1―(5)「接触」
時間は緩やかだが確実に過ぎていき、現在は昼休み。
毎日の恒例となっている真宵後輩の弁当をいただきながら、今朝に見つけた金髪美少女、アウル=ウィリアムズのことを話していた。
ちなみに今日の真宵後輩の弁当。ご飯に可愛らしいキャラクターが作ってあった。正直、食べるのがもったいなかった。
それでも迷いなく食べたんだけど。
「転校生だったのですか。でしたら私たちが分かるはずもありませんね」
「だな。しかも同じ学年で、同じクラスに来るなんて思わなかったぜ。金髪美少女の転校生なんて、めったにあるシチュエーションじゃねぇし」
金髪美少女ってのはどうでもいいが、外国人転校生なんて珍しい。凄く貴重だ。
高校三年間の思い出の一ページに刻まれるような出来事だ。
「……やはり男というのは、金髪美少女が好きなものなんでしょうかね」
「あ? うーん……それはどうだろうな。誰しもが金髪美少女がいいってわけじゃねぇだろうし」
両希なんて良い例だろ。
アウルが転校してきて質問攻めされてるところに行きもしなかったし、行った『藍霧真宵ファンクラブ兼精鋭部隊』の連中に怒りすら覚えてたくらいだ。
ちょっと危ないような感じはするが、必ずしも金髪美少女が好きってわけじゃないのはこれで分かる。
「私のクラスでは実際に見たわけでもないのに、野郎共が異様に盛り上がってましたけど」
「……それは、お前のクラスの男子が単純なんじゃねぇの?」
「そうでしょうか?」
そんなこと俺に訊かれたって分からないって。
真宵後輩は自分が作ってきた弁当を食べながら、八つ当たりでもするように俺に疑問をぶつけてくる。
俺は何か真宵後輩の気に障るようなことをしただろうか?
「先輩はどうなんですか?」
「何がだ?」
「決まってます。先輩も金髪美少女の方が好みなのかと訊いてるんです。先輩は金髪美少女が好みなんですか? 答えてください」
箸を動かす手を止めて、無感情な瞳が俺の顔を覗く。心なしか、その瞳には期待に満ちた色が浮かんでいる。
真宵後輩は俺にどんな解答を求めてるんだ?
でも、改めて訊かれてみるとどうなんだろう。
アウルが教室に入ってきたとき、大抵の連中が感じていたと思われる可愛いとか、美人だとかは俺も思っていた。
そう思うだけで、それ以上もそれ以下の感想も出てこない。
今からアウルについて思うことを述べろなんて言われたら、たぶん、特にありませんって答えるだろう。
所詮はその程度にしか思ってないってことだ。
じゃあ、俺の好みっていうのはなんなんだ?
好きな女の子っていうと誰も思い付かないけど、好みの女の子と訊かれると真っ先に真宵後輩と柊が浮かび上がってくる。
それはつまり、俺は真宵後輩や柊が好みってことなのか? うーん……なんかそれもいまいちしっくり来ない答えだな。
「どうなんですか?」
「俺は金髪美少女には興味ねぇや。どっちかって言えば、黒髪美少女の方が好みっていえば好みだな」
「黒髪美少女……。つまり先輩は私のことが好き、ということですか」
「自分を美少女って自覚してる奴はどうかと思うぞ?」
「冗談です」なんて言ってはいるが、実際のところはどうなのやら。
俺が真宵後輩のことが好きだとかは置いといて、美少女だということは誰もが認める事実だ。事実なだけに、否定できない部分もある。
「あの人、先輩の投げたボールを片手で掴んだんでしたっけ? 凄い人もいるんですね」
「心にもないことを言うな。何とも思ってねぇんだろ」
朝の警戒の仕方を見てた真宵後輩なら、その程度は出来ると判断できないはずがない。
たったあれだけの行動。
それだけであいつが普通じゃないことは明白だ。
ボールを受け止めるっていっても、受け止め方は様々だ。力をそのまま正面から受け止めるタイプは、腕のバネの柔らかさが必要になる。
一方、力を受け流すタイプは体の立ち位置。瞬間的な筋肉への力の伝達のやり方を熟知できていなければ、簡単に出来るものじゃない。
