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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第五章〈九十九騒乱〉編
59/132

5―(8)「秘密」


 翔無は徐々に薄くなっていく意識のなか、昔のことを思い出していた。浮かんでは消えていくこれは、おそらく走馬灯というやつだろう。

 まさか自分が体験するとは思っていなかった。

(これは……うん、子供のときの記憶だね)

 少しずつはっきりしていく光景に、翔無はそう判断した。まだ細部まで見えるわけではないが、ある人物がいる時点でそれを子供のときと判断するには十分だった。

『雪音はぬいぐるみさんが大好きなのね』

(母さん……)

 六年前に双弥によって殺された母親が、そこにはいた。

『知ってる? ぬいぐるみさんには意識があるの。自分たちのことを大切にしてくれるお友達に、恩返しに来てくれるのよ』

『おんがえし……?』

『ええ。だから雪音もぬいぐるみさんは大切にしてあげなさい。きっといつか、あなたに恩返しに来てくれるわ』

 そう言って柔和に笑った母親の顔は泡となって消えていった。いまとなっては無意味な話だ。人形を大切にしていても、恩返しに来てくれるなんてことはない。

 だけど翔無はなんとなく人形を大切にしてきた。母親に言われたこともあったが、自然とそうしていたのだ。

(くそ……母さんさえ出てこなかったら、もう寝てもよかったんだけど――)

