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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第五章〈九十九騒乱〉編
58/132

5―(7)「因縁」


 右腕はまだ寂しいままだった。体のバランスがとれずに立っているのが辛かったが、自分より年下がいる手前、弱味を見せることはしたくなかった。

 八雲のところに来てからすでに三日が過ぎた。運よく義理の妹とは合わず、裸エプロンという姿を見られることもなければ、敵意を向けられることもなかった。

 どう言い繕おうと翔無は『九十九』を許すつもりはないだろう。それだけのことをし、されてしまったのだ。むしろどうして八雲がこうも優しくしてくれるのか、東雲にはわからなかった。

 屋根の上で夜風を浴びる東雲は、ジーンズのポケットから携帯電話を取り出し、アドレス帳から『夜筱司』を選んで呼び出しコールする。

 司はすぐに応答した。

『お前からかけてくるなど珍しいこともあるんだな』

「毎度毎度、司に任せっきり言うのも悪い思てな。やることもあらへんし、今日は私の方からかけさせてもらったわ」

 肩と顔で携帯電話を挟み、酒を煽る。

「そっちはなんかなかったか?」

『あったと言えばあったが、取り立てて言うことでもない。「九十九」のひとりが攻めてきたというくらいだ』

「それは言わなあかんことやで。どうせ藍霧真宵が撃退したんやろうけど」

『いや、藍霧が撃退したわけではない』

「ん? どういうことや?」

 酒を煽りながら、司の次の言葉を持つ。

『攻めてきた「九十九」と藍霧が戦ったのはお前も予想したはずだ。もちろんその通りで、藍霧はそいつを捕縛したんだ』

「それで?」

『情報を引き出そうとした。だが、その瞬間にそいつは死んだ――三日前に冬道が戦ったときの状況とまったく同じだ。死因は言った方がいいか?』

「どうせロクなモンやないやろ」

 冬道が戦った二人は頭部と心臓を破裂させられて命を落としている。聞くまでもなく、残虐な殺され方をしているのだろう。

『首を捻切られたんだよ。私たちの目の前でな』

「…………」

 東雲は二の句を紡げなかった。残虐を通り越した殺され方に、どう反応したらいいかわからなかった。

『まだ藍霧と私だけでよかった。もし他のやつらがいたとしたら、トラウマなどではすまなかったろうからな』

「当たり前や。司かてそんなん目の前にしたら吐き気くらいするやろ」

『……否定はしない。お前は……』

「私はどうも思わん。そんな残虐な殺され方したっても、私はそれを見届けなあかんのや」

 人間がどう殺されても、東雲にはそれがごく自然なものとして処理される。同じように柊も、死を降ろすのが自然なものとして処理されるはずだった。

 しかし、それはそうならない。柊詩織は『吸血鬼』として完成せども『死降』としてはあまりにも不完全だ。土台が崩れている以上、彼女が真の意味で完成することはないだろう。

「いまのところの被害がそないなもんで安心した。私が巻き込んだみたいなもんやし、誰かに死なれるんは胸が苦しいわ」

『すでに、三人も死んでいるだろ』

「……ええんや。よく言うやろ? 目には目を。歯には歯を。罪には然るべき死を――ってな」

『そんなもの聞いたことがない。造語を作るな』

「あはは……スマンスマン」

 表には出さないがだいぶ東雲も参っている。八雲のこともそうだが、『九十九』と戦うことに心のどこかで抵抗を覚えているのだ。

 東雲も同じ『九十九』の人間だ。身内を潰すことに抵抗を覚えている――のではなく、これは呪いと言うべきだろう。『九十九』に逆らうことができないようにする呪い。それに抗い続けるのは、苦しいものがある。