アウルがやったのは後者。
前者と違って後者は難しい。片手となるとなおさらだ。
「多少は思ってますよ。先輩の投げたボールですからね」
「だからなんで俺、そんなに信頼寄せられてんの?」
「信頼とかではなく、私たちの感性的に言ってるんです。ちゃんと抑えきれてないのでしょう?」
真宵後輩にそう言われて、苦笑いするしかない。
なんでこいつは俺の事情を簡単に見抜いてくるかな。
「あっちじゃ使わないなんてことはなかったからな。むしろ足りなくなる場合が多かったし。溜まりすぎってのは初めてなんだよ」
「先輩の場合は使うときは一気に消費して常に溜まりすぎるということがありませんからね。私は使わないときは二ヶ月も使わないこともありましたし、そういう扱いは慣れています」
「だから漏れてないんだな、お前。……まぁようするに、慣れるしかねぇってことか」
それまでこの溜まったのを無意識に使ってしまうことを考えると、安易に行動ができなくなる。
早く慣れないといけないか。
その解消法については、後々に考えるとしよう。まさか、クレーターを作るような惨事を巻き起こすわけにもいかないし。
「今すぐの解消法としては二つ」
真宵後輩は箸を口にくわえながら、人差し指と中指を立てる。
「クレーターを作るような惨事を起こすか……――――使うような場面に出会うかのどちらかです」
「後者はともかくとして、前者はあり得ねぇだろ……。全国ニュースにでも載せる気か?」
「私立桃園高校に隕石落下とですか?」
ここでやるのかよ。どんな被害を被る気だ、お前は。
「そんなことやるくらいなら、使うような場面に遭遇した方が現実的だっての」
「何か宛でもあるのですか?」
「ないわけじゃない。……アウル=ウィリアムズ。あいつからは、俺たちとは違う、似た匂いがする」
拭いきることが出来ない、異常の匂い。
嗅ぎ分けることが出来ない奴にしか分からない異臭が、アウル=ウィリアムズという人間から漂ってくる。
「それに、あっちも俺たちに違和感を感じてるみたいだぜ?」
「今朝、見かけたときに背中に視線が刺さってたから分かります」
アウルは俺たちの異常を感付きはしたが、顔までは見られていない。あくまで背中だけだ。
だから教室で俺のことを見ても分からなかったし、眼中に納めようとしなかった。見るに値しない、普通の人間と見られたから。
「あいつの周りを探ってれば、おのずとそれ相応の事態に辿り着くに違いない」
「それが危険なことなら、どうするのですか?」
「決まってんだろ」
俺は言葉を一旦切り、立ち上がる。
「願ったり叶ったりだ。危険? ンなもん知らねぇよ。俺はそいつを求めてんだ。……そいつは、お前も一緒のはずだぜ?」
「否定はしません。私も、興味はありますから」
真宵後輩にしてはずいぶんと控え目な発言だな。
その分、内心では高まってる証拠だ。
真宵後輩は感情をあまり表に出したがらない。だからその些細な変化は五年間、一緒に旅をしてきた俺にしか分からない。
ゆえに分かってしまう。
こいつも、凄く楽しげな表情をしているのを。
俺はそんな真宵後輩の横顔を見つめながら、どのようにアウルに接触するかを考えた。
◇
絶望が支配するヴォルツタイン王国皇女の王室に、男の声が響いた。
今まで一度も声を発することがなかったというのに、このようなタイミングで男は口を開いた。
皇女の胸ぐらを掴む女は、忌々しげに男の方に向き直る。
無機質で無感情な、冷酷な瞳が、男の体を貫く。
その目で見られれば誰もが屈してしまいそうな冷たい瞳に睨まれているというのに、男は全く動じている様子はない。
かといって睨み返すわけでもなく、下らないものを見るような、哀れんでいるような目で女を見ている。
そんな男を見て、女はさらに苛立ちを積もらせる。
「……何なんですか、貴方は」
「お前と一緒に召喚されたって言われたろ。そんなことも分かんねぇバカなのか?」
