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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第三章〈『吸血鬼』の宴〉編
30/132

3―(7)「三位三体」


 ふと鼻をくすぐるいい匂いで俺は目を覚ました。

 屋上で寝ていたから、目を開ければその先には空が広がっていて、すでに暗くなっていた。つまりあれから八時間以上も寝ていたことになる。

 昨日はぐっすり眠れていたと思っていたのだが、どうやら体には睡眠が足りていなかったらしい。

 最近は休まる暇がなくて、風紀委員と生徒会の戦いが終わったかと思ったら、九十九と吸血鬼の戦いに巻き込まれたからな。

 さすがに一日の半分以上も寝ていただけあって、体が軽くなったような気がする。

 俺は体を起こそうと腹筋に力を入れると、何かが重みになって起き上がることができなかった。

 何事かと思い視線を下げてみると、真宵後輩が俺の体に抱きついて眠っている姿が目に入った。

 ギュッと俺の制服を掴み、安心そうにして眠っている。

 異世界に行ったばかりのときの真宵後輩は、がらんどうといった感じの女の子だということを、俺はよく覚えている。

 ほとんど感情を表に出さなかった(フェリス皇女のところに呼ばれたときは例外として)真宵後輩は、常識に対しては何も感じていなかったのだ。

 どうでもよかったと言ってもいいかもしれない。

 世界に飽きていた。

 日常がつまらなかった。

 そういうことから真宵後輩からは、感情や意思というものが欠落していったらしい。それでも生活する分には、まるで支障はなかった。

 言われたことを、頼まれたことをそのままやればいい。

 だから、真宵後輩は優等生になった。

 がらんどうである彼女は、どれだけでも詰め込めることができる。勉強でも何でも、教えられればスポンジが水を吸い込むように、自分のものにしていった。

 それは異世界でも同じこと。

 俺はただ天剣をでたらめに振るうだけだったが、真宵後輩は波導をあの短期間で会得して、それをずっと使ってきたように使っていた。

 今は無表情でほとんど表情が変わらないものの、昔は普通の女の子と同じように感情が顔にも出ていたらしい。

 俺からしたら、真宵後輩の表情がそんなにころころ変わってたら、天変地異が起こるんじゃないか本気で心配になる。死ぬのを覚悟して戦わなきゃならないのかと思う。

 それに真宵後輩の無表情は魅力でもある。たまに見せる涼しげな笑みが、俺の心を鷲掴みにするんだよな。

 そしてこれも、キャラ設定――性格の変化ってことか。

「安心そうに寝やがって。可愛い奴め」

 俺はそう呟いて真宵後輩の頬をつねってみる。ちなみに意味なんてものは全然ない。

 ぱちくり、と真宵後輩が目を開けた。

「何をやってるんでふか、しぇんぱい」

「真宵後輩の寝顔を堪能してたんだよ」

「なるほどなるほど、そうですか。私のような美少女の寝顔を独り占めですか。かしぎ先輩だけの特権ですね」

「そうだな。他の奴には渡さねぇ」

「先輩、それは遠回しのプロポーズでしょうか?」

「違うけど?」

 違うのですか、と特に残念そうにすることもなく真宵後輩は呟き、俺から離れた。少しだけ残念である。

 俺も上半身を起こして、欠伸をする。

「ふむん。すごく寝てしまっていたみたいですね」

「屋上だってのによく寝れたもんだよ、お互いにな」

「安心したのではないでしょうか? 私がかしぎ先輩がいて安心したように、かしぎ先輩も私がいて安心したんじゃないですか?」

「そうかもしれねぇな」

 他の相手なら自惚れんなって言うところだが、真宵後輩ならそれは間違いじゃない。一緒にいるとすげぇ安心できるし。

