5―(16)「繋がり①」
藍霧は顔の熱が急激に上昇していくことにさえ気がついていなかった。
逃げるようにして通話を終えた冬道の最後の言葉。あれはなんと言ったものだったか。あまりにも突然だったため、それが夢なのではないかと思った。
頬をつねってこれが現実であることは確認済みだ。赤く腫れ上がった頬は、じんじんと痛みを与え続けている。
ならば冬道が告げたあの言葉は、本物なのだ。
――ありがとよ。大好きだ。
「はぅ……」
藍霧の表情が揺らぐ。それは恋する乙女のそのものだった。上がってきた熱を冷まそうと氷系統の波導を唱えるも、一向に熱が取れない。頭のなかで無限に再生される冬道の言葉が鼓動を高まらせ、心臓が爆発してしまいそうだった。
どんな事態にも臨機応変に対応して見せる藍霧でも、恋い焦がれる相手に告白されてしまえば混乱してしまうのも仕方がないだろう。むしろ冬道に依存しすぎている藍霧だからこそ、その反動は大きい。
うっとりした表情を浮かべる藍霧は、とてもではないが異性には見せられないものとなっていた。それは決して悪い意味でではない。
無表情でも人気のある藍霧がここまで女の子らしい表情をしているのだ。もし異性が見たとしたらたちまち魅せられてしまうだろう。
それほどまでにいまの藍霧は破壊力を醸し出していた。
しかもその破壊力は異性だけでなく、同姓にまで影響を与えていた。
「か、可愛い……!」
同じ部屋にいた秋蝉がじゅるりと涎を袖で拭き取りながら、息を荒くして藍霧を見つめている。目を離せば襲いかかってしまいそうな秋蝉に、アウルたちは顔をひきつらせた。
「そう言えば秋蝉はお花を摘むのが大好きだったな……」
「それって完全に百合じゃないの……」
アウルは屋上においての秋蝉と白鳥のスキンシップを知っていたが、紗良は彼女がこんな趣味を持っているとは知らず、少なからずショックを受けているらしい。
成績優秀だがどこか引っ込み思案なところがあって、それでも友達思いのいい子というイメージが、紗良のなかで崩れ落ちた瞬間だった。
「……ちなみに秋蝉さんは百合だけでなく、ロリ好きでもあります」
火鷹の追い討ちとも言える言葉に、紗良はうなだれるしかなかった。
そんな混沌とした空気のなか、つみれだけが状況を呑み込めずにいた。アウルにどうしたのかと訊いてくるが、知らぬが仏だろう。首を横に振ってなにも聞くなと伝える。
やはりよくわかっていなかったようだが、頷くつみれを見てアウルはため息をついた。
まさか電話一本でここまで空気をぶち壊されるとは思いもしなかった。本人がいなくとも影響を及ぼすとは、よほど信頼されているようだ。
しかし、そのようなことをしている場合ではない。
「あれはどういうことなんだ……」
ふと台風が上陸しているというニュースを目にし、そこに映っていた光景に釘付けになった。突如として出現した塔。そこに白髪の女が柊と小さな少女を連れて入っていくのを偶然にも見たのだ。
最初はなにかの見間違いかと思ったが、それを見たのはアウルだけではなかった。紗良も秋蝉も火鷹も、もちろん藍霧も確認している。あれは間違いなく柊だった。
事前に得ていた情報と白髪の女を照らし合わせ、そいつが『あれ』と呼ばれる存在だということはすでに把握している。問題なのは、どうしてそいつが柊を連れているかということになる。
だが、あの場に居合わせていない居残りメンバーが考えたところでどうしようもない。
そもそもアウルたちが駆けつけたところで、足手まといにしかならないのは目に見えている。テレビ越しにでさえ、その強さが伝わってくるのだ。実物を目の当たりにすれば、ものの数秒で動かぬ屍に変えられてしまう。
ならばここに残ったまま、やるべきことをやるのが賢明といえた。
「それにしてもすごい雨だね。まだ台風が直撃したわけでもないのに、こんなに天気悪くなるもんなのかな?」
「さあね。それに雨だけじゃなくて風も強いし。こんなんじゃ外に出たくても出られないわよ」
アウルの肩に寄りかかるつみれの言葉に、紗良がショックから立ち直れないまま答える。
だがたしかに、つみれの言うように普通の台風とは若干違うような気がした。いまのところ、台風は京都を通過して北東に向かっていっている。ギリギリここを通るか通らないかくらいだというのに、この豪雨はおかしい。
敵の能力者の可能性も考えたが、現時点で『九十九』と協力関係にあることは藍霧の電話を通して知っている。
藍霧も敵が近づいていることに気づいた様子もない。そうなるとこの豪雨は自然現象だということになる。気を抜くつもりはないが、そこまで警戒することもないはずだ。
でもなんだろう、この妙な胸騒ぎは。
アウルはあるひとつの仮説を立てた。
もしも、藍霧が張っている警戒網を潜り抜けるのではなく、最初からここに潜伏している敵がいたとしたら、藍霧に気づかれずに動くことができるのではないだろうか?
