3―(10)「柊詩織(後)」
「と、冬道……?」
突然の来訪者に、あたしは疑問を投げかけるしかない。
どうして冬道があたしの家に……?
「思ったより元気そうじゃねぇか」
「げ、元気そうってお前……」
「あ? 風邪引いてんじゃねぇの? 薄着で出歩いてるくらいだから、結構よくなったんだろ?」
そう言われて今の自分の格好を改めて見てみる。昨日の東雲さんが着ていたタンクトップよりも薄くて(というよりあの人のは特注のものだろう)、下はショートパンツほどじゃないにしろ、かなり短い短パンだ。少なく人に見せるような格好じゃない。
ていうか今、あたしって下着着けてないんじゃ……。
「と、冬道! ちょっと待ってろ!」
「あ? おい、柊?」
「ま、待ってろ!」
あたしは冬道から逃げるように玄関を閉める。少しくらい女の子の事情を分かってくれ……って、普段から女の子らしくしてないあたしが言っても説得力ないんだけどさ。
とりあえず着替えだな。こんな汗だくの格好じゃ人前に出れたもんじゃない。もう冬道とは会っちまったけど。クローゼットから適当に服を取り出して、着替える。ったく、なんでこんなときに、しかもよりにもよって冬道が来るんだよ。
「入っていいぞ」
「……客をいきなり閉め出すか? 普通」
「閉め出してなんかねぇだろ。ちょっと待ってろって言っただけじゃんか」
「別にいいけどさ」
冬道はそう言いながら家に上がり込んできた。走ってきたのか、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
「いきなりどうしたんだよ。なんか用事でもあるのか?」
「宿題届けに来たんだよ。お前が休んでた分のな」
「えー……宿題ぃ?」
「文句垂れんじゃねぇ。テストも近いんだぜ?」
「テストなんか日頃から勉強してたら大したことねぇよ」
「……それは俺への当て付けか?」
「さあなー」
冬道が顔をしかめていたけど、日頃から勉強しないのが悪いんだ。
「部屋で休んでろよ。疲れてるだろ?」
「なら言葉に甘えさせてもらうよ」
あたしの部屋を案内したあと、冷蔵庫から飲み物を持ってくることにした。
それにしても、と思う。どうして冬道はあんなことがあった次の日に、何事もなかったようにあたしに会いに来れるんだ。あたしは、冬道を殺そうとしたのに。
宿題を届けに来たっていうのは、本当のことだろう。そんな下らないことで嘘をつくような奴じゃない。まさか――あたしに気づいてなかったとか?
それこそまさかだ。東雲さんと戦って怪我もしないような奴が、あたしに気づけないわけがない。それにメールだって送ったんだ、気づかない理由がない。
だとしたら、どうして冬道は会いに来たんだ?
冬道は言うなれば敵側だ。あたしを――化物を殺そうとする側の人間。もしかして、あたしを殺しに来たのか? 考えたくはないけど、そう考えると冬道が来たのにも納得できる。そうだとしたなら何だか、寂しいや。
「冬道、麦茶でいいよな――って!」
今日は(というか昨日から)色んなことがあってすっかり忘れていた。今の自分の部屋の状況を。
「お前、部屋くらい掃除しとけよ」
冬道が言うのも仕方ない。だって今のあたしの部屋はとんでもないくらい汚い。さすがにゴミは散らかっていないけれど、着替え――し、下着とかは脱ぎっぱなしにしてたわけで、それが今、冬道の目の前に。
「み、見るんじゃねぇ!」
あたしは麦茶の入ったコップを投げつけようとする。
一瞬だけマズイと言いたげに顔をしかめた冬道は、あたしが投げるよりも早く立ち上がり、手首を掴んで押さえつけてくる。
「見てねぇから安心しろ。お前の下着なんか見てねぇぞ」
「何色だったか言ってみろ」
「黒。……あ」
「し、しっかり見てんじゃねぇかバカ冬道!」
