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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第六章〈志乃覚醒〉編
84/132

6―(13)「トウドウカシギ②」


 夜の闇を明るい灯火が煌々と照らしている。昼間はどちらかといえば寂しい印象を受けた広場は、大勢の人垣で賑わいを潤わせていた。

 円形である広場の外側に沿うように配置されているのは、今日のために街の人たちが用意してきた出店だ。それは広場を抜けた先にある大通りにまで続いている。こっちの世界の出店も地球のものとそこまで大きな差があるわけではなく、食べ物や娯楽の店舗が多く出揃っている。祭りだからといって値段が高くなっているのもそのままだ。

 懐かしいと感傷に浸ることでもしたいところだったが、そんな気分にはなれなかった。

 祭りを笑顔で楽しむ人波を見ながら、俺はいまについて考えを馳せていた。

『魔王』を倒したにもかかわらず、俺がこっちの世界に居続けていること。それは明らかにおかしいのだ。なにせ俺には地球に戻ったことやエーシェたちと別れをした記憶もある。

 エーシェになぜ地球に戻らなかったのかと聞かれるまで、俺がここにいるのは当たり前のことだと思っていた。いや、頭ではここにいることがおかしいとわかっていても、いまでもそれが当たり前だと思えてしまう。違和感なく受け入れてしまう。

 だがそれは間違いなのだ。地球に帰ってからの記憶がないとはいえ、俺はたしかに戻ったのだ。

 俺の感覚が事実なのか虚実であるかの判断は正直なところ、いまは下すことはできないが、早いところ真実を見つけ出さなくてはなるまい。

 胸騒ぎがするのだ。こんなところで道草を食っている場合ではないと、さっさとあるべき場所へと帰るのだと本能が叫び散らしている。

 それに、俺はまだ最も大切なことを忘れている。胸にぽっかりと穴が開いてしまったような喪失感があるのだ。大切な気持ちをどこかに置き去りにしてきたような、そんな喪失感が――。

 そこまで考えたところで、不意に視界が真っ暗になった。さすがに驚きこそしなかったが、警戒してしまったのは仕方のないことだろう。

 だが、そんな必要はないということがすぐにわかった。

「そんなにぼんやりしてると、後ろから刺されるかもしれないだろ?」

 聞こえてきた声が教えてくれたからだ。あと背中に押し当てられている柔らかい二つの山が。

 声の主が目隠しするのをやめると俺は振り返り、そこで思わず言葉を失った。

「ど、どうだ? 君の師匠から五百年前の『英雄』からもらったものだと渡されてな。アタシはいつも通りの格好がいいと言ったんだが逆らえなくて。に、似合っているか?」

 恥ずかしそうに上目遣いで見上げてくるリーンが着ていたのは、淡い水玉模様の浴衣だった。涼しげな雰囲気や色合いは彼女によく合わさっており、芸術と言うべき美しさを醸し出していた。

 しかし、それは紛れもなく地球のもので、こちらの世界には存在するはずのないものだった。

 なにか俺の記憶に関係あるかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。

「黙りこんだりしてどうしたんだ? ……似合わないならそう言えばいいじゃないか」

「似合ってないわけないだろ。すげぇ似合ってる」

「本当か!? ははっ、君に誉められるなんて嬉しいよ。恥ずかしさを忍んだかいがあったというものだ」

 その場でくるりと一回転したリーンはいつもの王子さまスマイルではなく、女の子らしい笑顔でそう言った。

 いつもそうしてたら可愛いのになどとつい言ってしまいそうになるが、 そのあとどんなことをされるかわかったものではないという恐怖が、なんとか踏みとどまらせてくれた。

「でも五百年前のってことはさ、それってすげぇ汚いんじゃ……」

「いくらなんでも五百年前にもらったものを切るわけないだろ。これはそれを参考にして作ったって言ってたぞ。というか、さっきの間はそんなことを考えてたんじゃないだろうな?」

