苦戦するほどの強さではないのだ。

 志乃ならば、このバーゴイルを屠ることなど造作もない。

 彼は体を蝕まれながらも、その志乃と戦ったのだ。自分が相当な格下にてこずっていては顔向けができないではないか。

 藍霧の波動が膨らんでいく。それこそ限界を凌駕した波動に、バーゴイルの動きが一瞬だけ硬直した。

「――アインス

 バーゴイルの翼を氷の槍が突き刺さる。バーゴイルの絶叫が轟く。耳を覆いたくなる衝動を追い出し、藍霧はさらなる詠唱に取りかかる。

「――ツヴァイ

 ゆかりの刀を白銀の炎が包み込む。それは燃え上がったかと思えば一気に凝縮し、高層ビルほどの超長剣へと変貌を遂げた。

「申しわけありませんが私は炎を嫌いです。ゆかりさんにお任せします」

 家族を奪い尽くした炎には憎しみしかない。だから東雲のことも受け入れられないのだろう。だがそれが必要ならば、そこに戸惑いはない。

 だがそれもゆかりのおかげで、少しだけ受け入れつつあった。

 いつまでも過去に囚われていられない。その心境の変化が藍霧を前に進ませたのだ。

「任せろ」

 ゆかりは頬を綻ばせるとバーゴイルに飛びかかる。バーゴイルは翼に刺さる氷槍のせいで身動きが取れずにいた。

 威嚇のつもりか嘴を大きく開くが、ゆかりがその程度で止まるはずがない。

 刀が振り上げられる。それがゆっくりなのは質量のためだろう。しかし恐怖を煽るには十分すぎるほどで、バーゴイルの濁った赤い瞳が降参を訴えていた。

 化物のくせに賢いとゆかりは思った。けれど愚かだとも思っている。

 生き死にがかかっていて、誰が命乞いを受け入れるというのだろう。まずゆかりには、そのつもりは毛頭ない。

「終わりだ」

 静かな呟きは、斬という刃音によって両断された。

 断末魔の叫びを上げることさえなく、死を迎えたことに気づくこともなく、バーゴイルは塵となって消えていった。


 藍霧とゆかりを回収したジェット機は穴から遠く離れた位置に停滞していた。

「結局ミーの出る幕がなかったにゃ」

 それは嬉しいはずなのだが、念入りな作戦会議をして頼られたのにと、なんとも言えない気持ちだった。

 しかも藍霧が言うほど強敵ではなかった。最後はゆかりがやったわけだが、単に炎を使いたくないという理由からだ。それ以外の属性であったなら藍霧ひとりでも事は済んでいただろう。

 けれどやらなかった。それは何故か。答えはすでに開示されている。

 魔獣はバーゴイルだけではない。数いるうちのたった一体に過ぎないのだ。

 無数に魔獣を吐き出し続ける穴は、いまのところ束で襲われても対処できるくらいだが、これからそれ以上のものが出てこないとは考えにくい。

 そうなれば藍霧がなんとかしなくてはならない。中級の魔獣までなら能力者たちでも打倒することができる。

 だが上級の魔獣はそうもいかない。手練れの波導使いでも、何人も死人を出してようやく対等に戦えるようになるくらいなのだ。

「真宵くん、これからどうするつもりなんだい?」

「できる限りの対応はしていくつもりです。ですが最優先は穴をどうにかして塞ぐことでしょうね」

 でなければ魔獣をいくら屠ったところで体力を浪費していくだけになる。

 ゆかりや八雲が考えているよりも事は重大だ。言い方は悪いが、代えのあった異世界と違ってこちらではもうあとがない。

『勇者』だったころの藍霧ならばこの事態も乗り切る確信があった。守るものなんて一つしかなかったから。いくら犠牲を増やしたところで、自分さえいなくなったところで、その一つが残っていればよかったから。

 犠牲者を出さずに終わらせることができるのか――藍霧は自問する。

 あれこれ悩むのはいつも彼の役目だった。ついていくだけで、与えられたことしかしてこなかった。せいぜい助言するくらいが藍霧の立場だった。

 それは背負われているのとなにが違おうか。自分で背負うはずだったものを押しつけて、のうのうと生きてきたのだ。

 もう少女は背負われる立場にはいない。ひとりで立って、しっかりと背負って歩いていけかなくてはならないのだ。

 ――ならば答えなど、決まっている。

「あれを見てみろ。もうほかの奴らも戦ってるみたいだ。どうするんだ?」

 なげやりなゆかりの問いに藍霧は答える。

 言うまでもありません――と。


   ◇◆◇


 

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