5―(11)「暗転①」
侵入までには時間がかかると思っていたのだが、そのときは予想よりもだいぶ早く訪れた。京都に着いてから二日後の夜、それが決行の日時となった。
しかしどうにも腑に落ちない。説得が成功したと連絡してきたときの九重の声は、とても成功したというようには聞こえなかった。
ふざけた態度など微塵も感じさせず、会ったときとは対照的な暗い雰囲気があった。
俺は九重と深く話したわけじゃない。もしかするとそちらが素だったのかもしれないが、やはりそれはないだろうという結論にたどり着いた。
東雲さんに聞いたところ、それは外れではないらしい。
九重は基本的に陽気で楽観的な性格だということを聞いた。だから電話だからといって暗い雰囲気であるはずがないのだ。
つまり――これは罠だということになる。
俺の最悪な予想が的中してしまったようだ。
そのことはすでに柊と東雲さん、それに来夏先輩や五十嵐には話してある。どの角度から予想を立ててみても、こう考えるのが自然だという結論も弾き出した。
「にしても、なんでこの日なんだ……」
「あん!? なんやて!?」
「なんでこの日なんだって言ったんだよ!」
「そないなこと私に言われてもわかるわけないやろ!」
「あなたに言ったわけじゃなくてただの独り言だったんだけどなぁ!」
『九十九』の拠点の目の前にいるというのにも関わらず、俺と東雲さんは怒鳴るように叫びながら言葉を交わす。
そうでもしなければ、この激しい豪雨の音で掻き消されてしまうのだ。
本日、台風が直撃している最中、俺たちは外にでて侵入ができる隙を伺っている。
雨具を着ているがそんなもの無意味だ。もうずぶ濡れだよ。早くしてくれ。
「うー……寒い」
雨に打たれすぎたのか、柊が震えていた。唇など真っ青になり、体温も下がりつつある。
でもこの体調の悪さはここに来てからずっとだ。
見上げなければ全貌を捉えることができないほど大きな屋敷。歴史的建造物など比較にならないほどのそれが『九十九』の拠点だ。何百年も昔からあるようで、ここもそれなりに歴史的な建造物らしい。
「九重はまだなのか?」
「さっきから電話待ってるんやけど、来る気配がないわ」
あいつはなにをやってるんだ。風邪で戦えなくなるとか話にならんぞ。
『吸血鬼』の回復能力のおかげで風邪は引かないだろうが、それでも体調が悪くならないわけではない。
「おそらく侵入の経路を確保しているのでしょう。ここには様々な仕掛けが施されていますゆえ、下準備に時間がかかるのです」
「そういうのは事前にしておけって話でしょーに」
腕を組んで壁に寄りかかる来夏先輩は、雨など気にした様子もなく大口を開けてあくびをしていた。
ひとりだけ雨具も着ていないというのにまったく濡れていない。雨の方から避けているように、来夏先輩の周りだけを不自然に歪曲していた。
よく観察してみると、それが能力によるものだということがわかった。
まだ来夏先輩の能力について教えてもらっていない。察するに、火鷹のように空間に効果を及ぼすものだろう。でなければあんな現象は起こらない。
「ん――来たな」
身動いだ東雲さんは握っていた携帯電話を開き、イヤホンを耳につけた。この豪雨では声が聞こえないためだ。もちろん携帯電話も耳にあてている。
俺はもう片方のイヤホンをつけ、電話の声を拾う。
『東雲姉ちゃん、聞こえてるか?』
九重の沈んだ声が届いた。
「聞こえてるで。そないなことより、もう入れるんか」
『大丈夫だよ。正面から入ってきていいから、それでもなるべくバレないようにな』
「あん? 話つけたんと違うんか?」
『いやー、ちょっと問題があってさ。でも大丈夫、姉ちゃんたちだけは絶対に俺が守るぜ!』
おーい、俺は守ってくれねぇのかー。守ってもらうつもりなんてさらさらないがな。
「そういうことならしゃーないな。……ほな行くで」
ぴんっ、とイヤホンを外して携帯電話を閉じると、東雲さんは正面にあった大門に両手を添える。一歩だけ踏み出して力を込めると、重苦しい音を立てて大門が開いた。
正面にいて正解だったこれで裏から入れなんて言われたらたまったもんじゃない。
敷居を跨いでなかに踏みいると、そこは闇に包まれていた。一切の光の入る隙間もなく、密封された空間だけが広がっていた。
