5―(14)「死闘①」
両者の激突は、遠く離れた揺火たちも感じ取っていた。
塔から大気を震わせて伝わってくる振動が、ただの余波であることに揺火は恐怖を覚えずにはいられない。繰り返し地鳴りのように唸る衝撃が、戦いの激しさを物語っていた。
塔の最上階から海岸までの距離はおよそ五キロ前後といったところだろう。その距離をもってしても失われない余波。あの場所でどのような戦いが繰り広げられているのか――揺火にはまったく想像することができなかった。
彼女は少なくとも、修羅場と呼ばれる戦場はいくつも乗り越えてきた。六年前の『九十九』が内裂した戦いも前線に位置し、こうして生き残っている。だからあれよりも苛烈な戦いはもう起こらないと思っていた。
上からのし掛かる余波に膝が折れそうになる。ならばあの余波を発生させている二人の間近では、どれだけのことになっているのだろうか。
それを身に受けたときのことを想像すると、震えが止まらなくなる。
もしその場に自分がいたらどうなるだろうか。――そんなもの、考えるまでもない。
剣士の少年からはこれといった力は感じなかった。いや、感じとれなかったともいえる。実力を推し量ろうと観察してみたものの、少年が剣士であるということ以外はほぼなにもわからなかった。ただひとつ言えることは、白髪の女と渡り合えるのはあの剣士しかいないということだ。
改めて認識させられた事実に揺火は苛立ちを感じた。
六年前の戦いは、結果からいえば当主派が勝利した。けれどその仮定は、とてもではないが勝利したと胸を張れるものではない。
東雲派についていた銃騎士と侍――能力者との抗争には手を出さなかったものの、当主派の最大戦力である『あれ』――白髪の女――九十九志乃を戦闘不能にまで追い込んだ。それなのに揺火たちが志乃の存在を知らないに等しかったのは、戦いが遠く離れた島で行われたことが原因だろう。あとから聞いた話では、戦いの舞台となった島は消滅したとも言われている。
あれほどの力を持ち、さらにそれと並び立てる者が二人もいて被害がそれだけで済んだのはまさに幸運だった。
もし矛先がこちらに向けられていれば、当主派の能力者は全滅は逃れられなかった。それは逆に東雲派にも言えたことだ。
そして今回も同じようなものだ。
超能力とは別の異能、それを持つ者に頼らなければ尻拭いもできないことに、揺火は言い知れぬ怒りさえ抱いた。
「揺火! 戦えんのはあんただけなんだから、ぼさっとしねぇで戦ってくんねぇかな!」
双弥の情けない声と共に甲高く乾いた炸裂音により、揺火の思考は現実に引き戻された。
薄闇色の空を一直線に貫き、眉間に命中して鮮血を散らす。雨に流された血は、あっという間にその痕跡を洗い落とした。
六発撃って空になった回転式弾倉をリリースし、空薬莢を後方に飛ばすと同時に左手で新しい弾六発を装填。小気味いい音をさせてフレームを戻すと、遅滞のない動作で銃爪を絞る。
連続して銃口から弾が放たれ、それが三発に一発が外れるくらいの割合で被弾していく。
「くっそ、キリがねぇ……」
「殺しても死なないとはこのことでしょうね」
背中合わせに双弥と十六夜は、苦虫を噛み潰したような表情を作る。
弾が貫いた眉間は傷跡が徐々に再生していき、数秒もすれば銃痕など綺麗になくなっていた。背中にバネでもついているようにそのままの体勢で起き上がり、猛然と攻撃を仕掛けてくる。
動きは突進の一点に尽きるため単調で読みやすいが、なにぶん腕力がけた違いだ。掴みかかられでもすれば、能力が使えない状況にあるいま、抜け出すすべは持ち合わせていない。
「だいたいこいつらはなんなんだ? 撃っても死なねぇとかどうなってんだ、ちくしょう」
双弥が文句を漏らすのも無理はない。何度も弾を撃ち込んでいるというのに一向に倒れる兆しが見えない。
不死身なのだ。眉間を貫かれようが体を吹き飛ばされようが、何事もなかったように再生し、襲いかかってくる。
それではまるで……
「『吸血鬼』じゃねぇのか、こいつら」
自ら口にしてみてぞっとしてしまう。『吸血鬼』の強さは『九十九』においても群を抜いている。この人数で『吸血鬼』ともなれば、勝てる見込みはない。けれどそれは絶対にないだろうことは、『九十九』であるがゆえに知っている。
もっとも完成された『吸血鬼』は九十九――柊詩織だ。
柊を最後に誰も『吸血鬼』を発現させていないのだから、彼女以外には失敗作しかいない。だが、そうであるならばこいつらの能力の説明ができない。限りなく『吸血鬼』に近いものなのか、あるいは全く別のものなのか。……どちらにせよ、不利であることには違いない。
リロードし、手近にいた一体の頭部を吹き飛ばす。
「揺火! その腰にぶら下がってるモン使わねぇんなら俺に寄越せ!」
鬼神のごとき猛攻を続ける揺火は予備動作なしで銃をホルスターから抜くと、あろうことか双弥めがけて思い切り投げつけてきた。おもわず頭を下げて避けてしまう。一直線に伸びた銃は背後から接近していたひとりに鈍い音を立てて直撃し、双弥の手に納まった。
安全装置を解除し、シリンダーに弾が詰まっていることを確認すると、ろくに構えることなく銃爪を絞った――その瞬間、双弥の肩に激痛が走った。
