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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第六章〈志乃覚醒〉編
83/132

6―(12)「トウドウカシギ①」

 

 志乃の手刀が天剣の軌跡の合間を掻い潜り、俺の心臓へと突き立てられてくる。見せしめであるかのようにゆっくりと迫ってくる死の恐怖。体の芯が震え、死の淵から逃れようと必死に足掻こうとしていた。

 だがこれを避けられないことくらいはわかる。諦めるつもりは毛頭ないが、こればかりはどうしようもない。志乃が何枚も上手だったということだ。

 この一撃で俺は間違いなく撃墜する。けれど『生』へと執着することは絶対に忘れない。

 天剣の柄を深く握り締める。もう波導を詠う気力はない。けれどほんのわずかでいい。ほんのわずか、軌道が俺の心臓から逸れてくれるだけでいいのだ。

 そうすれば、まだ可能性が残っている。

 なによりも、真宵後輩を独りにしてたまるものか――!

 あらんかぎりの力で天剣を引き戻し、志乃の腕を外側へと弾き出す。これで斬り落とすことができればよかったのだが、志乃の手刀は天剣を持ってしても傷つける程度が関の山だ。本来の姿からほど遠いとはいえ、天剣の刃を弾くのだから、素直に感服せざるを得ない。

 手刀の軌道が逸れ、心臓のやや右側に食い込んでくる。肉を抉り、骨を掻き分ける感触がやけに鮮明だったが、そのおかげで痛みが痛みとして変換されることはなかった。

 喉の奥から込み上げてくる血の塊を宙に撒き散らす。爪先から感覚が失われていき、それが徐々に身体中を侵食していく。

 朦朧とする意識、細切りになる視界のなかで志乃の悲しみに満ちた、絶望にうちひしがれる表情を見た。

 戦っている最中も、志乃は俺になにかを期待していた。奇妙な話かもしれないが、俺ならばどうにかしてくれると信じていたように感じたのだ。いったいなにを期待していたのかは俺の知るところではないが、志乃がこの戦いを引き起こした理由はそこにあるのかもしれない。

 咳き込むようにしてさらに血の塊を吐き出す。そろそろ本格的に意識を繋ぐのが苦しくなってきた。志乃がなにかを喋っているようだが、ほとんど聞き取れない。

「――勇者は妾がこの手で葬った」

 だがその一節だけははっきりと聞こえた。

 どうやらこんなときでさえ、俺は自分のことではなく真宵後輩のことを考えてしまうらしい。もし真宵後輩がこれを聞いていたら、彼女はどうなってしまうのだろう。

 最後の生きる希望を失った彼女は、いったいどうなってしまうのだろう。

 だが、これ以上思考することは叶わない。

 俺の意識は、闇のなかへと引きずり込まれた。


     ◇◆◇


 気持ちのいい風が頬を撫でていく。なにか柔らかいものに頭を預けているらしく、深い眠りに入っていたようだ。

 涼しげな鼻唄によって意識を覚醒させた俺は、ゆっくりと目を開いた。

 真っ先に瞳が映したのは、空に浮かぶ雲々だった。時間が過ぎていくごとに少しずつ形を変えつつも、迷うことなく一定方向へ緩やかに流れていく。そこにあって当たり前だと思えるものを改めて観察してみると、いままでわからなかった発見があるのかもしれない。俺にはわからんが。

 ゆったりと過ぎていく雲を目で追っていると、まだあどけなさを残す少女の横顔にぶつかった。

 緩いウェーブのかかった金色のロングヘアー。肌を守るように全身を覆う黒いローブに、腕につけている数珠型の属性石エレメント。普段の少し自信なさげな表情は影を潜め、女神のごとき慈愛に満ちていた。

 ……覚えてる。ここまで特徴が一致する人物なんて、ひとりくらいしか心当たりがない。

「あ、勇者さま、起きたんですね。迷惑だったかもしれませんけれど、地面に寝るよりはいいと思って、その……わ、私の膝で……」

 少女――エーシェ・スクルド・ガルデルニアは、瞬間湯沸し器にでもかけたように顔を真っ赤に火照させながら、言い訳じみたことをもごもごと呟いていた。後半部分は声が小さすぎて、なにを言ってたか聞き取れなかった。

 エーシェは座りながら内腿をもじもじさせるという器用なことを披露するため、わがままかもしれないが、膝枕をしてもらっている身としては頭を揺さぶられて堪ったものではない。少々名残惜しいが、ここいらが潮時だ。

 腹筋に力を込めて上半身を起こし、凝り固まった筋肉をほぐすべくストレッチをする。

「あ……や、やっぱり迷惑、でしたよね」

 そんな名残惜しそうにしたあと落ち込んだりするなよ。俺が悪いことをしたみたいではないか。

 気まずさを隠すため頭を掻きながら、二の句を探す。

「そんなことねぇよ。最高の寝心地をありがとう」

 素直にお礼を言うと、エーシェはそのままの表情のまま機能を停止させてしまった。どうしたのだろう、なにかマズイことでも言っただろうか?

