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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第四章〈体育祭〉編
41/132

4―(5)「練習」


「……あ?」

 教室に足を踏み入れた俺は、思わず間抜けな声を出していた。しかしそれは仕方のないことだ。なにせ教室には誰ひとりとしていなかったのだから。

 飛縫に付き合わされた次の日である今日は月曜日。記念日ではないのだから、教室に誰もいないのはおかしい。何かあったとしか考えられない。

 けれど、だとしたら何があったのだろうか。教室をよく見渡してみると、あちらこちらに誰かが来た形跡が残っている。というか、制服が脱ぎ散らかされていた。誰もいないからそれらを見落としてしまっていた。

 先に家を出たアウルの制服も机の上に畳まれて置かれているところを見ると、みんなと一緒にいるのだろう。

 みんなしてどこに行ったんだ?

 自分の席に着き、窓から外を眺める。

「……なんだ?」

 グラウンドに視線を落としてみると、そこにはたくさんの生徒がいた。しかも体操服を着ている生徒が妙に多いんだが。

 とそこで、教室のドアが勢いよく開け放たれた。

「やっぱりここにいたな。探したじゃねぇかよー」

 そこにいたのは体操服を着ている柊だった。どうやら走ってきたようで、健康そうな肌に滴が滴り、妖艶さを醸し出している。

 ってそうじゃなくて、探した? 俺を?

「どうせ冬道のことだから、話聞いてなかったんだろ?」

「何の話だよ」

「今日から朝は体育祭に向けて練習するって話だよ。そろそろ来る頃だと思ったから、わざわざあたしが迎えに来てやったんだ」

 感謝しろとばかりに豊満な胸を主張する柊。体操服が内側から押してくる弾力に悲鳴を上げていた。さらに汗で下着が透けていた。色は黒だったということを記録しておく。

「さっさと着替えてグラウンドに行こうぜ? お前が来ないと練習するにもできねぇんだからさ。ちゃちゃっと着替えろよな」

「めんどくせぇ……」

「いいから早く着替えろよー。みんなお前のこと待ってんだぜ?」

「嘘つくんじゃねぇ」

「バレたか」

 嘘だったのかよ。ちょっとショックだ。まぁ、俺は去年のことがあるからまだクラスに溶け込めてないからな。仕方ないっていえば仕方ないか。

 一度定着したイメージっていうのは、そう簡単に変わるものじゃないしな。

「あたしが待ってたっていうのは本当だけどなっ!」

 爆弾を投下しやがった。そんなセリフをよく恥ずかしげもなく言えるもんだ。俺もあまり人のことを言えないような気がするが。

「……着替えるから先に行ってろ」

「ん? 待ってるからいいよ。別に着替え見られて恥ずかしいって歳じゃねぇだろ?」

「そういう問題じゃねぇよ。……まぁいい。少しだけ待ってろ、ジャージ取ってくる」

「あ、お前のジャージならあるぜ?」

 柊は手に持っていたカバンから俺のジャージを取り出し、差し出してきた。

「なんでお前が持ってんだ?」

「あたしが用意してやってたんだよ」

「ふーん」

 適当に相づちを打ちながらジャージを受け取る。どうせ言っても聞かないだろうし、俺はその場で着替えることにした。見られて困るものは、もうない。

 柊は目を背けることなく、むしろ俺の上半身を観察するように凝視する。

「冬道って思ってたより筋肉ないんだな」

「あ? それがどうかしたのか?」

「戦いのときあんだけ動けてるんだから、超能力が使えるわけじゃねぇんだし、スゲー鍛えてるのかと思ってたんだ」

「波動で肉体強化してるから、筋肉は必要ねぇんだよ」

 波脈を流れる波動を肉体の強化に回すことで、一時的に身体能力を底上げすることができる。だから普通ではあり得ない動きを再現できる。見た目に反して重量がある天剣を片手で振るえるのもそのためだ。

