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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第五章〈九十九騒乱〉編
69/132

5―(18)「繋がり③」


 豪雨と強風が吹き荒れるなか、赤と青のレインコートを着る少女たちが楽しげに会話をしながら、誰もいない道で悠然と歩みを進めていた。

「きゃはは見て見てエミ~、すっごい雨だよ~!」

「アミ、うるさい。静かにして」

 赤の少女――アミの場違いなテンションに、青の少女――エミが冷静に落ち着くように促す。

「だってすごいよこの雨! なんか台風みたいじゃん!」

「アミ、志乃が台風だから気をつけて行ってこいって言ってたの、忘れた?」

 ばしゃばしゃと水溜まりを跳ねるアミを横目で呆れるように見ながら、エミは淡々と業務をこなすように言う。

 そうだっけ、と首をかしげるアミにエミは嘆息する。

 容姿は瓜二つだというのにどうしてこんなに性格に違いが出るのだろうと、エミは不思議でならなかった。アミは活発で外で遊ぶのが好きなのに対し、エミは家などで読書をするのが好きな少女だ。

 無理やり外に連れ出されることもあって鬱陶しいと思うことだってある。たぶんエミがアミに無理やり勉強させたりしているときは、同じことを思っているだろう。

 好みだって全然違う。髪型ひとつにしたってアミはポニーテール、エミはツインテールだ。一卵性の双子なのに、ここまではっきりとした違いが出るというのはかなり珍しい。

 だけど能力は同じだ。二人でひとつの、能力者のなかでも特異な能力。一人では決して強くはないが、二人なら誰にも負けることはないと信じて疑わない姉妹。

「志乃は心配性なんだよ~。行く前だって『そちらは妾の大切な家族だからのう。気をつけていってくるんだぞ』って言ってたし」

「アミ、それちょっと似てる」

「ほんとに!? やった、今度は志乃にやってあげよ。喜んでくれるかな?」

「きっとね」

 エミはアミの頭を優しく撫でてやりながら、うっすらと微笑を浮かべる。

 でも――、と二人は同時に言った。

「……どうしてもやらないとダメなのかな……?」

「アミ、志乃が困ってた。それだけで十分だと思うよ」

「だってさ!」

 台風に負けないくらいの大声で吠えたアミは、水溜まりを八つ当たりでもするように踏みつける。

「アミたちが戦って、勝てると思うの? 志乃のこと大好きだし、信用してるけど……怖いよ。アミたち、せっかく能力がなくなったのに、また元通りになっちゃったんだよ?」

 アミとエミも、かつて能力者だった。『吸血鬼』によってスキルドレインされた二人は能力を失い、憧れていた普通の生活を手に入れることができた。

 物心ついた頃から能力を使えていた二人にとって、それを失うというのはさぞかし恐ろしいことだっただろう。だから恐怖を感じる間もなく能力を失ったのは幸運だったといえる。

「最初に言い出したのはアミでしょ? 志乃は戦わなくていいって言ってくれたし、エミも反対だったのに」

「だ、だって志乃が困ってるっていうから……!」

「智香さんだって彩人あやとさんだっていたよ」

「ピエロの兄ちゃんは信用できないもん! なんか女の子みたいで頼りないんだもん」

「彩人さんが聞いたら落ち込んじゃうよ」

 エミは年上なのに、自分たちと同じくらい幼さを残すピエロの姿を思い出して、ちょっと吹きそうになりながらもそう囁く。

 でもエミも同意見だ。戦いとなると残虐さに背筋が凍えそうになるくらいだというのに、普段はアミに悪戯されて涙目になっているくらいだ。志乃に助けを求める情けない姿を何度も見ているが、実はあれは狙っているのではないかとエミは考えている。