藍霧の波導は超能力と同等かそれ以上の力を秘めている。それはかつての黒兎の戦いで証明されたことだ。
しかし、はたして波導で超能力の動きを察知することができるのか。藍霧が張った警戒網は、ある一定の範囲から侵入してくるであろう敵に対してだ。もし異能を持つ人間がその境界を越えれば、即座に気づくはず。
けれど内側はどうだろう。藍霧は超能力というものを知ってはいるが、冬道ほど戦った経験があるわけではない。ほとんど超能力についてなにも知らないのだ。
だからもし圏内で超能力を使う敵がいれば、それに気づくのが遅れてしまうのではないのか。経験と知識がないのだ。超能力の感覚がわかるわけがない。
そこまで考えたアウルは、血相を変えてうっとり顔の藍霧の名前を叫んだ。
「……なんですかいきなり。うるさいので黙っててください。殺しますよ」
「いまはそんなことを言ってる場合ではない! 藍霧、いますぐ辺りの気配を探ってみてくれ」
「大丈夫ですよ。いまのところは侵入者もいませんし、誰かが力を使った形跡もありませんから」
「ならば藍霧、お前は圏内で使用された超能力を察知することができるのか?」
藍霧はしばらく怪訝そうにしていたが、すぐにアウルと同じ考えに辿り着いた。首から下がる地杖の首飾りに触れ、索敵を開始する。
――……見つけた。
「学校の方に一つ、あとはここから近いところに二つほど反応があります」
苦々しげに呟いた藍霧は、表情を無にして立ち上がる。
侵入を許してしまったのはたかが超能力と侮っていた自分のせいだ。己の失態の汚名は己の手で返上する。
踵を返して部屋を飛び出そうとする藍霧を、
「ちょっと待て」
顎に手を添えたアウルが引き止めた。
藍霧は煩わしそうに振り返り、アウルに視線を向ける。
「おかしくはないか? 近い方ならまだしも、戦っているのならば必ず二人以上にならなければならないんだぞ?」
「わかっています。近い方は黒兎大河と不知火みなと、学校の方は司先生が戦っているのでしょう。私が気がつけなかったのも、敵が超能力を使っていなかったのが一因でしょうね」
藍霧自身、超能力についてほとんどなにも知らないことを認めている。それでも能力が発動したかどうかくらいの判断はつく。一応、司たちの能力の反応は感じ取っていた。
だが敵の反応はない。『九十九』が敵だったときは外部からの侵入でしか敵は現れないと割りきりすぎていたのだ。それが敵は別になったのなら、切り替えを素早く行うべきだった。
内部にすでに敵が忍び込み、そして能力を使わずに戦っていたのであれば気がつくのが遅れてしまうのも仕方のないことだ。
しかし藍霧には、その『仕方ない』が許せない。
異世界にいたときならこんな失態などしなかった。戦うための肉体が劣化していた冬道と同じように、戦うための感覚が劣化してしまっていたのだ。
「能力を使っていない? ならばどうやって司先生たちと戦っている」
「肉弾戦をしているのが妥当ではないですか? 私はまず司先生の方に向かいます。アウルさんたちはここに待機、敵が来たら迎え撃ってください」
それだけを言うとアウルの返事を待つことなく、藍霧は家を飛び出した。
◇◆◇
「おい東雲、あれはどういうことだ」
生徒会室で紫煙を揺らす司は、テレビに映った映像を見た直後に東雲に連絡を入れていた。
『っぁ……さすが司やなぁ。情報の伝達が早いわ』
東雲の声に苦しげな色があったのを、司は見逃さなかった。煙草のフィルターを強く噛む。
「大丈夫なのか? お前はいまなにをしている」
『なんもしてへんわ。無様に負けただけやからな。そないなことより、あんたの最初の問いに答えるで。詩織ちゃんが連れてかれた。あの女――九十九志乃にな』
司は我が耳を疑うしかなかった。告げられた真実を受け入れられなかったのではなく、信じることができなかったのだ。
なにかの冗談か。いや、東雲が下らないこんな冗談を言うとは思えない。
ともすれば事実を言っているのか――。
「どうなっている。九十九志乃は『九十九』の創設者だ。『九十九』の創設がされたのは三百年以上も前の話だぞ」
