5―(19)「繋がり④」
――煩わしい。
藍霧はそればかりを脳裏のディスプレイに羅列させていた。その様子は怪奇現象でも起こったような有り様で、他人に見せられるようなものではない。
雷と同化する藍霧は屋根の上に着地すると、目を閉じ、能力者の位置の特定に入る。
藍霧を煩わしいと思わせているものはこれだ。わざわざ事細かく座標を確認し、合わせなければならない。異世界においては、とてもではないが考えられなかったことだ。
波動であれば位置の特定など、当たり前のようにできる。波動という流れを目で追うことや、肌で感じる方法は教えられたことだ。教えられたことであれば、藍霧はそれを吸収し、乗増しで使うことができる。だが逆に言えば、教えられなければできないということでもある。
彼女はがらんどう。詰めればいくらでも入るが、詰めようとする誰かがいなければ、成長することはない。だから藍霧は、こちらに還ってきてから少しも成長していない。
異世界にいたころのままだ。とはいえ、全く成長していないわけではないのだ。超能力という異能に対しての知識を、独学と照らし合わせて己から理解しようとしている。
それは彼女が、成長している証だ。
「また消えて……」
そう思ったのもつかの間、言い切る前に超能力の反応がセンサーに引っ掛かった。
座標をわざわざ確認しなければならないのは、捉えていた点が唐突に消えてしまうからだ。波導なら詠唱を行った形跡を追尾できなくとも、波脈を流れる波動で場所を特定できる。しかし超能力は発動した瞬間、あるいはしている間しかそれを見つけることができないのだ。
『組織』が遠く離れたところからでも能力者を発見できるのは、そういう能力者がいるからだろう。なにか他の手段があるのかもしれないが、藍霧には知る由もないことだ。
場所が特定でき、藍霧は再び跳躍しようと膝を折るが、直後にその点が消え去った。
そろそろ怒りを越えて呆れに変わりそうだ。ここまで特定に時間がかかると、もう自分の能力がいかにパワースタイルであるかが思い知らされる。
藍霧は今回、自分が役に立たなすぎだと感じていた。度重なる失態、格下でも容易にできることができない。
――こんなことでは、かしぎ先輩との約束が守れない。
そう思った瞬間、藍霧は『藍霧真宵』という存在がなくなっていくような錯覚を覚えた。
冬道のためになれないのであれば、藍霧には生きる資格はない――生きていてはならないのだ。
彼のために生きると決め、彼の障害になるものを蹂躙すると誓い、彼に尽くすと定めた。
愛しているのかと問われれば「答えるまでもない」と答えるだろう。
狂っていると言われれば「それがどうした」と辛辣に言い返すだろう。
気味が悪いと罵られれば「それで結構」とすんなり受け入れるだろう。
世界が滅ぶというのなら、藍霧は冬道とその周りの人間だけは守ると感情に刷り込んでいる。それだけはなんとしてでも実行する、機械のような回路を組み上げている。
藍霧に残されている感情は、それだけなのだ。
なにもなかった彼女に冬道は与えてくれたのだ。
だからもう二度と――失いたくない。
「……誰ですか、こんなときに」
『雷鎧』を解き、携帯電話を取り出す。
ディスプレイには『泥棒猫』とある。一時的にとはいえ、冬道に言われたからとはいえ、ここに残った藍霧から冬道を奪ったという恨みから、このように変更したのだ。
変更する前は『柊詩織』。
無視してしまえと悪魔に囁かれるが、まだ天使の方が強かったのだろう。しぶしぶ応答する。
「もしもし、すみませんけどいま取り込み中です。急ぎの用でないのでしたらあとにしてもらえますか?」
そう言ったものの、こんなときに連絡するのだから急ぎの用であることは察している。
『わりぃ。あたしもお前に頼るしかねぇんだ。じゃねぇと冬道が……」
「なにをすればいいんですか?」
冗談を本気として受け取った柊の謝罪を述べてからの言葉に、藍霧は優先事項を『防衛』から『冬道かしぎ及び柊詩織』に切り替えた。
柊も彼の名前は意図して出したのではない。思ったままを口にしたことが、この場合は上手く作用した。