「つーかさらっと俺といて安心できるって言ってんのな」

「事実だから仕方がありません」

「やべぇ、抱き締めてぇ」

「構いませんよ? 私はいつでもお待ちしております」

 そんなこと言われたら今すぐ抱き締めたくなるじゃないか――でも、そんな暇はなさそうだ。

 屋上のドアが勢いよく蹴破られる。不知火が血相を変えてやって来たのだ。

「冬道、藍霧! 吸血鬼が来たぞ!」

「分かってる。お前は先にみんなと配置についててくれ」

「冬道はどうするんだよ」

「俺は、俺たちの相手を吸血鬼から引き剥がす」

 復元言語を唱えて天剣を元に戻し、ひと振りする。

 気配でこっちに吸血鬼――柊が向かってきているのは気づいていた。それに東雲さんも一緒に来ている。多分柊と戦いながらこっちに来てるんだ。

 このままだと、柊と東雲さんの両方を同じ舞台で相手にすることになりかねない。そうなる前に叩き落とす。

「私も手伝います、先輩」

 同じように復元言語を唱えて、地杖を元に戻した真宵後輩が言った。

「俺が最初に二人を分断する。お前は俺が叩き落とした柊――吸血鬼の方を頼むぜ?」

「任せてください。先輩の期待に応えてみせましょう」

「頼もしいな。だったら任せたぜ、真宵後輩」

「かしぎ先輩もしくじらないようにしてくださいね」

 互いの拳を軽くぶつけ合わせ、俺は屋上のアスファルトを蹴り空を駆ける。風系統の波導を使ってさらに加速し、視界に柊と東雲さんを捉えた。

 空中だというのに人間とは思えない攻防を繰り広げている。しかしこの二人は普通の人間じゃない。

 吸血鬼と陰陽師。

 異常な力をその身に宿した、超能力者。けれどそれは、俺も同じだ。まともな人間とは呼べない。

 天剣の柄を握り直し、未だに俺の存在に気づいていない二人の間に斬り込んだ。

「かしぎ……っ! 来たなァ……っ!」

 途端に東雲さんは狙いを吸血鬼から俺へと変えてきた。獲物を見つけた獣のように、餓えたような瞳で俺を見据えている。

 だが東雲さんばかりに気をとられている暇はない。

 振り返り様に柊の胸ぐらを掴みあげる。去年の映像でも着ていた、袖だけが切り落とされたロングコート。フードに隠されて顔は見えないけれど、雰囲気だけでこいつが本当に柊だというのが分かった。

 柊が俺の腕を、万力のように締め上げてくる。それに耐えつつも力任せに放り投げようとする。だがそれよりも早く、柊はヘットバットを――いわゆる頭突きを喰らわせてきた。予想外の一撃ではあったが、それを間一髪で避ける。続けざまに柊は打撃を打ち込んでくる。型も何もあったものではなく、ただ本能的に腕を突き出してくる。

「悪いな。お前の相手はまた今度だ」

 突き出された腕を掴み、今度こそ学校に向かって放り投げる。万有引力に従って落下した柊は、宙で体をぐるりと縦回転させ、難なく着地していた。

 それを見て安堵しつつも、気を抜くことはしない。背後から迫る重圧を感じ、天剣を背後に回して受け止めた。この受け方はあまり効果的じゃない。無理な体勢での受けは力も入らない上に、場合によっては肩が外れることもある。

 天剣の腹で受け止め、衝撃を上手く外に逃がしたからこそ、小さな力だけで受け止めることができた。

「ほっほぉ。今のを止めるんか。やるやないか、かしぎ」

「今のくらい止められなくてどうするよ」

「言うやんか。おもろいで、こら楽しめそうやな!」

「こっちは全然面白くねぇっつうの」

 背中に回した天剣を振り抜いて牽制し、東雲さんから距離をとる。

 俺たちはワイヤーアクションをしているわけではなく、移動して生まれた勢いを利用して宙にいるだけだ。その勢いがなくなった俺たちは、そのまま落下していく。着地時に膝のクッションを使って衝撃を和らげ、天剣を片手に構えて東雲さんを見据える。