六年前に司が独自に手に入れた情報によれば、『九十九』が創設されたのは約三百年以上も前だという。そしてその当時の『九十九』の当主が九十九志乃だった。古い書物の小さなところ、しかも意図的に消されていたため、見つけることができたのは単なる偶然だった。
決して表舞台に立つことはなく、常に裏方として回ってきた『九十九』は、一般に知られる歴史には登場しない。
ちょうどそのころと記録されていたはずだ。超能力が出現したのは。
『……九十九志乃は「吸血鬼」の能力を持ってる。あいつは不老不死や』
「そんな馬鹿なことが……」
いかに『九十九』を創設した能力者とはいえ、不老不死でここまで生き長らえることができるものなのだろうか。
どうも納得できないがその事実、九十九志乃は現在まで生き残っている。
六年が経ち、司たちは容姿が変わったが、映像を見た限りではやつには変化が見られなかった。不老があるからこその肉体保持。こんな証拠を開示されれば、認めざるを得ない。
「で、なぜ九十九志乃が柊を連れていっている。なにが目的なんだ?」
『ようわからんけど……あ! そういや妾の「吸血鬼」とはどうのこうの言ってたわ!』
「あん? 『吸血鬼』だと?」
司は反射的に顔をしかめると、パソコンを起動し、整理された資料のなかから『吸血鬼』に関連するものを表示した。『組織』が関与した問題は例外なくデータをまとめ、保管することになっている。そのなかでも『吸血鬼』は最新のため、データを起こすのにも時間はかからなかった。
矢印キーを動かし、『吸血鬼』の能力についてまとめたページを開く。画面いっぱいに文字の羅列が流れている。
司はそれを目だけで追い、ある一節に目を奪われた。
「そういう、ことか」
『なにかわかったん……おわっ!?』
「どうした東雲!」
東雲の驚いた声を聞いた司は思わず立ち上がる。
まさか敵が来たのか――、司のなかで最悪な想像が膨らんでいく。
『あー……いや、揺火たちがいきなり現れてびっくりしただけや。スマンな、驚かせて』
「……まったく」
安堵の息をつきながら、司は椅子に座り直す。
揺火たちがいきなり現れたということは、おそらく安全な場所にいるのだろう。その安全な場所というのは司の知る限り、『九十九』の屋敷くらいしか思い当たらない。
そもそも『九十九』が協力しているのだから敵などいない――と思いたかったが、この一節を見てしまえばそうもいかなくなってしまった。
「お前、いまどこにいるんだ?」
『「九十九」の屋敷や。それがどうかしたんか?』
それを聞き、全身の血が引いていくような気がした。
「東雲、失落牢に急げ! やつらの狙いは『吸血鬼』の成り損ない共だ!」
『はぁ!? ちょい待ちぃ、やつらって誰や! 敵は九十九志乃ひとりやろ!?』
「説明している時間はない! とっとと行け!」
司がそう叫んだ刹那――窓ガラスを割って誰かが飛びかかってきた。
とっさに身を捻るもかわしきることができず、脇腹を浅く抉っていく。うめき声を堪えつつ司は右足を振りあげた。でたらめに放った蹴りの爪先に、柔らかい感触がある。力任せに振り抜き、そいつを窓の外に放り出した。
落とした携帯電話を拾い、煙草を足の裏で潰す。ここが校内であったことを思い出して舌を打つが、すぐに思考を切り替える。
『どないしたんや司! なにかあったんか!?』
「うるさい叫ぶな。大したことはない、敵が来ただけだ。いいか東雲、敵は九十九志乃だけじゃない。それはおそらくそっちでもわかっているはずだ。状況の説明はそっちにいるやつらに聞け」
矢継ぎ早に言い、司は痛みにうめく。脇腹の傷は思いのほか深かったらしく、スーツに浸透し、赤色に染め上げていた。
「それと冬道に伝言だ。夏休みの宿題を忘れないように言っておいてくれ」
返事は聞かない。携帯電話を放り捨てて新しい煙草をくわえると、火を灯らせる。スーツの上着を脱いで机に置くと、壊れた窓の骨子に足をかけた。