これが玄関にあたる場所だとすれば明らかにおかしい。こんなに暗いんじゃすぐ先さえ見えやしない。
「くらっ。『九十九』は玄関の照明すらないの?」
「……いや、いつもなら証明くらい点いてるはずやで。能力者なんていうてもそこらへんは普通なんやからな」
東雲さんの手のひらに人間の頭ほどの炎の塊が灯る。それを真上に放り投げると天井付近で動きを停止し、部屋を照らした。
「おーい九重ー。どこいるんやー?」
「ちょ、姉ちゃん姉ちゃん! そんな叫ばないでくれよ」
部屋の奥にある階段から焦ったように慌てながら、九重が降りてきた。
「遅いで。なにやってたんや」
「ごめんごめん。他の姉ちゃんたちといちゃついてたら遅くなっちまってさ」
あはは、と笑う九重に殺意が沸いた俺は悪くない。だって東雲さんや五十嵐だって拳を握りしめているくらいだ。俺の殺意なんて大したことない。
にしても電話のときとはえらい違いだ。別人なのかと疑ってしまうほどだ。
「あんなぁ、あいつらといちゃつくのは構わんけど、節度は守るんやで? うちは特別な家系やからな」
「嫉妬か」
「意味わからんし。言っとくけど、私は他の姉妹と違ってあんたに異性としての好意は持っとらんからな」
「東雲姉ちゃんはツンデレだからな」
「…………」
無言で東雲さんは拳を震わせたのを見て、さすがの九重も口を閉ざした。
でも、なんで殴られなかったのにあんなに残念そうな顔をしているのだろうか。
「で、このまま一葉んとこ直行でええんか?」
「一応話はつけてきたわけだからそうなるよ。俺についてきてくれ」
そう言って九重は何故か東雲さんと五十嵐、そして柊の腕を掴む。
どうしたのかと疑問に思っていると、その答えはすぐに身をもって知ることとなった。
「――東雲姉ちゃんと五十嵐、詩織ちゃんだけな」
床が割れた。その規模はとてもではないが初動が遅れた状態では避けきれるはずもなく、体が重力に従って下に落ちていく。
こんな光景をついこの前も見た気がする。忘れもしない翔無先輩の屋敷で最初に引っかかった罠だ。
「来夏、かしぎ! 手ェ伸ばせや!」
九重の腕を振り払った東雲さんが手を伸ばしてくるが、距離的に掴むことはできない。なら俺がやるべきは来夏先輩の安全を確保することだ。
口だけを動かして大丈夫だということを伝えると、この状況でのんびりとしている来夏先輩の腕を掴む。
「来夏先輩! 俺から離れないでください!」
「そう慌てなさんな。もう少し落ち着きなさい」
「先輩は落ち着きすぎなんですよ!」
底が見えない。かなり深いところまで来てもこれだと、落ちた瞬間のことは考えたくもないし考えるまでもない。
『嵐声』
「かぁっ!」
風系統の波動を肺から押し出す。対となる衝撃が体を持ち上げ、落下する勢いを緩和する。けれどまだ着地できる速度ではない。
もう二、三度それを使うも息が切れ、だんだんと使うまでの溜めの時間が長くなってきている。これでは間に合わない。
ならば……
「エレメントルーツ」
復元言語を唱え、天剣を元の形に戻す。柄を逆手に持ち直すと、それを石造りの側壁な思いきり突き刺した。耳障りな音を響かせながら刀身は側壁を削り、柄を握る右腕には表現しがたい痛みが駆け抜けていく。歯を食い縛り、徐々に近づいてくる底を捉えた。
「――――風蛇よ、蠢く千の罪線を」
天剣を抜き、真上に振り上げた。風によって編み込まれた矢が放たれ、側壁に突き刺さっていく。その矢尻に波動糸をくくりつけ、落下の勢いを削ぐ。
がくん、と体が停止する。下を見るとすぐそこに床があった。どうやらぶつかる手前でなんとか止まることができたようだ。
安堵の息をつき、俺は波動糸を切って着地する。
「どさくさに紛れて女の子の胸を揉むなんていい度胸してるじゃないの」
「あ、すみません」
妙に柔らかいと思ったらそのためか。
俺は適当に謝りながら、脇に抱えるようにしていた来夏先輩を下ろす。
「その反応のつまらなさ。からかいがいがないねー。私ってそんなに魅力ない容姿でしたっけ?」
「でしたっけって俺に訊かれてもわかんねぇよ」
こんなときに落ち着きすぎにもほどがある。
とりあえず天剣を首飾りに戻し、たったいま落ちてきた穴を見上げた。
「この高さじゃ登って戻るっていうのは無理そうだな」