『この時期を戦いに選んだのもわざとか?』

「…………」

『お前も本当はわかっているのだろう? あの娘が本気でお前を殺そうとしてたなら、お前はいまごろ私と話してなどいないよ』

「…………」

『わかってやれ。あいつは当主なんだ。お前ひとりのために、仲間すべてを見殺しにすることなどできない』

「……なら私は、なんのために戦えばええんや。ここまで色んなやつに迷惑かけて、どの面下げて戦うのをやめろっていうんや」

 酒瓶を握力だけで粉砕し、東雲は歯を食い縛った。

『戦うのをやめずとも、助けてやればいいだろう? わざわざあっちも手紙を出して助けを求めてきたのだ』


「はぁ……なんで知ってるんや?」

『冬道から聞いたんだ。わざわざ夜中に学校で待っていたかいがあったというものだ』

 あのとき司が学校にいたのは校舎を破壊しないように見張ってたからではない。冬道があそこに来ることを見越して、それを聞き出そうとしていたのだ。

 まさか冬道もそんなことをするとは思ってないだろう。

「……助ける言うても、なにから助けるっていうんや?」

『お前もそれを聞いた時点でわかったんじゃないか?』

「せやけど、ありえんやろ。『あれ』はあんときに倒しきったはずやで」

『無理だな。「あれ」を倒しきるなど不可能だ。あのときは力をほとんど失わせただけにすぎない』

 ため息と一緒に指先に炎が宿る。それはひどく弱々しく、いまの東雲を表しているようだった。

「あんなんにまた出てこられても困るで。もうあの二人には頼られへんで」

『なら今回は、元勇者の二人に頑張ってもらおうか』

「おま、そんな人任せな……」

『私たちではどうにもできんだろう。それとも、あの二人の代わりが元勇者の二人以外にいるか?』

「いや、それはそうやけど……」

『つーか巻き込んだてめえがうじうじすんなボケ。ぶっ殺されてえか?』

 司の豹変に東雲は屋根から転がり落ちそうになる。

「い、いきなりやな……。そないな風に昔のしゃべり方すんのやめとき。心臓に悪いわ」

『お前が情けないことを言っているからだ。それともおじけついたか?』

「『あれ』の前やったらおじけるんが普通や。能力者で『あれ』に逆らえんのは……私はひとりしかしらん」

『私もだ』

 なんやそれ、と東雲は笑い飛ばす。

『助けてくれとある以上、「あれ」は九分九厘、関わってくるだろう』

「……あぁ」

『完全にしろそうでないにしろ、むしろ完全でなければいまのうちに「あれ」を止めろ。私も行けるなら行く』

「期待はせぇへんからな」

 東雲はそう言い、「じゃあな」と電話を切った。

 膝を抱え、東雲は顔をうつむかせた。

(一葉が悪うないことくらい、私でもわかるわ)