 彩人は確実に年上好きだ。あれは志乃を狙っての行動だったに違いない。

 志乃もそれには気がついていただろう。彩人が志乃に寄せていた特別な気持ちに対しても。けれど、志乃は絶対に応えようとしない。

 だって、志乃がこの戦いを起こしたのは――

「やるしかないよ。アミが言い出したんだもん」

「……そうだね。これからも志乃と一緒にいたいもん」

「うん。だからエミたちは、能力者のみんなを倒さないといけないの」

 エミの瞳の奥に決意が灯る。

 志乃とこれからも一緒にいたい――戦う理由なんて、そのくらいで十分だ。

「よぉ~し、やってやるぞ~っ!」

 アミが高らかに宣言する。

 その様子を鏡のなかから観察する能力者の姿があった。


 場所はリビングからアウルの部屋に移る。

 あれだけつみれの前で超能力の話をしていたとはいえ、実際にそれを見せるわけにはいかない。幸いなことにつみれはアウルたちの話をほとんど理解していないらしく、しきりに唸っていた。

 小さな手鏡を触媒に能力を発動した紗良は、二人の少女の姿を捉えている。赤と青のレインコートを着ている、まだ中学生になったばかりくらいの双子の少女だ。

 こちらに気づいた様子もなく、無邪気に会話をしながら、二人は確実に冬道家に向けて歩みを進めている。

 警戒している様子もなく奇襲をかけるには最適な展開だが、それよりもアウルは二人の話す会話の内容に注目した。

 志乃と双子、あと智香と彩人なる人物の関係。話を聞く限りでは深い関係にあるようだが、それがどういったものかまではわからない。もう少し話を聞いて情報を集めたいが、これ以上、冬道家に近づけるわけにはいかない。

「こ、子供……だよね?」

 同じように鏡を見る秋蝉が、信じられないとばかりに目を見開いている。

「子供であろうとこいつらは能力者だ。しかもあの白髪の女の仲間のな。少なくとも、私たちでは時間稼ぎにもならないかもしれないぞ」

 秋蝉はもとより、『組織』とまだ関わりの薄い紗良や火鷹は、ほとんど『組織』の能力との面識がない。だから幼い能力者というのを見たことがないのだろう。

 アウルは長い間『組織』にいるため、幼い能力者というのは何度も見てきた。まさか『組織』や『九十九』の頂点が幼女と呼ぶに相応しい容姿だと知ったときには驚かされたが。

 双子の少女は台風のなかを、まるで意に介した素振りを見せずに歩いてくる。周りの風景や歩く速度から察するに、ここに到着するまであと二〇分とかからないだろう。アウルたちの役目は藍霧が帰ってくるまでの時間稼ぎだ。どれくらいかかるにしろ、下手をすれば死に繋がることは言うまでもない。

 戦いへの参加表明をした秋蝉もそのことはわかっているだろう。むしろアウルよりも死を間近に感じているはずだ。負けたら死という状況に陥ったことがないがため、戦いなれた人間よりも近くに死を実感してしまう。

 それは感覚が麻痺していないからだ。死神がうなじを撫でていく底冷えするような、あの感覚をいつかないものとしてしてしまう。それを忘れてしまった者は、早々に死んでいく。

 子供だからといって侮ることはできない。格闘スキルが低かろうとも、能力が絶大であればそれだけで勝敗が左右される。

 超能力というのはそういうものなのだ。持っているだけで人間として特別になり、上位の個体として確立される。さらにその超能力が強力であれば、能力者のなかでも優位な立場に立つことができる。

 超能力など持たない方がいいし、知らない方がいいのだ。そうすれば優しい世界のなかで生きていける。身近な幸せを堪能することができるのだ。

 特別に憧れを抱く人間がいる。だが、特別を得たとしてそれがいい方向に作用するとは限らない。中途半端な能力を発現したとしても、自分よりも強い能力者によって潰される。しかし、知って得てしまったからには、戦いに巻き込まれて死の淵へと追い込まれるのはもはや必然なのだ。

「大丈夫、いけるよ」

 アウルの最後の念押しにも秋蝉は寸分の間も置くことなく頷く。ならばもうアウルに言うことはない。

「なら行こうか。地獄の扉を拝みにな」

「縁起悪いこと言ってんじゃないわよ。あんたたちがへましたら、今度は私たちがやんないといけないんだから」

 紗良の冗談混じりの言葉にアウルは片手を挙げて答える。秋蝉といえば、いつの間にか手にしていた狐の面を被っている。

 アウルとしては勘弁してもらいたいところだ。こっちに来たのは狐の面――すなわち秋蝉を殺すためだったのだが、あっけなく返り討ちにあった。助けてもらわなければもしかしたら……と考えると、どうも隣にはいたくない。