「落ち着け。お前の下着なんか見たって俺は発情なんかしねぇ。ついでに言えばお前を押さえつけて転んで顔が近いぜ、みたいなイベントは起きねぇから」
「そんなもん期待してねぇよ!」
つーかあたしの下着みても発情しないって、ちょっと傷つくぞ。
「それだけ元気がありゃ大丈夫だな。ほっとしたかな」
「なんで冬道がほっとするんだよ」
「……何でだろうな?」
「あたしに訊くんじゃねぇよ。ほら、麦茶でいいだろ?」
「あぁ。サンキュー」
相当喉が乾いてたのか、冬道は麦茶を一気に煽る。
「で、なんでそんな汗掻いてんだよ」
「走ってきたからに決まってんだろ。あんなメール寄越しやがって、心配させんじゃねぇよバカ」
「…………」
「謝るくらいなら、やるんじゃねぇ」
冬道は本当に心配したように言ってくれる。こんなあたしでも、こいつは心配してくれてたんだ。それがすごく嬉しい。
「悪かったな、あんなことやってさー」
「棒読みで言うんじゃねぇ。謝る気ねぇだろ?」
「素直に謝ったのにひねくれたこと言うからだろー」
べー、と舌を出しながらあたしは言う。
「それで、どうしてあたしに会いに来てくれたんだ?」
「友達に会いに来るのに理由なんか要らねぇだろ」
「昨日にあんなことがあったのに、友達なのか?」
「当たり前だ。下らねぇこと訊くんじゃねぇよバカ」
その言葉通りに、下らないことを言わせるなと言いたげな態度で、間髪も容れずに冬道はそう断言した。
「お前さ、なに悩んでんだよ」
「え……?」
「誤魔化せるとでも思ったのか? バレバレなんだっての。お前が悩んでるとすぐに表情にでるから、分かりやすいんだよ」
「別に悩んでなんか……」
「嘘ついても無駄だぞ。何年の付き合いだと思ってんだ」
「去年からだよ」
「そうだったか? 細かいことは気にすんな」
細かくはないと思うけどなぁ。
「いいから相談しろよ。友達だろうが。俺じゃ不満か?」
「…………」
「おい、なんか言えよ」
「……ぷっ」
「あ?」
「あははは! と、冬道が友達だからって心配してる!」
「真面目に話してんのに笑うなっての」
「げほっ、げほっ、」
「そんな噎せるほど笑うとこなのかよ……。麦茶でも飲んで落ち着け」
麦茶を一気に飲み干しても込み上げてくる笑いを、なんとか噛み殺す。
前にもこんなことがあったよなぁ。たしか冬道の背中を思いきり叩いちまったときだったっけ。あのときは『吸血鬼』の力でやり過ぎたのかと思って心配したんだ。
その前の瑞穂のときだって、あたしの中の化物がやったのかと思った。
でも、違った。瑞穂が否定してくれたことで大分救われたけど、だとしたらあのときの犯人は誰だったのか。それに、誰がそいつを止めたのか。多分だけど、冬道だ。
あたしや瑞穂が困ってたから、冬道は犯人を見つけて、止めたんだ。見返りなんか求めないでただ、友達が困ってたからっていう理由だけで、冬道は危険を省みずに戦った。
そういう奴だよ、こいつは。だったらさ、話したって構わないよな?
「なぁ、冬道」
「ん?」
「人間か化物、どっちかを選べって言われたら、お前はどうする?」
「はぁ?」
むかっ。あたしが真面目に話したってのに何だよ、その反応は。相談しろよって言ったのはそっちじゃんか。
「バカかお前は」
「なんでそうなるんだよ。あたしは真剣に悩んでるっつうのにさ」
「だから、そんなことで真剣に悩んでるお前がバカかって言ってんの。あれだ、私はもう戻れないとか言うキャラと同じだ」
「そんなのと同じにすんじゃねぇ」
「同じだ。人間か化物って言っても、どっちにしろお前のことなんだろ? 『柊詩織』についてなんだろ?」
「まぁ、そうだけど……」
ここで『九十九詩織』って言わない辺り、冬道って変なところで気回しが出来るんだよなぁ。
「それなら選ぶ必要はない。どっちもがお前だ。どっちかが欠けちまったら、お前がお前じゃなくなっちまう」
「でも、そんなの……」
欲張りすぎなんじゃないのか?