 顔面に迫る双弥の拳を力だけ受け流し、すれ違い様に鳩尾に膝を入れる。予想外の一撃に双弥は反応しきれず、初めて体勢を崩した。

「――まだ眠るには早いのかもね!」

 チャンスとばかりに翔無は連続でテレポートを仕掛け、死角から死角へて消え移る。

 怒りはまだ頂点に達したままだ。だがそれは内側に納め、一撃するときに爆発させる。

「いまのはちょっと驚いたよ。だけどそれで冷静さを失うほど、俺も甘くねぇよ」

 翔無の拳撃を受ける直前に自身をテレポートさせ、真上に現れる。

「そろそろおしまいだ。これ以上やるとまずい気がするんでな」

 双弥の周りに鉄パイプが出現した。その数は翔無を串刺しにするには多すぎる量で言葉通り、おしまいにするつもりだ。

 だが双弥が動くよりも早く、その鉄パイプが撃ち落とされていく。鉄パイプはしばらくしてから落ちた音が聞こえた。

「ご無事でしたか?」

 瓦を割りながら、ひとつの影が翔無の前に落ちてきた。

「? どうしてここに……?」

「暇でしたので」

「あ、そう」

 気の抜けた『ASAMI』ちゃんの返事に翔無も気が抜けてしまうが、ちょうどよく肩の力も抜けていた。

「今度こそ、あれは侵入者という扱いで問題ありませんね?」

 つい三日前に間違えたこともあり、『ASAMI』ちゃんは控えめに翔無にそう訊ねた。

「うん――だから一緒に行こうか、『ASAMI』ちゃん」

「了解。先行します」

『ASAMI』ちゃんは両腕から刃を伸ばし、背中から銃器を展開したまま、突如として姿を消した。

 テレポートの類いなら双弥も反応することができただろう。逆に単純な機動力だけの速さとなると、点の移動になれていただけに反応が遅れた。

 後ろに回り込んだ『ASAMI』ちゃんの刃が双弥の肩口に触れる。紙一重のタイミングでテレポートした双弥は右の頬に衝撃を感じた。

「ボクを忘れてもらっちゃ困るよ!」

「くそめんどうな……っ!?」

 首を捻って衝撃を流したが、次いで加えられた衝撃に体が吹き飛ばされる。『ASAMI』ちゃんの拳が双弥の頬に突き刺さったのだ。

 きりもみ状に回転していく双弥との距離を詰め、『ASAMI』ちゃんは両の刃を突き立てるように振り抜く。

 しかしその刃は不自然に消え去る。

「……?」

 不可解な現象に『ASAMI』ちゃんが首を傾げている間に、双弥が不敵に口元を歪めた。

「あんたは人形だ。プログラムされた事象とはかけ離れたことには対応ができない!」

「それがどうかしましたか?」

『ASAMI』ちゃんの無機質な言葉は、痛みとなって双弥の体を貫く。脚部から飛び出るように展開された銃が、太股を貫通したのだ。

「対応できないならば、できる範囲で計算するまでです。私はそういう風にプログラムされていますから」

「ぐ……っ! どうやら、あんたを優先的に潰した方がいいのかもしれねぇな!」

『ASAMI』ちゃんから距離を置いた双弥は、先ほどの鉄パイプを周りに出現させる。それだけでなく、さらに鉄鋼などを出現させ、『ASAMI』ちゃんに降らせる。

(どうして……?)

 そこで翔無は疑問を覚えた。東雲の式神にやったように、あの鉄パイプを『ASAMI』ちゃんの体にテレポートさせればそれまでだったはずだ。にもかかわらず真上にテレポートさせ、それに対応させようとしている。

『ASAMI』ちゃんの銃器類が落下物に向けられる。一斉に火を噴いた銃器類の弾丸は落下物に着弾し、夜の闇を照らした。

(そういうことか……!)

 翔無は双弥の意図に気がついたが、すでに遅かった。

「あ……」

『ASAMI』ちゃんの心臓部となる部分に刃が突き刺さっていた。機動力となる心臓部が破壊された『ASAMI』ちゃんは、膝から崩れ落ちるように機能を停止させる。

 これこそが双弥の狙いだ。人間と違って機械は心臓部を破壊しても、それを取り替えてしまえばすぐに起動する。だから双弥は心臓部を破壊したのちに、外殻も破壊しようと考えたのだ。

「『ASAMI』ちゃん!」

 翔無はテレポートして助けようと考えた。しかし翔無の空間移動はひとりにしか使えない。もし誰か一緒にやろうとすれば、能力は不発動に終わるのだ。

 ならばどうすればいい。このままでは取り返しのつかないことになる。

 それだけはどうにかしなければならなかった――母親の外見を形取っている『ASAMI』ちゃんを、母親の二の舞にしてはいけない。

『だから雪音もぬいぐるみさんは大切にしてあげなさい。きっといつか、あなたに恩返しに来てくれるわ』

 母親の言葉が突然に思い出された。

(恩返しに来てくれるって? それなら、いま来てくれよ……! 『ASAMI』ちゃんを助けてよ!)

 刹那――翔無のなかでなにかが割れる音が聞こえた。

 殻を割り、雛は産声をあげる。

 この世に生を受けたことを当たり前に思い、当然のように生まれた小さな生命は、その好奇心ゆえに見たものに食らいつく。


「……来た」

 いきなり頭を抱えて唸りだした翔無と、いまにも破壊されそうになる『ASAMI』ちゃんを見、八雲は楽しそうに声を上げた。

 もう我慢できなかった。東雲の肉体はたった数分の時間だったが、ある程度なら戦えるまでに回復している。

 両手両足を揃え、飛び出す構えをとる。

「待ちなよ東雲くん」

「待てるわけないやろ! あの二人が死にかけとんのに黙ってろって言うんか!?」

「落ち着けって。大丈夫、雪音が本来の能力を取り戻した――否、上書きされたキャラ設定を思い出したからねぇ」

 八雲が話す先では、東雲がどれだけ急いでももう間に合わない距離まで鉄パイプが落ちてきていた。

 だが、その鉄パイプが『ASAMI』ちゃんを破壊することはなかった。

「は……? なんや、これ」

 目の前の光景を東雲は信じられなかった。それは双弥だって同じことだ。いや、どちらかと言えば呆けていると言った方が正しいのかもしれない。

 それもそのはずだ。鉄パイプを残さず受け止めていたのは、小さなぬいぐるみだったのだから。ファンシーな見かけからは想像できないような怪力で、ぬいぐるみたちは鉄パイプを受け止めている。

