5―(5)「お泊まり」
「どういうことですか、これは」
藍霧はいつにもまして冷たい声でそう言い放った。
なんだこの状況は。どうしてこんなことになっている。寝ている間になにがあったんだ。
なぜか狭い部屋に集結した『組織』の能力者たちを睨むように見つめる。もちろん当たり前だが、そこに翔無の姿はない。
アウルが携帯電話で連絡をとっている間、あの藍霧は蒸し暑い部屋に氷系統の波動を充満させて涼しくし、仮眠をとっていた。
冬道を見送るために早起きし、ちょうどやることもなかったためそうしたのだが、なぜ起きたらこんなに人が集まっているのだろう。
実のところ藍霧は朝はそこまで強くない。むしろ朝は機嫌が悪い方だと思っている。
でも冬道と一緒に登校したい。だから夜は早めに寝て、朝は早く起きるようにしている。時間をかけて身支度をし、少しでも冬道に誉めてもらえるようにしている。
まだ誉められたことはないが、となりを歩けるだけで幸せだった。
それはさておき、どうもこの状況を藍霧は呑み込めずにいた。寝ていた時間だってそれほどでもないはずだ。
藍霧は疑問の眼差しをアウルに向ける。
「うん……これはだな、いろいろあったんだ」
困った表情をしながら、アウルは藍霧が寝ている間になにがあったかを話し始めた。
携帯電話を開き、まず連絡したのは司だった。他の能力者に連絡をしようにもアウルは個人的な繋がりがあるわけでなく、あくまで『組織』の仲間であるというだけなのだ。お互いの連絡先など交換しているはずがない。
呼び出し(コール)をかける。二拍ほど置いて、司が電話に応答した。
「司先生ですか? アウル=ウィリアムズです」
『アウルか。ん、んー……。どうした、私に電話をかけてくるなんて珍しいな。というか番号知ってたのか』
「……以前に交換したでしょう」
眠そうな司にアウルは呆れた声でそう言った。
もう昼前だが、どうやらいままで寝ていたらしい。さっきまで寝ていたアウルも人のことは言えないから、あえて指摘しないでおく。
『そうだったか? 私は携帯電話はあまり使わないのでな。連絡先を交換しても登録していないから、いまも誰からかかってきたかもわからなくてな』
「ちゃんと登録しておいてください」
もう電話をかけるということもないとは思うが。
それにこの様子だと、他の能力者の連絡先も登録などしていないのだろう。以前に東雲が司の連絡先を知らないと言っていたが、どうやら司が交換しても登録しないから、連絡先が変わっても教えないためのようだ。
『それでなんの用だ。まさかもう「九十九」が攻めてきたのか?』
「そんなわけないでしょう」
司もアウルにただ否定させたかっただけで、本気で言っているわけではない。
「『九十九』に関係はしていますが、いたは平和そのものですよ。普通の学生ライフを楽しんでいます」
『いいよなお前らは。私など夏休みでも教師の仕事があるのだぞ? まぁ、職員室は涼しくて居心地はいいがな』
「職場で寝てたんですか……」
そういえばこの蒸し暑かった部屋も涼しくなったような気がする。電話をしていて全然気がつかなかった。
ベッドに視線を向けてみると、藍霧が横になっていた。胸元ので上下する銀色の首飾りが発光している。
なるほど、部屋が涼しくなったのは藍霧のおかげのようだ。自分のためにやったのは確実だが、それでも涼しくなったことに変わりはない。ひとまず感謝しておく。
『別にいいだろう。どこで寝ようが寝てしまえば同じだ』
「食べたら同じみたいなこと言わないでください」
『あれは腹を下すこともあるだろう。一緒にするな』
「職場で寝ていたら校長に怒られるんじゃないですか?」
『安心しろ。今日学校にいるのは私だけだ』
いったいなにを安心しろというのだろうか。むしろ心配が募っていくばかりだった。
『それはそうと私に用事があったんだろ。下らないことを言っていないで、さっきと用事を言ったらどうだ?』