風系統の波導を使えばなんとかなるだろうが、それまでにどのくらい波動を消費するかわかったものではない。それなら階段を探した方が現実的だろう。
「九重のやつ、よくもやってくれたもんだ。いきなり落とすとかなんなんですかねー」
言葉とは裏腹に落ち着いている来夏先輩は、すでに現状の把握に動いていた。いつまでも過ぎたことを思考してても意味はないし、俺も状況を見据えることにした。
暗闇に目がなれてきて、ここが牢屋のようなところだということがわかった。天井から吊り下げられた鎖の真下には白骨化した死体が転がっている。
ような、ではなく本物の牢屋らしい。
しかも心なしか腐敗臭も漂ってくる。現在進行形で腐敗してる死体でもあるのかよ。
「とりあえず進みましょーか。うだうだしてても始まらねーわけだし、九重が私たちを落としたのも、東雲たちと離れさせたかったからでしょーからね」
「そうですね。行きましょう」
東雲さんのように炎を出せるわけでもないので、しかたなく俺たちは暗闇のままで進むことにした。
「…………」
一歩踏みしめるごとに響く硬質的な音。共通の会話がないため、俺たちの間には無言だけが続いていた。
こういう無言はあまり好きじゃない。気まずいというのもあるけれど、そこまで親しくない相手と同じ空間にいると、なにか話さなくてはならない気がしてしまう。
だが俺は話題を振るのが得意ではない。こんな風に無意味に疲れる間ほど嫌なものはない。
「ねぇ、かしぎくん。お前は大河とか雪音と仲いいの?」
「は? あ……えぇ、まぁ、それなりには」
来夏先輩の脈絡のない質問に、俺は曖昧な受け答えをしてしまった。
「嘘っしょ。お前のその性格と大河の性格とじゃ噛み合わねーだろ? 殺されかけたりしたんじゃねーの?」
「……よくわかりましたね」
苦笑いをしながら俺は言った。
来夏先輩は頭の後ろで手を組み、楽しそうに笑いながら肩をぶつけてくる。
「私だって『組織』の人間だからね。一時期は名前の挙がったお前のことはよく聞かされたから、それくらいのことは知ってる」
「ちなみにどんな風に聞いてたんですか?」
「ん? そうねー。むかつくやつって聞いてた」
おもわず脱力してしまった。報告するんだったらもう少しまともな内容にしてくれよ。思いっきり私情じゃねぇか。
「大河はあんなだけど人望はある方なんだ」
「え、あれでですか?」
あんな傍若無人にして唯我独尊を具現化したような人が人望あるだって? 笑えない冗談だ。
「お前は知らないでしょーけど、去年の生徒会長選挙じゃ雪音に勝ったくらいですからねー」
「嘘だろ……?」
あの人望の塊と言ってもいい翔無先輩に勝って生徒会長になったなんて、いくらなんでも信じられない。
でもよく考えてみればそうなんだ。『組織』から派遣されてきた二人が対立し、生徒会と風紀委員で戦うことになった。その前に生徒会長選挙があったのに、翔無先輩は風紀委員長だった。
それはそういうことだったのか。
「まぁ、人望も実力もあるんだけど、能力者からはスゲー嫌われてんだ」
「あんな性格じゃな」
「違う違うそうじゃない。あっ、違ってるわけでもねーんだけどあいつ、能力者を見境なく殺そうとするだろ? 身内でも隙あらばやろうとしますからねー」
いまはどう? と来夏先輩は組んでいた手をぶらつかせ、そう訊いてくる。
「そんなことはなくなったんじゃないですかね。最近じゃ翔無先輩と一緒にいるらしいですし」
俺が直接見たわけじゃないから、実際どうなのかは知らないけどな。
「惚れたか」
「そうらしいですね」
「…………」
「…………」
「マジで!?」
ハウリングするように響いた声に俺は耳を塞ぐ。ただでさえ声が響いてうるさいっていうのに、そんな耳元で叫ばないでくれ。
来夏先輩は俺の肩を掴むと、勢いよく前後に揺さぶってくる。
「ちょっとそれマジか!? 脈ありかと思ってたけど進展したのか!?」
そ、そんなに揺らすな。脳みそが揺さぶられすぎてなんだか気持ち悪くなってきたぞ。
興奮冷めやらぬ来夏先輩でも俺が話せないことに気がついたようで、揺さぶるのをやめると顔を近づけてくる。暗くて細部まで見えなかったのが幸いなのか、それとも見えないだけにいい匂いが敏感に感じれることを喜ぶべきか。