「それで? 私の邪魔したっちゅうことは、私の敵になるってことでええんやな?」

「さあな。貴女がそう思うならそれでいい。俺は柊を止めたいから、その仮定で邪魔になる貴女を止めに来た。それだけだ」

「なんや煮えきらん答えなや。それって単に言葉を濁しただけやんか。結局、かしぎは私を敵かどうかは決めてへんことになるんやで?」

「そんなの知らねぇっつうの」

「……まぁ、ええわ。それより後ろの兄ちゃんたち二人は、かしぎの増援ってことでええんかな?」

 東雲さんに言われて振り向くと、不知火と黒兎先輩が走ってくるのが見えた。二人はすぐに俺の横に立ち、東雲さんを睨み付ける。

「女ひとりを相手に男は複数かいな。なっさけないなー。まぁ、私が相手やから仕方ないけどな」

「貴女程度なら俺だけでも十分だ」

「言うやんけ。せやったらかしぎは私の相手で決定や」

 東雲さんはそう言って一枚の札を取り出し、それを口にくわえ、両手を合掌させる。

 一瞬だけ札が発光したかと思えば、次の瞬間には、東雲さんが式神と呼んだあの男がそこにいた。大剣を片手に構え、東雲さんを守るように。

「何回も呼び出して悪いんやけど、そっちの兄ちゃんたちの相手、あんたがしたってや」

「母様のためなら」

「別に私はあんたの母様やないんやけど……。まぁ、細かいことは気にせんで、頼んだで」

「御意」

 空気を引きちぎるような音を立てて、式神は飛び込んできながら、右手に構えた大剣を振るった。

 狙いは不知火と黒兎先輩だったはずが、式神は大剣を振るう際に俺に少しだけかすらせていた。まるで、俺を挑発するように。

 二人は飛び退くことで大剣の一撃を避け、式神と対峙している。

「これで心置きなく戦えるな。ほな、行くで?」

 次の瞬間。

 東雲さんは俺に向かって飛び込んできた。間合いの計り合いも何もなく、ただいきなりにだ。右の拳が俺の顎を目掛けて、アッパーカットのように振り上げられる。まるで唸るように振り上げらた拳を、一歩下がることでやり過ごし、胴を凪払う。

 剣道のような綺麗な胴ではなく、型も何もない、我流の胴抜きだ。それでも異世界を生き抜いてきたキレがある。

 普通なら受け止められるようなものじゃなし、そもそも刃物を生身で受け止めるような真似はしないだろう。だというのに、東雲さんは意図も簡単に受け止めた。人差し指と中指で挟み込むようにしながら。挟み込んだ天剣の刀身はぴったりと抑え込まれている。

「ええひと振りやな。筋が通ってて、芯がある。気持ちのええ斬線や」

「そりゃどうも。お褒めに預かり光栄の至りだ」

「ホンマにそう思っとるんか?」

「思っちゃいねぇ、よ!」

 言うと同時に左の拳を思いきり振り上げる。東雲さんは刀身を離し、大きく飛び退いて距離を置いた。

 けれど逃がす気はない。着地した瞬間に軸足に踏み込み、足を鎌のように見立て、刈り取るように足払いをかける。

 体勢を崩した東雲さんは、風船のように宙に浮かぶ。しかし東雲さんはその崩した体勢のまま、来るなと言わんばかりに爪先を蹴り上げてくる。さっきの俺の受けと同じように、無理な体勢では力が入らないはずなのに、蹴り上げられた爪先は、俺の顔面をわずかに削り取る。

 蹴り足の勢いを利用して体を縦回転させつ立ち直り、数瞬の間も開けることなく、無数の連撃が繰り出される。順列組み合わせ様々に、予想だにしない方向から捩じ込んでくるように、矢継ぎ早に叩き込まれてくる。

 辛うじて凌いでいるものの、どこまで凌げるか――っ!

