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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第六章〈志乃覚醒〉編
79/132

6―(8)「ミツドモエ②」


 普段は屋敷から出ることもできず、たまに見る外の景色が物珍しいというのに、拉致されたりそれに似たような状況に慣れてしまうとはどういうことなのだろうか。

 だんだんと小さくなっていく光に目を細めながら、一葉はぼんやりとそんなことを考えた。

 志乃のところに連れていってほしいと言えば、こうなるであろうことはわかっていた。言葉を発することのできない一葉は、隠された感情や思考を無意識に読み取れるようになっていた。どれだけ隠そうとしたところで、完全なる『無』でない限り、一葉に読み取ることのできないものはない。ゆえに智香が最初から一葉だけ・・・・を連れていこうとしていたこともわかっていた。

 ただし、それは一葉をどうにかしようということではない。むしろ、一葉にどうにかしてほしいと思っているから彼女だけを連れてきたのだ。

 智香は志乃を助けてほしい・・・・・・と思っている。だから、あのなかで志乃に悪い感情を抱いていない一葉を選んだ。

 一葉も六年前の戦いからずっと志乃に利用され続けているし、たったいまやっていることを許せるものだとは思っていないが、彼女を恨んだり憎んだりはしていなかった。なにもずっと利用されていたのではない。なにもないときは普通に接し、普通に話をしてきた。

 志乃もまさか一葉が内心を見透かされるとは思っていなかっただろう。何重にも感情にプロテクトをかけ、できる限り前面に出さないようにしていた。いくら一葉がそういうのに長けているとはいえ、能力を使って無理やり封じたものを見れるわけがないという侮りがあった。

 だから一葉は、ふとした弾みに志乃の感情に一端に触れることができた――いや、触れてしまったのだ。

 流れ込んでくる感情の奔流に、一葉は自我が崩壊してしまうことも覚悟したのだが、そこにあった本当の感情は一つだけだった。

 悲しみ――。

 それだけが、志乃の中心で渦巻いていた。

 記憶を遡ることができたらよかったのだが、一葉にできるのはそのときの感情を読み取ることだけだ。しかし、それでも、その『悲しみ』がずっと志乃のなかにあったということは明白だった。

 五〇〇年以上も昔から生きている超能力者――超越者である志乃の悲しみとはなんなのか一葉には想像もできないが、これほど大きな悲しみなのだ。能力者を殺そうとすることに関係する、あるいは直結することなのだろう。

 だが、その悲しみとは一葉が解決できることなのだろうか。どう考えたとしてもできるわけがない。

 一葉にできることなどたかが知れている。『九十九』の当主で超能力者などといっても、悲しみを癒してやるなどということはしてやることができない。どうしたらよいのか、なにをしたらよいのか、そんな当たり前のことですらわからないのだ。

 いや、それ以前に一葉がここに来たのは志乃を助けるためなどではない。志乃を止めるために――倒すためにやって来たのだ。

 智香が助けてほしいと望もうと、『九十九』の当主としてこれ以上、彼女の呪縛に囚われているわけにはいかない。過去の因縁を断ち切り、『九十九』としての新しい一歩を踏み出す。

 だから、智香には悪いが志乃を助けることはできない。

「一葉ちゃんの言いたいことはわかるよ。志乃を倒すためにここに来たんだもんね」

 札が人間に化けるというとんでもない光景を目の当たりにしながら、一葉は力強く頷いた。

 屋敷から一瞬で移動することができたのは、式神である智香が体を札に戻して、持ち主である志乃のところへ強制帰還を働かせたからだろう。そうでなければ、テレポートでも使えない限り、長距離移動など難しいだろう。

「志乃は超能力を封じる能力を持っている。あなたから能力をなくしたら、ただの女の子に成り下がってしまうことは、ちゃんとわかってるの?」

 そんなこと、ずっと前からわかっていたことだ。

 ずっと考えていた。『九十九』の能力者――超能力者というだけで重宝され、自分より歳上の人間を従えるという異常な光景は、そうさせるだけの力が宿っているからだ。

 屋敷から出ることもできず、自分より歳上の人間に敬語を使われ、心を許せる相手さえもいなかった。

 もしも超能力がなければいったいどんな生活をしていたのだろう。普通に暮らして、普通に友達も作って――普通に話すこともできていたかもしれない。

 超能力者を生み出すという家系に生まれてしまった一葉は、宿った超能力が強力だったがために声を発する気管が未成熟なまま成長してしまった。能力者関係の医者に診てもらったこともあるが、声を失ったのは能力発現の対価であるため、取り戻すにはそれ自体を失わせなければならないとのことだった。

