5―(15)「死闘②」
俺は超能力を侮りすぎていたのかもしれない。
春休みに体験した擬似的な五年間の出来事は、俺に圧倒的なまでの力を与え、そして他者を見下す高慢さを宿した。超能力という異常に自ら飛び込み、暴れまわっても誰も俺を止められなかったのもその要因だろう。
失われた力は元に戻りつつある。当初は苦戦した東雲さんや黒兎先輩とも、いまはそれほど手間取らずに勝つことができる。そのくらいの力は戻っていた。
だからきっと、今回もなんとかできるという気持ちがあったのだろう。しかし、いったい誰が決めたというんだ。
波導に超能力が劣るなどと、いったい誰が決めたというのだ――。
「ぐっ……!」
受け止めきれなかった衝撃で体が浮き、壁際まで吹き飛ばされた。床に二本の焦げ跡を残して勢いを殺ぐと、目の前の空間を薙ぎ払う。すると刀身に触れた不可視の物体が姿を表し、四散した。
俺は天剣を振って体勢を立て直すと、左手にある鞘に視線を落とす。なんの変哲もないただの一閃を防いだだけなのに、鞘には皹が入っていた。これでは鞘としてさえ機能しないだろう。
一旦待機状態に戻してポケットにしまい、天剣を左手に持ちかえる。
これで確信した。志乃が持つあの二振りは、間違いなく俺が持っていた二刀だ。でなければ天剣よりも強度が劣るとはいえ、同じ製作者の鞘に皹が入るわけがない。
「いまのを防ぐとはさすがゆかりの息子だの。そうでなくては張り合いがないからのう」
純真無垢な笑顔のまま、志乃は言う。
冗談だろ。こんなやつと張り合うだなんて正気の沙汰じゃない。ただの一閃がどうして一撃必殺の斬撃になるんだ。
「柊はどこにいる。だいたい、なんで柊までここに連れてくる必要があった」
「ふむ……それはだの――」
志乃の姿がぶれたかと思えば、すでに間合いに踏み込まれていた。下段から跳ね上がってきた白銀の刃を天剣で受け流す。続けざまに振り下ろされた漆黒の刃は身を捻って避け、その背中に天剣を突き出す。
しかし志乃は刀を背に回し、刀身でそれを受け止めた。火花が散り、互いの顔を照らす。
そのまま刀身を滑らせるようにして受け流し、俺の背後に移動した志乃は、首を撥ねるべく鋭い一撃を浴びせてくる。地面を蹴って踏ん張り、振り向きざまにそれを叩き落とした。
「――妾の気が向けば、話してやらんこともないぞ」
志乃と視線が交錯する。その瞳にあったのは虚ろだ。闇が溢れているのに負の感情と思われるものが含まれていない。あるとすれば『生』に対する絶望。
だが次の瞬間にはそれさえ忘れ、感覚が加速する。
これまでにないほどの意識の加速が、超高速で繰り出される連撃を最小限の動きだけで捌いていく。しかし重い一撃はそう簡単に弾けるものではなく、だんだんと押し返されている。
波動で強化された肉体を持ってしても全身を打つ衝撃には耐えきれない。それだけ志乃の放つ白と黒の煌めきが強力だということだ。純粋な力だけの競り合いのため、小手先の技など入る余地がない。
俺は肺に空気を送って呼吸を止めると、志乃の刀を二刀同時に打ち上げた。刈り取るような足払いで志乃の体勢を崩し、床と縫いつけるように天剣を振り下ろす。
しかし後ろに倒れていく志乃の爪先が振り上がってきて、とっさに身を引いたものの、それは俺の頬を浅く抉っていった。
痛みでわずかに動きが止まった。その隙を見逃すような志乃ではなく、腕だけで跳び跳ねると、宙でさ迷う二刀を握った。
――来る!