 ただ強化は一時的だから、解くと負担が一気にのし掛かってくる。筋肉痛になるのもそのためだ。

『過ぎた力は身を滅ぼす。手を伸ばすな、自分を見つめろ。最強は得ずとも、最良は自らの中にある。忘れるな。さすれば汝、天に導かれよう』

 師匠がよく口にしていた一節だ。よう高望みするなということだ。使いきれない力を求めたところで、持て余すのが目に見えている。だったら自分の持ち味を伸ばせばいい。だからなるべく肉体強化は使わないで、異世界で培ってきた技術だけでどうにかしたいんだが、まぁ……仕方ないか。

「そう考えるとあたしたちって有利だよな。冬道はもちろん、あたしとかアウルにもアドバンテージがあるわけだし」

「おいおい。まさか『吸血鬼』使う気じゃねぇだろうな? そのつもりならやめとけ。お前はどこから見られてるかわかんねぇんだ」

 柊は『九十九』から狙われないといえ、狙われている立場ということには変わりない。

『組織』をよく思わない能力者は多い。どうやって情報のやり取りをしているかはわからないが、柊が『吸血鬼』で、『組織』に対抗しえるだけの力を持っていることが伝わっている。だから柊を利用して『組織』を潰そうとしている連中は少なくない。

 それに脅威と見なされ、さらに狙われるというファクターにもなりかねない。大丈夫だとは思うが、もしものことを考えると柊が能力を使うのは反対だ。

「何かあったら冬道が守ってくれんだろ? だったら大丈夫だって」

「お前は気楽でいいよな。こっちの身にもなってくれ」

 簡単に言ってくれるが、そんな簡単な作業じゃない。ちょっとした失敗が大きな失敗に直結する。そんな失敗を起こしてからじゃ遅いんだ。

 ああくそ……護衛任務で失敗したときのこと思い出してきた。なんであのとき側にいないで、ひとりで逃がすような真似をさせたんだ。

「あたしは冬道のこと信じてるからなー」

「ご期待に沿えるように頑張らせてもらいますよ」

「おう。だけどその前に体育祭だな。どうやったら飛縫の裏を欠くことができるのか。……やっぱりちょっとだけっていうのは……」

「ふざけたこと言ってんじゃねぇ」

「ちぇっ。それくらいわかってるって」

 拗ねたように手をぶらつかせる柊にため息を吐く。

「本当にわかってんのか? 異常だってことがバレたら、困るのは自分自身だ。だから『組織』みてぇな機関があるわけだし、それくらいお前もわかってんだろ」

「わかってるってっ! 説教みたいなこと、やめろよな」

「俺はお前のことを心配して言ってるんだ。俺たちは、普通とは違うんだよ」

 自分が特別だと言う気はない。でも、普通とは違う。

 波導や超能力といった異常は、それだけで化物と同列に扱われる。人間は大多数が占める感覚として、自分たちより上位の存在に恐怖を感じる。存在が露見したときのことは想像したくもない。だからこそ『組織』があるのだろう。

 窓からグラウンドを見下ろす。そこには当たり前の日常を当たり前に、けれど精一杯生きているたくさんの姿がある。俺たちは、その輪からいつ外されてもおかしくないんだ。

「冬道ってこういうところ厳しいよなー……」

「そんなことねぇよ」

「うっそだー。なんか今の冬道、かなり厳しいぜ?」

「お前のことが心配なんだ。できれば『九十九』とだって戦わせたくねぇし。不死性に特化した能力者がいるなら、不死殺しに特化した能力者がいる可能性だってあるからな」

「えっと……よくわかんねぇけど、なんとかなるって」

「頼むから少しでもいいから客観的に考えてくれ」

 柊は楽観的に考えすぎだ。戦いを知らないっていうのもあるだろう。命の取り合いを経験したことがないために、根拠のない自信がある。平和な日常にいる証拠だ。能力者でもその感覚が抜け落ちている場合が多い。

 よくそんなことで生き残れたものだと、戦う度につくづく思わされる。

「あ、あの……」

 後ろから声をかけられた。振り返ってみると、そこには見たことがある女子生徒が立っていた。髪は肩よりも少しだけ長い。胸の前で指をいじるその姿は、ひと目で気弱というイメージを俺に与えてきた。