 一葉自身としては失ったって構わない。でも守らなければならない。

 声を取り戻す代わりに能力を失うと言うならば――声なんてなくたっていい。自分のために戦ってくれた家族がいるのだ。傷つきながら、苦しみながら戦ってくれた。

 ならば今度は自分の番だ。『九十九』の当主として、ただの無力な女の子に成り下がったとしても、戦わなければならない。

『九十九』のみんなを守らなければならないのだ。

「――とはいっても、いまの志乃はそれを使えないわ。手加減できないのと同じで、能力を封じる能力も体調が万全のときにしか使うことができないの」

 でも、と智香は言いにくそうに一葉から顔を背ける。

「その分、志乃の狂暴性は増すわ。力は大分限定されるとはいえ、その限定された力を全力で使ってくる。それまでの無意識の手加減とはわけが違う」

 それでも柊と戦ったときよりはマシだろう。超越者同士の目に映らない戦いを目の当たりにした一葉は、少なからず耐性がついているはずだ。だからといって気を抜けるような相手ではないことは変わらない。手を抜こうならば即座に刈り取られてしまうだろう。

 挑む側である以上、実力を越えた力を発揮しなければならない。持てる力を最大限に使うのは当たり前で、無限大に使うことが必須となってくる。

 いくつ能力を使えるのか想像もつかないが、『九十九』が志乃をベースに能力を発現させているのであれば、一葉の重力を操るというものも持っている。東雲と同じ『陰陽師』も使えたことから、それは間違いないはずだ。

 つまりこちらの動きは全て筒抜けということになる。常に裏を読み、奇策を用いて戦わなければ、志乃に太刀打ちすることなど夢のまた夢だ。

 しかし、戦いなど力任せにしかしてこなかった一葉に、そのような考えが浮かぶわけがない。

 戦う機会もろくになく、あったとしても同等の力かそれ以下の能力者としか交えたことはない。このように遥か高みにいる相手と対峙することこそ初めてなのだ。

 六年前に東雲と戦ったときは、彼女の動きに合わせて重圧をかければよかった。近づかれれば外側に追い出すように重力を操作し、あとは同じことの繰り返しをするだけで十分だった。

 けれどこれは志乃には通用しない。重力操作ができるのなら、一葉が変換した重力を志乃がさらに変換して元の状態に戻されてしまう。屋敷で志乃の腕をもぎ取ることができたのだって、ただ単に油断してくれていただけのことで、それもすぐに再生してしまった。

 ずいぶんな大見得を切ったはいいが、直前になってなにもできないことを思い知らされた。

『九十九』の創設者――九十九志乃。

 規格外にして想定外。化物のなかの化物。

 禍々しいほど美しく、惚れ惚れするほどに恐ろしい彼女を、どうやったら倒せるのだろう――。

「俺も話に混ぜてくんねぇかなご両人」

 コルクを抜いたような甲高い音と共にやって来たのは、本来ここにはいない人間の声だった。

 一葉と智香の間に割って入るように現れた男は、口元にシニカルな笑みを張り付けている。けれど額からは大粒の汗が流れ落ちてきており、明らかに無理をしていた。

「……どうやってここを突き止めたの? 双弥くん」

 動揺を隠しきれない智香の言葉を、男――双弥は鼻で笑いながら一蹴する。

「俺をあんまり嘗めんなよ。空間移動なら俺のテリトリーなんだぜ? そう簡単に逃がすかよ。……つっても、ギリギリだったんだけどな」

 双弥が智香のやろうとしたことに気づいたのは、消える直前だった。

 空間移動の能力者には、潜在的に同じ系統の能力がテレポートしようとするのがわかってしまう。空間を割って点と点で移動する際には、テレポーターにしかわからない歪みが発生する。その発生地の始点と終点がイメージとして浮かび、テレポーター同士の戦いとなれば裏の読み合いになってくる。ゆえに、いままさに適任といえる能力者だった。