「……はうっ」

「は……? お、おい、エーシェ!?」

 まるでさっきまでが破裂寸前で、ついに耐えきれなくなって爆発したかのように頭から湯気を出して後ろ向きに倒れていく。俺はエーシェが地面にぶつかる直前に体を割り込ませ、なんとか間一髪のところで抱き止める。

 第三者にしてみれば俺たちは仲のいい男女にしか見えないかもしれないが、こうなるまでに壮絶な過程があったことを覚えておいてほしい。

「ゆ、ゆゆ勇者さま!? ななななにをしてててて……!?」

「お前は壊れたレコーダーかっての」

 目をぐるぐると回すエーシェは起き上がろうとしているようだが、よほど混乱しているのか、そんなことさえできなくなっていた。

「『れこぉだぁ』ってなんですか!? ここはどこですか!? 私は誰なんですか!?」

「落ち着け。あとレコーダーについては俺が悪かった」

 会話をする分には差し支えはないのだが、横文字を使わないようにしないといけないのが面倒なところだ。下手すると、よくある単語でさえ通じないこともあるほとだ。

「い、いますぐ退きますから食べないでほしいですぅ!」

「食べるってどういうことだよ。つーか俺にカニバリズムな趣味はねぇよ」

「『かにばりずむ』ってなんですか!? ここはどこですか!? 私は誰なんですか勇者さまぁ!?」

 対応が面倒な上に同じことを繰り返してるぞ。あと慌てすぎだろ。慌てる要素がどこにあるっていうんだ。

「いいから落ち着けバカ」

「あう……」

 デコピンを喰らったエーシェは短い悲鳴を発したのち、ようやく落ち着いてくれた。

 しかしそわそわもじもじするのは相変わらずで、俺と目が合うと頬を朱に染めてそっぽを向いてしまう。デコピンしたことをそこまで怒らんでもいいだろうに。

「……痛いです勇者さま」

「うん。痛いね」

「痛いです勇者さまぁ!」

 癇癪を起こした子供のようにエーシェが暴れだした。といっても、かなり小柄でひ弱なエーシェが暴れたところで抑え込むのはそれほど苦労するものではなく、あっさりと丸め込むことに成功した。

 しかしエーシェは頬を膨らませ、怒っていることをわかりやすく表していた。いたずらで頬をつついて『ぷへー』などという情けない音を出してなお崩さない頑な姿勢は、許すまじとでもいう意思表明だろうか。

 とにもかくにも、俺の膝を枕にしているエーシェはご立腹のようだった。

「勇者さまはヒドイです。女の子に暴力を振るうなんて」

「デコピンしただけだろうが」

「すっごく痛かったです!」

 俺がデコピンしたところは赤くなってはいるものの、腫れてはいない。手加減したつもりだったのだが、思いの外、エーシェは打たれ弱かったらしい。思わぬ誤算だ。

「そんなに痛いってんなら、早く治るように口づけでもしてやろうか?」

「ふぇ!? く、口づけですか!?」

 一気にエーシェの顔が赤くなる。お前は赤面症にでもかかっているのか。

「だ、だだだだって私と勇者さまはそういう関係じゃありませんし、そもそも私なんかじゃ勇者さまと釣り合わないというか、もっと相応しい人がいるといいますか。ほ、ほら、リーンさんとかがいるじゃないですか」

