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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第四章〈体育祭〉編
44/132

4―(8)「開幕前日」


「…………」

 紅に染まった空を背景に、屋上に斬響ざんきょうが残されていた。波動を乗せた息を大きく吐き出し、手にした天剣を振りかざす。

 下段からの振り上げに上段からの振り下ろし。鞘に納めた天剣の重さに引きずられながらも、体重を移動させることで体勢を維持する。振り上げと振り下ろしは、徐々に振り回しに変化していく。体重の移動は足を地面から離れさせ、体全体の振り回しは空気を振動させる。目まぐるしく変わる景色は、天剣の延長線上にあるものだ。

 天剣を抜刀し、一閃する。その勢いで体を回転させ、体勢を立て直す。

「エレメントルーツ」

 天剣を待機状態に戻すと、俺は膝の伸縮を利用して屋上に着地した。

「……はぁ」

 首飾りになった属性石エレメントを首から下げると、ため息を吐く。ほんのりとかいた汗を拭い、俺はアスファルトの上に腰を下ろした。

 あれから早いもので、もう明日が体育祭当日だ。練習の成果があってか萩村との息が合ってきて、なんとか二人三脚の形になった。

 練習はを始めたばかりのときはどうなることかと思ったものの、案外なんとかなるらしい。

「お疲れさまです」

「ん」

 屋上の落下防止のフェンスを背もたれにしている真宵後輩に短く答える。

「完成度はどれくらいですか?」

「三割程度ってところだな。全盛期の実力でも師匠の『炎剣技』を使うとなると、八割くらいが限界だ。いまの状態でのこの完成度なら上出来だろ」

「そもそも先輩に『炎剣技』は合いませんからね」

 本来の『炎剣技』は、炎系統の波動を使う波導騎士のための剣技だ。それも師匠クラスのために用意された最高級品だ。炎系統の波動が使えない俺が扱うのは、前提からして無理な話だ。

『炎剣技』とはあくまでも名前だけで、俺が使っているのはただの模造品にすぎない。それでも完成度は三割程度にしか満たないんだが。

「なぜ、いまさら『炎剣技』なのですか?」

「なんでって言われてもな」

「先輩は他にも自分で編み出した剣技があるでしょう。それなのに、どうして使い勝手の悪い『炎剣技』など」

 どうして、か……。

「強いていうなら、使いにくいからだ」

 俺自身が編み出した剣技はいつでも使える。どれだけ肉体が劣化しようとも、いくらでも身の丈に合わせることができる。だけど、師匠から教えてもらった『炎剣技』は違う。

 他人に教えてもらった剣技を自分のものに昇華するには、ただ使い続け、コツを掴む必要がある。

「それに、思い出は大切にしねぇと」

「先輩は思い出に浸る性格ではないでしょう」

「まぁ、そうだな」

 真宵後輩とそんな会話をしながら屋上を出、下校のために玄関に向かう。

 昨日までならこの時間帯でもまだ練習をしている姿があったが、いまはない。明日が体育祭当日だから早めに切り上げたのだろう。俺たちのクラスももそのひとつだ。軽く調整をしただけで、ほとんどなにもしていない。