 誰だっけ。同じクラスってことは覚えているんだが、名前が思い出せん。

「両希くんが詩織と……と、冬道くんのこと呼んでたよ? まだ来ないのか、って」

「そういえば、冬道のこと迎えに来てたんだっけ。話し込んでてすっかり忘れてたぜ」

「早く行こうよ。詩織と……と、冬道くん」

 俺が怖いのか、ドアの後ろに立って隠れている。

「なんで隠れてんだよー。せっかく冬道と話せるチャンスだってのに、そんな誤解される態度じゃ……」

 その先の言葉は、神速の速さで口をふさいだ彼女によって続くことはなかった。健康そうな白い肌を朱に染め、彼女は必死に柊に続きを言わせまいとしている。

 よく見てみると、彼女は可愛らしい顔立ちをしていた。すっきりとした小顔に、ぱっちりとした目元。ただ自分に自信がないのか、前髪で目を隠すようにしている。

「なぁ、柊が苦しそうにしてるぞ?」

『吸血鬼』の不死性があるとはいえ、口を塞がれるのは苦しいのだろう。だんだんと柊の顔から血の気が引き、青ざめてきている。

「あ、ご、ごめんっ!」

 ようやく気づき、彼女は柊の口から手を離した。

瀬名せなっ! あたしを殺す気かっ!」

 柊は息を整えながら彼女――萩村はぎむら瀬名を怒鳴りつけた。名前を聞いてようやく思い出した。

 萩村瀬名。二学年に上がって窓際に行く前の席のとき、たしか隣だったはずだ。その頃から俺に見られると、視線を逸らしていたような記憶がある。

「だ、だって詩織があんなこと言うから……」

「うん。それはあたしが悪かったと思う。すまん。つーかいまは普通に話せてたじゃねぇか」

「いまはただ必死だっただけで話せたわけじゃないもん」

「だめだめだぜ。あたしみたいに積極的にいかねぇと」

「し、詩織みたいになんかできないよ……っ!」

「情けねぇぞっ! ときには大胆不敵にいかねぇといけないときもあるんだ。よーし、いまからあたしが見本を見せてやるぜ」

 柊はこちらに向き直ると、俺の目を見つめてきた。

 わずかな時間をおき、大きく息を吸い込むと、

「冬道、好きだっ!」

 大音量で二回目となる告白をしてきやがった。

「ごめんなさい」

「ぐはっ」

 それに対して俺は即答してやった。

 うめき声を上げた柊はよろめきながら「やっぱり無理だったか……」などと言いながら、それでもすぐに気にした様子もなく立ち直っていた。

 いきなりそういうことを言うのはやめてくれ。心臓に悪いから。

「まぁ、こんな感じだな。どうだ? 参考になっただろ」

「…………」

 口元を押さえて顔を真っ赤にしている萩村は、柊の声に反応しない。

「あれ? あたし、なんか変なことやったかな」

「目の前でいきなり他人の告白を見せつけられたら、これが当然の反応だろ」

 それも萩村みたいなタイプならなおさらだ。これじゃ参考になるどころか、逆効果になっただけな気がする。

 いきなりの告白を目の当たりにして顔を真っ赤にしたままの萩村の肩を、柊は前後に揺すり、強引に意識を現実にへと引き戻した。

「……えと」

「これくらい大胆じゃねぇとな。じゃないと伝わるもんも伝わらなくなるからなー」

「お前は大胆っていうよりバカなだけじゃねぇの?」

「バカってなんだよー。バカって言う方がバカだって言われなかったのか? それに、学校の成績はあたしの方が上だぜこのバカ!」

「じゃあ俺よりバカって言った回数が三回も多いから、お前の方がバカってことだな」

「ぐっ……。挙げ足取るような真似するんじゃねぇ!」

「知らねぇよバカ。これがバカに対する俺のやり方だ」

「あーっ! 今度は冬道の方が一回多いぜ? へっへー、ざまぁみろっ!」

 ちっ、俺としたことがしくじったか。しかも柊は言わないように気を付けてるし、認めるのは不本意ではあるが今回は俺の負けだ。何の勝負かは知らん。

「二人って、仲いいんだね」

「当たり前だろ。あたしと冬道だぜ?」