 よく噛まないですらすら話せるものだ。見てて面白いし、もう少しだけからかってみるか。

「俺と口づけするのは、嫌か?」

 できるだけポーカーフェイスを保ったまま、エーシェに顔を近づける。

 我ながら痛恥ずかしいことをやっていると自覚している。なんだこれ、俺はホストか。自分でも気づかないうちに泥沼に足突っ込んでるぞ。

 エーシェも困ってるみたいだし、やはりからかうのはやめておくとしよう。

「わ、私は、勇者さまとなら――」

「冗談だ冗談。反応が面白いから、ついからかってみたくなっただけだ。そんな本気にしなくたっていいっての」

「……勇者さまのいじわる」

 エーシェはそう呟いて本格的にいじけてしまった。さすがにやり過ぎたか。

「悪かったって。謝るから機嫌治してくれよ。な?」

「むぅ……勇者さまはどうして私がいじけてるのかわかって言ってるんですか? 絶対にわかってないですよね? だって勇者さまですもの。鈍ちんですもの」

「お前のことからかったからじゃねぇの?」

 むしろそれ以外に理由が思い当たらん。あるというなら、ぜひとも教えてもらいたいものだ。

「……ほーら、わかってないじゃないですか。いいですよー、勇者さまが女の子に対して過剰なまでに鈍感になってしまうのは、いまに始まったことじゃありませんから」

 女の子に対して過剰なまでに鈍感になる――か。仕方ないではないか。見て見ぬフリ、気づかぬフリでもしなければ、俺は潰れてしまうかもしれない。思う想いは重すぎて、俺ひとりが到底抱えきれるものではないのだ。

 エーシェの言いたいことだって本当はわかっている。エーシェが俺に対してどんな感情を抱いているか知っている。でも、応えることはできない。

 だって俺には――あれ?

 俺には――なにがあるっていうんだ?

 なにかがあったような気がする。忘れてはならない存在がたしかにあった。けれどそれを思い出そうとすると、脳を直接掻き回されているような痛みが駆け抜けていく。

 まるで思い出すことを拒んでいるかのように――思い出せば、この心地よい幻想が終わってしまうかのように。

「どうしたんですか勇者さま?」

「あ……な、なにがだ?」

 言われて我に返ると、上ずった声でそう返していた。

「急に怖い顔になったのでどうしたのかなぁ、と思って。なにか考え事でもしてたんですか?」

「まぁ……別に大したことじゃねぇよ」

 忘れてしまうようなことなら、言ったように大したことではないのだろう。こんな痛みに耐えてまで思い出すこともあるまい。

「そういえば、なんで俺こんなところで寝てたんだ?」

 というより、いつの間にこんなところに来たんだ。

 古風な街造りだった。土系統の波導で家を建てるのはもはや主流となっているが、普通なら装飾をしたり色を変えるなどの工夫をするものだ。けれどこの辺りは、土の持つ温かみを残したままにしている。どっしりとした重量感があるもののそれが苦にならず、むしろ安心感を与えてくれていた。

 高い建物が多く、なかには塔のように高くそびえ立つものさえあるほどだ。しかしそれは一戸建てというわけではなく、複数の世帯が共同して生活しているようだった。

 俺たちがいるのはそれらを見渡すことのできる中央広場のようなところで、噴水の近くにある木陰で眠っていたらしい。どうしてこんなところで寝ていたかは知らんけど。

 エーシェにそれを訊ねると、怪訝そうな顔をされた。

「覚えていないんですか?」

「うっ……」

 女の子の涙には弱いのだ。そんな風に涙ぐんだ目で俺を見ないでくれ。

「勇者さまは旅の途中で大怪我をされたんです。怪我自体は私たちで治すことができたんですけど、なにかあると大変だからとしばらく療養することにしたんです。自分のことなんですから、忘れないでくださいよ。……もしかしてどこか問題があったのですか!?」

 がばっと起き上がったエーシェは、いまにも唇がくっついてしまいそうな距離まで近づいてきた。髪から漂う甘い匂いが鼻孔をくすぐり、理性に揺さぶりをかけてくる。

「エーシェ、顔近い」

「え? はわっ!? ご、ごめんなさい勇者さまお願いですから食べないでくださいぃ!」

「だから俺にそんな趣味は……っていい加減に飽きたぞこのループ。バグかっての」

 嘆息しながら木に背中を預け、小動物のように震えているエーシェの頭を撫でる。気持ち良さそうに表情を崩したエーシェと俺の構図は、さっきとは逆転したものだった。

 ずいぶん長い間エーシェの膝枕で眠っていたようだし、お返しとしてはこれで十分だろう。

 静かに流れていく時。ふわりと包み込むような風が運んできたのは、大多数の熱狂的な声だった。それに混じって聞こえるのは、剣戟や銃声――戦いの叫びだ。

「妙に騒がしいけど、近くでなんかやってるのか?」

「勇者さまに言ってませんでしたっけ。今日は一年に一度だけ行われる武芸大会があるんです。リーンとチトルさんが参加してるんですけど、たぶんいまごろ決勝戦で戦ってると思います」