心の奥に生まれた、ごく小さな恐怖の欠片を吹き飛ばそうとするように先制攻撃を仕掛ける。
やつの戦いの経験は俺より遥かに多い。六年前に俺と同等の実力者と戦って敗北しているとはいえ、その経験があるなら実力はさらに上がっているはずだ。人間は成長する生き物だ。一度でも見せた手の内は通用しないと思っていいだろう。
しかも志乃は波導でさえ知っている。生半可な攻撃では歯が立たないのも頷ける。そのうえ、俺たちはまだ互いに異能を使っていない。
両手の刀を交差させて俺の一撃を防ぐ。それと同時に俺は天剣を両手で握ると、力だけで押し返した。
天剣を振り抜いた体勢のまま床を砕かんほどの力を込め、弓から撃ち出される矢のごとく飛び出した。腕を引き戻し、天剣に波動を封入する。膨大なエネルギーを孕んだそれを、速度と勢いのまま上段から振り下ろした。
金属のぶつかる衝撃音。腕を痺れさせるほどの衝撃に歯を食い縛りながら、剣戟を重ねた。単発での打ち合いなら爆発的な加速力と威力で俺が上回っている。それが多くなればどうしても競り負けてしまう。
二刀流の持ち味でもある息のつく間もない連続技も、勢いづかせれば防戦一方になるだろう。
であればまずは志乃の速度を上回ることだ。そして一撃離脱、もしくはラン・アンド・ガンの戦法をとるしかない。
思考を断ち切るように、俺の耳のそばを空気を引きちぎるような衝撃が通過した。完全には避けきれず、頬から血が流れる。両頬の血を無作為に放出した波動で弾き、矛先を志乃に変えた。
もはや人間とは思えない跳躍力でその場から後退すると、志乃は右手の刀の切っ先を俺に向けてきた。
「妾を相手取りながら考え事とは、よくもできるものだのう。さすがゆかりの息子だの」
「……っ!」
こいつ、さっきからことあるごとにゆかりの息子って言いやがって――!
「何様つもりだ!」
天剣に全力の波動を叩き込み、刃を舞わせる。
顔から笑みを消した志乃の両手にも波動が注ぎ込まれていく。しかしそれはゆっくりとしたもので、俺を迎え撃つには微々たるものだった。
両者が衝突する。そこから生じた衝撃波だけで塔の壁や床、天井に大きな亀裂が入った。
「お前は俺に母さんを見ているだけだ! 俺はお前を楽しませるためにここにいるんじゃねぇ! 柊を助けるためにここに来たんだ!」
全身から溢れる波動が天剣に集束し、激しく火花を散らして拮抗する刃を押し返していく。
「お前みたいなやつが俺の邪魔をすんじゃねぇ!」
まるで高まりや極限、限界などという言葉が存在しないかのように波動を発し、天剣に叩き込んでいく。波動の上昇が止まらない。全身が波動の塊にでもなったように、天剣と同化する。
咆哮が轟く。波動の圧力が頬から流れる血を宙に弾き飛ばしている。それは波動に含まれた氷系統の属性により礫となり、床に落ちた。
それが合図にでもなったかのように、ぶつかる波動に耐えきれずに床が崩壊した。バランスを崩した際に行き場の失った波動が襲いかかる。その痛みさえ沸き上がる波動でねじ伏せ、同じように落下する志乃へと飛びかかった。
瓦礫から瓦礫へ跳躍し、天剣を振るう。迎え撃った刃と衝突した衝撃波が足場を失うが、すかさず飛び移って足場を確保し、刃を交わらせた。
左の黒刀が斜め上から降りてくる。地帯のない動作でほぼ同時に右の白刀突き出された。体を捻って斜めの斬線をかわし、突き出された右手は天剣で打ち上げた。二刀の乱舞は続く。
引き戻された白刀から斬線が走るのかと思えば、斜め下から再び黒刀が飛んできた。同じ軌道を真反対に描いて飛んできた白刀。
その刹那、俺以外の時間がゆっくりにでもなったように、動きが緩やかになった。集中力が極限まで絞られたときにまれに起こる現象だ。
天剣を握り直すと、志乃の両腕を肩ごと切り落とした。