「そんなことは分かっています。私が訊きたいのは、なぜ今のタイミングで口を開いたかということです。邪魔です。口出ししないでください」
絶対の拒絶。女は男と口を利くことにすら嫌悪感を抱くように、有無を言わせない拒絶を示した。
冷酷な瞳は、未だに男を貫いたままだ。
そしてそれを聞いた男はといえば、同じように哀れんでいるような目で女を見つめたままだ。
「きゃんきゃんうるせぇよ。犬じゃねぇんだから黙ってろ」
決して引かないとでもいう意思の表明だろうか。はたまた売り言葉に買い言葉だけだったのか。
それは本人にしか分からないことだが、男は女にそう言い放っていた。
「だいたい、還れねぇからって皇女様に当たるのは、ただの子供のわがままだろうが。ただこねてンじゃねぇ」
「ただをこねる? これが普通だと思いますけどね。いきなり異世界に召喚されて、魔王を倒すのを丸投げにされて、還れすらもしないんですよ?」
淡々と言葉を述べていく女の言い分は、正当さを帯びている。
いきなり異世界に召喚されて、戦う力もないのに魔王を倒すことを丸投げされて、それをあっさり受け入れられるはずがない。
八つ当たりみたいな行動も、それを行った張本人に対してならまさに正当な行為だ。
「還れねぇって言っても今すぐにはの話だろうが。お前の言い分はただのわがままにしか聞こえねぇんだよ」
確かにその通りだ。皇女は今すぐには還れないとは言ったが、一生還れないなどとは一言も言っていない。
戦いたくないなら戦わなければいい。
そうしていれば五年……女が還るだけならば、その半分の時間で還ることが出来る。
だというのに今すぐに還せというのは、考えようによっては女がわがままを言っているだけのようにしか思えない。
「今すぐに還れないとしたら少なくとも二年半……私は高校を卒業しています。それを、こんな無駄なところで使いたくはありません。だから、今すぐに還りたいんです。それのどこがわがままなんですか?」
「ごちゃごちゃうるせぇな。だったら、そうやって周りに当たり散らしてたら還れんのかよ」
男の言葉に女は黙り込むしかなかった。
エネルギーが足りない。それが溜まるまで一人分でも、最低は二年半はかかると言われた。
こうやって当たり散らしていてもそれが早くなるわけではない。
こうしてみると女よりも、男の方が正しいように思えてくる――――が、そもそもこれに正しいも間違いもないのだ。
どちらの意見も聞けば納得できるものがある。
「皇女様。いくつか質問がある。答えてくれ」
「は、はい」
男は唇を噛んで悔しげにする女から視線を皇女へと移す。
そんな男の言葉に、さっきとは打って代わり皇女は上ずったような声で返事をした。
「まずはこの還るための時間についてだ。俺もそいつに色々と言ったが、不満がないわけじゃねぇ。本当に、ひとりなら二年半で還れるのか?」
「もちろんです。ふたり同時に召喚作業を行いましたので、ひとりならもう少し時間を短縮できるかもしれません」
それを聞いた女は、わずかに反応を示す。
今すぐには無理でも、予定よりも少しでも早く還れるかもしれない。それに反応しないはずがない。
「ふたつ目だ。これもそいつが言ったことだが、俺たちは戦いなんて知らねぇ。それでも『天剣』と『地杖』は使えるのか?」
「大丈夫です。『天剣』と『地杖』は選ばれなければ使えませんが、逆にいえば選ばれれば戦う力がなくても使えます」
それを聞いて安心した。
もしもそれらに選ばれても戦う力がなければ使えなかったとしたら、本格的に召喚された意味がなくなっていたからだ。
これに関しては確信があったわけではないが、予想通りの答えで素直に安心する。
「最後だ。この世界には、どういった力がある」
「どういった力、と言いますと……」
「『天剣』を使うときに必要になってくるエネルギーみたいなものだ。そういうのが存在してるのか?」
「それならあります。『波動』という私たちには欠かせないエネルギーのようなものです」