腕が勢いに負けて後ろに放り出され、威力に耐え切れず、尻餅をついた。
「な、なんだこれ……? 明らかに改造されてんじゃねぇか! ただの飾りだったんじゃねぇのかよ!」
「それをやったのは私ではないぞ」
揺火は後退してフルフェイスから距離をとる。
「やったのは九重だ。どうせ姉ちゃんは使わないんだから改造してもいいよな、と言われてな。断る理由もなかったからやらせたんだが……まずかったか?」
「してるならしてるって言ってほしかったんだよ」
痛みはあるが肩は外れてはいないようだ。左右の銃を持ち替え、トリガーガードに指を添える。
「どうするよこいつら。どうやっても俺たちの体力が減る一方なんだけど。十六夜なんかさっきから一言も話してねぇぞ」
「…………」
たしかにこのままでは揺火たちの体力が尽きるほうが早いだろう。しかしこの大人数から逃げ切ることができるだろうか。揺火だけならまだしも、能力の使えない二人を守りながらは不可能だ。
……いや、もとより逃げるなどという選択肢はない。
冬道や来夏には一葉を助ける理由がない。柊を助けるついでとはいえ、彼には戦いを押しつけてしまったのと同じだ。それなのに自分たちが逃げてどうするのだ。
揺火は炎をたぎらせる。炎は不規則に揺れていたかと思えば、その形を固定させた。獅子を想像させる強靭な爪が雨を蒸発させる。
両手両足を地面につけ、揺火は轟いた。
「出たよ、揺火の本気……。名付けて炎獅子モード……」
「勝手に変な名前をつけるな」
揺火に言われて、双弥は肩をすくめてみせる。
「あいつらが戦ってくれているのに、私たちが逃げるわけにはいかない――そうだろ、二人とも」
答えを聞く必要はないだろう。なにせお前らは、私以上に一葉のことが大切なのだから。
揺火は心の隅で思いながら、炎の爪を地面に食い込ませ、疾走を始めた。
それに続くように双弥と十六夜も動き出す。
低い体勢から打ち上げってきた炎の爪は肉を焼く異臭を漂わせながら、しかしそれさえも一瞬のことで、次に見たときは他の標的を狙い撃っていた。再生すら間に合わないスピードで駆る揺火は先ほどの比ではない。
敵の顔に同様の色が伺えた。これでひとつわかった。
これまでは揺火がいくら燃やそうと、双弥が撃とうと、十六夜が刺そうとも感情という感情の変化を見ることがなかった。おかげでこいつらは失落牢の失敗作と同様な能力者と勘違いしていた。
だがそうではない。こいつらにはしっかりとした感情がある。それはいまのではっきりした。
なら、こいつらの正体は? その疑問を解消すべく、揺火はさらに加速する。合間を掻い潜り、一目散に最後方を目指す。
初撃こそ前線で行ったが、それ以降は一度たりとも動いていない人間がいる。黒のフルフェイスメットに黒のライダースーツと、全身を黒でまとめている人物。おそらくそいつがリーダーだ。
「うおおおおああああああ!」
凄まじい気勢に乗せて、揺火の炎爪が霞むほどの速さでフルフェイスの心臓に突き立てられた。――はたして反応できなかったのか、フルフェイスは動くことさえなかった。
メット越しにくぐもった女の声が聞こえた。胸を貫く腕の先に、手のひらに収まるほどの大きさをした脈動を刻むものがある。それを一切の躊躇もなく握り潰した。
フルフェイスの体がびくんと震え、すぐに力なく膝から崩れ落ちた。
揺火はそれを無感動に観察する。違和感を感じたのだ。どこかで感じたことがあるも、それとは異なる違和感。いったいどこで感じたものなのか……。
考えている間に手のひらのなかで再生しようとする心臓を、炎を放出してそれを阻止する。
「――揺火!」
双弥の切羽詰まる叫びが耳に入ったとき、揺火は反射的に腕を抜いて迎撃をした――はずだった。
右肩に焼けるような痛みがある。視線を巡らせてみれば、肩を第三者の腕が貫通していた。なぜ反応できなかった? 揺火のその疑問は、すぐに明確な答えを示した。引き抜いたはずの右腕は、まだフルフェイスの心臓に突き立てられているままだった。――いや。
フルフェイスが揺火の腕を掴み、自身に引き寄せていたのだ。防いでいたのはイメージのなかだけで実際には動けていなかった。
だがどうしてフルフェイスは動けるのだ。心臓を貫かれて死んでいない方がおかしい。
「まさか……」
揺火のなかでひとつの答えが浮き上がった。
「貴様ら、吸血鬼の――」
言葉が最後まで言い切られることはない。
銃の発砲音が不思議なほど響いた。
◇◆◇
「行かせてよかったの? 足止めをするなら私よりも彼の方をやるべきだと思いますけど」
飛翔した剣士の姿はもう見えない。どうせなら一緒に戦って負担を減らしてもらいたかったところだが、あんな焦燥に駆られた表情をされては先に行かせないわけにはいかなかった。
恋は盲目――どちらかといえば女の子に使う言葉かもしれないが、いまの冬道にはそれがぴったりだった。
なんだか青春してるなぁ。私も高校生のときはあったような、なかったような……。
頭の片隅で思いながら、来夏はピエロの頭を隠すように手をかざした。
「そんなことないよぉ。ぼくが任されたのは、彼じゃなくて君の足止め……」
「――バーイ」
はなから話なんて聞くつもりはない。中指で顔を弾くように動かすと、連動してピエロの頭も弾け飛んだ。白壁に赤の染みを滲ませ、残された体は落下し、床に血を撒き散らした。