 だからこそ『炎剣技』の完成に費やすための時間が多くとれたわけだ。

『炎剣技』は夏休みの戦いで必ず必要になる。少しでも完成に近づけておいて損はない。

 校庭に出てグラウンドを見てみると、明日の体育祭の進行の確認をしている生徒会や風紀委員の姿があった。

「やあやあかっしー。いまからお帰りかい?」

 いつの間にか後ろにいた翔無先輩がそう言った。

 テレポートか。

「こっちは明日のために忙しいっていうのに、見せつけてくれるじゃないか」

「見せつけてるわけじゃねぇよ」

「本当かい? まぁ、別にいいけどねぇ」

 翔無先輩は首から下げたカメラを俺たちに向けてくる。

「写真、撮らせてもらってもいいかい?」

「あ? なんでだよ」

「ちょっとねぇ。ただ悪いことには使わないから安心していいよ」

 翔無先輩がう言っても全然信用できないのは……まぁ、当然の反応か。

「いま、失礼なことを考えなかったかい?」

「さぁ、どうだろうな」

 適当にはぐらかして、俺たちは踵を返す。

「ちょいちょい。写真撮らせてほしいって言ってるのに帰るなんてひどくないかい?」

「写真、嫌いなんです」

「だそうだ」

 真宵後輩の言葉に翔無先輩は苦笑を漏らす。

「知っていますか? カメラのレンズにはメデューサの意、つまり見たものを石にする特性が籠められているんです。レンズを見ただけではなにもなりませんが、それを見たままシャッターを押されると、石になってしまうかもしれないんです」

『…………』

 真宵後輩がいつになく饒舌になったかと思えば、口にした言葉はなんとも馬鹿らしい内容だった。

 さすがに普段の真宵後輩を知っているだけあって、翔無先輩に至っては苦笑したまま凍りついている。

「冗談です」

 ぷいっ、と顔を反らす真宵後輩。相変わらず可愛いな。

「あ、あはは……。ま、まぁ、とりあえず写真は撮らせてもらえるのかな?」

「構いません」

 小さく「私としたことがつまらないことを言ってしまいましたし……」と呟いていたが、それはあえて流すことにした。

「じゃあかっしーがマイマイちゃんを後ろから抱きつくようなポーズで撮ろうかな。……これなら合法的に抱きつけるだろう?」

 耳元でささやかれたのは悪魔のささやきではないのだろうか。甘いな。俺はそんなものに屈したりなどしない。

「先輩、私は構いませんよ?」

「……ぐはっ」

 殺神級・・・の可愛さに、吐血しそうな勢いになってしまった。

 真宵後輩、お前、もしかして俺の気持ちに気づいてやってるんじゃないだろうな?

