6―(4)「がらんどうの檻②」
けたたましく脳内に鳴り響く危険を知らせるアラート。視界がちかちかと赤く赤く点滅しているのは、危険意識からくる錯覚なのだろうか。常に誰かの後ろに隠れていたつもりなどなかったが、こうして危機に直面して助けを求めることしかできないことで、それがただの思い込みであることを認めざるをえなかった。
ひとりではなにもすることができない。
虎の威を借りる狐とは違うが、それに近いものがある。
紗良は窓から外の様子を見る。
火鷹の能力によってずらされた空間には境界線が設けられ、無理やり侵入することはほぼ不可能だ。以前にそれを無視して入ってきた少女がいたが、もちろんそんなものは例外中の例外と言えよう。
しかし、例外は決してひとつというわけではない。
いままさに、眷属が境界線を破壊して冬道家に侵入しようとしているのだ。それを許せばこちらに打つ手はない。戦闘経験があるといっても、それはあくまで対人戦に限ればだ。眷属のように化物じみた……いや、化物が相手には全く歯が立たない。
紗良も火鷹も、どちらかといえば補助や逃走向けの能力者だ。火力のある能力者が一緒にいてこそ、真価を発揮する。
にもかかわらず二人で留まったのは、アウルたちがすぐに戻ってくると思っていたからだ。結果から見れば重傷を負い、司たちのいる学校で休養をとっている。
そんな彼女たちに助けを求めることしかできなくて、悔しさのあまりに唇を噛んだ。
しかも厄介なのは外だけではない。
「兄ちゃんも母さんも父さんもいないんだから、この家を守るのはあたしの役目なんだよ! あんな変なやつら、あたしが追っ払ってやる!」
「……ですからさっきからそれは無理ですと……」
強引に家から出ようとするつみれを火鷹が後ろからなんとか羽交い締めにするも、体格差があってか、ただ引きずられているようにしか見えない。
境界線を引こうとも、景色が変わるわけではない。だから能力者ではないつみれにも、眷属が見えてしまっているのだ。超能力がわからずとも眷属が不審者に見えたつみれは、追い払ってやると牙を剥き出しにしている。このままでは本当に眷属に食って掛かるかもしれない。
紗良はつみれの肩を掴み、正面から捉える。
「つみれちゃん、あれは普通じゃないの。つみれちゃんがどうにかできる相手じゃないのよ」
「そんなのやってみないとわかんないだろ!」
どいて! と火鷹を振り払って紗良を押し退けると、ドアに手をかけた。取っ手を下に下げ、開けようとドアを押す。が、鍵でもかかったように固く閉ざされていた。
首をかしげつつもう二、三度と動かすがやはり開かない。もう形振り構っていられないと右足を振り上げたが、それでも蹴破ることができなかった。
つみれはおかしいと内心で叫ぶ。空手を修めるつみれの蹴りならば、家のドアを壊すくらい造作もないことだ。
「……形振り構っていられないのは、こちらも同じです」
手を離した火鷹は、相変わらずの眠そうな瞳で言う。
「……あなたをここから出すわけにはいきません。そんなことをしては、かっしーさんに合わせる顔がありませんから」
こんなときまで律儀に渾名で呼ぶ火鷹に、紗良は思わず苦笑を漏らす。
火鷹がやったのは至極簡単なことだ。ドアを開くことができないように、ドアを起点に境界線を敷いたのだ。超能力者ですらないつみれには、それを打ち破るすべはない。
だからこそ使ったのだ。どうあっても、つみれを眷属に近づけさせてはならない。
これでひとまず対策は打てたと安堵の息をつく火鷹と紗良のそばで、つみれがなにやら合点がいったとばかりの表情を作っていた。
「あたし、だてに母さんと父さんの娘、兄ちゃんの妹を十五年やってるわけじゃないんだ。紗良さんや火鷹さんより、その手のかぎ分け方は身を持って覚えてるよ」
全身からできる限り無駄な力を抜く。その上で無駄を完全に省いた、空手とは全然違う構えをとった。
軽く曲げた右腕を腰の辺りまで沈め、足は肩幅程度に開く。左腕は邪魔にならない、差し障りのない高さまで持ち上げた。
「あたしには隠さなくたっていいし遠慮だってしなくていい。その方が、兄ちゃんの妹としてはいろいろとやり易いかなー」
にひひ、と屈託のない笑みを二人に見せてから、つみれは息を大きく吸う。