「な、なんなんや……?」

「あれが雪音の能力だよ。テレポートなんてただの後付けにすぎないのさ」

 ぬいぐるみは鉄パイプを双弥に投げつけると、なんの脈絡もなしに距離をゼロにした。完全に虚をつかれた双弥だったが、テレポートしてぬいぐるみから距離を置く。

 だがそれでもこの数だ。敵を間合いに入れる場所にテレポートするのでは、確実にぬいぐるみの攻撃範囲に自ら飛び込んでしまうことになる。

 ぬいぐるみの怪力は生身で受けるには強力すぎる。双弥の顔に焦りが見え始めた。

「『おんがえし』の能力」

「あれが能力やって言うんか?」

「そうだよ。『つるのおんがえし』は知ってるかい?」

「……助けた鶴が絶世の美女になって、助けた主人公に恩返しに来る話やなかっか?」

「そのくらいの知識があれば十分だ。あの能力はそれから派生したようなものさ。幼少期から大切にしてきたぬいぐるみには、いつしか主人に対する『おんがえしをしたい』という意思が生まれた」

「ぬいぐるみ言うても無生物やで?」

「バカだな君は。どんなモノにも意思は宿るものなんだ。文字には意思だけじゃなくて魔力も宿っているというくらいだしね。僕は魔術は信じていないけれど……えっとどこの国だったかな」

「ちょっと待ちぃ」

 東雲は額に手を当てて辟易しながら八雲の話を遮る。

「……長くなるか?」

「雪音の戦いに決着がつくころには終わってるんじゃないかい?」

 そこで思わず「長い!」と叫んだ東雲は間違いではない。咳払いをして気を取り直して言う。

「あんたは心配やないんか? 娘のピンチやぞ」

 東雲の目は真剣そのものだ。真剣に問うているのに、八雲からはそれが微塵も感じられなかった。

「だから大丈夫だって。『おんがえし』が発動したんだ。使いこなすことができれば、彼くらいには勝てるはずだぜ」

「でも、二つの能力が発現すること自体が異例なんやで? 私かて二つ目を使いこなすまでには時間がかかったわ」

 東雲には『陰陽師』と後付けで発現した炎を操る能力が備わっている。いまでこそ遜色なく使うことができるが、そこまでになるまでかなりの時間がかかった。

 そもそも超能力とは生半可に使えるようになる代物ではない。二つ目が発現したとしても、それが死に繋がることだってありうるのだ。

「それについては問題ないよ。雪音の場合は空間移動が後付けで、『おんがえし』が本設定なのさ。ただ、いままで使ってなかったビハインドはあるだろうねぇ」

 気楽に言ってくれるが、東雲は不安で仕方がない。自分が守ろうとしてきた少女が目の前で危険に晒され、さらには能力による自爆すらあり得る状況で安心などできるものか。

 戦いの方は事実、翔無が優勢に見えなくもない。けれどそれがいつまでも続くとは限らないのだ。

 そして空間移動が上書きによって発現したものであるならば、上書きされた能力である『おんがえし』が表に出たいま、翔無の人格はどうなっているのだろうか。

 東雲は性格を無理やりねじ曲げ、歪曲させることで第二の能力を発現させた。ただ、それは自分が望んでやったものだ。

 しかし翔無雪音という少女はそうではない。

「それと……いまの雪音が過去の『ゆきね』を受け止めることができるかで、これからが決まるよ」

「どういうことや」

「能力が二つ。ひとつ目は雪音自身すら気づいていない。そして幼きころから能力があったにも関わらず、それを使うことは出来なかった。これでわかるかい?」

「……まさか」

 たったこれだけの言葉と状況だというのに、東雲はすぐにその結論にたどり着くことになった。

 もしこの予想が正しければ……

「『ゆきね』はね――殺人衝動の塊だったんだよ」


     ◇◆◇


 この物語は僕、翔無八雲の生来についての話になるわけだが、本来ならば語られることがなかった出来事であり、語ることもなかったはずの出来事なので、できれば内密にしてもらえるとありがたい。

