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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第四章〈体育祭〉編
48/132

4―(12)「連撃」


『さあ、ただいまより午後の部開催です! 午後の部は午前と違い苛烈になる恐れがあるので、選手の皆さまは注意するように! さっそく第一の競技、いってみましょう!』

 昼休みを経て、さらにハイテンションとなった翔無先輩のアナウンスが耳が痛いほど響く。

 すでに競技に出場する俺たちは準備を済ませ、待機している状態だ。あとは開始の合図ひとつで再び激闘が幕を開けることだろう。

「アウル、体調は大丈夫なのか? 無理なら休んでてもいいんだぞ?」

「大丈夫だ。そこまで心配するな。さっきまで休んでいたのだぞ? 午後の部くらいならば問題なくいける」

「ならいいんだけど。無理だと思ったら言えよ?」

「……お前は心配しすぎだ。いくらなんでも過保護すぎるぞ。子供ではないのだから、自分の体調くらい自分で判断できる」

 しつこいぞとアウルは眉を潜めて言ってくる。

 心配なものは心配なんだから仕方ないだろ。心配って言っても、ここでアウルに倒れられたら俺の面倒が増えるっていう心配なんだが。

 顔色はだいぶよくなってきたものの、それでもまだ万全だとは言い難い。ちょっと押しただけでも倒れてしまいそうだ。

 俺としてはそんな状態のアウルに無理をしてもらいたくはない。

「おい、誰か俺と騎馬変わってくれ」

「なっ! 冬道っ!」

「いいから。俺が近くにいりゃ倒れられてもすぐに対応できる。倒れられちゃ迷惑なんだ」

 快く騎馬を変わってくれたクラスメートと列を交換し、アウルの後ろに並ぶ。

「なにを考えているんだお前は。今日のお前は変だぞ?」

「世話になったからな」

「は?」

「黒兎先輩と戦ったときとそのあと、お前には世話になったからな。これで返せるとは思ってねぇけど、少しは世話焼かせろ」

 動けなくなった俺を運んでくれたのはアウルと真宵後輩だった。だけど、そのあと寝る間も惜しんで看病してくれてたのはアウルだった。

 いまのいままで忘れてたが、借りは返さないとな。

「それならば最初にお前は私を助けてくれただろう。あそこでお前がいなければ私は……」

「あれは俺が勝手にやったことだ。助けようと思ったわけじゃねぇよ」

「それでも助けられた。だからお前がこんなところで気を遣う必要はない」

「別に気ィ遣ってるわけじゃねぇよ。倒れられたら困るだけだっての。そっちは体調万全じゃねぇんだから、もらえる好意はもらっとけ」

 もうすぐで騎馬戦が始まる。リーグ戦方式になっていて、最低でも三試合はこなさなくてはならない。一番最初は、いま一番あたりたくない青組だ。

 もともと俺は騎手としてではなく、騎馬として選ばれていたから戦力的には変わらない。ただ要でもあったアウルがこれだと、騎馬になる側がかなり辛くなる。

 ましてや相手は飛縫。こりゃ、俺たちは下手に手出ししないのが得策だな。

「柊、飛縫の相手はお前に任せてもいいか?」

「あたしに任しておけ」

 胸を張って言う柊を心強く感じながらも、それと同時に不安も覚えた。

 こいつ、まさか『吸血鬼』なんか使ったりしないよな? ……まさかな。あれだけ釘を刺しておいたんだから、使ったりなんてすることはないだろう。

「かれきのことだ。きっと僕たちの予想した盲点を突いてくるに違いない。みんな、油断しないでいこう」

 両希の言葉に俺たちは頷く。

 棒倒しのときは、棒を横にして支えるという反則ギリギリな方法を使ってきた。どんな方法かは皆目見当もつかないが、なにかをすることはわかる。

 それさえわかれば十分だ。最初に司令塔である飛縫さえ脱落させてしまえば、動きはバラバラになり、簡単に勝つことができる。

 狙うは飛縫だ。真っ先に飛縫を脱落させる。

『では、騎乗してください』

 俺たちは騎馬を組み上げ、アウルを乗せる。

『開始!』

 翔無先輩の合図でグラウンドに音楽が鳴り始めた。

 お互いに円を描くように動きながら、間合いを計り合う。この音楽が鳴り終わったときが戦の始まりだ。それまでは間合いを計り、自分たちの攻めやすい位置に移動する。

 肌を焼くような緊張感が漂う。まさに一触即発とはこのことだろう。

 そして――音楽が止まった。

『――っ!』

 グラウンドに獣のような雄叫びが響き渡る。堰を切ったように紅と青の騎馬が衝突した。

 早くもいくつかの騎馬が脱落し、陣営に戻っていく姿が見受けられる。

 それは青組だけでなく紅組も同じだ。力は互角。お互いに一歩も譲らない攻防は、先に気を抜いた方が呑み込まれる。そんな戦いにも似た感覚は、俺の感覚を無意識に鋭くさせた。