 言われてみるとそうだったような気がする。たしか俺も参加するって言ったらみんなに怒れたんだっけ。

「もしかして見に行きたいんですか?」

「あ? 別にそういうわけじゃねぇけど。エーシェは見に行きたいか?」

「私ですか? わ、私はできたらこうやって勇者さまとのんびりしてたいなぁ、とか思っていますけど……でもでも勇者さまが見に行きたいのでしたらそうしますけど、やっぱり勇者さまとゆっくりしてたいのも本音で……うぅ」

 頭を抱えて悩むエーシェを見ると、ついつい微笑ましくなってくる。

「ならゆっくりしてるか。たまにはこうのんびりするってのも悪くねぇしな」

「あ……はい!」

 花が咲いたような笑顔でエーシェは返事をする。

「そ、それですね勇者さま」

「ん? どうした」

 唐突に口を開いたエーシェは、両手の指を絡ませながら、なにかを言いたそうにしていた。さらには俺の顔色を伺うように、下から覗き込んでくる。

「こ、今夜はですね、武芸大会の祝杯として祭りが開かれるんです。それで……その、できたらでいいんです。ホントにできたらでいいですから、二人っきりで回りませんか……?」

「みんなとじゃだめなのか?」

「それじゃだめなんですぅ!」

 エーシェにしては珍しい大きな声に思わず仰け反る。

 しかしエーシェはそれに気づいた様子はなく、まくし立てるように矢継ぎ早に言の葉を紡ぐ。

「ふ、二人っきりじゃないとだめなんです! じゃないと、勇者さまがとられてしまいそうで……」

「俺はモノじゃねぇぞ。だいたい誰にとられるってんだ」

「言えるわけないじゃないですかぁ!」

 ほとんど泣きそうになりながらエーシェは叫んでいた。

 周りから向けられる非難めいた視線に若干の心苦しさを感じながら、半ばやけくそに言う。

「あー、もう、わかったっての。だからあんまり叫ぶな」

 なるべくならそういう展開・・・・・・でエーシェと二人きりになるのは避けたかった。どういう考えでエーシェが俺と祭りで二人きりになりたかったのかなど、少し頭を捻ればわかることだ。

 だが俺はエーシェの気持ちには応えられない。嫌と言うわけではないのだ。彼女は気が利くし優しいし性格もいい、けれど応えることはできない。

 なぜかはわからないが、エーシェの想いを受け入れてはならないような気がする。それが俺の気持ちではないように思えるのだ。

 だからそれを伝えたとすれば、いまのままの関係を維持するのは難しいだろう。できることなら、俺はこの居心地のよい関係を保っていたい。

 約束してしまったからには行くべきだろう。だが、そういう話はなるべく避けるようにしなければならない。なってしまったら、情けないが逃げるだけだ。

「約束ですからね? 破ったら切り落としますから」

 エーシェの口から出た言葉に俺は絶句する。

「……切り落とすって、なにをだ?」

「なにをって――いやん、私の口からは言えませんよ~」

 頬に手を添えて体をくねらせるエーシェからは、もはや恐怖しか感じない。

 エーシェにこんなことを教えたのはどこのどいつだ。といってもだいたいの予想はついている。こんなとんでもない知識を吹き込む人物など、ひとりしかいない。帰ってきたらどうしてくれようか。

 すると、そんな思考を断ち切るように、すぐ近くで爆発が起こった。さらに立て続けに爆発が重なり、警戒を高めたときだ。

「うわぁぁ!? お前さんちょっとそこ退いてくれぇ!」

 上から銃を持った男が振ってきた。属性石をアクセサリーのようにして着飾り、いかにも女遊びをしていそうな風貌をしている。

「待て逃げるなチトル! 君の顔面を一発でも殴らないとアタシ気の気は済まないね!」

 遅れてやって来た女を見て、追われている男は悲鳴にも似た叫びを漏らす。

 やや癖のある短い髪。女性らしい膨らみを持つ胸部に布が巻かれているだけで、肩や腹部が剥き出しになっている。切れ目の入ったロングスカートから覗く太ももからは色気が撒き散らされ、つい視線が持っていかれそうになる。両手には復元された手甲が装着され、おびただしいほどの冷気を放っていた。

 噂をすればなんとやら。爆発を連れてやって来たのは、決勝で戦っているはずのチトルとリーンだった。

 しかし様子がおかしい。なにやらリーンがチトルに怒っているようだった。

「お前さんに殴られ日にゃあ、顔が変形するくらいじゃ済まねえ気がすんのは、おれだけかねぇ!」

「君だけだ!」

 チトルとリーンはふざけた内容の会話をしながら、しかし行われる戦闘は肉眼で捉えるには難しく細かい局面に突入していた。

 銃口から放たれる弾丸は一見すればただの弾丸だが、あれは二重構造になっている。炎系統の属性波動を込め弾丸を覆うように、無属性の波動が膜を作っているのだ。むやみに弾き返そうとすれば、爆発に巻き込まれてしまう。