見開かれた瞳からは雷すら迸るような眼光が窺えた。纏う空気が唸りをあげる。ビリビリと伝わる雰囲気が、迂闊に彼女に触れてはならないと再度、警戒のアラートを鳴らしていた。
栗色のショートカットが逆立つほどの勢いで、気合いのこもった怒号と共に拳が放たれた。
「――直線の壱!」
拳を突き出すだけの小さなモーションとは裏腹に、威力は絶大だった。眷属ですら攻めあぐねていた境界線を、たった一撃で取っ払ってしまうほどだ。
拳撃を受けたドアは全壊し、跡形もなく消し飛んだ。余波で壁まで皹が入っていたが、それよりも衝撃的な光景のせいで気づいていない。
二人が唖然として事実を受け入れようとしている間に、つみれは視線の直線上にいる眷属に狙いを定めた。
ほぼ人間と変わらない容姿。生きているのかわからないほど虚ろな瞳の奥の瞳孔は、縦に裂けていた。生気の欠片も感じられないその姿を見てなお、つみれの芯は揺るがない。
握っていた拳を弛め、手刀の形にする。古典的な正義のヒーローがやるような、まるで馬鹿にしているような構えを作った。しかしつみれはふざけているわけではなく、真剣そのものだ。
眷属がつみれをロックする。獣じみた声を辺りに撒き散らすと、神速まではいかずとも高速と呼べるスピードで、滑走するように低い体勢でつみれが動くよりも早く、間合いに踏み込んできた。
そこでようやく紗良の視界が神経を介して脳に伝え、目の前の光景を情報として処理した。
にげて、と叫ぼうとしたが、それは途切れることとなった。途切れざるを得なかったとも言える。
下から打ち上がってきた眷属の牙が、つみれの首筋に食らいついた――からではない。鈍い打撃音がその必要性を失わせ、そして言わせることの不要さを示したからだ。
眷属の肢体が放り出され、数メートル以上も離れた場所に落下した。
落下から数瞬遅れてその事実を理解すると、思わずつみれの横顔を見つめてしまった。
おそらくつみれも気づいたのだろう。気恥ずかしそうな、むず痒そうな、悩んだような、と表情を百面相のごとく変えたあと、仕方ないとばかりに呟いた。
「水平の弍。……紗良さん、恥ずかしいからあんまり見ないでほしいんだけどなぁ……」
ほんのりと頬を朱に染めて言うつみれは、本当に恥ずかしそうだった。
両の手刀を真横に薙いだ姿勢から直立に戻す。
「あたしちゃんとわかってるよ。あれが普通の人間じゃないってことくらい」
「つみれちゃん……」
「だってあたし、兄ちゃんの妹なんだぜ?」
紗良に体は向けたまま、足を後ろに振り回す。つみれの一撃を喰らってすぐに起きたがった眷属が襲ってきたのだろう。踵が眷属の顔面に突き刺さり、黒くくすんだ血を撒き散らした。
冬道家の血筋なのだろうか。時折、元勇者が戦いの見せる感情を全て殺したような冷めた瞳が、つみれにも宿っていた。
「回転の参――。母さんが言ってたんだ。人為らざる者、人在らざる者が現れたら、これを使っていいって」
「……かっしーさんのお母様がですか?」
紗良の背越しに火鷹はそう返す。
「かっしー? って兄ちゃんのことか。うん、そうだよ。いざってときは兄ちゃんを守りなって言われたんだ。その必要はないみたいなんだけどさ」
兄の実力は四月の時点で空手の練習と称して把握済み――いや、把握できずにいる。それはすなわち、つみれでは力の及ばないところにいるということだ。
変化に気がついたのは、春休み終盤の前後のころ。廊下ですれ違っただけの兄は、空手家であり武人であるつみれの本能を刺激した。一種の恐怖ともいえるぞわりとした感覚は、いまでも覚えている。あんなものは母と対峙したときですら感じなかった。
そう、対峙したときですらだ。兄とはすれ違っただけなのに、母以上のものを感じた。
組手は全力でやった。突け込む隙すら与えず、防ぐ間もやらないつもりだった。でもそうなったのはつみれだった。兄は手加減してくれていただろう。空手の経験の有無があるとはいえ、妹に全力を出すわけがない。なのに負けたのだ。
つみれの記憶が正しければ、兄は武道はからっきしだ。せいぜい高校生同士の喧嘩くらいしか経験はないだろうと思っていた。では、母に直接手ほどきを受けていたつみれを余裕を持って打ち負かすほどの力量を、いったいどこで手に入れたというのだろうか?
