6―(15)「トウドウカシギ④」
竜一氏は魚の身だけを器用に食べ終えると、骨だけになったそれを海へと投げ捨てる。
「なんでここにいんのかっつったら、おめぇの傷を治すためだ。『九十九』の当主のお嬢ちゃんとポニテのおっぱいちゃんに感謝するんだな。あん二人がいなかったら、おめぇはいまごろ屍になってただろうぜ」
事もなさげに言ってくれるが、俺にしてみれば笑えない話だった。
もしも柊と一葉がいなければ俺は死んでいたのだ。そう思うと、血も凍るような恐怖が込み上げてくる。死にかけるような体験はいくつもしてきたはずだが、それさえも押し退けるほどだ。これほどまで死の沼に足を踏み入れたことはない。
腕が貫通した箇所にはまだつっぱるような違和感が残っているが、さほど影響はないだろう。ただ単になれていないだけのはずだ。それと血の回りが悪いのか視界がチカチカする。いつ意識を手放したとしてもおかしくないほどに、コンディションは最悪だった。
負った傷の深さを考慮すれば万全に近いが、やはり戦うとしたなら心もとない。
「右手の調子はどうだ? こっちに還ってきてから無茶しすぎなんだよ。あれじゃあよ、いつ切れて使い物にならなくなってもおかしくなかったぞ」
言われて右手に視線を傾けた。右手の波動の循環がしにくくなったのは、東雲さんと戦ったあとのことだった。波動を流そうとすると上手く伝達しないばかりか、内側から虫にでも食い破られるような激痛が襲ってきていたのだ。
それは日に日に悪化していく一方で、京都にいく頃にはまともに波動を流せなくなっていた。左手だけでなんとかしようと考えたこともあったが、そこまで甘い相手ではない。
志乃と交戦したときは無理矢理に波動を流していたが、それでも大規模な波導を撃つには長い溜めが必要となっていた。
指を開閉させて調子をたしかめる。そして波動を流した瞬間――、
「あー! わちきのおさかなー!」
冷風となった波動が俺を中心に、竜巻状となって吹き荒れた。その勢いは近くにいた竜一氏たちを巻き込み、さらに火と共に焼いていた魚が凍ってしまっていた。
まさかここまでの威力が出るとは思わなかっただけに、加減することを失念していた。
少女が明らかに怒っていると言わんばかりの雰囲気をまといながら振り返る。
ハイビスカスの髪飾りで小さめのツインテールに結われた黒髪。ぴょこんと一本だけアホ毛が立っている。健康的に焼けた肌の肩辺りには紐のような白い跡が残っている。活発そうな顔立ちに添えられたパーツは、幼いながらに将来を期待させるものがあった。
そんな少女が非難の視線を俺に向けている。
「わちきのおさかな! すっごくたのしみだったのにー!」
握られていた魚はちょうど食べ頃だったのだろうが、俺の波動のせいで台無しになってしまったようだった。
「ノア、魚くれぇで目くじらたてんなよ。またとりゃあいいだけだろうが」
「わちきはこれがたべたかったのに……」
少女――ノアは竜一氏に言われ、しょんぼりとしてしまった。心なしか、アホ毛まで元気がなくなってしまったかのように萎えている。
「リュウイチはたべたからいいかもだけど、わちきはたべてないんだぞー?」
「それがどうかしたのかよ」
「おなかへった!」
すると合わせたようなタイミングで、ノアの腹の虫が抗議の声を放った。
さすがの竜一氏でも腹を空かせた小さな女の子に我慢しろとなどと言えるわけがなく、なんとも言えなそうな顔でノアの満面の笑みを見つめていた。
そこでなにか思いついたのか、竜一氏は両手を打つ。
「おめぇがやったんだから、この責任はおめぇがとれ。体の調子もたしかめれんだから、一石二鳥だろ」
「これのどこが一石二鳥なんだよ」