「わりーけど私に戦う気なんてさらさらねーんだわ。ギリギリの戦いなんて性に合わないし」
動かなくなったピエロを一瞥し、踵を返す。
上でも戦いが始まったのか、遮ることのできない衝撃が来夏にのし掛かってきている。いつまでもこんなところにいては身がもたない。
ここまで戦場にいるのが辛いと思ったのはこれが初めてだ。直接目にしなくとも戦いの苛烈さが手にとるように想像できる。あのファンタジーにでも出てきそうな黄金の剣。触れればたちまち斬れてしまうだろうあの剣を扱い、そして対抗しているような二人の間に割り込む余地などない。
来夏が冬道と話したのは、覚えていないだけかもしれないが、京都で会ってからの少しだけだ。その印象は不良被れ、礼儀のなっていない後輩というものだった。少なくとも最上階から放たれているような殺気は感じなかった。
どれが本物の彼なのだろうか。
黄金の剣を振りかざす剣士、礼儀のなっていない後輩、友達想いの少年。
おそらくどれも偽らず本物だ。しかし来夏にはその上があるような気がしてならない。その面影はたびたび垣間見せている。ただいまは、それに追いついていないようだ。
どこかに置いてきた遠い存在を掴もうともがいている。その掴みたいものは来夏にはわからない。だがそれが、来夏では見ることのできない頂の向こうにあるということだけは理解できた。
誰にも理解されなくてもいい。ただひとり、わかってくれる人がいればそれだけで――脳裏に焼き付いた剣士の背中は、そう語っているような気がした。
「ちょっと考えすぎちゃったかねー」
自分の考えを笑い飛ばして、来夏はおもわず戦慄した。
肉塊となったはずのピエロが――どこにもいない。床には這いずり回った跡が見せつけるように残されている。跡は落下地点から円を描き、来夏の後ろに伸びていた。
まさか――、と来夏はとっさに爪先に力を込めて反転、無茶な体勢からバックステップで大きく飛び退いた。
「へへっ、さっすがおねーさん」
あどけない少年の声が鼓膜を刺激する。いつの間にか、来夏の背後には年端もいかない少年が立っていた。どこからどうやって入ってきたのか――そんなことを思考する前に、来夏は動いていた。
指をひとつ鳴らす。途端、少年の頭部は先のピエロのように吹き飛んだ。
ぐちゃりと不快な音をさせて脳を撒き散らした少年の格好は、どこか見たことのあるものだった。
「さっきのピエロの……」
この奇抜な格好を見間違うはずもない。ピエロを倒した手応えはたしかにあった。まさか避けていたのか? 仮に少年がピエロと同一人物だとして、どうやって来夏の攻撃を避けたのだろうか。
幻視系の能力者だとしても、それを使わせる暇などなかったはずだ。完璧に不意を打った。来夏がどんな能力者か知っていたところで、ちょっとした動作で発動させることができる以上、不意を突かれれば避けることはできないだろう。だとすればピエロと少年は別人ということになる。
しかしわざわざ同じ格好をしたのに、なぜ化粧をしていないなかったのか。考えれば考えるほどピエロと少年が同一人物としか思えない。
そして同一人物なら、どうやって来夏の不意打ちを避けたのかという根本的な疑問に回帰することになる。
「まさか、再生したとでも……?」
自分でも馬鹿馬鹿しいと思うことを口にして――しかしその可能性はゼロでない。なにせ相手が相手だ。念を入れておいて損はない。
動けないようにさらにスクラップにしようとして――、
「――大正解だよ、おねーさん」
ぴたりと、首筋に鋭く冷たいものが触れた。
「その可能性を考えながらも、『吸血鬼』という超能力でも特異なものを知っているだけに、普通ならその考えには至らないものだよ。ましてやその対策を打とうだなんて、正気の沙汰じゃないよね、おねーさん」
「私にしてみたら頭をぶっ飛ばされて生きてる方がおかしいと思いますけど」
首に回された手を振りほどいて捻り切り、足を払って体を宙に浮かせた。地面に落ちる前に念力で少年を壁際まで吹っ飛ばした。
来夏の眼がすっと細くなる。仰向けに倒れた少年の全身の関節が逆方向に折り曲がっていく。骨が砕ける音と少年の苦痛の嗚咽を聞いてなお、来夏の表情は揺らがない。
「――ハッ」
大粒の汗を滴らせながら、来夏は空気を押し出した。
来夏はあまり能力を酷使するのが好きではない。際限は能力の種類や人によって異なるが、来夏のような完全に視覚に頼る能力は負担が大きい。この短い時間だけでもかなりの疲労を強いられる。
いまも能力の使いすぎにより、視界が霞んできている。
以前に一度だけ限界を越えて能力を使ったことがあったのだが、そのときは目が見えなくなった。少し休めば回復したものの、それ以来、能力の使用限界が短くなった。
おそらく無理をすればするほど使用限界は短くなるのだろう。そして最終的には、視覚と能力の完全なる消失してしまうかもしれない。
能力なんて消えても構わないが、日常生活に支障が出るのは控えたい。
しかしどうやら、まだ休めそうにないようだ。
「おねーさんおねーさん、いくら死なないって言っても痛いものは痛いんだよ? むしろ死ねないからこそ、死ぬほど痛いって言葉が言えるよね」