これで、だいたいは把握することができた。
つまりこの世界では『波動』を使うことが出来なければ、何も始まらないということなのだろう。
戦うにしても、私生活にしても。こちらで暮らしているうちにはそれが重要となってくるわけだ。
「分かった。あとは、『天剣』と『地杖』を見せてもらえないか?」
「も、もちろんです! むしろあなた方に持っていただかないと困ります!」
皇女は焦るように周りの護衛兵に指示をすると、ひとりの護衛兵がふたつの箱を持ってきた。
それを男がひとつ、女が不満そうにひとつ受けとる。
中を確認してみると、首飾りのようなものが入っていた。男のは剣を模したようなもの、女のは十字架を模したようなものだ。
「そちらの……えっと……」
皇女は男を見て、困ったような表情になる。
名前を知らないのだ。『天剣』と『地杖』に選ばれたふたりが見つかり、召喚してから今まで名乗り合う時間すらなかったのだ。知らなくて当然だ。
男はそれを悟ったように、口を開く。
「俺は私立桃園高校二年、冬道かしぎだ」
「……藍霧真宵」
男、冬道かしぎの言葉に便乗するように女、藍霧真宵も名乗る。
「冬道様が『天剣』、藍霧様が『地杖』となります」
「これが『天剣』、なのか? 小さすぎやしないか?」
こんなおもちゃみたいなもので戦えと言われたとしても、戦える気がしない。そもそも武器として成り立っていない。
こんなものが伝説の武器だというならば、拍子抜けもいいところだ。
「それは復元していないからです。復元すれば、ちゃんと元の『天剣』の形に戻ります」
「復元? 元に戻す?」
「はい。こちらの世界では、武器は全部そういう形になってるんです。復元するには復元言語が必要になるんですよ」
冬道は『天剣』と呼ばれている首飾りを手に取り、皇女の言葉に耳を傾ける。
透き通った綺麗な金色の首飾りは、それで光を見れば幻想的に見えるに違いない。
「復元言語は――――」
皇女がそこまで言ったところで、城が大きく揺れた。
立っていられないほどの大きな揺れに、冬道と藍霧は思わず膝をついてしまう。
揺れは五秒ほど続き、収まったところで王室にひとりの兵士が飛び込んできた。
「ほ、報告します! 国外の支配領より、魔王の僕と思われる魔獣を確認しました!」
王室に、戦慄の音が鳴り響いたような気がした。
◇
「本当にこんなので大丈夫なんですか?」
「大丈夫だって。心配すんな。こういう相手には回りくどいのは逆効果だ」
授業はあっという間に過ぎていき、今は放課後。
空が夕暮れで綺麗な紅を映し出した時間帯に、俺と真宵後輩は下駄箱である人物を待っていた。
部活があるわけでもないのに、そいつは未だに校舎から出た形跡がない。目で見たわけではないが、ちゃんと確認済みだ。
そいつはまだ、校舎のなかにいる。
まるで何かを探しているように、校内を徘徊している。
「何を探してるんでしょうね。ここに何かあるのでしょうか?」
「さあな。調べてみなきゃ分からねぇよ」
「どうせ調べる気はないのでしょうに」
真宵後輩の刺すような視線を感じて苦笑するしかない。
そんななか、廊下の先から誰かが歩いてくる音が響いてきた。誰もいない廊下。時間が止まったように静かな校舎のなかに、ひとつの足音が迫ってくる。
普通を装いながら、警戒しているような足音。
それがその人物の人柄を表しているように思えた。
「よっ、アウル」
「お前は……」
現れたそいつ、アウル=ウィリアムズに俺は声をかけた。
自分の下駄箱の前に立ったアウルは、名前が分からないように言葉が途切れる。
自己紹介もしてないのに分かるはずもないか。
「冬道かしぎだ。こっちは後輩の藍霧真宵」
「……どうも」
俺の名前を聞いたアウルの雰囲気が、わずかにぶれる。
だがそれはすぐになかったように装ってきる。
「そうか。悪いな、まだ名前を覚えてないんだ。私はアウル=ウィリアムズだ。よろしく……というのもおかしいか」