 軽自動車くらいなら一撃で廃車にしてしまいそうな打撃を避けるごとに、寿命が縮むような思いだ。それこそ不老不死でもない俺が、そんなものを受けたらひと溜まりもない。

 避けて、受け流して、受け止める。そんな単純な作業だというのに、額からは汗が伝う。

 拳を天剣の腹で受け止める度に衝撃が伝わり、柄を握る右手にかすかな痺れすら覚えた。攻撃の手を緩めることを知らないように――むしろ繰り出せば繰り出すほど、攻撃は苛烈さを増していく。

 口が乾く。どうやら呼吸の数が多いらしい。まともに唾を飲み込むことすらできずに、ただ防戦一方になっているからだろう。このままではじり貧――だな。

 俺は天剣へと波動を流し込む。肉体の強化に回していた波動とは違う、別の流れの波動――属性波動をだ。刀身が淡く発光する。東雲さんの拳を屈むことで回避し、円を描くように天剣を振るった。

 斬線をなぞるように氷壁が形成されていき、それを見た東雲さんは攻撃のチャンスを惜しむことなく、後ろに跳んでやり過ごした。そこでようやく荒い息を整える。

「中々やな」

 息ひとつ乱していない東雲さんは、俺を見て短くそう言った。

「中々に見所があるで。たかが高校生やっちゅうのに、ここまでついてこれるなんて驚きやわ」

「驚いたようには見えねぇっての」

「いやいや、驚いとるで? 高校生レベル・・・・・・やったら、群を抜いとるわ」

 せやけどなぁ、と言って言葉を切る。

「所詮は高校生レベル。それじゃ私には勝てんへんわ」

「あ? 何言ってんだ?」

「せやから今のかしぎ・・・・・――私に対して手加減してるかしぎ・・・・・・・・・やったら勝てへん言うてんねや」

 そういうことか。最初は何を言ってるんだと苛ついたところだが、手加減してるのがバレてたならそう言われても仕方がない。

 俺は天剣の柄を両手で握り――正眼に構える。数ある流派のなかで最も多く使用され、基本にして最強の構え。

 師曰く『剣は片手で斬るより、両手で斬った方が強い』とのことだ。当たり前のことを奥義みたいに言いやがって。しかしその通りだ。剣は片手で斬るより、両手で斬った方が強い。

