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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第六章〈志乃覚醒〉編
73/132

6―(2)「崩壊③」


 視界が真っ赤に染まる。どれだけの言葉を紡ごうとも表しきれない感情が内側から溢れ、思考を塗り潰していく。

 その光景を受け入れることができなかった。

 どんなときでも、どんな怪我をしても最後はちゃんと帰ってきてくれた少年が胸を貫かれ、ぐったりとしている。止めどなく流れ出る赤い水が、宙へと散っていく。

 どんなにそうではないと否定しても、『吸血鬼』の直感がそうなのだと肯定しようとする。絶対にそんなことはしてはならなかった。

 だってしてしまったら、彼が帰ってきてくれなくなる。

 黄金の輝きを失った剣が彼の手から抜け、そのまま下に落ちていく。剣先の方から淡い粒子となっていきそして――跡形もなく消滅した。

 その瞬間、彼女を繋ぎ止めていた『柊詩織』という鎖は、音を立てて崩壊した。

「がぁぁぁああああああああああああああああああ―――――――!」

 獣じみた咆哮が割れた空に轟いた。それはただの咆哮だったはずだ。だというのに、それは志乃が創り出した塔をいとも簡単に破壊した。一片の塵すらも残さずに、砕かれた塔が砂粒となって消えていく。

 これにはさすがの志乃も、動揺の色を隠しきることは叶わなかった。

 この塔は『九十九』という縛りに限定されてはいるものの、能力を完全に封じることが可能だ。一葉の場合、能力を封じるまでに時間を要するため体調を崩してしまっていた。

 それは柊も同じはずだ。いくら志乃から直接受けたとはいえ、耐えきる耐えきらないのことではないのだ。現に体調の崩れはあったし、動きに若干の違和感がまとわりついていた。

 だが、柊は『九十九』という縛りのなかに『死降』という、『死乃』と並ぶ真名が隠されている。

 それが、怒りによって無理やり揺り起こされた。

 正気を失った双眸が志乃を捉える。真紅だった瞳の片方は志乃と同じ瑠璃色に変化し、髪も根本から白に変色しつつあった。

『死降』へと昇華が始まっている証拠だ。これが完全に変化し終えれば『柊詩織』という人格は消え、死を降ろすことだけをする『死降』となってしまうだろう。

 けれどいまの彼女にはそれを考えるだけの思考がない。怒りによって塗り潰され、目の前の敵を殺すことだけしか頭にないのだ。

 白刃と黒刃が担い手の感情に悲鳴を上げる。元勇者が最も信頼した鍛冶師の名剣が、一途な想いに耐えきれずにいた。しかし、その一途な想いというのは怒気だ。

 もう一度、天に向かって咆哮し――姿を消した。

 不自然な消え方に志乃は首を傾げる。見えないほどの速さで移動したのだとしても、それは線での移動だ。必ず通る場所があり、知覚できなくなるということはないのだ。けれど柊の消え方は点と点との移動のものだ。

「冬道を返しやがれ!」

 右腕が肩からきれいに斬り落とされた。振り撒かれた赤がお互いの顔を鮮烈に染め上げていく。

 上方に振り上げていた黒刃を、柊は残された左腕に振り下ろした。漆黒の弧を描いた刀身は確実に志乃の腕を捉えたが、しかし斬り落とすまでには至らない。志乃は瞬時に身を引き、剣の射程圏内から抜け出していたのだ。

 振り下ろしから薙ぎ払いに、素早く手首を返し、軌道を修正する。しかしやはりかわされる。

 大振りのため隙を晒した柊の腹部に鋭利な痛みが走った。見れば腹から背にかけ、大きな穴が空けられていた。これはおそらく、東雲の肩にやったものと同じ能力だろう。

 痛みは一瞬だけだ。穴はすぐに再生を完了させ、白刃が流線を残す。

 志乃が左手を振る。すると軌道の間に氷の壁が形成され、剣を防いだ――かのように見えた。

 もしついさっきまでの柊であったなら、これで防ぐことができていただろう。だがいまの柊は『死降』としての力の一端を掌握しているのだ。それで防ぎきろうというのは、あまりにも嘗められた話だ。