 ほんの少しだけ離れると、狐の面の下で秋蝉が苦笑を漏らしていた。

 紗良が触れる鏡に歪みが生じる。場所は双子の背後、奇襲を仕掛けるにはちょうどいい位置だ。

 緊張で部屋が満たされる。実力が圧倒的に劣っているがゆえに、最初の一手が肝心になってくる。そこが上手くいけば、あとは勢いで押しきれる――などということはないだろうが、それでも戦いを優位に進めることができる。

 目を閉じて深呼吸をし、鼓動を落ち着かせる。あのとき敵だった秋蝉も、いまでは味方なのだ。能力的には上位に入る秋蝉の助力があれば、背後に気をとられる心配もない。

 そう、いままでと違って、ひとりではないのだ。

 アウルはすっと目を開くと、鏡のなかに飛び込んだ。


 背後をとった奇襲は双子の少女――アミとエミに絶命的な一撃を与えた。

 秋蝉の能力は鋼糸ワイヤーを自在に操るというもの。太さや強度に関係なく、能力を介して操っている鋼糸は切れることはない。それがたとえ針金であったとしても、刃物を切り裂くなど容易なことだ。であれば人の肉を切断するなどというのは息をすることに等しい作業であり、苦にもならない行為だ。

 性格を上書きトレースし、できうるだけの感情を殺した秋蝉ならば、子供だからといって手加減するということはない。

 その実、秋蝉は双子の少女を八つずつ合計十六の肉片に変えたはずだった。

 もしこのとき、アウルたちが『吸血鬼』の眷属についての知識があれば、動きを止めるようなことはしなかっただろう。

 だが、守りに徹しすぎたがゆえに、アウルたちにはそれを知るタイミングがなかった。

「敵だよ、アミ」

「敵だね、エミ」

 肉片は瞬く間に二つの塊となり、立ちふさがった。新しく取り出したレインコートを羽織り、四つの眼が突き刺さってくる。

 こうして対峙して回復力を目の当たりにしても、秋蝉にはまだ、彼女たちがただの子供にしか見えない。侮っているつもりはないが、この無邪気そうな姿が心の隙を生み出してしまう。

 どうして、あの女性はこんな子供を利用する真似をするのだろう。そもそも目的はいったいなんだ。こんな大掛かりな計画を実行して、なにをしたいというのだ。

「――秋蝉! ぼさっとするな!」

 アウルの叫びで思考が引き戻される。上書きトレースした思考と肉体は能力の補助効果もあり、切り離された別々の個体として作用している。人は目でものを見てから視神経を通じて脳に映像を送り、その映像に対して行動の指示を手足に伝え体を動かしているのだ。そのため、行動には若干のタイムラグが発生してしまう。反応が遅れてしまったのならば、それに即した行動をとるのは難しいだろう。

 しかし、思考と肉体が別々の個体として成り立っているとすれば、理性が間に合わずとも本能が対応を行う。

 『狐の面・・・』が鋼糸を何重何列にも繋ぎ合わせ、擬似的な壁を作り上げる。秋蝉・・は攻撃され、それを防いでもらったことを瞬時に悟り、アスファルトを蹴ってその場から飛び退いた。ワンテンポ遅れて、アウルが秋蝉の隣にやってくる。

 文句のひとつでも言われると思ったが、そんな余裕はどこにもない。

 とっさに鋼糸の壁を組み立て、やって来た衝撃に弦を震わせる。鋼糸自体は千切れないとはいえ、形を組んだのならその繋ぎ目が離れてしまうことはある。形を維持するためにはそれなりの腕力を必要とし、一介の高校生程度では能力による一撃をたかが腕力で受けきることは不可能だ。だから秋蝉は一旦、戦いを『狐の面』に委ねることとした。