 ……うん、どうやらいい返事がもらえたみたいだね。

 その昔、僕は殺人鬼だった。あり余る殺人衝動を抑えきれずに、何人も殺した。もちろんいまある『組織』なんてものはなかったからね、殺し放題だった。

 あのころはいま思い出しても……楽しいと思える自分がいる。けれどそれを苦に思ったことは一度もない。

 変わることができたからね。ある人と……いまは亡き翔無智香と出会うことができたから、僕はこうして飄々と生きることができている。

 まぁ、それでも僕の殺人衝動を抑えきれるかどうかと言われれば、もちろん抑えきることなんてできないよ。あっさり言いすぎかもしれないけれど、事実である以上は偽っても仕方がない。

 だから僕は、能力に殺人衝動を込めることにしたのだ。

 僕の能力は人形に命を吹き込むことだ。ただしそこには意思も考えもなく、ただプログラムに沿って動くだけのものだ。もしかしたら近未来では、僕の能力は科学として発展するかもしれないね。

 それはさておいて。

 そうすることで殺人衝動を分散させていた僕はいつの間にか、無意識のうちに自分の行動で自然と殺人衝動を込めるようにしていたのだ。

 ここまで話せば、鈍感な人でもわかってくれるかな。

 そう――僕は『ゆきね』を産んでくれた母親、翔無智香にわき出る殺人衝動を膨大に流し込んでしまったのだ。それだけならきっと、『ゆきね』がああなることもなかっただろう。

 僕と母……智香は相性がよすぎたのだ。肉体的なものではなく、能力なところでだ。

 能力を発現していない人間であろうと、そこには可能性が秘められている。智香の能力は僕の殺人衝動に適合し、スポンジが水を吸収するように、根こそぎ持っていった。

 智香の無害すぎる性格はおそらく能力にも作用していたのだろう。吸収した殺人衝動に惑わされることなく、生活し続けた。

 殺人衝動を内側に留めるのがどれほど辛いか、発信源である僕はよく知っている。あれを留め続ければいつか人格は崩壊し、死に至る。

 その予兆はあった。『ゆきね』の出産間近になって、智香の殺人衝動が溢れ出したのだ。しかしそれを発散することなく、『ゆきね』を出産した。

 それが『ゆきね』という二代目殺人鬼の誕生となった。


 幼きころの『ゆきね』は、いまのような誰かに無性に手を差しのべるような人間ではなかった。

 むしろその逆だ。僕から根こそぎ殺人衝動を持っていき、内側で増幅させたそれを受け継いだ『ゆきね』は、おそろしく残忍な性格をしていた。それでも無差別というわけでなく、生活するだけの常識は持っていた。

 だけどそんな『ゆきね』にも、唯一いまと同じ顔をして接するものがあった。

 智香とぬいぐるみだ。

 残念ながらその当時の『ゆきね』は同族嫌悪というものがあったらしく、僕にはまったくなつかないばかりか、僕を殺そうと夜襲を仕掛けてきたくらいだ。返り討ちにしてたけどね。

 いやでもあれは恐ろしかったね。自分があんなだったと想像するだけで、僕がどれだけの殺人鬼だったかが伺えるよ。なにせ形振り構わず、ありとあらゆる手段を使って、無意味無価値無感動に殺そうとしてくるんだ。

 僕はこれではまずいと思った。自分のことを棚に上げているようで気分はよくないが、それでも僕は『ゆきね』の父親だ。『ゆきね』にはせめて僕とは違う道を生きてもらいたかった。

 だから僕は――『ゆきね』を殺した。


 僕の能力というのは人形だけならず、命のないモノに新しい命を吹き込むというものだ。つまり死んだ人間に命を吹き込むなどということもできる。

『命』とはすなわち魂の宿るものであり、肉体はそれを肯定するもの。魂が違えば記憶はあれど性格が変わる。

 僕がしたことは人間として絶対に許されることではなく、都合のいいように改変しただけにすぎないのだ。どれだけ娘のためだと口で言おうとも、それはただの言い訳にすぎないのさ。間違いなく僕はろくでもない死に方をするだろう。