「ふふっ、そうだね」

 その言葉に萩村は小さな笑みを漏らす。

「なんでそれだけで納得できんだよ」

「なんだよ、不満なのか?」

「いや、別に不満ってわけじゃねぇよ。ただ、なんでかなって思っただけだ」

 そう言われること自体は嬉しいんだけどな。でも絶対に口に出したりしない。そんなことしたら、どうせからかわれるに決まってる。

 ふとこちらに向けられている視線に気づく。元を辿ってみれば、萩村からのものだった。

「どうしたんだ?」

「え、あの……」

 萩村は俺から身を隠すように柊の後ろに回ってしまった。肩の辺りから顔だけを出して、俺の様子を伺っているようだった。

「どうしたんだよ。たしかに冬道は見た目だけは怖いかもしんねぇけど、話してみるとスゲーいい奴なんだって」

「う、うん。それは知ってる」

 ん? それは知ってる?

「あ、その……そういうことじゃなくて……っ!」

 何がそういうことなのかはさておき、どうしてそこまで慌ててるのやら。まさか俺が不快になったとでも思ったのか? まぁ、よく不機嫌そうな顔してるって言われるしな。

 それにしても、いつになったらみんなは――って、

「柊と萩村って俺を迎えに来たんじゃなかったのか?」

『…………』

 無言で顔を見合わせた俺たちは、弾かれたように教室から飛び出した。


「ずいぶん遅かったねぇ。教室でなにかしてたのかい?」

 グラウンドに到着した俺たちを待っていたのは、なぜかカメラを片手に持つ翔無先輩だった。もちろん周りにはクラスメートはいるが、先輩は翔無先輩ひとりだけだ。

「うん? 柊ちゃんだけじゃなくて他にも女の子を連れてるんだねぇ。全く、君は節操なしで困っちゃうよ」

「いつでも女を連れてるみたいな言い方するんじゃねぇ」

「違うのかい? 違わないよねぇ? 違わないだろ?」

「三段活用で言っても違うもんは違うんだよ。……で? なんでここにいるんだ?」

 体育祭に向けて練習するつもりではないだろう。体操服に着替えてないし、なによりもカメラを持ったままやるはずがない。

「各組の練習風景を見に来たのさ。面白そうだし、写真にも修めておこうかと思ってねぇ。とりあえず、三人で並んだ写真でも撮っておこうか。ささっ、並んで並んで」

 俺たちを半ば強制的に並ばせ、翔無先輩はカメラを構える。俺を真ん中にして、その両隣に柊と萩村を並ばせたのは、翔無先輩の意図的なものに違いない。

「はいはーい、もうちょっと真ん中に寄ってねー。それだと写んないから」

「そんなわけねぇだろ」

「細かいことは気にしちゃいけないよ」

 全然細かくないだろ。いや、俺が神経質だけなのかも。

「どーん」

 柊が必要以上に接近してきた。というか、抱きついてきた。俺の腕を自分の胸に押し付けるようにして抱きついているため、その感触がもろに伝わってくる。

「寄れって言っただけで、抱きつけなんて言ってねぇだろ。暑苦しいから離れろ」

「いつものことなんだからいいだろ? 瀬名もそっち側、空いてるぜ?」

「えっ? えぇっ!?」

 萩村は驚きの声を上げ、頬を赤く染めていた。

「あたしだけ抱きついてたらバランスが悪いだろ? だったら瀬名も抱きついた方がいいじゃん」

「で、でも、冬道くんに迷惑かもだし……」

「そんなことねぇよ。な?」

 そこで同意を求められても困る。バランスのことを言うんだったら、柊が抱きつくのをやめればいいだけのことだ。わざわざ萩村まで抱きつかせる必要はない。でも俺の反応を伺う萩村を見て断るわけにもなぁ。

 二人に気づかれないように小さくため息を吐く。

「……わかった。好きにしろ」

「そうこなくっちゃなっ!」

 指をパチンと鳴らし、柊は萩村に同じようにするように促す。

「ご、ごめんね。迷惑、だよね?」

「あぁ。いい迷惑だ。だからさっさと終わらせようぜ?」

「う、うん」

 控えめに萩村は俺の腕に抱きついて……んんっ!?