 久しぶりに両手で構えた感触は違和感だらけだ。まるで反発してくるような感じさえ受ける。

「だったら――本気・・で行くぞ」

「望むところや。本気でかかってきぃや――かしぎ!」

 東雲さんが叫びきった瞬間に間合いの中に踏み込んだ。一息で距離をゼロにして、天剣を振るう。

 下段からはね上げるようにして振るった一撃を、刀身の腹を叩いて外側に弾くことで避け、槍のような中段蹴りを腹に向けて突きだしてくる。

 手首を動かして素早く軌道を修正し、天剣を盾の代わりにすることでそれを受け止めた。

 気を抜けば飛ばされてしまいそうな鋭い一撃だったが、その勢いに逆らうことなく、俺はその場で回転し、天剣を振り抜く。

 東雲さんはアスファルトを蹴って、人間とは思えない跳躍力で避ける。

「逃がしてたまるか――っ!」

 生憎と俺には垂直跳びで二メートル以上も跳ぶ脚力はない。それを補うため、近くにあった電柱を蹴って、距離を縮める。体を捻りながら、天剣を振り下ろす。

 身を捩ってそれを避けると、そのまま踵で蹴り上げるように回し蹴りを放ってくる。抉るように放たれた一撃は、俺の肩口の肉をごっそりと持っていく。

 血飛沫が舞い、鋭利な痛みが駆け抜ける。

 けれどそれがどうした。以前は肩を斬り落とされたこともある。内蔵を握り潰されたことだってある。肩の肉が抉られたくらい、痛みの内には入らない。

「ええでェ、かしぎィ! おもろくなってきたわ!」

 東雲さんの拳が、回し蹴りによって抉られた肩を貫く。

 体というのは素直だ。いくら我慢しようと思っても、反応してしまうものだ。今の一撃で痛みで体が硬直し、隙が生まれた。

 それを見逃すようなら、東雲さんはこんな戦いをしてはいない。

 まずは天剣を持つ腕を蹴り抜かれた。ただ蹴られたのではなく、引き千切らんばかりに思いきりだ。けれどあまりの衝撃に肩の骨は外てしまったが、千切れなかっただけまだマシだ。

 俺の手から離れた天剣はアスファルトに、墓標のように突き刺さっている。

 肩の骨を無理やりはめる。その瞬間に東雲さんは構えを固めた。

 右手と左手の拳を握って同じ高さまで持ち上げる。空中においては踏み込むための足場がない――つまりそれは、逃げる術がないということだ。せいぜい身を捻って数手を避けるのが関の山だ。

 両手を交差させて防御の構えを作り、衝撃に備える。そして次の瞬間には、全身を痛みが襲っていた。殴られて叩き落とされ、アスファルトに打ち付けられたと分かるまで考える必要もない。

 立ち上がろうとして、左腕の感覚がないことに気づく。骨が折れたか、神経がやられたかのどちらかだ。幸いというべきか、左腕以外は打撲程度で済んでいる。……畜生、なんつーバカ力だ。

 波動を集中させたからこの程度で済んだが、完全な生身のままだったらどうなってたことか。

「まだまだ休んどる暇はないでェ!」

「く――っ!」

 俺は飛び込むようにアスファルトの上を転がる。

 ばごん、とあり得ない音を立てて、東雲さんは俺がいた場所に踵を振り下ろしていた。明らかに即死レベルだぞ、殺す気か――っ!?

 突き刺さる天剣を奪い取るように抜き取り、左腕をだらりと下げて、構える。

 やっぱり追いついていない。イメージの動き――勇者だった頃の動きに、体がどうしても追いついてこない。それがどうしようもなく、もどかしい。

 けれどそれをどうにかするのが、勇者だった俺だ。どうしてもパワーとスピードが足りないなら、異世界で培ってきた技術でそれらを補えばいい。

 東雲さんはロケットスタートで飛び込んでくる。左右から挟み込むように、両腕を振るいながら。いや、だから殺す気なのか? ――まぁ、殺す気なんだろうな。

 東雲さんから見たら、俺は敵なんだ。目的のためなら、殺すこともやむ無しってことだ。

 これは東雲さんにとって仕事――ビジネスだ。仕事相手が知り合いだとしても、利益を得るためなら、そこには一切の私情を挟むわけにはいかない。それに異を唱えてしまうかどうかが、大人と子供の違いなんだろう――だったら俺は、子供のままでいい。

 知り合いを――友達を傷つけて、殺してまで得たいものなんて俺にはない。そもそもそこまでして欲しいものなんて、求めていない。

 飛び込んでくる東雲さんに対し、天剣を振り上げる。縦に真っ二つに斬り裂くように、本気で。

 そこでさすがの東雲さんも、防御の姿勢を見せた。いつでも攻撃に回ることしかしなかった東雲さんが、この戦いでひたすらに攻めることしかしなかった東雲さんが、やっと防御に意識を切り替えた。そこに付け入る隙がある。

 俺は、にやりとしながら呟く。

「――エレメントルーツ」

 属性石エレメントを元の形に復元させる言語であり、退化させる言語でもある。

 振り下ろされた天剣は、東雲さんに触れる直前で首飾りの形に戻る。

 俺は屈んで飛び込んできた東雲さんの真下に潜り、無防備に曝されている急所――鳩尾にオーバーヘッドのように爪先を打ち込む。意識を防御に回していて防がれてしまったが、しかし東雲さんの体は打ち上がる。