 能力によって生き返った――生まれ変わった雪音は『ゆきね』との記憶の食い違いに戸惑いながらも、いままで生きてきた。

 僕にいいようにされてきた雪音はこの戦いを経て、自らを確立するだろう。それによって僕が殺されたとすれば、それは当然の報いだ。

 目には目を。

 歯には歯を。

 罪には然るべき死を――ってね。


     ◇◆◇


 踊るように消えては現れる翔無と、即死級の力を持つぬいぐるみに囲まれた双弥は、予想外の苦戦に顔をしかめていた。

 ぬいぐるみには命がないだけに、どれだけ破壊しようと意味がない。どこかにテレポートさせたとしても、すぐに帰ってくる。翔無を直接狙おうとすればぬいぐるみが盾となるか、テレポートして距離を開けられてしまう。

 完全に打つ手がなくなっていた。

 わけがわからない。頭を抱えて呻き出したかと思えば、ぬいぐるみが現れたのだ。『ASAMI』ちゃんを破壊することができないばかりか、逆に追いつめられている。

 侮っていたつもりはない。だが、動くのが遅かった。

「ずいぶんいたぶってくれたねぇ。すごく痛かったよ」

 翔無は双弥との距離を保ちながら、さっきとは打って代わって余裕の笑みをこぼしていた。

「だけどそれは水に流してあげるよ。気分がいいからねぇ。こうやって誰かをまた・・誰かを殺せるなんて楽し、い……あれ。また・・、だって……?」

 翔無は記憶と経験に食い違いがあることに、違和感を覚えずにはいられなかった。それだけじゃない。さも当たり前のように使役しているぬいぐるみたちはいったいなんなんだ?

 こんな能力はなんなんだ? 記憶としても経験としてもこれが『おんがえし』だということは理解できている。

 なのに、なのにどうしてこんなにも馴染むんだ。

 ついさっきまで忘れていた。こんな能力があることを忘れていたのに、思い出した途端に違和感なく使っている。

(忘れていた……? 違う、ちゃんと覚えてる……なのに、どうしてこんなに馴染んで、違和感があって……)

 雪音と『ゆきね』が混同しつつある。翔無雪音と生きてきた記憶と、『ゆきね』として生きてきた記憶はまったく同じものだ。違うのは性格と殺人衝動の有無だけ。

 動悸が加速していく。身に覚えのある体が火照る感覚。三つ数えた先にある冷たい人体。なにもかもが『ゆきね』に馴染みのあるもので、翔無にはわからないものだった。

(ボクは一度、父さんに殺されている。不思議としっくりくる。でも……納得はできない)

 どうして『ゆきね』の幸せを奪ったのだ。殺人衝動を抱える『ゆきね』の幸せを尊重することは、殺人鬼を作り出してしまうことに直結するのだろう。

 だからといって、それを奪う権利は誰にもない。ましてや自分が失敗したからといって、娘まで失敗するとは限らない。

 親として最善を尽くしたつもりになっているならそれは間違いだ。八雲は『ゆきね』の幸せを奪って、雪音という『ゆきね』にとっての邪魔者を作り出してしまっただけなのだ。

(なら一緒にいこう。ボクと君は同じだ。だから――あいつを、母さんを殺したあいつを殺したいんだよ)

 翔無は息を吐き出す。ごちゃごちゃ考えるのは終わりにしよう。脈絡のない物語の展開に頭を悩ませるのも終りだ。いまは、自分がやりたいことをやるのみだ。

 両手を広げ、指揮者のように腕を振る。

 ぬいぐるみたちは一斉に動き出した。指揮者を得た演奏家たちは様々な音色で音楽を奏で、観客を楽しませると同時に、自分たちも楽しむのだ。

「あんたはなんなんだ!? こんなのあり得ねぇだろ!」

「あり得るんだよ。主人公でなくとも、主要キャラならピンチに力が開花するっていうのがあるだろう? まさに王道な展開だけど、それが視聴者を魅了するのさ!」

 双弥は複数のぬいぐるみを消し去ると、目の前に現れた翔無に一歩だけ後ずさる。計算違いもいいところだ。こんな相手に勝てるわけがない。

 こんな化物は『九十九』にいたってそう簡単に見れるものじゃない。

「ボクはお前を殺す。母さんを殺したお前は、ボクの殺人衝動をもって殺し尽くしてやる!」

 翔無は『ゆきね』らしい笑みで拳を握る。

 ぬいぐるみも双弥に詰め寄せ、あと一歩で止めというところで……

「……っ!?」

 能力が分散していく。感覚として使えていた能力が、なくなっていく。

(まさか、ロスト……っ!?)