『あたしドジっちゃってさ、敵に捕まっちまったんだ』
「あなたはなにをやっているのですか。殺しますよ? ……まぁ、言いたいことは山ほどありますが、それは流すことにします」
藍霧は右手以外に再び『雷鎧』をかけると、超能力の反応があった場所へと急ぐ。
ちょうど学校へ行くルートとは反対の方向に超能力の反応があった。
いかに『雷鎧』をかけているとはいえ、生身の肉体が雷速に耐えられるわけがない。だから戦いのときはスピードに緩急をつけて相手の目を誤魔化し、雷速で動いているように見せかけているだけなのだ。
もちろんスピードはそれなりに上がっている。だがどれだけ急いでも、あと数分はかかるだろう。
「それで、ドジった柊さんはどういう状況になっているのですか? 私に助けを求めたのですから、それなりに困難な状況なのでしょう?」
過剰な自信ともいえる発言だが、しかし藍霧にはそれを言わせてしまうだけの力がある。客観的に分析を重ねた結果、藍霧の力は冬道と共に突出していることを把握していた。ただ、経験と技術などといったものに対し、肉体のスペックや超能力への知識などが劣っているが。
『能力の檻っていうか、球体のなかに閉じ込められたんだ。あたしの「吸血鬼」の全力で殴っても全然壊れないし、せいぜい皹を入れるのが精一杯でさ。しかも壊れたとこから再生しやがるし。どうにかして脱出できねぇか?』
「ふむん……」
『吸血鬼』の全力でも皹しか入らないとなると、生半可な威力ではそのまま跳ね返ってきてしまうだろう。攻撃力に関しては右に出るものがない柊の拳撃すら凌ぐ球体を破壊する方法。
皹は入るのだから、壊れないことはないはずだし脱出も可能だ。ただし、破壊するまで遅滞なく攻撃を繰り返し、破壊が成功したら再生しきる前に脱出するというごり押しの戦法だ。
柊の性格なら真っ先に考えそうな手段だが、それが不発に終わったから藍霧に頼ってきたのだろう。
超能力に通じるかは定かでないにしろ、繊細な作業でも脱け出すことはできる。それが柊にできるとは思えないから、あえて教えて無駄な知識は吹き込まないでおく。
そうなると、柊がひとりで脱出する手段は残されていない。どうしたものかと試行錯誤していると、柊が言った。
『あのさ、あたしともうひとり閉じ込められてるやついるんだけど……』
「それを早く言ってください。あなたはバカですか? あぁもう、言いたいことがありすぎて頭痛がします」
藍霧は眉間を指でつまみ、ため息をつく。
「それで、あなたと一緒に捕まっているのは誰なのですか? 名前とかはいりませんから、能力の詳細を教えてください」
『九十九一葉、「九十九」の当主だ。能力は重力を操るってやつらしい。えっと、有効範囲は十メートル以内だけど、その範囲内の重力ならベクトルを自由に変化させられる。重圧は数十倍が限度。持続時間は一葉が解かない限り半永久的、意識がなくても発動が可能……だってさ』
隣で教えてもらいながら言っていたのか、他人事のように言う柊に藍霧は脱力する。
首を軽く振って気を取り直すと、今度は重力操作を組み込んだシュミレートを脳内で行う。
ベクトルを自由に変えられるのはかなりの利点だが、重圧の大きさが問題かもしれない。あと少し上げることができれば、一葉だけでもなんとかできただろう。それに実行するにしても問題がある。どうにかしてその問題を取り除きたいところだが、球体という逃げ場のない空間ではどうしようもない。
「やはりごり押しでやるしか方法はなさそうですね」
『真宵がごり押しするなんて珍しいこともあるんだなぁ』
「なにを言ってるんですか。私は元からパワースタイルです。状況によってスタイルを使い分けているだけで、細かい作業が得意というわけではありません。だいたい、あなたにテクニックを求めてもできないでしょう」
できないことはやらせません、と藍霧は締め括る。
「いいですか柊さん、ごり押しといってもあなたひとりが奮闘するのではなく、九十九一葉と協力して行わなければ脱出はできないでしょう。しかもこれは、あなたへの負担が大きすぎる上に重要な要になっています。必ず成功させなさい」