 拳を作りながら言うリーンに身の危険を感じ、俺は慌てて言い繕う。

「ちげぇよ。ただ見蕩れてただけだ」

「はぁ!?」

 すっとんきょうな声を出したリーンは咳払いをして仕切り直すと、まるでいまのをなかったことにするような澄まし顔で言う。

「不意打ちはやめてくれ。もしいまのが子猫ちゃんたちに見られたらどうするつもりだったんだ。せっかくアタシが築き上げてきた王子さまの印象が台無しになるだろ」

「それって素じゃなかったのか」

「女であるアタシの素がこれだったら、男泣かせもいいところだろ?」

「もしかして喧嘩売ってる?」

「悲しいことに、売ったとしても君は買ってくれないだろ。だけどまぁ、君には当てはまらないとアタシは思うよ『勇者』さま?」

 やはり喧嘩を売られているようにしか思えん。しかし買ったら血祭りになるのはほぼ確定しているので、俺はそれを無視することにする。

「それに君の『きながし』っていうんだっけ? 祭りに映えるじゃないか。あれ、そういえばいつものままじゃないか。せっかくなんだから君も違うのを着ればよかったのに」

「俺はこれでいいんだよ。浴衣とそんな違和感があるわけでもねぇし」

「アタシとしては君の他の格好も……って君こそその『きながし』洗ってるのか!?」

 こっそり腕を組もうとしていたリーンは、鼻をつまみながら一歩だけ後ずさる。

「失礼なやつだな。洗ってはねぇけど、この着流しは王家の物なんだよ。だから汚れはこれ自体が勝手に清浄してくれるし、破れても再生するんだ」

 元は王になった人間のために作られたらしいのだが、旅に出る日に餞別として渡されたのだ。形は本人の意思によって自由に変化してくれるから、やろうと思えばこの場で着替えることだってできる。

 だけど最初に着るときは抵抗があったものだ。王が着るものということもあったが、直前までは現在の王である姫さんが着ていたのだ。さらには顔を知らない奴らが着ていたかと思うと、どうしても嫌だった。

 しかしそこは姫さんのちゃんと体洗ってますから告白によって折れることになる。人前であんなことを叫ばれては着ないわけにもいかなかった。

「へぇ。ヴォルツタインの姫様が着てたんだ。そうかそうか、次に会ったらいい声で鳴かせて昇天させてやらないといけないな」

「お前は姫さんになにをするつもりだ」

「え? 決まってるだろ、初めてを奪うんだ。最初は痛いっていうけど、アタシにかかれば痛みを感じる前にイかせてやるなんて造作もないことだからな」

「もう姫さんには会わせねぇからな」

 こいつは色々と危険だ。そんな当たり前のように言ってんじゃねぇよ。

「冗談だよ。そもそもアタシの故郷とヴォルツタインじゃ離れすぎているからな。わざわざ出向いていくような手間はしたくないさ」

 それだと近かったら行くように聞こえてしまうのだが、ようやくこの話題を終わらせてくれたのだから掘り返すのはよしておこう。

 リーンはうっすらと微笑みながら、ごく自然に腕を絡めてくる。

「では……そうだな。うん、祭りってどうしたらいいんだ?」 

 リーンのセリフに思わず力が抜けてしまった俺は悪くはないだろう。わずかに頭痛のしてきた頭を押さえながら、呆れを隠さないまま訊ねる。

「なんも知らねぇで祭りに行くとか言い出したのかよ」

「む。方ないだろう。いまでこそ援助金のおかげでこうしていられるけど、アタシはずっと子供たちを養うために戦ってしか来なかったんだ。祭りなんてことに時間を割いているはなかったんだよ」

 元々リーンが俺たちの仲間になったのは、『勇者』のネームバリューを利用して孤児となった子供たちを養うための金を得るためだった。

 しかも初対面は最悪なもので、『氷天』を選定するための試合のときだった。

『氷天』のみならず、『八天』に選ばれた人間には様々な権限が与えられる。リーンが選定式に参加したのも権限を使って孤児院を建て、養うための金を引き出すためだ。

 いまは俺が『氷天』の権限でリーンがやりたかったことを成し遂げている。おかげで称号はただの飾りになってしまっているし、それも『勇者』の存在によって欠き消されている。

「君にはずいぶん世話になった。まさかこんな風に祭りを一緒に楽しむなんて思いもしなかったけどね。……どうせなら、子供たちと一緒に楽しみたかったな」

「俺じゃ不満か?」

「いいや、今回はむしろ君と祭りを楽しむことに意味があるんだ! 子供たちや子猫ちゃんたちとはまたの機会にすればいいだけだしな」

 さあ行こうと意気揚々と歩き出したリーンに引っ張られながら、俺はこのあとにあるだろうことをどう切り抜けようかと思考を回転させた。


 リーンはどちらかといえば祭りなんてすぐに飽きるかと思っていたのだが、予想に反して終始にこにことをしていた。頭には狐のお面を斜めに被り、手には出店で買った棒付きの食べ物を持っている。

