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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第一章〈勇者の帰還〉編
9/132

1―(9) 「不明」


 一日が経過し、真宵後輩とアウルと会うこともなく、今日は学校に登校していた。

 真宵後輩が隣にいない登校は(異世界から帰ってきて)初めてで、なんだか新鮮な感じがした。

 昨日はまだ残っていた筋肉痛が、今日まで続いているかと思ったが、それはないようだ。

 教室に到着すると真っ先に柊が話しかけてきた。

「冬道。あの娘、瑞穂はどうだった……?」

「どうだったって、別に何もなってねぇよ。大丈夫だ、心配することはねぇ」

「本当か……?」

 いつもは勝ち気な柊からは想像できないほどに弱々しい問いかけだった。

 昨日はあんなことを言われたんだから、仕方ないって言えば仕方ない。

「本当だっての。心配すんな」

「だけどさ……。理由こそ分からないが、あいつはあたしが犯人だって言ったんだぜ? 心配するなって方が無理な話だ」

「お前はやってねぇんだろ?」

「当たり前だろ! あんなこと……できるはずない」

 なんだ? 今のほんの少しの間は。わずかに違和感を感じたんだが……気のせいか?

 拳を握りしめ、柊は俯いている。昨日と今日と、妙に拳を握りながら俯く奴が多いな。

「なら気にすることはねぇだろ。やってないならそれでいい。なんか問題でもあるのか?」

「でも、気になるじゃねぇか。……もしかしたら、あたしが無意識でやったのかもしれないし」

「あ? どういうことだ?」

「あっ、いや、えっと……。何でもねぇよ! 気にすんじゃねぇ!」

「お前から言ったんだろうが」

 どうも気になる発言だけれど、今はそれを追求してても何も始まりはしない。

 昨日一日があれば、真宵後輩とアウルが何も情報を掴んでいないとは思えない。

 俺も思いがけない収穫ではあるが、情報を手に入れることができた。それを合わせれば犯人の特定は簡単――とまではいかなくても、ある程度はわかるはずだ。

「白鳥もお前のことは犯人だとは思っちゃいねぇよ。ただ声が似ててビビったんだとよ」

「でもビビるくらいに声が似てたんだぜ? 気にならないはずないだろ」

 どうしてかはわからないけれど、柊はこのことを妙に気にしている。なにか心当たりがあるのか、それとも、なにか知っているのか。

 どちらにしろ、それがいい方向には向いていないことは、柊の反応を見ればわかることだ。

「お前、姉妹いたっけ?」

「いねぇよ。ひとりっ子だ」

 もしかしたら姉妹という可能性もあったのだが、どうやらこれでその可能性はなくなったようだ。

「つーかそこまで気にするってことは、なにか気になるようなことでもあるんじゃねぇの?」

「別に何もねぇよ。ただ……気になっただけだ」

「それならいいんだけどさ」

 昨日から柊の言葉の端々に、ほんのわずかな、意識していなければ見逃してしまいそうな違和感がある。

 その違和感が関係してないことを祈らせてもらう。

「珍しく今日は早いな。昨日はどうだったんだ?」

 教室に入ってきた両希が席に座りながら、世間話でもするような軽さで訊いてきた。

「別に。話を聞いて帰ってきただけだ」

「そうか……。あの様子はただ事ではないと思ったんだが大丈夫だったみたいだな」

「基本的にあいつはポジティブなんだ。あれくらいならどうってことねぇさ」

 実際はズタズタにされてたんだが、心配をかけないためにもこう言うのが最適だ。これ以上、こいつらを巻き込みたくない。

「この話はこれで終わりだ。あとは解決するのを待とうぜ?」

「……うん」

 相変わらずの柊の落ち込みようを見ながら、俺は首飾りを握りしめた。


     ◇


 毎日の恒例となった昼休みの屋上。クラスにはアウルの姿はなく、真宵後輩も呼びに来なかったために俺はひとりで屋上に来ていた。

 もちろん柊たちと昼食を一緒にしてもいいんだろうけれど、習慣とは恐ろしきかな、無意識に足が屋上に向かっていた。

 扉を開け、誰もいないはずの屋上に足を踏み入れる。

「遅いぞ、冬道。何をしていたのだ」

 しかしそこには、真宵後輩とアウルがいた。

「お前、学校サボってたんじゃねぇのかよ」

「午前はな。情報をまとめていたのだ」

「あぁ。昨日集めてた奴か」

 俺はふたりの近くに腰を下ろし、適当に相づちを打つ。

 どうやらふたりは、昨日一日を使って狐の面の被害者のそのときの情報を集め回っていたらしい。

「狐の面の正体はわかったのか?」

「残念だがそこまでは到達できなかった。あの狐の面、どうやらかなり自分の正体は隠したいようでな」

 それはそうだ。見つかったら見つかったで、面倒なことになってくる。たとえそれが、とるに足らない相手であったとしてもだ。