『あたしの心配はしてくれないのかよ』
拗ねたような声で柊が言ってくる。
「優先事項はかしぎ先輩です。あなたは二の次ですから」
藍霧は柊の言葉を突っぱねると、何事もなかったように概要を告げる。
「その球体は柊さんでも壊せなかったと言っていましたが、それは単に耐久値が高いだけにすぎません。耐久値を越えるだけのダメージを与えれば、どんなものだろうと死を迎えます」
『それはわかるけど……それで?』
「まずは九十九一葉が球全体を内側から押し出すように重圧をかけます。その際はなるべく均等に、全力でやるように言ってください。そのあとは頃合いを見計らって、どこでもいいので思いきり殴り付ければなんとかなるはずです」
『あたしが言うのもおかしいんだけど……ほんとにこんなんで壊せんのか?』
柊は控えめにそう口にする。それくらいで壊せるのであれば、ひとりでもなんとかできるのではないかと考えたのだろう。
藍霧の策はシンプルすぎるあまり、策とも呼べないやり方になっている。柊でなくとも、これには疑いを持ってしまうだろう。
「人を頼ったくせに考えにケチをつけないでください。……わかりました、わかりやすく説明してあげます。イメージはしぼんでいる風船ですね」
『しぼんでる風船?』
「はい。九十九一葉の球体を重圧で押し出すようにするのは耐久値を減らすための行程、すなわち風船を膨らませるための作業です。それだけで大幅に耐久値を減らせますから。次ですが、柊さんは針の役目を担っています。膨らんだ風船というのは、針を刺せば簡単に割れるでしょう? あんな感じです」
『なるほど……。聞いてみるといけそうな気がしてきた。サンキューな、あとはこっちでなんとかしてみるよ』
「まだ説明は終わってませんけど」
勝手に通話を切ろうとする柊に藍霧は冷たく言い放つ。
「むしろここからが重要です」
『おう』
「おうって……まぁいいです。九十九一葉の重力操作は、彼女を中心として発動されるもののはずです。そうなると柊さんは球体の耐久値を減らしている間、同じだけの重圧を受け続けなければならないんです」
球体のなかには、無秩序に放たれる重圧を防ぐ遮蔽物がなにもない。そのため、柊は重圧に耐え続けなければならないのだ。通常の数十倍の重圧となると、『吸血鬼』による肉体補正でも耐えがたいものがある。
それでも耐えきらなければ、脱出する方法はない。やるやらないではなく、やるしかないのだ。
「先輩のために必ず成功させなさい」
『当たり前だろ。せっかく真宵が近くにいねぇんだ。ここでアピールしないでどこでアピールするんだよ』
聞き捨てならないセリフに藍霧の眉がぴくりと動く。纏う雷が心の動揺を表しているかのように、激しく放電する。
大きく深呼吸して自制すると、向こう側で沈黙する柊に言った。
「――頼みましたよ」
冬道のことを他人に頼むなど、甚だ不本意だ。
けれど藍霧にはやるべきことがある。それを投げ出すことなどできない。
『任せとけ』
短く一言だけ柊は言い、通話を切った。
藍霧は通話相手のいなくなった携帯電話を眺め、そして歯を強く食い縛った。どういうことになっているかわからなければ、冬道の助けになることもできない。せめて側にいたらなにかできたのではないかと思うと、いまこうして立ち止まっていることが歯痒かった。
いつからこんなに落ちぶれた。こんなのは異世界で勇者の片割れとして、冬道のパートナーとして戦ってきた藍霧真宵ではないと、いまの自分を否定する。
誰もが醜く足掻いて前に進もうとしているなかで、藍霧はずっと立ち止まっていた。冬道の背中におぶさってきただけで、変わろうとしなかった。
それが藍霧に重くのし掛かってきている。
藍霧は八つ当たりするように雷を放電すると、反応があった場所へ移動を再開する。いつの間にか止まってしまっていたようで、だいぶ時間を費やしてしまった。
もう反応を探るのではなく、気配を感じとることにした。ある程度近くまで来ていれば、人が多いところでも特定の気配を探しだすことは可能だ。
すぐに探していた気配は見つかった。アウルと秋蝉、それと似通った二つの気配が同じところに集まっている。
