表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第三章〈『吸血鬼』の宴〉編
25/132

3―(2)「不在」


 両希と勉強をした翌日。

 俺は毎日の習慣として、学校へと足を進めていた。

 本格的に夏が近づいてきたからか、まだ朝だというのに日差しが妙に強く、歩くことすらを億劫にさせる。

 一歩ごとに汗が染み出てくるような気がして、どうも嫌な感覚がする。

 それでも学生と身分である以上、学校には行かなければならない。

 ……早く夏休みになってくれねぇかな。

 そう思うが、夏休みに入る前――というより今目の前には、中間試験というものが迫ってきている。

 中間試験をどうにかしないことは、夏休みも謳歌しようにもできなくなってしまう。

 それだけはなんとしてでも回避しなければならない。

「…………暑いですね」

「あぁ。あちぃな」

 俺の左隣を歩く火鷹は、暑いとどうやら三点リーダが倍くらいに長くなる兆候があるらしい。

 この暑さならそれも仕方ないだろう。右隣を歩く真宵後輩なんて、三点リーダが長くならなるどころか、もはや黙り込んでしまっている。

 その足取りは妙に重く、俺たちの三歩ほど後ろを歩いてきて、今もなお、徐々に遅れてきている。

 八系統全てを使えるんだから、氷系統の波導でも使って涼しくすればいいだろうに。

 そういえば、俺も使えばいいんじゃねぇのか?

 異世界じゃ、そこまで暑いと思わせるほどの気候がなかったから、そういう使い方は思い付かなかったな。

 氷天なんて呼ばれるくらいに氷系統の波導がずば抜けているのだから、自分の周りを涼しくすることくらいは朝飯前だ。

 真宵後輩ならその逆も然り。便利だな、波導って。

「――――氷よ、雪女せつじょの甘い吐息を」

「その手がありましたか」

 俺が波導を使うと真宵後輩も同じように波導を使う。

 するとどうだろう。あれだけ暑かったにも関わらず、今はクーラーの効いた部屋にいるくらい涼しい。

 照りつける太陽の日差しも、眩しいと感じるくらいで、全く暑いと感じさせなくなっていた。

「快適ですね。これならば、冬も暖かく登校できそうです。寒さ対策も暑さ対策もばっちりです」

「そのときは俺はお前を湯タンポの代わりに使わせてもらう。炎系統の波導は使えねぇからな」

「えぇ、別に構いませんよ。どうぞ後ろから抱きついてください」

「なんで後ろから限定なんだよ」

「先輩に後ろから抱かれていると安心するので」

「あたかも俺が後ろから抱きついたことがあるような言い方をするんじゃねぇよ。……抱きつきてぇけど」

「だから構わないと言っているでしょう?」

 そんな風に言われると、本当に抱きつきかねない。

 だって真宵後輩から抱きついていいって言われたんだぜ? 嬉しすぎて今にも抱きつきたいくらいだ。

 でも抱きついたら……って今は涼しいから大丈夫か。

 だったら抱きついてやるぞ。火鷹が一緒に歩いてるけれど、そんなのは問題ないし関係ない。

 よし。それじゃ、カウント三秒前だ。三……二……一――ぽすっ。

「あ? ぽすっ?」

「…………すみません」

「いや、別に構わねぇけど」

 俺が真宵後輩に抱きつこうとカウントして、ちょうどあと一歩だというところで、火鷹が俺に抱きついてきた――というよりも、寄りかかってきた。

 火鷹からなんの前触れなく寄りかかってくるなんて、珍しいな。どうかしたのだろうか?

 そんなことを思いながら火鷹を見ると、ものすごい汗だくだった。汗だくすぎて、ワイシャツが透けて、下着が見えていた。可愛いフリフリの下着だ。――ってそうじゃねぇ!