「正直なところ、狐の面が誰であるか、特定に至るような情報はないに等しいな。私たちが掴んだ情報は、どれもが大したものがなくてな」

「そうなのか?」

「あぁ。個人を特定するような情報はなにもなくてな。わかったことといえば、狐の面の行動時間と行動範囲くらいのものだ」

「すみません、かしぎ先輩。こちらでの私は、とてもではないですが、調べ事には向いていないようです」

 そうか。こっちでの俺や真宵後輩は、波導を大っぴらに使えないため、一般学生と同じだ。能力者について調べるには、たしかに不向きかもしれない。

「気にしてても意味ねぇよ。今は集まった情報さえあればそれでいい」

「そうだな。まず狐の面の行動時間は、どうやら午後九時から午後十二時までと決まっているようなんだ」

「三時間か。以外に短いんだな」

「暗がりも作用して、目撃情報もほとんどない。あったとしても狐の衣装を纏った奇人がいるというものだけで、情報にもならないものばかりだ」

「狐の面を見たって場所に共通点とかはねぇのか?」

「ない。どれもこれもちぐはぐで、繋がりそうもない。おそらくは、町を適当に徘徊して、標的を探しているからなのだろう」

 ただ、とアウルは言う。

「狐の面が狩り場として選んでいる場所は、全てが無人の場所だ。被害者がいわゆる不良と呼ばれる相手だというのもあるだろうが、やはり、目撃を避けたいらしいな」

「無人の場所、ねぇ。この町にそこまで無人の場所なんかねぇだろ」

「いや。調べてみるとそうでもないんだ」

 アウルはそう言うと、ブレザーのポケットから折り畳まれた一枚の紙を取り出した。

「これってここ周辺の地図か。この赤い印はなんだ?」

「それは廃墟などの無人の場所を印したものだ。どうしてかはわからないが、ここ周辺には無人の場所と呼べる場所が多くてな」

 アウルの言った通り、この地図に印された赤い印が無人の場所というのなら、たしかに多いだろう。数えてみると、印されている箇所は六つもある。

「この辺りは狐の面にとって、いい狩り場なのだろうな。被害があった場所の内、全てがこのなかのどれかになっている。私が襲われた場所も、無人の倉庫だったしな」

「そういえば、お前はなんで襲われたんだ?」

「まぁ、今だからこそ言うが実は、私は狐の面に襲われたというわけではないんだ」

「あ? どういうことだ?」

「私は『組織』からいくらか情報を与えられていてな。そいつを探している間に遭遇したから不意打ちを仕掛けたのだが……」

「見事に返り討ちに遭ったってことか」

 俺の言葉にアウルが頷く。不意打ちをして返り討ちに遭うって、お前も能力者じゃなかったのかよ。俺が気がつかなかったらどうするつもりだったのやら。

「返り討ちに遭うってしまったが、ただでは起きない。一度戦ってみて、狐の面がどういう能力者であるか、なんとなくではあるがわかった」

「なにかで切り刻む系統のものってのはわかるからな」

「そんなことはわかっている。奴は接近戦は得意ではないようだ。格闘が苦手なのかはわからないが、少なくとも、遠距離から戦う能力者だ」

 あの狐の面と遭遇した日の夜。たしかにあいつは接近戦に対応しきれてはいなかった。それは面で視界が制限されているからではなく、純粋に、対応が遅れていた。

 さらには俺の動きを見て驚いていた様子だったのも、覚えている。

 まるで、思いがけない強敵に出会ったような、自分以上の化物・・・・・・・・に出会ったような、そんな反応だった。

 おそらく狐の面は、自分以外の能力者を見たことがないのだろう。見たことがないから、恐れた。

「冬道は奴が使う能力について、なにかわかることはあったか?」

「なにもねぇ。切り刻む系統の能力ってだけだ」

 異世界にいた頃の俺だったら、それをひと目見ただけで、たとえ波導と超能力という違いがあったとしても、見抜くことができていただろう。

 けれど今の俺は、そんなことをすることはできない。視ることが、できないんだ。今の俺の心情を言葉に表すならば、とても不安だ。

 今まで視えていたものが視えなくなるなるのが、ここまで不安になるものだとは思わなかった。

 いつの間にか俺は、自分が異常であることに、なれてしまっていた。馴染んでしまっていたんだ。

 異常であることが普通で、普通であることが異常。

 そんな自己のサイクルが、異世界にいた五年間でできあがってしまっていたんだ。できないはずがない。そうしなければ、生きてはいけなかったのだから。

 異常から普通に戻って、自分がどれだけ異常に頼りきっていたか、今回のことで、嫌というほど痛感させられた。

 俺がいた世界が異常なんじゃなくて、異常を普通だと思ってしまう俺自身が、なによりも異常なんだ。

「しかし参ったな。狐の面の正体がわからなければ、どうすることもできない。奴は私たちが自らと同じ異常だと知ってしまっている。おそらく、自分からは仕掛けてはこないだろう」