「ああん? んなもん決まってんだろ。おめぇの体調をおれがわざわざたしかめる必要もなくなるし、ノアの面倒を押し付けれっしでほら、一石二鳥じゃねぇか」
「お前にとって一石二鳥なだけだろうが」
自分でもどこから出たのかわからないほどの冷めた声で言う。
「誰もおめぇにだなんて言ってねぇしな。勘違いする方がわりぃんだよ」
「……まぁ、やったのは俺だから仕方ねぇけどさ」
俺は竜一氏に反論するのが面倒になり、会話を打ち切るようにして立ち上がる。
「あとでいろいろ聞きたいことがある」
「わーってるよ。ちゃんと話してやっからノア連れて行ってこい。焦るほど事態は悪くなっちゃいねぇから、いまくれぇは羽伸ばしてこい」
内心で安堵する。どうやら俺が思っていたよりも時間は経っていなかったようだ。
本当ならいますぐにでも動き出したいところだが、こんな万全な体調でないまま戦ったところで先の二の舞になるのは目に見えている。ゆっくりと歯車が回っているならば、それに合わせて歩を進めていけばいいだけのことだ。
「おーいノアー、いつまでもふてくされてんな。この兄ちゃんが魚取りに行ってくれるってよ。おめぇもついてけ」
「ほんとか!? やったー! わちきもいくぞー!」
ノアは歳にしては大きめの胸を揺らしながら、体全体で喜びを表現していた。
「それで釣り道具はどこにあるんだ?」
俺が訊ねると、竜一氏もノアもきょとんとする。おいおいまさか……、
「んなもんあるわきゃねぇだろ。釣竿なんか使ってたらリハビリになんねぇからな。おめぇだけの力でなんとかしやがれ」
予想通りの展開に俺は片手で顔を覆う。頭が痛くなってくる。波導をどのように使うかは個人の自由だが、あっちの住民でも釣りになんか使ったりしない。
食文化として魚は食べないからでもあるが、その他にしたって使ったりしないだろう。
「俺は大丈夫だけどノアはどうすんだよ。釣り道具なしでいいのか?」
「心配すんなって。ノアはノアで自力でなんとかするからよ。あぶねぇって思ったら助けてやるだけでいい」
あの小柄な体で道具もなしにどうやって魚を捕まえるのだろうか。想像もできん。
「お兄ちゃんはやく行こ!」
初対面だというのに、ノアは腕をぐいぐいと引っ張って意見を主張してくる。
年下の子供に好かれるというのは悪くないが人見知りしなさすぎだ。いつか変な人についていってしまうのではないかと心配になってくる。
「くれぐれも気ィつけろよ。そいつ……」
「わかってるわかってる。ちゃんと面倒見てろってだろ? ほっといたりしねぇよ」
「そうじゃねぇよ。そいつはな――」
竜一氏の言葉を遮って、ノアの元気な声が割り込んでくる。
「お兄ちゃんはやく行こうよー! わちき、いっぱいおさかなとるんだから!」
「わかったから引っ張んなって。じゃああとで!」
最後までなにか言いたそうにしていたが、それを聞く前に俺の意識は竜一氏から逸れた。
どうやらここはどこかの離れ小島らしい。深い森を避けて外周を歩いた様子から、大まかな地形を読み取ることができた。より戦いを有利に進めるためのには、こういうスキルが強く求められてきた。とはいえ、相当な実力者ともなれば地形を無理やり破壊しながら戦うこともある。必要ないと言えばそれまでの技能だ。
だがこういった日常においては大いに役立ってくれる。目を覚ませば見知らぬ土地にいる、などという状況はまずないが、現にそれに直面していた俺には大助かりだった。
それにしても気になることがある。ノアが先導して歩いているこの道についている跡は、何度も行き来しているためについたものだろう。気になるのは、その周辺にところどころある陥没した痕跡だ。そのクレーター付近には焼かれたように黒く炭化した草木があり、それが遠くまで続いている。