 氷を水分に変え、剣の先端が志乃の頬を抉った。

 志乃の表情から焦燥感を読み取ることができた。いったいなにを焦っているのか、わずかに考えたが、すぐに掻き消されていく。

 黒刃を肩の高さまで持ち上げると、再生しようとしていた右腕に向けて思いきり突き出した。

 突きとは直線の動きだ。来るとわかっていれば、かわすのはそう難しくはない。しかも相手が剣の素人となればなおさらだ。

 空気を蹴って片足を軸に回転する。真横を通りすぎた刀身を握り固定すると、再生し終えた右腕で拳を作った。

 拳が放たれる。反応が遅れたことや片手が使えなくなっていたこともあり、けれど瞬間的な対応で直撃を避けた柊が海に叩き落とされた。

 大したダメージはない。単に余波で吹き飛ばされたようなものだからだ。

 水面を蹴って浮上し、真紅と瑠璃色の双眸で、落ちてくる冬道を捉えた。志乃になど目も暮れず、柊は冬道を抱きしめた。

「冬道……?」

 呼び掛けても、彼は全く動かない。

 まさか――と最悪の結末が頭をよぎるが、冬道から鼓動を感じ、ほっと息をついた。

 志乃に体を貫かれた冬道は、どうやらギリギリのところで急所を外していたようだ。けれど重傷であることはたしかだ。大量の出血に加えて肺の破裂、見た限りでは複数の骨折や筋肉の断裂もある。これでは長くは保つまい。

 急激に頭が冷めていく。己の体の変化にようやく気がついたものの、そんなことに構っていられないと即座に切り捨てた。

 動きに支障がでるのであれば考えに入れざるをえなかったが、むしろ体が軽くなっているのだ。悪い方向には向かっていないだろう。

 柊は腕に抱えた冬道に意識を配り、志乃を逃がさないように見上げつつ、できることを考えた。

 そしてすぐに見つかった。

 超能力が使えるのだ。『吸血鬼』だけでなく、おそらくいままでスキルドレインしてきたと思われる超能力がだ。さっきも無意識に空間移動――テレポートを使っていた。

 ただし使えるテレポートは双弥のようにモノ全てに、というのではなく、翔無のような自分だけを対象としたものだ。これでは冬道を抱えて逃げることはできない。

 他にどんなものが使えるのか探ってみたが、この状況を打破できるような能力はなかった。

 どうすればいいかわからない。戦うのも逃げるのも、冬道が枷となってしまう。いや、もとより冬道を助け出せたなら戦うという選択肢はない。戦うにしても一旦退いて態勢を立て直してからだ。

 ――……違う。それこそいや、だ。

 戦うという選択肢はない? そんなばかな。志乃は冬道にこんな怪我を負わせたのだ。絶対に許せるはずがない。

 柊の真紅が瑠璃色に侵食された。


 塔の崩壊に巻き込まれた一葉は、周りの重力を操作して体勢を維持すると、なんとか事なきを得ていた。

 海面に立ち、志乃と戦っているはず・・の柊を見上げる。といってもどこに焦点を合わせたらよいかわからず、視線はあちらこちらをさ迷うばかりだ。なにせ一葉には二人の戦いが見えていない。

 なんとか見えたのは、柊が志乃の腕を斬り落としたところまでだ。体を貫かれている、冬道と呼んだ少年が落下を始めてから柊が抱き止めるまでの数秒間。その間に凄まじい攻防があったのだろうが、音が散らばるばかりだった。

 あれはもう超能力者同士の戦いではない。そんな枠に収まりきるような二人ではないのだ。

 超越者とでも呼ぶべきだろうか。とにかく、それほどまでに『死乃』と『死降』の攻防は常軌を逸しすぎている。

 白と茶が混ざりあったポニーテールを風になびかせ、瑠璃色に染まった双眸の柊は、彼女が見上げている志乃とそっくりだった。

 容姿もそうだが、雰囲気などまさに瓜二つだ。どちらもが等しく死の異臭を漂わせている。あれは死を呼び寄せる存在だ。

 一葉は小さな拳をぎゅっと握りしめる。

 柊は自分を逃がすためだけではないにしろ、あそこまでの無茶をしてくれた。そんな柊が戦っているのなら加勢すべきだろう。けれど、はたして柊の邪魔にならずに戦うことができるのか。……おそらくそれは無理だろう。