「化物か、てめぇは……」
あれだけぐちゃぐちゃにされたというのに、少年はへらへらと笑いながら立ち上がった。
「化物なんてひどいなぁ。ただちょっと、不死身ってだけじゃないのさ」
吐き気が込み上げてきた。いますぐにこの酸をぶちまけてしまいたい衝動に駆られる。幸いなことに、吐き出すようなものはなにもない。戦う前には食事をしないという決まりを作っていて助かった。
そんなことよりも、来夏は少年――ピエロの言ったことに顔を歪めた。
不死身――それはすなわち、究極的な防御。
「てめぇ、不死身ってどういうことなんですかー?」
「言葉のままだよ。不死身、絶対に死なない、不死の身」
「私が聞きてーのはそういうことじゃねーんだよ」
来夏はピエロを射殺しそうな鋭さで睨む。
「なんでお前が『吸血鬼』の能力を持ってんだよ」
ピエロが使う能力は紛れもない『吸血鬼』のものだ。たとえ回復系の能力を持っていたとしても、ここまでの回復力は絶対にあり得ない。
しかし『吸血鬼』を持つのは柊詩織と、『九十九』の創設者である九十九志乃のみだ。見る限りでは『九十九』と縁のある能力者ではない。また、自然な発現で『吸血鬼』のような異質な能力が生まれることはない。
疑問が疑問を呼び、集中力を殺いでいく。
「正確に言うとね、ぼくの能力は『吸血鬼』じゃないんだぁ。これはおまけっていうか、むしろ後遺症みたいなものなんだよ。知ってるでしょ? 『吸血鬼』のおねーさんがそれを御しきれるようになる前は力が暴走して、多くの能力を奪い取ってたこと」
それは『組織』の方がよく知っていた。当時は来夏もその『吸血鬼』の対処にあたり、そして勝利している。それでも多くの能力者が毒牙にかかったことには違いない。
報告書のリストに掲げられていた数は推定五〇人。ただしその人数もさしたるもので、おそらくその倍ほどは能力を奪われているはずだ。
「ぼくはその被害者のひとり。ついさっきまで――志乃おねーさんが『吸血鬼』のおねーさんを連れてくるまで、能力を使うことなんてできなかったよ」
妙な言い方に、来夏の眉がぴくりと動く。
「もしかして知らない? 『吸血鬼』はスキルドレインした相手を自分の眷属、言い方を変えれば奴隷に、あるいは同族に変える効果もあるんだよ。それは彼女自身が意識しなければ使えないんだけど、そこは志乃おねーさんがなんとかしたみたい。おかげでぼくは能力を取り戻しただけじゃなくて、不死身まで得ることができたのさ」
「そのわりには、さっきから殺されても動じてないみたいだけどね」
話からすると、不死を得たのはついさっきのことになる。それだというのに殺されるような痛みを受けて平気にしている。死なないとわかっていても、まともな神経をした全うな人間ならば耐えきれはしないだろう。
そもそも、いつどこで志乃と知り合ったのか。どうしてここにいるのか。なぜ志乃の味方をしているのかなど、聞きたいことは山のようにある。
「久しぶりに能力を使うから加減とかできないかも。おねーさん気を付けてね? すぐに壊れちゃったら楽しめないからさ」
少年としてはあまりに歪な笑顔。一度能力を失い、再び能力者として返り咲いたがためだろう。人間の上位個体となった優越感に浸り、さらに不死身を得たことにより拍車をかけている。
いわば勝利が決定された戦いだ。結果を楽しむのではなく、その過程に歓喜する。足止めなどというのはただの口実で、能力を使って暴れたいだけなのだ。
来夏は圧倒的なピンチということも忘れて目を覆うように手を被せると、高らかに笑い声を響かせた。
「おもちゃをもらった子供ですかー? くっだらね。バカじゃねーの? ちょっとパワーアップしたからって――」
笑いがぴたりと止まった。
「――私より強くなったとは限らねーだろ」
来夏の雄叫びに呼応するかのように塔が衝撃で軋んだ。
◇◆◇
瞼を閉じ、意識が消えるときを揺火は待とうとした。
風前の灯とはよく言ったものだ。台風に煽られている炎はとても儚くて、いまにも消えてしまいそうだった。
揺火はふと疑問に思う。いつまで経っても訪れることのないその瞬間。くっついていた瞼を開くと、ある光景が網膜に焼き付いた。
刀を抜刀した体勢で揺火の前に立つ、自分よりも小さな背中。風に吹かれてなびく焦げ茶色の髪。人懐っこい顔に真剣味を帯びたひとりの男。振り返り、彼は言った。
「ヒーローは遅れて登場するって相場が決まってるだろ? 俺が来たからにはもう大丈夫だぜ、揺火姉ちゃん」
――やはり、君が助けてくれたんだな。
その眩しすぎる笑顔に、揺火の頬が熱くなった。
かしゃん、と九重は刀の柄を握り直す。刀身が霞むほどの神速で放たれた一太刀は、フルフェイスの体を真っ二つに切り裂いた。その上半身を思いきり蹴り飛ばし、九重は揺火を抱えて一旦下がる。
「うまい具合にタイミング合わせすぎなんじゃねぇの?」
「ままっ、そこは気にすんなって。揺火姉ちゃんにカッコいいとこ見せたかったとか、そんなんじゃねぇからな」
「いや、んなこと誰も訊いてねぇから」
「おっと。思わず口が滑っちまった」
九重と双弥は互いに軽口を叩きながらも、警戒することを忘れない。
「……遅くなって悪かった」