その答えの一端に、ようやく触れることができた気がする。これが兄のいた世界だとするなら、ただの手ほどきしか受けていないつみれでは勝てるわけがなかったのだ。
ましてや、つみれは知らないにしろ、異世界で勇者をやってきた男に敵うはずがない。
「でも、兄ちゃんも母さんもいないんだから、やっぱりあたしが命をかけてでも、あたしたちの居場所を守らないといけないんだ」
「それなら、なおさらだめよ」
敵わないとさっさと諦めて助けを求めた自分が、家族の居場所を守ろうとする少女にこんなこと言う資格がないのは百も承知だ。
しかし、だからこそ言わなければならない。言って止めなければならない。
彼が帰ってきてつみれが怪我でもしていれば、申し訳が立たない――なんてことではない。能力者の問題を無関係な少女に押し付けて、自分が逃げるわけにはいかないからだ。
「あなたのお兄さんに教えてもらわなかったの? 自己犠牲のやり方なんて、ただの正義の押し付けに過ぎない。どれだけ転んでも、どれだけ汚れても……本当に守りたいならまずは、お互いに生きることを考えろ――って」
それにこの自己犠牲のやり方は、以前の不知火と重なる。たとえ自分がどうなっても守り抜く――それではだめなのだ。正義の押し付け、自己満足のやり方なんて誰も喜ばない。残された方は一生、悲しみと後悔に苛まされなければならないのだ。
助けを不知火に求めなかったのもそれが関係している。
あれから不知火は変わった。ひとりで突っ走るようなことをしなくなったし、よく助けを求めてくれるようになった。それは素直に喜べることだ。しかし、本質とはそう簡単に変わるものではない。
不知火は勝てない相手から紗良を守ろうとするとき、迷うことなく自身を犠牲にする。これだけはどうあっても変わることはないだろう。
それを知っていたからこそ、紗良は不知火に助けを求めるのをやめたのだ。
「なに言ってんだよ。そんなのあったり前だろ。あたし、まだやりたいことたくさんあるし。……それにしても、兄ちゃんがそんなこと言うなんてなぁ」
感慨深く呟くと、構えを別のものにする。
なんの変哲のないロケットスタートの構え。いや、わずかにロケットスタートとは差異がある。両足はぴったりと合わせて膝を曲げるところまでは同じだが、本来は前にあるはずの両手が体のすぐに脇に置かれている。
眷属が立ち上がる。体勢はまだ整えきっていない。
足に力を込め、そして文字通りロケットが打ち上がるように、つみれも真上に跳躍した。空中で前方宙返りを数回やって勢いをつけ、その勢いのまま速度とともに、踵を眷属の頭に振り下ろした。
避ける、などという思考までは持ち合わせなかった眷属はそれをまともに喰らい、地面にひれ伏した。
予想外の威力と速度にたたらを踏みながらも、つみれは転ぶことなく着地する。
「――直下の肆。いやー、ほんと驚きだぜー。こいつら強すぎじゃんか」
「私からしたら、あんたの方が驚きよ……」
紗良の呟きに「えっ? そうかな?」と心底不思議そうきょとんとして、
「やっぱそうかも。うん、普通の人から見たらあたしたちって、驚きの塊だろうからなぁ」
つみれは自分が異常であることを、常人の目から客観的に見たこととして自覚している。
彼女にとっての普通は常人と同じで、異常が常人と同じなのだ。だから異常と対峙して当たり前な恐怖は抱くけれど、同じように異常として当たり前の対処をすることができる。もしかしたらこういう人間の方が強いのではないかと、紗良は思った。
「……つみれさん、紗良さん。ここは戦わず、ひとまず援軍が来るまで退きましょう。数が違いすぎます」
火鷹が言ったのとほぼ同時だった。倒れた眷属とは別に、複数の眷属が集まってきていた。つみれが敵対していた眷属が呼び寄せたのか、それとも戦いの空気を嗅ぎとってきたのか――この際、それはどうでもよかった。
この場で戦えるのは奇しくもつみれだけだ。そのつみれでさえ一体に手こずる以上、複数に攻められては生き残ることを第一に考えなければ、やつらの仲間になってしまうかもしれない。
それをつみれもわかっているのだろう。苦虫を噛み潰したような表情で睨んでいる。
「火鷹さん、この数を相手にどのくらい稼げる?」
「……申し訳にくいのですが、五分が限界です」
しかし五分もあれば、学校を飛び出した秋蝉や翔無がここに来るはずだ。
そもそも超能力を認識したつみれならば、紗良の能力を使って逃げればいい。鏡を通って移動ができるのだから、逃げることに関してはテレポートに次いで無敵だ。だが、それをすることはできない。つみれがそれを許さないからだ。
「この数を相手に戦おうなんてだめだからね。すぐに応援が来るから、私たちはそれまで生き延びるのが先決よ」
「いやだ。こんなやつらにあたしの居場所を荒らされるのなんか、絶対にいやだ。隠れるなら紗良さんと火鷹さんだけにして」
周りを見渡せば眷属はいまにも飛びかかってきそうだった。――いまにも?