「……いや、それはねぇよ、アウル」

「冬道?」

 俺の雰囲気が変わっていたからか、アウルは、困惑したような声をだしていた。

「あの狐の面は高級な餌の味を知っちまった。もう、そこらの安い餌じゃ我慢できねぇだろうよ」

「どういうことだ?」

「言葉通りだ。アウル、お前が今まで美味いと思ったものよりも美味いものを食ったあと、同じものを食って満足できるか?」

「まぁ、物足りないだろうな」

「つまりはそういうことだ」

 これも、さっき俺が思っていたことも、前に真宵後輩と話したことと同じだ。

 人は一度高みを見てしまうと、もう、元の場所に立ったとしても満足することはできない。

 だから俺が普通のなかの異常を探すように、狐の面も、俺を標的として必ず狙ってくる。

「どこに来るかはわからねぇが、狐の面の動く時間の範囲内に、俺が狩り場として使ってる場所に行く。そうすれば、そのうち会えるだろ」

「そんな悠長なことをして、奴に逃げられたらどうする気だ。別にこの町でなくとも、廃墟などが多い場所はあるのだぞ?」

「だから大丈夫だって。あいつは必ず俺を狙ってくる」

「……そうだとしても、大丈夫なのか……?」

「あ? なにがだよ」

「今さら疑う気はないのだが、本当に狐の面と戦っても大丈夫なのか? こんなことに巻き込んでおきながら、私が言えた義理ではないが、その……心配なのだ」

 アウルは心配そうな表情をしながら、俺の顔を覗き込んでくる。……つーか、本当に今さらだよ、そんなこと。

「心配すんな。俺は、魔王を倒した勇者なんだ」

「……そうだったな」

 とはいえ、これでアウルの心配が完全に消えるわけではないだろう。

 俺たちはたった二日前に会ったばかりだ。まともに戦うところを見たことがない以上、俺がなにを言おうと心配なことには変わりない。

「ですが今の先輩は、当時以上の力は発揮できないのでしょう?」

 今まで黙っていた真宵後輩が、ようやく出番だとばかりに声を発してきた。しかも、さらに心配を増やしそうな言葉のチョイスだった。

「どういう意味だ」

「おい、真宵後輩。今は余計なことを……」

「かしぎ先輩」

 俺の言葉は、真宵後輩の有無を言わせないような、力強い言葉によって途中で遮られた。

「黙っていても特はありませんよ?」

 真宵後輩の言う通り、たしかに黙っていたとしても特はないだろう。けれど、だからといって、黙っていて損があるわけでもない。

 だから、今このタイミングでそれを言う必要はどこにもない。空気を読め、場を掻き乱すんじゃねぇ。

「先輩に限ることではありませんが、今の私たちは魔王を倒した当時の力は使えません。いえ、この場合は力というよりも、使うための肉体がないと言った方が適切ですが」

「だからどういうことだ」

「つまり、先輩が当時同様の動きを長時間持続させた場合、先輩は動けなくなります」

「まさか昨日の筋肉痛というのは……」

「一昨日の戦いとも呼べない戦いの後遺症でしょうね」

 言いやがったよ、この後輩。止めなかった俺も悪いんだろうけどさ、余計な心配をかけないように言ってなかったのに、なんで言うかな。

 そして案の定、アウルは俺に向き直ってきた。怒りの表情を浮かべて。

「どうしてそのことを言わなかった!」

「言ったらお前、『お前がそこまで無理してやる必要はない』だとかいい始めるだろうが」

「当たり前だ。これは本来なら私の事情で、関係ないお前らを巻き込んではならなかったのだ」

 いや、冬道は関係なくはないのだが、とアウルは最後に小さく呟いていた。それにしても、関係ない、ねぇ。

「関係ないわけねぇだろ。俺が狙われて、柊が落ち込まされて、可愛いバカな後輩が傷つけられた。それじゃ、まだ足りねぇか?」

 俺には、友達と呼べる相手がほとんどいない。異世界に行く前の俺は友達を作ることに、なにかしら考えることがあったのだろう。

 いつかひとりになって寂しい思いをするくらいなら、友達なんかいらない――とかだと思う。ある一種の恐れといってもいい。

 そこにあるはずのものを失うのが、たまらなく恐かったに違いない。実際、別れは辛い。

 けれど異世界での仲間との別れは、冬道かしぎという人間を大きく成長させてくれた。

 そしてこんな俺でも慕ってくれる友達ができた。だから俺は、友達が傷つけられることに我慢できない。

「わりぃがこれだけは引けねぇよ。引くわけには、いかねぇんだ」