 こいつ、また狙ってるのか? ……けれどそれにしては、なんの仕掛けもないな。まさかとは思うが火鷹、お前――

「熱中症ですね。まだ軽症ですので、日陰で休んで水分補給をすれば大丈夫かと思われます」

 やっぱりか、と俺は真宵後輩の言葉に頷く。

 そういう医学的なことには詳しくないけれど、真宵後輩がそうだっていうなら、たぶんそうだろう。

 俺は火鷹を背負い、少しでも涼しくしくなるように風系統の波導を併用し、近くのベンチまで向かう。

 これなら学校の保健室に運んだ方がいいかもしれないが、応急措置はしておいた方がいい。

 幸いなことに、ここからすぐの場所にベンチがあるし、自販機もある。そこで休ませよう。

「やれやれ。朝から世話のかかる奴だ」

「…………すみません」

「別に謝ることじゃねぇよ。つーか今のは意地悪しただけだ。お前が謝る必要はねぇ」

「…………では、かっしーさんが謝ってください」

「それだけ無駄話ができるなら、大丈夫だな。まぁ、休むことには変わりねぇけどさ」

 俺はベンチに火鷹を寝かせて、氷系統の波導を使う。

 もちろん暑さをしのぐためのものであって、攻撃的なものではない。さすがにこんな状況で、ふざけてそんなことはできないからな。

 真宵後輩に火鷹を見ているように頼み、俺は近くの自販機で天然水を買うことにした。

 自販機はベンチから少し離れているため、わざわざ歩いて戻ってこなければならない。

 ここの自販機を使う度に思うんだが、なんでベンチの近くに自販機を置かなかったんだろうか。

 カバンから財布を取りだし、一四〇円を……って。

「た、足りねぇ……。しかも十円だけって」

 俺の所持金の少なさに、全俺が泣いた。

「くそ……。ふざけるな、ここまでだってのかよ……」

 生徒たちが汗を流しながら歩く通学路の自販機の前で、無駄にシリアスな空気を放っている男の姿が、そこにはあった。

 というか、俺だった。

 しかしどうするか。ここまま十円が足りないという理由だけで、ペットボトルから缶ジュースにしないといけないというのか。

 だけどまぁ、仕方ないか。

「おはよー! かっしー!」

 後ろから聞きなれた声が聞こえてきたかと思えば、背中に思いっきり抱きつかれた。

 いきおいが強かったため、俺は額を自販機に激突。すげぇ痛い。

 だが俺の額の痛みとは裏腹に、背中には柔らかいふたつの山が押し当てられている。

 なんでこんな暑いっていうのに、抱きついてこられるんだろうな。

「翔無先輩。俺になんの恨みがある」

「ん? 恨みなんてなにもないよ。感謝はしてなくもないけどねぇ」

「なら突撃してくんじゃねぇよ。自販機に頭ぶつけたじゃねぇか。すげぇいてぇんだけど?」

「男の子がそんな細かいこと気にしてたらだめだよ?」

「いてぇもんはいてぇんだよ」

 ひりひりと痛む額をさすりながら、俺は振り返る。

 そこで俺は、翔無先輩がまだ怪我人であったことを思い出した。

 たった三日間前にあった、生徒会と風紀委員の正面からの激突。それはまさに異常も異常で、被害が能力者にしかでなかったのが奇跡とさえ思える。

 もはや戦争とも呼べそうなふたりの戦いの舞台となった学校は、破損どころか、戦いがあったことさえ感じさせないほどの無害だ。

 それに対して能力者たちはというと、残念ながら、だいぶ大怪我をする羽目となっていた。

 翔無先輩の場合だと、右肩の脱臼に肋骨の皹。

 ただその怪我自体は真宵後輩の波導により完治しており、正直、怪我人と呼ぶかどうかは定かではない。

 俺に飛び付いてこれるくらいだから、これでは逆に、本当の怪我人に失礼ではないだろうか。

「いきなり後ろから抱きつくんじゃねぇよ」

「いいじゃないか。ボクの胸の感触を朝から楽しめるんだよ? これはかっしーだけの役得なんだけどねぇ」

「そんなもん役得なんて言わねぇよ。ただの迷惑だ」

「かっしーは女の子の胸には興味がないのかい? あんまり大きい方じゃないけどボク、脱いだらかなりすごいんだよ? かっしーをメロメロにするくらいわけないんだけどねぇ」

「いらねぇ情報ありがとよ」

 俺は翔無先輩の妄言をばっさりと切り捨てる。

 脱いだらすごいってそりゃ、着痩せするってことか?