「……理不尽に感じるのは私がおかしいからですかね」
どうして電話をするだけでこんなに疲れなければならないんだ。
アウルはもう二度と司に電話をかけまいと誓った。
『違うのか?』
「……もういいです。そんなことより、司先生には聞きたいことがあるんです」
『私のスリーサイズか?』
「私は貴様になにを求めているのだ!」
さすがに我慢のしきれなかった。ここまでよく我慢した方だろう。
叫んでからはっとして藍霧を見た。顔をしかめて煩そうにしていたものの、起きる気配はない。そのことに安堵しつつ、再び意識を携帯電話に傾ける。
『教師に向かってなんて口の聞き方を……まぁいい。私はもともと教師としての自覚なんて持ち合わせていないからな。器もそんなに小さくはない』
「はいはいそうですね。司先生は寛大ですよ」
『適当だなー。仕方ないからそういうことにしておこう』
もう電話を切ってしまおうかという衝動に駆られる。
あれ、司先生ってこんなに面倒な人だったっけ? もっとクールで覚めてる人だったような気がするのだが――アウルは思った。
『それでなんだっけ?』
「先生に用事があったんですが……ちょっと心が折れかけているところです」
『頑張れ、ゴールはすぐ目の前だ』
「そのゴールにはたどり着いてはいけないような気がします。ていうかいい加減に話を進めさせてもらえませんか? 先生の暇潰しになってる場合じゃないんですが」
『バレたか』
そんなもの最初から気づいていた。
「ダメ元で聞いてみますが『組織』の能力者の連絡先とか知ってますか?」
『知っているわけがないだろう』
まぁ、薄々勘づいていたけれど。会話の流れからして司が連絡先を知っているわけがない。
いままでの時間を返してもらいたいと本気で願った。
『連絡先など聞いてどうするつもりだ?』
「藍霧に全員の予定を聞くように言われたんです。守るにしても、場所が把握できていなければ面倒だとかで」
『藍霧が、守るだと?』
電話越しに窓を開ける音が聞こえた。
『晴れているが、明日は槍の雨でも降るのではないか?』
「冬道に頼まれたらしいですよ」
『それを最初に言えバカ者。私の労働力を返せ』
「…………」
こんなにも一本の電話で喜怒哀楽を体験したのは初めてだ。後にも先にもこれ以上に喜怒哀楽を感じる電話はない。もはや言い切ることができた。
アウルは深呼吸し、冷静になる。
『そういうことならば仕方ない。少し待っていろ、いますぐ調べてやる』
「急にやる気になったみたいなんですけど」
『当然だ。私は、私の面倒事を減らすためなら全力を尽くす!』
「なんて無駄な労力の使い方だ!?」
もうアウルは司のことがよくわからなくなった。
携帯電話を置く音が聞こえた。携帯電話をスピーカーに繋ぎ、アウルは司の返事を待つことにした。
「…………」
とはいえ、もう話したくないというのが本音だ。
なんでこんな疲れなくてはいけないんだろう。なにも悪いことなどしていないのに、こんな風にからかわれる。真面目すぎるのがダメなんだろうか。
アウルは顎に手を添え、頭を捻らせる。
そんなことをしているから真面目だと言われるのだが、アウル自身が気づくことはきっとない。
『アウル、死んでいないか?』
「…………」
聞こえてきた司の声にわざと応答しないでみる。
ちょっとした反抗心だ。
『死んだか。これだから近頃の学生はだめなんだ。自分を甘やかしすぎだろ』
「あなたに言われたくはないです!」
『私相手にその程度の反抗が通用すると思うなよ』
「はっ!」
司の自分を棚に上げた発言にツッコミを入れてしまったアウルは、決して悪くはない。
『ふざけている場合ではないだろう? 真面目に聞け』
「……あーもう! 貴様にだけは言われたくはない! こちらが真面目に話しているときは散々ふざけ倒していたくせになんだその言いぐさは! 嘗めているのか!」