 こうして無邪気にはしゃぐ姿からは、誰も『勇者』パーティー随一の特攻隊だなどと思ったりしないだろう。

 俺だってただすれ違う程度なら、可愛い女の子だなという感想くらいしか抱かなかっただろう。

「あっはっは! いやぁ、祭りがこんなに楽しいものだなんて思わなかったな。日常が戦い三昧だったとはいえ、これほど損したと痛感したことはないな」

「楽しんでもらえたみたいでなによりだ」

「あぁ。チトルの入れ知恵というのが悔しいが、それを覆して余るほどだ。……そうだ、お礼にチトルにもなにか買っていってやるか」

 目をキラキラと輝かせながら、リーンはなにを買おうかさっそく思案を始めていた。

「買わなくていいと思うぞ。どうせ女の子を口説いて楽しんでるだろうからな」

 たぶん貰う側ではなく、あげる側として成をだしているのだろうけれど。

「いいんだよ。こういうのは気持ちが大切なんだ。チトルだってたまには貰う側になったって悪くないだろ?」

「まっ、お前がそう言うならいいんだけどさ」

 そう言ったところで、不意にリーンがにたりと怪しさ満点の笑みを浮かべた。

「なんだなんだ、もしかして嫉妬してるのか?」

「あ? なんで?」

 あんな顔をするものだからいったいどんなことを言い出すのかと思えば、なんだそれは。どうして俺が嫉妬しなければならないのだ。嫉妬する要素がどこにあった。

「素で返されるとさすがにアタシでも傷つくんだけど。二人っきりでいるときに他の男の話題がでたら、普通は気にするもんだって聞いたぞ」

「身内同然の男に嫉妬しろってのも難しい注文だぞ」

 というか、それって付き合っている男女間だけに生じることじゃないのか。

「アタシは君にエーシェの話をされたら嫉妬するぞ。このあとエーシェと祭りを回るというのを考えただけで、この時間が永遠に続いてくれればとさえ思ってしまうほどにはな」

「この騒がしさがずっと続くのもどうかと思うけどな」

「違う違う。祭りがではなく、君といることがだ」

 かけていただけの狐のお面で顔を被うと、お面越しのくぐもった声で言う。

 どことなく甘い響きのあるそのセリフに、不覚にも鼓動が強く脈打った。

「どうだ? 少しはドキッとしたか?」

「……するわけねぇだろバカ」

 認めるのは癪に触るで、俺はポーカーフェイスを保ちながら、リーンの瞳があるであろう位置をじっと見つめながら言ってやる。

「そっか。それは残念だな」

 わずかに声のトーンが下がった。それにはリーンが口にした言葉の通り、残念だという感情が色濃く映し出されていた。

 ――やめろ。これ以上、俺のなかに踏み込もうとするな。

 表に出してしまいそうになる感情の奔流を必死に内側に押し留める。これを爆発させたところで、この先になにが起こるかなど簡単に予想することができる。そうしてしまったら余計に自分を見せてしまい、他者との間に引いている境界線が狭くなってしまう。

 そんなことになれば――後戻りはできない。

「お姉さま!」

 耳に残るような甲高い声で、誰かがリーンのことを呼んだ。

『お姉さま』がリーンだとわかってしまうことに複雑さを抱きながら俺は振り返り、そして顔を思いきり引きつらせてしまった。人波をもとのもせず立つ、女の子の集団がそこにあったからだ。

 ただし、それくらいなら引きはしても顔に出すことはなかっただろう。全員がリーンを見てうっとりしていたのだ。どうしたって関わり合いにはなりたくはない。

「そのような格好をされてどうなされたのですかお姉さま!? それと隣のけだものはなんなのですか!?」

 ひどい言われようだった。『勇者』だと威張るつもりはないのだが、もはや王子さまの前では霞んで見えてしまうらしい。

 悲しいのやら、かかわり合いにはならなくて嬉しいのかで、よくわからない気持ちになってしまっていた。

「やれやれ、子猫ちゃんたちに見つかってしまっては二人っきりというわけにもいかなくなってしまったな。カシギ、君はエーシェのところに行ってやれ」

「いいのかよ、時間まだ残ってるぞ?」

「仕方ないだろう。子猫ちゃんを撒きながら楽しむのは難しいからな」

 被っていた狐のお面を外して俺に押しつけるようにして渡してくる。

「それが今日アタシと祭りを一緒に回ってくれたお礼だ。いまつければ、まだアタシの温もりが残ってるかもしれないぞ?」

 片目をぱちっと閉じながら言うと、さっさとここから離れるように促してくる。俺に背を向けたリーンに言葉をかけようとしたのだが、ほっといてくれと雄弁に語っていて、結局なにも言うことはできなかった。