「で、では、失礼しまし」

「どうして敬語なんですか? あと噛んでますけど」

 そこは気にしないでくれ。嬉しさと恥ずかしいさが半々で、つい噛んでしまったのだよ。

 気を取り直し、俺はゆっくりと真宵後輩に抱きつく。落ち着け落ち着け、このままでは俺が緊張しているのがバレてしまう。

「おー、いいねいいねぇ。見てるこっちまでホクホクしちゃうよ。ということでさっそくいってみようー」

「なにをだよ」

「そんなの、決まってるじゃないか。問題、『組織』の管理下にある風紀委員ですが、派遣されてきた能力者はいったい何人いるでしょうか?」

 だからそんなのわかるわけねぇっての。

「……二人」

「ぶっぶー。正解は三人でしたー。パシャッとな」

 かけ声と同時にシャッターが切られる。

「三人? 二人じゃねぇのか?」

「うん。三人だけどそれがどうかしたのかい?」

「翔無先輩と火鷹の他にもうひとりいるんだよな? 見たことねぇなってさ」

「あー……彼はちょっと能力者としても特殊だからねぇ。見たことなくても仕方ないんじゃないかな? キョウちゃんも知らないことだし」

 翔無先輩は頬を掻きながら、乾いた笑みを浮かべた。同じ風紀委員の火鷹でも知らない、三人目の風紀委員か。興味はないが、ちょっとだけ気になるな。

 俺や真宵後輩に気づかれない、異常の持ち主。

「気になるかい? でもたぶん無理じゃないかな。彼はボク以外の前には姿を現さない・・・・・・からねぇ」

「ふーん」

 姿を現さないってことは、自分の姿を隠す能力者ってことか。でも仮にそれだけなら、俺が気配で気づけないはずがない。そいつはどういう能力者なんだか。

 それに、そんなやつが翔無先輩の前にしか姿を現さないって……、

「明らかに『ほ』の字じゃね?」

「他人の好意には、案外気づけないものですよ。もしかしたら勘違いしてるだけということもありますし、気づかないようにしているとも言えますが」

「いや、これは確実だろ」

「それについては私も同感です」

 気づいてないのは翔無先輩だけってことだな。

 のんきに笑う翔無先輩を見ながら、そんな会話をする。

「さて。ボクはまだ準備が残ってるから、ここらで失礼させてもらうよ」

「大変だな」

「まあね。いくら『組織』の管理下っていっても、表向きは普通の風紀委員。雑用をしないといけないからねぇ。仕方ないんだよ」

「そっか。頑張ってくれ」

「ういー。頑張らせてもらうよ」

 くるりとその場で身を翻すと、翔無先輩の姿はあっという間にグラウンドに吸い込まれていった。

「なんだったのでしょうか、あの人は」

 真宵後輩が疲れたような表情を浮かべ、嘆息する。

 嵐のように現れたかと思えば、突風のごとく去ってしまった。なにがしたかったのやら。

「それと先輩」

「ん? なんだ」

「さっきの話ですが、あれは冗談なんかではないです」

「メデューサだかなんだかって話のことか?」

「はい。たしかにこちらではただの妄言ですが、あちらですと実際に起こりうる現象――つまり、波導により発動させることができるんです」

 帰路を歩きながら、真宵後輩の話は続く。

「覚えていませんか? 鏡対波導の使い手のことを」

「あんな掟やぶりな波導、さすがに忘れられねぇよ」

 魔王の元にたどり着く前に戦った波導使いのひとり――それが鏡対波導使いだった。レンズというより鏡を利用し、映した個体を複製コピーする。武器、能力、思考。ありとあらゆるものを複製しつくす。

 ただひとつだけ――ひとつだけ、違うものがあった。

「まさか性別が女になるとは思いもしませんでしたがね」

「……あぁ」

 そう――性別が女になっていたのだ。

 容姿はほとんど同じたった。左目を隠すように伸ばされた前髪。波動を流す副作用で染まる真紅の瞳。身長までもミリ単位で一緒だっただろう。

 だが、その体は丸みを帯びた女性らしい体つきに、凛とした態度。そしてなによりも――無駄にエロかった。

 火鷹なんて相手にもならない。俺が異性に対する感情をあまり出したくないのは、こいつが原因だからだ。

 だって考えてもみろ。ほとんど自分と瓜二つの相手が、目の前で男に妖艶に絡み付いているんだ。想像するだけで吐き気がする。それを見たときは必死で、しかも戦力が増えたことにしか視点がいっていなかったが、実際に見たことを考えるとよく耐えられたものだ。

「可愛かったですね。ついつい百合に目覚めてしまいそうでした」

「……やめてくれ」

 どうせなら俺本人を好きになってくれ。

「つーかそんなことはどうでもいいんだよ。その鏡対波導使いがどうかしたのか?」

「メデューサの話と同じです。メデューサは見た者を石にし、鏡対波導は捉えた者を複製する。災いを与えるという点では、どちらも同じですから」

 難しい話はわからないが、もう俺の複製には会いたくない。強さも全くの互角で、勝てたのは真宵後輩や他のみんながいたからだ。

 あれはいま思い出すだけで鳥肌ものだ。たしかにあれは、災い以外のなにものでもない。

「なにが言いたいかといえば、レンズや鏡などを介した波導にはろくな思い出がないということです」

「だから写真嫌いなのか」

「そういうことです」

 表情を変えない真宵後輩の瞳が、全てを物語っていた。

 気がつけば、俺の家の前まで来ていた。真宵後輩は俺にぺこりと頭を下げると、背を向けて歩き出した。

 そういえばと俺は思う。

 あれから飛縫は、なにをしているだろうか。


     ◇


 無骨な手のひらで雷が弾けた。獅子の鬣のような髪が風に揺れ、その瞳は体育祭の準備を終えたグラウンドを見下ろしていた。

 明日はもう体育祭当日だ。学校を解放し、部外者を招き入れる行事は、『組織』の考えに異を唱える能力者にとって好機となる。こういった能力者は自分を特別だと思い、周りへの被害を考えないものだ。故に動かれる前に、動かなければならない。