校庭には先ほど司が蹴り飛ばしたらしい男が――『吸血鬼』の眷属が起き上がろうとしている。緩く結んでいた髪を結び直すと、ジェット機のごとき爆発的な加速力で眷属の腹部を踏み抜いた。
いかに眷属といえど痛みはある。喉の奥から血の塊を吐き出しながら、わけがわからないとでも言いたげな目で司を見た。
「貴様、壊れた学校を直すのは誰の仕事だと思っている。私を襲撃するのは大いに構わないが、学校を破壊するのは見過ごせないな」
痛みを感じさせない凛とした口調で言う司。
さすが『吸血鬼』の眷属と言うべきだろう。あれほどの速度と勢いを上乗せした一撃を受けてなお、原形をとどめている。骨が粉砕しているようだが、それさえすでに再生が終わろうとしていた。
司は右手を振る。すると半透明の情報端末のようなものが現れた。そこにはずらりと名前が並び、その脇には能力名が記されている。迷いのない動きでそのうちのひとつを指先で叩く。情報端末が消え、代わりに司の背後に誰かが現れた。
東雲だ。しかしその東雲というのは情報端末と同じように半透明で、また生気が感じられなかった。
その東雲が司を覆うように被さっていく。完全に東雲と一体になった司の右手に、ガントレットが装着された。
「貴様はここがなにをする場所か知っているか。超能力者同士の戦いをする場所か? それともアニメや漫画、ドラマのように異能バトルの舞台とでも思っているのか? ――違うやろ」
ガントレットを嵌めた腕に炎が灯った。その炎は瞬く間に勢いを増していき、濡れた司の衣服から水分を蒸発させていく。
「ここは生徒が社会に出るための学舎や! あんたらみたいなやつらか来るところやないわボケがァ!」
叫びと共に振り下ろされた拳は眷属の頭蓋ごと、アスファルトを粉砕した。
拳から誘導された炎が眷属の体に乗り移り、堰を切ったように燃え盛る。『吸血鬼』の回復力を持ってしても再生は間に合わず、灰となって消えていった。
「……ちっ」
司は舌打ちをすると、右手のガントレットを外す。憑依していた東雲と一緒に、ガントレットも空気に溶けるように消えていった。
「だから私はこの能力が嫌いなんだ……」
八つ当たりのように虚空に向かって話しかけ、辺りの気配を探る。短い時間だったとはいえ派手にやり過ぎたせいか、複数の方向から敵が接近してきていた。あと数秒とすればここに降り立ってくるだろう。そうなれば戦闘は避けられない。
『九十九』と戦うことがなくなったときは、自分の出る幕などもうないだろうと嬉々としていたのだが、まさかそれよりも動かなくなるとは思いもしなかった。
これも藍霧にすべて押しつけた罰なのか、と自嘲じみた笑みを浮かべる。
「……くそ、面倒だ」
複数の足音が重なって聞こえてくる。この街で柊が吸血を行った能力者の数がどれほどのものか、正確に記録しているわけではない。
しかしこの数はあまりにも多すぎだ。ざっと数えてみたが、十人を越えたところで数えるのをやめた。もはや何人だろうと同じことだ。
司は煙草を吐き捨てると、もう一度情報端末を開く。
「……能力者ではないからできるかはわからんが、これだけの数を相手にするにはあいつの力を使ってみるしかないか……」
情報はいくらでも収集することができた。この人数を相手に戦うとしたら、あの男の力を使うのがもっとも効果的だろう。
こうやって戸惑っている間にも、眷属は集まってくる。
司は意を決して彼の名前に触れた――次の瞬間、夜のように暗い闇を黄金の光が切り裂いた。
その黄金の光を、藍霧も見た。
『雷鎧』
全身を雷の鎧に包む藍霧は、青白い線を残しながら学校に向かっていく。その間にも黄金の光は空を切り裂き、大気を震わせていた。
この感覚――藍霧の感覚が狂ったのでなければ、この黄金の光は冬道の持つ天剣から放たれているものだ。光系統の波動を体現したような剣。それは唯一無二の存在だ。
けれど、藍霧はこれが冬道のものではないと確信をもって言うことができた。この天剣には、藍霧にしかわからないだろうわずかな差異がある。たとえそれがわからなかったとしても、この天剣からは波動を感じない。