 俺はアウルの目を見据えながら言う。関係なくなんかない、むしろ、俺がやらなければならない。

「先輩は本当に、友達想いですね」

「なんだよ。皮肉か?」

「違いますよ。ただ、異世界で仲間を助けるために魔王の十万のしもべに、単独で突っ込んだときのことを思い出しただけです」

「あぁ、そんなこともあったな」

 エーシェを助けるために魔王の十万のしもべと戦ったんだったな。あのときは正直なところ、戦いよりもそのあとの説教が辛かったのを覚えてる。

「なんだか、思い出したらムカムカしてきました。先輩、どうして私たちに声をかけてくれなかったんですか」

「お前ら怪我してたろうが」

「先輩に怪我だからって気を遣ってもらう必要はありません。それで死んだらどうするつもりだったんです」

「死んでねぇんだからいいだろ。つーか、説教はもう要らねぇよ」

 ほとんど動けなかった俺に対して、真宵後輩とリーン、さらには助けたエーシェにまで説教をされた。本当に、あれは辛かった。

「死んでいたら取り返しがつかないでしょう。……生きていてくれて、本当に、よかったです」

「真宵後輩……」

 俺の側にはいつも真宵後輩がいてくれた。だから俺は、今まで無茶してくることができた。

「どんな反応をすればいいんだ!」

 アウルがいきなり、まるでこの空気に耐えきれないとばかりに叫んでいた。

「なんなんだお前ら! 勝手にふたりだけの世界に入って見つめ合いなどをして! どんな反応をすればいいというんだ!」

「私たちの世界に入ってくるなんて、野暮ですね」

「できれば入りたくなったのだがな!」

「入りますか?」

「遠慮する。お前らの話にはついていけん」

 息を切らせながら言うアウルにだろうな、と思いながら、俺は真宵後輩から弁当を受けとる。なんだかんだいっても真宵後輩、弁当の用意はしてくれていたようだ。

 なんだよ。わざわざコンビニ弁当、買ってくる必要なかったじゃないか。

「魔王の十万のしもべってなんなのだ。そんなものを相手にしたことがある高校生など、漫画やアニメを除けばお前くらいのものだ」

「当たり前だろ。他にそんな奴がいたら異常だろ」

 俺が言うのもおかしい気もするけれど。

「積もる話はあるだろうが、とりあえず、飯食おうぜ」

 屋上に来たのはあくまでも昼食を食べるためで、こんな話をするのはついでのようなものだ。いつまでもこんな話をしてて、昼食が食べられなかったらたまったもんじゃない。

 俺たちは昼休みが残りわずかだということに気づかないまま、ようやく昼食を始めるのだった。

 ちなみに当たり前と言うべきか、次の授業には三人揃って遅刻した。


     ◇


 時間が緩やかに過ぎて放課後。相も変わらず俺は睡眠学習をしていたため、時間はあっという間に過ぎていった。

 まだ寝足りないのか、睡眠欲求がすごいが、今日の放課後は予定があるため寝ているわけにはいかない。そこまで時間があるわけじゃないし。

「柊、今から暇か?」

「え? まぁ、暇っちゃ暇だけど。どっか行くのか?」

「白鳥のとこにな。もう退院してもいいんじゃねぇかってくらい元気だったけど、一応、見舞いにな。昨日はなんにも持ってってやれなかったし」

「……それ、あたしは行かない方がいいだろ」

 昨日のことを思い出しているのか、柊は表情を暗くしていた。

「そんなことねぇよ。暇なんだろ?」

「暇だけどよ、また瑞穂を怖がらせるだけじゃねぇか」

「大丈夫だっての。俺を信用しやがれ」

「そう言われても……」

「うじうじしてるのなんて、お前らしくねぇぞ。いつものお前なら、俺がそんなんだったら、うじうじしてんじゃねぇって言うところだろ」

 俺はそう言いながら柊の額を指で弾く。

 あう、なんていう柊の声に若干ときめき感を覚えていると、額を擦りながら柊が力強く、だけど吹っ切れたような感じで睨んでいるのに気づいた。

「冬道のくせに言うじゃんか。そうだな。こんなうじうじ悩んでるのなんて、あたしらしくねぇよな」

「やっとらしくなってきたな」

「おう。ありがとな、冬道」

「……別に、礼を言われることじゃねぇよ」

「なんだよー。冬道、照れてんのか?」

 柊はそう言いながら俺の後ろに回って、首に手を回して抱きついてくる。背中にあるふたつの山の感触は、いつも柔らかい。まさかこいつ、着痩せするタイプか!