 最後尾にいる俺たちに向かって、両側から一騎ずつ向かってくる。周りの隙だらけの騎馬を無視して俺たちに向かってくるところを見ると、狙いは完全に俺たちだ。

 動かれる前に潰せ――そう飛縫にでも指示されたか。

「これくらいなら、いけるだろ?」

「当然だ。あまり私を甘く見すぎるなよ、冬道」

 そりゃ頼もしい限りだ。ならここはアウルに任せよう。

 二騎の騎馬が同時に襲いかかる。片方はアウルがつけているはちまきを狙い、もう片方は騎馬を崩すために足元を狙う。

 いい作戦だ。この競技では脱落する条件が二つある。はちまきを相手に奪われるか、騎手が地面に落ちるかだ。はちまきを奪えればそれは点数に繋がるが、騎馬が崩れたのは点数にならない。あくまでも奪ったはちまきの総数での決定になる。

 勝ち目がないと判断したなら、自ら騎馬を崩すのも作戦のひとつだ。

 だが、俺たちにそんなものは必要ない。

 右側から殴りかかるような勢いで腕が突き出される。アウルはそれを腕を振るだけで受け流し、遅滞のない動きではちまきを奪い取った。

 さらにアウルは振り向き様にもうひとつの騎手へと手を伸ばす。避けようとして後ろに仰け反ったのだがバランスを取れず、そのまま騎馬が崩れた。

「このままいくぞ。飛縫は柊に任せたんだ。俺たちは残りを一掃する」

 ちらりと柊の方に目を向けると、以外にも苦戦を強いられていた。『吸血鬼』を使っていないといえ、互角に対峙している飛縫には感心するしかない。

 だが柊が飛縫を押さえてくれてるおかげで、指揮が全体に行き届いていない。こいつらは事前に言われたことをこなしているだけだ。

 飛縫がいなければなにもできない。

 それだけ飛縫に頼りきりだったってことだ。ろくに練習もしないで他人に頼りきりだったお前らが、俺たちに勝てるわけもない。

「冬道、右だ!」

「ちっ」

 その場で停止し、騎馬を無理やり右に振り向かせる。それと同時にアウルが俺の眼前に迫っていた拳を弾いた。

「へぇ……いまのを防ぐんだ。なかなかやるじゃん」

 そう言ったのは目の前の騎手だ。長い前髪をピン留めで留めて、両腕に巻かれた包帯が特徴的な少女だ。

 そんな少女の口元には好戦的な笑みが浮かんでいる。

「私は深崎みさきゆかた。勝負しようよ、アウル=ウィリアムズ」

「…………」

 深崎が構えたのを見て、アウルも腕を持ち上げる。

 アウルに勝負を挑んできただけのことはある。わざと見せている隙に打ち込んでこず、深崎は自分のタイミングを伺っていた。

 なにか武道でもやっているのか、構えが様になっている。そもそも隙がわかる時点でそれなりの手練れだ。

 先に動いたのは深崎だった。はちまきを狙って左腕を振り上げる。その動きには鋭さがあり、いままでのように簡単に凌げそうにもない。

 向けられた力の方向に逆らうことなく、腕を受け流す。

 だが深崎の攻撃は終わらない。受け流された左腕をそのまま引き戻し、アウルに裏拳を叩き込んだ。間一髪で防いだものの、立て続けに深崎の右腕が打ち上がってくる。

 顔を横にずらすことでそれをかわす。アウルが反撃の狼煙を上げた。

 組み弾いた腕の間に捩じ込むように拳を突き出す。深崎は腕を交差させて直撃は回避するも、痛々しい鈍い音が耳に入った。

 アウルの容赦ない拳撃が矢継ぎ早に打ち込まれていく。最初こそ対応していたものの、加速し続けるアウルの拳撃に次々に体が穿たれていく。

「うわ、ちょ、痛い痛い!」

「ならばさっさとはちまきを私に渡せばいいだろう」

「それはできない相談かな。こっちはウィリアムズと戦いたくてわざわざ出てきたんだからね!」

 準備運動は終わったとばかりに深崎はアウルの拳撃を避け始める。

 速いというより巧い。この足場が安定しない同じ状況だとはいえ、当てるのと避けるのとではだいぶ違ってくる。体重の移動とバランスの取り方を心得ていなければ、ここまで綺麗には避けられない。