 柊は一葉のいるところにはいない。もう一つ上の次元で戦っている。

 まともに対峙もできないのに一緒に戦おうというのは、彼女にとってありがた迷惑のはずだ。

 だから一葉にできることは……なにもない。

「――一葉!」

 そう思っていた矢先だ。視線のずっと先にいる柊に名前を叫ばれ、肩をびくりと震わせた。

 柊は志乃に意識を注いだまま、一葉に近寄ってくる。

「一葉、冬道を安全なところまで連れてってくれ」

 涼しく微笑みながら言う柊に、一葉は安心感を覚えた。どれだけ『死降』に近づこうとも、柊詩織という人間の本質は変わらないのだと。

 実のところ、一葉は近づいてくる柊に恐怖を抱いていた。もうあの優しかった柊はいないのかもしれない、という恐怖だ。

 こうして話してみると、柊は柊のままだった。

 頷いて、一葉は冬道を抱えるのではなく能力で体を浮かせる。あとは逃げるだけなのだが、どうしても柊を見捨てるようなことができずにいた。

 そんな一葉を気遣ってか、頭を優しく撫でてくる。

「あたしは大丈夫だって。さっきも言ったろ? こんなんでくたばるわけねぇ、ってな」

 ――だったら、どうしてそんな顔をしてるの?

 一葉はそう口にしようとしたが、結局それをすることははばかられた。言ってしまえば、柊が気づいてしまうかもしれないからだ。

 相討ってても志乃を殺そうとしていることに。

 気づかせるわけにはいかない。もし気がついてしまえば、柊では志乃に勝てないことを悟り、自らそこに進んでしまうかもしれない。

 そんなのは嫌だ。だからひとまず、冬道を安全なところまで連れていく。

 浮かせた冬道を連れ、一葉は地上に向け移動を始めた。

 志乃の視線を一瞬だけ感じたが、それはすぐにぶつかったらしき余波で掻き消された。

 そういえば、と一葉は思う。同じく塔の崩壊に巻き込まれた彩人の姿がどこにもなかったのだ。彩人ほどの能力者が、あれくらいのことに対処できないわけがない。

 どうにかして逃げ延びたはずだが、それならどこにいるというのだろう。

 そんなことをしばらく考えているうちに、目の前には地面が広がっていた。

 一葉は地面に足をつけると、冬道を寝かせる。安全な場所に連れていけと言われたが、この状態の冬道を放置しておくのは危険だ。かといって一葉ではどうすることもできない。

 いつも周りに頼りきりになっていて、こういうときにどうしたらいいかわからず、戸惑ってしまう。

「おいおい、こりゃひでぇな。あいつも容赦ってもんを知らねぇんじゃねぇの?」

 後ろから聞こえてきた男の声に、一葉は凍りついた。

 彩人ではない。あの幼い子供のような話し方と響きではなく、もっと年齢を重ねた重低のあるものだった。

 どこかで聞いたことがある。しかし、どこで聞いたものだったか記憶を掘り下げても思い出せない。

 がちゃり、となにかを取り出す音を鼓膜が捕まえた。

 一葉の鼓動が強く脈打つ。その男が誰であれ、こんなところに来て後ろに立っているのならば、敵と見て間違いないはずだ。能力を使う準備はもうとっくにできている。意を決し、一葉は振り向くと同時に手を掲げ、能力を発動しようとした。

 だが、見覚えのあるその顔に動きを止めた。

「久しぶりだな嬢ちゃん。六年ぶりか」

 片手に銃を握る彼は、空いている手で一葉の頭を撫でながらそう言った。

「ずいぶん大きくなっちまって。おじさん感激だよ、こんちくしょうめ」

 指タコのできた武骨な手に無造作に撫でられ、一葉は目を白黒させる。

 いくら久しぶりといっても、彼とはほとんど面識がないのと同じだ。どちらかといえば『組織』の頂点である小さな竜との方が接点があるだろう。なにせ彼が六年前に志乃と戦ったのは、小さな竜が頼んだからだ。

『組織』によく出入りするようになっていた彼が超能力とは別の異能を持っていることを知っていたのは、小さな竜しかいなかったのだから。

 乱れた髪を直しながら彼を睨み上げるが、なんの反応もしてくれない。ただ微笑ましそうに見つめているだけだ。

 それがどうしようもなく腹立たしかったが、いまはそんな場合ではない。

 柊の大事な人である冬道が生死の境をさ迷っている。自分ではどうすることもできないから、助けてもらいたい。

 でも、そのことをどうやって伝えればいいのだ。

 一葉は生まれつき声が出せない。自然に生まれたのとは違い、人工的に作られた能力者である一葉には、強力な力の代償として言葉を奪われた。声を出す気管がまるまる未発達のまま、この世界に産み落とされたのだ。