目に見えるところまでようやくたどり着くと、雷を纏まったまま直下した。
突然の落雷に四人は硬直した。狙いすましたように両者の間に落下した雷は、わずかな放電ののち、人の姿となって立ち上がった。
それが藍霧真宵だとわかると、反応は二つに分かれた。
ひとつは安堵する息、もうひとつは戦慄する鼓動だ。
前情報として藍霧のことを知っていたのだろう。特記戦力としているだけに、藍霧の登場に恐怖したのだ。
藍霧の戦闘記録はほとんど残されていない。多少のものはあるが、未だに底が知れない。その時点でさえアミとエミでは足元にも及ばないのに、こうして敵対するはめになるとは思っていなかった。
無感情な瞳がアミとエミを貫く。下げられていた地杖の水晶が向けられる。水色の淡い光――氷系統の波動を溢れさせ、詠唱しようとする。
「待って真宵ちゃん、その子たちは敵じゃないの」
そう言われ、鋼糸の傘の下で呼吸を荒くする秋蝉を藍霧は一瞥する。
「敵かどうかはあなたが決めることではありません。私が決めることです」
聞く耳を持たず。藍霧は意識を地杖へと戻すと、後ずさる二人に視線を注ぐ。頭の天辺から足の爪先まで、くまなく品定めするように観察する。
秋蝉の言うように敵ではないのか――その答えは、以外にもあっさりと弾き出された。
氷系統の波動が霧散していく。踵を返して秋蝉の方に向き直った藍霧は水系統の波動を走らせ、詠唱する。
すると引き裂かれるような痛みがすっと引いていった。
「応急措置としてはそれが限界です。もっとしっかりとした治療をしたいので、どこか別の場所に移動しましょう」
闇系統と風系統の波動を平行使用して秋蝉とアウルの体を持ち上げると、近くにあった鏡に向かって声をかける。
「白神さん、そこで見ているのなら事情を把握できているでしょう? 鏡を学校の保健室か生徒会長室に繋いでください」
冬道家に繋いでもよかったが、超能力のことを知らないつみれに重傷の二人は見せるわけにはいくまい。かといって病院に運ぶこともできない。
だが学校ならいまは超能力関係の人間しかいないし、誰にも見られる心配はない。状況の照らし合わせをしなければ、そろそろ理解が追いつかないし、学校が一番都合のいい場所なのだ。
『わかったわ。ここの鏡を学校に繋いでおくから、私の声が聞こえなくなったらすぐに飛び込みなさいね』
鏡のなかから声が聞こえるのも奇妙なことだが、藍霧は特になにか感想を抱いたわけではなさそうだ。
頷いて、まずは秋蝉とアウルを鏡のなかに放り込む。
「敵でないのでしたら、二人もついてきてください」
顔を合わせて悩む――などということはせず、疑うことすらせずに、アミとエミは藍霧より先に鏡のなかに飛び込んだ。
驚きのあまり呆気に取られた藍霧は悪くないだろう。まさかこうもあっさりと見知らぬ能力者を信用し、言われた通りにするなどと思わなかったからだ。
変なところで純粋な二人にやりにくさを感じながら、藍霧も鏡に吸い込まれた。
一瞬で景色が変わる。高低差に惑わされることなく着地した藍霧は、アウルと秋蝉の二人が保健室のベッドに寝かされていることに気がついた。
波動は使用者が離れていても短い間なら持続される。おそらくアミとエミが二人を運んだのだろう。
どちらも重傷だが、手間をかけて治療を行うほどではない。走る水系統の波動を攻撃用から治療用のものに切り替える。
「――――水精よ、不確かな生に穏やかな命を」
地杖から半透明色の薄い膜が出てくる。焼け爛れた皮膚に水の膜が張り付き、あり得ない速さで傷を癒されていく。
まともに治療していたなら何ヵ月もかかっていたはずだ。それがたった数秒で完治している。もう見馴れているはずなのに、藍霧は受け入れがたいものとして処理していた。
こんな理不尽なことがあってもいいのだろうか――と。
『藍霧真宵』は藍霧真宵と違い、不変の普通だ。理不尽を嫌い異常を否定する、藍霧真宵と正反対の道を行く少女だ。