 さっきまでのは足場を確かめていただけだ。完全に足場を掌握したいま、深崎に一撃を加えるのは難しい。

「ねえ、ウィリアムズなら覚えているよね?」

 涼しい顔をしてアウルの拳撃を避けていた深崎は、唐突に問いかけてきた。

「四月の始まりから終わりにかけて、世間を騒がせていた傷害事件のこと」

「……知らないわけがないだろう」

 一瞬だけアウルに動揺が生まれた。打ち所が甘かった拳撃は深崎に掴まれ、身動きが取れなくなる。

「だよね。あれだけ騒がれてたんだから、いくら転校生であるウィリアムズでも知らないわけがないもんね」

「それがどうした」

「あたしはね、その最初の被害者なんだよ」

 アウルの拳を離し、腕に巻いていた包帯をほどいた。露になった腕には、痛々しいほどの傷が刻まれていた。完治しているとはいえ、あれだけの傷はもう消えることはないだろう。

「あれは怖かったね。いきなり襲われたかと思えば、全身ズタズタにされたんだ。いまは体操服で見えないけど、この下は傷だらけで、他人に見せられるような肌じゃないよ」

「それをどうして私に話すんだ」

「決まってるじゃん。お前があいつを――狐の面を倒したんだろ?」

「…………」

「あれだけ騒がれてたのに、ウィリアムズが転校してきてすぐに騒がれなくなった。全国ニュースにもなったくらいなのに、一切の報道もなし。これって、おかしいよね?」

 狐の面――秋蝉先輩が起こした傷害事件については『組織』が揉み消したと聞いている。超能力という異常性が世間に露見して混乱が起こらないよう、そういうところは徹底している。

 それを疑問に思う人間は少なくないはずだ。現に目の前には、深崎が疑問を口にしている。

「まぁ、報道についてはどうでもいいけどさ。興味ないんだよね、そういうの。問題なのは、狐の面を倒したのがお前かもしれないってことなんだよ」

「残念ながらそれは私ではない」

「ホントに? だけど少なくとも関係はしてると、あたしは踏んでるよ」

「そうだとして、貴様はなにが言いたい」

「そうなると、あたしはお前を倒さないと気がすまない」

 深崎の言葉にアウルは疑問を覚えたようで、小さく首を傾いでいる。

「あたしの常勝無敗が破られて、その破った相手はウィリアムズが倒した」

「おい、言っておくが……」

「だったら一回の敗北の汚名は、ここでお前を倒して張らしてやるってことなのさ!」

 俺の頭上でため息がこぼれていた。

 おそらく内心で呆れていることだろう。その気持ちはよくわかる。こいつ、人の話を聞く気がないからな。

「つーか常勝無敗って、去年の体育祭で飛縫に負けたろ」

「負けてないよ。だってあたし、飛縫とおんなじクラスだったし。てゆーかお前とも同じクラスだったし」

「あ? そうだったか?」

「もしかして、覚えてないの?」

 この様子からして俺は深崎と同じクラスだったようだ。さっぱり記憶にないんだが。

「席も隣だったし、話したりもしたじゃん!」

「覚えてない」

 俺がばっさりと切り捨てると、深崎はがっくりと項垂れてしまった。忘れられてたのがそんなにショックだったのか。

 去年の俺は他人に興味がなかった。覚えてたのなんて柊や飛縫、両希くらいだ。

「勝負だ、アウル=ウィリアムズ!」

 あ、どうやらいまの会話自体をなかったことにするらしい。まぁ別に構わんけど。

「……話はそれで終わりか?」

「終わりだ!」

「そうか。ならば言うが、その狐の面とやらを倒したのは私ではない」

「そうなのか!? なんで言わなかったんだよ」

「私が言おうとしても貴様が押し付けるように話すから言えなかったのだ。私が倒したわけではないが、誰が倒したかは知っているぞ」

 アウルは改めて構え、臨戦態勢を作った。

 雰囲気が変わる。ただの武人としての雰囲気ではなく、能力者としての雰囲気が、アウルを中心に渦巻く。

 深崎もそれを感じとったのだろう。表情から余裕が消える。構え、アウルの一挙手一投足を見逃すまいと集中しているのがわかった。

 アウルの能力者としての雰囲気を、能力者の被害に遭った深崎は本能で理解している。

「私に勝てないようならば、そいつに挑む資格はない」

「それは上等。もとよりあたしはお前を倒すつもりだったし。その上があるならあるで、ただただ嬉しいだけさ!」

「なっ!」

 深崎は自分の騎馬を踏み台に、アウルに飛びかかってきた。一見すれば自爆行為にしか見えないが、あくまでも脱落になる条件は騎馬が崩れることと騎手が地面に落ちること。

 その脱落条件が決定する前に、アウルのはちまきを奪えば深崎の勝ちだ。逆にこれを凌げばアウルの勝ちとなる。勝った直後に脱落することには変わらないが。

 不安定な足場と違い騎馬を足場とした深崎が、アウルの頭上から降下してくる。このままだと俺たちは確実に脱落する。勢いをつけて降下してくる人を(いくら女でも)支えきれるはずがない。