 すぐさま起き上がり、さらに追い討ちをかける。飛び上がり気味のアッパーを顔面目掛けて(女性の顔を狙うのはどうかと思うが、こっちは腕を折られたのでノーカンだ)打ち込む。

「ちぃ――っ!」

 東雲さんが苦痛の息を漏らした。

 ようやくまともな一撃か。元勇者も落ちぶれたものだ。波導を使えない、肉弾戦しかしていない相手にここまで苦戦しているんだ。あいつらに知られたら笑われる。左腕は動かない。でもこれくらいなら十分やれる。

 復元言語を唱えて再び天剣を片手で構え、腹で殴り付けた――殴り付けようとしたそのとき、俺の体に何かがぶつかってきた。

 それが何かを確かめる暇もなく、受け身も取れないままにアスファルトを転がった。

 素早く体勢を立て直して確認してみると、俺にぶつかってきたのは、傷だらけの不知火だった。二丁拳銃も銃身が斬られ、使い物にならなくなっている。

 上から俺の隣に降りてきた黒兎先輩はといえば、怪我はあれど、そこまでやられた様子はない。

「何やってんだよ。あの式神の相手は二人に任せたろ」

「黙れ。そんなことは分かっている」

「分かってんなら邪魔すんじゃねぇよ。足手まといだ」

「……何だと?」

「足手まといだって言ってんだよ。邪魔すんじゃねぇ」

「俺様を侮辱しているのか? それに貴様も、ずいぶんとやられているようではないか。俺様が代わりにやってやろうか?」

「お前じゃ瞬殺される」

 やっぱりこいつのことは気に入らない。真宵後輩に一方的にやられたくせに偉そうにしやがって。今どき流行らねぇんだよ、その性格。

「仲間割れかいな。つまらんことで言い合うなや」

 東雲さんは腰に片手を当て、ため息混じりでそう言う。

「母様、あれらにそう言っても無駄かと思われます」

「若気の至りって奴やな。それと私はあんたの母様やないからな?」

「…………」

「なんで沈黙! いい加減認めぇや!」

「…………」

「沈黙は寂しいなー。あんたの母様、沈黙はごっつい寂しいんやけどなー」

「誰だ、母様に寂しい思いをさせるのは。まさか父様か? いかに父様であろうと母様に寂しい思いをさせるなら、斬り殺してくれる」

「私に父様なんかおらんからな?」

「なんと」

 東雲さんと式神の妙な掛け合いをしている最中に、体勢を立て直す。

「っと、ようやっと終わったか。このままバトルパート終了かと思て心配してたんやで?」

「心配しなくても最後まで付き合ってやるっての」

 一歩だけ前に出て、不知火と黒兎先輩の前に出る。

「貴様、何を勝手にひとりで戦おうとしている。邪魔だ、引っ込んでおけ」

「引っ込むのはお前だ。面倒だから、この二人の相手は俺がやる。黙ってそこで見ておけ邪魔だ」

「いい加減にしろ。引っ込んでいるのは貴様だ!」

「うるせぇな。あの雑魚相手に苦戦してるお前に任せてたら、おちおち安心して戦えねぇっつうの」

 胸ぐらを掴み上げてきた黒兎先輩の手を払いながら、下から睨み付ける。弱いくせにでしゃばるんじゃねぇ。

 すぅ、と息を吸い込む音が聞こえた。

『喧嘩すんなやあんたらァ!』

 ご近所に迷惑なほどの大声量で(あれだけドンパチ戦ってたのに、今さらという感じだが)東雲さんは叫んだ。

 あまりの声量に俺たちは、いがみ合うことも忘れて、耳を塞いでしまっていた。しかも俺は片耳しか塞げないから、頭ががんがんする。耳の奥で耳鳴りがすげぇ響いてる。

 ちなみに式神は平気そうにして――ん? いやこいつ、耳栓してやがる。予想済みってか。

「なに喧嘩してんねん。戦いたいなら出てくればええやろうが!」

「母様、あれらは連携が取れないのです。そういうことを言うのは酷かと思われます。母様のお手をこれ以上煩わせるわけにはいきませんので、ここからは俺がいきましょう」

 ……こいつ、俺に一発でやられたこと、忘れてるんじゃねぇのか?