アウルは親しみやすい柔和な笑みと口調で俺たちに言ってくる。
それに対して真宵後輩はぴくり、と反応していた。
真宵後輩は嫌いだからな、こういうの。本音を隠して嘘偽りの仮面で自分の顔を覆うような、本当の自分を見せないタイプ。
「こんな時間までどうしたんだ? 残っているような時間ではないと思うのだが……」
わずかに視線から感じるものが変わった。
疑うような気持ち悪い視線に、俺はともかくとして、直接向けられていない真宵後輩ですら不快感を隠すことをしない。
「お前に言いたいことがあって待ってたんだよ」
内履から自分の靴に履きかえながら「言いたいこと?」とわざとらしく訊ねてくる。
「体育のときのことだ。悪かったな。お前に当てそうになっちまって。大丈夫だったか?」
「あぁ、大丈夫だ。どこも怪我はしていない。あのときのことは、冬道がやりたくてやったわけではないのだから謝る必要はない」
気持ち悪い視線がなくなった。
警戒するに値しない、こいつには疑うようなところはないと判断した結果なのだろう。
早く話を切り上げたいという気持ちからか、アウルは俺たちの脇を通り抜けて帰ろうとする。
何を勝手に切り上げようとしてるんだか。俺からしたら、今までのは前置きでこれからが本題なんだけどな。
「ところで」
俺は背中を向けているアウルに言葉を投げ掛ける。
「背中、がら空きだぜ?」
そう言った刹那に、アウルは動いていた。
振り向くと同時に右足を振り上げ、遠心力を乗せた蹴りを俺の顔面に向かって躊躇なく振り抜いた。
ここまで躊躇いがないと、逆に清々しく思えてくる。
かがんでそれをやり過ごし、俺はそこで感想を一言。
「水色の縞パンか。まぁ、似合ってるんじゃね?」
「――っ!?」
自分が今、ミニスカートだということを忘れていたのだろうか?
アウルは足を急いで戻してスカートの裾を押さえていた。
恥ずかしいというわけではなさそうだが見られるのは抵抗があるようで、追撃を仕掛けてくることはない。
つり目をさらに鋭くし、アウルは俺を睨み付けてくる。
「貴様、何者だ」
「それがお前の素顔か。そっちの方が俺からすれば、話しやすいぜ?」
「そんなことはどうでもいい。私が聞きたいのは、貴様が何者であるかだ。答えろ、冬道かしぎ」
俺から一定の距離を置き、何が起きても対応が出来るように警戒している。
それでも、俺から見たら隙だらけにしか見えない。
「何者か。強いて言うなら、元勇者だ」
「……ふざけているのか、貴様」
「ふざけてねぇよ。大真面目だ。俺は異世界に召喚されて、魔王たおしてきた。だから、お前の背中ががら空きだって教えただけだぜ?」
「……埒があかない。なら、ひとつだけ答えろ。お前は私の敵か?」
警戒を解かないまま、俺の目をまっすぐに見据えてアウルは問いかけてくる。
敵かどうか、か。そんなの決まっている。
「知らねぇよ」
「……なに?」
「俺がお前の敵かどうか、それはお前が決めることだ。少なくとも俺はお前にはちょっかい出すつもりはねぇ」
それは今の段階で、というだけの話だが。
アウルは俺の言葉を聞いて考え込むように目を閉じ、すぐに開いた。それと一緒に警戒を解く。
「私に関わるな。そうすれば、何も起きん」
答えはそれか、アウル=ウィリアムズ。
俺が返事を返す間もなく、アウルは再び背を向けて歩き出していた。
相変わらず隙を見せないようにはしているが、さっきまでの色の濃い警戒は見せていない。
信頼はしていないようだが、一応信用はしてくれたみたいだ。
背中が見えなくなるまで見送り、俺は息を吐きながら訊く。
「何でそんなに不機嫌そうなんだよ。お前になんかしたっけ?」
何故か真宵後輩が不機嫌になっていた。
具体的にいえば俺がアウルの蹴りを避けて、スカートの中を覗いた辺りからずっと不機嫌だった。そういうオーラが伝わってきたのを感じてたから分かる。
まさか、スカートの中を覗いたのが原因か?