時間が元に戻る。驚愕の表情を浮かべる志乃の腹に蹴りを当て、天剣を上段に構えた。
「――――氷姫よ、天焦がす地獄の花束を!」
詠唱し、振り下ろす。刀身から放たれた氷の花束はこれまでのものとは別物だった。
天剣でなければ耐えきれない波動が込められた一撃は、志乃の体を飲み込んで砕け散った。
俺は溜め込んでいた息を波動と一緒に吐き出し、目に飛び込んできた光景にぎょっとする。瓦礫の落下点には来夏先輩がいたからだ。しかも瓦礫の落下に気づいていないのか、呑気に誰かと電話を――。
いや違う。見えていないんだ。
「くそ、能力の使いすぎで見えなくなったのかよ……!」
足の裏で波動を爆発させ、慌てて来夏先輩と瓦礫の間に割り込む。真上に弧を描くように振り抜き、瓦礫を真っ二つにする。
「大丈夫ですか、来夏先輩」
「えぇ大丈夫……と言いたいけど、こりゃキツイわ。目は見えないし内蔵は破裂してる。おまけに太股と肩に穴が空いちゃってるしね」
苦々しげに笑った来夏先輩がやせ我慢をしていることなど、誰がどう見ても明白だった。視力を失うほどに能力を酷使しても自分に能力をかけることはできるらしく、溢れ落ちる血液を血管から血管へと送っているようだ。
それがいつまで持つかはわからない。一刻も早く来夏先輩を病院に連れていかなければ危険だ。
来夏先輩を背負って塔から脱出しようとすると、寄り添うように床に突き刺さった二刀が視界の端に見えた。
――あとで、必ず迎えに来る。
心のなかの呟きが届いたのか、キン、と刀身が鳴る。
「ちょ、かしぎ君? なにするつもりだ?」
「そんな体の人をほっとくわけにもいかないでしょう。とりあえず病院に行きます」
「この怪我をどう説明するつもりなん――かしぎ君!」
背後からなにかが来る。そう思うが早いか、俺は氷の壁を形成した。だが威力を防ぎきることができず、あっけなく木っ端微塵になった。
俺は瓦礫の奥に集中する。砂埃が舞ってよく見えないが、その先で誰かがゆらりと立ち上がるのを目が捉えた。
この状況で出てくるやつなんかひとりしかいない――。
「してやられたわ。これは認識を改めねばならんの。かしぎよ、そちは妾に死をもたらす者よ。会えて嬉しいぞ」
蠱惑的な笑みの志乃は、舌で唇を舐めた。切り落としたはずの腕はすでに再生している。
調子を確めるように指を鳴らすと、志乃は言った。
「その者を安全なところに連れていくといい。妾はここで待ってるからの」
志乃はそう言ってどさりとその場に腰を下ろした。肌を焦がしていた殺気は息を潜め、穏やかな空気が流れているばかりだ。
俺は唖然とすると同時に、笑いすら込み上げてきた。
こいつにとって俺との戦いはその程度ということだ。手の内を隠してると言ってもそれはやつも同じこと。所詮こいつにとって俺というのは母さんの代理なのかもしれない。
「勘違いするな。妾はもう、そちをゆかりの代理などとは考えておらん」
さっきと打って代わり、仏頂面で俺に話しかけてくる。
「その者の怪我は危険であろう? 妾が治してもよいが信用できんようだからの、早う手当てしてやるがよい」
「…………」
「妾は全力のそちと戦ってみたい。それで勝つことができれば、無論、二人は解放しよう」
九十九志乃――お前はいったいなんなんだ。これまで戦ってきた『悪』とするような敵とは違いすぎる。
好戦的でありながらどこか優しさがある。純粋に殺し合いを楽しみながら、どこか欠けている。何事においても中途半端なのだ。
「急ぐがよい。妾はここで待っておるぞ」
俺は志乃の疲れたような笑みに、目を奪われた。
来夏先輩に能力を使わせるわけにはいかなかったため、俺が波導を使って塔から海岸に向かうことにした。
いつの間にか台風は過ぎ去っており、青空が顔を覗かせている。入るときは暗くてよく見えなかったが最上階のさらに上、先端の部分に球体が取りつけられていた。