九重はわずかに目を伏せながら言った。これでもずいぶん急いできた方だ。どうしても黙っていることができなかった九重は、屋敷を飛び出し、バイクに跨がってここまで飛ばしてきたのだ。
まだ志乃にやられた痛みも抜けてないし、弾丸を斬るなどという荒業まで使ってしまった。正直なところ、体の限界はとっくに越えている。
「そんなことはない。来てくれて、その……助かった。それで東雲はどうしたんだ?」
「東雲姉ちゃんには屋敷に残ってもらってるよ。各地にこんなやつらが現れたんだ。なにが起こるかわかんないからな」
揺火は九重の言ったことに驚きを隠すことができず、思わず口走った。
「こいつらが――『吸血鬼』の眷属共が各地に現れたというのか……?」
九重はゆっくりと頷く。
九重もここに来るまで何体かの眷属と戦っているため、その強さは推し量れている。こんなやつらが各地に現れたとなれば、参事になりかねない。
眷属の狙いはおそらく、能力者ということに限定すれば無差別だ。志乃の目的は全能力者の抹殺と明確にされており、その手駒として眷属が使われたということだ。
「こいつらを倒すのは無理だ。失落牢のもどき共とはわけが違う」
「ならばどうすればいい。このままでは私たちまでやられてしまうぞ」
貫かれた肩を焼いて無理やり止血しながら、揺火は右足を薙ぐ。炎を使わずとも揺火の実力は伊達ではない。たかが眷属などに劣ることはない。
「だから俺が来たんだ。こいつらは倒すことはたしかにできねぇけど、だからって動けなくさせられないわけじゃねぇだろ? それに今日は台風だ。俺の能力がに最高の天気だぜ」
次いで揺火に炎の弾幕を張るように促す。なにをやろうとしているのか揺火だけでなく、双弥や十六夜までもが悟り、慌てて一か所に固まる。
「んじゃ……いっくぜぇぇぇええええい!」
轟いた九重の咆哮と共に大気の水分が凍結を始めた。それはだんだんと降り注ぐ雨にまで伝染し、雨から霰へ、霰から雹へ、そして雹から氷弾へと変化した。
それらを防ぐすべを持たない眷属たちは、その身に氷弾を撃ち込まれていく。重なり合うような絶叫を耳にしながら、事の顛末を見届ける。
氷弾を受け、それでも再生しようとする眷属の体が内側から凍結していく。傷口が塞がらず苦しみもがきながら、すべての眷属が凍結を完了した。
「ふぃ~。ミッションコンプリート」
ひゅん、と刀を振ると鞘に納める。
「こうやって凍らせておけばこいつらも動けねぇだろ?」
唖然とする三人に向き直り、九重はさも当然だと言わんばかりの態度を見せる。言うだけなら簡単だが、これだけの人数をもはや力業としかいえない方法でやるとしても、並大抵のことではない。
しかも九重は万全ではないのだ。さすが『九十九』最強の肩書きは伊達ではないということだろう。
「あり……?」
「お、おい、九重!」
不意に九重の体が傾いていく。
揺火が慌てて後ろから支えた形は、奇しくも屋敷と全く同じ構図だった。
「ははは……無理しすぎてもう動けねぇや。あと揺火姉ちゃんのおっぱい、超柔らかい」
「私の胸くらいならいくらでも貸してやる。まったく……あまり心配させないでくれ」
安堵したように揺火は九重の顔を覗き込む。そこには戦いのときとは違う、女性らしい優しさがあった。
それはなんというか、三人に共通の認識を植え付けた。
「揺火姉ちゃん、なんか母さんみてぇだな」
「な……っ! バカ、誰が母さんだ! それと貴様らも同意するな!」
頬を赤く染めて抗議する揺火に、さっきまでの戦いなど忘れて笑いあう。
けれど十六夜にはひとつだけ気がかりが残っていた。
全身を黒でまとめていたフルフェイスが、いつの間にかいなくなっていたのだ。
◇◆◇
浮遊させた体を急降下させ、来夏はピエロにボディブローを叩き込む。体をくの字に曲げたところで爪先を顎めがけて振り上げる。骨を砕く感触を感じながら、素早く脇に回り、振り上げた脚をネリチャギのように振り下ろす。逃げ場のない衝撃は体内に押し留まり、内外からの破壊を施した。
しかし来夏は止まらない。
全身に衝撃が行き渡ったピエロの臍の下を手刀で貫き、能力を発動させる。
来夏の能力はサイコキネシスだ。手を使わずに物体を浮遊させたり、ねじ曲げたりすることもできる。また、手に触れたモノであれば動きを意のままに制御することさえ可能だ。それは川の流れであったり、台風を逆回りにすることだって難しくはない。
それは、人間の血の流れでさえも例外ではない。
ピエロの血の流れが止まる。心臓から送り出されていた血液は逆流を始め、全身の血液がそこに戻っていく。許容力を超えた入れ物は、風船のように破裂した。
そこでは終わらない。
喉元に膝蹴りを叩き込んで首をへし折ると、能力を使って捻りきる。さらに回転軸を二つ作り、体を縦に真っ二つにした。上半身と下半身を離したのではなく、文字通り縦一線に捻りきったのだ。
降りかかる血の雨を宙で停止させ、塔の外に放出した。
いつもならこの時点で戦いは終わっていただろう。こうまで残酷な死を迎えて生きているはずがないからだ。
だが、この相手だけはどうもその常識が通用しない。
「い、痛い……痛いよぉ……」
分裂した体が再生していく。死すら迎えるはずのダメージを痛いだけで済ませるなど、もはや人間ではない。
「化物が……」
来夏は苦々しげに呟き、どうするかを考える。