どちらにしろ甘くて涼しい、いい匂いだなぁ。
「黒兎先輩の片想いですけどね……」
ちくしょう、ぐるぐる回る視界のせいでバランスがとれんぞ。
「それじゃ雪音は誰が好きなの?」
「…………」
俺にそれを訊きますか。来夏先輩は知らないから悪気があるわけじゃないんだろうけど、あんなことがあってすぐだし、なによりも彼女の性格からじゃ悪意しか感じない。……まぁ、そんなものはないんだろうけどさ。
とにかくここは知らないフリをするのが妥当だろう。
「その顔は知ってるって顔だな。知らないなんて言わないでしょーね?」
……これは、どうも逃げられそうにない。
「翔無先輩に……ていうか、翔無先輩は俺のことが好きらしいです」
その瞬間、俺は世界から音が消えたのではないかと錯覚してしまった。無音になったのだ。足音も己の鼓動も聞こえず、あるのは頭を刺すような痛みだった。
だが音が消えたのというのはただの語弊で、聴覚がその役割を放棄しただけのことだった。
それを理解したとき、俺の意識は一瞬だけ飛んだ。
「それは本当なのか!? 雪音がお前に惚れた? そうだったのか。あの雪音がお前に惚れるなんてね。でも自分で言ってて恥ずかしくない?」
こうなったのは来夏先輩の奇声が原因か。ふざけんな、耳がキーンとしちまったじゃねぇか。
つーか恥ずかしくないわけないだろ。こんなこと言って平然としてられんのは正真正銘の自惚れ野郎くらいだっての。
「で、お前は雪音のことどう思ってるわけ? って訊くまでもないか。あの可愛い雪音に惚れられて好きにならないわけがないだろ」
「いや、別に好きになってないですけど」
即答してやると来夏先輩はやれやれ、と額に手をあてた。
「そんなに高みばかり目指してると、手に入るものも手に入らなくなるよ?」
いいんだよ。俺には真宵後輩がいるから翔無先輩を好きにならなくても。
だいたい俺はちゃんと真宵後輩のことが好きだって明言してるはずだ。
「それにしても……いつになったら着くんですかねー」
歩き始めてからだいぶ時間が立っているが同じ景色が続くばかりで、一向に出口が見当たらない。そう簡単に見つかるとも思ってはいなかったが、ここまで代わり映えがないと出口がないのではないかと思えてくる。
しかも進むにつれて腐敗臭がひどくなってくる。つまり腐敗してる真っ最中ということだ。
そのうち生きてるのも出てきそうだ。
「ねぇ、かしぎくん。いま、生きてるのも出てきそーだとか考えたりしやがった?」
「……まさかー」
「だったらなんで棒読みなんですかねー」
俺と来夏先輩は立ち止まると、闇の向こうに意識を集中させる。
すると数メートル先に人の形をなぞったような光が視えてきた。肥満で太ったような体で、足を引きずってこちらに近づいてくる。
能力者、なのか?
そうであれば綺麗な透き通った線が体の外側をなぞっているはずだ。なのにこいつは薄濁った線をしている。こんなところになんの能力も持たない人間がいるはずがないか。
「なんか近づいてきてるな。先手必勝、こっちから仕掛けるってのも悪くないんじゃないか」
「そうですね。なら、いきましょうか」
再び天剣を復元させて左手で構えると、歩む速度を上げていく。来夏先輩が後ろに来たことを確認すると地を蹴りだし、そいつに思いきり飛びかかった。
上段からの振り下ろしは的確にそいつの鎖骨を捉え、ひと息で両断する。体を捻って背後に回ると、立て続けに両足を切断した。
体勢を崩したそいつは風船のように宙に浮かんだ。その大柄の体に天剣を力の限り突き刺し、思いきり地面に叩きつけた。
天剣は心臓を貫いている。間違いなく絶命したはずだ。
「お見事。すごい動き。暗殺者みたいだ」
「やめてもらえませんかね」
元勇者が暗殺者に転職っていろいろとやばいだろ。
柄を逆手に持って天剣を死体から引っこ抜く。
「……っ!?」
俺はとっさに後ろに飛んで距離を開けた。
「……すみません来夏先輩、あれ、いま動きましたよね」
見間違えたのでなければ、地面に倒れているあの死体が動いたのだ。狙いをはずしたわけじゃないし、刀身から伝わってきた感触からして確実に貫いただろう。
それなのにどうして動けるんだ。
「動くわけないだろ。ちゃんと心臓ぶっ刺したんでしょ」
「そうなんですけど、こう……もぞっと動いたんですよ」