おそらく柊と一葉はあそこにいる。志乃と戦わずに二人を助けにいきたいが、あの球体は能力によって作られたもののはずだ。やつほどの能力者が作り出した球体を破壊する間、気づかれないというのはまずないだろう。
どちらにしろ志乃と戦わなければならないのだ。直接倒して、能力を解除させるしかない。
「か、かしぎ君……私、目が見えないって言ったよね?」
不意に来夏先輩が話しかけてきた。
「だから俺が運んでるんじゃないですか。落ちると危ないですから、しっかり捕まっててください」
「そ、それだ! 見えないのに高いところ飛んでる怖さがお前にはわかんねーのか!?」
「わかりませんよ。つーか怪我してるんですから大人しくしててください」
ジタバタ暴れられると、ふとした弾みで落としてしまうかもしれない。
地面が近づいてくる。まだ戦っているかもしれないと思ったが、それはないらしい。襲ってきた集団は氷漬けにされていた。
ふわりと地面に着地すると、肩に担いでいた来夏先輩を降ろした。目が見えなくてバランスが取れなかったのか、ふらついた来夏先輩を支える。
「いよう、お二人さん。待ってたぜ」
「……双弥か」
ここに来るときに乗ってきたバイクに跨がる双弥が、軽く手を挙げながら声をかけてきた。
俺は嫌悪感を隠すことなく、やつの名を呟く。
「揺火さんたちはどうしたんだ」
「先に帰ってもらった。あんな怪我してんのにここにいたってなんもできねぇし。いまごろは五十嵐に治療してもらってんじゃねぇか?」
双弥は俺の肩を支えに立つ来夏先輩を見ると、ふざけた態度を一転させる。
「そいつも早く怪我を治した方がいい。見た目と本人が思ってるよりもずっと重傷だ」
「あ……やっぱり?」
ばつが悪そうに来夏先輩は頬を掻いた。
「あんたはどうする? すぐに戦いに戻んのか?」
「あぁ、俺は怪我してるわけじゃねぇ。それに休んでる暇なんかねぇからな」
「だったらこっちでわかったことだけ教えておく」
ほら、と双弥は携帯電話を投げつけてきた。空いている手でそれを掴む。ディスプレイを見ても電話の相手は誰か表示されていないが、もう通話状態になっているようだ。
俺は耳に携帯電話を当て、向こうの声を待つ。
『もしもし東雲や。かしぎ、でええんやな?』
「東雲さん……どうしたんだ。体の方は大丈夫なのか?」
『私の体のことなんかどうでもええねん。それより、あんたに教えとくことがあんねん』
有無を言わせない力強い物言いに、東雲さんの心配をすることも忘れて次の言葉に耳を傾けていた。
『あんたも見たよな、あの変な集団』
変な集団と言われたら、フルフェイスをリーダーとした集団のことだろう。氷漬けにされているそいつらに視線を配ったあと、相づちを打つ。
『あいつらは「吸血鬼」の眷属みたいなもんや。あんたも前まで詩織ちゃんがスキルドレインしまくってたのは聞いてるやろ? いまになってこれが発動したんは十中八九、九十九志乃のせいやろうけど、おかげで偉い目に遭うてるわ』
東雲さんの説明によると、フルフェイスやピエロを含めた集団はスキルドレインによって能力を奪われた者たちらしい。
スキルドレインをされた能力者は能力を使うことはできなくなるが『吸血鬼』――つまり柊が意識すれば能力を使わせることができるのだ。だが柊は『吸血鬼』としては莫大な攻撃力と回復力くらいしかまともに使うことはできない。
しかし、こうしてスキルドレインした能力者を眷属として使役しているのには当然理由がある。志乃が柊をさらったのもそのためだろう。
「志乃が柊の能力を引き出してるってことか」
『せや。いまは動きを潜めとるけど、また眷属共は能力者を無差別に襲い出すはずや。それを止めるには、詩織ちゃんを一刻も早く助け出すしかない』