できるだけの攻撃は加えた。制御の簡単なものならともかく、そうではないものを連発して通用しないなら、もう体を破壊して倒すというのはできないのかもしれない。だとすれば動かせなくするのが妥当だが、それでは来夏の体がもたない。自分を犠牲にしてもただ動けなくさせることしかできないなら、その手段を用いるのは却下だ。
いまにも再生を完了しようとするピエロを見ながら、来夏はできるだけ距離を開ける。
「まぁ、ちまちま考えても仕方ないでしょーに」
言い聞かせるように呟き、来夏は片頬を持ち上げる。
もともと臥南来夏という人間は考えて動くようなタイプではない。流れに身を任せ、成すがままにし、力でねじ伏せる。いままでがどうかしていたのだ。考えて解決できるなら、いくらだって頭を捻っている。
「やってやろうじゃねーの化物が。てめぇに人間様の強さを見せてやんよ」
「ぼくも人間をやめたわけじゃないよ。――いや、能力者になったときから人間なんかじゃないでしょ?」
ごもっともなご意見で、と言って来夏は肩をすくめる。
「でもてめぇはそういう意味でも化物でしょう? 人間から見た化物が私たちなら、化物から見た化物はてめぇらだ。だからもう一回だけ言う。人間様を嘗めんじゃねぇ」
「ふふっ、おねーさんは面白いなぁ。それじゃそろそろ、ぼくから仕掛けようかなぁ」
ゆっくりとした口調でそう言ったピエロは、次の瞬間には来夏の視界からいなくなっていた。
来夏は目を見開く。瞬きをしたわけでもないのに、気がつけば消えていたのだ。テレポートの能力者というわけではないだろう。それなら空間に干渉できる来夏に感づかれないはずがないからだ。
ピエロの姿を探す。床から壁へ、壁から天井へ。
――――いた。
さすがピエロの格好をしているだけのことはあり、人の神経を逆撫でするのが得意らしい。螺旋階段に足を引っ掻け、べぇと舌を出しながらこちらを見下ろしていた。
落ちていた壁の破片を蹴り上げる。睨み付け、弓から放たれた矢のように鋭くそれをピエロに飛ばす。直撃コースの軌道に乗ったはずだった――が、破片は思いもよらぬ軌跡を描いてピエロから外れた。
「……はい?」
間の抜けた声が漏れた。それもそうだ。いままで来夏が能力を使ってきて、こんなことになったのは初めてだ。
来夏がそうやったのでなければ、あのピエロがやったのだろう。
しかしなにをした。見たところピエロはなにもしていない。来夏自身も力を無理やりねじ曲げられたというより、自然とそうなったという感触だった。
まるで、軌道が偶然それたかのような――。
「がっ……!」
肩に重い鋭痛が走る。もう何度目の驚きだったか、数えることすら面倒だ。来夏の肩に、壁の破片が突き刺さっていたのだ。それはさっき来夏が飛ばしたものであり、外れたものだった。
幸いだったのは刺さった程度で済んだことだ。もし貫通でもしていれば、この戦闘中は使い物にはならなかっただろう。
どうして自分に刺さるほどに軌道が逸れたのか――思考しそうになって、来夏は強引にそれを断ち切った。
テンポよく助走をつけ、壁を蹴って駆け上がる。ポケットから三つほど、スーパーボールを取り出す。小さな外周に沿って薄い光を帯び、次々と浮かび上がる。腕を振り抜き、それを投げつけた。放たれたスーパーボールは三方向からピエロに吸い込まれていく。
ピエロが凄惨に微笑んだ。放たれたスーパーボールはピエロの眼前で弾け、あろうことか跳ね返ってきた。
ぐるりと回転してそれをやり過ごし、視界の中央にピエロを据える。なにもない虚空を掴み、引き寄せる。するとピエロの体が、来夏の方に引き寄せられた。
「ら……あぁぁぁあああああ!」
来夏の拳がピエロの鼻っ面を叩いた。錐揉み状に回転しながら、壁に打ち付けられる。
経験の差が来夏にわずかなアドバンテージを与えた。それだけで勝敗が決まるほど生易しいものでないにしろ、あるのとないのとでは気持ちの在り方がまるで違う。余裕とはまた別の、一種の自信のようなものが支えとなっている。
だがそんなものが宛にならないほど、スペックに差がある。壁に打ち付けられたピエロは無傷だ。攻撃をしても効果がないとなると、モチベーションが著しく低下する。たかがモチベーションと言えばそれまでだが、戦いにはその小さな要素でさえ生死を左右する。
いまはなんとか現状を保っているが、その均衡がいつ崩れてしまうことか。
長い滞空を経て来夏が着地すると、またもピエロはいなくなっていた。
「――だから、ぼくの方から仕掛けるって言ったじゃん」
ずいぶん低い位置から聞こえてきた声と共に、比較的軽い拳撃が来夏の腹部を打った。反射的に迎撃をしようとして――、
「ごふっ……!」
喉の奥から込み上げてきた血の塊を盛大に吐き出した。
「あはは、おねーさん、ごめんね。偶然、内蔵が破裂しちゃったみたいだね」
「んな、バカな、ことが……」
二歩ほど後退し、来夏は膝をついてうずくまった。苦痛に顔を歪めながら、ピエロを睨み上げる。
「あるんだよ、それが。といってもこの偶然っていうのはぼくが引き起こしたものなんだぁ」
「ちっ……能力か……」
迂闊だった。『吸血鬼』の再生能力ばかりに気をとられ、ピエロ自身の能力のことを失念していた。まさかピエロの能力がスキルドレインの後遺症だけなわけがない。