『お、落ち着け。冷静になれ』
「これが落ち着いていられるか!」
ついにアウルの堪忍袋の尾が切れた。豹変したアウルにさすがの司も電話の向こうでたじろぐ。
「さっさと連絡先を教えろ! 貴様と電話をしていたら私の身がもたん!」
『私がからかっといて言いにくいのだが、すまなかっな』
「ここに来て普通の謝罪!? ま、まぁ謝るならいいですけど。それで連絡先は」
ようやく聞き出せた連絡先を、近くにあった紙に書き連ねていく。
司が言い切ったところで、アウルは気づく。
「風紀委員長の連絡先はないんですか?」
『翔無はいいんだ。わざと言っていない。先に言っておくとふざけているわけではないぞ』
それは司の声の雰囲気でわかった。いまの司は『吸血鬼』のときに見せた専門家としての司だ。
『あいつは実家に帰った。こちらにいるよりは安全度は下がるが、それでも安全なことに変わりはない』
「わかりました。それで最後に聞いてもいいですか?」
『なんだ?』
「どうして昨日は私の携帯電話に連絡してきたんですか? 連絡がわからないんじゃ……」
冬道が京都に向かうことは司から連絡があった。
それで知ることができたのだが、その連絡はアウルの携帯電話にかかってきたのだ。冷静になって考えてみて、いままでの会話と矛盾があることに気がついたのだ。
『あれか。あれは嘘に決まっているだろう』
「はぁ!?」
『じゃあな』
司は危険を察知したのか、アウルが二の句を紡ぐ前に電話を切った。
無機質な音が聞こえる携帯電話を見つめる。
そのあとにアウルが倒れ込んだのはいうまでもない。
しばらくしてアウルは回復し、全員に予定を聞いていった。幸いなことに誰も夏休みに長期の旅行に行く予定はなく、ここにいるとのことだった。
司との電話の疲労感が残る体を引きずって、アウルはリビングに降りる。
もう眠気はないし、やることもない。表向きの顔である学生の宿題も、実のところもう終わらせている。昨夜書類が送られてきた際に終わらせておいたのだ。
リビングに入るとつみれが台所から顔を出してきた。
「おはよう、アウル姉ちゃん。さっき藍霧さん姉ちゃんの部屋に行かなかったっけ?」
「来たよ。いまは私のベットを占領して寝ている」
ソファに腰を降ろし、疲れと一緒にため息を吐く。
エプロンを外したつみれは、アウルのとなりに座った。
「さっきは怒鳴ってたみたいだけど、なんかあったの?」
「……あぁ、ちょっと、な」
アウルの疲れきった表情が全てを物語っていた。
深くは追求しまいと決めて、つみれはアウルの腕に抱きついた。
「えへへ」
「どうしたんだ? 甘えてくるなんて珍しいな」
そう言ってアウルはつみれの頭を撫でる。気持ちよさそうにつみれは目を細めた。
そんな光景は二人が本当の姉妹に見えなくもない。
「そうかな。最近は兄ちゃんも甘えさせてくれなくなったし、姉ちゃんなら甘えさせてくれるかなって」
「暑くないのか?」
「あたしの愛の方が熱いよ」
「そういう熱いじゃないんだが……」
冷房の利いた部屋とはいえ、こんな真夏日に密着されれば暑い。しかもアウルはさっきまで蒸し暑い部屋で寝てて、汗で体がべたべたしている。
アウルも女の子だ。つみれは気にしている様子はないが、それでも気になってしまう。
あとでシャワーでも浴びようかと思うアウルだった。
「そういえば冬道は甘えさせてくれないのか? お前のことを大切にしているように見えたが」
冬道が妹を大切にしているところはたびたび伺うことができた。兄妹というには過剰すぎるところだって見たことがある。
藍霧や柊以外でここまでしているのは、つみれくらいしか見たことがない。
妹に甘えられればすぐに許してしまいそうな気がするだけに、この発言は意外だった。
「えー、そんなことないよ。一緒にお風呂入ろって言っても断るし、一緒に寝てもいいって聞いてもダメだって」
「それは冬道が正しい」