 一葉もそれがわかっており、双弥が来てくれたことで安堵してしまっていた。頼らないと決めたばかりなのに意思が弱いな、と一葉はため息を漏らした。

 一向にシニカルな笑みを崩そうとしなかった双弥だが、限界が来たのか、右手を前に突き出してタイムをかける。

「ちょいタンマ。頭悪い……じゃね、頭痛い」

 そう断りを入れた双弥は大きく息を吐き出すと、まるで糸の切れた人形のようにその場にへたれ込んだ。

 点々と地面に滴り落ちる汗が染みを作り、大きな模様となっていく。

 先ほどの余裕はよほど虚勢を張っていたことのようで、いつまで経っても立ち上がる兆しは見えない。そればかりか顔色がどんどん悪くなっていき、嘔吐しそうになっているほどだった。

 心配になった一葉は双弥の顔を覗き込むようにしながら、小さな手で背中を撫でる。

 話を中断する形になって気まずさも残って距離を取っていた智香だったが、さすがにあれだけ体調不良を訴えられると心配になってくる。

「大丈夫じゃなさそうだけど大丈夫?」

「だ、大丈夫……だし」

「そんな見栄張らなくてもいいの。なにやったらそんな体調になるのかしら」

 あんたのせいだと言い返す気力もなく双弥は項垂れる。

 いくら双弥ほどのテレポーターでもこの超距離を一回で移動することはできない。数回に分けて連続で飛んできたのだが、ほとんどタイムラグがない移動だったため、体がついてこなかったのだ。

 これは空間移動を発現したばかりの能力者によく見受けられる、空間酔いというものだ。名前自体は双弥がつけたものではあるが、症状は乗り物酔いに比べると数段上だ。テレポーターでも、空間酔いになって弱音を吐かないのは珍しい方である。

 余談ではあるが、そのおかげでテレポートを使えても使わない能力者が続出し、いまではテレポーターの存在は珍しいものとなっている。

 せっかく駆けつけたというのに、一葉に介抱されていてはどちらが助けに来たのかわかったものではない。立場が完全に逆転しているではないか。

 情けなくなって双弥は逃げ出したくなってしまうが、それは気分的なことなのでさっさと出ていってもらうことにした。それと早く空間酔いにも出ていってもらいたい。

 一葉を追いかけるためだったとはいえ、いくらなんでも無理をし過ぎた。

 テレポートとは自分のタイミングでやるものであり、遅滞なくやるものではないのだ。テレポーターが空間酔いになってしまうのは、それを掴めていないせいでもある。

 双弥はいわゆる天才と言うべき部類の能力者で、発現した当初から自分のタイミングが掴めていた。だから空間酔いになるのも、実は初めてだったりする。

「うーん、ちょっと気になったんだけど、もしかして双弥くんって一葉ちゃんのこと好きなの?」

「ぶっ!?」

 嘔吐物を吐き出さなかったのは幸運だっただろう。

 言われた双弥はいまので気が抜けてしまったのか、一気に嘔吐物が込み上げてきて答えるどころではない。

 そして一葉といえば、これでもかと言うほど顔を真っ赤にさせあたふたと慌てていた。

 智香としては率直な感想を言っただけなのだが、こんなに面白い反応をされるとは思っていなかった。

 とはいえ、この仲間意識の強さは『九十九』の全員に言えることだ。仲間内で敵対しなければ、なにがあっても見捨てることのない仲間意識が、智香にはそう見えてしまうのだ。

 一葉は小さな体を目一杯使って抗議するが、残念なことに智香ではなにを言っているかわからない。

「い、いきなりバカなこと、ぶっこんでんじゃねぇよ」

 双弥は口元を覆いながら智香に言う。登場時のシニカルさはどこにもなく、情けない姿がそこにあるだけだった。

 だが、ようやく少し落ち着いてきたのか、表情に余裕が戻ってきている。

「俺たちは腹違いっつっても血の繋がった兄妹で家族なんだ。そこに好きだのそうでないの、恋愛感情なんざあり得ねぇよ」

「九重くんは?」

「あいつはバカだから知らねぇよ」

 きっとあっちでは九重がくしゃみでもしてるんだろうなぁ、と考えながら、双弥はふらふらと立ち上がる。

「……まぁ、こんくらいならいけんだろ」

 双弥は能力が使えなかったときに補助してくれた銃の残り弾数を確かめ、腰のホルスターにしまう。

 それを見た智香は目角を吊り上げた。

「双弥くん、まさかと思うけど、志乃と戦うつもり?」

「ったり前だろ。うちのお姫様が戦うっつってんだから、兄貴である俺が戦わないでどうすんだってんだ。こんな右も左もわかんねぇお姫様をひとりで出歩かせた日にゃあ、なにしでかすか心配で夜も眠れねぇし」