手振りであの死体がどう動いたか説明する。
すると来夏先輩がにやりと笑った。
「ははーん。もしかしてお化けが怖いとかいう人ですか? 殺しても動くのなんてゾンビくらいしか……」
もぞっ――死体が不自然に体を揺らした。
来夏先輩もそれをしっかりと見てしまったらしく、言葉の途中で固まってしまった。
「そういえば能力者のなかに、そんな感じのがいるって聞いたことあったっけなー」
「おいこっちを見ろ」
冷や汗を流しながら目を逸らす来夏先輩を睨む。
そんなことをしてる間にも死体はもぞもぞと動いている。今度は見間違いでもなんでもない。
「う、動いてるね。でも大丈夫でしょ。肩から腕を斬り落としてるし、両足だってないんだから動けないはず……」
「でもゾンビって欠けた部分をくっつけると、くっついたりしますよね?」
「……嫌なこと言わないでもらえますかねー」
あからさまに非難するような来夏先輩の視線から逃げ、改めて死体を見る。
いつの間にか腕と両足がくっついて立ち上がっていた。なんかものすごくこちらを見てる。視線で人を殺すって言うけど、あれだと腐ってきそうだ。
「……くっついてる? いつの間にかくっついてる? え、なに? ワンカット変わっただけでくっついちゃうの?」
俺は気味が悪いということで顔を引きつらせた来夏先輩とは別の意味で顔を引きつらせた。
「来夏先輩、絶対に前にでないでください。あのタイプはまずい」
冗談抜きであれはかなりまずい。こんな狭いところで全力も出せないのに、生きる死体と戦うのは分が悪すぎる。
その強さは俺が身をもって体感している。
「生きる死体の場合、殺すんじゃなくて動けなくすること。もしくは完全滅却、燃やしきるのどっちかです」
「お前は燃やしたりできねーわけだ」
「低温発火くらいならできますけど、いまは無理ですね」
そうするくらいなら凍らせて動けなくしてやる。
天剣を抜刀術の型で構える。斬り刻んだとしてもどうせくっつくんだ。大技を使って派手にやるのも危険だし、直で斬って凍らせる。
「なら私の出番ってわけですかねー」
「邪魔だから引っ込んでて……いたっ」
言葉を遮るように後頭部を平手で叩かれた。
「少しくらい私に出番があったっていいでしょーが。お前はすっこんでなよ」
来夏先輩は髪を翻して俺の前にでると、ゆっくりとした動きで近づいてきている死体にゆるりと手をかざした。
その動きは俺に魔王の存在を思い出させた。異世界で最後に戦った、最強を体現したような女。
どんなやつと戦ってもいいが、できることなら魔王とだけはもう戦いたくない。あのとき勝てたのだって偶然みたいなもので、もう一度戦かっても勝つどころか生きているかどうかさえわからない。
実力は全盛期のころで互角だ。いまの俺など相手にならないだろう。
「見ておきなさい。こいつが私の超能力だ」
手首を捻りながら、その手のひらを閉じた。
「ぐ、ごががが……!」
死体がおおよそ人間の声帯から発することのなさそうな、怪物じみたうめき声を漏らした。
「ほら、抵抗しないとすぐに終わっちゃうよー」
首が死体の意思に反して捻れ曲がっていく。死体ということもあって反対側に捻れても死体は動きを止まらない。必死にもがき、攻撃しようとしている。
トラウマに残りそうな光景を前にして来夏先輩は、ただ楽しそうに笑っているだけだ。
「つまんない。死んじゃえ」
と、来夏先輩は右手を軽く振った。たったそれだけでゆっくりと捻れていた首がぐりん、と捻り切られた。
血はでない。体から捻り切られた頭部が石造りの床に落ちて、鈍い音を辺りに響かせた。
「あっ、死体だから死なないんでしたねー。どうせくっつくんだったら、いろんなところ捻り切ってあげましょーか」
今度はさらに小さな動作だった。指を鳴らしただけであらゆる部位が捻れ、そして有無を言わさずに切断されていく。立て続けに響く気持ち悪い音に顔色ひとつ変えず、来夏先輩は無感動にバラバラになった死体を見下ろした。
「うわ、まだ動いてる。気持ちわるぅ」
俺としては、こんなことを平然とやってのける来夏先輩の方が気持ち悪い。
「さて――と」
来夏先輩は罰が悪そうに口元をひくつかせながら、
「なんか……増えたみたいなんだけど」