それがいまでは波導という地球に存在しないものに手を染め、勇者とまで呼ばれるようになってしまった。いや、呼ばれていたと言うべきだろうか。なんにしろ、彼女を『藍霧真宵』たらしめたあの事件からは、とてもではないが考えられないことだった。
となると、いまの藍霧は『戻った』もしくは『壊れた』と表現するのが妥当なのかもしれない。
「ありがとう、真宵ちゃん。それでアウルちゃんは……」
何故か放られていた替えのワイシャツを着込みながら、秋蝉は訊ねる。
「気絶しているだけです。少し休めば意識が戻りますよ。……なにをしていたのかはわかりませんが、どうすればこんなに消耗するんでしょうね」
肉体的にも精神的にも、感情的にも能力的にも――と。
「それより、この双子が敵ではないとはどういうことなんですか。説明してください」
「うん。司先生たちのところでもいいかな?」
「それは構いませんが、まだ動かない方がいいと思いますけど。怪我は治っても失った血液までは戻せませんから」
それが秋蝉を気遣ってではなく、面倒事を増やすな、という言葉であることは、アミとエミにでもわかった。
「それに、わざわざ出向く必要もないみたいですし」
藍霧が指差した方向には、保健室のドアに寄りかかる司が立っていた。
その顔は険しく、視線は敵対する能力者を貫いている。汲み取ることのできる感情は不可解――理解不能。
「どうしてお前らがここにいる。いいや、どうして生きている、『ふたご座』」
びくりと小さな肩が震える。まるで知られてはいけないことを知っている人物に出会ってしまったような反応を、藍霧は興味もなさそうに見つめる。
「な、なんでこんなところに『ゲームメイカー』がいるの!? こんなの聞いてないよ!」
「アミ落ち着いて。ひっひっふー、だよ」
「エミもなんか違うよ!?」
司の登場にあたふたと慌てる『ふたご座』は、暗めな空気をぶち壊しにしていた。
放っておけば暴れだしてしまいそうな二人を、秋蝉が後ろから包み込むように抱きついた。
「慌てなくても大丈夫。司先生は私たちの味方だから」
「そ、そうかもしれないけど……」
アミはそう答え、ゆっくりと司の方に顔を動かす。
眉間に皺を寄せ、明らかに敵対の意思を剥き出しにしている司。秋蝉からは味方に見えても、アミやエミからしたらどうやっても敵にしか見えなかった。
しかし殺気は感じない。敵対する意思はあっても殺し合うつもりはないと判断するべきなのだろうか。迷った末、エミにどうするか委ねることにした。
こちらを見ないように顔を反らしたアミを、エミは恨ましげに睨む。
いつもこういったことは任されているとはいえ、せめていまぐらいは一緒に考えてもらいたかった。アミの意見は参考にできないとわかってはいるが。
むむむ……、とエミは唸る。
「味方、敵、敵、敵!」
「いぇーい!」
秋蝉、藍霧、アウル、司の順に指差したエミは、回されていた腕にぎゅっと抱きつく。司のところで妙に力が入っていたのは気のせいではあるまい。
だが司もそれに目くじらを立てるほど子供ではない。反抗期を迎えた子供の発言を流すような態度で、口を開く。
「私のことを敵だと言うのは構わないが、ここにいるからには説明するべきことはきっちり説明してもらわなくてはな。こんなややこしい状況になっているんだ。どうせまとめるのにかかる時間は変わらんだろう」
脇に挟んでいた数枚に束ねられた紙を近くにあったテーブルに叩きつける。
藍霧はそれを手に取り、ほとんど読んでないような速さで紙をめくっていく。枚数は二十枚以上にも及んでいる。流し見で確認した藍霧は、ようやく穴だらけの情報の全貌を掴んだ。
だが、それもここまでの、だ。必要なのはこれからの情報だ。
藍霧も司の意見に同意し、エミを見据える。アミを眼中に入れなかったのは、入れなかったからではなく入らなかっただけだろう。
エミは秋蝉に助けを求める。
人柄や雰囲気のためか、秋蝉は好かれているらしい。
「みんなに話してくれるかな? みんな私の仲間だから」
「……お姉ちゃんが言うなら、信じる」
妙な信頼寄せられてんのな、と秋蝉は前に聞いたことのあるセリフを心のなかで呟く。
エミは「ありがと」と秋蝉の腕から抜ける。