 式神は大剣を肩に乗せながら、一歩だけ前に出る。

「まぁ待ちぃや。こうなったんやったら、チーム戦に変更っちゅうのも悪くないやろ?」

「…………母様がそう言うのでしたら」

「めっちゃ不服そうやなー。かしぎとそっちの俺様兄ちゃんも構わへんやろー?」

「…………」

「うん。そっちもそっちでめっちゃ嫌そうな顔しとるな」

 そんなこと言われても、黒兎先輩とチームを組むなんて嫌なことこの上ないんだが……。不知火ならよかったけど、見る限りでは動けそうにもない。

「まぁ、あんたらが嫌や言うても無理やりこっちの土俵で戦ってもらうで。こんな風に提案するような形は、普通やったらないんやからな」

「構わねぇよ。足枷があるのは東雲さんも同じだからな」

「足枷かどうかは、かしぎ自身が確かめてみぃや」

 返事の代わりに、東雲さんの間合いに踏み込み、なおもってその速さ以上で天剣を突き出す。

 火花が散り、暗くて視界の悪い夜を照らす。

 瞬時に反応した式神がその大剣の腹で防いでいたのだ。

「母様に手は出させない。お前の相手はこの俺だ。それと俺は雑魚ではない。それに――母様の足枷になるようなこともしない!」

「――っ!」

 式神は自分が東雲さんの足枷になると言われて腹を立てたのか、語調を荒くして大剣を振り払ってきた。

 あまりの力強さに二歩ほどよろけて後退したところに、すかさず斬り込んでくる。二閃、三閃と大剣の重さに引きずられながら振るうものの、一撃の重さを考えると迂闊に踏み込めない。

「何をもたついているのだ! さっさとそこを退け!」

「ちっ」

 痺れを切らした黒兎先輩が、右手に雷を宿しながら叫んでくる。そしてそのまま、雷を宿した拳を、俺がいるのも構わずに突き出してきた。

 本当に協調性をしらない生徒会長さまだ。

「おっと、そない簡単にはやらせへんで、俺様兄ちゃん」

 黒兎先輩の突き出された拳に、東雲さんが拳をぶつけた。

 一見すれば軽く、突き出したというよりも、そこに置いたという方が正しいように見えたが、ぶつかった瞬間、壁でも殴り付けたように黒兎先輩の巨体が仰け反った。

 東雲さんは、俺と背中を合わせるように黒兎先輩と対峙する。

 式神の一閃を天剣の刀身を滑らせて受け流し、その勢いを利用して回転。東雲さんの胴を目掛けて天剣を振りかざす。

「寄越しぃや!」

 相変わらずの大声量で叫ぶと、何かを掴むように手を振り上げ、そのまま背中に回した。人体を切ったとは思えない感触が天剣から伝わる。言うなれば鉄――剣同士を打ち付けたような感触だ。

「甘いで? 私の式神は私の一部や。私が見えてなくても、式神が見えてたら見えるんや」

「……そういうことね」

 してやったりという表情を浮かべる東雲さんの手には、一本の剣が握られている。組み合わせて使うような、歪な形の剣だ。

 式神の大剣の一部がなくなっていることから、その剣が大剣の一部だということは一目瞭然だ。

「どうや? これで私の式神が足枷やないことが分かったやろ?」

「それを見せるためにわざと隙を作ったってのか?」

「ふふん、バレたか」

「お見通しだ」

 お互いにお互いを得物で弾き、入れ違うようにして距離を置いて――仕切り直す。

 東雲さんはともかく、式神は個々でなら倒すことはそう難しくはない。問題なのは、東雲さんと連携した場合、その強さが底上げされるということだ。こっちは足を引っ張りあってるっていうのによ。