「わかってる。そのためにここにいるんだ」
眷属が動かないのは志乃が戦いを放棄しているからだろう。また志乃が戦い始めれば、被害が拡大していく。
くそ、早くどうにかしねぇと……。
『こっちは私らがなんとかする。司も藍霧真宵も雪音も大河も、みんな協力してくれとるからな。あんたは九十九志乃の方を頼むで』
「言われるまでもねぇよ。俺にしかできねぇなら、俺がやるしかねぇだろ」
それに志乃は母さんが倒し損ねた相手だ。親のやり残したことを引き継ぐのも息子の役目だ。
だが志乃は強い。これまでに戦ってきた敵と比べても圧倒的に。『魔王』や師匠と並ぶほどの強さを誇る志乃に、出し惜しみなどしてる場合じゃない。
志乃には超能力に加え、波導まで備わっているのだ。身体能力は確実に劣ってるし、技のバリエーションもあまり多くない。俺が上回っているのは波導の使い方と剣技くらいのものだろう。
……正直なところ、勝てるイメージが浮かばない。ここまで追いつめられたのは久しぶりだ。
『それと司から伝言や。夏休みの宿題、忘れんなやって』
「……こんなときくらい、夏休みの宿題のことなんか忘れさせてくれよ」
たぶん俺はいま笑っていることだろう。
生きて帰ってこいと遠回しにだが言われて、俄然やる気になってきた。
弱気になるなんて俺らしくもない。勇者として剣を振るう、それが俺だ。勇者は勝たなくてはいけない。
真宵後輩や柊と、なによりも自分のためにだ。
「じゃあ、またあとで」
『おう。またな』
そう言って携帯電話を切り、双弥に投げ渡す。
「話は終わったみてぇだな。なら俺はこいつを連れてくから、せいぜい死なんように頑張れや」
双弥はそれだけを言うと、来夏先輩と共にその場から姿を消した。
バイクがここにあるのにどうやって帰ったのかと思ったら、どうやら能力が戻ってたみたいだ。
俺は待機状態に戻しておいた天剣と鞘を復元させると、ひとつにする。爪先で地面を叩いてから足をたたみ、塔めがけて思いきり跳躍した。
◇◆◇
目を覚ますと、そこは真っ白な空間だった。ありとあらゆる色を蹂躙し、追い出したようなその空間に、柊は横たわっていた。
ぼんやりとする頭を振って体を起こし、柊は自分が気絶させられたことを思い出した。
あれからどれくらいの時間が経っただろう。外は見ることができないため、それを確かめるのは無理そうだ。
目立った外傷は見当たらない。傷があったとしても『吸血鬼』の回復力により塞がっただろうが、それでも熱が残っている。傷が治ったばかりのときは、決まってそこが熱くなる。とりあえず体の調子からはそれほど時間が経っていないことが推測できた。
監禁された、という認識でいいのだろう。監禁というには動きの自由がありすぎるが、それでも行動を起こすことはできない。
これをしたのがあの九十九志乃なのだ。柊がどうしたところで、逃げられはしないろう。
柊は無言で立ち上がり、歩き始めた。真っ白な空間であるため、目視しただけでは広さを把握することはなかなか難しい。まずは置かれた状況の確認をするのが妥当だと考えたが、そこからはどうしたらよいのか。
いろいろと考えた末、思考を放棄した。
端から端までの距離はおよそ十メートル前後。空間を囲う壁のようなものに触れてみると、それが能力によって形作られているということがわかった。
拳を握り、足を肩幅に開く。手のひらに爪が食い込むほどに凝縮した力を、一気に壁に向かって突き出した。
衝撃はなかった。腕にかかる負担もなければ、空気を揺るがす振動もなかった。拳が壁に触れた瞬間、衝撃だけでなく体にかかる負担までもが分散せられたのだろう。
――一撃じゃ、こんなもんか。
後ろに下がって壁から距離を置く。両腕をだらりと下げ、神経を集中させる。一定のリズムで鼓動を刻む心音。体を走る血液の流動。色鮮やかに彩られていたそれらは、見る間に消えていく。