「やめた方がいいわ。一葉ちゃんにも言ったけど、いまの志乃は手加減なんてできないの。負けても生き残るなんて保証はない。負けたら、確実に死ぬ。それがわかってるの?」

「わかってるさ」

 双弥は力強い口調で智香を黙らせる。

「負けたら死ぬ? 上等だ。負けてもいい戦いなんて生ぬりぃんだよ。戦いってなら、これくらいがちょうどいい」

「死ぬ覚悟を口にした人ほど生き延びるものだけど、それは漫画だけの展開なの。ここは現実で負けたら本当に死ぬ。それでもやるっていうのね?」

「くでぇ。やるっつってんだろ」

「……本当に?」

「マジでくどいんですけど!?」

 いい加減、智香のしつこさに耐えきれなくなった双弥は、わざと控えていた大声をだしてしまったことにより、再び嘔吐感が込み上げてきた。

 自分でも締まらないと思いつつも、気分だけはどうしようもないことだ。

 気合いだけで吐くのは堪えた双弥は、気を引き締める。

「ずいぶん男前ね。さっきの言葉も愛の告白にしか聞こえなかったわよ?」

「……これだから女ってのは。なんでもかんでも色恋沙汰に持っていきゃあいいってわけじゃねぇっつの」

 双弥は吐き捨てるように言ったが、よくよく思い返してみると恥ずかしいこと口走っていたのだな、と頭を抱えたくなった。

 ただ、言ってしまったのは仕方ないし、二人にしか見られていないのだから気にすることはないだろう。

 そう思い込むことで勝手に完結していると、一葉に腕を引っ張られた。顔を向けてみれば、一葉がなにやら手をぐっと延ばしてきていた。どうやらしゃがめということらしい。

 双弥は特になにも考えることなく足をたたみ、一葉と同じ視線まで下げる。

 すると、頬に柔らかい感触が一瞬だけ触れていった。

「あらまぁ」

 一瞬のことでなにが起こったかわからなかった。

 智香は微笑ましげに見ているし、一葉は顔を真っ赤にさせてあらぬ方向を見ているしで、全く状況を把握することができない。

 自分にとって嬉しいことが起こったのだろうけれど、それを確かめる相手がいないのが悔やまれた。

 双弥はたたんでいた足を伸ばして立ち上がると、改めて辺りを見渡して、こんなところに志乃がいるのだろうかと心配になった。

 声が妙に反響してくると思っていたのだが、どうやら洞窟のなかだったらしい。しかもかなり大規模なもので、一本道の前後を確認しても入口と出口の光が見えなかった。いまは智香が手にしている光(おそらく式神として与えられた能力で作ったものだろう)があるから互いの顔が見えているが、なければ一歩先も見えはしないだろう。

「この先に志乃がいんのか?」

「そうね。私がここに戻ってきたってことは、志乃がこの先にいるのは間違いないと思うわ」

 これでいなかったら拍子抜けだが、ここまで伝わってくる重苦しい雰囲気からすると、いないなどということはないだろう。

「いまさらだが、冬道かしぎとか『吸血鬼』を倒した志乃を二人で相手にするっつーのも、なかなか無謀な挑戦してんぜ」

「二人じゃなくて三人でしょ」

「……あんた、志乃の式神だろ。戦闘の最中に寝返られると面倒だから、案内し終わったらどっかにすっこんでろよ。お願いだからさ」

 双弥の誠意の籠っていないお願いと一緒に送られてくるジト目に息を詰まらせながら、智香は反論する。

「大丈夫。私は志乃の式神っていっても、主導権は私にあるから寝返ったりしないわ」

「信じられるかっつの。それでいきなり体の言うことが利かなくなったらどうすんだ? あんたのせいで負けるとか洒落になんねぇぞ」

 双弥の言うことは最もだった。

 智香は支倉姉妹や彩人のように眷族ではないものの、より主従関係の強い式神という立場にある。主導権が智香にあるといっても、緊急時の選択権は志乃に委ねられてしまうだろう。