 それでも引っ込みがつかなかった。『九十九』の頂点に立ちながら、あれほど仲良くしておきながら、能力者を根絶やしにしようとしたことが許せなかった。

 彼女は自分のなかで最強の存在だった。揺らぐことのない絶対の力と、不変の優しさが大好きだった。

 だからこそ、一葉はそうするしかなかった。

『九十九』を能力者の頂点にしたいなどただの口実。『九十九』のみんなを守るために、一葉は残りの能力者すべてを殺すことにしたのだ。

 あの優しい少女がそんな判断を簡単にしたはずがない。苦しんで苦しんで、その結果が能力者狩りに繋がった。

 能力者狩りはひとつの物語と完結している。東雲もそのキャストとして出演し、ことの顛末を見届けた。でも、だから納得しろということはできない。

 あの物語はバッドエンドだった。その続編があるとすればこれだ。ならば今度こそ、物語をバッドエンドで終わらせるわけにはいかない。

 そのためにはやはり……

 ――『九十九』を討ち滅ぼすか。

 ――一葉を助けるか。

 選択肢はすぐそこに迫っている。決断しなければ、そして正しい判断をしなければ――またバッドエンドを迎えることになるのだ。

 もう二度とあんな想いはしたくない。そしてもう二度と、あんなことを繰り返してはならない。

 ならば、私がとるべき行動は……

「こんなところにいたのかい、九十九東雲」

「……私のこと嫌いなのに探しとったんか?」

 東雲は振り返ることなく、声の主に返事した。

「探してたよ。ボクのお母さんを殺した人間が家にいるって思うだけで、怒りが込み上げてきてねぇ。もうこれで三日目だ。忘れようとしても忘れられないよ」

「…………」

 六年前、翔無が襲われた場所にはもうひとりいたのだ。能力なんて持たない一般人。翔無雪音の母親が、そこにはいたのだ。

「あれから一度も忘れたことはないよ。ボクの目の前で、母さんはお前に殺されたんだからねぇ」

「…………」

 一般人だった翔無の母親は、能力者狩りに巻き込まれたのだ。翔無を狙ってきた能力者は無差別に能力を使い、一般人をとことん巻き込んでいった。

 そのときの翔無はまだテレポートが上手く使えず、自分が逃げるだけで手一杯だった。なるべく遠くに、誰も巻き込まない場所にと逃げたが、だめだった。

 首に致命傷を負い、翔無は死を覚悟した。しかし翔無は生き残ったのだ。そのときに出会ったのが司だ。

 司に助けてもらい、意識を取り戻した翔無が最初に目に映ったのは、東雲が母親を殺していた光景だった。

 我が目を疑った。なぜ狙われた自分が生き永らえて、無関係な母が死んでいるのか。

「お前が、母さんを殺したんだ」

「…………」

 すぐに思考はある解答に直結した。思考するまでもない。母を抱えている、あの女が殺したのだ。

「なんで母さんを殺した……」

 翔無は東雲に詰め寄る。

「どうしてお前はボクの母さんを殺したんだ!」

 胸ぐらを掴みあげ、いつもの翔無からは想像すらできない形相で叫んだ。

「答えろよ九十九東雲……なんで殺したんだ!」

「かっ――うっさいな。耳元で叫ぶなや喧しい」

 東雲は冷たく言い放つと、翔無の腕を捻りあげる。痛みに顔を歪めた翔無を突き飛ばすと、立ち上がり、見下した。

「いつまでそんな下らんこと言ってんねん」

「な……っ! 母さんを殺されたころされたことが下らないって言うのか!」

「下らんなァ。いちいち殺した人間のことなんか覚えとらんわ。逆に聞くけど、あんたは食った豚や牛のことをいちいち覚えとるか?」

「そんなものと一緒にするな!」

「一緒やろ。どっちも殺された。殺されて肉塊に以上、ようは記憶に残るかどうかや。もっとも、食用になって人間の腹を満たしてくれる豚や牛の方が、死んでまで手間かける人間よりもマシかもしれんけどなァ!」

 その瞬間、東雲の頬から鈍い音が夜闇に響いた。テレポートした翔無が、その拳で東雲の頬を捉えたのだ。

 顔は無表情だ。感情が怒りで塗りつぶされ、なにも考えられなくなっていた。

 さらに拳が飛ぶ。矢継ぎ早に繰り出される拳撃は、東雲を穿っていく。避けようとすれば避けられるだろう。だが、東雲はそうしない。動けないわけではなく、自らの言葉を実行しているのだ。

 目には目を、歯には歯を――罪には然るべき死を。

「お前が……」

 翔無の口が小さく動いている。

「お前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がァァァアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 吐き出される続ける怨念にも近いものを、東雲はひたすらに受け止め続けた。どれだけボロボロになろうと、どれだけ血だらけになろうと、とにかく受け止め続けた。


 どれくらい時間が経過しただろう。衣服が血で赤く染まったころには、もう翔無の殴る力は無に等しかった。

 虚しく響く音を、東雲は聞いていた。

「なんでだい……?」

「なに、が、や」

 口が上手く動かせない。途切れ途切れになりながら、東雲は言った。

「ボク程度の打撃なんて簡単に避けられるだろう? 怒りに狂ってたわけだし、さらに避けやすかったはずだよ。それなのに、どうして避けなかったんだい?」

「た、ただの、気まぐれや」

「意味がわからないよ。さっきの言葉は、まるでボクにお前を殴らせるために言ったようなものじゃないか……」

 殴り続けて冷静になっていった思考は、その答えを翔無に与えていた。避けられる拳を避けないことにも、怒りのなかで気になっていた。

 それはまるで、翔無に殴らせるためだけにそうしたように思えてならなかったのだ。

「罪の償いというやつだよ、雪音」

「……っ! と、父さん?」

 いつの間にかいた八雲は、月を見ながら酒瓶をそのまま傾けていた。

「やく、も……余計なことは……」

「東雲くんはね、雪音に償おうとしているのさ。母さんを救えたはずなのに救えなかったことにね」

「八雲!」

 言わせないように八雲の口を塞ごうとするが、殴られ続けたダメージがひどく、能力を使うどころか一歩を踏み出すこともできない。

 膝から崩れ落ち、倒れないのが限界だった。

「あのとき僕は雪音たちに気が回せるほど余裕があるわけじゃなかった。それも東雲くんも同じはずだったのに、東雲くんは雪音を助けようとした。もちろん母さんのこともね」

「こいつが、母さんを助けようとした……?」

「そ。だけど――間に合わなかった。気絶した雪音を庇おうとした母さんを庇おうとして、間に合わなかったのさ」

 そんなもの初耳だ。誰にも母の死の詳細を聞かされていない。ただ翔無が見たままを整理した答えを、あたかも正解のように接せられてきたのだ。

「だったらなんでそれをボクに言わなかったんだい……? それを言ってくれれば……」

「言ったところで信じなかっただろう? 雪音は僕と同じで思い込みが激しいからねぇ。あんな場面を見れば、間違いなく雪音は東雲くんを恨んだ。だったらそれを利用してしまおうと考えたのさ」