 生徒会や風紀委員の活動をやりながら、外部から侵入した能力者の動きを監視しておく必要がある。いざというときのため、いつでも動けるようにしらければならない。

 屋上はグラウンド全体を見渡すことができる。まさにうってつけの場所だといえる。

 紗良の鏡を移動できる能力に、翔無のテレポート。そして黒兎の雷を操る能力。これがあればまず被害がでることはないだろう。

 だが黒兎は、自らの力に疑心を抱いていた。

(このままで……本当にいいのか?)

 以前までならば、学校内に能力者が侵入する程度のことで考えたりはしなかっただろう。これまでも、これからもそうだと信じて疑わなかった。それが揺らいだのは、やはり冬道の存在だ。

 冬道に敗北し、いかに傲慢な態度だったかを痛感した。

 藍霧に敗北し、戦う理由をなくしてしまった。

 東雲に敗北し、力に疑いを持つようになってしまった。

 ひとつの歯車が狂い始め、いまや全ての歯車が狂っている。いままで積み上げてきた『黒兎大河』という存在が全て否定され、崩れ去った。

「こないなところで、なにやっとるんや?」

 聞いたことのある声が黒兎の耳に届いた。

「貴様は……」

 声のした方を向けば、そこには東雲がいた。

 タンクトップに袴。それに下駄を穿く奇妙な女。右腕は肘から先が失われている。つい先日の冬道との戦いで、斬り落とされたままの姿だ。

「貴様こそなにをしている。部外者は立ち入り禁止だ」

「立ち入ったわけやない。飛び入ったんや。校庭からここまで頑張って飛んだんやから、問題ないやろ?」

 とことん規格外だ。黒兎も能力を使えばそれくらいならできるだろう。だが、生身でそんなことはできない。

「で、あんたはなにを悩んでるんや?」

「…………」

「見てればわかるわ。あんたは自分の強さに疑心を抱いとる。敗北に次ぐ敗北は、己の存在を軽薄にする……よくある話やで」

 下らない――東雲はそう切り捨てた。

「戦う理由をなくした? その程度で潰れるんやったら、さっさと潰れろや。うざい。ちょろちょろうろつくなや、目障りや」

「貴様……っ!」

 黒兎の全身から蒼白い雷が漏れる。東雲を睨み付ける瞳に力が籠る。しかしそれだけだ。見た目以上の威圧を感じない。まるで、牙を折られた獅子のようだ。

「どないしたんや? かかってきぃや。いまの私は片手しかない。もしかしたら、ええ勝負になるんやないか? それとも――怖じ気ついたか?」

「くっ……!」

「あんたみたいなタイプは一回折れると、見事なまでに変わるわな。ムカつくわ」

 東雲の嫌悪感を剥き出しにして吐き捨てたような言葉に、言い返すことができない。

「強くなりたいか?」

「なに……?」

「せやから強くなりたいか聞いてるんや」

 こいつはなにがしたい。たしかにそうだ。強くなりたい。いまのままではいけない。このままでは、いつまで経っても前に進めない。

「私が鍛えてやろか? あんたは私の戦い方とおんなじや。あんたはもっと強うなれるで」

「だからなんだ」

「私を師事する気はないか?」

 東雲が手を伸ばしてくる。彼女を師事することにメリットはあれどデメリットはない。

 司の言葉が正しいなら、東雲の実力は『九十九』のなかでも一二を争うほどだ。確実に――確実に強くなることができるだろう。けれど、

「断る」

「ほぉ……」

「嘗めるなよ。俺様は貴様なんぞに頭を下げる気はない。貴様なんぞに頼らずとも、自力で這い上がってみせる」

 そうだ。いままでだってひとりでやってきた。

 守るために戦うと決意した。

 もう自分のような犠牲者をだすまいと決意した。

