6―(17)「トウドウカシギ⑥」
偉そうにふんぞり返る幼女と二人きりにされてしまったのが、果たしてどうするべきか。
竜一氏が残していった魚は一匹だ。俺もノアも一本ずつしか食べてないとはいえ、それに手を伸ばすというのはどうしても憚られた。
ほっとけば焦げるだろうなぁ――などと思ったところで、ノアが魚を持ち上げ、一切の迷いなく口へと運んでいった。俺の視線を完全に無視して平然とする様子は、ある意味彼女が『雷天』だったのだなと思い知らされた。
ぺろりと平らげたノアは串を焚き火のなかに放ると、指についた油を舐めとる。もう少し大人っぽければ艶かったかもしれないが、目の前の幼女からそんなものは一切感じられない。
「えっと……ノア、じゃないんだよな?」
「レンよ」
念のためにした確認をばっさりと切り捨ててくる。
「レン・クウェンサーよ。ノアとは違うんだからちゃんと覚えておきなさい」
ハイビスカスの髪飾りを揺らしながらノア――改め、レンがそう言った。
「ノアとは違うって言ったけど、二重人格ってことなのか?」
「リュウイチはそう言ってたわね。レンがこっちに来てからなったんだけどさ」
世界に順応するために肉体が縮んだように、もしも地球に生まれていたらこうなっていただろう性格が、レンのなかに芽生えたのかもしれない。なにしろ前例がないから推測を立てることくらいしかできないが、こう考える方がしっくりくる。
成長すればキツイこの性格が似合うのかもしれないが、幼い容姿ならノアの方が自然だ。その可愛らしい見た目で毒を吐かれるとダメージが増して困る。
「しかも普段はノアが表にいるから、こうしてレンが長く話せるのって珍しいのよね。だからこの機会にあんたにはいろんなこと喋ってもらうから、覚悟しなさい!」
「師匠のことだっけ。そんなに話せることねぇけどいいのか?」
「いいの。レンはあっちでのシルヴィたちのことが知りたいだけだから。五百年もあったんだからあいつらもずいぶん変わって……」
不意に遮られた言葉に顔を前に向けると、レンは一時停止されたように固まっていた。
しばらくするとぷるぷると震え始め、両の拳を振り上げながら咆哮した。
「な・ん・で! 五百年も生きられるわけ!?」
「いまさらなのか、それ」
なんの反応もしないから、それが普通なのかと思ってひやひやしてたところだ。
「五百年よ五百年! あんた、まさかレンに嘘ついてるんじゃないでしょうね!」
雷槍を投げつけようとするレンに、俺は慌てて次の言葉を繋ぐ。
「嘘じゃねぇって! 俺だって聞かされたときは嘘だと思ったくらいだし! それに嘘だったらどうやって炎剣技を習得したんだよ!」
「そう言われるとそうね。だとしたらどうやって五百年も生きられたわけ?」
雷槍を引っ込めてくれたことにひとまず安堵する。
「属性同調ってわかる……よな?」
「当たり前でしょ。波導のそれぞれの属性を司る精霊に波長を合わせて同化し、自分を精霊へと進化させる禁術じゃない。たしかにあれがあれば五百年どころか、波導がなくなる日まで生きられるだろうけど……ってまさか」
「そのまさかだよ。会いたい人がいるって言ってた。そいつらに会うまで、死ぬわけにはいかないって」
俺がそう言うと、レンは俯いてしまった。
それもそうだろう。属性同調というのは禁術に指定されるだけあって相当な危険を伴う。
同調する精霊を屈服させなくてはならないのだ。波導を引き出すために精霊と掛け合うのに、その精霊を波導を使わずに屈服させるのは限りなく不可能に近い。
だが、俺はそれを為し遂げた怪物を二人も知っている。
『炎天』シルヴィア・レヴァンティンと『風天』ソフィア・アルガド。
魔導と相性が悪くなければ、この二人が『魔王』を倒していただろう。わざわざ異世界から『勇者』を召喚する必要などなかったのだ。
そんな物思いに浸っていると、俯いていたレンが小刻みに肩を震わせていた。
そして我慢しきれなくなったように大声で笑い始めた。
「ば、ばっかじゃないの!?」
レンの言葉に俺は目を丸くしてしまう。
いまの流れって笑うところじゃないだろ。腹を抱えてのたうち回るレンは目の端に涙を浮かべている。間違っても感動の類いではあるまい。
「それだけのためだけに、それこそ今後の命を全て無駄にしたってわけ!? あはははは! 面白すぎてお腹がよじれる!」
目の前の光景にドン引く。曲がりなりにもレンが言うほどのことをしたというのに、なんなんだろうこの態度。怒って然るべきではないだろうか。
「で、でもまあ」
笑いを堪えながら、涙を指で拭う。
「そこまでしてくれるんだから、帰らないわけにはいかないわよね」
「最初からそう言えばいいのに」
俺が笑ましく見ながら言うと、レン顔を真っ赤にして指を突きつけてくる
「な、なによ! 別に照れ隠しのために笑ったわけじゃないんだから! だいたいその目はなんなのよ! レンは『雷天』なんだから、そんな子供を見るような目はやめなさいよ!」
「へいへい、わかりましたよ」
返事が気に入らず噛みついてきたレンをあしらいつつ、師匠たちのことを思い浮かべる。
仲間のためにこれから先の人生と、もしも輪廻転生というものがあるならば、その先に待っていたはずの『生』を、師匠たちは棒に振ったのだ。
二度と会えるかもわからないのに、属性同調をした師匠たち。それは竜一氏やレンが帰ってきてくれるという信頼があったからこその行動なのだろう。
正直、羨ましいと思った。誰かのために自分を犠牲にするやり方には共感できない。
しかしそうするだけに値する絆を結べたというのは素直に羨ましい。
俺は、あいつらとそんな関係を築くことができたのだろうか?