と、あたしが言う前に、冬道が言葉を重ねてくる。
「いいじゃねぇか。欲張っても。むしろ欲張れよ」
「だって東雲さんが選べって……」
「あの人は余計なことを吹き込んでくれるな」
あれ? 冬道と東雲さんって知り合いなのか? 戦ったって割には、なんか邪険な雰囲気じゃないし。
「他人は関係ない。お前はお前だ」
いつの間にか、冬道の瞳に吸い込まれるように見つめていた。
「俺だってどっちも選んでる。人間と化物。どっちかがなくなったら、冬道かしぎは他の何かになるだけだ」
「じゃあ、どっちも選んでいいのかな……?」
「いや、知らねぇけどさ」
「……は?」
「ごちゃごちゃ言っちまったけど、最後に決めんのはお前だ。俺がどうこう言ったって意味ねぇだろ」
たしかにそうだけどさ、だったらなんで言ったんだよ。ごちゃごちゃ言い過ぎだろ。
お前ってそんなキャラだったっけ?
「そんなこと言われたって分っかんねぇよー」
ベッドにごろりと寝転がり、ぶっきらぼうに呟く。
「……もしあたしが化物を選んだら、どうすんだ?」
「どうもしねぇよ」
またも間髪も容れずに答える。もしかして冬道、本当は何も考えてないだけなんじゃねぇのか?
「どっち選んだって友達には変わりねぇし」
「本当かよー……」
「嘘ついてどうすんだっての」
「お前って嘘くせーし……」
「信用ねぇな、俺」
「信用はしてるよ……。多分、誰よりも一番……」
「そんな嬉し恥ずかしのセリフをどうもありがとう。お前に信用されるってのは、まさに光栄の至りだ」
その言い方が嘘くせーんだよなぁ。それが冬道らしいんだけどさ。だからこそ信頼してるんだけどさ。
つーか冬道、こっちは真面目な話してんのに漫画読んでんじゃねぇよ。
「心配すんな。お前がどんな風になったって、側にいてやるから」
「うっそだー……」
「嘘じゃねぇって。お前が困ってたらすぐに駆けつけてやる。何よりも優先して、お前のことを助けてやる」
それって側にいねぇじゃん、というツッコミはしないでおく。こんな嬉しい言葉にそんな無粋なことはしたくない。
あたしは後ろから冬道に抱きつく。
「……だったら、ちゃんと助けてくれよな」
「おう。任せとけ」
「うん。任せた」
やっぱり、冬道と一緒にいるときが一番落ち着く。どうしてかは分からないけど、こうやってくっついてると、すごく安心する。
広いってわけじゃないけど、乗っかるには丁度いいくらいの大きさ。男の子らしいごつごつしてる背中が、とても気持ちいい。冬道の頭をわしわしと無造作に撫でてみる。
「何やってんだよ」
「頭撫でてんだよ。見りゃ分かんだろー……」
「さっきからすげぇ怠そうにしてるけど、大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫。今は平気だから」
さっきまで感じていた焼けるような体の熱さは嘘のように引いてるし、ただ今はだらだらとしていたいだけだ。不思議なもんだよ。冬道が来ただけでこうなんだから。
「ならいいけど。つーか頭撫でんじゃねぇ」
「いいじゃんかー……。減るもんじゃねぇし」
「今日だけな」
「やっふー……」
「もう少し嬉しそうにしたらどうだ。俺がこんなことやらせるなんて、今日ぐらいかもしれねぇんだぜ?」
「んー……何だかんだ言ってもやらせてくれるじゃん」
「次から断るぞ」
そんなこと言っても冬道はやらせてくれるんだよ。
口元を手で隠しながら、あくびをする。そう言えば最近はまともに寝てなかったっけ。眠れるような状況じゃなかったしなぁ。
でも今は、寝たって大丈夫だ。だって、冬道があたしを助けてくれるって言ったから。
だんだんと重たくなっていく瞼がくっついた頃には、あたしの意識はなくなっていた。
瞼を開けてまず目に入ったのが、冬道の横顔だったことに、あたしはというと思わず驚いてしまった。
びくっと体を震わせて、冬道も驚かせてしまう。