「だってアウル姉ちゃんならいいっていうでしょ?」
「まぁそうだろうが、私は同性だし血の繋がりもない。だが冬道はそうではないのだから、断るのが正しい判断だと思うぞ」
「でもアウル姉ちゃんってそこらの男なんかより全然カッコいいけど」
そう言われてどう反応すればいいのだろうか。
複雑な心境のなか、つみれは話を続ける。
「あたしもアウル姉ちゃんとか柊さんみたいなカッコイイ女になりたいんだよね。どうやったらなれるの?」
「意識してるわけではないからわからないし、わざわざカッコよくならなくてもいいではないか。つみれは可愛いんだ。可憐な君の方が、私は好きだよ」
アウルはそう言って微笑むと、つみれは顔を真っ赤にして俯いた。
「そ、そんな風に言われると……照れるよ」
「つみれはクラスの男子から言われたりしないのか?」
「しないよ。そんなこと言ってくれる男子なんていないし。あ、でも兄ちゃんになら言われたことあるよ。嬉しかったなぁ」
「そ、そうか」
頬に手を当て、つみれはうっとりとした表情をする。
「アウル姉ちゃんはよくカッコイイって言われるでしょ――女の子から」
「…………」
言われたくないことずばずば言ってくれる。
アウルはたしかに女の子からカッコイイと言われたことが多い。特に下級生からの人気が凄まじく、ファンレターを貰ったり告白されたりするくらいだ。
まだ猫かぶりをしていたときは綺麗だとか、可愛いだとか言われていたが、いまではもう言われない。
「でも、それなのにおっぱいはおっきいよね。なんかアウル姉ちゃんズルいぞ!」
「こ、こら……」
胸をわしづかみにしようとするつみれから身を捻って避け、ソファから立ち上がる。
「アウル姉ちゃん見てると自信なくなってくるよ……」
「な、そんなに落ち込まなくてもいいだろう? ほら、貧乳にも需要はあるというではないか」
「それは遠回しにあたしが貧乳って言いたいってこと!?」
「別にそういうわけではないが……」
「ふんだ! 巨乳には貧乳の悩みなんてわからないんだ」
膝を抱えて拗ねてしまったつみれを目尻にアウルはため息を漏らした。
巨乳には巨乳の悩みがあるのだが、それを言ったところでどうしようもないことだ。サイズにあった下着を探すのも大変だし、肩がすごい凝るし、男からは厭らしい視線を向けられる。もう散々だ。
と、そこでインターホンが部屋に響き渡った。
「誰か来たな」
こんな寝起きの格好だから人前に出たくはないのだが、つみれは動きそうにもない。居留守を使うわけにもいくまい。仕方なくアウルが出ることにした。
気休め程度に身なりを整え、玄関を開ける。
その刹那、アウルの頬を風が撫でた。
「――動くな」
「……っ!?」
背後から投げ掛けられた声にアウルは硬直した。
首筋に巻き付けられたひんやりとするもの。経験と感覚が正しければ――鋼糸おそらくこれはだろう。
こんな人目につく時間に『九十九』が攻めてこないと油断していた。アウルは自らの考えに苛立ち、舌を打つ。
(……どうする)
この絶対的に不利な状況でどうするべきか。
状況を逆転させる手立てはある。なるべくなら使いたくはない。
(使うべきか……)
だが、自らの私情だけで一般人を危険に晒すわけにはいかない。
いつかは使わなければならなくなるときが来るとは思っていた。それがいまだったというだけのことだ。
「教えてもらおうか」
アウルは両目を閉じる。
「――お前の、スリーサイズを」
「……は?」
閉じていた目を開けて、そんな間抜けな声を漏らした。首に巻かれた鋼糸をとり、振り返る。
「……なにをやってるんだ、秋蝉」
「あ、あはは。ごめんね?」
鋼糸をしまいながら、申し訳なさそうに両手を合わせた秋蝉はそう言った。
どうやら声帯模写で人格を上書きしていたらしい。迷惑な話だった。
「火鷹ちゃんがどうしてもやってほしいって言うから」
「火鷹?」