「うるせぇ。照れてねぇよ。つーか離せ」

「スキンシップは大事だと思わないか?」

「大事だとは思うが抱きつくのはやめろ。正直、お前の胸には男の夢が詰まりすぎて柔らけぇんだよ」

「わざと当ててるんだぜ?」

「最悪だ」

 いや、本当には最高なんだけど。かなり嬉しいんだけど、正直にいうのはなんか負けた気がする。だから言わない。絶対に言わねぇ。

「ほら、さっさと行くぞ。あんまり遅くに行っても、白鳥の迷惑になるだけだからな。途中でちょっとコンビニ寄るけど、構わねぇだろ?」

「コンビニで見舞いを済ませる気かよ」

「いいんだよ。そんな高いの買ってっても意味ねぇし。それに、たぶん俺が買おうとしてるので満足するんじゃねぇかな」

「たぶんって……。でもたしかに、持っていかないよりはマシだよな。じゃあ、あたしもなんか買ってくよ。なにがいいと思う?」

「なんでもいいだろ。飲み物とか」

「それ、自販で済ませられるだろ」

「んじゃなにがいいんだよ」

「それをあたしが訊いてるんじゃんかよー」

「そんなの気持ちがありゃいいんだよ」

「適当すぎやしないか?」

「んなことねぇって」

 俺はすっかりいつも通りとなった柊と話しながら、白鳥のいる病院に向かうべく、学校をあとにした。


     ◇


 白鳥のお見舞いのために病院に向かったはいいけれど、実のところ俺は白鳥の病室を知らなかったため探さないといけないと思ったのだけれど、思いの外、探すのは簡単だった。

 あの落ち着きのない白鳥が病室にいるわけもなく、適当に外を歩いていると、あら不思議、視界の先には金髪の小さい少女がベンチに座って足をぶらぶらさせていた。もちろん白鳥だ。