 地面を蹴って建物の上に跳ぶと、狐のお面を被った。


     ◇◆◇


 リーンといるはずだった時間は、夜空を眺めることで流すことにした。地球も異世界も、暗がりの空に点々と光輝く星たちが幻想的だというのは同じだった。

 俺はこうやって星空を眺めるのが好きだ。静かな場所でゆっくりと過ぎていく時間を過ごしたり、自然の音を聞いたりするのも悪くない。騒がしいところが嫌いとまではいかないが、自分から行く気にはなれない。

 ここに来る前の俺だったら思わなかったことだ。自分にしかやれないことを求めるだけで、ただ自堕落に生きてきた俺では絶対に思わなかった。

『魔王』を倒すために召還され戦乱の真っ只中に我が身を放り投げるなんて、いま思えばずいぶん自殺に近い行為をしたものだ。それで生き残ることができたというのだから、人間という生き物はどうかしている。

 戦いに身を浸けてきたからこそ、俺は静かな場所を好むのかもしれない。

 自分から望んでおいて、いまさらそれを否定するようなことを考えるようになるなんて、これまでやってきたことはなんだったのだろう。本末転倒ではないか。

 ――ですが、後悔はしていないのでしょう?

「……っ!?」

 いまのは、誰の声だ。周りを見渡してもそれらしき声の主は見当たらない。問答者のいないその質問は実に気味が悪かった。

 しかし、こかで聞いたことのあるその声は、俺のなかでわかだまっていた不安を根こそぎ持っていってくれた。

 質問の答えは『イエス』だ。後悔なんてしていない。ここに来ることができたから、俺は前に進めることができたのだ。

「あ、あれ、勇者さま!? どうしてもういるんですか?」

 今度こそ聞こえた声は幻聴ではないようだ。

 声の主はリーンと同じように浴衣を着たエーシェだ。

「俺がもうここにいたらいけないことだったのか?」

「そういうわけじゃないですけど、まだリーンと一緒にいる時間なんじゃないかなって」

「ほんとならな。迷惑なことに、リーンのおっかけに見つかって、仕方なく早めに切り上げることになったんだよ」

 理由を聞いてエーシェは乾いた笑いをするしかないようだった。まあ当然である。少しはエーシェのおっかけを見習えと呈してやりたいほどだ。

「リーンのを見たからわかると思いますけど、勇者さまのお師匠さまから『ゆかた』をいただきました! どうですか、似合いますか?」

 あのリーンでさえ恥ずかしそうにしていたのに、エーシェがこんなにもぐいぐい来るなんてどういうことなのだ。

 もしかしてリーンは普段が普段なだけに、浴衣という衣装が恥ずかしかっただけだというのか。それならばあの態度にも納得がいく。

「勇者さま? もしかして似合いませんでしたか!?」

「心配すんな。似合ってるから」

 ピンクの花柄模様の浴衣。エーシェが着るならこの色合いのものだと思っていた。というよりこれが似合いすぎて他の色が褪せて見えるくらいだ。師匠もそれがわかっていたのだろう。さすが師弟だ。

 にしてもエーシェはリーンよりも浴衣が似合っている。なぜだ、色合い的にはどちらもが最も似合うものを選んでいたはずだ。違うとすれば性格や体のパーツくらいなのだが……、

「なるほど、胸か」

 和服は胸の小さい女性が似合うという。リーンが似合わなかったわけではないのだが、エーシェの方が似合うのはそのためだろう。

「ちょ、勇者さま!? 私の胸を見てなにかを納得するのはやめてください!」

 手で体を抱き締めるようにしながら、エーシェはあるかもわからない胸を隠す。

「勇者さま、いまなにか変なこと考えたでしょう!? 私にはちゃんとわかってるんですからね! もうっ!」

 そう言ってエーシェは頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。昼間も同じようなことしたような覚えがあるのだがか悲しいことにエーシェが怒っても全く怖くなかった。