 だったら、支えられるようにすればいいだけだ。

「アウル、飛べ!」

 判断したアウルには一切の躊躇いはない。俺の肩を踏み台に、深崎と入れ替わるように位置を変えた。

 後ろにのし掛かった衝撃に耐えつつ、アウルが無事に青組の騎馬に乗り移ったことを確認した。

「くそ重てぇ……」

「あたし、体重は軽い方だと思うんだ」

「そんなん知るか。危ねぇから飛び乗ってくるんじゃねぇ。落ちたら怪我すんだろうが」

「あっはっは。そこまで考えてなかった。けど大丈夫だったと思うよ? あのくらいの高さだったら落ちても平気だし、第一にあたしは落ちない」

「うるせぇ」

 なに自信ありげな顔で言ってやがるお前は。

『見応えのある攻防なんだけど司先生、あれっていいんですかねぇ?』

『いいもなにも、反則はしていないのだからいいんじゃないか? 騎馬が崩れるか騎手が地面に落ちるか。そのどちらかが脱落条件というだけで、騎馬の交換は反則ではないだろう』

『……そもそも違う組同士で騎馬を交換するなんて考えないからねぇ。来年からはちゃんとルールを作らないとだめかもしれないよ』

『来年は卒業しているだろう』

『おっと、そうだったねぇ』

 実況および解説がこの状況を承認したということで、戦いを再開しようか。

 この騎馬を交換した状態だと、騎馬が崩れたら脱落という条件はほぼなくなったと言っていいだろう。どちらかの騎馬が崩れれば、それだけでお互いに脱落となる。勝つためにははちまきを奪うしかなくなったわけだ。