『勇者』としてでなく、冬道かしぎとして、心にとどまることができただろうか?
自問自答していたそのときだ。
爆発的な波動の高まりと共に上空へと光の柱が伸びていくのが目に映った。雲を穿ち、空を突き抜けていく光は、徐々にその直径を増大させていく。
「なによ、あれ」
黄金の瞳の奥に潜む冷酷さが鈍く光を放つ。遠く離れていながらも、とてつもない禍々しさをあの波動は宿している。厚く高まっていく波動はその余波で地形を変えていく。
レンはそれに気圧されることなく、淡々と呟いた。
「あれが志乃だ」
忘れられるはずがない。あの波動を孕んだ手刀に俺は敗北したのだ。
「どうすんの? あんた、体は回復したっていっても万全にはほど遠いわけだし」
レンの言う通りだ。それに以前より動けるようになってるとはいえ、肉体とイメージが送る信号にはやはり決定的すぎる差がある。思い描く最高のパフォーマンスをするには、それは絶望的な欠点だ。
気合いだけではなんともすることはできない。そこには厳然たる力の差というものが存在する。努力や鍛練などよりも重要となってくるセンスは、平和ボケした日常で衰退した俺のなかにはほとんど宿っていない。
志乃やレンのように修羅場を潜り抜け、磨かれ続けてきたものはないのだ。
だとすれば、あとはなにを頼りにすればいい。
俺が志乃に勝っていることなどたかが知れている。異世界を救うことができたのは俺ひとりではなく、仲間がいてくれたからこそ為し得た。所詮俺だけでやれることなどほとんどない。
「…………」
俺個人の力量は客観的に見ても志乃に劣ることはないだろう。
しかし勝つのは難しい。どんな些細なことだろうと勝敗に影響を及ぼす。たった一度のミスで命を落としてきた人たちを何人も見てきた。
彼らは強かった。まだ『魔王』に立ち向かうことなど夢でしかなかった俺よりも。
でも負けたのだ。格下の敵に不意を突かれ、集中力の途切れた隙を偶然に悟られて。
しかしそれは単なる偶然にすぎない。次に戦う機会が訪れていたならば、どちらに軍配が挙がったかわからない。違う結果になっていたかもしれないのだ。
だが、俺は確実に勝たなくてはならない。一度やられて、チャンスがあることが奇跡だ。
この緊張感を味わうのはこれで二度目だ。
自らの意思とは関係なく、痙攣でも起こったように体の震えが止まらない。かつてはここまでの恐怖を感じることはなかった。それはきっと、仲間がいてくれたからだ。
やはり俺はひとりではなにもできない臆病者だ。強者であると偽る愚か者だ。
ならばこのまま逃げ帰るのか?