どこかに隠れていたのか、さっきまでいなかったはずの風紀委員は火鷹。生徒会では黒兎、不知火、紗良が玄関にいた。
火鷹はアウルを見ながら「……失敗でしたか」と呟いていた。
「心臓に悪いからやめてくれ、洒落にならん……」
頭に手を当て、頭を振りながらアウルは安堵する。
「それで、全員揃ってなにをしているのだ? というか冬道の家を知っていたのか」
「うん。私と火鷹ちゃんは知ってるから」
「あぁ、そうだったな」
火鷹は以前に冬道を監視するために居着いていたし、秋蝉は直接教えてもらっている。二人を先頭に残りはついてきたというところだろう。
「……真宵さんもいるみたいですね」
「私が寝てるところを襲ってきたんだ」
「……百合ですか、わかります」
「勝手にわかられても私が困るんだが。あと言っておくが私にそんな趣味はないからな」
あるとすれば秋蝉くらいだ。最近はあまり白鳥に会えず寂しいらしい。
「それでなんで来たんだ、という質問に答えてもらいたいんだがな」
「司先生から連絡があったのよ」
この暑さでやられたのか、気だるそうにしながらも紗良が答えてくれた。
とりあえずこんな炎天下で立たせておくのも悪いので、なかに入れることにした。
リビングを過ぎると、すでに機嫌を直していたつみれが驚いたようにアウルを見た。
「どうしたのその人たち? アウル姉ちゃんの友達?」
「友達といえば、友達かもな」
「じゃあジュースとか出した方がいい? オレンジジュースくらいしかないけど」
「いらないよ。私たちは部屋にいるから、なにかあったらくるんだぞ」
「うん、わかった」
つみれの返事を聞き、アウルは二階に向かう。まだ藍霧が寝ているだろうが、あそこはアウルの部屋(といっても借りているだけだが)なので知ったことではない。
冷房の利いていなかった部屋も藍霧のおかげで快適な空間になっている。
「……真宵さんはお寝むですか」
「勝手に上がり込んでこの態度だ。礼儀というものを知らないのだろうな」
「いまさら言うことでもないんじゃない? あー、涼しい~……」
服の胸元をはだけさせながら、紗良はまるで生き返ったように言った。
レースのついた下着がちらりと見えてしまい、不知火は慌てて視線を反らす。それがアウルには見えていたが、言わなくてもいいだろう。
「これからなぜ俺たちがここに来たかを話すのだが、藍霧真宵は起こさなくてもいいのか?」
「私があとから話そう。無理に起こして機嫌が悪くなられると面倒だ」
黒兎の一人称が変わっていることに疑問を持ったが、あえて言及はしない。
「ならばいい。とはいえ俺たちがここに来たのは夜筱司から行くように言われたからだ。藍霧真宵の負担をなるべく減らしてやれとのことだ」
あの短時間で司が行動を起こしたかと思うと、やはり『組織』の能力者として優秀な部類に入るのだと改めて痛感させられた。
「悔しいけど、俺たちは藍霧に頼らないといけないんだ。できることっていえば、これくらいしかない」
「そうね。私たちがもっと強かったらよかったんだけど」
「……私たちが役に立たないのは、『吸血鬼』のときからわかっていたことですけど」
弱い――その言葉がのし掛かってくる。
能力者だけの問題のはずなのに、冬道や藍霧にしか頼ることができないことに腹が立った。
自然と空気が重くなってくる。いきなりの事態に、秋蝉は戸惑いを覚えた。
秋蝉は偶発的に能力が発現しただけで、能力になんの価値も抱いていない。だから能力者として劣るというのがどういう心境なのか、理解することができないのだ。
「気にすることはない。このときはまだ、そういう運命だとわかっていたことだ」
「どういうことだ」
「え……あ、いや、なんでもない!」
突然焦りだしたアウルを黒兎は訝しんだ。
黒兎はアウルと出会ってから彼女に疑心を抱いていた。
『組織』の能力者は『組織』のデータバンクに文字通り全てが記録されている。能力も経験も、『組織』に拾われた経歴も――過去になにがあったかもだ。