 切り捨てておきながらも、内心では実は、結構気になっている俺だった。

「それはいいとして翔無先輩。十円、貸してくれないか?」

「先輩にお金を借りる後輩なんて見たことないねぇ」

 俺は自販機の前に立つ後輩に突撃して、抱きついてくる先輩を見たことないっての。

「火鷹が熱中症になったから水買っていかねぇといけないんだ。だから十円、貸してくれ」

「キョウちゃんが熱中症に? 大丈夫なのかい?」

「そう言ったろ。軽傷だからちょっと日陰で休んで水分補給すりゃ大丈夫だって真宵後輩が言ってたから、そこまでの心配はいらねぇよ」

 俺がそう言うと翔無先輩が胸を撫で下ろしていた。

「そう言うことならボクも力を貸さないわけにはいかないねぇ。……ほい、十円」

 翔無先輩が渡してくれた十円を受け取り、俺の所持金の一三〇円を自販機に入れて、天然水を購入する。

 がこん、という音と共に落ちてきたペットボトルを取り出すと、俺たちは急いで火鷹の寝ているベンチに向けて移動を始めた。

 そこでふと、俺は思いついた疑問を口にしていた。

「翔無先輩の能力って、たしか瞬間移動テレポートだったよな?」

「そうだね。それがどうかしたのかい?」

「それを使えば、火鷹のとこに戻るのに一秒もかからねぇんじゃねぇかと思ったんだよ」

「残念だけど、ボクの能力で瞬間移動テレポートできるのはボクひとりだけなんだよ。かっしーと一緒には無理なんだ」

「そうなのか?」

瞬間移動テレポートにもいろいろあるんだよ。ボクみたいに自分しか移動させられないタイプや、複数できるタイプ。物体のみに作用するタイプとかね」

 ふーん、と俺は適当に相づちを打っておく。

 おそらく瞬間移動テレポートだけに限らず、超能力には似たようなものでもいろいろなタイプがあるのだろう。前に火鷹もそんなことを言ってたし。

 そして気づけば俺たちは、火鷹を寝かせたベンチまで来ていた。

「大丈夫かい? キョウちゃん」

「…………雪音さん?」

「そうだよ。私立桃園高校風紀委員長、翔無雪音だよ」

「…………ご丁寧にありがとうございます。心配をおかけします」

「それくらいのこと、気にしなくてもいいよ」

 翔無先輩は優しくそう言って、寝ている火鷹の頭を撫でていた。その様子はまるで、姉と妹のようだ。

 そんなふたりを見ながら俺は、火鷹に天然水を渡す。

 火鷹は重そうに体を起こすとふたを開けて、天然水を勢いよく喉に流し込んでいく。

 ごくごく、と音をだして飲んでいるだけだというのに、どことなく艶かしさを感じさせる。主に唇から。

 さすがエロ担当といったところだろう。こんなときまでその意思を忘れてないなんて大したもんだ。

「……ふぅ……。ありがとうございます。だいぶ楽になりました。汗も引きましたし」

「そりゃよかった」

「……かっしーさんは私の下着も見れましたしね」

「見てねぇよ。お前のフリフリの下着なんか」

「しっかり見てるじゃないか、かっしー」

「……」

 思わず口を滑らせてしまった。

 だってまさかこのタイミングで仕掛けてくるなんて思わなかったから、完全に気を抜いていた。

「……残念でしたね。今日のは見せ下着です」

「見せ下着なんて初めて聞いたっての」

「……勝負下着はかっしーさんとの夜の営みのときに疲労しますので、ご安心ください」

「安心する要素が見つからねぇよバカ」

 俺は火鷹といつもとおりの言葉のキャッチボールをしたことで、ある程度は治ったのを確認する。

 こんなので確認するのは、我ながらどうかと思うが。