「……そんなわけ、ねぇだろ」
天剣を復元させる。
それと同時にもうひとつ光が弾けた。
レンだ。その両腕にはトンファーブレードが携えられ、紫電が舞い踊っている。属性石を持たずとも絶大な威力を誇る雷には、まさに鬼に金棒といったところだ。
「勘違いしないでよね」
レンは俺に見向きもせずに典型的なツンデレの代名詞を、しかし獰猛な獣を彷彿とさせる凄惨な笑みを顔に張りつけながら言う。
「レンが戦うのはあんたのためとかじゃなくて、気に入らないからってだけなんだから」
そう言ったレンは何気なしに空を見上げた。つられて俺も視線を上に傾け、そこにあった光景に我が目を疑った。
空に無数のひびが入っていたのだ。やや現実を欠いた光景に息を呑む。
なにかができるわけではない。だからといって、なにもしないという状況がもどかしい。
刻まれた亀裂は順調に長さと幅を広げていく。どこまでも伸びていくように侵食していく腕は、前触れもなくぴたりと停止した。
ひびが入った範囲はさほど大きくはない。せいぜい数十メートル前後といったところだ。
横に広がったひびは、ガラスの割れるような音を立てて決壊した。
「なっ……!?」
空が割れた。それだけならば、俺だって驚きの声を洩らすことはなかった。
黒い染みが割れた空から広がっていく。虫の羽音を鳴らしながら、獣の唸り声を撒き散らしながら、理解不能の不快音を奏でながら、それらは姿を晒した。
異形――多様な動植物のパーツを適当に繋ぎあわせたようなものから、恐竜が進化を遂げたようなもなもの、人になり損なった化け物……挙げていけばキリがない。だがそれらが空に開いた穴を無理やりこじ開けながら、こちらの領域を土足で踏み入ろうとしていた。
「魔獣……! くそっ、なんでこんなときに!」
俺は八つ当たりをするように怒鳴る。
志乃が放出した波動は並のものではなかった。おそらくそれが、元々曖昧になっていた境界線を断ち切ってしまったのだ。どこの時間軸に繋がったのかは定かではないが、これだけの魔獣が流れ込んでくるとなれば思い当たるところはひとつだけだ。
『魔王』が住まう魔境だ。あそこなら時間軸など関係なく魔獣の巣窟となっているはずだ。
まだ穴が小さいためかそれほど強力な魔獣は見当たらないが、だとしてもこの状況はマズイ。仮にこちらの戦力で魔獣を倒すとなれば、いくら軍隊を注ぎ込んだところで足りない。たとえ一体倒すことができたとしても、戦闘に参加した軍隊の九割は壊滅しているだろう。
超能力者にしてみたところで、最低でも東雲さんほど戦えなければ話にならない。いや、東雲さんにしたって力不足かもしれない。
二の足を踏んでいると、俺たちを呼ぶ声が届いた。珍しく慌てた様子の竜一氏だ。
「リュウイチ、こいつらをさっさとどうにかするわよ」
「わかってらぁ。次から次へとめんどくせぇことを持ち込んできやがって!」
吠えた竜一氏の胸元から光が膨らむ。それは見る間に形を成していき、二丁の銃となって形態を固定させた。
すると姿を眼前に晒した銃と共鳴するように、天剣がわずかに重みを増した。
黒鉄の代わりに水晶で作られたのではないかと思えるほど透き通ったフレーム。吐き出される気泡は、向きとは関係なく不規則に暴れている。銃身には天剣の刀身に刻まれているのと同じ文字が刻まれていた。
「おめぇの天剣の同類だよ」
竜一氏は言って銃口を魔獣に向ける。
「海銃――天剣と地杖と同等位の属性石さ」
銃爪が絞られる。不規則に暴れていた気泡が――いや、気泡のように見えるあれは、波動の塊だ。それらが一斉に銃口に集まってくる。ひとつひとつに集約された波動は、いわばダイナマイトのようなものだ。
それらを一つの弾丸とし、撃ち出すというならば、その威力は計り知れない。
「どんな状況なのかは、おめぇらなら説明する必要ねぇな」
俺たちは各々の武器を構え、頷く。そうするだけの時間が惜しい。
「志乃をどうにかしねぇといけねぇのもたしかだが、これはほっとけねぇよ。こんままだと、マジで人類滅亡だ」
「――やらせるか」
間髪入れずに言う。意図せずして力の籠っていた言葉に、かつての意志が戻ってくる。
「絶対に、生きて帰るんだ」
またあの子に会いたいから。抱き締めて、気持ちを伝えるんだ。
いままでずっと引き摺ってきた過去と因縁に決着をつけるんだ。
背中に翼が生えたように体が軽くなる。
踏み出した一歩は音さえ引き連れることなく、俺を空へと飛翔させた。
六章完結です。はい。
やっとです。四月から仕事が始まったからといって、こんなふうに更新が滞っていいものかと苦悩している毎日です。
あー……超執筆したい……一日に千字も書けないとか……。
さて、前置きはこの辺りにしましょう。なれるまで仕方ありません。
七章で第一部は完結になりますが、第二部に入る前にやりたいことがあります。
一章のリメイクと四章の完全変更です。
一章は物語の始まりであり導入なのですから、せめてまともにしておきたいのです。
そして四章は言わずもがな。あんな専門的な内容なんて一部の人にしかわからないし、前から変更したいと思っていました。
どちらから変えても同じなのですが、どちらからしたらいいか迷っています。どちらにしても時間がかかりますし、第二部、つまり八章が始まるのは何ヵ月先になることか。
アンケートとまではいきませんが、意見をいただきたいのです。
一章も四章も多少の違いはあれど、内容を新規にする予定です。
たぶん一章の方が手間取るかもしれません。完全変更でないぶん、辻褄合わせと内容一致が面倒ですので。
では、ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
追伸
関係はないのですが、新四章を執筆するに伴ってちょっと聞いてみたいことがあります。もう一度言いますが本当に内容には関係はありません、単なる好奇心です。
皆様はこの小説のキャラクターの声を誰をイメージしていますか? また、声がつくとしたら誰が会ってると思いますか?
べつにキャラクターはなんでもいいので、自分はこの声をイメージしてるよーというかたがいましたら、ぜひ教えてくださると嬉しいです。