 ならば今度はなんのために決意するのか――そんなもの、決まっている。

 今度こそ、大切な人を守り抜くために決意するのだ。

 東雲がゆっくりと両目を閉じた。それと同時に空気が変化するのを、黒兎は見逃さなかった。なにかが来る。そう思ったときには、もう遅い。

「――思い上がんなや」

 言葉の重圧が殺気となって黒兎の肌を焦がす。腹部を直接殴られたような、鈍い衝撃が体全体を駆け抜けた。現実に痛みはない。だが、感じる幻痛が黒兎の体から力を根刮ぎ奪っていく。

「自力で這い上がるやて? おもろいこと言うやないか。あんたは一度たりとも自力で這い上がった・・・・・・・・・ことなんてないやろ・・・・・・・・・

「なんだと……っ!」

「だってそうやろ? あんたは他者に目的を与えて戦ってきたんやからなァ」

 言われてみれば、そうかもしれない。

 黒兎はかつて、妹のために戦ってきた。その妹が殺されてからは、妹を殺した超能力そのものを憎み、戦ってきた。彼には自分で這い上がる理由がない。

 全てを否定された彼に、なにも残っていないのだから。

「そんなあんたができるわけないやろ? 下らないプライドを先行させて、また手放すつもりなんか?」

「…………」

「夏休み、私らは『九十九』の拠点に乗り込む。せやけど、それは『九十九』に筒抜けになっとる。その意味がわかってるんか?」

 あの夜に現れた『九十九』の刺客、十六夜いざよいは『九十九』が集結したと言っていた。東雲が反逆することを知り、戦力を向上させた。

 だが、たかが四人を相手にするのにそこまでの大人数はいらないはずだ。

「必ずここに『九十九』が来るで。『九十九』に敵対する、もしくは敵対する恐れのある能力者を殺すためにな」

「そのようなこと、できるわけがないだろ。『九十九』と『組織』は互いに牽制し、いまの均衡を保っている。なら『九十九』が『組織』の能力者を殺せば、戦争が始まるぞ」

「はんっ、戦争やて? 笑わせるやないか」

 東雲は凄惨に満ちた笑みを顔に張り付ける。

「集結した『九十九』に『組織』ごときが相手になるはずないやろ。赤子の手を捻るよりも簡単やで、『組織』を潰すのなんかな」

 この均衡は紛い物にすぎない。『九十九』の能力者はその特異性に比例し、誰もが自己中心的な思考をしている。だからこその均衡だ。

『九十九』の能力者はあらゆる場所に散布し、本家に残っている能力者などたかが知れている。

 それでようやく均衡が保たれているというのに、それがひとつになればどうだろう。戦争になったところで、万にひとつも勝ち目はない。

 つまり『九十九』がいくら『組織』に干渉しようとも、こちらからは手の出しようがないのだ。

「どないする? このまま、守るべき者を失うか? あんたが動かんでも司と藍霧真宵っちゅう女がいるけど、あの二人が進んで動くと思うか?」

 司はともかく、藍霧は絶対にありえないだろう。藍霧が戦うのは冬道のためであり、それ以外は等しくどうでもいいと思っている。たとえ『九十九』が来たとしても、被害が及ばないなら動くことはない。

 それに司だって動くとは限らない。彼女はありとあらゆる戦いを避け続けている。おそらく今回も戦うつもりはないのだろう。理由はわからない。そもそもないのかもしれない。

 とにかく『九十九』がここに来れば、間違いなく血を流すことになる。

「それほどまでに『組織』は弱い。あんたらは完全にかしぎと藍霧真宵に頼りきりだったんや」

『吸血鬼』のときからそうだった。能力者の管理は『組織』のやることなのに、いつの間にか冬道や藍霧に頼るばかりになっていた。この二人がいれば安心だと、役目を押しつけていた。