スキルドレインをやられたということは、後遺症を得る前は自分の能力を持っていたということだ。
能力はひとりにつきひとつ。その固定観念が来夏にそのことを忘れさせていた。
「ぼくの能力は偶然を操るっていうのかな? 『もしかしたらあり得るかもしれない』というごくわずかな可能性を、自分の意思で起こしちゃうんだ」
来夏は痛みすら忘れ、絶句した。
だからさっきの軽い一撃で内蔵が破裂したのだろう。
もしかしたら最小限の衝撃で内蔵が破裂するかもしれない――そんな一パーセントにも満たない偶然を、過程をねじ曲げて発生させた。偶然とは、いわば無数に存在する世界――パラレルワールドのひとつのことでもある。
どちらの道に進むかによってすでに二つの世界が生まれた。その先で経験することは同じであるかもしれないし、違うかもしれない。ひとつの選択だけで枝分かれした木のように世界が誕生した。
その選択というのは自らの意思に基づいたものだ。そればかりは他者の力は受け付けない、絶対の理だ。
しかしピエロの能力はそれさえも覆した。無数にある道のなかから自分のいいようなシナリオになる道を見つけ、強制的に進ませてしまう――事象の制御。
あいつにすれば、偶然世界を滅ぼしてしまうこともできてしまう。しかもそう考えただけで。
ただ考えただけで事象を思いのままに操る相手など、どう戦えばいいのだろうか。
大層な啖呵を切った手前、弱音を吐くことなどしたくはないが、この相手だけはどうしたらいいかわからない。
『吸血鬼』の再生能力のせいで攻撃は通用しない。もし通ったとしてもやつの能力によってそれは都合のいい事象に変えられてしまう。
まだピエロが取り戻した能力を試しているから生きているものの、それさえいつまで続くかわかったものではない。いまは、やつの実験台として生かされているにすぎないのだ。
私の知ってるお嬢様でも、勝てるかわかりませんねー、と来夏は力なく頭のなかで囁く。
「ただし範囲が狭くて。だいたい……そうだね、せいぜいこのフロアくらいが有効範囲だよ」
なにが狭いものか。その範囲内にいるピエロには常に能力が働いている。それでなくとも『吸血鬼』の回復力があるのだ。反則としか言い様のない力になっている。
「はっきり言って、もうぼくに勝てる人はいないんじゃないかな? どう? おねーさん美人だし、ぼくの言うことを聞くなら殺さないであげるよ」
「はっ……この、マセガキが……」
態度が気に入らなかったのか、ピエロの爪先が来夏の太股に触れ、そして突き刺さった。
思い出したようにやってきた腹部の痛みに加えたそれに、来夏は呻いた。
「こんな見た目だけどぼく、十八歳なんだよね。一応結婚できる年齢だよ」
笑いながら肩をこつくと、来夏の体はあっさりとひっくり返り、床に大の字に広がった。ピエロはそのまま来夏に跨がると、小さな手で胸を鷲掴みにした。
「だからいまここで、おねーさんに悪戯することだってできちゃうんだよ」
少年らしからぬ、発情した獣のような顔を来夏に寄せてくる。もう少し顔を近づければ、唇がくっつくほどの距離だ。嫌悪を隠すことなく、来夏は痛みに耐える。
「悪いけど、私は処女じゃないんで」
離れた位置にはピエロが腰に下げていたと思われる短刀が落ちていた。それを念力で少しずつ上昇させ、移動させる。気づかれないようにゆっくりと、ゆっくりと短刀を持ってくる。
どうせ短刀を頭から突き刺してもピエロは死ぬわけじゃない。それでもわずかなタイムラグが生まれれば、逃げ出すことができる。
ピエロを浮かせればわざわざこんなことをしなくてもいいのだが、もしかしたら能力が無効化されてしまうかもしれない。確実に抜け出すには、これが最善だ。
ピエロが気づいていなければ能力の発動もできない。確信はないが、能力は機械による自動操作は不可能だ。それだけははっきりしている。
「それは残ね……」
ピエロの言葉は途中で切れた。落とした短刀が脳天に刺さったのだ。
すぐさまピエロを退かして起き上がり、耐え難い痛みに襲われながら、急いで距離をとった。
「嘘なんですけどね。でもとりあえず、いまのでわかったことと疑問になったことができた」
頭に刺さった短刀を抜き取る光景を黒い瞳に映しながら、来夏は指を立てた。
「一つ、その能力はあくまでもお前の思考速度および認識によって発動が決定する。二つ、有効範囲内でなければ、お前はなにもすることができない」
来夏は痛みで言葉を中断させたあと、三本目の指を立てながら言う。
「これは疑問なんだけど、どうして事象を操れるにも関わらず、九十九志乃なんかに従っているのか。それにどうして『吸血鬼』の無敵ぶりに頼らざるを得ないのか……」
そう。もし偶然とはいえそれを引き起こせるのであれば、九十九志乃に従う必要はないのだ。自分の意思で従ってるならそれまでだが、違うのならどうして志乃を殺さない。
それに力試しとはいえ、一度それを試せばもう攻撃を食らう必要はない。にもかかわらずピエロは来夏の攻撃を受け続けた。
それはつまり……
「お前の能力にも限界があるってことだ。九十九志乃に従ってるんじゃなくて、従わざるを得ない。『吸血鬼』に頼ってるんじゃなくて、頼らざるを得ないからだ。――違う?」