 それを読んだリーンが第一打で波動の膜を破り、遅滞なく素早く放った第二打で弾丸を弾き返している。その際に爆発が起こらないよう、氷系統の波動で弾丸を凍らせている。だから弾いたときは平気だが、地面にぶつかったりすると爆発してしまうのだ。さっきの爆発は、それらを何回も繰り返したからなのだろう。

 しかも周りに被害が出ないように狙ってやってやがる。俺たちの近くに落としたのは、自分たちでなんとかできると思ったからに違いない。病み上がりの人間に鞭で打つようなことすんな。

「ふ、二人とも、どうしたんでしょうか? なんだか険悪な雰囲気のようですけど……」

 成り行きを見守るエーシェは不安そうに言う。

「どうせチトルがなんかやったんだろ。じゃなきゃリーンがあんなに怒るわけねぇっての」

 チトルは長身の銃から小型の銃に切り替えると、弾丸として装填された波動を連射する。撃った反動を利用して距離を稼ぐ。再び長身の銃を復元し、特大の一撃を放った。

 一瞬だけ表情を曇らせたリーンは立ち止まると、全ての弾丸を叩き落としていく。正確無比に定められた狙いは、寸分の狂いもなく弾丸の中心を貫いていた。

 わずかに間を置いて放たれた一撃は、その分だけ余裕ができる。リーンは体を捻って溜めを作り、怒声と共に弓から解放された矢のような拳撃を撃ち、それを相殺した。

「危ないだろチトル! もし当たったらどうするつもりだったんだ!?」

「あんなんが当たるってんならよ、とっくの昔に撃ち抜かれちまってるって。そんな心配しなさんな。おれは当たらねえって確信してたぜ。てか謝ったんだからいい加減許してくうぉ!?」

 チトルの言葉を遮るように、リーンの拳撃が真横を通りすぎていった。

「謝ったら許されるようなことじゃないだろ? 君はアタシの子猫ちゃんたちの目の前で、あろうことかアタシの胸を揉んだんだ。……その罪は万死に値する」

 深淵の底から唸ったような低い響きで、リーンは言う。

 やっとなにが原因なのかがわかった。チトルがリーンの胸を揉んだから、こんなことになっているようだ。隙あらば胸を触ろうとするチトルだが、まさかこんな命知らずなことをやるとは思わなかった。

「つーか子猫ちゃんって……」

「リーンは女の子に人気ですから。大会にもリーンを見るために、女の子がたくさん来てたんだと思います」

 たしかにリーンは女の子受けしそうな顔立ちをしている。なんでも『王子様』とか『お姉さま』だとか呼ばれて、女の子に慕われていると聞いたことがある。本人にその気はないらしいのだが、期待を裏切ることもできずに『王子様』に甘んじているようだ。

「減るもんじゃねえんだからそんな怒りなさんなって! 揉むと増えるって言うじゃん!?」

「だからといって君に揉ませるとは言ってないし、これ以上大きくなられても邪魔なだけなんだよ!」

「……ぐすっ」

 リーンの一言に、性格のように控えめな胸であるエーシェが泣いていた。

「……いいですよぅ。どうせ私はちっぱいですよぅ」

「そんな落ち込まなくても。気にしなきゃいいだけだろ。貧乳にも需要はあるって誰かが言ってたはずだ」

「貧乳って言わないでください、気にしてるんですから! はっ! ゆ、勇者さまはもしかして控えめな方が好きなんですか!?」

 なにをどうしたらそんな結論に結び付くんだ。

「そんなんどうでもいい」

「うぅ、どうでもいいとか言わないでくださいよぅ……」

 がっくりと項垂れてしまったエーシェはほっとくとして、あの二人の喧嘩をどうやって納めればいいのやら。

 決勝戦の続きだと勘違いして群がってきた野次馬もいるし、俺たちも素性がバレたら面倒なことになりかねん。『勇者』のバリューネームはそれだけで人を惹き付けてしまう。しかも『勇者』パーティー勢揃いだと知られてしまえばもう大変だ。