 その二人がいなくなった結果が、この様だ。

「ここにいる能力者で、『九十九』に勝てるのはおらん――ただひとりを除いてな」

 垂れ下がっていた左腕が黒兎に向けられる。

「黒兎大河――あんたなら『九十九』の能力者にだって勝てる。その可能性と資質を十分に秘めてるんや」

「俺様が、だと……?」

「せや。守りたいんなら自分で動けや。他人任せにすな」

 向けられていた左腕が力なく垂れ下がる。

「あんたは壊す者なんかやない――」

 がちゃりと屋上のドアが開かれた。

「あ、やっと見つけたよ。ここにいたんだねぇ」

 ドアの隙間から顔を出した翔無は、黒兎を見つけると東雲がいるのも気に留めず、屋上に足を踏み入れた。

「やれ」

 東雲が短く呟いた。

 瞬間、翔無の真上にひとりの男が現れた。身の丈ほどの巨大な剣。空のように透き通った青い瞳。男にしては少々小柄な体躯は、東雲の使役する式神だ。

 式神は右手に構えた剣を振り下ろす。翔無は式神の存在に気づいていない。気づいたとしても、もう避けることなどできはしない。

 黒兎にはその光景がひどくゆっくりに見えた。

 世界がスローモーションになったかのごとく、式神の動きが緩やかだ。

「――――」

 黒兎のなかでなにかが弾けた。

 全身から雷が放たれる。一本の青白い線を描きながら、雷となった黒兎の拳が式神の体に振り抜かれる。

 式神は手首を捻って軌道を修正し、幅のある巨大な剣を盾の代わりとしようとした。さっきまでの黒兎の一撃ならば、それだけで防げていただろう。

 だが、いまの黒兎には通用しない。一点に集束された雷は分厚い刀身をやすやすと貫き、式神の肩をも貫いた。

 武器が破壊されたと見るや式神は即座に武器を捨て、黒兎から距離を置いた。いや、捨てたのは貫かれた剣だけで、他の生きている剣は両手に構えられている。

 歪な形をした剣で、両側から挟み込むように薙ぐ。

 黒兎の思考は驚くほど冷静だった。ついこの前まで圧倒的な力の差を感じていたというのに、この瞬間にはそれほどのものは感じない。ただ排除すべき対象がそこにあるだけだ。

 式神が薙いだ剣は、黒兎に触れた直後に溶解される。身に纏う業熱の雷がそうさせたのだ。

 獅子の牙は折れた。しかしだからといって、爪までなくした覚えはない。

 空中はいわば黒兎の領域テリトリーだ。そこに武器もなしに踏み込んでしまった時点で、その結末は想像するまでもない。

 開かれていた拳が強く握りしめられる。雷圧が上昇していくのがひと目でわかった。

 そして拳が振り抜かれた。

「はいはい、そこまでや」

 だが、それが式神を貫くことはなかった。音も気配もなく間に割り込んだ東雲が、雷を鷲掴みにしていたのだ。

「ご苦労さん。すまんな、こんな役目ばっかりで」

「いえ。母様のためであれば」

「感謝してるで。また、なにかあったら頼むわ」

「はい。母様の願いのためならば」

 式神は宙返りをすると、一枚の札へと姿を変えた。

「え、えぇー……? ボクの知らないところでなにが?」

 状況についていけない翔無が、いましがた屋上に着地した東雲と黒兎を交互に見つめる。

「これでわかったやろ?」

「……なにがだ」

 雷を弾けさせながら、東雲を睨む。

「おー、こわ。そんなに見つめられると濡れてまうわ」

「はぐらかすな。貴様、なにが言いたい」

「わからんのか? なら教えたるわ」

 東雲の腕が翔無へと伸びる。雷が圧を増す。伸ばされた手は翔無の首を回り、肩を組むように落ち着いた。

「守る者や。守るべき対象があればあるほど、強くなれる。さっきこの姉ちゃんが私の式神に殺されそうになったときのあんたの力が、その証明や」