「別に。私はスカートの中を覗いて嬉しそうにしていた先輩のことなんて何も考えてませんから」
それを考えてるって言うんじゃないのか?
口に出したら何をされるか分かったものじゃない。俺の安全のためにも、口には出さないでおこう。
「それより、これからどうするんですか? あの様子ですと、私たちは完全にマークされたようですが」
「問題ねぇよ。これであとはあっちから来るのを待つだけだ」
アウルは俺の名前を聞いたとき、わずかに雰囲気がぶれていた。
思いがけない収穫を得たような感じだ。
つまり今回のこの事件に、俺は俺が知らない間に関わっているということだ。誰に、どんな風に関わらされたかは知る由もない。
だが、そいつに言わないといけないことがある。
「巻き込んでくれて、ありがとよ」
「何を言ってるんですか……」
真宵後輩の呆れたような声を聞きながら、俺たちは帰路につくことにした。
◇
「兄ちゃん、どっかいくの?」
玄関で俺が靴に履き替えていると、つみれが問いかけてきた。
タンクトップにショートパンツというラフな格好をしている。風呂上がりの女子というのはこんなものなのだろうか?
「コンビニ。なんか飲み物買ってくる。つみれもいるものあるのか?」
「あたしはファッション雑誌買ってきて。こないだ買い忘れちゃってさ。金は帰ってきてから返すよ」
そう言って返したことがあったか? いや、ないな。
俺はあからさまに返す気のないつみれのいたずらじみた笑みを見て「別にいいよ」と告げて玄関を出る。
息を吸い込むと、まだまだ冷たさの残る空気が俺の中に入ってくる。いくら春といっても、夜はまだまだ寒い。
重装備で出てきてよかったぜ。
財布に入っている金で飲み物と雑誌が買えるかどうか確認するため、俺は財布を取り出す。
財布には野口さんがふたり、戦はまだかと待ち構えている。
もう少し待っとけ、戦場はもうすぐだ。
……ひとりでこんなこと言うのって、結構辛いものがあるな。
とりあえず二〇〇〇円もあれば飲み物もファッション雑誌も問題なく買えるはずだ。買えなかったら俺が買わなきゃいいだけだ。
「……ん? おいおい、これはまた派手にやってるな」
いつもの癖で周りに意識を巡らせてみると、ここから八〇〇メートルくらい先のところから『戦い』の匂いが漂ってくるのを感じた。
ひとつは今さっきまで感じていたアウルの気配。もうひとつはよく分からない気配だが、負傷事件の犯人に違いない。
思いの外、早く接触したみたいだな。
俺は口の端を吊り上げると、その場から走り出す。
八〇〇メートルなんて距離は、現役高校生からしたら大した距離じゃない。あっという間に気配があった場所に到着した
そこは夜は誰も近寄らなそうな倉庫だった。ここでなら大きな音がしてたとしても、めったなことでは人は近寄らない。
俺は再び意識を巡らせようとする。
しかし、それよりも早く次のアクションが行われた。
倉庫のシャッターを突き破り、金が俺に向かって飛んできた。見間違うはずもなく、飛んできたのはアウルだ。
いや、違うな。飛んできたんじゃない。飛ばされたのか。