ふと紗良はこの状況に疑問を感じた。眷属に対する紗良の印象は理性のない獣のような生き物で、本能だけで動いているのではないかというほどだ。
その感じは的を射ているもので、支配に慣れてきたといっても反抗を覚えた子供のようなものだ。こうやって自制することなんて、できないはずなのだ。
本能で動いているのであれば、動かない理由も本能に関係することだろう。
いや、その前に本当につみれが暴れたから集まってきたのだろうか? つみれは超能力者ではない。いくら眷属といっても、超能力を使わない人間が暴れたところで集まってくるとは考えられない。紗良と火鷹がいるが、それだけでこの数だというのは無理がありすぎる。
しかし、ならばなにが原因でこんなにも眷属が集まってきているのだろう。そしてなにが原因で怯えているのだろう――。
突風が顔を撫でていった。目を閉じ、開いた一瞬に彼女はそこに現れた。
上から下まで、あますことなく全身を漆黒に委ねた女性。緩い格好だというのにどことなく張り詰めた印象が彼女にはあった。気を許さないとでも言うべきだろうか。決して近づいてはならない雰囲気を纏っている。
けれど紗良が雰囲気以上のものを感じないのは、容姿がつみれを成長させたようなものであるからだ。
「――オレの家族に近づくな」
女性にしてはずいぶん低い声が、薄暗い空を一直線に駆け抜けた。目に焼き付いた銀色の閃光は、短い金属の音と共に尾を引いて消えていく。
それが合図だったように、周りにいた眷属が上半身と下半身を分離させながら倒れた。
いままでならば、それもすぐに再生していただろう。だが眷属は再生する兆しがない。どうしてだと困惑していると、黒髪の女性が振り返った。
改めて見てみると、すごく綺麗な顔立ちをしていた。男性とも女性ともとれる中性的な顔立ちのなかに、冬道兄妹の顔がちらつく。それに先ほどの言動。
そこまで至ったとき、紗良と火鷹は顔を見合わせた。
「母さん! 会いたかったよ!」
つみれは顔に浮かべた満面の笑顔で女性――冬道ゆかりに抱きついた。
やはりと紗良と火鷹は頷いた。彼女こそが六年前に志乃と戦い、四肢を失いながらも倒すことに成功した能力者ではない異常者。
いまは義手義足のはずだが、あの動きを見た限りでは衰えたようには見えない。あれで衰えたというのなら、全盛期ではどれほどの実力を誇っていたというのだろう。
「オレ……じゃなかった、私も会いたかった」
「あはは、無理して直さなくたっていいよー。ちゃんとあたしの一人称は『あたし』になってるんだからさ」
「そうは言っても親の面子ってものがあるだろ。いい歳にもなって、『オレ』なんて言ってられないからな」
それにしても、あの息子その娘あってこの親ありか。冬道兄妹の母親ということでイメージを膨らませていたものの、このように尖った感じだとは思わなかった。尖ったといっても思春期にありがちなものではない。名工が研いだ一本の刀のような鋭さ――いわば斬れ味ということだ。
さっきの眷属を斬ったときの一瞬だけ垣間見せた、敵対していないにも関わらず斬られてしまうのではないかと錯覚するほどの威圧。触れただけで斬れてしまうとはこのことを言うのだと、紗良は実感した。
ゆかりの視線が紗良と火鷹に向けられ、思わず身構えてしまったのは仕方ないだろう。やってから気を悪くさせてしまったかと思ったが、ゆかりは苦笑して頬を掻いた。
「悪いな、こんな感じだから怖かったろ?」
「い、いえ、そんなことないですよ」
「……私は怖かったですが。少し漏らしてしまいました」
火鷹のカミングアウトに全員が押し黙ったのち、
「……冗談ですよ」
彼女の無表情な言葉にほっと安堵した。
「君たちは娘の友達……でいいのか?」
「は、はい、そんなところです」
ゆかりの独特な雰囲気に包まれながら、火鷹に「……答えろ」と無言の重圧を受けながら背中を押されて、緊張した面持ちで言う。