「火鷹が動けるようになったんだったら、早く学校に行くぞ。どうせ遅刻だろうが、一限目に間に合うならそれで十分だ」

「……すみません。まだ動けそうには……」

「あ? そうなのか? なら仕方ねぇな。翔無先輩、火鷹を運んどいてくれ。俺は先に行く」

「そこはかっしーが運ぶとこじゃないのかい?」

「え?」

「え?」

「……」

「……」

 なんでだろう。俺が疑問系で返したら沈黙になったんだが……。

 そこは同じ風紀委員なんだから、翔無先輩が運ぶところじゃないのか。火鷹は見た感じから軽そうだし、翔無先輩ひとりでも十分のはずだ。

「普通に考えたら、かっしーがキョウちゃんを運ぶところなんだけどねぇ。お約束じゃないか」

「そんなお約束いらねぇよ」

 仕方ねぇな、と俺は頭を掻きながら言う。

「肩貸してやるから、さっさと行こうぜ」

「そこはお姫様抱っこかおんぶをするところでしょう」

「真宵後輩。お前はどっちの味方なんだ?」

「もちろん愛しい先輩の味方に決まってるじゃないですか。私が先輩の味方じゃなかったときなんか、今までなかったでしょう?」

「今現在、俺にはお前が敵に見える」

 けれどたしかに、熱中症の人間に肩を貸して歩かせるというのも、なんだか酷な話だ。

 ここは人助けだと割りきって、どっちかにするか。

「お姫様抱っことおんぶ、どっちがいい?」

「……では膝枕で」

「そんなもん選択肢にはねぇ」

 つーかここに長居する気なのか、お前は。

「……膝枕をしてくれれば、熱中症も治る気がします」

「そんなので熱中症が治るんだったらいくらでもやってやるっての。嫌なのはわかるが、選択肢はふたつにひとつしかねぇんだ」

 さっさと選べ、と火鷹に催促すると、なぜかものすごい悩んでいた。

 お姫様抱っこもおんぶも同じようなもんだろ。どっちでもいいから早く選んでくれ。

 たしか一限目は現代社会の授業だったはず。それに遅れたら、ただでさえ多い勉強量がさらに増えちまう。

「……膝枕はだめなんですか?」

 そんな無表情に、涙を溜めた目で言われても反応に困るって。

「今度してやるから今はどっちか選べ」

「……言いましたからね? 約束ですからね?」

「わかったわかった。家に帰ったら膝枕しながら耳掃除でもなんでもしてやるっての」

「……息を吹きかけられると、びくっとなりません?」

「たしかになるな。だから早く選んでくれ」

「……では、お姫様抱っこでお願いします」

「はいはい。お姫様抱っこね。……めんどくせぇな」

 俺は火鷹の首と膝の後ろに手を回し、持ち上げる。

 見た目のとおり軽く、持ち上げるのに大して力は必要じゃなかった。

「さすがかっしー。お姫様抱っこも様になってるねぇ。今度ボクにもやってもらえないかな?」

「やる機会があったらな」

「言ったからね?」

「言っても、やるとは言ってねぇ」

 翔無先輩とそんな会話をしながら、校門を潜った。


     ◇


「――ってことがあったんだ」

「朝から大変だったみたいだな、かしぎ」

 俺は朝の出来事を、両希と不知火に話していた。

 どうして違うクラスの不知火がいるかといえば、今は二限目の体育の授業で、今日は二―Cとの合同授業だからだ。

 男子は体育館でバスケ。女子はグラウンドでサッカーをやってる。

「まぁな。人生で後輩をお姫様抱っこで教室に連れていく、なんていうシチュエーションに普通なら遭遇できるはずがねぇ」

 まさかあのあと保健室ではなく、火鷹の教室に直接連れていくことになろうとは、さすがの俺でもまるで想定していなかった。