 壁の割れた隙間から、死の旋風が舞い込んでくる。だが秋蝉は臆すことなく、自ら前に進んで飛び込んでいく。もちろん自滅するつもりではない。こうするのが効率的だと、狐の面が判断したのだ。

 体を捻ってギリギリのところで直撃を避けると、秋蝉は足元に鋼糸を張る。それを足場にし、弓から矢を放つ要領でスピードを加速させた。

 これまで秋蝉はいくつもの戦いを目にしてきた。冬道や藍霧や東雲といった化物じみた能力者の戦いをだ。

 秋蝉自身はそれらの動きを真似ることは不可能だし、できるとも思っていない。単に身体能力が劣っているということもあるが、根本的な性格が違うため、動きに差異が生じてしまうためだ。

 けれどそれらを記憶し、蓄積させることはできる。戦い方を記憶し、記憶したものを蓄積する。

 そして性格を上書きトレースすればどうだろう。これまでに蓄積してきたものを、『狐の面』が使うことができるようになるのだ。

 藍霧は吸収、司が模倣だとすれば秋蝉は完全なる再現。切り離された思考と肉体、そして上書きという特異な才能が合わさり、不可能を可能へと昇華した。

 ただ、あくまで再現できるのは動きだけだ。能力までは再現することはできない。

 突然の加速に驚愕の表情になる双子だが、さすがに対応は早い。秋蝉の射程距離に入る前に迎撃を行い、強制的に距離をとらせた。

「はぁぁぁ……」

 引き摺られるように靴底を濡れたアスファルトを摩擦させると、唸るように息を吐く。

 ――まずは、真宵ちゃんにしよう。

 秋蝉は誰にも聞こえないように呟き、性格の上書きトレースを開始――完了させる。

 荒削りだった刺々しさを潜めると、波ひとつ立っていない水面下のような静けさに包まれた。

 それに気づいてないわけではないだろう。しかしアミは警戒をするわけでもなかった。ジグザグに角度をつけ、緩急を変えて見切られないようにしながらアミは無防備に突っ込んでくる。その後ろを全く同じ軌道に沿って、エミがサポートする形でついてきている。

 おそらくアミへの攻撃を防ぐ役目なのだろう。見た目通り、攻守がはっきりしててわかりやすい。

 秋蝉は藍霧のような無表情で観察を終えると、ノーモーションで鋼糸による斬撃を放つ。狙いはアミ――ではなくエミだ。

 攻撃だけに集中するアミは後からだってどうとでもなる。この場合は防御に回っているエミを最初に行動不能にしてからの方がやりやすい。

 これが藍霧本人であったなら二人同時に、抵抗する気さえ起こさせずに蹂躙するのだろうが、秋蝉にはそこまでの力はない。だが藍霧が秋蝉ならば必ずこうするだろう。身の丈にあった力を、全力以上に発揮させるのは藍霧の得意としていることだ。

 全方向から放たれた鋼糸にエミの表情が強張る。普段から攻撃されることになれていない証拠だ。

 水飛沫を飛ばしながら体を急停止させると、足をたたみ、アスファルトに手を添える。するとエミの周りのアスファルトがぼこぼこと盛り上がり、鋼糸による斬撃を防いだ。

「ふむん……なるほど。ではアウルさんはそちらの赤い脳筋っぽい方をお願いします」

 エミの能力を見てなにかを理解した秋蝉はアミの攻撃をするりとかわし、後ろにいたアウルにそう言った。

 言葉を発する余裕もなければ、頷く暇さえなかったアウルは、アミを迎え撃つことで承諾の意を見せる。交錯するように互いに放たれた拳は、それこそ予測していたように回避され、回避する。

 秋蝉はそんな肉弾戦から目を背けると、立ち上がるエミへと意識をやった。

 二人ににん一体いったい型の能力者――少なくとも、秋蝉にはそのように見えた。目を合わせただけで噛み殺されてしまいそうなほどの圧力は、彼女ひとりからは感じられない。これなら未知の力に立ち向かってきたときの白鳥瑞穂の方が、よほど恐ろしかった。