 深崎が俺の肩の上によじ登り、あろうことかアウルに向かって回し蹴りを振り抜いた。こいつ、これが騎馬戦ってことを完全に忘れていやがる。

 不安定な足場だというのに、並外れたバランス感覚がそれを相殺する。

 アウルは身を屈めてそれをやり過ごした。

「悪いが、私の勝ちだ」

 決着は一瞬だった。深崎が反応できない速度ではちまきを奪った。たったそれだけのことだが、深崎は身動ぐことさえできなかった。

 それも仕方のないことだろう。アウルが能力者として全力で戦ったのだ。

 深崎は狐の面の一番最初の被害者であり、極度の負けず嫌いな性格だ。常勝無敗についた汚名を返上するために、深崎は狐の面を倒したかもしれないアウルに挑んだ。

 狐の面を倒したのは俺だが、アウルも関係している。

 このままにしていれば、いつか深崎は超能力の存在にたどり着いたかもしれない。だからアウルは圧倒的な力の差を見せつけ、目標を自分へと向けさせたのだ。

「うそ、全然見えなかった……」

「その程度では狐の面を倒した男には勝てんな。そいつか誰かを教えるのは、私に勝ってからだ」

「……次は、負けないからな」

「いつでもかかってこい」

 騎馬を元に戻し、俺たちは残っている青組の騎馬を脱落させるために周りを見渡す。

 柊は飛縫に勝ったようで、他の騎馬を次々と脱落させていっている。

 どうやら、俺たちの出番はもうないようだ。


     ◇


 青組との試合が終わればあとは楽だった。

 白組や緑組には飛縫や深崎といった面倒な相手がいるわけではなかったので、ほとんど柊の独壇場だった。

 あえて言うなら不知火は少しばかり手こずったものの、柊の前に虚しく散っていった。

 三戦三勝の成績を納めたおかげでゎ青組との点数差はなんとか二桁にまで追いついた。

「だから無理すんなって言ったろ」

「……いや、深崎ゆかたが意外にも強くてな……」

 そしてアウルが騎馬戦を終えた直後にダウンした。深崎との攻防が予想外にアウルの体力を削っていたようだ。

 いまは安静をとって、木陰で寝かせている。

「もうお前は休んどけ。この体調でよくやったよ」

「……お前に誉められると、気持ち悪くなる」

「おいこら、俺の素直な称賛をなんで受け取らねぇんだ」

 どいつもこいつも俺が誉めると揃って同じ反応しやがって。俺が誉めるのがそんなにおかしいことなのかよ。

「ひゃっ」

「お、珍しく可愛い声出すじゃねぇの」

 額に医務室から持ってきた氷入りの水枕を当てながら、俺は悪戯めいた笑みを浮かべる。

 アウルはそれを奪うように受け取りながら「うるさい」とそっぽを向く。

 熱さから来たものか、はたまた恥ずかしさから来たものなのか、アウルの横顔がわずかに朱色に染まっていた。

「なんだ冬道、人の顔をじろじろと見て」

「別に。なんでもねぇよ」

「……まったく」

 アウルは呟いてグラウンドに顔を傾けた。

「いまはなんの競技をしてるんだ?」

「借り物競争だ。たしかいまは一年生がやってるはずだ」

「一年ということは、藍霧もでているということか」

 そういえば真宵後輩、借り物競争に参加するとか言ってたっけ。かなり嫌そうだったな。

 借り物競争の競技時間は多めにとられている。

 しばらくは休んでいられるだろう。

 俺は木を背もたれにし、グラウンドを見つめた。


     ◇


(ああもう……気になって仕方がありません)

 藍霧の碧色の瞳は、木陰で休む冬道とアウルの姿をしっかりと捉えていた。仲良さげに話しているその光景は、藍霧を苛立たせる。

 異世界にいるときでも、冬道の周りには妙に異性が集まる傾向にあった。それでも冬道に余裕があったわけではなく、いちいち対応している暇はなかった。だからこそそこまで不安に思うこともなかった。

 だが、地球に還ってきてからは違う。周りから頭ひとつ抜けた強さを持ち、いくつもの死線を潜り抜けた冬道にとって対応の余裕がある。

 冬道にその気がなくとも、藍霧には自分から離れていってしまうように見えるのだ。

(下らない行事などさっさと終わらせましょう。体育祭のせいで、先輩といる時間が減ってしまいましたし)

 視界の先には横長のテーブルがある。その上にはひとつの箱が置かれており、中には借り物競争で借りる品が書かれている。いち早く指定された品を手に入れ、ゴールテープを切った時点で順位が決定する。

 大抵の場合、指定されるものは学校で事足りるものだ。

 ただまれに、体育祭を見に来ている観客の持ち物を宛てにしたものもあり、藍霧としてはそれはなんとしてでも避けたい。

(刹那に瞬く間にすぐさまに終わらせましょう。これ以上、私と先輩の時間を減らさせはしません)

 瞳が碧色に染まっていく。波動を波脈に走らせ、肉体を強化した副作用だ。

 司に能力を使うなと遠回しに言われたが、それを守る義理は藍霧にはない。文句があるなら叩き潰せばいい。邪魔をするなら捩じ伏せる。

 ただそれだけのことだ。

 藍霧が走る組み合わせにいるのは白鳥と火鷹とあとは名前も知らない生徒だ。一年生のなかでも驚異といえる二人ではあるが、藍霧にしてみれば一般人も同然だ。

 波動を使うまでもなく勝敗を決するのはそう難しいことではない。

 それでも使うのと使わないのとでは変わってくる。

『準備はいいかい? それじゃ……スタート!』

 全員が一斉に飛び出す。

 翔無の合図にフライング寸前で飛び出した藍霧は、身に異変を感じた。

 浮遊感といえる曖昧な感覚が藍霧の全身を支配する。

(なるほど、そういうことですか)

 いつの間にか藍霧を追いこし、後ろを向いて様子を伺う火鷹を見てすべてを理解した。

 火鷹が能力を使ったのだ。彼女の能力は空間を操るという珍しいものだ。本来あるはずの空間を途絶し、範囲を限定させる。直接的な干渉はできないけれど、足止めなどにはうってつけの能力と言えるだろう。