「…………」

 東雲は苦虫を潰したような表情で八雲を睨む。

「東雲くんを恨めば連鎖的に『九十九』も恨む。その恨みが扉を開ける鍵となりえたんだよ」

 それはさておいて、と八雲は底の深い瞳を動かす。

「『九十九』に対抗するためには、東雲くんを恨んでもらうのが手っ取り早かったんだよ。じゃないと、並の能力者じゃ太刀打ちもできないからね」

「それじゃあボクは、いままで方向違いの恨みを持ち続けてたってことかい……?」

「その通りだよ」

 娘の言葉を八雲はあっさりと肯定した。

 いままで方向違いの恨みを持たされていたことはたしかに怒っている。それ以上に、翔無は後ろめたさが前に押し出されていた。

「東雲くんのことなら気にすることはないよ。このことは彼女が自分から言い出したことだからね。僕はやらなくていいと言ったんだけど聞かなくてね」

「…………」

 もう口を開くつもりはないのか、東雲はぐったりとうつ伏せに倒れて話を無言で聞いている。

「せめてもの罪滅ぼしだそうだよ。母さんを助けられなかったのは、誰の責任でもないのにねぇ。しいて言えば『あれ』のせいさ」

「『あれ』……?」

「そうさ。『あれ』がいなければきっとこんなことは起こらなかった。そして――超能力という存在さえ生まれることはなかっただろう」

 八雲は目を細め、遠くを見つめる。

「これから彼らが戦おうとしているのはそういう相手だ」

「彼らって、かっしーたちのことかい?」

「そうそう、かっしーくんね。きっとなにかの縁なんだろうね。親子二代に渡って『あれ』と戦うことになるなんてさ」

 六年前に『あれ』と戦ったのは、ひとりの武士とひとりの銃騎士だった。常軌を逸した戦いは空を二つに割り、異能の種子を世界にばらまいた。

「きっと今回も荒れるよ。おそらく、どちらかが死んでしまうくらいにね」

 八雲の不吉な予言は遠からず未来、最悪の形で当たることになる。

 しかしいまはそのことに誰も気がつかず、夜風に乗って流れていくばかりだった。

「さて……と。話は終わったことだし家のなかに入ろうか。女の子をずっと夜風にあててるのもマズイからね」

 手を音を立てて打ち、八雲は動けない東雲を担ぎ上げようとする。

 瞬間。

 目を見開いた東雲が吠えた。懐から一枚の札が飛び出、それは瞬く間にひとりの男の姿に変わった。

 東雲の使役する式神は身の丈ほどの大剣の柄に手を伸ばし、掴むと同時に、八雲を巻き込むように無造作に薙ぎ払った。頭を低くして八雲はそれをやり過ごす。

「っと、あぶね」

 八雲とは違う、見知らぬ男の声が瓦を踏む音と一緒にやって来た。

「やるねさすがだ。俺の接近に気がつけるなんてあんたくらいしかいないぜ。でもそのあんたはいま、地にひれ伏している。いいや、空にひれ伏していると言った方がいいか?」

 滑稽そうに笑いを噛み殺しながら、その男は言う。

 右目を縦に駆ける刺青には見覚えがあった。……違う。見覚えがあるなんてものじゃない。あいつは、あいつは――!