 翔無と『ゆきね』は同じ人物だが、究極的に相反する二つだ。しかも能力が二つというなれない状況でフルに使おうとすれば消失現象――ロストが起こってもなんら不思議はない。

 気がついたときには、双弥の拳が目の前にあった。


 翔無の体が空中に打ち上げられた。

「あー……やっぱりこうなっちゃったか」

 頭を掻きながら八雲はこともなさげにそう言った。

 そんな八雲に東雲はもう我慢できなかった。足裏に炎が集束していく。

「もうあんたがどう言おうと、私は行くからな」

「勝手にしなよ。ただ邪魔はしないようにね。主人公ヒーローが助けに来たみたいだからさ」

 東雲がはっとして顔をあげると、そこには勇者の姿があった。


「翔無先輩!」

 天剣を携えた冬道が、翔無に迫っていた双弥にそれを振り下ろした。テレポートをされ、かすりもしなかったものの翔無から離れさせることはできた。

 乱れた息を整えながら、冬道はこの惨状を見渡す。

 痣だらけの東雲と血だらけの翔無。さらに心臓部に刃が突き刺さっている『ASAMI』ちゃんを見て口を開いた。

「緊急事態だっていうから駆けつけてみれば、マジで緊急事態だったみてぇだな」

「かっしー……」

「こっからは俺に任せてくれ」

 敵の能力も聞かずになにを言うのだろうと、翔無は呆れる。この男は自分が負けることなど到底考えていない。

 高慢にして傲慢な、絶対の自信を持っている。

 それでいて、優しさもあるのだ。

 どうやら自分はどう足掻いても主人公ヒーローにはなれないらしい。せいぜい、特別な力を持つ脇役キャストになるのが関の山だ。

 こいつだけは殺さなければならない。でも、死んでやるわけにもいかないのだ。

 だから、彼にいいところは全部譲ってやろう。

「……任せたぜ、後輩」

「任された、先輩」

 お互いの拳を軽くぶつけ、冬道は双弥に斬り込んだ。


     ◇◆◇


 駆けつけてみたのはよかったのだが、戦いは意外なことにあっさりと幕引きになった。

 どうにも俺が来る前に翔無先輩に追いつめられていたらしく、また戦力が増えたことから撤退せざるを得ないようだった。

 テレポートする相手を追いかけるなんていう離れ業をするほどの力はいまはないので、仕方なく見逃すこととなった。

 そしていまは翔無先輩と八雲さんが話しをしているところだ。

 だいたいの事情は東雲さんから聞いている。翔無先輩の部屋で見たあの写真の正体を聞いたときには、かなり驚かされた。

「まさか翔無先輩にそんな裏設定があるなんてな」

「裏設定言うなや。そんな言葉で片付けていいようなことやないで」

「そうだな。まぁ、俺には関係ない話だ」

「まーたそないなこと言って」

「俺が割り込めるような話じゃないだろ。こんな複雑な話になんかついていけねぇよ」

『九十九』のことだけじゃなくて真宵後輩のことだってあるのに、そこまで背負い込んだらさすがに潰れちまう。つーか関わる必要ねぇし。

 それに本当なら『九十九』ことだってどうでもいいんだ。真宵後輩のことが気になりすぎて、なにかに集中してないとと頭のなかがいっぱいになる。

「かしぎは藍霧真宵のことでいっぱいいっぱいみたいやな。そないに好きなんやったら、告白したらええんとちゃうんか?」

「……それもいいかもしれねぇな」

「マジでか!?」

 なんでそんな驚くんだよ。話題を振ってきたのは東雲さんの方だろ。