偽物というには完成度が高すぎるが、所詮はその程度のもの。いったい誰が偽天剣を使っているのか――考えずとも、おのずと答えはでた。
「やはりあなたでしたか。……気に入りませんね」
校門に降りた藍霧は、剣を片手に戦う司の姿を見つけた。たびたび垣間見る冬道のような動きに藍霧は反応するも、あれは冬道ではないと言い聞かせる。
あの動きは模倣、というよりはそのものだった。以前に冬道が見せた動きをそのまま勢いもキレも、何もかもを再生している。でなければあのような戦い方にはならないだろう。
地杖を復元、その先端を司に群がる眷属に向ける。
「――――Ⅰ(アインス)」
放たれた白銀の炎が辺りを焼き払う。直感的に反応した眷属が司から離れると、拳を固めた。
雷をまとう藍霧は一歩目こそ力を込めて踏み出したが、それ以降は流れるように一打ずつ的確に眷属に打ち込んでいく。その際に体内に雷を流すのも忘れない。
機械的に一連の動作を行った藍霧は司の脇に移動した。
声を出そうとして一瞬だけ言い淀んだ司は咳払いをすると、改めて言葉を口にした。
「まさか藍霧に助けられるとは思ってなかったな。ありがとう、助かったよ」
「そんなことはどうでもいいんです。何ですか、あなたのその能力は」
苛立たしそうに地杖を剣に叩きつけると、刀身に皹が入り、粉々に砕け散った。
やれやれと呟きながら、武器として使い物にならなくなったそれを捨てる。
「冬道の力を使っていたのがそこまで気に入らなかったか? 安心しろ。私の能力では超能力以外のものまでは再現できん」
「そのようですね。天剣もただの鉄の塊みたいでしたし」
あの天剣が本物であるなら、地杖で叩いたくらいで壊れたりしない。
どういった能力なのか説明する気のない司を睨み、藍霧はさっさと説明するように催促する。
藍霧の視線に耐えきれなくなったわけではないだろうが、司は何度目になるかわからないため息をこぼし、しぶしぶといった感じに言う。
「私の能力はいわゆる名付きというやつでな。東雲の『陰陽師』や柊の『吸血鬼』と同列の超能力だ。まぁ、私のは『ゲームメイカー』という横文字のものだがな」
名付きというのがどういうものかわからなかったが、超能力においても上位のものだろうと勝手に解釈した。
司に頼めば嬉々として話してくれるだろうが、この雨のなかでわざわざ講義を受けたくはない。
「能力の内容は大したものではない。収集し、記録したデータを自分用にプログラムし、必要なときに使うというだけだ。その能力を使っている間は『夜筱司』というデータを他のデータに書き換えてしまうから、人格がそれに変わってしまうのが欠点だ。さっきもお前のことを真宵後輩と呼んでしまいそうだったしな」
「やめてください。不快です。殺しますよ」
地杖を突きつけられて言われれば、それが冗談の類いではないことを嫌でも思い知らされる。碧に輝く瞳からは殺気がほとばしり、司の心臓を貫かんとする凶悪さがあった。
藍霧にとってこの呼び方は特別なものだ。異世界で冬道と繋がりを得て、いまの自分としてあり続けることができるようになった、大切なものなのだ。
思い出に浸るつもりはない。しかし、これだけは譲れない想いがある。
「それでこれはなんなのですか。見たところ、能力者というわけではないようですが」
「いいや、紛れもなくこいつらは能力者だよ」
「能力を使っていないようですけれど」
「使うための思考をどこかに置いてきたのではないか?」
「…………」
無言で地杖を司の胸に押しつける藍霧。そこにわずかな願望の眼差しがあったのを、司はあえて見なかったことにした。
「使わないのではなくて、使わせられるほどなれていないだけだろう。こいつらは『吸血鬼』の眷属として操られているだけで、しかも操られ方がかなり特殊だ。時間が経てば、さらに面倒なことになる」
「そういうことでしたか。柊さんを連れていたのは、眷属を操るためだと」
その通りだ、と頷いた司は、眷属が動き出さないことに気がついた。