「手間が省けたぜ。くそめんどい東雲の相手をそこのガキがやってくれたからな。東雲に止めと雑魚二匹だけで終わりだ」

「雑魚とはもしかして僕たちのことかい?」

「それ以外に誰がいるっていうんだ?」

「おもしろい冗談だね。無知っていうのは本当に怖いよ」

「無知? ちげぇよ。俺はあんたらと六年前に戦ったはずだぜ。そこのガキを殺し損ねたのは、唯一の汚点だがな」

 怒りが再び頂点に達した。

 翔無は自然と守るように立っていた八雲を追い越し、男へと噛みついた。

「九十九双弥ふたみィィィィィィっ!」

「沸点の低いガキは嫌いだ」

 双弥はうんざりするように呟き、飛び込んできた翔無の背中を蹴った・・・・・・

 いきなり目標を失った翔無の体は傾斜に従うように転がり、落ちる寸前で踏みとどまる。

「あんたじゃ俺には勝てねぇのはもうわかってんだろ。同系統の能力者の戦いは、より高度な効果を持つ方が強い」

「だからなんだ!」

 翔無の姿が消える。テレポートしたのだ。夜闇に紛れるように消えた翔無が、踵を振り下ろす形で双弥の真上に現れる。

「だから――諦めろっつってんだ」

「ご……っ!?」

 腹部に双弥の膝が打ち込まれた。その小さな体躯は軽く、いとも簡単に吹き飛ばされる。屋根を跳ねながら転がり、ギリギリのところで勢いを失った。

「あんたは自分の体をテレポートさせんのが精一杯だろうが、俺はモノの移動も意のままだ。その前に根本的な戦闘スキルに差がある」

 双弥は翔無の髪を掴むと、無理やり顔を上げさせる。

「六年前の再現だな。てめえはあのときもこうやって、俺に見下されてた」

「……っ!」

「違うところは……ああそうだ、いい女になったってところぐらいか」

 興味なさげに呟いて、双弥はそのまま翔無を屋根から放り投げた。

 万有引力に従って落下する翔無は、地面にぶつかる直前でテレポートし、双弥の背後に回る。首のマフラーをほどいて双弥の視界を塞ぐと、遅滞のない動きで金的を蹴り上げる。

 しかし双弥は難なくそれを受け止める。

「お前に言われたって全然嬉しくないね!」

「なら言い方を変えようか。あんたは母親に似て、いい女になった」

 翔無の右手が振り抜かれる。だがそこに双弥の姿はなく、後頭部に言い知れない威圧感を感じた。とっさに身を屈めると、そこを爪先が駆け抜けていく。

「いい反応するようになったな。これもあんたの怒りの賜物ってか?」

「うるさいよ!」

 腕だけの力で飛び上がり、足裏で蹴り上げる。

「だからあたんねぇっつーの」

 いつの間にか狙いの先からずれた場所にいた双弥は、支えとなっている腕を足で払う。

 背中から倒れて翔無の眼前に双弥の足裏が迫っていた。屋根を転がって回避し、テレポートで距離を置いた。

「どうした、口だけなのか?」

「うるさいって、言ってるだろ!」

 翔無が消える。右に現れたかと思えばすぐに消え、左に現れる。右に上に左に奥に手前に――読んで字のごとく縦横無尽に消えては現れる。

 それらを双弥はすべて捉えていた。同じ空間移動の能力者だからというわけでなく、純粋な力の差としてだ。

 打撃が双弥を襲う。しかしすべて見えている。必要最低限の体重の移動だけでそれを往なし、つまらなそうに空を見上げた。

「次の相手はあんたか?」

 それに業を煮やし、大剣を片手に構えた式神が双弥との距離を詰めた。大剣を両手持ちに直し、双弥が反応する前に横に払った。

 双弥は指をひとつ鳴らす。無表情な式神が驚きで目を見開いた。

 振り払ったはずの手には大剣は握られておらず、代わりに双弥の手にそれが握られていた。

「こいつは思いな。俺じゃ持ち上げるだけで限界だ。だから見せてやるよ。これじゃあんたが追いつくことができない、空間移動の最強形だ」

「――っ!? そっから離れるんや!」

 言葉の意図に気づいた東雲は、ない力を振り絞って式神に叫ぶ。

「遅いっつーの」

 双弥の手から消えた大剣は、式神の腹を貫いていた。刺されたのではなく、突然にそこに現れたのだ。肉と肉、骨と骨を無理やり掻き分けるように侵入してきた大剣は、式神に致命的なダメージを与えた。