俺は同級生の女の子が飛ばされてきたという状況を冷静に分析していた。
このまま飛ばされれば後ろの壁に激突して、大怪我をしかねない。もとよりアウルを見捨てるような真似をする気はないがな。
足を地につけて踏ん張り、次の瞬間に訪れた衝撃に耐える。
「……っ!? ちっ」
完全に忘れてた。今の俺の体は鍛えてたあのときとはわけが違う。
勢いのついた――いくら女の子といえど――ひとりの人間の体重を支えきれるほどの腕力は持ち合わせてなどいなかった。
それに対して舌打ちをし、俺はアウルを受け止めた瞬間に自分から後ろに下がる。
壁にぶつかる数メートル手前で無理やり足を地面に叩きつけ、勢いを完全に殺しきる。
「冬道……? き、貴様! なぜここに――ぐっ」
「たまたまだ。偶然通りかかっただけだよ」
怪我をしているのか、アウルは怒鳴った衝撃で痛みが走ったようで腕を押さえて顔をしかめていた。
俺はそんなアウルを庇うように前に立ち、倉庫のなかを見る。
周りよりもよりいっそう暗い倉庫のなかを見ても、何かが見えるわけじゃない。だが、気配は視える。
倉庫のなかのそいつは、ゆっくりとこちらに歩いてきている。
暗闇を利用して何か仕掛けてくると思ったが、その予想は裏切られてしまった。
そいつは悠然と、月明かりに照らされた世界に姿を現した。
最初に目がいったのは、顔を覆う狐の面だった。次はその身にまとっている、民族のような衣装。男かどうかを判断するのは、難しいな。衣装が分厚く出来ているようで、特徴が掴めない。
唯一分かることといえば、こいつが明らかに俺たちを敵視しているということだけだ。
(……来る)
わずかな筋肉の動き。
ただ指を動かすのではなく、何かを動かすような筋肉の動きを見た俺は前傾の姿勢で狐の面に向かって走り出す。
同時に俺がいた場所を何かが切り裂くのが見えた。
大当たりだ。こいつが負傷事件の犯人して、俺が感じ取っていた異臭の源だ。
今度は小さな動きではなく、腕も使った大きな動きで、狐の面はそれを使ってくる。
何を使っているかは分からないが、当たらなければ意味がない。
狐の面を被っている以上は普段よりも視界が制限される。速く動き回る相手に対しては、自分に錘をつけてるようなものだ。
案の定、狐の面は俺を捉えることは出来ずに周りだけを派手に破壊していく。
「甘ぇんだよ。もっとちゃんと狙えバカ」
俺は一気に背後まで移動すると、狐の面にささやくように言う。もちろん親切で言ったわけじゃない。
背後をとられて急いで振り向く狐の面に向かって、俺は右腕を手加減した本気で振り抜く。
拳から伝わる、硬い物体を壊した感触。ちりっとした痛みに少しだけ反応するが、大したことはない。擦りむいた程度の痛みだ。
俺の右ストレートをまともに喰らった狐の面は後ろに吹っ飛び、受け身をとることなく地面に叩きつけられた。
……って、ちょっと待てよ。
「まさか、これで終わりなのか?」
自分でも驚くくらい気の抜けた声だった。実際、それくらいに拍子抜けしている。拍子抜けもいいところだ。
たかが右ストレート一発だけで気絶?
そんな相手にアウルは手こずってたっていうのか?