 ただでさえリーンのファンのせい行き場を失っているのだ。離れるなら早めにするのが賢明だろう。

「気づかれる前にここを離れるぞ。俺はまだゆっくりしてたいんだよ」

「そ、そうですね。たくさん人が集まってきてますから、いまのうちに静かなところに行きましょう。……私もまだ、勇者さまとのんびりしてたいですし」

 えへへ、と恥ずかしげに頬を掻くエーシェから思わず顔を背けると、ぶっきらぼうにフードを被せる。

「だったら顔隠せ。お前にも追っかけがいるんだ。どさくさに紛れて絡まれるかもしれねぇ」

「それなら大丈夫だと思いますよ? ほら、あそこ」

 エーシェが指差した方を見れば、黒装束の怪しい集団が群衆を掻き分けて道を作っていた。

「なんだ、あれ……」

「みなさん優しいですから」

「そういうこと言いたいんじゃねぇよ」

 あと、どうして黒装束の怪しい集団が優しいということを知っているのだ。それではまるであれは地方ごとの追っかけではなく、一つの集団としてついてきているみたいではないか。

 やめてくれ。いままであんな集団につけられてたかと思うと、気配を微塵も感じることができなかった自分が恥ずかしいから。

「だってみなさん優しいですよ? 花束を送ってくれたりお菓子をくれたりするんです。あと転びそうになったり、悪い人に絡まれると助けてくれますし」

「もうなにも言うまい。とりあえず道を開けてくれてるんだから、利用しない手はないな」

 この道がどこに通じているか定かではないが、エーシェのことを影から守るようなことをしている彼らのことだ。いま彼女が望む場所に連れていってくれるに違いない。

 チトルもリーンも周りに人だかりができているのに気づかないほど熱くなっていないだろう。あれでも『勇者』パーティーの一員なのだ。被害を及ぼすようなことはするまい。

 俺は二人を気にしているエーシェの手を掴むと、一気に街を駆け抜けた。


 さすがと言うべきか、怪しい集団が示した道の先にあったのは、この街のシンボルである『世界樹』だった。

 世界樹とはこの世界の中心にあるといわれている樹木だ。全長は見上げてもてっぺんが見えないほど巨大で、かつてこの樹木を踏破することこそが最強への近道と謡われていたほどだ。とはいえ、ただ大きい樹木というわけではない。それならばすでに何人もの波導使いたちが頂上に登り詰めているはずだ。

 現在でも世界樹の頂上を見た者はいない。なぜならば、世界樹自身が強力な波動を放っているからだ。地脈から吸収した波動を、上に登れば登るほど多く放出するようになり、それに充てられて登れなくなってしまうのだ。

 八系統ある波動を極めた『八天』でも最多の波動を秘めている『風天』――ソフィア・アルガドでさえ八割が限界なのだ。いま世界樹から景色を楽しめる者は、存在していないだろう。

 そしてその世界樹の根本でも、十分すぎるほど波動が放出されている。ただし俺やエーシェくらいになれば心地よいもので、なおかつ並大抵な人間では近づくことができない。まさに打ってつけの場所と言えた。