隕石のようなものが落下したとしても、このような焦げ跡は残らないはずだ。だとしたらこれはなんなのかと追求したいところではあるが、それはあとで竜一氏に聞くとしよう。
「ノアちゃん、どこに行こうとしてるんだ?」
「んーとなー、もっとさき!」
がくりと脱力する。さっきからずっとこれだ。しばらく歩いて島を半周近くしているというのにまだ着かないのか。いったいどこに向かおうとしているのか検討もつかん。
俺はだいぶ疲れてきたというのに、ノアは相変わらず元気だ。人並み外れた体力を持っているというのは、歩いている間に思い知らされた。おそらくノアも異能に染まっているのだろう。そうでなければ、こんな成長途中の少女が岩を跳び移ったり木を垂直に走ったりするわけがない。というより普通はできない。
それに改めて思い返してみると、把握できていないことが多すぎる。あとで竜一氏に聞くとしても、こうわからないことがありすぎると不安になってくるものだ。
「おにいちゃーん! はやくはやくー!」
目的地が近いらしく、森のなかにノアの姿があった。誰も立ち入ったことがないためか足場がかなり悪い。石は散乱しているし、枝など行く手を遮っている。俺が考え事をしてる短い時間でこの距離をどうやって移動したんだ。
ひとまずごちゃごちゃ考えるのはやめよう。ノアに追いつくのが先決だ。
竜一氏がこれをリハビリと言った理由がやっとわかった。ノアに追いつくには、波動を使わなければならない。普通の身体能力ではすぐに見失ってしまうことだろう。
爪先で地面を叩いて足場を固定。次に全身に波動を巡らせる。今度は暴発させないように凝縮させながら、ゆっくりと息を吸い込む。吐き出した息にも波動が乗っているのを確認すると、一気に駆け出した。
景色が流れていく。少量しか込めていなかったはずなのだが、予想を遥かに超えた速度に目が追いつかなかった。感覚にズレが生じていた。例えるならば歩いていたら急に数倍の速度になった感じだ。
人間の太股ほどの太さのある枝が迫る。後ろに倒れるように回転させて避けると、地面に踵を突き刺して体を停止させた。
「おー! おにちゃんすごいなー! わちきびっくりしたー!」
「……俺もびっくりだよ。体調は最悪なはずなんだけどな」
なのに出力は還ってきてからの万全を圧倒的に凌駕している。驚くなという方が無理だ。
「よーし、わちきもがんばるぞー!」
なにを頑張るんだ――出かかった言葉が、直前に押し戻された。
真横で青い稲妻が迸っている。空気が弾けて飛んでくる火花が俺の肌を焦がす。
『雷鎧』
無詠唱の波導でこの威力にも驚きだが、それはどうだっていい。問題なのは、ノアが波導を使っているということだ。どうしてノアが波導を使うことができるんだ――!
「ノアちゃん、なんで波導を……」
「おにちゃん! わちきときょうそうだぞ!」
「は?」
「よーいどん!」
聞く耳を持たないとはこのことだ。雷を纏ったノアの背中が一瞬にして離れていく。というか速度だけを追求した『雷鎧』の状態のノアと競争したところで、結果がどう転ぶかなど火を見るよりも明らかだ。かといって追いかけないわけにもいくまい。
『風車』
風系統の波動によって編まれた小型の竜巻が靴底と肘に形成される。両手両膝を地面につけると、超低空の姿勢ままその場から飛び出した。
周りの木々を風圧で押し退けながらノアを追いかける。しかしそれでもかろうじて見失わない程度だ。どんどん引き離されていっていることには変わらない。
氷系統ほどでないにしてもある程度は風系統の波導は極めている。雷系統と競争しても、大抵の使い手なら逆にこちらが引き離せるほどだ。本当にどうなってるんだ。
このままだとノアを見失ってしまう。攻撃をしていいなら叩き落とせばいいだけなのだが、さすがにそんなことをするわけにはいかない。したところであてられそうにもないが。