「このことを話す上で知っていてほしいことがひとつだけあるの。それは――エミやアミは一度、死んでいるってこと」
そんな前置きに一同は息を呑んだ。
アミとエミ――支倉亜美と依美が志乃と出会ったのは、六年前の戦いが終わってからのことだった。正確に言うならば、その二年後、世間が落ち着きを見せたころのことだ。もちろん世間といっても能力者の世間であり、一般のものと交わることはない。
ここに二年間の空白があるのは――支倉姉妹が死んでいたからだ。
「エミたちは、六年前に起こった戦いで『九十九』に殺された能力者なの」
もちろん司もそのことを知っていた。名付きの能力者はごくわずかな数しかいないため、それが死んだとあれば嫌でも耳に入ってくる。
そもそも名付きの定義とは、『組織』と『九十九』が会談し、初めて発現した能力者に与えられる、というものだ。ひとつの能力を複数の能力者が発現することは珍しくない。むしろ頻繁に起こり、名付きが何人も集まっていることの方がよほど奇妙だった。
「でも、エミたちはこうして生きている。それは、志乃がエミたちを生き返らせてくれたから」
「……ちょっと待て」
聞き捨てならない言葉に、司が思わずといった感じに割り込んできた。
「生き返らせた、だと? そんなバカなことがあるか。超能力は全知全能の絶対的な万能ではない。生きた人間を不老不死にできたとしても、死んだ人間を生き返らせることなどできるわけがない」
「でも、エミたちはこうして生き返ってるよ」
たしかにそうだ。『ふたご座』が死んだという情報は耳にしているし、『組織』のデータベースにもしっかりと記録がされていた。間違いなく『ふたご座』は死んでいたのだ。
しかし現実はどうだ。死んだはずの『ふたご座』はこうして司の前に立ち、生き返ったと話している。
超能力に死者を蘇らせるものがあるなど、到底信じられる話ではない。そんなものがあったならいまごろ、なんとか隠している超能力の存在が露見しているだろう。
納得はできない。が、それを追求したところで答えがでるわけでもない。
司は「すまない、続けてくれ」とエミに言う。
「エミたちが起きたとき、そこには志乃と何人かの人たちがいた。その人たちも、名付きだった」
「智香さんだけは違ったけどね。能力者でもないし」
「アミ、余計なことは言わない。……エミたちに共通していたことは、一度死んでいるということ。志乃は、エミたちを利用するために生き返らせたって言ってた」
志乃と会ったのはそれが最初だ。その印象は虚空。なにも映さない瑠璃色の瞳からは、やはりなにも感じない。白紙から文字を読み取ろうとしているのと同じことだった。
なにもわからないまま蘇生させられ、眷属となった名付きたちに、志乃はこう言った。
――すまない、と。
利用すると宣言しておきながら頭を下げられ、名付きたちはどう対応したらいいかわからず、見つめることしかできなかった。智香だけは唯一そういったことはなく、寂しげに志乃を見ていたのをエミはよく覚えている。
それはまるで、志乃がなにを目的として名付きたちを利用しようとしているのか、知っているようだった。
「でも志乃、ほんとはそんなことをするつもりなんてなかったの。だって志乃は、エミたちを利用しなくたってなんでもできるから」
九十九志乃は能力者では倒すことができない。それは何故か――答えは単純に、彼女には超能力による攻撃が効かないからだ。超能力の一切が無効化され、傷ひとつさえつけられない。
その気になりさえすれば、かつて志乃を倒した二人がいないのだからどうとでもなるのだ。
名付きたちを生き返らせ利用しようしていると言っていた。その利用法が冬道や藍霧といった超能力とは異なる力を持つ者の足止めというならば、いくらでも合点はつく。
しかし、志乃はそんなことはせず、名付きたちに眷属を率いさせ、各地の能力者を襲わせ始めた。志乃は自分を倒す可能性を持つ異能者と戦うことを選択したというのに。
「どうして志乃がこんな選択をしたのかはわからないけど、エミたちは志乃のために動くしかなかった。――だってそうしないと、志乃が死んじゃうから」