「そうか。娘が世話になった。ありがとう」
と、ゆかりは深々と頭を下げた。
歳上の女性だったから――というわけではなく、ゆかりだったからこそ、いきなりそんなことをされて困惑するしかなかった。
お礼を言われるようなことはなに一つしていない。だって自分たちは彼女の背に隠れて、やろうとしていたことを遮ろうとしていただけなのだ。安全を第一に考えていたなどと言い訳をするが、結局のところ、つみれがやられたら次の狙いになるだけだと、自分たちの心配をしていただけなのだ。
判断を誤ったとは思っていないがしかし、そんな風に頭を下げられることなどしていない。
「母さん、あたし別に紗良さんたちに迷惑かけたりしてないんだけど?」
「お前がしてないと思ってても、もしかしたら迷惑になってるかもしれないだろ」
「うぐっ……。そ、そう言われると反論できないけど……それより!」
びしっとゆかりに指を突きつけると、おもむろに話題の変更をした。
「こんな時期に帰ってくるなんて珍しいね。仕事だったんでしょ? なんかあったの?」
「なんかあったって言えばいま現在あるだろ。つみれもわかってるから、直下の肆まで使ったんだろ?」
「うぐっ……バレてるし」
当然だ、とゆかりは刀の柄でつみれの頭を軽く叩く。
そんな戦いとのギャップのありすぎる姿に呆気に取られるが、冬道もそんな感じであったなと思い出すと、やはり親子なのだと実感させられる。
それよりも、ゆかりはともかく、超能力のことを直接は知らなかったつみれにも、事態の大きさが悟られている。おそらくつみれが特別なのだろうけれど、とにかく事態は露見しつつあるのはたしかだ。
あの映像がいたずらなどではなく、事実であると能力者が認知してしまうのも、もう時間の問題だろう。
「……ゆかりさん、お聞きしたいことがあります」
まだ少し怯えているようで、火鷹は控えめに訊ねる。
ゆかりもゆかりでそういうのに慣れているのか、身長差のある火鷹の目線に合わせて、訊きたいということに耳を傾ける。
「……直線の壱、水平の弍、回転の参、直下の肆――これはゆかりさんが、刀術として教えたものですよね?」
火鷹の私的にゆかりは面食らったように目を見開き、
「あぁ、そうだ。これらは元は刀術で、体術に応用して使うものじゃない」
やがて面白いと言いたげな微笑を浮かべてそう答えた。
「よく見抜いたな。刀術っていっても、つみれが使う用として体術の型に変えてたんだ。そう簡単に見抜けるような技じゃないぜ?」
「……私は観察するということだけは得意ですから――いえ、特異ですから。ほんの少しだけ違和感があって、あとはゆかりさんを見たから気づいただけのことです」
「それでも十分にすごいよ。普通なら見抜けないからな。リュウだって見抜けないだろうぜ」
ゆかりの手放しの称賛に照れくさそうにした火鷹だったが、もちろんその変化は誰も見抜いていない。おそらくこれを見抜けるのは常に一緒にいた翔無と、観察対象として一時的に同居していた冬道くらいのものだろう。
しかし、そのようなことはどうでもいい。まだ言いたいことを口にしていないのだから。
「……どうしてそれを、かっしーさんに教えなかったのですか?」
火鷹が言いたいのはそれだった。超能力者ではないつみれが使ってあそこまで絶大な力を発揮するのだから、ましてや元勇者である彼が使えばその性能は遥かに上がっていたはずだ。
六年前、ゆかりがその技をもって志乃を倒したのなら、それを伝授すれば冬道が倒れることはなかったのだ。
そこに憤りを感じてしまうのは、もはやお門違いもいいところだ。しかしこう目の前でそれを振るわれ、しかも娘にだけ教えたと思うと、どうしても飲み込むことかできなかったのだ。
後輩として、友人として。また――大切な人を救ってもらった身として。