「おそいよ、おにいちゃーん!」
お前が速すぎるんだよ、などとは言えない。
ノアのスピードは確実に『雷鎧』の成せる限界を超えている。追いつけるわけがないのだ。
などと考えていると、突然ノアの姿が眼前に迫ってきていた。
とにかく逆風を放って勢いを殺したが間に合わず、ノアを巻き込むようにして森のなかを跳ね回った。体のあちこちに激痛が走るが、いまは気にしている余裕はない。
「大丈夫か!? 怪我してないか!?」
起き上がった俺はまずノアに怪我がないかたしかめる。庇うようにしたとはいえ、あの速度でぶつかったのだ。どこか怪我をしていても不思議ではない。
「あはははははは! お、おにちゃん、そんなにさわったらくすぐったいぞー!」
「あ? ……っ!? 悪い!」
ノアが子供で助かった。無意識とはいえ胸を触っていたのだ。下手したら平手を喰らっていたかもしれない。落ち着け落ち着け、相手は子供なんだから俺がしっかりしなければ。
たしかめてみた限りではノアに怪我はなかった。ギリギリで間に合ってよかった。
「きょうそうはわちきのかちだぞー! わちきはやかった?」
「速かったぞ。俺じゃ追いつけねぇや」
あれに追いつくなんて真宵後輩だってできるかわからない。いや、歴代最高の鍛冶師である『雷天』だって追いすがるのがやっとかもしれないほどだ。
「それじゃここでおさかなとるんだぞ!」
ノアが両手を広げて宣言する。その背後には巨大な湖があり、たしかに海で釣るよりも魚を多く捕れそうだった。水面に近づいてみれば、底が見えないほど深い。たまにうごめく影は不気味なほど大きかった。なるほど、穴場か。
「でもどうやって釣るんだ? 釣竿もないし素手じゃ捕まえられないだろ?」
「……?」
ノアはわけがわからないと言いたげに首をかしげた。
これはだめだ。面倒を押しつけるとか言ってたけど、全部やらせるつもりだったのか。
リハビリついでに波導で魚を捕れということらしいが、水面下を動く的にあてるのはかなり難しい。狙いを定めないで規模だけを広げてやれば簡単だが、それではリハビリにならないか。
俺はため息を洩らしながら氷柱を作ると、槍投げのような投擲の姿勢で構える。
「おにちゃんはそんなちっちゃいのでおさかなとるの?」
「ん? このくらいあれば刺さるだろ。あんま大きくても投げにくいしな」
「そーなのかー。でもわちきはおっきいのをつくるぞー!」
意気込むノアを見て微笑ましい気持ちになる。
――だが、俺は気がつくべきだったのだ。
先ほどの速度が、そのまま威力に変換されるのだということを。
背後から突き刺さる凶悪なほど膨大な波動に汗が全身から噴き出す。その汗が波動の圧によって蒸発する。肌を焦がす鋭利な痛みは徐々に増していき、ついには耐え難いほどになる。
眼球から水分が弾け飛ぶ。振り返った先には、大木ほどもある雷の槍があった。
「えへへ、すごいでしょ?」
すごいの一言で済ませていい代物ではない。視界から外して振り返るだけの間に、これだけ細かく編み込まれた槍を作れるものなのか。
波導とは触媒となる属性石を介することで力を発揮する。人の身だけでできることなどたかが知れている。だというのに、これはなんなのだ。
あんぐりと開いた口が塞がらない。こんな槍を投げようものなら、この湖くらいなら蒸発させるくらい造作もないことだ。
そこで俺は理解した。竜一氏の気をつけろという言葉と、道中にあった破壊の跡。あれらは全部ノアがやったことだったのだ。
「ちょっと待てノアちゃん! それはだめだ!」
「だいじょぶだよー。わちきがいーっぱいおさかなとってあげるから!」
俺が言いたいのはそういうことではないが、言ったところでどうしようもないだろう。