 なんだこの柔らかい感触は。柊の胸はいうなれば自分を主張した弾力の強い胸だ。だけど萩村の胸は弾力が弱いわけではないが押し返してくるわけではなく、包み込むような母性に満ちた胸だ。

 なんということだろう。これぞまさにバストレボリューション。おっぱい革命だ。

 さっきの迷惑だって発言は否定させてもらおう。迷惑だなんてとんでもない。この感触を味わえたのはまさしく幸福だ。これで迷惑なんて言う男は、男として腐ってやがる。

「準備は整ったかい? じゃあいくよー。問題、この学校の生徒会室にあるソファの数は?」

『…………』

 あの、生徒会室にあるソファの数なんていちいち覚えてないんだけど? その前に、柊や萩村にいたっては知らないんじゃねぇの?

「そこはノリで言うところじゃないかな? ちなみに正解は四人掛けソファがひとつ、一人掛けソファが三つの計四つでーす。パシャっとな」

 その掛け声と一緒にカメラのシャッターが切られた。

 二人が俺の腕から離れると、写り具合の確認をするために翔無先輩のところに行く。

「おぉ。いい感じに写ってますね」

「だろう? 二人とも、いい表情してるねぇ」

「あとで一枚貰えますか?」

「もちろんさ。次に会うときに用意しておくよ」

 あの一件以来、柊と翔無先輩の仲は良好だ。たまに話しているところを見つけるし、世間話をするくらいにはなったらしい。

 翔無先輩はもともと、能力者を保護するために行動を起こしていた。『吸血鬼』はそれができず、やむおえず処分することにした。けれどその必要がなくなったのだ。ああなるのも頷ける。

「そっちの君もいるかい?」

 翔無先輩は萩村にさっきの写真を見せながら言う。

「も、もらえるのでしたら」

 恥ずかしさからか、顔を赤くしたままの萩村は俯くように地面を見ている。

「オッケーオッケー。全然構わないよ。一応訊くけどかっしーはいるかい?」

「一応ってなんだ。いるに決まってんだろ」

「へぇ。かっしーにしては珍しいねぇ。こういうのには興味がないと思ってたけど」

「思い出は大切にしねぇとな」

「なるほど、合点がいったよ。じゃあ三枚ね。かっしーに渡しておくから、二人に忘れずに渡しておきなよ?」

 パチッと片目を閉じて、翔無先輩は踵を返す。いまにも踊り出しそうな足取りで校舎に向かう翔無先輩の後ろ姿からは、なにか嫌な予感しか伝わってこなかった。

 そもそも、翔無先輩はどうしてカメラなんかを持っていたんだ? 風紀委員の活動の一貫ならわかる。男女混合の体育祭に変な話が上がらないのは、風紀委員がそれを防いでいるからだ。だが、それに写真なんてものが必要なのか? 俺にはそう思えない。つまり、あの人はなにかを企んでいる。

「めんどくさいことにならんといいけど……」

 口にしてみて、それは無理だろうと納得できてしまった。あの人に関わって面倒じゃなかったことがない。

「悪いな。こんなことやらせちまって」

「そ、そんなことないよ。……嫌じゃ、なかったし」

「そっか。ならいいんだけどさ」

 最後の方は声がしぼんで聞きにくかったが、これだけ近くにいるんだから聞き取れないことはない。それに、小さな物音にも反応できるだけの聴覚は持ち合わせている。

「これでまた、あたしの青春の一ページが更新されたぜ」

「お前は清々しい顔でなに言ってやがる」

「いやぁ、こうやって好きな奴に抱きつきながら写真撮るのってさ、青春だと思わねぇか?」

「ナチュラルに好きな奴とか言うのやめてくれ。言われるこっちの方が恥ずかしくなってくるだろうが」

「あたしは素直に生きてるから、隠し事ができねぇんだ」

「寝言は寝てから言いやがれ」

「グー……」

「寝るんじゃねぇ」

 柊の頭を軽く平手で叩く。上段から下段に軽く叩いたつもりだったんだが、どうしてかグラウンドに乾いた音が響き渡っていた。

 あれ? おかしいな。そんなに力は入れてないぞ?