火鷹自身は意図していないだろう鋭い目付きを受け止めながら、ゆかりは嘆息する。そしてゆっくりと言の葉を吐き出した。
「あいつに刀の才能はなかった。それだけだよ」
「……ならばどうしてつみれさんだけに?」
「ちょ、ちょっと、あんたはさっきからなに言ってるのよ。失礼でしょ」
さすがにこれ以上はマズイかもと焦った紗良は、いまにも噛みつきそうな火鷹の肩を掴んで落ち着かせようとする。
どうやらそんな暴挙に出るつもりはないらしいが(そもそもそんなことをすれば、どうなるかわかったものではない)、だからといって引くつもりもないらしい。
普段が普段なだけに、火鷹が頑固だというのを忘れてしまいそうになる。
「君がかしぎのことを慕ってくれてるのはわかった。ようは、刀術を教えていればかしぎは志乃にやられなくて済んだんじゃないか。そう言いたいんだろ?」
「……そこまで……」
知っていながら、と叫ぼうとしたが、ふと頭が冷えた。
それをゆかりに言ってなんになるというのだろう。すでに過ぎてしまったことにどうこう言ったって仕方ないし、意味のないことだ。むしろ刀術を教えなかったことで、『型』に染まらなかったことにより、いまのような異世界式の剣士が出来上がったことに繋がっている。
その刀術では、二人がかりで引き分けが限界だった。それに志乃も馬鹿ではない。ひとりで戦った冬道の結末は、どちらにしろ同じものだっただろう。
そう、どちらにしろ、いまの冬道ではここまでなのだ。
唇を噛み締めて俯いてしまった火鷹を、ゆかりはそっと抱き締める。
「大丈夫だよ。かしぎの方はリュウがなんとかしてくれるから。ちゃんと、帰ってくるよ」
「…………」
少しだけ間を置いて、火鷹はこくりと頷く。
よし、とゆかりは火鷹の頭を無造作に撫で回すと、改めて話を切り出した。
鋼糸による移動はテレポートと比べれば速度は劣るものの、走るよりは格段に時間の短縮になった。
それでも走るのと同じくらい時間がかかっているのは、眷属による猛攻が行く手を遮っていたからだ。傷を癒したといっても、力が底を尽きかけている秋蝉では太刀打ちできなかったが、そこは翔無の出番だった。
『ゆきね』として取り戻した『おんがえし』は、モノに込められた想いに比例して強さが上がっていく。この町で何年も一緒に生活してきたぬいぐるみたちが、眷属を押さえ込んでくれた。
能力についてはすでに秋蝉に話してある。いろいろと省いたりしたものの、秋蝉はそれで納得してくれた。
鋼糸を最大限に伸ばして届くところに絡み付けると、翔無を抱えた秋蝉は下に弧を描いて飛翔していく。まるで焦燥感に掻き立てられたように、それを何度も繰り返す。
「あんまり飛ばしすぎるのはよくないと、ボクは思うけどねぇ。もっと冷静になりなよ」
「雪音ちゃんはどうしてそんなに冷静でいられるの?」
狐の面の下に素顔を隠した秋蝉は、苛立つように言う。
「まぁ、ぶっちゃけたことを言わせてもらうと、いまさらだけど、そこまで心配する必要はなかったんだよねぇ。よくよく考えたらわかってたことなんだよ。ボクも知り合いがピンチってことで焦ってたみたいだねぇ」
「なにを言ってるのか全然わかんないよ!」
「あっちに行ってみればわかるさ。あえてヒントを出すなら、一緒に来た人とはぐれたってことかな」
「もうわけわかんないよ!」
こっちは焦っているというのに、翔無にそこまでのんびりされると、憤りを感じずにはいられなかった。
もういっそのこと高さが頂点になった瞬間に落としてやろうかとも思ったが、翔無はテレポートを使えなくなったわけではない。すぐここに戻ってきてしまうだろう。
だいたいテレポートを使って先に行けばいいのだろうが、それをしない辺り、どうやら翔無は本当に心配ないと思っているようだ。