「それはさておいて」

「さておいてええ話題なんか!?」

 東雲さんの食いつきが半端じゃないんだけど……。

「静かにしてろよ。あっちで大切な話ししてんだろ」

「私らが聞いてええ話しでもないと思うんやけど」

「それも、そうだな。んじゃ『ASAMI』ちゃんも動けないみたいだから、俺たちで家んなかに連れていくか」

「私も怪我人なんやけど?」

「うっせぇ。それくらいならできんだろうが」

 俺にはそんな仮病は通用しません。無理やり東雲さんを連れ出し、二人の邪魔にならないように『ASAMI』ちゃんを背負い、屋根から降りる。

 八雲さんの部屋に『ASAMI』ちゃんを寝かせると、その場に座り込んだ。

「せっかく風呂入ったのに汗でべたべただ、くそ……」

「汗でべたつくのとあいつが死ぬんどっちがええんや?」

「んなもん汗でべたつく方がいいに決まってんだろうが」

 そんな当たり前のこと聞かれても困るっての。

「でも、翔無先輩が一回死んでるって……」

「私もさっき知ったんやけどな。せやけどあれは嘘言ってるわけやない。雪音は一回、ホンマに死んでるんや」

 実際に目にしたって信じられるものではない。けれど、これで幼少期の翔無先輩の写真といまの翔無先輩との雰囲気の違いにも説明がつく。

「私は八雲のやったことにどうこう言える立場やない。せやからなんも言わんけど……」

「それが間違いかどうかは、翔無先輩が決めることだ」

 過去がどうあれ、俺が翔無先輩に対する態度が変わるわけではない。

 つーか、一回死んでるとかどうでもいいし、とんでもない展開になったもんだよ。


     ◇◆◇


「彼が気を聞かせてくれたみたいだね。いい友達を持ったみたいで嬉しいよ」

 八雲は翔無に労いの言葉をかけるでもなく、ただそう切り出した。

「そうだね。ボクが生きてきたなかでは、最高に最高な友達だよ。彼に会えて幸せと言ってもいいくらいだ」

 それに対して翔無も傷だらけの体を庇いながら、淡々と返事をする。

「好きなのかい?」

 八雲の言葉に、翔無は「まさか」と肩をすくめる。

「ただの後輩だよ。それに彼には好きな人がいるからねぇ。ボクなんかが入ったら大変なことになるよ」

「雪音は可愛いんだから、そんな卑屈になることもないんじゃないかい?」

「……ボクじゃなくて、『ゆきね』の方だろう?」

 さすがの八雲も翔無の言葉には押し黙るしかない。

「それにしても驚いたよ。ボクにこんな秘密があるだなんてねぇ……知らなかったよ。それもそうだよねぇ。まさかお前は殺した『ゆきね』の代わりに用意した人格だ――なんて、言えるわけがないからねぇ」

「…………」

「だけど納得がいったよ。思い出や体験した記憶があるけど、それらに実感がないのはこういうわけか。誰か別の視点で見たものを再生してるみたいで、生きている実感がなかったんだよ」

 血だらけの手を開閉する。自分の思うがままに動く。

 でもいつも実感がないと感じていた。土台があやふやなのだ。借り物の土台で生きてきたのだから、それもそのはずだろう。

「なんで彼女を殺したんだい?」

「言っただろう? 僕みたいな道を歩ませないためさ。昔と違っていまは能力者による殺人は『組織』によって取り締まられている。保護なんて名目で能力者を匿っているけど、じゃあ殺人鬼となった『ゆきね』を匿えばどうなると思う?」