それがあたかも正解であるかのように、ピエロの表情が凍りついた。
「やっと勝機が見えてきた。ようは一〇〇パーセント絶対に起こらないことに対しては、なにもできないってことでしょーが」
「そうだとして、おねーさんにそれができるの?」
「無理でしょーね」
今度こそピエロは疑問に首を傾げた。
絶対に起こらないことがこの能力を打ち破る唯一の方法。それは能力の持ち主であるピエロがよく知っている。しかし来夏はできないと言った。ならばどうするというのだ。
「この能力は私たちに対しては範囲が限定されているものの、お前に対してだけは範囲は無限大。それなら、お前の倒すのなんか簡単でしょ」
「死ぬことのないぼくを、どうやって殺すっていうのさ」
「なにも特別なことはなにもしないよ。ただ――てめぇを殺し続けるだけですよ」
瞬間、ピエロの上半身と下半身は汚く分断された。
しかしそれはすぐに再生する。
「無駄ムダ! ぼくは『吸血鬼』の回復力があるんだよ? 志乃おねーさんならともかく、おねーさんが殺せるわけないじゃない!」
「――本当かな?」
「え?」
性懲りもなく来夏はピエロを二つに分断する。さっきまでと違うのは、その攻撃の仕方にバリエーションがなくなり、同じことの繰り返しになったことだ。
「もし上にいる九十九志乃になにかが起こって、『吸血鬼』の不死性を失ったらどうするつもり?」
「はは……あっはっはっは! なに言ってるのおねーさん、そんなこと絶対にないよ! だって志乃おねーさんには能力者じゃ勝てないんだよ? なにかがあるはずないよ」
「そうね。能力者じゃ九十九志乃には勝てねーけど、さっき上に行った彼は能力者じゃない。六年前に九十九志乃を倒した異能と同じものだからね」
来夏の言葉を受け、ピエロは不安そうに上を見上げた。
「もしかしたら今ごろ彼が九十九志乃を倒して、てめぇの不死もなくなっちゃったかもよ?」
「そ……そんなわけ、ないだろ!」
「なら――試してみよっか」
もう一度、来夏の能力により体が両断される。
その両断された体は瞬く間にくっつき、復活する。
「ほ、ほらね! まだ不死のままだよ!」
「いまは後遺症が残留してるだけかもよ? 殺し続けたら、いつか死んじゃうかもね」
クスクスと笑いながら歩み寄る来夏に、ピエロは本能的に後ずさった。
もしかしたら、本当に来夏に殺されてしまうかもしれない、そう思ってしまったのだ。
「いったいどれだけ生き残れるでしょーね」
ピエロは完全に来夏に呑まれてしまっている。
来夏が言ったことはすべてハッタリだ。本当に志乃が倒されたなら戦いが終わっていないわけがない。つまりピエロの不死性は健在だ。
しかし、ピエロにもしかしたらということを思わせてしまえば、それだけで能力が発動する。
九十九志乃がやられ、不死性を失ってしまったという偶然の道へとピエロは進んでいく。
自ら敷いた死のレールに沿って、歩き続けるのだ。
「偶然なんかに頼ってる時点でてめぇは負けなんですよ、このビチグソが」
来夏の死刑宣告を聞いたピエロは、恐怖に顔を歪めた。
どれほど時間が経っただろうか。数十回も捻り切り、ようやくピエロを地に伏せさせたあと、来夏は視力を失っていた。これが一時的なものと信じたいが、それはあとにならなければわからない。
内蔵も潰されたままだし、太股も抉られ、満身創痍のまま戦いが終わるのを待っていた。助けが来ない以上、冬道に頼るしかない。
「やべー……マジ死ねる……。誰か助けてー……」
そんな来夏の虚しい囁きが届いたのか、あれだけの戦いをしても壊れなかった携帯電話が鳴り始めた。
手探りで携帯電話を探し当てると、通話ボタンを押してそれを耳に当てる。
「もしもーし……満身創痍の臥南来夏でーす……」
『そんなふざけた挨拶をして、私を嘗めているのかしら? 殺すわよ』
「あの……姫、聞こえてました? 満身創痍だって言ったはずなんですけど?」
『なら私はそんなあなたの息の根を止めてあげるわ。私の手で死ねることを感謝なさい』
「それのどこに感謝する要素があるんだよ……」
相変わらずのその態度に来夏は苦笑しながら、どうしてこのタイミングで電話をかけてきたかを訊ねる。
『決まっているでしょう。あなたへの嫌がらせよ』
「電話切るよ?」
『冗談よ、半分は。それよりどういうことかしら? 何故か忌々しいあの勇者の力を感じるのだけれど、まさか近くにいるわけじゃないわよね?』
「言ってなかったっけ? いるよ、姫を倒した勇者様」
電話口で食器が割れる音が聞こえた。
『来夏、あなたどこにいるの? いえ、あなたなんてどうでもいいから、すぐに勇者の居場所を教えなさい。ぶち殺してあげるわ』
「姫ー、そんな言葉遣いしちゃだめって言ってるじゃん。で、いま彼は――」
ぴしり、と天井が砕ける音を来夏の耳が拾った。
その次の瞬間、轟音と共に複数人が着地する音が聞こえてくる。すぐ真上で誰かの息遣いが聞こえる。見えなくとも、それが誰なのかは予想がついた。
「私の目の前で、戦ってる」
来夏は携帯電話を閉じて耳を澄ませる。
冬道と志乃の戦いは、もう音にも聞こえなかった。
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