 お前、病人なんだから少しは大人しくしてろよ。

 どうせ無理だろうと思う希望を抱きながら、俺はぼう、としている白鳥の前に立った。

「あれ、兄貴? どうしたんスか?」

「どうしたじゃねぇよ。怪我人はおとなしくしてやがれ。今日はお前の見舞いに来てやったんだよ」

 ほらよ、と俺はコンビニで買った物を白鳥に渡す。

「こ、これは……っ!」

「たしかお前、それ好きだったろ?」

 俺が買ったのはココアスティックとかいう、まぁ、タバコを模したような甘いお菓子だ。これのどこがいいのか、俺と一緒にいたときはよく口にしていたのを思い出した。

 試しに一本だけもらったんだが、あれはだめだ。甘すぎて胸焼けしそうだ。白鳥はよくこんなのを平気で口にできるもんだ。

「ありがとうッス! ちょっと糖分が足りなくなって困ってたところッスよ」

「そんなに喜んでもらえると、買ってきた甲斐もあるってもんだ」

「兄貴にも優しさがあったんスね」

「やっぱり返せ」

「冗談ッスから拳を握るのはやめてほしいッス」

 失礼な奴だ。俺にも多少の優しさはあるっての。

「お前、あとどのくらいで退院できそうなんだ?」

「んー、なんか明日にでも退院していいというか、退院してくれって担当の先生から泣きながら頼まれたッス。どうしてなんスかね?」

「だいたい予想できるな、その場面」

 怪我人のくせに病院内でかなり迷惑になってたんだろうな。怪我もしてるけどしてないと同じだから、早く追い出したいに違いない。

「で、いつまで隠れてるつもりだ、柊」

「え?」

 俺は近くの物陰に隠れている柊にそう言うと、気まずそうにしながら柊がでてきた。うじうじするのはやめたんじゃなかったのかよ。

「兄貴……」

「お前、柊に言いたいことがあるんだろ。ちゃんと言わねぇと、誤解も解けねぇぞ」

「そうッスけど……」

 やはり、怖いんだ。相手があの狐の面ではないとわかっていても、頭でわかっていても、体が勝手に反応してしまうのだろう。

 体に刻まれた、無数の傷が痛むんだ。

 けれどここで逃げていても、なにも始まらない。逃げたら、なにも始めることができない。

 それがわかっているからこそ、白鳥は、柊に言った。

「昨日は、ごめんなさいッス」

「あ……」

「本当はわかってたッス。兄貴の友達だからとかじゃなくて、貴女が、こんなことをするはずがないって。だから、勝手に怖がって、ごめんなさいッス」

 柊はなんのことを言われているか、まるでわかっていないだろうけれど、今の白鳥の言葉だけで十分救われたに違いない。

 だって柊はこんなにも、嬉しそうな表情をしているのだから。

「謝ることじゃねぇよ。なんのことかあたしはわからないけど、でも、瑞穂がそう言ってくれてスゲー救われた。……あたしが、やったんじゃないってわかったから」

「どういうことッスか?」

「なんでもねぇよ。そうだ、あたしからも見舞いがあるんだった。……ほら、ヘアピン。髪長いから邪魔だと思ってさ、買ってきたんだ」