「やっと起きたのかお前は。お前が抱きついてくれてたおかげで、身動きができなかったじゃねぇか」
「あっ。わ、悪い。つい気持ちよくてさ……」
「俺も背中が気持ちよかったからいいけどな。役得だと思えば五時間くらいどうってことなかったし」
あたし、冬道に抱きつきながら五時間も寝てたのかよ。
フローリングの床の上には読み終わったらしき漫画が何冊も積み上げられてて、どうやら読み終えたあとはずっとこうしてたみたいだ。
「で、どうする? 今夜も喧嘩するか?」
「…………」
さすがにあれを喧嘩って言えるのは冬道くらいだと思う。
でも冬道にしてみたらあの戦いも喧嘩なのか。友達同士で争ってるんだから、喧嘩っていえば喧嘩だから間違いじゃないけど。
「やるんだったら俺は学校に戻んねぇと。今夜は東雲さんが全力で来るみたいだし、俺も全力でやんねぇと」
「あたしを助けてくれるんじゃねぇのかよー」
「お前を助けるために戦うんだっての。面倒なことに、あの人はお前を殺そうとしてるからな。俺はお前に死なれたくないし」
だからと、冬道はあたしに手を差し伸べてくる。
「一緒に行こうぜ? もうお前を、ひとりにしない」
「あ……」
あたしはどこかしら、冬道を信用しきれていなかったのかもしれない。
いくら口で言ってても、裏切られるかもしれないていう疑念の気持ちがあって、どうしても最後まで信用できずにいた。
バカバカしい。我ながら笑えてくるな。疑う必要なんてなかったんだよ。
こんな真っ直ぐすぎる奴が、裏切るなんて行為を簡単にするはずがねぇよ。
差し伸べられた手を遠慮がちに掴むと、冬道はがっちりと掴み返してくる。男の子らしい力強さで。
「となると、まずはみんなにお前のことを言わねぇとな」
「言ってどうにかなるのか?」
真宵とかアウルとかならまだしも、翔無雪音とか黒兎大河とかはどうにもならないと思うんだよな。
「何とかなんなくても何とかするしかねぇだろ。それにお前の中の『吸血鬼』も、お前に馴染んだだろ?」
「馴染んだって言われても分かんねぇよ。あたしにも分かるように言ってくれ」
「要するに『吸血鬼』が発動してる間も、お前の意思で自由に体を動かせるってことだ」
だから体の焼けるような熱さがなくなったのか。今まではあたしに『吸血鬼』が馴染んでなかったから暴走するように勝手に動いてたけど、馴染んだ――つまり人間と化物、どちらも選んで、同化したってことだ。
無意識のうちにあたしには、どっちも選んでたんだな。人間であることも、化物であることも。
違うか――憂いがなくなった今、どうでもよくなったんだ。そんな小さなことでうじうじしてる必要がなくなったんだ。
「あの生徒会長はともかく、翔無先輩は話したら分かってくれるはずだ。あの人は守るために戦う人で、殺すために戦う人じゃない」
「む……」
「あ? なんだよ」
「なーんでもねーよーだ」
「なに拗ねてんだよ。今の展開的に拗ねるとこなんてねぇだろうが」
あたしだってなんで拗ねてんのか分かんねぇよ。
翔無雪音――冬道があの人のことを話してると、なんだか妙にイライラする。今はあたしと二人っきりなんだから、他の奴の話なんかするなよなー。……思いっきり嫉妬だよな、これ。あたしってこんなに嫌な子だったんだ。
「嫉妬か?」
「嫉妬じゃねぇ! 殴るぞっ!」
「殴ろうとしてから言うんじゃねぇよ。危ねぇだろ」
「どうせ当たんねぇんだからいいだろ」
「当たろうが当たるまいが、一撃で頭蓋骨粉砕できるような奴が、照れ隠しで殴ろうとすんなって言ってんだよ」
「照れ隠しでもねぇっ!」
「だから殴んなっての。殺す気かお前は」
くっそー。大概は鈍感なのがお約束だろ。なんで見抜いてくるんだよバカ。
まぁ、悪い気はしないからいいんだけどさ。
「せめて腕を千切るくらいにまでは抑えてくれ」
「いやいやいや! それでも怪我の具合が半端ねぇよ!」