風で狐の面を飛ばされないように片手で押さえながら、勢いをつけるため屋根を蹴った。その際滑って転げ落ちそうになるが、踏ん張りを利かせてなんとか飛び上がる。
景色が見慣れたものへと変わっていき――それと同時に、『狐の面』と『ゆきね』は眷属など比にならないほど強烈な威圧に呑み込まれた。
体が畏縮し、思わず鋼糸を切り離してしまう。そこまでの高さではなく、さら翔無のぬいぐるみに任せたから難なく着地できたものの、どうも足が動きそうにもない。
「さすが、かっしーの母親だねぇ。……一緒に来たときとは大違いだよ」
「かしぎ君のお母さん……?」
「言ってなかったっけ? ボクたちと一緒に来た父さんの古い知人って、かっしーの母親なんだよねぇ。途中ではぐれちゃったけど、自分の故郷の町で迷うはずもないし、家に帰ったって考えるのが妥当だよ」
「そうなんだ。……ん? あれ? えっと……えぇ!? かしぎ君の母さん!?」
「わお。なんだい、その取って付けたような非常にわざとらしい反応は。まさかそれが素の反応っていうわけではないだろうねぇ?」
君のことだから素なんだろうけど、と翔無は頬を伝って滴り落ちた汗を拭いながら言う。
冬道の母が放つ威圧感はすぐに霧散し、体の自由が戻ってきた。首を鳴らして伸びをすると、翔無は秋蝉に手を伸ばした。
まだ足に力の入らない秋蝉はその手を取って立ち上がると、上書きを実行して情報を書き換える。いい加減、上書きに頼るのもやめようかと思ってはいるが、まだそうもいかなそうだった。
「この様子だと、ボクたちが出るまでもなさそうだねぇ。ていうか、シロちゃんの能力を使えばこんな時間もかからなかっただろうに」
「紗良ちゃんも焦ってたから気づかなかったんだよ」
「んー。自分の能力の使い道を忘れるなんて、それこそ君みたいな後天的に発現した人じゃなきゃないと思うんだけどねぇ。まっ、それほど切羽詰まってたってことかな」
そんな会話をしているうちに、冬道家が見えてきた。家の前には火鷹や紗良やつみれ、そしてゆかりが立っている。
翔無はのんきに手を振りながらゆかりに駆け寄っていき、秋蝉はそれに慌ててついていった。
それにしてもこう一同に会合してみると、圧巻というかなんというか、とにかく、暗がりの空にも華が栄えたようだった。
誰も彼もが目を引く――惹く少女たちで(ひとりだけは少女というには歳を重ねすぎているが)、それがこうも集まると自然と視線が集まるだろう。しかし生憎と、そんな彼女たちを見る者は誰もいない。
「久しぶりだねぇ、キョウちゃん。元気にしてたかい?」
翔無は、まるでいままでの寂しさを払拭するかのように、火鷹を後ろから抱き締める。
それを鬱陶しく思うことなく、火鷹も火鷹で見る人から見ればわかるほど小さな笑みを浮かべながら答える。
「……はい。おかげさまで元気にさせてもらってます。雪音さんは雰囲気が変わりましたが、ひと夏の経験でも済ませてしまいましたか?」
「いやいや、そういうわけじゃないんだよねぇ。ちょっと、自分の出生や隠された過去を知ってパワーアップしただけだよ」
「……かっこいいですね、雪音さん」
「はっはー。それほどでもあるよ。まぁ、我ながら驚いちゃったりしたわけだけど、いやはや、前々からボクにもこういうのがあるんじゃないかと思ってたんだよねぇ」
微塵も思っていないことを口にしながら、しかし火鷹もわかっているようで、それに合わせた相づちを打つ。
安心感から来るものだろう。傍目から見ていた紗良には、火鷹の口調が軽くなったような気がした。軽くといっても、もちろん軽薄というわけではないが。
「それとゆかりさん、いなくなるならせめて一声かけてからにしてもらえませんか? いきなり消えられると、父さんはともかくボクは驚きますから」
「八雲が驚くようなことをオレができるはずないよ。あいつは驚くという感情を忘れてしまったような奴だ。第一に、あいつはお前のことしか気にかけていないからな」