 しかし、藍霧にその程度では足止めにすらならない。

獄爆ごくばく

 途絶された空間がぜた。波導使い以外には見ることができない爆発は、たったそれだけで火鷹の能力を無効化する。

 一連の動作はたった一瞬で行われた。周りには藍霧が出遅れたくらいにしか見えなかっただろう。そのとおりで、藍霧もその程度の認識しかしていない。

「……っ!」

 爆発を抜けたすぐ先に、拳が迫っていた。

 なにも火鷹もあれくらいで足止めができるとは思っていない。以前にも破られているのだから、すぐに藍霧が抜けてくるだろうことは予想の範囲内だ。

 だから第二陣を用意していた。

 白鳥の拳が眼前でうねりを上げ、火鷹の鎌のような蹴りが軸足を刈り取らんとしている。

 不意を突いたはずだが、それでも足止めできるとは思えない。藍霧にいくら策を講じたところで自分たち程度では軽く流されることはわかっている。

 火鷹たちの狙いは一瞬でも藍霧を躊躇させ、その隙に借り物を指定された紙を引くことだ。

『雷鎧』

 閃光を錯覚させるような速度で、藍霧は駆けた。

 二人には消えたように見えただろう。その表情には隠しきれない驚きが浮かんでいる。

「その程度で、私が止まるとでも?」

 そう呟いて藍霧は前にいた生徒をあっという間に追いこし、借り物が指定された紙を引く。

「……へぇ」

 二つに折り畳まれた紙を開き、藍霧は凄惨に微笑む。ただその微笑みは、長い間、共に過ごしてきた冬道にしかわからない。

 くしゃりと紙を握りつぶす。

 指定された品を求めて、藍霧は疾走を開始した。


 なにが起こったかわからなかった。

 途絶した空間が破られることは想定内。そのあとの足止めも避けられることはわかっていた。それでも、少しでもと淡い希望を抱いて挑んだ結果がこれだった。

 硬直からようやく立ち直った火鷹は振り返る。すでに藍霧は遠く離れたところにいた。

 なにかを言っていたような気がするが、それを思い出すことはできない。

(……さすが真宵さんというところでしょうか。私はともかく、みーちゃんさんまであんなにも簡単に振りきられるとは……)

 身体能力では火鷹よりも白鳥が優っている。だからこそ目に見える範囲の攻撃は白鳥に任せたのだが、それでも藍霧の雨を縫うような速さに反応することを拒んだ。

 しかし実を言えば『雷鎧』を使い、ほんの一瞬でも雷速に達した藍霧を捉えられるはずもない。

 それを見切ることができるのは同じく雷を操る黒兎か冬道、東雲や司くらいのものだ。

(……私たち程度では、これが限界ということですか)

 火鷹もいままでの戦いでなにも感じていないわけではない。いくつもの戦いで、なにもすることができなかった。『組織』の能力者として、翔無を慕うひとりとしてなにかできたことがあったはずだ。

 もともと冬道や藍霧は『組織』の人間ではない。

 だというのに、自分たちは二人に頼りきりになっている。自分たちがやらなければならないことを、押しつけてしまっているのだ。

 生徒会と風紀委員の和解も、二人がいなければいつまでも平行線を辿っていただろう。

(……いつまでもお二人に頼ってばかりではいられません。この学校を卒業しても、私たちは『組織』の一員なのですから)

 いつかは二人に頼れなくなるときが来る。そうなったとき、いまのままでは取り返しのつかないことになる。

(……超えます。いまの自分を、超越します)

 さしあたってやることは、まずこの借り物競争を一位でゴールすることか。

 箱のなかから一枚、紙を取り出す。

「……雪音さんも人が悪いですね」

 この借り物競争で借りる品を選定したのは翔無だ。もちろん、彼女の趣味嗜好が反映されていてもなんら不思議はない。

 同じく指定された品を見て口角を吊り上げる白鳥を横目で見つつ、火鷹はツインテールを揺らした。


(さっすが真宵。兄貴が認めただけのことはあるじゃん)

 白鳥瑞穂は一般人だ。狐の面の被害に遭って超能力という存在を知ってはいるが、それでも一般人だ。

 異例だとも言えるだろう。能力を持たないながらにして、彼女は超能力に関わりつつある。

『組織』でも白鳥の動きはできる限りの範囲で把握している。彼女は超能力に関わってしまった。一度でも超能力に触れてしまえば、意図せずしてあっという間に引きずり込まれてしまう。

 なんとしてでもそれは阻止しなければならない。

 能力者ならばまだしも、白鳥はなんの能力も持たない、ここらの不良を仕切っていたとしてもただの弱者なのだ。危険に晒すわけにはいかない。

(だけど……ウチを嘗めんなよ。なにが超能力だ。そんなもので、人の価値を決めつけるんじゃないし!)

 しかしその考えが気に食わない。白鳥は狐の面の事件以来、なにか腫れ物を触るように接せられていることが面白くなかった。

 火鷹はそんなことは意識していないのだろうけれど、無意識にそうしてしまっている。それは火鷹に限った話ではなく、能力者全員がそうなのだ。

 能力者の被害に遭った可哀想な一般人。

 そのレッテルが白鳥を苛立たせる。

 冬道が現れるまで不良たちの頂点に立っていた彼女の神経を逆撫でする。

(ウチを嘗めたのを後悔させてやる。ついでに真宵、あんたはウチのことをいじめすぎだ!)