それはデータバンクにアクセスすることで自由に閲覧が可能なため、『組織』に属する能力者は互いに互いのことを知り尽くしていることになる。信頼を得るためという建前と、裏切りを防止するためだ。
だが。
アウル=ウィリアムズ。
この少女についてだけは全てがブラックボックスになっている。
誰も知らない。
彼女のことはなにひとつわからない。
「……生徒会長、どうかしましたか?」
「……いや」
考えるのはよそう。そんなことを考えたってなにかが変わるわけではない。
いまはいずれ戦うことになる『九十九』をどうするか、それを考えなければならない。
「司先生に言われるがままに冬道くんの家に来ちゃったけど、もしかして私たち、ここに泊まれってことなのかな?」
『…………』
秋蝉の言葉に全員が押し黙った。
司なら、いや、司だからこそあり得る。面倒なことを究極的に避けようとするあの姿勢はもはや見習うしかない。
この会話から察するに、司は全員にここに集まるように言ったのだろう。アウルの電話から藍霧が守りに徹すると聞き、面倒事を押し付けてきたに違いない。
どうせそのつもりだったから手回しが早くて助かったが、釈然としない。
「わ、私思うんだけど、ひとつ屋根の下に男女が寝泊まりするっていうのは……」
秋蝉の言わんとしていることがわかり、男二人は気まずくなった。
もしかしたら、ということを想像してしまったのだろう。能力者ではあるがそれ以前に女の子だ。男女が同じ家に寝泊まりすることに抵抗を覚えた。
「……七人プレイですか」
「そんなのやらないわよ!」
紗良は黒兎と不知火を指差す。
「あんたたちは別のところに泊まりなさい!」
「え、いや、かなで先輩が言うようなことにはならないと思うんだけど……」
「いいから他のとこ行けって言ってんの!」
反論の余地も与えられないまま、紗良によって黒兎と不知火は無理やり部屋から叩き出された。
冬道の家に行くように言われたから来たが、泊まるというなら話は別だ。それくらいの節操は弁えている。
「ふぅ……これでひと安心ね」
やり遂げたとでも言いたいように汗を拭う仕草をとると、紗良は改めてこのことについて言う。
「やっぱり私たちは泊まった方がいいんじゃないかしら。真宵ちゃんの負担も減らせるだろうし」
「……ですね。生徒会長さんの方は東雲さんに鍛えてもらってたみたいですから、おそらく大丈夫でしょう」
「そうなのか?」
「そうよ。あいつ、私たちに隠れてやってたみたいだけど、バレバレなのよ」
日に日に増していく黒兎の火傷に疑問を持った紗良と火鷹はこっそり後をつけたことがあった。
そこで見たのは想像を絶する光景だった。
片手しかないとはいえ、東雲の強さは黒兎なんかでは到底敵いはしない。式神の持つ大剣で斬られては東雲の炎で無理やり止血される。気絶することなど許されない。そんなことをすれば殺されると、気迫だけでそれが伝わってきた。
「私たちも、強くならないと」
ここにはないなにかを見つめるようにし、紗良は呟く。
わかっている。このままではだめなことくらい。
それでもどうすればいいのか、道がまったく開けてこない。闇に包まれたその先に、求めるものがあるとでもいうのだろうか。
窓から外を眺めていると、黒兎と不知火が出ていくのが目に入った。
「みんな、変わっていくのかな……」
ぽつりと、秋蝉は呟く。変わっていく。誰もが強くなりたいと言い、強さを求めて変わっていく。
それが秋蝉には理解できなかった。強さに固執してどんな意味があるのだろう。そうまでして強くなって、なにがしたいのだろう。
誰かを守りたいのはわかる。それでも身を危険に晒して守ることに意味はあるのだろうか。
ただの押し付け――きっと冬道ならそう言ったはずだ。
秋蝉はわからなくなっていた。能力を発現して、生死に関わる体験を繰り返し、いったいなにが最善なのか。