 やっと一息つけると腰を降ろすと、エーシェも隣に座ってくる。フードをとって乱れた髪を直すと、ほっと息をついた。

「疲れましたね、勇者さま。それにちょっとびっくりしちゃいました」

「そうだな。まさかエーシェの追っかけがこんな集団だったなんて驚きだぜ」

「……? リーンとチトルさんのことですよ?」

「お前にとってはそっちなんだな」

 俺にしてみれば追っかけがあんなに気を遣ってくれたことの方が驚きだ。なかには殺気を送ってくる奴もいれば、血の涙を流している奴もいた。

 それだけエーシェに夢中なのに、エーシェの幸せのためと俺に手を出さなかったのは、素直に好感が持てた。

 妬ましさから陰口を言ったり、闇討ちをしたりしてくる奴までいるくらいだ。そんな奴らと比べるのもおこがましいが、幾分もマシというものだ。

「あぁそうだな。あいつらにはびっくりさせられるよ」

「むー……なんだか適当に言ってないですか?」

 エーシェは疑わしそうにしながら言ってくる。

「まぁいいです。勇者さまも病み上がりで疲れただけ、ということにしておいてあげます。優しい私に感謝してくださいね?」

「そりゃどうも」

 事実、エーシェは優しすぎるほどに優しいので、自分で言ったとしても否定する気にはなれない。本人は無自覚でやっているのだろうけれど。

「……なにやってんだ?」

「えへへ、さっきの続きをと思いまして。迷惑だとしてもやめてあげませんからね勇者さま」

 そんな風に可愛らしく言われてしまったら、膝枕くらいいくらでもしてやろうという気持ちになってしまう。

 この小悪魔め、男心を容赦なくくすぐってきやがって。

「そんなに気に入ったのか? エーシェのみたいに柔らかくないと思うんだが」

「えと……ゆ、勇者さまにしてもらうからいいんです。寝心地は関係ありません」

 それは遠回しに、寝心地は悪いと言っているのか。

「か、勘違いしないでくださいね? 決して勇者さまの膝枕の寝心地が悪いとか、そういうことではありませんから」

「それを言ってしまったことで、むしろ暴露してしまったのをなぜ気づかないんだ」

「え?」

 天然か。こやつ、真正の天然だというつもりなのか。

「私、こんな風に勇者さまと楽しく過ごせる日が来るだなんて思ってもいませんでした」

 エーシェの唐突に巻いた会話の火種に、俺は思考を中断せざるを得なかった。なにせその言葉はとても透き通っていて、とても大事なことであるように聞こえたからだ。

「だって私が生まれたときから、世界は『魔王』に蹂躙されてたんですよ? こんな風に楽しく過ごせるなんて夢にも思ってなかったです。これも全部、勇者さまのおかげです」

「俺だけじゃねぇだろ。お前やリーン、チトルがいたから、俺は折れずにやってこれたんだ」

 彼女たちがいなければ、俺はとっくに折れてしまっていただろう。いつだってそばにいて支えてくれる存在があったからこそ、俺は『魔王』を倒すことができたのだ。

 ――いや、ちょっと待て。俺は『魔王』を倒したのか?

「それでずっと訊きたかったことがあるんですけど――」

 だとしたら俺はどうして――、


「元の世界に帰らなかったんですか?」

 ――まだこの世界に居続けてるんだ?


 急に駆けあがってきた疑問に戦慄が込み上げてくる。どうしていままでそこに思い至らなかったのだろう。エーシェやチトル、リーンと出会う云々の前に、自分が『勇者』であることに気づくべきだった。

 俺は『勇者』を卒業している。そして『魔王』を倒した『勇者』は、そのまま姿を消した。元の世界に帰還したのだ。

 だからこのように、使命を全うしてなおこの世界にいるというのはあり得ないことだ。それにエーシェたちとこんな会話をした記憶もない。

 どうなってやがる。どうして俺はまだこの世界にいるんだ。

 くそっ、なにも思い出せない。

「ゆ、勇者さま、どうしたんですか……?」

「エーシェ、『魔王』を倒してからどれくらい経った」

 心配そうするエーシェをないがしろにすることに後ろめたさを抱いたが、いまはそれどころではない。

「だ、だいたい四ヶ月くらいです。いきなりどうしたんですか……?」

 これは本格的におかしい。おかしいと思っていなかったさっきまでは、これがいつも通りの光景だと認識していた。だが一度不信感を覚えれば、あるのは不自然な状況だけだった。

 俺には『魔王』を倒してから四ヶ月間の記憶がない。大怪我をしてこの街に療養のためにやって来たらしいが、まるでその記憶がない。記憶喪失になった可能性もあるが、俺を『勇者』だと認識しているエーシェたちからはそんな素振りは窺えない。その線はないと見ていいだろう。