 身ぶり手ぶりで必死にこれまでのことを伝えようとするが、それを見た彼はなぜか吹き出した。

「そんな必死になんなくても、これだけ見りゃわかってるよ。こいつが死にそうだから助けてくれってんだろ?」

 一葉は何回も首を縦に動かして頷く。

「任せとけ。あいつに勝つにゃ、おれが道を示してやらんといけねぇみたいだからな」

 彼――銃騎士はそう言って、姿を消した。


 二対の瑠璃色が交錯する。

「……まるで妾のようだのう詩織よ。真、妾の生き写しのようだ」

 悲しむように言う志乃からは上辺だけでなく、本心から悲しんでいるように見えた。

 思い返してみれば、志乃は幾度となくこういった表情を見せてきた。それがどのような悲しみであるかはわからない。志乃の過去と関係しているというのは薄々だが、柊も察している。けれどそれがどうしたというのだろう。

 たとえ志乃の過去が残酷なものであれ、そんなもの・・・・・は冬道を殺しかけたことにはなんの意味もないことだ。

『死降』という檻から漏れ出したその一端を身に宿したとはいえ、よくて引き分けるのが関の山。志乃は『死乃』で、『九十九』を創設した古代の能力だ。経験の差や元々のスペックから考えても、勝てる要素の見込みはない。

 とはいえ、そんな難しいことではなく、単純に柊はあいつを殴りたいと思っているだけなのだ。

 だから柊は、一葉が危惧したようなことなど微塵も頭には置いていない。どちらかといえば逆のことを考えている。

 ――志乃を殴り飛ばして、生きて冬道のところに帰る!

 まるでその心に共鳴でもしたように、両手の刃が鳴る。

「ならばそちには事が終わるまで――黙っていてもらうとしようかの」

 空気が唸りを上げる。突如として足元を押し上げてきた空気の塊に、柊は体勢を崩された――が、それも一瞬のこと。『吸血鬼』の直感でそれをなんとなくわかっていた柊は、焦ることもなく、空気の塊を足場に万全な体勢をとる。飛び込んできた志乃に合わせて、両手の剣を同時に降り下ろした。

 志乃は手刀で応戦する。これも志乃の能力の一つだろう、斬撃を素手で受けながらも、まるで剣同士で打ち合ったような振動が伝わってくる。振動は痛覚に変換され、筋肉の運動を一時的に麻痺させた。

 その隙を狙い、志乃のもう一つの武器が打ち上がってくる。それは雷だった。槍状に編み込まれた雷が、顔面に向けて放たれた。

 柊は避ける素振りを見せない。回避は無理だと判断しての行動かと志乃は思ったが、そうではなかった。

 頬が裂けんばかりに大口を開ける。そして一直線に迫ってくる雷槍に噛みつき、砕いた。触れた直後に生身では耐えきれないほどの電圧が全身を叩いただろうに、まったく動じた様子がない。何事もなかったように、つばぜり合いを続けている。

 腕力だけで志乃を押し返し、一拍の間を置く。そこから、守ることを忘れたようにお互いの刃が無数に交差することとなった。

 常に前に出る姿勢をとる。精神を研ぎ澄ませる。一歩たりとも引くことは許されないのだから。

 そんないっぱいいっぱいの柊に対し、志乃にはいつでも潰すことができる、と言わんばかりの余裕があった。

 その態度に一矢報いようとした直後、志乃は後ろに飛んだ。なにか仕掛けようとしているのだと柊は直感したが、対応がわずかに遅れた。下から押し上げてくるのと真逆の方向、すなわち上から、押し潰そうとせんとする空気の塊がとっさに振り上げた剣に衝撃を加えた。

 先ほど蓄積されたダメージがいまごろになって効いてきたのか、いつもなら押し返せるはずのものを押し返すことができない。歯を食い縛り、潰されないように堪える。

 使える能力でなんとかしようと試みるのだが、この空気の塊には能力を封じる効果があるらしい。『死降』へと昇華した『吸血鬼』以外は使うことができずにいた。

「ほう……それを耐えるか。しかし詩織よ、これ以上そちに頑張ってもらっては困るのだ」

 志乃はそう言いながら、手刀を構える。

「どうやら妾の目的は半分ほどしか叶わぬようだが、もう片方は見えぬ旅路の果てに探すことにしよう。なに、五百年も生きたことだし、今度は連れもおる。苦しい旅にはならぬはずだのう」