どれだけのダメージを負おうと関係ないはずの眷属が、大人しく地面にひれ伏している。
「ですが、動けなくしてしまえばどんな回復力を持っていても意味はありません。ただの宝の持ち腐れというものです」
「お前の仕業か……」
「以前に黒兎大河のやっていたことを応用してみました。案外簡単にできるものですね」
藍霧がやったのは、体に雷を流し込んだだけだ。
人間を動かしているのは脳から送り出される電気信号だ。そこに体外から信号を乱す雷を流し込み、動きを停止させる。一時的に停止させるのではなく、完全に信号を送る手段を破壊したため、次に動くにはかなりの時間が必要となるだろう。
黒兎が数手をかけてやったことをただの一打で、しかもあの速さでやるのは至難を極める。それを苦もなくやる辺り、やはり藍霧の底が知れない。
「というより、なぜ敵が『吸血鬼』の眷属になっているのですか? 状況の変化についていけないのですが」
「冬道からなにも聞いていないのか?」
「……あなたには関係ないでしょう」
あからさまに不機嫌な態度をとる藍霧に司は肩をすくめると、とりあえずこれまでのことを順を追って言葉を繋いでいく。状況が複雑すぎるため、まとめている司も何故そうなったのかわからない箇所がある。それは現地にいるメンバーに訊くしかない。
説明を聞いている間、眷属が目障りだったのか藍霧は一ヶ所にまとめ、氷系統の波導で冷凍していた。
氷と雷の波導のコラボレーションによって動きを封じられた眷属には、さすがの司でも同情するしかない。内心で密かに合掌しておく。
「だいたいは把握しましたが、一つだけ疑問があります」
藍霧はそう前置きする。
「眷属はなぜ執拗に噛みつこうとしてきたのでしょうか。九十九志乃が超能力者を襲わせるは殺すことが目的なのでしょう?」
『雷鎧』をまとう藍霧の速さは雷速の域には達しないものの、緩急をつけることでそう錯覚させるまでに至っている。眷属を倒したときもその方法を使い、捉えられないようにしていた。
眷属は藍霧の目論見通りに触れることさえできなかったが、それは動きに単調さがあったのもその一因でもある。それが噛みつこうとする、というものだった。
嫌悪感すら覚えた藍霧は瞬間的に全力を出していたが、いまにして思えば不自然な動きだ。
「それについてはすでにわかっている。お前も『吸血鬼』対策のときに生徒会室にいたから聞いているだろうが、本来の吸血鬼には吸血行為を行うことで、仲間を増やす習性がある。まぁ、確証のない架空の話なのかもしれないが、『吸血鬼』を生み出すときにその吸血鬼をモデルにしていることが重要になってくるんだ」
「つまり能力者に対して吸血を行うことで、眷属を増やしているということですか?」
「あぁ、柊が吸血した数とお前が倒した数が合わないのはそのためだろう。しかも理性がないだけにさらに厄介だ。無差別に襲うだけだからな」
そういうことを言うのなら、藍霧が眷属を動けないようにしたのは最良の判断だった。倒しても倒しきれないなら動けなくしてしまえばいい、という考えが効を成した。
「だからまずは司令塔を潰す」
「そうですね。さすがに他者の能力を使って操っているのですから、ひとつのアンテナだけで操れるわけがありませんから。おそらくこの町のどこかに、意識を持った眷属がいるはずです」
「……お前には説明しがいがなくてつまらんなぁ……」
司の切実な呟きを無視して、藍霧は策敵を始める。
家を飛び出す前は、校庭にある反応を除けば残りは二つしかなかった。だが、いまは頃合いを見計らったかのように反応が増えている。
「……ふむん」
しかもひとつではない。
「二つ、ですね。――っ!? やられました……!」
藍霧はこの短時間で二回もしくじったことに、怒りを感じるしかなかった。
二つあるうちの片方は黒兎たちの方に向かっている。だがもう片方は――。
地杖でアスファルトを打つと、小型の台風が背中で渦を巻いた。そのまま藍霧の小柄な体を持ち上げると、すぐにさっき来た道を逆走していく。
もう片方が向かっていたのは、冬道家だった。