 指は動かさず、筋肉のわずかな痙攣だけで、鋼糸を辺りに張り巡らせていく。蜘蛛が糸を吐き出すように袖口から鋼糸を伸ばしていき、エミを包囲する。そのうちの一本を、バレないように首筋に這わせておく。

「ひとつだけ、訊いてもいいかな」

 主導権が『狐の面』から秋蝉に戻る。

「あなたたちはどうして、こんなことをするの?」

『九十九』が敵だったときは、攻めに転じている冬道たちの動きを抑制するために、人質として襲ってくるという理由で納得することができた。けれど彼女たちは『九十九志乃』という勢力として、能力者を襲っている。

 秋蝉が疑問を持ったのは、どうして・・・・能力者を襲っている・・・・・・・・・のかというところだ。

 もし志乃が六年前の再現を――全ての能力者を抹殺しようとしているのであれば、同じように『九十九』を使役すればそれだけでいいはずだ。以前に失敗しているとはいえ、『九十九』の能力者は当主である一葉を人質にされている。逆らう人間など、東雲や九重といった力のある一部しかいない。

 だが、それさえも力で蹂躙すればいいだけのことではないのだろうか。

 冬道かしぎというイレギュラーが現れるというは、六年前の教訓から学んでいるはずだ。そもそも東雲の目を通して世界を見てきたのなら、なにもいま行動を起こす必要はなかったのだ。

 そして緻密な計算で事を起こしていた志乃であれば、『九十九』が駒として機能しなくなり、こうして真っ向からぶつかるであろうことは予想できていたはずなのだ。

 それなのにに、志乃は再び姿を現した。

 能力者を襲う明確な・・・・・・・・理由を述べないままに・・・・・・・・・・――。

 しかもこのように『吸血鬼』の眷属を召喚するという面倒な手順を踏み、わざわざ時間をかけてまでやったにしては、どこか拍子抜けさえしてしまう。

 なぜ眷属とする能力者に意思を持たせた。そんなことをすれば、もしかしたら敵に願える可能性だってあり得たのに。

 襲ってくるから迎え撃つ。そのことばかりに気をとられていたがゆえ、理由を追求することを忘れていた。

 争い事には必ずなにかしらの理由がある。

 だが秋蝉は、その理由が明確にされていないと、少女を前にして思ってしまったのだ。

 この子たちには意思がある。そして鏡越しに聞いた話では、志乃が困っている・・・・・・・・と言っていた。

 その困っていることこそが、志乃が戦いを起こした理由ではないのか――。

「志乃を助けるため。それだけだよ」

「その志乃って人を助けるためには、どうしても……能力者を殺さないといけないの?」

 こんなこと中学生にになったばかりの女の子に訊くことではないだろう。それは秋蝉だって承知している。

 だが、こればかりは彼女たちに訊くしかない。

「それは……あなたには、関係ない……よ」

 地面からいくつもの鉄柱が連続して飛び出してくる。バックステップで避けると、そのタイミングを見計らったように着地点に鉄柱が飛び出してきた。

 人差し指を引き、上に手を伸ばす。張り巡らせていた鋼糸の一本を手首に絡め、体を鉄柱の軌道から外す。さらに鋼糸を伸ばしてエミの後ろに移動すると、先ほど絡めていた鋼糸を思いきり引いた。

「え……? うわっ」

 これは『狐の面』ではなく秋蝉の甘さから出たものだろう。首に絡めておけばいまので切断できていただろうに、秋蝉は直前に体に場所を変えていた。

 足が地面から離れ、宙吊りになる。ジタバタと暴れて脱出しようとするのだが、全体重が鋼糸一本によって支えられているのだ。当然、肉に食い込んでいく。

 痛覚が伝わる前に絶命させてしまえば『吸血鬼』の回復力で再生するだけだが、じわじわとくる激痛は中学生では耐えられるものではない。苦悶に顔を歪め、手探りで見つけた鋼糸に体重がかからないようにしている。