 二人には悪いが、今回は勝ちを譲る気はさらさらない。

 かつて不良共を束ねていた女帝の底力を見せてやる。

「これ、ウチに勝てって言ってるのかな」

 引いた紙に書かれた品を見て、白鳥は勝ちを確信する。

 ひと足早く駆け出した藍霧を追いかけるように、白鳥と火鷹は同時にグラウンドを蹴った。


     ◇


 なんだかグラウンドが騒がしいな。なにかあったのか?

「冬道、いつまでもここにいる必要はないんだぞ?」

「わかってるよ。涼しいからここにいるだけだ」

「……そうか」

 なにもしないのにこの炎天下のなかにいるたまるか。せっかく涼しいところにいるんだから、いまは観戦をしていたい。

 アウルの調子は少しは回復してきたようで、顔色がよくなってきている。

 こっそり風系統の波導を使って回復力を促進させてはいるが、やはり回復波導の本家である水系統の波導とは違い、瞬間で回復するわけではない。この波導の使い方があんまり得意じゃないだけになおさらだ。

 真宵後輩とエーシェに任せきりだったからな。少しはそういう使い方を学んでおくべきだった。

「……私の目が狂ったわけではないのなら、こちらに藍霧たちが向かって来ているように見えるのだが……」

「安心しろ。どうやらお前は狂ってないみてぇだ」

 俺の目には砂塵を巻き上げながら、真宵後輩を筆頭に白鳥と火鷹がこちらに向かって疾走してくる姿がはっきりと映っている。

 嫌な予感しかしない。こういう展開のときはかなりの確率で巻き込まれるのは経験上、何回もあったことだ。

 逃げてしまおうか。暑いのは嫌だが面倒なのはもっと嫌だ。……よし、逃げるか。

 立ち上がり、真宵後輩たちとは逆方向に踵を返す。

「逃がしませんよ」

 響くように聞こえてきた真宵後輩の声に、咄嗟に飛び退いて天剣を構えそうになり――なんとか踏み止まる。こんなところで天剣を復元したら騒ぎになる。

 いまさっきまで俺がいた場所に視線を落とすと、そこは隕石でも落ちたように陥没していた。

 少しでも反応が遅れていたら、俺の頭があんなことになっていたかもしれない。そう思うと背筋が凍るようだ。

 真宵後輩は俺が避けられると判断したんだろうが、いくらなんでも勘弁してもらいたい。

「先輩、大人しく捕まってください。さもないと……」

「さもないと……?」

 その先はあまり聞きたくはないのだが、ついつい条件反射で問い返してしまう。

「明日から先輩にはお弁当を作ってあげません」

「な……っ!」

 真宵後輩の言葉に俺は絶句するしかなかった。

 弁当を作ってくれない……だったら俺はこれからどうやって生きていけばいいんだ。

「ですから、さっさと私に捕まってください」

「よくわからねぇけとわか……」

「兄貴はもらったぁ!」

 重ねるように発された言葉により、俺の言葉が遮られる。そればかりか、気がつけば手を引かれて走っていた。

 風に揺れる金髪。いかにも活発さを強調したような外側に跳ねた長髪。身長は俺の胸くらいまでで、体操服の下から見える肌には、いくつもの傷痕が残っている。

「いっひっひ。真宵もキョウも出し抜いたッスよ!」

「はいはい……」

 白鳥の嬉しそうな笑みを見、こっそりとため息をつく。

「このままぶっちぎるッスよ!」

「それはどうでも……よくはねぇけど、紙になんて書いてあったんだ? 男前な先輩とでも書いてたのか?」

「そんなこと書いてないッスよ」

 うわ……こいつ、はっきり言いやがったぞ。

 さすがの俺でもそれは落ち込むぞ。少しはオブラートに包むってことを覚えてくれ。

「あれ? あ、ああ、兄貴はちゃんと男前ッスよ? 当然じゃないッスか! だから落ち込まないでくださいッス。追いつかれるッスから」

「明らかにそっちが本音だろうが」

 後ろから追いかけてくる真宵後輩は、怪我をしない程度に波導を放ってきている。俺だけだったらもっと大規模なものを使っていただろうが、白鳥がいるからこの威力に止めているのだろう。