 そういえばここに来るとき、コンビニの他にも雑貨屋に立ち寄ったっけ。女の子向けの雑貨屋に入る勇気なんてものは、ご飯にかけて食べてしまったため、俺は外で待ってたんだ。

 なにを買ったのか教えてくれなかったが、まさか、白鳥のためにヘアピンを買ってるとは。

「要らなかったか……?」

「そんなことないッス。前に使ってたヘアピンはあいつに壊されたッスから。このヘアピン、大事にするッス」

「おう。大事にしろよ?」

 すっかり打ち解けた柊と白鳥は、まるで以前から友達であったかのように、楽しそうに笑いあっていた。

 基本的に、こいつらは人と打ち解けるのが早いから、狐の面のことがなかったら昨日にでも打ち解けていたに違いない。

 こういう社交性のあるタイプの人間っていうのは、俺みたいなタイプからするととても羨ましく見える。

「んじゃ、俺はここらで帰らせてもらうよ」

「えー、もう帰っちゃうんスかー? もう少し一緒にいましょうよ、兄貴ー」

「俺にもやることがあるんだよ。あんまりわがまま言うんじゃねぇ」

 今夜。

 俺は狐の面と戦うことになるだろう。

 いや、実際には戦うことになるかどうかはわからないし、そもそも狐の面が現れるかどうかすらもわからないけれど、その可能性はないとは言えない。

 戦うことに関して、俺は妥協することはしないから、準備をやり過ぎてやり過ぎるなんてことはない。

「冬道」

「あ? なんだよ」

「なにをするかはわかんねぇけど、無茶だけはするんじゃねぇぞ。わかってんだろうな?」

「わかってるっての。つーか、無茶するようなことはやらねぇよ」

 柊の鋭い指摘に俺は口先だけの嘘をついて、事実を隠したけれど、たぶん柊は、俺が無茶をするってことが無意識にわかってるんだろうな。

 それがなんでかはわからないけど。

「じゃあな。また明日、学校でな」

 俺はふたりにそう言って、病院をあとにした。





 ◇次回予告◇


「なに言ってんだよ。こんなにも晴れ晴れとしてるじゃねぇか、って晴れ晴れしてたのはあたしの心だったな! あと離してやんねぇ」


「アウル、知ってるか? この廃ビルって幽霊がでるらしいぜ?」


「妹って、いいよなぁ」


「お前の気持ちはよくわかった。だからってそんな緩みきった幸せ顔してんじゃねぇ」


「私は怖い。いくら虚勢を張っても、怖いものは怖いんです! どうして……どうして貴方はそこまでできる!」


「金の無駄遣いだ。太るぞ」


「あの……ううん、なんでもないの。その、ごめんね? なんか、変な反応しちゃって」


「そう。あの人は女性でありながら、ある程度までなら男性の声も出せるらしいな」


「そんなことで驚くんじゃねぇ。ハグは超嬉しいけど」


 ◇

  1―(10)「狐の面」◇


「前置きはなしにしようぜ? 言葉を交わす意味がねぇ」



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