 手刀が振り上げられる。無慈悲な一撃は、まもなく柊を貫くことだったろう。だが、柊は志乃がたったいま口にした言葉にキレていた・・・・・

 刹那――柊の両刃が空と海を真っ二つに切り裂いた。

 前触れはあったが予備動作はなく、あと少しでも近づいていれば志乃も巻き込まれていたかもしれない。そうなれば状況は一転していただろう。

 跳ね上がった水柱の間から、漆黒のロングコートの化物が睨んでいる。久しく感じていなかった恐怖が、志乃の脳天から足の指先まで駆け抜けていく。

「……おいてめぇ、勝手に決めつけてんじゃねぇぞ」

 荒ぶる感情とは裏腹に、静かに言葉を紡ぐ。

「ほう? ならばそちが妾の願いを叶えてくれると?」

「バカ言うなよ。あたしがてめぇの願いなんざ叶えるわけねぇだろ」

 つーかそうじゃねぇよ、と柊は吐き捨てる。

「あたしが言いてぇのはな――勝手に冬道を負けたことにすんじゃねぇってことだ!」

 とどのつまり、柊は冬道に惚れすぎているということなのだろう。

 志乃の目的が一つでも叶うのなら、結果的に、それを阻止しようとしていた冬道が負けたということになる。柊はそれを認めたくない。だからキレた。ただそれだけのことなのだ。

「冬道は絶対に帰ってくる。だからそれまでは、あたしがてめぇと戦う」

「ならば帰ってくれば任せきりにするというのかのう」

「んなわけねぇだろ。あたしは冬道をひとりで戦わせたら危ないってわかってたのに、ひとりでやらせちまった。こうなったのは全部あたしの責任だ」

 だから、と柊は剣の切っ先を志乃に突きつける。

「今度はあたしも一緒に戦う。そんでてめぇをぶっ倒す」

 柊がそう言いきると、志乃は腹を抱えて笑いだした。

「嬉しいことを言ってくれるのう。若き新芽が育ってくれるのは、この老いぼれにしてみれば嬉しい限りだ」

 無言で志乃を睨む。

「だが、いまは邪魔なだけだのう」

 不意に体の自由が奪われた。いや、実際には奪われているわけではない。本能が――『死降』が動くことを拒んでいるのだ。

 なぜそのようなことになったのか、考えるまでもない。

 柊の『死降』は超越者だ。『死乃』と同じ領域に足を踏み入れた、能力者を凌駕する存在。能力――というよりも、どちらかといえば体質に近いかもしれない。それを潜在的に読み取っていた柊は、志乃が『死乃』たると思っていた。

 しかしそうではない。志乃は最初から――『死乃』になどなっていなかったのだ。

 鎖が弾け飛ぶ。封じ込めた獣が解き放たれて、宿主に牙を突き立てる。その牙を虜にし、そして狂気を我が物とした。

「ちと早いが――お披露目といこうかのう」

 腕が斬り落とされた。そう感じたときにはもう遅い。

 気づけば天地が入れ替わっていた。体の感覚が失われ、五体満足でいるのかどうかすら感じれなくなっている。立っているのか浮いているのか、再生が終わったのかまだなのか……もう、なにもかもがわからない。

 ずどん、と胸を駆けた鋭い痛みに、ようやく地面に叩きつけられていることを自覚した。

 ちかちかする視線を動かすと、そこにはさっきまで持っていたはずの黒の剣が体を貫き、地面に縫い付けられていた。

「しばらく寝ておれ。起きたころには、もうそちの知る世界ではないかもしれないがのう」

 意識が闇に滑り落ちていく。

 最後までもがいていた柊の瞼が、ゆっくりと閉じた。


     ◇◆◇


 花音が映し出した映像はそこで途切れていた。いくつかの視界を繋ぎ合わせて映像化するため、柊が意識を失った時点で能力の発動条件を満たせなくなったためだろう。ついでに言えば、一葉と銃騎士の会話は映し出されてはいなかった。

 しかし、これを見れば志乃という能力者がどれだけものなのか、全員が理解したはずだ。

 柊は間違いなく、超能力者のなかで頂点に立つことができる逸材だ。あの志乃と正面からまともにぶつかることができる能力者など、あと何人いるだろう。仮に対峙したとしても、あそこまで戦えるのはおるまい。