「せっかく勇者さまと二人っきりになれたのに、これじゃ台無しですよ……」

「機嫌直せって。そうだ、約束を一つだけなんでも聞いてやる。それならいいだろ?」

「……なんでも、ですか?」

 エーシェが怪しむように確認してくる。疑い深い奴め。

「おう、なんでもだ。ただし一つだけだぜ」

「わかりました。勇者さまがそこまで言うのでしたら仕方ありませんね」

 さっきまでの機嫌の悪さが嘘だったかのように上機嫌になったエーシェが、俺の腕に抱きついてくる。残念なことに、リーンのときのように柔らかさを楽しむことはできなさそうだ。

「それでは最初は……どうしましょうか?」

「お前らは揃いも揃って祭りの楽しみかたも知らんのか」

「だって私、田舎育ちでこんな大きなお祭りに参加したことなんてありませんもん!」

「エーシェの村の祭りって、祭りというより儀式に近いからな」

 一族繁栄のため、エーシェの村では毎年祭りが開かれていた。けれどそれはこの街のような祭りではなく、堅苦しさに満ち満ちたもので、とてもではないが楽しめるような空気ではなかった。

 祭壇で先祖に向けて祈りと舞を披露するのだが、これが面白いほどに噛み合っていない。舞の方は素晴らしいの一点に尽きるが、祈りは地球でいうお経だ。お経を背景にダンスを踊るようなものなのだ。噛み合うわけがない。

 しかしこちらではそれが普通らしく、違和感しかない俺の方が間違っているらしいのだ。

 あんなのが普通なら、俺は間違ったままで結構だ。

「あれはあれでいいんです。たしかに楽しくはないと思いますけど、伝統行事ですから」

「やっぱり楽しいとは思ってなかったんだな」

「うっ……。わ、私は踊り子でしたから舞を一生懸命に頑張ってたから楽しんでる暇なんてなかったんです! ふん、勇者さまはそれがわかんないんですぅ!」

 やっと機嫌が直ったかと思えば、またすぐにそっぽを向いてしまった。いつにも増して感情の上下が激しい奴だ。

「あー、おいおい、だからすぐ拗ねんなって」

「……でしたら、もう一ついうこと利いてくれますか?」

 ちらりと俺を見ながら、本音を抑えきれないのか、口元にいやらしい笑みが浮かんでいる。

 どういう魂胆か察することができた俺は、するりとエーシェの腕からすり抜ける。

「一生拗ねてろバーカ」

 いまはめっきり使わなくなってしまった口癖を言い放ってやると、エーシェに追いつかれないように先に進む。もちろんお互いに見失ってしまうことがないように、ルートはしっかりと選んでいる。

「ま、待ってくださいよ勇者さまぁ! 調子に乗りすぎたのでしたら謝りますか――」

 言葉が不意に途切れた。エーシェが石床の繋ぎ目で躓いたのだ。

 エーシェだけならず、こっちの世界の住民は浴衣を着たことがない。動きにくく慣れない衣装で慌てて走れば、躓いてしまうことくらい、すぐにわかったはずだ。

 すぐに切り返し、俺はエーシェを受け止める。

「悪いな。大丈夫か、怪我はなかったか?」

 まだ転んでいないから大丈夫のはずだ。それに曲がりもなにもエーシェは『魔王』が唯一認めた配下である『水天』から勝利をも取っている。かこれくらいでは怪我をしたりしないはずだ。

「あわわわ勇者さま顔が近いです! カッコいいです!」

「あ、ありがとう? じゃなくて、大丈夫なのか?」

「え? 大丈夫ですよ。いくらうっかりで有名な私といえど、あれくらいで転んで怪我するわけないじゃないですかぁ。もう、勇者さまは心配性なんですから」

 エーシェの人を小馬鹿にしたような言い方に、少しでも心配した俺が間違いだった気にさせられた。

 まあ、怪我がなかったのだからよしとするか。

「すみませんでした、勇者さま」

 するとエーシェはなんの脈絡もなしに謝罪をしてきた。

「私、本格的なお祭りに参加するのって初めてで舞い上がっちゃって。あと……ゆ、勇者さまと一緒だから嬉しくなっちゃいました」

「いままで忙しかったもんな。ずっと戦ってばっかりで」

 思えば俺たちくらいの世代なら、まだ学校に通っていてもおかしくはない。

『魔王』のせいで実力さえあれば戦場に駆り出され、強制的に軍に所属させられるような世の中になっていたのだ。いまでこそ発令されていた召集は撤廃されたが、戸惑いの声はあちこちから聞こえてくる。『魔王』がいなくなったからといって、染み込んだ習慣がすぐになくなるわけではないのだ。