 当然といえば当然だが、俺が火鷹をお姫様抱っこをしながら教室に入ると、騒がしかった教室が一瞬で静まり返っていた。

 まさか上級生が、自分のクラスメートをお姫様抱っこで連れてくるだなんて、誰も思わないからだ。

 居心地の悪さを感じながら火鷹を席に座らせ(なんの嫌がらせか、火鷹の席はドアから一番遠かった)、俺は教室を出ていった。

 そのあと一気に騒がしくなってたが、たぶん、どうしてあんな状況になったのかを、火鷹が問い詰められていたのだろう。お気の毒に。

「火鷹って風紀委員のあの娘か?」

「あぁ。なんだ、お前は知らねぇのか?」

「風紀委員長のことは知ってるけど、その娘のことまでは覚えてるわけじゃない。あんまり目立たないような娘だろ? 印象になかったんだよ」

「印象にないって、失礼な奴だな」

 俺からしてみれば、火鷹の印象はかなり強いため、忘れるなんて到底できそうにはない。

 けれどたしかに、不知火の事情からしたら印象がないのもうなずける。

 今まで不知火は、幼馴染みの白神紗良先輩を守るために、能力者に対して敏感な反応を示していた。

 翔無先輩ならともかく、能力者としてあまり強くない火鷹は、気にしている余裕がなかったのだろう。

「文字通り俺の可愛い後輩なんだ。ちゃんと覚えとけ」

「なんだかしぎ。火鷹ちゃんの前じゃずいぶん素っ気ない態度だったのに、どうしたんだ?」

「……うるせぇな。変なところにツッコむんじゃねぇ」

「別に照れなくてもいいだろう」

「照れてねぇっての」

 あいつに直接そんなことを言ったら、どんな反応が返ってくるかわかったものじゃない。

 それに翔無先輩の耳にでも入ったら間違いなく、絶対に面倒なことになるに決まっている。

 思ってても、本人には絶対に言いたくはないものだ。

「素直に言ってやれば、火鷹ちゃんも喜ぶと思うんだがな……」

「いいんだよ。俺たちはこんな関係で」

 俺と火鷹はこのくらいの関係の方が、楽しくしていられる。不用意に踏み込んでいく必要はどこにもない。

 それは逆にいえば、今の関係を崩したくないともいえる。だってそれは、今のこの関係がとても心地よいものであるからだ。

 いくら面倒だと思えても、な。

「翔無先輩とはどうなんだ? 冬道とはなんか仲いいみたいだし」

「あの人はまぁ、なんだかんだいっていい人だ」

「へぇ。黒兎先輩から聞いた話だと、そんな風な人には聞こえなかったんだけどな。でも最近あの人、妙に翔無先輩の話をするようになった気が……」

「なんか心変わりがあったんじゃねぇの?」

「そうか? たしかにそうじゃないと、あれだけ敵対心むき出しにしてたんだから、おかしいけどさ」

「人間、ただひとつの出来事で考えが変わるもんだ」

「そのセリフ、黒兎先輩と被ってるぞ?」

「最悪だ」

 あの唯我独尊生徒会長と同じことを言ってしまうとは、一生の不覚だ。すげぇ腹が立つ。

 俺は黒兎先輩のことが嫌いではないんだが、こう……上から人を見下すような態度が嫌なんだ。そういうタイプの人間を相手にするのは面倒だからな。

 そんなことを思いながら、なんとなく、体育館の脇にある窓からグラウンドを見下ろす。

 やはりそこには、彼女の姿はない。

「詩織のことが気になるのか?」

「そりゃ……まぁ、気になるっていえば気になる。あの柊が休んだんだぜ? なにかあったのかと思うだろ」

 俺が教室に入ってきたとき、後ろの席の彼女――柊詩織がいなかった。どうやら風邪を引いたらしく、今日は休んだようだ。

 このらしい、というのは、学校に直接電話があったというわけではなく、人伝で聞いたものだからだ。