「あ? ……そうか、こっちじゃ腕が千切れるのは普通じゃねぇんだったな。訂正、骨折くらいで済ませろ」
「それでも重傷だよ! つーかその前にやんねぇよ!」
あたしは冬道にどんな風に見られてるんだ。さすがに腕千切ったり、骨折させたりなんかしねぇよ。たん瘤くらいなら量産するかもしれねぇけど。
「たん瘤って意外にいてぇんだぞ? 何気ないときにぶつかったりして」
「あたしの思考を読むなよ!」
「考えてることが顔に出てる。もしくは以心伝心ができるようになったんじゃねぇか?」
「うーん……それならそれで、ありだな」
ありなのかよ、と冬道は呆れ気味に呟いていた。
あたし的にはありだけどな、以心伝心。なんつーか、特別な繋がりがあるみたいでさ。二人だけの共有感覚っていうのかな、そういうのっていい感じだよなぁ。
「そろそろ行くか。制服じゃなくて、ロングコート着てけよ? お前が『吸血鬼』だってのを分かりやすくしとかねぇと」
「着てなくても分かるんじゃねぇのか? 一応っつーか、昨日戦ったわけなんだし、分かんねぇ方が変だと思うぜ?」
「備えあれば憂いなしって言うだろ」
って言っても、わざわざ嘘ついてまで他人連れて来るなんて、誰も思わねぇだろうけどな。多分。
と、冬道は面倒そうに頭を掻きながら呟くように言う。……多分って、なんか頼りねぇな。
あたしは捨てられるように置かれているロングコートを取り、いつの間にか手慣れていた手つきで羽織る。
「様になってるな。カッケーじゃん」
「カッコいいなんて言われたって嬉しくないっつーの」
これでも女なんだから、可愛いって言われた方が嬉しいに決まってんだろ。普段の行動が行動なだけに、仕方ないのかもしれないけど。
「俺さ、カッコいい女の子って、結構好きなんだけどな」
「それをあたしに言って何をアピールしたいんだよー」
「アピールなんかしてねぇっての」
「そうなのか? まぁ、いいけどさ」
あたしは鼻歌でも歌いだしそうな足取りで家を出る。
うん。カッコいいって言われるのも、案外悪いものじゃないみたいだ。
◇
「いやぁ、かっしー。さすがのボクでもそれは予想できなかったねぇ。まさか、『吸血鬼』をここに招き入れるとは思わなかったよ」
翔無先輩はいつもと変わらない表情をしつつも、俺の隣にいる柊を見て、内心では焦っているんだろう。態度に余裕が見えない。明らかに警戒心をむき出しにして、少しでも変な態度を取れば即座に押さえつけられるに違いない。
脳から電気信号が神経を伝い、筋肉を動かすに至るまでのタイムラグといえないような、本当に一瞬の時間――それを翔無先輩は見切ることができる。
それにテレポートを加えられたら厄介だ。厄介というだけでその程度ならどうと言うことはない。
「何もおかしいことはしてないだろ。柊だって、私立登園高校の生徒だ。入る入らないは自由だろ?」
「うん。それはそうだよ。問題なのは、彼女を――『吸血鬼』をここに連れてきたってことさ。ボクたちは昨日、彼女と殺しあったんだよ?」
「そんなの知るかよ。俺には関係ねぇ」
目線だけで風紀委員室を見渡す。生徒会組に風紀委員組、そこに秋蝉先輩とアウルと真宵後輩、最後に司先生――と、こりゃまた都合よく集まってるもんだ。
「関係ねぇ、じゃ済まさないでもらいたいところだねぇ。どうして君は彼女をここに連れてきたんだい?」
「柊を殺させないためだ。そのために連れてきた」
「説明になってないよ。ボクが聞きたいのはそんなことじゃない」
イライラしてきたのか、翔無先輩の射殺すような視線が強くなってくる。殺気さえ伝わってきそうだ。
やれやれと、ため息をひとつ溢す。
「こいつは確かに『吸血鬼』だ。でも昨日までとは違うってもう暴れたりしねぇよ。それは俺が保証する」
「……どういうことだい?」
「超能力に完全に専門外だから説明すんのは無理だ」
波導についてなら専門的なことだっていくらでも話せる。師匠に文字通り叩き込まれるように、知識を詰め込まされたからな。