ざわりと己のなかで鬼が目覚めた。
巨人が跪いたような衝撃が空気を引き裂いていく。無造作にでたらめに、バラバラな動きから繰り出される一挙手一投足は、一撃必殺の威力を秘めていた。止まらない、振り抜かれるそれらは加速を続けていく。
壁に変化はない。いや、少しずつではあるが、崩れた壁の光の羽根となって四散していっている。
「……ぁああもうっ!」
苛立ったように吠え、最後に足裏で壁を蹴りつけた。
結局、壁はこれ以上、壊すことができなかった。なにせ壊れたところから再生しているのだ。いくらなんでもここまでの耐久性があるのはおかしいと思っていたが、まさか再生しているとは思いもしなかった。
むすっとした柊は、荒い息で壁を何度も蹴りつける。
額にうっすらと浮かんだ汗を拭うと、ロングコートを脱ぎ捨てた。
どうすればここから脱出できるのか。自分が捕らえられた理由はわからないが、きっと意味のあることなのだろう。
柊にあるのは他の能力者のような異常らしい異常ではなく、並外れた攻撃力と回復力だけだ。スキルドレインという能力吸収や魅力などもあるが、それは使い方がわからない上、この場にではなんの役にも立たない。
どうにかして脱出したいところだが、これでは完全に手詰まりだった。
「どうすりゃいい……ん?」
首をかしげて唸っていると、裾を誰かに引っ張られた。
柊に緊張が走る。さっき動き回っていたときは誰もいなかったはずだ。それがいまになって接触してきたとなれば、必然的にその相手が絞られてくる。
なにをされても対応ができるように構える。
後ろには見覚えのある顔があった。
「一葉、だよな?」
人形のような精巧な顔立ちの少女は、こくりと頷いた。
一葉は裾をぎゅっと握りながら、なにか話すわけでもなく、じっと柊の顔を見上げている。
予想が外れてくれて助かったものの、一葉に見つめられてやや困惑してしてしまう状況に、どうしていいか迷ってしまう。ここにいるということは、同じように捕らえられていると考えていいはずだ。しかし、さっきまでいなかったのにどこから現れたというのだろう。それだけが疑問だった。
経験のためか、柊は他人の感情を無意識に読み取ってしまう癖がある。周りの目を気にしてしまいすぎるために、そうやって立ち位置を確立しようとしてしまうのだ。
けれど一葉からはそういうのが感じられない。顔立ちが人形めいているからというのもあるが、黒曜石の瞳の奥には、思考というものを見つけることができなかった。
「どうしたんだ? あたしに用でもあるのか?」
「…………」
一葉は柊を無言で見つめたあと手を離し、とてとてと周りを動き始めた。
観察というよりマーキングしているのに近く、ぺたぺたと体を触ってくる。気を任せてよいのか、一緒にいて安心できるのかというの不安が、肌を通して伝わってきた。
不安――さっきの柊の行動も、それを払拭するためのものだとすれば、やらなければならないという衝動に駆られたのも頷ける。
それと同じように、彼女も不安を抱えているのだ。
孤独であることへの恐怖。思い出すのは七月の出来事だった。まだ『吸血鬼』を拒絶していた、独りになることが怖かったときのこと。
大切な人たちを傷つけてしまうことが怖くて、それで独りになることが怖くて勝手に距離を置いて離れていた。
これ以上みんなと一緒にいれば、いつか殺してしまうんじゃないか――そう思ってしまった。
もう二度と会うまいと心を閉ざし、死ぬことさえも考えたくらいだった。
でもあの男は、冬道かしぎという勇者は心を閉ざす監獄をいとも簡単にこじ開けて、光と共に手を差し伸べてくれた。
『一緒に行こうぜ? もうお前を、ひとりにしない』