 天剣の柄を握り直す。

 敵よりも味方に注意しないといけないなんて、リーンと二人きりで戦ったとき以来だな。リーンは実力が伴ってたからまだいいが、黒兎先輩の場合は違う。式神と同レベルかそれ以下だ。連携もとれないし足枷以外の何物でもない。……最悪だな。

 ばち、と雷が弾けたかと思えば、東雲さんに向かって拳を振り抜こうとしている黒兎先輩が目に映った。

「速いなぁ。せやけど、速いだけやわ」

 あっさりと黒兎先輩の拳を受け止め、東雲さんは軽快に、それでいて気さくに笑いかけてくる。余裕の表れか、本当に余裕なのか。

 拳を受け止めている東雲さんは、力を込めているようには見えない。ただ手を添えているだけだ。

「俺様兄ちゃん、本物の拳っちゅうのは――こういうのを言うんや」

 地鳴りのような音が聞こえたとき、すでに黒兎先輩の体が宙に浮いていた。あっという間にのしやがった。

「若い輩は口ばっかでだめやなぁ。そう思わんか?」

「これでも俺も若いつもりなんだがな」

「おっと、こんなん訊くのは歳取ってきた証拠やな」

「大丈夫です。母様はいつでもお美しいですから」

「誉めても何も出ェへんからな?」

「事実ですから」

 のんきに会話をしているように見えて、この二人には隙がない――というより、お互いが隙を消し合っている。

 どちらにも隙は見れるが、その隙をお互いに補い合っていて、打ち消し合っているのだ。……仕方ない。

「そういえば東雲さん。貴女、司先生の同級生だったんだってな」

「司? 司って夜筱司か? 何や司の奴、もしかしてとは思うけど、教師でもやっとるんやないやろな?」

「先生って言ってんだから普通に考えたら分かるだろ」

「くくっ――あははははははっ!」

 笑いを堪えていたかと思えば、東雲さんは腹を抱えて笑いだしてしまった。しかも大爆笑。

「あの司が教師かいな! ぷくく……あかん、笑いが堪えきれん。あはははは! げほっ、げほっ」

「母様、水にございます」

「お、おう、スマンな」

 そんな咳き込むほど笑うことなのか? お世辞にも教師らしいとは言えないが、それなりにやってるとは思えるんだがな。

「司が教師か。考え付かんわ。高校時代はそらもう問題児やったからなぁ。私と色んな意味でタメはるわ」

「…………」

 すげぇ気になる。戦いなんか止めて聞きたいくらいだ。

「せやけどその頃から教師になりたいって言うとったからな。どや? 司は立派に教師勤めとるんか?」

「一応な」

「一応か。……それ聞いて気が変わったわ。まさか司がこないな場所にいるとは思わんかったしな。あいつがいるんやったら、こんな装備じゃ足りんわ」

「司先生は出てこねぇよ。完全な裏方に回るってよ」

「そうなんか? かしぎ・・・の言葉は信用したいところやけど、の言葉は信じられんからなぁ」

 東雲さんはそう言って踵を返す。

「ほなら行くで。一旦出直しや」

「承知しました母様」

 式神は跳んで前方宙返りで体を回転させると、一瞬で体が札の形になった。東雲さんはそれを無造作に掴む。

「また明日な、かしぎ。その兄ちゃんたち、ちゃんと運んでおくんやでー」

 そう言って東雲さんは悠々とした足取りで去っていく。背を向けて歩く姿は、まるで俺が後ろから斬りかかることはないのが分かっているような、そんな印象を受けた。





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