「…………」

 今度は翔無が押し黙る番だった。けして強い語調だったわけではないが、それだけの力強さはあった。

「大量殺人の始まりさ。さっき少しだけ垣間見えた『ゆきね』の殺人衝動と力は雪音もわかっているだろう? 君の能力は『組織』では御しきれないだろうね」

「それでも、殺す理由にはならないだろ」

「いいや十分な理由だよ。僕は娘が大量殺人を犯してもなにも言うつもりはないが、殺されるのを黙ってみるほど大人じゃない」

「だったらさっきの戦いはなんだい?」

「あれは『ゆきね』が目覚めると信じていたからねぇ。それに殺したのにだって、ちゃんと考えがあってのことなんだよ。それが最善だったかと聞かれれば、そうではないと答えるしかないよ」

「目覚めると、信じていた……?」

 殺したはずの『ゆきね』が雪音の危機に出てくるとでも言いたいのだろうか? そんな奇跡はあり得るものじゃないだろう。

 しかし実際にそれはあり得たのだ。

「殺した肉体に新しい命を与えることで、肉体は生き長らえることができる。つまり『ゆきね』は死んでも時間が経過すれば生き返ると僕は判断した」

「それで、生き返るまでの仮の命として『ボク』を吹き込んだということか」

「はは、最初は……そうだったよ」

 手で目を覆い隠すようにしながら、八雲は空を仰いだ。

「予想外だったのは君が『ゆきね』にそっくりだったことさ。おそらく殺人衝動による行動がなければ、そのままだっただろうね」

「ボクも『ゆきね』も同一人物だからねぇ。似るのは当たり前だろう」

 屋根から足をぶらつかせながら座る八雲のとなりに、翔無はゆっくりと腰を降ろす。座った振動で傷に障ったのか、小さく呻いた。

「雪音が主人格として成長したのちに『ゆきね』が生き返れば、殺人衝動も上手く消滅して、能力も二つ使えるようになると思ったんだよ。そこのところどうだい?」

「いまはまだ使えないけど、馴染めば二つ使えるようになるだろうねぇ。ただ殺人衝動については微妙だよ。沸々と殺したい気持ちが沸き上がってくるからねぇ」

 だが抑え込めないほどではない。ストレスが溜まって苛々しているくらいのものだ。

「僕は殺されるべきなんだよ。遊びのように命を弄んだ僕にはそれが相応しい。君が僕を殺したいというなら、それを甘んじて受けるよ」

「逃げんなよ。そんなのただ都合のいい逃げじゃないか」

「ならどうするんだい? 雪音と『ゆきね』はこんな僕を許すというのかい? そんな甘い性格に育てた覚えはないんだけどねぇ」

 こんなときまで飄々と言葉を紡ぐ八雲に、いままでにはない殺人衝動が沸き上がってくる。いっそのこと殺してしまえばどれほど楽だろう。

「ボクは父さんに死んでほしいとは思ってないよ。いろんなことを言ったけど、ボクは感謝してないわけじゃないんだ」

 だってそうしなければ『翔無雪音ボク』という存在が生まれることはなかったのだから。

『ゆきね』がそのまま生きていたとしても、それはいまの翔無ではない。いまの翔無がいるのは、八雲が『ゆきね』を殺したからだ。

 許されるべきことではないのだろう。だけど感謝している。それに誰も八雲のことは恨んでいないのだ。

「これはボクじゃなくて『ゆきね』の言葉、なんだけどさ……」

 恥ずかしそうに頬を染め、翔無は膝を抱えるようにし、そっぽを向きながら言った。

「最後にちゃんと遊んでくれてありがとう、だってさ」

 八雲は思わずきょとんとしてしまった。

 あんな殺し方をしたというのに、あれで遊んだということになるのか。自分などよりもよほど殺人鬼だ。殺しあいを楽しんでいるのなんて狂ってるとしか言いようがない。

「あんな殺しあいで遊びなんてどうかしてるよ」

「僕もそう思う」

「でしょ? それがボクだと思うと正気を疑うよ。いや、ボクなんだけどさ」

 二人はお互いに顔を見合わせると、堪えきれずに吹き出してしまった。

「あ、でもさ」

 翔無は急に思い出したように立ち上がると、

「一回は一回だよねぇ!」

 握りしめた拳を八雲の顔面に叩き込んだ。

 夜空に着物の男が舞った。


     ◇◆◇



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