 凪も己があの立場だったときのことを想像するが、せいぜい数手が限界だ。

 そもそも能力を打ち消すという能力があるかぎり、超能力者では志乃に触れることさえできないのは六年前に学習している。現に柊も『吸血鬼』によって吸収した能力を封じられていた。

 彼女は『死降』だったから戦えたにすぎないのだ。

 そうなると、他に戦える可能性があるのは東雲かと考え、凪はすぐにそれを否定した。

 柊は死を降ろす者『死降』だが、東雲は死を見るもの『死乃ノ目』だ。戦闘力に関しては柊以上を期待することはできないだろう。

「凪、一つだけ聞いてもいいか?」

 姫路が頭の後ろで手を組みながらそう言う。

「志乃がバカみてぇに強いのも、能力を封じるってのもわかった。けどよー、こいつって一気に複数の能力を封じるなんて芸当ができんの?」

「それを判断するには情報が少なすぎるであります。我輩が視た感じでは、あの柱に触れなければ、能力を封じられることはないはずでありますが……」

「柱? んなもんあったっけ?」

 頭上に疑問符を浮かべる姫路には答えず、御神と司の方に向き直る。

「お前たちはどうでありましたか?」

 どう、とはもちろん見たままの意見のことだ。

 御神も司も首を横に振り、凪が言ったこと以外は、特になにも見当たらなかったことを伝える。

 これでは手の出しようがなかった。能力を封じるのが柱に触れた人間だけに作用するのか、正直なところ、安易に決めつけるわけにはいかない。もしも柱はあるだけで効果を及ぼすものだとしたら、それだけで超能力者は常人にまで下げられてしまう。

 万事休すとはまさにこのことだ。黙って志乃がやることを見ていることしかできない。眷属の足止めなど、あちらが不死身であるのだからやるだけ無意味だ。

 形成の不利さに諦めかけていると、凪の膝の上で眠る花音が呟いた。

「こんなときあの人がいてくれたら、どうにかなったかもしれないね~……」

 凪の肩がびくりと震える。心なしか、鬣のような赤髪が逆立っているように見えた。

 この場にいる誰もが思っていながら、しかし口にすることを躊躇っていたことをあっさり言ってのけた花音には、もはや脱帽するしかない。

 いつだってそうだ。花音は凪に言いにくいと思っていることを、代わりに言ってくれる。おそらく意図してやっているものではないだろうことは承知だ。

「……あいつを関わらせるにはいかないであります。我輩のせいで、あいつは戦うすべを失ったのでありますからな」

 六年前に志乃と戦うように命じたのは、なにを隠そう凪というこの少女だ。加勢として戦場に立った冬道の母――ゆかりと協力し、なんとか志乃を撃退した。

 しかしその代償は多大なものだった。

 ゆかりは四肢を、銃騎士は戦う力を失ったのだ。

 犠牲を最小限に抑えるためだとはいえ、凪は二人もの人間の人生に傷跡を残している。そしてまた、少年少女に傷をつけてしまった。

『組織』としては間違った行動ではないだろう。たかが一人や二人にかまけ、大多数を犠牲にするわけにはいかない。

 だが、凪個人としては納得のいく結末ではないのだ。

 だからもう、猿山の大将・・・・・でいるわけにはいかない。

「志乃の討伐には我輩がでる」

『――っ!』

 凪の思いがけない一言に、花音を除いた全員が言葉を詰まらせた。細かい指示をしているのは御神たちではあるが、その大筋を決めているのは凪だ。

 そんな凪が指示系統を離れれば、短時間は状況を維持できても長くは保つまい。

「我輩にもしものことがあったときは、カノンにすべてを任せるであります」

 もしも――それは凪が死んでしまったときのことを示しているのだろう。

 凪自身も志乃と戦って勝てるとは思っていない。せめて少しでも時間を稼ぎ、状況を打破する策を練ってもらおうとしているのだ。

 やすやすと犠牲になるつもりはないが、戦えばまず凪に勝ち目はない。

「カノン、志乃の居場所を特定するであります」

 誰かが言葉を差し込む前に凪は言うと、VRシステム内から離脱した。続けて花音も離脱し、唖然とする四人だけが残された。

 定期的に聞こえてくる電子音。無数の数列が目の前を通りすぎていく。

 このままならば、凪は志乃のところに行ってしまうのは目に見えている。それを止めようにも、凪がどこにいるのかわからない。そして花音がいるなら、凪は確実に志乃のもとにたどり着くだろう。