 手のひらを開閉させながら、力の入り具合を確かめる。うん、いつも通り・・・・・だ。いつも通りすぎて、これはまた異常な事態だ。

 体全体に波動が駆け巡っている。つい先日までは意識して波動を巡らせなければいけなかったというのに、いまは無意識に波動が流れている。どういうことだ?

「て、てめぇ……やってくれるじゃねぇか」

 さすがにいまのにはご立腹だったらしく、額に青筋を浮かべた柊が涙目で俺を睨んでいた。しかも目が真紅に光っている。

 やば。自業自得だから仕方ないけど、ぼこぼこにされるんじゃなかろうか。

「ちょうど試してみたかったことがあんだよ。並の相手じゃ怪我させかねないし、冬道なら問題ねぇよなァ?」

「問題大ありだこのバカたれ」

 鋭利につり上がった口元から八重歯が見え隠れする。

 あいつ、本気だよ。本気で怒ってらっしゃる。こりゃいつものおふざけじゃ済みそうにもないな。こっちも本気で逃げないと危険だ。痛いのは勘弁だ。

「かしぎ、詩織。お前らはなにをやってるんだ、まったく。練習に来るのが遅い上に遊んでいるとは、だらしがないぞ」

 両希が俺たちの間に割り込みながらそう言った。助かった、ナイスだ両希。

「あたしは遊んでねぇよ。いきなり叩かれたんだぜ?」

「ふむ……いい音だったな」

「そういうことを言いたいんじゃねぇんだけど」

 両希の的外れな見解に、柊は毒気を抜かれたようだった。『吸血鬼』の副作用で真紅に染まった瞳や八重歯も、いまは元に戻っている。

「それよりいままでなにをしていたんだ。詩織を迎えにやって、帰りが遅いから瀬名まで向かわせたというのに」

「教室で駄弁ってたら遅くなったんだよ」

「まぁ、そんなことだろうとは思っていた。どうせかしぎのことだから、練習の話を聞いていなかったのだろ?」

「ご名答。さすが両希。俺の幼なじみだけのことはある」

「何年も同じようなことを見てきたからな。それくらいは当然だ」

 言葉通りの態度で、両希は俺を見る。

「お前はA組の切札でもあるんだ。かれきに勝つには、しっかり練習してもらわなければ困る」

「なんでそこまで飛縫にこだわるんだ?」

「そんなもの決まっているだろう――同じ知的キャラとして、負けるわけにはいかない」

「…………」

 いや。お前は知的キャラっていうより変人キャラだろ。たぶん柊も同じことを考えているはずだ。自分が知的キャラだと思ってるのはお前だけだぞ、両希。

「朝はもう時間がないから、軽く流すだけにしよう」

「それは構わねぇけど、俺はなにをやりゃいいんだ?」

「とりあえず二人三脚だな。あれが一番難しいから練習は多めに必要のはずだ」

 借り物競争や障害物レースのような少数種目の他にも、騎馬戦などの全員参加種目がある。そのひとつとして、二人三脚がある。他にも様々な種目があるが、やはり目玉なのはこの私立桃園高校だけのオリジナル種目だろう。

「で、俺の二人三脚のペアって誰なんだ?」

「それも聞いていなかったのか……」

「悪かったな。話を聞かねぇ幼なじみで」

「慣れてるから構わない。……かしぎのペアは瀬名だ」

 言われて反射的に後ろを振り向く。そこには恥ずかしげに指を絡ませ、俺と視線を合わせないようにする顔を赤くした萩村の姿がある。

 さっきから顔が赤くなりっぱなしだけど、もしかして――いや、まさかな。

「め、迷惑かもしれないけど、よろしくね……?」

 もしいまの萩村に迷惑だなんて言いきれる奴がいるなら、ぜひとも会ってみたい。少なくとも、俺にはそんなことはできそうにもない。

「放課後も練習するから、先に帰ったりするなよ?」

 死刑宣告が、ここに成された。



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