 もしも一葉と双弥が志乃を追い詰めたとしても、そんな大事な場面で寝返られたら、どう足掻いても形勢を覆すことはできないだろう。

 だったら最初からいない方が気兼ねなく戦える。戦力は減ってしまうが、式神ということ以外は素人並なのだから、それほど大きな減少にはならないはずだ。

「はぁ……式神の強さの基準って知ってるかしら?」

 まるで出来の悪い息子を諭すような智香の言い方に、双弥はカチンときた。

「そんなん知るか」

 なのでぶっきらぼうに返してやると、智香は機嫌よさげに鼻を鳴らした。年齢的にはもうすぐで四〇になろうかというのに、見た目が二〇代のせいで、精神がそこまで下げられているに違いない。

 でなければ、双弥を相手にそこまで勝ち誇った顔はしないはずだ。大人げないにもほどがある。

「ならば教えましょう。式神の強さは主人の強さが基準となるの。だから私は一葉ちゃんや双弥くんよりずっと強いのよ?」

「他人から貰った力で勝ち誇んじゃねぇよ。だいたい、そんな強いのに寝返られたら余計に勝ち目がなくなんだろうが。ちゃんと考えろ」

「だから大丈夫って言ってるでしょ。私のなかに八雲の殺人衝動の塊が渦巻いていることは知ってるわね?」

 翔無家の事情についてはある程度調べてある。

 八雲が殺人鬼であったことも、雪音がそれを受け継いでいることも、智香が殺人衝動を孕まされたことも。

「おかげで式神の力を私の都合のいいように弄れるの。主導権は私にあるけど、戻ってくるときは主人である志乃のところに……とかね」

「ずりー……けど、まぁいいや。ならこれで、四人・・は決定ってことだな」

「……四人?」

 なにを言っているのだろう。ここにいるのは三人だけで、四人目などどこにもいない。

 それにこの場所を突き止められたとして、屋敷から離れてまた一時間と経っていないのだ。誰かが駆けつけるには、智香たちがここに来るよりも早く場所を突き止め、移動を始めている必要がある。

 寝言でも言っているのではないかと思ったものの、どうも双弥が確信を持って言っているようにしか見えない。

「移動してる間に偶然見つけたんだけどさ、こいつはかなりの助っ人だぜ。……まぁ、一葉はちょっと苦手かもしんねぇけど」

 その言葉だけで、一葉には誰が助っ人なのかすぐにわかった。一葉には知り合いが家族以外にはほとんどおらず、そのなかで苦手としている人間と言われたら、思い当たる人物はひとりしかいない。

 直後――爆撃でもされたように洞窟の壁の一部が吹き飛ばされ、太陽の光が射し込んできた。舞い上がる砂塵の奥で歪な形をした巨躯が蠢いていたが、次第に小さくなっていき、一葉と同じくらいのサイズに納まる。

 まだ姿は見えないものの、それから伝わってくる殺気は、いくら距離が近いとはいえ、志乃の威圧感を掻き消すほどのものだった。

 このように無差別に殺気を撒き散らす人物となると、やはりひとりしか心当たりがない。

 ようやく砂塵が晴れ、その姿を見た印象は小さな竜――その一言に尽きた。

 人間の血を浴び続けたような真っ赤な髪。それを彩るように添えられた瞳孔の割れた瞳には、本能的な恐怖を煽られた。吐き出す息は洞窟の寒さとも合間って、白い炎を吹いているかのように見える。