 そうなれば凪は――殺されてしまう。

「……司さん、たしかあなたの能力は、他人の能力を使うことができたはずですよね?」

「お前も物好きだな」

 御神がなにをしたいのかわかってしまい、司は額に手をあて、嘆息した。

「僕も行きます。勝つことができなくとも、あの人を連れて逃げるだけのことはできるはずです」

「ふざけるな。凪が不在だというのに、我々まで外れて誰が指揮をするというのだ」

 ガンマの言っていることは正しい。各地で暴れる眷属の猛攻を防ぐには、正確な指示とそれを執る人間が必要となる。凪だけならず、御神たちまで抜けてしまえば、もう眷属を抑えるなど不可能だ。

「ついてきてほしいなんて言ってませんよ。行くのは僕だけで十分です」

「つれねぇこと言うなよ。アタシも行かせろよ」

 首に手を回そうとする姫路からするりと逃げると、御神は困った顔をする。

「姫路さんまで巻き込むわけにはいきません。僕の地域は仲間に任せるから安心ですけど……」

 その先の言葉は唇に添えられた指によって遮られた。

「くだんねぇこと気にすんなって。アタシだって仲間がいるんだぜ?」

 それより、と姫路はガンマを視界の中央に捕まえた。

 腕を組むガンマは、睨むように姫路を見据えている。

「ガンマはどうすんの? 仲間の信頼度はお前がいっちばんたけぇんだぞ」

 姫路が言うように、九州はガンマがいなくとも統率がそう簡単に崩れるものではない。逆に四国は、御神がいなければ能力者が暴れだすだろう。

 しかしこの場合は逆手にとることができる。好戦的ということは、眷属にも物怖じしないということだ。

「だが、貴様の地域はどうするつもりだ」

 そして一番不安定なのは近畿地方の姫路だ。ガンマのように統率がとれているわけでもなければ、御神のように好戦的なわけでもない。

 姫路がいなければなにもすることができないのだ。眷属に襲われでもすれば、瞬く間に制圧されるだろう。ならば姫路が持ち場を離れるのは得策ではない。動くなら御神とガンマ、あとは司くらいで十分だ。

 司のいる関東地方は有能な能力者が揃っている。司が抜けたくらいではそこまでの穴にはならないだろう。

「アタシのことは気にすんな。実はアタシの息子が……」

『息子ぉ!?』

「うおっ!? そんな大声だすなよ。ビックリすんなぁ」

 司たちが驚くのも無理はない。『組織』に所属する能力者の個人情報はデータベースに包みなく記載され、誰でも閲覧することができる。

 そこに書かれた情報を司はすべて記憶しているが、姫路が結婚して子を産んだという記録はない。だが一つくらいデータベースに載っていないことだってあるはずだ。司にも同じことは言える。

 けれどこれはかなりの大事だ。出産するまではなにもなかったからよかったものの、もしものことがあれば……

「嘘だって、アタシまだ結婚すらしてないし。あっ、ガンマ、アタシと結婚する?」

「断る。おれにはマイハニーが……」

「黙れ」

 司の容赦ない一撃にさすがのガンマも撃沈した。こう何回も断られればこうなるのが普通で、いままでは頑張ってきた方だろう。

「ならば向かうのはフウ、御神、ガンマでいいんだな?」

「司っちはいかねぇの?」

「……私にはやることがあるからな」

 行き先はどちらも暗い。やるべきことがはたして光へ導かれているのか不安になるが、この道を進むしか手段は残されていないのだ。

 司の不安げな表情に姫路はそうか、と返事をすると、VRシステムから離脱した。

「あいつ、まだ詳細まで決めてないというのに……」

 こうやって後先を考えずに行動するのは姫路の悪い癖だ。司は頭を抱えたい気持ちを抑えると、残ったガンマと御神に伝える。

「場所がわかったら御神に連絡する。御神、二人への伝達を頼むぞ」

「はい、わかりました」

 わざと御神の名前を強調すると、ガンマは憎らしげに目を尖らせた。

 御神はそれを気にした様子もなく受け流すと、VRシステムから消える。

 さすがのガンマも戦いとなれば意識を切り替えるようで、司に見向くことなく離脱していった。その切り替えの早さがガンマのいいところだと認めてはいるが、それを覆すくらいに悪いところがあるのでなんとも言えない。

 司はここを出てからどうしようかわからず、途方に暮れるしかなかった。



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