 無意識だったゆえにわからなかったが、あのときの感覚はいままでにないものだった。

「あんた、この姉ちゃんに惚れてるな?」

「な……っ!」

 黒兎の表情が年相応の顔となった。わずかに頬を紅潮させる様子はかなり珍しい。

 そして翔無は至極真面目な顔で首を傾げていた。

「なにを言ってるんだい? 大河がボクに惚れるなんてあり得ないよ。的外れな見解もいいところだねぇ」

「ぬぁ? 姉ちゃん、マジで言ってるんか?」

「ボクはいつでもどこでもマジだよ」

 東雲は翔無の嘘偽りのない言葉に、思わず頭を押さえたい気持ちになる。

(この姉ちゃん、鈍感やで。鈍感なんは藍霧真宵くらいにしてもらいたいわ)

 どうも冬道の周りにいる女は鈍感なのが多い。

 冬道があれだけ藍霧に好意を見せているというのに、藍霧はまるで気がついた様子がない。ただそれは冬道にも言えることではあるが。

「どないする? 私を師事して強うなるか、それとも備えもなしに来るべき日を迎えるのか。……選択肢は二つに一つや」

「…………」

 ここで話を蹴ることは簡単だ。お前なんかには頼らない。俺様は俺様の道を往く。

 だが、このままでいいとは思っていない。

 ここが転機なのかもしれない。自分を変える。もう二度と大切な人を失わないために、力を手に入れる。プライドなんてどうでもいい。守るためなら地を這いつくばってでも守り抜く。

 すぐには無理かもしれない。

 だけど、変わる努力はする。

「いいだろう。貴様を師事してやる。その代わり、俺様を強くしろ。いまよりも、誰よりも――藍霧真宵よりも」

「ええで。ならさっそく第一レッスンや」

「いまからか?」

「いまからや。なーに、難しいことやない。あんた、一人称、直しぃや」

「ぷっ」

 翔無が吹き出す。翔無も常々、黒兎の一人称は変えた方がいいと考えていた。『俺様』などという一人称は黒兎だから似合うが、それはそれで恥ずかしいものだ。

「……わかった」

「それでよし。ほなら第二レッスン、開始といこか」

 屋上に紅蓮の炎が燃え盛った。


     ◇


 あの対局をやった日以来、俺は飛縫とまともに会話をしていなかった。

 なにか思い悩んでいるようで、話しかけても上の空。いつもの奇人ぶりがめっきり隠れてしまっていた。

 やはりあの話を引きずっているのかもしれない。

『わたしの知り合いから話してみてくれって言われたんだけど、かれきちゃん――プロになるつもりはない?』

 飛縫は自分を変えるきっかけとして、体育祭に全力を尽くすと言っていた。プロになれるのなんてほんの一握りだ。

 麻雀でプロになるということの方が自分を変えるというなら確実に変われるはずだ。

 それなのに、どうして飛縫はあっさりと断った?

「わかんねぇなぁ……」

「なにがわからないのさ、兄ちゃん」

 何気なく呟いてみると、意外にも返答があった。ソファの背もたれから首だけを後ろに反らせると、ちょうど風呂上がりらしきつみれが立っていた。

「ちょっとな」

「ふーん。それより明日って体育祭だよな?」

「あ? そうだな」

「じゃああたしが兄ちゃんのために豪勢な弁当を作ったげるよ。楽しみにしとけよな」

「おー、楽しみにしとくぞ」

「まっかしとけ!」

 夜なのにつみれは元気だった。さすが空手少女。

 明日はもう体育祭だ。飛縫が自分を変えようと決めた日だ。ならば、俺も全力でいかなければならない。

 俺は虚ろな意識のなかで、そんなことを考えた。




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