 そして小さな竜――『組織』のトップである凪は、一葉たちに気づいて視線だけをこちらに移動させた。

「まさか、このようなところで会うとは思っていなかったでありますなァ……九十九一葉」

 地獄の底から発せられたような地響きさえ聞こえてきそうな低い言葉を、一葉は正面から受けた。心なしか、温厚な彼女の目付きも鋭くなっているような気がする。

 睨み合いながらお互いに近づいていき、一触即発な雰囲気を漂わせていた。

 それをぼけっと見ている双弥に、智香は慌てて言った。

「ちょ、ちょっと双弥くん。助っ人どころかいまにも殺し合いそうな雰囲気なんだけど!」

「いつものことだからいいんだよ。会うとすぐ喧嘩すっからな、あいつら」

 あれを喧嘩というレベルに納めては、本物の喧嘩に失礼というものだろう。誰があんな火花を散らしてぶつかる幼女たちを見て、喧嘩と思うだろうか。

 志乃のところに行く前に互いに潰されては堪ったものではないと智香が慌てていると、小さな竜の矛先が傍観席の二人へと向けられた。より正確に言うならば、双弥へとだ。

「お久しぶりであります、お兄様・・・

「二人っきり以外のときはそう呼ぶなって言ってんだろ」

 敬礼をする小さな竜――凪に双弥は世間話でもするような軽さでそう言う。

「お兄様……?」

「あ、これって外部の人間に言ってダメなんだっけ?」

 双弥は特に悪びれた様子もなくそう言いながら、凪の頭を撫でた。

 あれだけの殺気を撒き散らしていた小さな竜を手懐けているような光景に、智香は唖然とするあまりに口を開きっぱなしにしてしまう。

「『九十九』の家系は複雑だっつったろ? ナギは『九十九』の人間ではねぇんだけど、関係がないってわけでもないんだ。種違いの兄妹ってとこだな」

「種違いって……」

「父親が違ったら種違いって言うだろ」

「まぁ、そうだけど……」

 そんなあっさり言っていいものなのだろうか。

『九十九』の能力者は、そういうところを軽視しすぎているよう気がする。いくらそういう家系だとしても、もう少し言いにくそうにするものだろう。

 感覚の違いもここまで来ると、常識を疑ってしまう。

「ナギは『九十九』の血を引いてるけど、戸籍は母親の方じゃなくて父親の方なんだ。……その辺りはいろいろと複雑な事情があるんだが、聞かないでもらえるとありがたいね」

「わかってる。わざわざ面倒事に首を突っ込む気もないし、そんな時間もないでしょ? でも彼女も『九十九』の血を引いてるってことは、能力もあれなんじゃ……」

「その心配はねぇよ。ナギの能力は『九十九』とは全くベツモンの名付きだ」

 それが凪が『九十九』の能力者でないことの理由の一つでもあるのだが、わざわざ言うことでもないだろう。

「なんの話でありますか? それと、どうしてお兄様とあいつがここにいるのでありましょうか」

 凪の瞳に狂暴性が戻った。離れていて足がすくむほどの威圧があったというのに、こう間近でその威圧感を放たれるのは耐え難いものがある。

 おそらく凪は、双弥たちが志乃の仲間であると思ったのだろう。身内であるとはいえ、敵の味方をするのであれば容赦しないという姿勢には、いつも圧倒される。

「お前とおんなじだ。志乃を倒しに来たんだよ。だからさ、んな怖い顔すんなって。可愛い顔が台無しだぞ?」

「か、かわっ……!? そんなこと言っても我輩は騙されないでありますからな! バーカバーカ!」

「おーい。素に戻ってんぞ」

 その赤髪に負けないほど顔を真っ赤にした凪は、人差し指を突きつけながら、しかしさっきとは違って威圧の篭っていない言葉に双弥はやんわりと微笑む。

 双弥にとって凪はただの可愛い妹なのだろうけれど、凪にしてみれば双弥は恋愛の対象なのだろう。そしてまた、遠くて怨めしそうに見ている一葉も双弥に好意を寄せているに違いない。

 一瞬にして目の前の三角関係を把握してしまった智香は、とんでもないことになったと、そして巻き込まれてしまったと思った。

『組織』と『九十九』といういまや能力者を仕切る二人の頂点に好意を寄せられる双弥は、もしかしたら大物なのかもしれない。

「戦力が集まったところで、志乃をぶっ倒しに行くか」

「――その必要はないぞ」

 双弥が意気込んで奥に向かおうとした――刹那、周りの景色が一転した。

 そこはどこかの王室のようだった。大理石で造られた壁は弧を描くように湾曲し、それに沿って青い炎が一定の間隔で並べられている。床にはレースで仕上げられた、匠の技が込められた赤色の絨毯が入り口から一直線に伸びていた。その終点には、空を穿つようにそびえ立つ玉座がある。

 その玉座には、白髪の女が座っていた。

「ちょろちょろと鼠が動き回っているかと思えば……そちらだったのか。一葉、智香」

 瑠璃色の双眸が二人を睨んだ。

 もしかしたら凪の方が威圧感があると思っていたが、そんなものはただの勘違いだ。敵として対峙したときの志乃の威圧感は、凪の比ではない。

「言っておくがいまの妾はかなり消耗しておる。手加減できぬと思うがよい」

 玉座から立ち上がり、志乃は拳から手刀に切り替えた。

「はっ――上等。負けたときの言い訳にすんじゃねぇぜ? 創設者様よォ!」

 咆哮した双弥の体が宙に解けて消えた。


     ◇◆◇



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