その言葉でどれだけ救われただろう。いまこうして柊詩織が『柊詩織』でいられるのは、冬道のおかげだ。
自分は孤独でないと教えてくれた彼の――。
きっと一葉も孤独を抱いている。まだ子供の彼女がこのようなことに巻き込まれて、心を許せる人たちとも離ればなれにされたのだ。
だから、一葉は柊を見てこんなに安心したような顔をしているのだろう。
柊はがさつな手つきて一葉の頭を撫でながら、同じ目線の高さになるようにしゃがむ。
「こんなちっせぇのに、当主なんてすげぇじゃん」
にかっと柊が笑みを浮かべると、一葉は花が咲いたような笑顔で抱きついてきた。いきなりのことでびっくりしたものの、体重が軽かったこともあり、なんとか一葉の女の子としての面目を守ることができた。
それに対し、怪力な女の子もどうかと思ってしまったが、気づかなかったことにした。
柊は笑顔を押し込め、真面目な声色で一葉に訊ねる。
「ここを一葉の能力でどうにかして壊せたりしないか?」
物理的な干渉を受け付けないのであれば、九十九志乃の腕を引きちぎった一葉の能力に頼るしかない。
あのとき見た限りでは一葉の能力は来夏と似ている、視覚に捉えた物体に効果を及ぼすものだった。能力の詳細はどうあれ、その見立ては間違っていない。
一葉は首を横に振り、口を動かす。だが、声が出せていない。空気が宙に押し出されていくだけだった。
「なるほどな……できないこともなさそう……なのか?」
「……っ!? ――! ――!」
柊の返答に一葉は声が出ないまま反応を示した。その態度にはどうしてわかったのか、という期待に満ちたものが含まれていた。
声には出ていないがそれを柊には伝えた。もしなにを言っているのかわかっているなら、きっと答えてくれる。
「え? なんでって言われても……普通はわかんだろ?」
「――! ――――!」
「あー……そっか。たぶんあたしは『九十九』で『吸血鬼』だからなぁ。特別っていうか、それくらいならわかるんだと思う。あたしもなんでわかんのかは、よくわかんねぇんだけどな」
困ったように頬を掻いて、柊はそう言った。
一葉は柊に「どうして私の言ってることがわかるの?」というものだった。声が聞こえてるわけではなく、ましてや読唇術を使っているわけでもない。
同じ『九十九』の血を引いているだけというならば、声の出せない一葉の言葉を全員がわかるはずだ。だが『九十九』で一葉の言ったことがわかるのは誰もいない。一葉にとっての会話というのは、筆談だけだった。
主な話し相手は九重や揺火、十六夜、五十嵐くらいのものだ。あとは定期的な報告とも呼べるような会話とはほど遠いものばかりで、内心では寂しい思いをしていた。
けれどこれ以上、迷惑はかけたくない。ただでさえ手間取らせてしまっているというのに、ここで甘えてしまうのはどうしても憚られた。話せなくても話してるのを聞いているだけで満足だと自分に言い聞かせ続け、しかし楽しく会話をしてみたいとは思わずにはいられない。
だから、柊が言ったことを理解してくれてとても嬉しい。自分で言ったことがこうして伝わって、伝えられることが嬉しくてたまらない。
一葉は言いたいことを忘れてしまわないよう、急いでそれらを口にしていく。
「ちょ、落ち着けって。時間はあんまねぇけどいくらでも話は聞くからさ。でも、ほのぼのした話はこの戦いが終わってからだぜ?」
少し残念にするも、この状況下でいつでも話せることを口にしても仕方がない。早く会話がしたいのなら、この戦いを終わらせるのが最短ルートだ。
いままでずっと、こうして会話ができるときを待っていたのだ。あとたった数時間くらい待てなくてどうする。
一葉は気持ちを押し止め、大きく頷いた。
あらかたの説明を終えて出した結論は、情報が足りなすぎるというものに落ち着くこととなった。