 それに、ところどころで記憶が欠落してしまっている。忘れてはならない大事な記憶だ。直感だがそれは間違いない。

 この状況は明らかに異常だ。俺には、異世界から元の世界に帰還した記憶がある。そこから記憶がないのは、どっちにしろ同じのようだが。

 笑えない冗談だ。どう考えたって、この居心地のいい世界が――偽物だというのだから。

「あの、勇者さま、もしかして私と話していても楽しくありませんか……?」

「え? あぁいや、そうじゃねぇって。考え事してただけだから」

 楽しそうだったエーシェの表情が暗くなっているのを見て、俺は慌てて言い繕う。

「おいおいお前さん、女の子を泣かせるなんて罪な男じゃねえの」

「女の子の胸を揉んで平謝りしかしない君に言われたくないと思うぞ。死に晒せスケベめ」

 聞こえてきた声の方を見れば、チトルとリーンの姿がそこにはあった。ただしチトルは見るも無惨なほどにぼろぼろだった。

「まだ気にしてんのかよ。しつこい女は嫌われんぜ」

「君にだったらいくら嫌われたって構わない」

「はぁ……可愛いげのねえこった」

「余計なお世話だ」

 辛辣な言葉と共に放たれた肘内がチトルの鳩尾に吸い込まれ、呻き声すらあげることができずに蹲った。

 あれは痛いだろうなぁ。リーンのやつ、手加減というものを知らないのかもしれん。

「ぐぉぉぉ……か、軽く死ねる……。おいカシギからも言ってやってくれ!」

「なんて言うんだよ」

 呆れを隠すつもりはない。学習しないチトルが全面的に悪いのだ。

「おれに媚びろげはぁっ!?」

『地獄に落ちろ!』

 同時に叫んだ俺とリーンの拳がチトルの胴体を打ち抜いた。

 俺がそんなこと言ったら怒鳴られるのが目に見えてるだろうが。それだけならまだいい。下手をすればリーンの怒りを買い、チトルと同じ道を辿らないとも限らないのだ。

 天地がひっくり返ろうとも、『勇者』パーティーで最も怒らせてはならないリーンにそのようなことを言うつもりはない。エーシェも泣きそうにしながらこっち見てるし。

「まったく、チトルはなんてことを言うんだ。……カシギに悟られるだろ」

 リーンが不機嫌そうに文句を言っている。その顔は真っ赤だった。

「いいじゃねぇの、悟られちまえよ」

「うきゃあ!? チトル、いきなり背後をとるな!」

「言わせちまった手前、ひっじょーに言いにきぃんだけどよ、王子さまがあんな悲鳴あげちゃだめだろう」

「君のせいだがな!」

 チトルは噛みつきそうな勢いのリーンをなだめ肩に手を回し、俺に聞こえないような小声で耳打ちをしていた。

 にやにやとするチトルをどうにかしてやろうと思ったが、なにやらリーンにとって得になる話らしい。珍しくチトルの話に食いついていた。

 エーシェのときみたいに、変なこと吹き込んでんじゃねぇだろうな。

「チトルさんとリーン、すごくお似合いですね勇者さま!」

「いきなりなんだよ、そんな大声なんかだしたりして。びっくりすんだろ」

 いつの間にか俺の隣にいたエーシェは、周りに聞こえるように大声で続ける。

「そうなると今夜は私たちとリーンたちは別行動ということになりますね!」

「あ、あぁ。そうなるな」

 俺の背筋を凍えるものが通りすぎていく。

 ヤバい。リーンがいまのに反応して目付きが鋭くなってやがる。

 リーンに喧嘩を売るようなことを言うなんてエーシェらしくないし命知らずだ。

 チトルの話を聞き終えたらしいリーンが恐ろしい剣幕でやってくる。エーシェに用事があるようだ。俺はそそくさとそこから離れる。

「おいこらチトル。お前リーンになに言いやがったんだ?」

「大したことは言ってないぜ? ただお前さんを今夜の祭りに誘ったらどうだって言ってやっただけよ」

「……お前、エーシェが誘ったこと知ってて、わざとリーンをけしかけたろ?」

 自分でも驚いてしまうほど、語調に棘が混じっていた。

「いい加減、けじめはつけねえといけねえだろ。お前さんみてえに流されっぱなしなのが、一番あいつらを不幸にしちまうんだぜ?」

 言わなくても、お前さんならわかってんだろ。

 チトルはそう言って肩に手を乗せてくる。

「いい機会じゃねえか。この際だ、どっちか抱いちまえよ」

「ぶっ!? ふざけたこと言ってんじゃねぇよ!」

「おおっとおれはいつだって大真面目だぜ?」

 チトルの一言のせいで雰囲気がぶち壊しだ。とはいっても、いつまでも険悪なままいたかったわけではないから、どちらかといえばありがたかった。

「あっちも満更でもねえと思うぜ? お前さんがその気になって迫りゃあ朝帰りは間違いなし。上手くやったら両手に花ってこともなきにしもあらずだな。まあ、お前さんの体力次第だ」

「勝手に話進めてんじゃねぇよ。俺にそんな気はねぇっての」

「え、まさかお前さん、そっち系?」

「違うわ!」

 尻を隠しながら言うチトルに全力で否定する。俺に男を食らうような趣味はない。

「それは冗談として、だ。あいつらのどこが気に入らねえんだ? 迫られたら絶対ェに断れねえって。魔性の魅力ってやつだな」

「気に入らないとか、そういうわけじゃねぇよ」

 チトルが言うようにエーシェもリーンも、誰もが絶賛するほどの美女たちだ。それは覆りようのない事実だ。けれど、もし迫られたとしても俺は断るのだろう。

 胸がもやもやするのだ。誰か他に、想い人がいるかのように。

「はぁ……まあ、そいつはいいとして、お嬢様方がお前さんに話があるみたいだぜ?」

 言われて見てみれば、納得がいなかいと不満そうにするエーシェと、妥協はしたが満足そうにするリーンがこっちに向かってきていた。

 嫌な予感しか、しなかった。



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