前方に群がる死体を指差しながらそう言った。
この先にもゾンビみたいな能力者がいることはなんとなく予想していたが、いまの騒動で一斉に出てきたのだろう。どれだけの数がいるのか。通路を埋め尽くす死体の群れにおもわず後ずさる。
「かしぎくんは、あれ全部を倒すなんてことは……できないわけないよね?」
「できないことはないですけど……」
低い声で唸る。
「ないですけど?」
「死体一体にかける時間を四秒だとすると、あそこにいるのは目算で三〇たいくらい。一二〇秒間、つまり二分間の全力運動でどうにかできる計算なんですけど、それは空間が限定されていないときの話です。ここでやるとなると、その倍はかかります」
「よーするにできるってことで」
この先輩はすこぶる気楽に言ってくれる。
ゾンビのような不死は殺せば死ぬわけじゃないから、動けなくしなければならない。それを四秒でやるっていうのは最低の目安だ。その間にどうにかしなければこちらが攻撃を受け、なし崩しになぶり殺される可能性がある。
全力でやらなければならないというのも厄介だ。どんな運動にも適度な休息があるから持続できるもので、たった四分間でさえ全力で動くのは負担が大きすぎる。
「はっ――」
小さく息を洩らし腰を低く沈める。抜刀の姿勢のまま踏み込むと天剣を横に薙ぎ払い、数体を蹴散らした。そのまま天剣を引き戻し、下段からの振り上げで襲いかかってきた死体を切り裂く。上半身が吹き飛び、崩れ落ちるように倒れるそれを蹴り飛ばし、瞬く間にさらに数体を地に伏せさせた。
重心を移動させる。両手に剣を持つ剣士なら踊るような数による斬撃のおかげで隙はほとんど生まれないが、俺のような片手持ちの剣士ではどうしても攻撃と攻撃の繋ぎ目にわずかに隙ができてしまう。ゆっくりとした動きの死体にそれを悟られることはないだろうが、長年のくせでつい体を横にスライドさせていた。
しかしそれが仇となった。足を移動させた先に来夏先輩が最初に捻り切った死体の腕が転がっていたのだ。それに気を取られてしまい、生まれた隙に死体がこぞって攻めてくる。
「ちっ……!」
舌打ちの音は死体の放つ雑音に描き消された。
氷系統の波動を無作為に放出させ、でたらめに矛先を向けた。ただでさえ寒い通路の温度を著しく低下させ、壁を天井を、なにもかもを凍結させる。すんでのところ死体を凍結させ、被さるように目の前に立っていた一体を天剣の柄尻で殴り、決壊させた。
バックステップで距離を稼ぐと、一拍だけ置いて死体の群れの真ん中に飛び込み、風車のように体を回転させる。氷系統の波動を孕んだ刀身に斬られた死体はその傷から全身を氷に捕らわれた。
――これで三〇秒。
思いのほか早い展開だ。死体が増える様子もなく、これならば予想の半分もかからない。
刀身についたどろりとした液体を左右に振り飛ばすと、正眼に構える。
と、構えたところで俺はある変化に目を奪われた。
壁を覆っていた氷がが溶け始め、その水で床を濡らしていたのだ。それだけでなく、下がり続けていた温度が上がってきている。
「……なんだ?」
構えを解いて死体が並ぶさらに奥、突如として燃え上がった炎に体を強張らせた。
すぐに離れた場所に二つの炎が灯る。それを皮切りに、たちまち歩いてきた通路まっすぐに炎の道ができ上がった。
「東雲さんか?」
炎を扱う能力者にはその人しか心当たりがない。
しかし返ってきた答えはまったくの見当外れだった。
「私を東雲のような中途半端な炎使いと一緒にしてもらっては困るな」
死体が両端に寄り、道を開けた。
ずかずかとブーツの底を鳴らしてやって来たのは、軍服に身を包む赤髪の女性だった。
褐色の肌にはいくつもの傷が刻まれ、獅子のように鋭い瞳は異様な光を放っている。腰から下がる銃は間違いなく飾りだろう。汚れひとつない銃身ではあるが、手入れをしている様には見えなかった。
「貴様らが九重の言っていた二人か。ふん、どちらも餓鬼ではないか」
手近にいた死体の頭を鷲掴みにすると、溢れ返った炎が塵も残さずに燃やし尽くした。
火力は東雲さんを格段に上回っている。触れればただでは済むまい。
「私は九十九揺火だ。九重に言われて貴様らを迎えに来た――が」
膝を折り曲げた揺火は、ロケットスタートの要領で距離を詰めてきた。同時に振り抜かれる荒々しく盛る炎の双腕。天剣を斜めに構えて受け止め、跳ねるようにして後退する。