そもそもここを破るには力業ではどうにもならないのかもしれない。能力に対して常識は通用しないというのは身に染みていたはずだ。
この空間が対象を絶対に逃がさない、という効果を持つならば、それを使っている志乃が柊たちを遥かに凌ぐ力の保持者である以上、内側からはどうしようもない。かといって黙っているわけにもいかなかった。
一葉には言っていないが、ここに馴れるにつれて小さな違和感がまとわりついている。腹の底から引きずりだされるような感覚。意識しなければないようなものだが、その引きずりだされているものが能力の一部であれば無視することができなかった。
吸収されているわけではない。使われていない器官を他人に使われているという感じだ。
『吸血鬼』は能力でも特異だ。こうして使われているのなら、必ず戦いに影響を与えているだろう。
あくまで柊が制御できているのは攻撃力と回復力のみ。暴走しているときに使っていた能力というのは、無意識に押し込めてしまっているのだ。だから使い方がわからないし、制御の仕方がわからない。
能力を無理やり引き出しているのは間違いなく志乃だ。能力を使ってきた歳月と能力者としての格、そして他者に自分の能力を使われていることを考えると、引っ張り合いをするのは得策ではない。
しかしどうすればいい。がむしゃらに暴れても脱け出せる保障はないし、おそらくは不可能だ。一葉と協力してもただの悪足掻きにしかならない。
人を殴ることに変化した拳に目を落とす。力で解決できないことに直面すると、自分はこうも無力なのか。なにもできなくて、足手まといにしかなることができない。
「……ちくしょう……。どうすりゃいいんだよ!」
拳から血飛沫が舞う。だがその血飛沫の痕跡も、ずる剥けになった皮膚も数秒後には何事もなかったように再生している。
皮肉なことだ。なにもできない柊は、自分を傷つけることさえできないというのだから。
外では冬道や来夏、九重や揺火だって戦ってるはずだ。こんなところで足踏みしている場合ではないというのに……。
その思考を断ち切ったのは、ポケットをまさぐる小さな手だった。
一葉は携帯電話の使い方がわからないようで、とてもじゃないが見ていられなかった。
「ケータイなんか取り出してどうするんだ?」
柊が力なく言うと、一葉は怒ったように頬を膨らませながら画面をスクロールされていく。表示されていたのはアドレス帳だ。
友好の広い柊の携帯電話には数えきれないほどのアドレスが登録され、その区分けさえされている。流れていく名前を目で追いながら――瞬間、柊は携帯電話に飛びついた。
驚きのあまりに絶叫した(といっても声は出ていないが)一葉を気にもせず、柊は選択されている名前を凝視する。
「そっか……もう手段がないわけじゃねぇ。まだ残ってたじゃねぇか」
「……?」
心配そうに見つめる一葉に微笑みかけてやると、柊は急いで呼び出しをかける。
必ずしも異常に対して異常で対抗する必要はない。力を手に入れたばかりに見えていたものが見えなくなり、当たり前で常識的なことを忘れてしまっていたのだ。
一定のリズムで刻まれる着信音を耳にし、考える。
きっとあいつならなにか策があるはずだ。
勇者の片割れ、最強で盲目的なあの少女ならば、きっとこれを打破することができる。
『もしもし、すみませんけどいま取り込み中です。急ぎの用でないのでしたらあとにしてもらえますか?』
気怠そうな声音が聞こえてきた。
「わりぃ。あたしもお前に頼るしかねぇんだ。じゃねぇと冬道が……」
『なにをすればいいんですか?』
声に鋭さが宿る。直接見たわけでもないのに、彼女がいまどのような顔をしているのかが手にとるようにわかった。
しかしそんなことを考えているときではない。
携帯電話を握る手に、力がこもった。
◇◆◇