 俺だけだったらと考えると、白鳥には感謝しないといけないような……そうでないような。

 ていうか俺に向かって波導を撃つな。対応が面倒だろ。

「それで、なんて書いてあったんだ?」

「これッスよ」

 二つに折り畳まれた紙を受け取り、なかを確認する。

「『きょうだい』?」

「そうッス。『きょうだい』といえばお兄ちゃん。つまり兄貴。だから兄貴を連れて行くッス!」

「いや、それ、なんか違うくね?」

「だけどひらがなッスから」

「そういう問題じゃねぇよ」

 だが白鳥は聞く耳を持たないようで、なおも加速し続ける。それに比例して真宵後輩の放つ波導も強力になってきている。頼むから勘弁してくれ。

「……みーちゃんさんの好きにはさせませんよ」

「げっ、キョウ……」

 今度は火鷹か。右腕を前に突き出し、左腕を腹部の前で軽く曲げる。後方支援や情報処理が専門の彼女にしては珍しく、武術の構えをとっていた。

 その構えは自然体で、目立った隙がない。

「本気じゃん。まぁ、いいや。それならウチだって本気でやるだけだし」

「それなら私が先輩をいただいていきます」

「あ」

 白鳥が冷や汗だらだらだ。前門に能力者、後門に波導使い。これは完全に詰みだな。

 前門の能力者だけならまだしも、後門の波導使いは『夜天』の称号持ちだ。そもそも称号持ちはそれだけで格違いの波導使いということを示している。

『夜天』に至っては真宵後輩のためだけに新しく作られた称号だ。追いつかれて振りきるなんて無理だろうなぁ。

「火鷹はなんて書いてあったんだ? まさかまた『きょうだい』なんていうオチじゃねぇよな?」

「……はい。私が引いたのはこれです」

「なになに……あ? 初めての、人?」

「……いやん」

 え、いやいやいや! なんでそんな赤くなってんの? なんでそんな体くねくねさせてんの!?

「……かっしーさん、あのときは優しかったですよね」

「初めてってジュース奢ったときだよな? そうだよな!? そうだと言ってくれ!」

「……そんなに全力で否定しなくても。傷ついちゃうじゃないですか。それとも、私を傷物にするんですか?」

「お前もう喋んな!」

 肩で息をしながら俺は最後の砦と向かい合う。

「真宵後輩は? もうなにが来ても驚かねぇぞ」

「…………」

「ん? どうしたんだよ」

 握りつぶした紙を見つめたまま、真宵後輩が動かない。

 なにかを決めかねているようだったが、しばらくして、

「――――ドライ

 その紙を波導で消し炭にした。

『翔無、あれでは指定されたものがなんだったのかわからなくなるのではないか?』

『大丈夫大丈夫。なにが指定されてたかは、ボクがちゃんと覚えてるから。だってあれ、ボクが面白そ……書いたんだからねぇ』

 いま面白そうだったって言いかけたよな? つーかこの面倒事の元凶はあなたか――って、いまはそれどころじゃない。

 対峙しているのはこの三人でも、狙われているのは俺だ。いまは三つ巴の均衡のおかげで被害がないが、これが破られれば……

 背後では真宵後輩が属性石エレメントに手を添える。やる気満々じゃねぇか。学校の行事でも勝つためには手段は選ばないってか。

 じりじりと火鷹も距離を縮めてくる。

 前後を挟まれた白鳥は隙を伺いながらぴょこぴょこと必死にあほ毛を動かし(注釈しておくとこれは表現であって、本当に動かしているわけではない)、どうにか脱け出す活路を見いだそうとしている。

 その姿に妙な保護欲をかきたてられた。

『ちなみにこの三人、新聞部が秘密裏にアンケートを取ったところ一位から三位までを、四位と大きく差をつけて陣取っていますねぇ』

『そんなもの、どこでやったんだ』

『風紀委員室の前にアンケート用紙を置いて、投票箱に入れさせました。いやぁ、風紀委員っていいねぇ。いろいろと役に立って』

『どうしてお前が風紀委員長になれたのかが不思議だ』

 そんなことどうでもいいから、この状況をなんとかしてくれ。どうせ真宵後輩が一位なんだからアンケートなんてするまでもないだろ。

「そうだ! いい案があるッスよ!」

「いい案とは?」

「ウチらが争うよりも、全員が兄貴を求めてるんだから、兄貴に選んでもらえばいいんスよ!」

 そう言っていい笑顔を見せてくる白鳥。

 俺に選ばせるより、力ずくでやった方がまだ勝てる確率はあったと思うんだけどな。

「では行きましょう、かしぎ先輩」

「おう」

 差し出された真宵後輩の手を握り、ゴールに向かう。

 悪いがこの状況で真宵後輩を選ばないなんて選択肢はあり得ないし、そもそも存在していない。

 俺は常に真宵後輩一択だ。

 ゴールしてから気がついたけど、真宵後輩についていったら青組の点数になるんだったな。

「結局さ、なんて書いてあったんだ?」

 指定された品が合っているか確認するときも、耳打ちで言ってたから俺は聞いていない。

「……知りません」

 ぷいっと――頬を赤らめて呟いた真宵後輩にときめいたのは、ここだけの内緒だ。



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