刀身を震わせた衝撃が腕に残っていた。痺れにも似た痛みは感覚を鈍らせ、柄を握る感触を失わせていた。
「なるほど、さすが東雲を打ち倒しただけのことはある。どうやら、私では貴様を攻めきれそうにはない」
だが揺火は戦意を消そうとしない。
俺の後ろにいる来夏先輩を見据えると、小さく構えた。
「しかしそっちの女はどうだ? 九重の話によれば我々にひけを取らないらしいが、私の目で直接確かめさせてもらおうか!」
揺火は俺の脇を通り抜け、来夏先輩に襲いかかった。
「捻れて曲がって死んじゃえ雌豚が」
周りの空間が不自然に歪む。揺火の伸ばした右腕が捻れ曲がり、メキメキと悲鳴をあげた。このまますれば死体のように腕を捻り切られただろうが、それよりも早く揺火の左腕が来夏先輩の首を捉える。しかし来夏先輩は屈むことでやり過ごし、爪先を振り上げた。素早く右腕を引き戻すとそれを受け止め、来夏先輩を突き飛ばした。
地面にぶつかる手前で体をぐるりと回転させた来夏先輩は、腕の調子を確かめる揺火を見て舌を打つ。
「おいてめぇ、いきなり出てきてなんなんですかー? つーか九重に頼まれたってなにをだよ」
「ん? 聞いていないのか?」
来夏先輩から視線をはずした揺火は俺に訊いてくる。
首を横に振って聞いていないことを伝えると、揺火は呆れたようにため息を洩らすが、同時にうっとりしたように頬を染めた。
ぽかんとその様子を見ていると、揺火ははっとして緩んだ頬を引き締める。
「九重が貴様らをここに落としたのは一葉を助けるために必要だったからだ。しかしここは広い。道も知らぬ貴様らでは脱け出すことはできないだろうからと、迎えに行くように頼まれたのだ」
揺火の言葉が続く。
「だが、貴様らが本当に一葉を助けるのに値する実力なのかどうか、それを見極める必要がある」
「九重のことが信用できないってこと?」
「そんなわけがないだろう!」
「ならばどうして見極める必要がある。九重を信用しているなら黙って従ってろよ。どこかしらに疑うべきところがあるから、こうやって自分の目で見たかったんじゃねーのかよ」
「……っ!」
思いがけない来夏先輩の反撃に、赤髪の獅子は言葉を詰まらせた。
猛禽類のような目で睨み付ける揺火は二、三度大きく息を吐き吸いし、気持ちを自制させる。
「貴様らは『あれ』がどれほどのものか知らない。だからそのようなことが言えるのだ。いくら九重を信用しているとはいえ、己の目で見なければ安心できないこともある」
「……ようは我が身が惜しいってことでしょーに」
ぼそりと呟いた来夏先輩は、俺が対処し損ねた死体を不可視の螺旋でバラバラに捻り切った。
気配を探って生き残った死体がいないかを確認する。だがこいつらは生きた死体だ。たとえ動けなくしても生命活動を停止させられるわけではないので、かなりの数の気配が感じ取れる。
「安心しろ。ここにいるやつらはもう貴様らは襲わん」
俺たちに背を向けた揺火はそう言った。
視線だけを投げかけてくる揺火は、無言でついてこいと催促しているようだった。
しかし俺はまだ揺火への疑念を拭いきれない。いきなり襲いかかられるのにはなれているが、それを差し引いてもこんな場所で会ったことで疑わずにはいられない。
来夏先輩に至ってはやられっぱなしなのだ。これといった説明もされていないのに、敵かもしれない人間についていくことに抵抗を覚えた。
地面すれすれに下げた天剣に目がいく――。案内してもらわずともいずれは出口にたどり着くだろう。わからずとも、落ちてきたところから上っていけばいい。――ならば、隙だらけの背中を斬りつけて絶命させるのが現状、俺がもっとも信じられる選択だ。
「貴様ら、かしぎと来夏といったな」
いつまでも動こうとしない俺たちに業を煮やしたのか、振り返った揺火は驚くべき行動にでた。
「……頼む。九重や一葉を助けるために、ついてきてくれないか」
深々と頭を下げてきたのだ。
「私だけでは、あいつらは救えないのだ」
「…………」
こんな姿を見てまで、それが隙を作るための布石だと思ってしまう自分に嫌気が差す。
そうやって罠に填められ、殺されかけたことだってある。おそらく俺が真の意味で信用できるのは、この世でひとりくらいしかいないだろう。だからどうするべきか迷ってしまう。