力だけがあったって生き残れなかった。
知識と連携――それらも合わさって初めて戦えた。
そしてパートナーがいて、初めて勝つことができた。
「いくらかっしーでも根拠もなしに信じられないねぇ」
「根拠はあるぜ? この状況がいい根拠じゃねぇか」
「ん? この状況?」
「あぁ。『吸血鬼』にはチャーム――つまり魅了の特性があったはずだ。現にその効力を俺は見たことがある」
この休みが始まる前の数日間、まるで誰かに操られているように男が柊に話しかけてきていた。それは、今にして思えば『吸血鬼』に魅了されていたのだろう。
「そしてここにいる男は、誰ひとり魅了されていない」
「……たしかに。誰もメロメロになっていないねぇ」
メロメロという言い方はともかく、黒兎先輩も不知火も柊を警戒こそしているものの、魅了されているようには見えない。
つまりこの状況こそ、柊が『吸血鬼』を自分のものにした、ということの証明でもある。
「これで、まだ根拠足りないか?」
「ここまで根拠を述べられちゃったらねぇ。でもさ、また暴れださないっていう証拠はどこにもないよ? それについてはどうするつもりだい?」
「知らねぇよ。めんどくせぇ。そこは柊を信じろ」
心配なのは分かるが少しくらい柊を信用しやがれ。俺にしてみたら出会い頭に殴りかかってくる翔無先輩より、柊の方がずっと信用できるっての。
それに、俺にとって翔無先輩はどうでもいい人間だ。死なれようが殺されようが、敵になろうが味方になろうが、真宵後輩や柊たちにさえ手を出さなきゃどうでもいい。
……そんなことを考えてしまうのが、異世界から還ってきた俺の悪い癖かもしれない。異世界じゃ見ず知らずの他人、ただ知り合った程度の相手を気遣う余裕なんてなかった。
だから不利益になるものは切り捨てる。それ以外ならどうでもいい、というような考えが染み付いてしまった。
「はぁ……。それじゃとりあえず信用はしてみるけど条件がひとつ。それさえ守ってくれるならこの話は終わりだよ」
「あ? 条件?」
「そ。かっしーとマイマイちゃんの二人が、彼女の側にずっといること。そうしたらまた暴れだしてもすぐに対応はできるからねぇ」
「それくらいなら構いやしねぇよ。つーか、それだけでいいのか?」
たしかに俺と真宵後輩がいれば柊が暴れても対処はできるが、それだけになんか裏がありそうなんだが。
「いいよ、それだけで。だってかっしーは、他のことが気になって気になって仕方ないんじゃないのかい?」
「…………」
たしかにその通りなんだが何故バレている?
――って、さっきそんな感じのこと言ったっけな。
「東雲のことか?」
「……はい。あの人は柊を殺すためにここに来た」
「ならば柊が『吸血鬼』に引き摺られなくなったとしても、私たちとは違い、東雲にはまるで関係のない話だ」
司先生の言葉に俺は首を縦に動かして同意する。
『九十九』の詳しい事情についてはよく分からないが(というより知るつもりもないが)、東雲さんが柊を――『九十九』の欠陥品を殺そうとしていることだけは分かる。
今夜は東雲さんと万全の状態で戦うことになる。なら俺には、迎え撃つという選択肢しかない。
「東雲さんは今日も現れる。俺がひとりで戦うから、みんなは待っててくれ」
「貴様がひとりで戦うだと? 本当にそれで勝つことができるのだろうな?」
「邪魔がいなきゃ勝てるっての。それに今日は剣を鞘に納める」
ぴくっ、と俺の言葉を聞いた真宵後輩が反応した。
俺に向けられている無機質な目が『正気ですか?』と雄弁と語っている。
「何をするかは分かんないけど、マイマイちゃんの反応を見る限りだと、ヤバげなことをするんじゃないかい?」
「大したことじゃねぇよ」
この人は本当に周りの反応をよく見ている。
それに、まさか『アレ』をやるわけにはいかない。この状態じゃできるかも分からないしな。ちょっと――戦い方を変えるってだけさ。