「バカ者! 気を抜くな! 後ろから来るぞ!」
そんなはずないよな。これで終わりなんだったら、アウルが手こずるはずがない。
俺はアウルの叫びを聞いたからというわけではないが、とっさに体を捻って地面を転がる。
背筋に悪寒が走る。そのまま止まらずに、二回三回と地面を転がり、俺は壁際まで来ると壁を蹴ってアウルの側に着地する。
「貴様、本当に何者だ……」
「そいつは後から話してやる。今は、あっちの相手が先だ」
顔を抑え、よろよろと立ち上がる狐の面はぼろぼろと崩れ落ちていた。
どうやら面自体は普通に売られているようなもので、殴っただけで崩れるようなものみたいだ。
そこまで顔を見られたくないのか、片手で顔を隠しながらもう片方を動かして反撃を仕掛けようとしている。
さすがに今の体じゃ、『波動』を使わないでアウルまで気にして戦うのは無理があるかもしれない。
そんな心配は、必要ないみたいだが。
狐の面は俺たちに背を向けると、どういう原理を使っているのか、空中を蹴るように夜の闇に溶け込んでいきやがった。
とりあえず確認だけはできた。あとは、尻尾を掴むのみ。
「冬道かしぎ。貴様は何者だ」
腕を庇うようにして立ち上がるアウルは、俺に明らかな敵意と警戒を込めた口調で問いかけてくる。
かなり深手を負ったのか、俺を睨むアウルの顔には苦しげな表情が伺える。
よく見れば怪我をしているのは腕だけじゃなかった。
制服のあちこちが切り裂かれ、そこから覗く白い肌からは鮮血が流れ出ている。
「言っただろ? 元勇者だって。信じてもらえねぇのは分かってる。だから、全部説明してやる」
「その前に!」と俺はアウルに人差し指を突きつける。
いきなりの俺の行動にアウルはきょとんとしている。
「その怪我の治療が先だ。俺の家に来い。安心しろ。俺はお前の敵じゃねぇから」
「……信用していいのか?」
「あぁ。俺はお前の敵じゃねぇ」
しばらく考え込んだあと答えがまとまったようで「分かった」とそっけなく言ってきた。
「立てるか?」
俺は座り込んでいるアウルに手を差しのべる。
しかし、アウルはその手を掴むことなく視線を宙にさ迷わせたまま顔を赤くしている。
なんだ? 何か顔を赤くするような場面があったか?
「……」
「あ? 聞こえねぇよ」
何かを呟いたみたいだが、正直、全く聞こえない。
歯を食い縛り腹を括ったというよりも、自棄になったようにアウルは叫んだ。
「足に力が入らなくて立てんと言ったのだ! 何回も言わせるな!」
「逆ギレされても困るんだが」
なんで気を使った俺がキレられないといけないんだ。キレ返すぞ。
「仕方ねぇな。肩貸すのも面倒だし、俺の背中に乗れ。その方が手っ取り早い」
立てないアウルの前に、俺は背中を見せるようにしゃがむ。
「……」
「なに黙ってんだ。早くしろ」
「わ、分かっている。最初に言うが、私が乗っても間違っても感想など口に出すなよ」
「へいへい。重いとか言ったりしねぇから早く乗れ。面倒だ」
だいたい、変なところで女の子らしいこと言うな。パンツ見られても平気そうにしてたくせに。
痛みに耐えながらゆっくりとアウルは俺の背中におぶさってくる。
思っていたほどの重さは感じなかったし、むしろ軽いとさえ思えた。
だが、背中にあたる二つの柔らかいものはなんだ? まさかこいつ、着痩せするタイプか?
大きさ的には司先生よりも小さいけど、柊よりも大きいな。
「お前って、結構デカいんだな、胸」
「黙れ!」
鉄拳制裁を下されてしまった。
お前、怪我してるんじゃなかったのか?
俺は背中にあたる柔らかいものの感触を楽しみながら、結局買い物をすることなく、家に向けて歩きだした。
◇次回予告◇
「思春期でそういうのを知っていること自体は仕方ないが、俺とこいつはそんな関係じゃねぇ」
「分かっている。早く行け」
「なんで脱いでるんだ、お前」
「……? 何を、する気だ……?」
「――――風よ、祈りの癒しを」
「後輩からの小粋な計らいです。お楽しみいただけましたか?」
「……あぁ。刺激的すぎて思わず抱き締めちまいそうだぜ」
「プロポーズでしょうか?」
「……ふざけるなよ。そんなことが信じられるか」
◇次回
1―6「波導」◇
「だから俺たちは『天剣』と『地杖』をとったとき、人間をやめた」