 いくら秋蝉でもそこまで工面してやるつもりはない。ちくりと胸が痛んだが、安全圏ギリギリまで近づくと、狐の面をずらして顔を見せる。

「綺麗な顔してるんだね。こんな危ない能力者だから、もっと怖い人なのかと思ってた」

「ありがと。あなたも素敵だと思うよ」

「……照れちゃうな」

 表情が緩んでいるのは言葉通りの反応だからだろう。

 こんな中学生相応の少女だというのに殺し殺される世界に身を投じているのかと考えると、秋蝉はなんとも言えない気持ちになった。

 能力者に年齢は関係ないといえ、どうして異常な力はこうも無関係に人を巻き込んでいくのだ。超能力なんてものがなければ、世界はもっと平和だったはず――。

 秋蝉は拳を強く握りしめると、エミへと視線を注いだ。

「答えて。志乃さんを助けるには、能力者を殺さないといけないの?」

「そうだよ」

 逃げられないと見るや、エミはあっさりと白状する。あまりの潔さに面食らってしまうが、戦いの雰囲気がそれをすぐに忘れさせてくれた。

「でも、それはあくまでもエミたちの願い。志乃は、本当は……」

 最後までそれを聞き取ることはできなかった。

 不意に背後で起こった爆発に巻き込まれ、地面を何度も跳ねながら転がる。切り離されていた思考と肉体は、時間差で痛みを訴えてきた。背中を体験したことのない激痛が駆け抜け、吐き気さえ沸き上がってくる。

 これに対する上書きは……できない。記憶され蓄積された情報のなかには痛みへの耐性ファイルは存在していないのだ。誰も彼もが受けた痛みを無視した動きを行う。そのため、秋蝉にはどうすることもできなかったのだ。

「余計なこと言っちゃダメだよエミ! アミたちは、志乃のために頑張らないといけないんだから!」

「……うん、そうだね」

 アウルと戦っていたはずのアミが、エミの元に駆け寄っていた。鈍った思考のなかで、アウルがどうなったのかと心配し、周囲を見渡す――すぐに見つかった。

 わずか十メートルばかり離れたところで、両手両足からただならぬ出血をするアウルが横たわっていた。おそらく秋蝉と同じように爆発に巻き込まれたのだろう。呼吸はあるようだが、あれではもう動けまい。

 唇を噛む。やはり『九十九』と同等かそれ以上の力を持つ志乃勢力に勝とうとしたこと自体が間違いだったのだろうか。逃げ回るという選択肢だけしか、自分たちにはなかったのだろうか。

 自問自答を繰り返し、答えは『否』とわかっていても、それが間違いなのではないかと思えてくる。

 だが秋蝉は、そんなこと・・・・・は、戦う人間が思考することだと切り捨て、かすれる声で囁いた。

「泣かなくて……いいんだよ……」

 アミとエミは最初、秋蝉がなにを言っているのかわからなかった。こんな豪雨が吹き荒れる台風のなかで、たとえ泣いているのだとしても、それが涙か雨粒なのか判別できるわけがない。そもそも彼女たちには泣いているという実感がないのだ。

 けれど、秋蝉にはそれがわかる。演劇部のホープである秋蝉には、表情の内に隠れる嘘や偽りのない、感情を読み取れた。

 ――こんなことはしたくない。でも、やらなければ大切なものを失ってしまう。そんなのは、嫌だ。だったら壊しちゃえばいいんだ。

「困ってるなら、力になるから……」

 火傷によって爛れた皮膚は、秋蝉に凶暴なまでの苦痛を与えてくる。脳髄の奥からやってくる闇にほんのわずかでも隙を見せてしまえば、即座に意識を刈り取られてしまうだろう。

 秋蝉は震える足に激を飛ばし、もう尽きている体力を振り絞って立ち上がる。

 まだ戦うつもりなのかとアミは構えるが、エミがそれを制した。秋蝉からは殺意や敵意、闘志といったものをまるで感じない。目は虚ろで意識さえはっきりしていないながらも、足取りははっきりとしている。

 二人の前まで来ると、崩れるように倒れ込んだ。

 慌てて支えてくれたアミとエミにありがとう、とひきつった笑みを見せながら、その場に座り込んでしまった。本当なら寄りかかりたいところだが、背中がこんな有り様ではまともに休むこともできない。せめて雨だけは遮ろうと、鋼糸の傘を編んだ。