「ボクが言いたいのはそういうことじゃないんだけど、言っても無駄か……」
やれやれ、と肩をすくめると、火鷹の首に回していた腕をほどく。
とりあえず確認したいことは確認できた、と翔無は頭のなかのチェックシートにチェックを刻む。この町の状況と戦いの大まかな全貌――そして藍霧の状態だ。前者の二つはおまけというには重要すぎるが、それを補うほどに後者の一つが大切だ。
藍霧の状態が、もしかすると戦いの命運を左右するかもしれないからだ。
冬道に次いで――否、おそらくは冬道よりも志乃を倒すことができるだろう逸材。それが藍霧真宵だ。
しかし、そんな藍霧はゆかりや八雲の予想通りの状態だった。あれでは戦うことはおろか、人並みに生きていくことさえままならないだろう。
だから、ゆかりがここに来たのだ。
「雪音、藍霧真宵のところに案内してくれないか?」
「あの、ゆかりさん。えっと、真宵ちゃんは……」
秋蝉が言いにくそうに口をつぐんだ。いまのマリオネットのよいな藍霧に会っても、なにもすることが出来ない――そう言いたかったけれど、それは憚られた。
だが、ゆかりはわかってると言わんばかりに秋蝉の頭を優しく撫でた。なにかを言うわけでもなく、ゆかりは無造作に頭を撫でるだけだ。
それがどうも心地好くて、安心することができた。
「オレが藍霧真宵に会いたいのは、その状態をどうにかするためだよ。かしぎの親であるオレの言葉になら、反応を示すはずだからな」
ゆかりがここに来た最大の理由は、藍霧を立て直させることだ。
ただ、ゆかりが翔無家にやって来たのは単なる偶然だった。四肢の代わりとなる義手義足の調整のために訪れたときに、その話を聞かされたのだ。
志乃と正面から戦えるとはいえ、ゆかりは超能力者ではないのだから、あの映像を見ていない。話を聞かされて初めてそれを知った。
息子がやられ、その後輩もほぼ再起不能の状態まで追いやられ、同じく超越者の『吸血鬼』が消息を絶った。志乃と対抗しうる可能性のある三人が、一斉に潰された。
ゆかりが戦えたなら肩代わりしてやりたい。でもそれは無理だ。いくら八雲が作った手足でも、志乃と戦うには不十分すぎる。破壊され、殺されるのが目に見えている。ゆえに最も立ち上がることができるであろう藍霧に、白羽の矢が立った。
こんな他人任せのやり方にゆかりは嫌気が差すが、しかし八雲はむしろ当然ではないかとそれを否定した。
「人にはそれぞれ役目があり、肩代わりすることのできない定められたことがある。彼女にとってはそれが志乃と戦うことであり、君にとっては六年前に戦うことで――そして今回は、その彼女を立ち直らせることだよ、ゆかりくん」
八雲はおそらく、志乃がすべての能力者を殺そうと殺すまいと、どうでもいいことなのだろう。
「世界は神様のおもちゃ箱さ。そして僕たちは、ただのおもちゃに過ぎない。僕たちがどのように動き、どのような結末を迎えようとしているのかを箱の外から見下ろしている。つまり、おもちゃがいなくなってしまったら、暇潰しにもならないじゃないか。だから、僕たちはきっと――」
その先の言葉はゆかりも聞いていない。
まるでこれからの展開がわかってしまっているように、まるで物語の作者が読者にネタバレを促すように――けれどそれはただの憶測にすぎないものの、なぜか聞きたくなかった。
八雲もこの戦いについて知っていることなど、普通より多いくらいだろう。だから先のことを知っているわけがない。
なんでも知ったように振る舞う八雲の実際など見透かせないが、それでもあれはただの憶測でしかないことはたしかだ。
……いや、それとも八雲は、これからずっと先のことでも視ているのだろうか?
ゆかりは胸元辺りまでの黒髪を揺らして思考を停止させると、藍霧の元へと向かった。
◇◆◇