能力者になってから目に映る世界が改変した。
もう戻れないような気がした。平凡で平坦で、それでも普通に楽しかった日常を、自ら手放してしまった。
失ってからわかる幸せ。これが目先の快楽に走ってしまった、秋蝉の罪なのかもしれない。
それでも変わることのないものだってあるはずだ。
「……真宵さんがお寝むから覚めるみたいですよ」
火鷹に言われて秋蝉と紗良がはっとする。
そして、回想が終わる。
「私が寝てる間になにをしてるんですか」
じとっとした藍霧の視線に秋蝉と紗良が苦笑した。
藍霧にしてみればたまったものではない。ぐっすりと寝てる脇でなにをシリアスになっているんだという話だ。そんなものはよそでやってもらいたい。
言いたいことは山ほどあるが、先だっていうことはひとつだけだ。
「明らかにあなたが話した内容よりも時間が経過しているようなのですが、これは私の気のせいでしょうか?」
アウルから聞いた話だと、藍霧は寝てからすぐに目を覚ましたはずなのだ。なのに外は暗くなっていて、いまは明らかに夜中だ。
「……いや、気のせいではないぞ」
「それだと辻褄が合いませんけど」
「一度は起きたんだ。あぁ、起きたんだよ」
「意味がわかりませんけど」
「……この部屋の惨状を見て、なにも思うところはないのか?」
言われて部屋を見渡すとなるほど。アウルの言いたいことがよくわかった。
物が散乱し、元から汚かった部屋が二乗増しになっていた。心なしか惨状に巻き込まれたらしき紗良と火鷹が怒っていた。
「お前、寝相が悪かったんだな」
「これって悪いってレベル!? 災害レベルじゃない!」
「お、おい。落ち着け」
藍霧に飛びかかろうとする紗良を後ろから羽交い締めにする。
「…………」
「なんですか?」
「ひ、火鷹ーっ!?」
「無言はちょっと怖いよ!?」
無言で拳を震わせる火鷹と、無言で無表情な藍霧。
叫びながら秋蝉が羽交い締めにするも、見かけによらず火鷹は力強く、なかなか押さえきれていない。
「ふ、風呂だ! みんな汚れているようだし、風呂に入るのはどうだ!?」
「そうだね! お風呂に入ろうよ! そうしよう!」
そろそろ火鷹を押さえきれなくて苦しくなってきた秋蝉が、ここぞとばかりに便乗してくる。
「この人数でですか?」
「ちっ、余計なことを……っ! せ、銭湯がある! それなら問題ないだろう!?」
「戦闘……? いいわ、そっちがやる気なら受けて立とうじゃないの!」
「ベタな間違い!? 漢字が違うよ!」
ぶちっ――と、なにかが切れた音を秋蝉は聞いた。それが幻聴だったらどれほど嬉しかったことか。けれどどうやら幻聴ではないらしい。
だって、額に青筋を浮かべて肩を震わせているアウルがいるんだから。
「ええい面倒だ! やりたいなら好きにすればいいだろう! 枕ならいくらでもある!」
アウルがクローゼットを開けると、枕の雪崩が起きた。
「えぇ!? なんでそうなっちゃうの!?」
「うるさいうるさいうるさい! 私だって朝の司先生との電話からストレスが溜まってるんだ! もうやっていられるかぁ!」
紗良を羽交い締めにするのをやめ、手近にあった枕をひっ掴む。そのまま遅滞のない動きで右手を、おそらく洒落にならないほどの全力で振りかぶった。
「そうですね。対等な――いえ、劣等な立場で戦うというのも悪くありませんね」
身を翻し、飛んできた枕を避けると同時に、どさくさに紛れて襲いかかってきていた火鷹をベッドに突き飛ばす。
ぎりぎりで倒れなかったものの、後頭部にアウルが投げ飛ばした枕が直撃。顔面からベットに倒れ込んだ。
アウルと紗良の間を掻い潜り、落ちていた枕を広い、追撃とばかりに火鷹の後頭部に撃ち込む。
「さぁ――戦争を始めましょうか、塵芥共」
『…………』
この争いの火種が自分にあるとはいえ、火鷹や紗良はともかく、秋蝉には悪いことしたなぁ、と思うアウルだった。
◇◆◇