ノアはすでに腕を振りかぶっている。これが放たれれば、魚が捕れる捕れないどころではない。湖だけでなく、雷の余波でここら一帯がけ原になってしまうかもしれない。
「ちっ……!」
舌打ちを一つこぼし、属性石に波動を叩き込む。
まばゆい光が首飾りから放たれ、形となって右手に納まった。
柄や鍔に金の装飾の成されたロングソード。刀身の表面には文字のような壕が刻まれている。ずっしりとする重さは、いまとなっては落ち着きさえするほどに馴染んでいた。
伝説の剣――天剣を雷の槍へと突きつける。
「おにいちゃん? そこにいたらあぶないぞ?」
「危ないってわかってるなら投げるのはやめような? そんなん投げなくても、魚くらい俺が捕ってやるから」
「や! わちきがじぶんでとるんだぞー!」
聞き分けのない子供だ。まあ実際に子供なのだから仕方ないとも言える。
だが、やっていいことと悪いことの区別はつけなければならない。こればかりは子供だから仕方ない、などという言い訳は許されない。
「なら勝負だ、ノアちゃん」
「むむ」
「ノアちゃんが投げたそれを受けきったら俺の勝ち。それ以外ならノアちゃんの勝ちだ」
会ったばかりだがなんとなくノアの性格は掴めている。負けず嫌いのおてんばだ。さっきの競争にしてもムキになっていた節がある。だとすれば……、
「いいぞー! わちきまけないからなー!」
言葉と裏腹に引き締まった空気に息を呑む。まるでノアが一つの波動の塊になったようだ。
雷の槍からノアの腕を伝い、雷の化身となる。溢れ出る波動はノアと槍の双方に干渉し、誘発するかのように勢いを増していく。それに比例して槍の矛先がが変化していく。三つに割れた矛先が、意思を持っているように狙いを俺に定めた。
やめとけばよかったかもしれないと、いまさらながら後悔している。
あんなのどうやって受け止めればいいんだよ。ノープランで発言するもんじゃないな。
「いくぞー!」
「来い!」
高く跳んだノアから雷の槍が離れる。今度は見えている。視界の中央に捉えたそれの先端を目掛け、氷系統の波動を刀身の先から柄尻まで余すことなく注ぎ込んだ刃を振り抜く。
反動で押し戻されそうになるのを堪えるが、その分だけ筋肉が悲鳴を上げていた。
逆方向にかかる力が拮抗して逃げ場を失い、ひたすら受け止めている腕に負担がのし掛かる。内側を破って血が噴き出す。それを皮切りに堰を切ったように噴き出し続け、辺りを紅に染め上げていく。
靴底が滑り、湖の方に押し込まれていく。踏ん張りが利いてても、足場が悪いのでは受け止めきれないか。しかしもう足場に構っていられる余裕はない。
槍の軌道は寸分もズレる様子はない。せめて打ち上げることができれば――!
「もいっこいくぞー!」
危うく思考が停止しかけた。この槍を追加だと? お前は俺を殺すつもりなのか。
受け止める槍とは他に波動が膨らんでいく。これと同等な威力が上乗せされようものなら、俺なんて塵すら残らずに消し飛んでしまう。
ノアは本気だ。俺がどうなってしまうだとか、後先考えたりしていないのだろう。無自覚でやろうとしているのだから質が悪い。
切り抜ける手段はあるにはある。出し惜しみなどしたくはないが、この場面で確実に窮地を脱せられるかは未知数なのだ。それで失敗すれば俺は消し炭だ。
こんなところで馬鹿みたいな終わり方をするのか? やっと帰ってきたのにそれで終わりにするのかよ。仲間に励まされて見送られたのに、こんなのでいいと思っているのか?
まだなにも成し遂げていないのにた中途半端に投げ出したままだというのに――、
「終わってたまるか!」
咆哮し、柄を強く握りしめる。
ふざけるな。こんな下らないことで終わってなどやるものか。生きて帰るんだ。
もう二度と、真宵後輩を悲しませてたまるものか!