「どういうことですか?」
藍霧が訊ねる。
超能力者の働きでは死ぬことはない志乃が、どうして超能力者を殺さなければ死んでしまうのか、という疑問が浮かんだのだ。
「超能力者には、超能力を使うための『核』があるの。それは目に見えるものではないけど、志乃にはわかっちゃうみたい。増え続けた『核』が志乃に負担をかけて、このままだと『核』に押し潰されて死んじゃうかもしれないって」
「つまり志乃が死んでしまえば、能力者で生き返ったあなたたちもまた死んでしまうから従うしかなかった、と」
「そんなんじゃないよ!」
藍霧に噛みつかんばかりの形相で、アミは叫んだ。
「アミたちはそんなことで動いてるわけじゃないよ! 志乃と離ればなれになりたくないからやってるんだ! アミたちには、もう志乃しかいないから……」
だんだんと小さくなっていくアミの声には、能力者なら誰もが抱えている暗闇が込められていた。
支倉姉妹も、志乃と出会う前は忌み嫌われていたのだろう。超能力という化物じみた存在はそれだけで人間を逸脱させ、周りに恐怖をもたらす。そんな彼女たちが死んだことで、少なくとも周りの人間たちは清々していたことだろう。
「そのことは関係ないよ。生き返って眷属になったところで、能力の効果は完了してるから」
志乃が仮にいなくなったとしても、意図的に能力を解除しない限りは効果は持続し続ける。逆にいなくならずとも、能力を解除すればすぐさま死骸に戻るということでもある。
「エミたちが志乃を助けたいのは家族として、また命を与えてくれた恩人として救いたいからだよ。そのためには、能力者を殺さないといけない」
でも、とエミは続ける。
「そんなことはしたくない。志乃のためだからって、他の人を殺していいなんてことにはならないから」
エミは藍霧と司を交互に見やる。
「だからお願いします。志乃を助ける方法を一緒に考えてください」
そう言ってアミとエミは深々と頭を下げた。
「お断りします。敵の頼みを聞くほど私はお人好しではありませんし、協力する意味もありません。そもそもあなたたちはかしぎ先輩の敵の味方――生かしておく理由がありません」
「真宵ちゃん……!」
地杖を持ち上げる藍霧を、秋蝉は後ろから抱きついて動きを封じようとする。 いつもなら無理やりにでも振り払うのだが、鬱陶しげに見下ろすだけに止まっていた。
「それに私はちゃんと言ったでしょう? 敵でないならついてこい、と。にもかかわらず、あなたは先ほど私を敵だと言いました。これ以上にないほどに、あなたが敵であると証明しているでしょう?」
もとから藍霧はエミたちを味方などとは思っていない。
敵がわざわざついてくると言うなら、それなりの情報を引き出す。危険を伴うのであればそれくらいしなければ釣り合わない。
藍霧にしてみれば敵を自陣に連れ込むなど、信じがたいことだった。この幼い容姿に秋蝉は気を許してしまった、とでも考えておくべきだろう。実力など見た目で決まることではない。たとえ脆弱そうに見えても、それが本性であると限らないのだ。
どんな相手だろうと、常に警戒は怠れない。
「私は神でも聖人でもありません」
藍霧は地杖を突きつける。
「――敵をただひたすら殺すだけの、元勇者です」
不意に藍霧の耳にノイズが走った。
予想外のことに、動きが一瞬だけ止まった。
痛みを感じるほど強烈なものではないが、これが能力によって引き起こされたことだということだけは確かだ。であればすでに敵の術中にはまっていることになる。
藍霧はこのノイズの源を排除しようと、能力に逆探知を仕掛けようとし――異変に気づいた。
この場にいる能力者全員が、藍霧と同じ現象にかかっている。しかも敵味方問わずにだ。
嫌な予感しかしない。これが序章の終わりを告げる合図のようで、なによりも胸騒ぎが藍霧真宵を乱す。
『能力者諸君、妾の名は九十九志乃と申す』
その名を聞いた途端、全身の血液が沸騰する感覚を覚えざるを得なかった。
この戦いの元凶にして黒幕。そいつが能力者たちに語りかけている。
そして言葉が紡がれた。
その言葉は、藍霧真宵を壊すには十分だった。
◇◆◇