俺は相手が信じられない。どんなやつにも裏があるのではないかと思ってしまう。
俺は揺火の脇を通り抜けて先に進む。
「早く行くぞ。いつまでもこんなとこにろいてたまるか」
……そんな自分を変えるためにも、信じてみるのも、悪くないかもしれない。
しばらく揺火の先導で歩いているが、まだ上にいけそうにはなかった。
その間はやることもなかったため、なぜ九重が俺たちをわざわざ東雲さんたちから引き離すようなことをしたのか、それについて教えてもらった。
理由はどうあれ、納得できなかったのは隠しようのない事実ではあるが。
「さっきの死体はなんだったんだ? 見たところ能力者ってわけでもなさそうだったけど」
「貴様がそのことを聞いても気分が悪くだけだと思うぞ」
それでもいいのか、と前置きした揺火の言葉に俺はたっぷりと時間をかけたあと、こくりと頷いた。
「あれらはある能力者を作ろうとして失敗した成れの果てだ。不死――それだけでどんな能力を言っているか、わかるだろ?」
不死の能力者。その成れの果て。それはすなわち『吸血鬼』になることができなかった者たちの末路なのだ。
柊詩織――九十九詩織の糧となった贄たち。
「能力的には中途半端なものだ。ほとんどが不死性だけは発現させたが、その他についてはからっきし。スキルドレインもなければ超回復もない。それに見てわかったと思うが、強大であるがゆえに自我すら崩壊している。詩織が『吸血鬼』となれたのは偶然だったのだ」
「……そうか」
「あの『吸血鬼』もどきを処分するのは我々にも難しくてな。炎を扱える私だけが倒しきることができるからと、この『失落牢』の管理を任されている」
本能的に危険を感じているのか、たびたび見つける死体――『吸血鬼』もどきは自我がないにも関わらず逃げるように去っていく。
さっきまでの戦いはなんだったんだ、と拍子抜けしてしまうほどだ。
「でも、どうして『吸血鬼』として完成に近かった柊を追い出したんだ?」
「それは私にもわからん。一葉が――正確には一葉に命令した『あれ』がやったことだ。『吸血鬼』にしろ、一葉が望んだことではないだろう」
この失落牢にいる死体を見る限りだと、『吸血鬼』はそう簡単に生み出せる能力者ではないようだ。柊ほどの完成度であれば手放す理由がない。
ならばなぜ手放したのか。
もしくは最初からそうするのが目的だったのかもしれない。なにを目論んで行動かは定かではないにしろ、ともすれば柊を『あれ』に近づかせるのは危険だ。
自然と足を動かすのが速くなる。
「私たちのやるべきは九重が一葉を助け出したあと『あれ』の相手をすることだ。超能力の類いはやつには通用しない。しかし援護くらいはできるだろう。かしぎが前衛となり、私と来夏が後衛をやろう」
適当に相槌を打つと、通路の奥に出口が見えてきた。
俺は天剣を下段に構えると猛然と地面を蹴り、凄まじい加速力でスピードを上げていく。焦燥感から来るものなのか、胸の奥から不安が押し寄せてくるそれが原動力となっているようだった。
長い階段を駆け上がり、その先にそびえ立つ鉄の扉を天剣のひと振りで吹き飛ばす。
見渡すと、上へと繋がる階段が部屋の隅に設置されているのが窺えた。外観から察するに、まだいくつかのフロアを登らなければならないのだろう。
「いきなり走らないでよ、追いつくのに苦労するだろ。だいたい、かしぎくんが急いだところで九重が一葉ちゃんを助けてなかったら意味がないでしょーが」
「……そのときはそのときだ。柊を『あれ』に会わせたらだめな気がする。急がねぇと」
俺が来夏先輩の忠告を無視して階段を踏んだ――その瞬間。上のフロアから爆発でもしたような轟音が鳴り響いた。顔を見合わせた俺たちは一目散に最上階に向かう。
そこで見たのは、変わり果てたのであろう一葉の部屋だった。壁のところどころが砕け床は陥没し、天井などは見る影もないほどに爆散している。戦いの痕跡とは若干の差異があることに疑問を覚えたが、それはすぐに解消された。
東雲さんと九重が倒れていたのだ。間違いなく『あれ』と接触し、そして戦いになる前に敗北した。
しかしそれならばどうして――
柊と一葉が、ここにいないんだ。