 喉の奥から込み上げてきた血を吐き出した式神の体が、粒子となって消えていく。

「ん? そうかそうか。この式神は東雲の『陰陽師』でつくったもんだったな。つーことはこれを完全に殺しきるには、東雲をやるしかねぇってことか。その前に……」

 飛び込んできた拳に拳をぶつけ、威力を相殺した。

「あんたを始末しないとな、翔無雪音」

 骨の砕けた激痛が腕を伝い、脳天を突き抜けていった。甲からは血が吹き出、それを辺りに撒き散らした。

「本当だったら俺がこっちの管轄じゃなかったんだ。だからっつってもう一個の方に行けって言われてもくそめんどいんだけどな」

「…………」

 右手をだらりと下げ、冷や汗を流す翔無に警戒もせずに言葉を続ける。

「でも一葉の命令じゃ仕方ねぇよ。俺はあいつに命かけるって決めてるからな。あいつに生きてもらわねぇと俺が困るんだ」

「……だから、六年前も母さんを殺したのか」

「それも俺の汚点だ。無関係な人間は巻き込むなって言われてたのに、巻き込んじまった」

 しかし翔無には、言葉ほど感じていないように思えた。

「身内を守るために他人を蹴落とすのに躊躇いなんて必要あるか? あるんだとしても俺にはねぇ。だからあんたたちには死んでもらう」

「それを聞いて安心したよ。その一葉ってのが誰かは知らないけど、お前には死んでもらう!」

「元から殺す気だったくせになに言ってやがる。それと……できないことは口には出すもんじゃねぇ」

 初めて双弥が構えた。構えといっても小さすぎるものだが、空間移動系の能力者には構えなど必要ないのだ。相手を死角を突いた攻撃が主体であるため、またほとんど初動だけで攻撃をするために構えること自体が無意味なのだ。

 にも関わらず双弥が構えたのは能力を使わずとも勝てるという表れか。とにかくそれが翔無の勘に障った。

「それとあんたはわかってねぇ」

 双弥の拳が強く握られる。

「モノを触らずに動かせるってことは、こういうこともできるってこと――だっ!」

 テレポートする直前に翔無の意識とは別に能力が発動した。それは誤発動などではなく、双弥がやったものだ。

 無防備な翔無の背中が双弥の振り抜いた拳の直線上に現れる。なす術もなくそれを喰らった翔無の口からは声にならない叫びが漏れ、宙に放り出された。

「空間移動系の能力者の強みは点と点での移動にある。たどり着くまでの危険を省き、不意を就くことに特化した、言い換えれば闇討ち能力と言ってもいい。それがお前みたいなタイプの空間移動だ」

 落ちかけていた知識を、双弥の拳が強引に引き戻した。

「そして俺みたいな空間移動系能力者は、自ら近づくことなく相手を近づかせ、一番隙のある体勢に一番攻撃的な一撃を一方的に叩き込む。いわば……パンチングマシーン能力とでも言うべきか」

 気楽に言う双弥の目には、血だらけで倒れる翔無がいる。話している間にも放たれ続けた拳は、翔無に話すだけの余裕も失わせていた。

 東雲はそれを見て歯痒そうに、そして苛立ちの籠った声で八雲を怒鳴りつけた。

「八雲! なんで助けに入らんねや!」

「これは雪音の戦いなんだぜ? それに介入しようだなんて無粋な真似をするつもりはないよ」

 あくまで傍観者を気取る八雲には言っても無駄だと悟り、東雲は動かない体に鞭を打ち、立ち上がろうとする。

「なにをするつもりだい?」

「決まってる、やろ……。あいつを助けるんや……っ!」

「そんなボロボロの体で戦っても負けるのは目に見えているよ。彼は万全じゃない君が戦って勝てるほど弱くはないからねぇ。それに、助けることが最善とは限らないさ」

 八雲は東雲が立ち上がったところで足払いをし、尻餅をつかせた。

「だいたいそんなふらふらな体でどうするつもりだい? いまの君になら誰だって勝てるんじゃないかな」

「娘を見捨てるあんたには負けんわ」

「人聞きの悪いことを言うなよ。僕がいま雪音を助けることは簡単だ。でもね、僕が助けてしまうことで、雪音が乗り越えるべきだったものを乗り越えられなくなるんだ」

 八雲は、苦しみながらも必死に食らいつく翔無を見る。

「力のある人間が助けるんじゃない。意思のある人間が助かるだけなのさ」

 そう言って八雲は東雲のポケットから携帯電話を取り出し、どこかに連絡をする。どこかにと言っても、東雲の携帯電話に登録されている番号は二つしかない。

「だけどまぁ、主人公にはおいでになってもらおうか」

 なんだかんだ言って、八雲も娘の心配をしているのだなと、東雲は内心で安堵した。




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