天剣を強引に移動させて真横に添える。腰を低く沈め、抜刀するように構える。
そして――。
解き放たれた一撃は、後ろに控えていた雷の槍もろとも両断した。
◇◆◇
足跡を辿りながら、竜一はぶつぶつと呟く。
「あー……ったく、おれの柄じゃねぇぜこんなの。おれってばほんとは放任主義なんだぜ? あいつらが気になったとかそういう理由で自分から面倒そうな方に歩みを進めるはずがねぇんだよ。あれぇ? んじゃなんであいつらんとこ行こうとしてんだ? うーん、あれだな。気になっだから仕方ねぇだろ!」
誰に言うわけでもなく独り言を、しかも最後には叫んだ竜一は、もはや不審者だろう。無人島だからこそ一人で叫んでいるが、もしも見られていれば恥ずかしくて出歩けない。
でたらめに伸ばし放題にしていた髪を短くしたためか、首もとが妙に寂しかった。
「あん? おいおいノアのやつ、どこにつれてってんだよ」
額に手を当ててため息を洩らす。二人を出向かせたのは冬道のリハビリというのも理由の一部として含まれているが、あくまでも今夜の食材の確保がメインである。
二人の足跡は湖のある森のなかへと続いている。あの湖で魚は捕れることには捕れるが、とても食べられたものではない。以前に食べて腹を壊したのはノアもなのだが、どうやらすっかり忘れてしまっているようだ。
この調子だと結局、自分で調達するしかなさそうだ。
「……おい、あいつらマジでなにやってんの? 環境破壊に貢献しちゃってんの?」
折れた木々や抉られた地面は最近のものだ。考えるまでもなく二人のせいだ。
「やっぱしおれが一緒の方がよかったな。手間を省こうとするとロクなことがねぇ」
冬道の勘を取り戻させるにはノアとつるませるのが最短の手段だと思っていた。
本能のままに力を振りかざすノアと力比べをすることになれば、否応なしに死ぬ気で対抗せねばならないだろう。それこそが竜一の狙いだ。
つねに死と隣り合わせどころか、半身を死の沼に沈めていたなかで冬道の力は培われてきた。劣化してしまった感覚を取り戻すには、同じ状況にしてしまうのが手っ取り早い。とはいえ、それはダメ元の案として用意していただけだ。
そんなことをせずとも、他にもプランはいくつか立ててある。
時間がないなかで正解があるかもわからないことを実践するのは気が進まないが、引き受けたからにはやらなくてはなるまい。
「にしても、六年ごしにこんなデケェことしでかすなんてなぁ。少しぐれぇ大人しくしてらんねぇのか」
思い出すのは六年前のやり取りだ。あのときは黒衣の侍と二人で挑み、激闘の果てに引き分けるような形で終戦した。失ったものは大きかったが後悔はしていない。なにせ自分のためだ。やらなければ死んでいたのだから、やるしかないではないか。
けれどそうしてしまったことで、志乃の闇に触れることになってしまったわけだが――、
「そいつぁ、おれの出る幕じゃねぇわな」
自分の代でやるべきことはやり遂げた。ならば次の代へと繋ぐことこそが、最後にやるべき仕事だろう。おそらくそのために、冬道と竜一は出会わされたのだ。
「ん? んん!? こりゃノアか!?」
空気から伝わってくる痺れのような振動に竜一は歩幅を広くする。
奥に進むほど痺れは強烈になっていき、それを目で確認できるようになったときには、肉体を強化していなければ耐えられないほどの電圧となっていた。
ならほぼゼロ距離で雷槍を受け止めている冬道など、どれほどの激痛に襲われているのか想像すらしたくない。しかもノアは二撃目を上乗せしようとしているではないか。一本でさえギリギリだというのに、二本など受け止められるわけがない。
そう判断した竜一は懐から水色の宝石――属性石を取り出す。復元言語を唱えようとして、
「――っ!?」
思わず木の影に身を隠す。間に合わないわけではない。いまからでも雷槍を相殺させるほどの威力なら、無理をせずともひねり出すことができる。
だがそうしてしまったのは、冬道がある構えをしたからだ。
腰を低く沈め、剣を抜刀するかのように体の真横に添えている。だがそれにしては縮こまった体勢だ。本来の『型』はもっと自然体だ。あのように無理やり構えを窮屈にはしない。独自の発展をさせた結果が、あの構えに行き着いたのだろう。