「あなたたちの大切な志乃さんのこと、聞かせてくれないかな……?」

 二人は悩むように顔を見合わせた。

 秋蝉は殺すべき対象だ。こんな風に会話をすることだってあり得てはいけないのに、こちらの事情まで話しては、後戻りできなくなってしまうかもしれない。良くも悪くも二人は中学生になったばかりだ。殺すことに覚悟があるわけでもなければ、躊躇いを感じない歳でもない。

 もしも話してしまえば、秋蝉を手にかけることなど、できないだろう。

「……エミたちは……」

「アミ!? 話しちゃダメだよ!」

 アミはエミの肩を掴み、正面から捉えた。

「この人を殺さないと、志乃がいなくなっちゃうんだよ!? 力になってくれるっていうけど、アミたちに手も足もでない人たちが、なんの役に立つっていうのさ!」

「それは、そうかもしれないけど……」

 いつもと立場が逆転していると思いながらも、エミはこの直感を口にせずにはいられなかった。

 直感で動くのはアミの役目で、それを抑えるのがエミというのがお決まりのパターンだ。後のことを考えない無鉄砲さに振り回されたくないからそうしているだけで、本質的にはエミも変わらない。直情的で後ろを振り向かない、ただ前だけを目指す猪のようなスタイルこそが二人なのだ。

 だからエミがこれを直感しているなら、アミだって直感しているはずだ。

「たぶん、この人たちは『名付き』だと思う。アミもわかってたでしょ?」

「……うん、なんとなく、だけど」

 聞きなれない単語に秋蝉は内心で疑問符を浮かべた。

「『名付き』は対象に入らないし、協力してくれるならそっちの方がいいよ」

『名付き』という単語の詳細までは話してくれるわけではないようだが、それが超能力に準じたものであることだけはたしかだ。

 秋蝉は『名付き』であるというのにその意味が不明で不安になるが、いますぐに害があるわけではないだろう。むしろ、目の前にある脅威が去ったといえる。

「で、でもやっぱり志乃に無断で協力してもらうなんてやめた方が……」

「いまも無断みたいなものでしょ」

 容赦ない指摘にアミは胸を押さえて呻いた。

 そんな間抜けな会話をしているを目尻に、秋蝉はアウルに鋼糸を伸ばした。切断しないように力の加減をしながら胴体に巻きつけ、地面すれすれに浮かせ、傘のなかに入れた。

 怪我は思ったよりも酷くはなかった。重傷であることは変わらないが、生死に関わるほどではない。とはいえ、少なくとも二、三日の絶対安静を義務付けられるのは逃れられないだろう。

 そんな彼女も『名付き』らしい。

 そういえば、と秋蝉は思う。

 一度たりとも、アウルが能力を使ったところを見たことがないな。

 初めてアウルと出会ったとき――まだ顔も知らない、『狐の面』としての秋蝉と『組織』からの派遣者としてのアウルだったときも、能力を使っていなかった。いや、使っていないわけではなかったのかもしれない。

 波紋の走る、碧の瞳。暗闇のなかで輝く二点の星が、あのときは異様に恐ろしかった。

 戦いとは得てして秋蝉に恐怖を与えてくる。だが、それは生物としての本能に対してだ。

 あのときのアウルはそれの比ではない。まるで決められていたことをこなすだけの機械のようだった。また同じことの繰り返しが始まるのかという観測者の立ち位置から見た落胆と、絶望が入り交じった目をしていた。

 それに変化があったのは、冬道と出会ってからだ。あれ以降、その表情を見ていない。

「ほんとに、協力してくれるの?」

 エミが秋蝉の目の奥――心でも覗くかのように、じっと見つめてくる。

「うん。なにができるかわからないけど、私にできることなら協力するよ」

「なら……」

 そこで言葉を切って、アミとエミは声を合わせ、

『――志乃を助ける方法を、一緒に考えてください』

 今度こそ、涙を流しながらそう言った。



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