『魔王』が現れてから二十年間の月日が経った。その間に生まれた子供たちは娯楽というものをほとんど知らない。

 式典は何回か行われこそしたが、はめを外して楽しむというにはいささか堅苦しいものがある。小規模の祭りではあるが、この世代の人々にとって嬉しい行事なのだろう。

「今日は目一杯楽しもうな、エーシェ」

「はい!」

 せめていまくらいは、この優しい時間を過ごしたっていいだろう。


 この街には世界樹だけでなく、もう一つ名所がある。夜になると波動を放出して綺麗に発光する世界樹を眺めることができる、街でも古い部類に入る時計塔があるのだ。一定の時間ごとに鐘が鳴り、十二回聞くとその日は終わりだという目安になっているようだ。

 地方によって一日の数え方がバラバラなのだが、こことヴォルツタインは地球の刻み方と比較的似ている。おかげで感覚に狂いなく生活することができている。

 そんな人々に時間の流れを伝える時計塔には、ある言い伝えがある。

 聖夜の夜、男女が愛を詠えば、それを永遠に約束しよう――というものだ。ようは恋愛成就のスポットである。

 いつもなら下らないの一言で一蹴してやりたいところだが、しかしそうもいかない。なにせ師匠である『炎天』がそれを証明してしまっているらしいからだ。詳しいことは聞きそびれてしまったが、この時計塔は他のところとはわけが違うらしい。

 もしそんなところでそういう展開になったとすれば、俺はもう引き返せない。逃げるならいまをおいて他にはないのだ。けれどそれができなかったから、俺はエーシェと共に時計塔を上ってしまったわけだ。

「綺麗ですね勇者さま! うわぁ、すごいなぁ」

 身を乗り出すようにしながら、エーシェは世界樹を見上げている。

 今回ばかりは避けることのできない道だと思っていた。彼女が決死の覚悟で俺を祭りに誘い、どういう目的でここに連れてきたのか。よほどの鈍感か悪意を持っていない限りは、どうやったって一つの結論にしか行き当たらない。

 断る機会ならいくらでもあった。直前になってから誤魔化すようなことをしなくてもよかったのだ。けれどそうすることができなかったのは、単に俺が甘かったというだけのことだ。

 俺がこれからやろうとしているのは、甘くて残酷なことだ。エーシェの覚悟を踏みにじろうとしているのと同じことだ。

 それを平気でやろうとしている俺は――人して最低だ。こんなことは答えの先伸ばしだとわかっていても、いまの関係を壊したくないがために俺はしてしまうのだ。

「それで、ですね。き、今日は勇者さまに言いたいことがあるんです」

 不安そうに手をいじり、内腿をもじもじとさせている。頬に朱みが差しているのは見間違いでもなければ熱のためでもない、恥ずかしさのためだろう。

「……どうしたんだよ、改まったりして」

 いつものようにやるだけだ。鈍感を装うだけでいいのだ。

「あの、ですね。その……」

 鈍感というのはほとほと便利だ。鈍感を装うだけで、それだけを理由に場を解決することなく先伸ばしにすることができる。

 全く最低だよ。好意を正面から受けられないからといって逃げに走るのだから。

 でもこれでいいんだ。関係を崩さないためには誰かがバランサーとならなければならない。俺が最もその役割に適している。

「私、勇者さまのことが……!」

 そしてバランサーは準備を怠ることはしない。

 エーシェが言おうとしていたことは、天に放たれた一発の火の玉が掻き消してくれた。それは限界まで高度を上げると、様々な色となり弾ける。

 俺が用意したのは時間差で打ち上がる花火だ。こんな静かなところでは、どうやっても聞いてしまう。鈍感は真正面には通用しないのだ。

 そして、あとは仕上げにこう言うだけだ。

「なんか言ったか?」



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