あの技は冬道が扱える代物ではない。いや、扱えなくとも仕方ないのだ。
これは『炎天』が自分のために編み出した継承されるべき技ではないのだから。
刃が解き放たれる。
レヴァンティン秘伝奥義――龍火閃
氷龍の幻影が見えるような一撃が、二本の雷槍を食いつくした。
気絶した冬道を背負った竜一とノアは、やってきた道を引き返していた。
今夜の食材の確保はできなかったが、そんなものよりもずっと価値のあるものを見れた。かつてなら飽きるほど見てきたそれだが、還ってきてから見られるとは思ってもいなかった。
「レヴァが教えたのね。貴方にしか懐かなかったあの子がねぇ」
さっきと雰囲気のがらりと変わったノアに眉ひとつ動かすなく、竜一は返事をする。
「レン、いきなり出てくんな。ビビんだろうが」
竜一がレンと呼んだ少女が不機嫌そうに言う。
「別にいいでしょ。こっちに来てからサイズも縮んじゃって、いつ出てこられるかわからなくなってしまったんだから。しかも変な人格まで芽生えちゃってるし」
「二重人格っつーんだって何回も言ったろ。まあおめぇみたいのは珍しいんじゃね?」
「貴方が知らないならレンが知ってるわけないでしょ。相変わらずバカね」
「うっせぇよ」
竜一の胸下ほどの身長しかないレンに言われても、子供が無理して大人ぶっていますという感じで怒る気すら起こらない。実際、いまのレンはただの子供である。
レンはそれを悟ったのか、無言で爪先を竜一の脛へと振り抜く。鈍い音が響き渡る。
「ば……っ!? お、おめぇなぁ……!」
「ふん。レンをバカにするから悪いのよ。少しは反省すればいいわ」
そっぽを向くレンの後ろ頭をひっぱたいてやりたくなったが、体の主導権はほとんどノアにあるのだ。痛みが引く前に人格が切り替わろうものなら、泣かれて面倒なことになる。
ぐっと気持ちを抑え込むと、握った拳を開く。
「レヴァンティン秘伝奥義・龍火閃。なかでも会得しやすい技ではあるけど、彼、炎系統を使えないみたいよ」
「あぁ、こいつが得意なのは氷系統だ。炎剣技なんて使えるわきゃねぇんだ」
「でも、さっきのは間違いないわ。ちょっとアレンジが加わってるみたいだけど」
レンの雷槍を食らいつくした『型』の中身は紛れもない炎剣技だった。だが、属性は炎とは両極端にある氷だったのだ。
「炎剣技はあの子が作った複製不可の剣技。まさか氷系統でやってのけるなんて……」
あり得ないと否定したかったが、目の前で見せつけられてしまってはどうしようもない。
「あっちでも色々あったんだろ。シルヴィが系統の違う波導使いに教えたぐれぇだしな」
「レンがいなくなってる間になにがあったのかしらね……」
立ち止まったレンは空を見上げると、遠い目をする。
昔を思い出して感慨深くなるような性分ではないだろうにそうしてしまうのは、もう還ることのできない故郷に想いを馳せているからだろう。
さすがの竜一も、こんなときにふざけられなかった。
「なあに辛気くさくなってんのよ。レンが悪いんだから、貴方が気にすることないでしょ」
「……わーってるよ。いつまでも気にしてたら埒があかねぇし」
「気にするなとは言ってないのよ」
言葉に詰まる竜一にレンは口元を隠してくすりと笑う。
「話は彼が起きてから聞けばいいしね。貴方はそれまでに夜ご飯を用意しなさい」
「は? んでおれがやらにゃいけねぇんだ」
そう言った直後、笑うのをやめたレンが振り返る。
「いいわね?」
素晴らしいその笑顔に、逆らうすべはなかった。
◇◆◇
遅ればせながらわたくし牡牛ヤマメ、社会人として働か せていただいています。
大変ですね。正直なめてました。仕事が終わってから執 筆になるんだな、とか考えていましたがそんな暇はナッシング。
仕事が始まって三週間経ってようやく活動報告する気になれました。
そのことからお分かりでしょうが、執筆の方が滞りまくってます。前までは一日に三千字くらい書けたらいいなだったのですが、いまでは千字が限界となったおりまする。
ということで、テンキシの更新は一話が完成してからか、二週間に一回にすることにしました。
ドロンしないように気を付けますので皆さま、暖かい目 で見守ってください。
以上、牡牛ヤマメからでした。