 信用しないわけではないけれど、柊が風邪ごときで休んだなんて――いや、やっぱり信用できないんだな。

 ここでひとつ、柊の武勇伝を話しておこうか。

 去年のインフルエンザが流行した時期のことだ。流行に敏感な柊は、あろうことかインフルエンザにも敏感だったらしく、高熱を発症したんだ。

 もちろんそれだけの熱があるからとかいう前に、インフルエンザになった時点で学校に来るなって話なのだが、柊は学校に登校してきやがった。

 その頃はまだ、俺は柊の話を聞く側だったときだな。

 さすがの俺でも、そのときは言わざるをえなかった。

 なんで学校来てんだよ――ではなく、出歩かねぇで黙って家で休んでろよ、とだったけれど。

 閑話休題。

 顔を赤くして明らかに病人の顔をしていた柊になんで来たのかを訪ねて、珍しく叫んだのはいい思い出だ。

 だってあいつ、俺と話したいからって学校に来たんだぜ? ふざけんな、って言う前に黙って寝てろ、って叫ぶのも仕方ないだろ。

 とにかく、柊が風邪で休んだなんて思えない。

「かしぎは詩織のことになると、すごく心配するんだな。もしかして、詩織のことが好きなのか?」

「バカ言うんじゃねぇよ。俺は真宵後輩みたいのが好きなんだよ」

「それだけは許さん!」

 両希が鬼気迫る形相で、そんなことを言ってきた。

 冗談だっての――と、別に冗談ではないけれど、そう言っておく。我ながら失言をしてしまったものだ。

「お前らー。女の尻に夢中になるのも悪くはないが、残念なことにその時間は終了だぞ」

 ゆっくりとした、というよりも、気だるいという表現の方が似合いそうな口調で、いつの間にか後ろに立っていた司先生がそう言った。

「べ、別に女の子を見てたわけではないですよ」

 不知火は慌てたように手を振りながら、それを否定していた。

「なんだ不知火? その慌てぶりが全てを物語っているように見えるのは、私だけなのか?」

「あ、焦ってなんかないですよ!」

「ふーむ。歳頃の男子なのだから、女の胸や尻に夢中になるのは悪いことではないぞー。そっちの、元気っ娘柊がいなくて寂しがってる冬道もなー」

 ぴくり、と俺は思わず反応してしまう。

「んー? どうした、冬道」

「……いえ。どうして俺が寂しそうだと?」

「見ればわかるぞ。なんせ、柊がいるときの冬道と今の冬道とでは、表情がまるで違うからなー」

 そうですか、と俺は司先生に言い、適当に決めたチームメイトとバスケのコートに入る。

 俺はポジションについて、腰を沈ませて息を吐く。目をスッ、と細めて、相手のチームを見つめる。

 相手のチームのなかには不知火がいる。相手にとって、不足はない。

 ちなみに俺のチームには両希もいる。

「どうしたんだ? 珍しく本気じゃないか」

「……あぁ。今回は、ちょっとな」

 いや、これは本当に――非常に恥ずかしいぞ。

 柊がいなくて寂しかったのは、隠しようのない、紛れもない事実なのだから。

 それを周りから気づかれないようにしていたというのに、両希と不知火は気づかなかったのに、まさか司先生は一発で見抜いてきた。

 正直に言おう。めちゃくちゃ恥ずかしい。

 俺にとって柊とは、なんていうか……当たり前のように一緒にいるような存在になってたんだ。

 そんな柊がいないと、こんなにも寂しいとは思いもしなかった。

 誰かがずっと、当たり前のように隣にいてくれるなんて、そんなこと、絶対にあり得るわけがないのに。

「かしぎ! 来たぞ!」

 気がつけば試合は始まっており、俺の手元にボールが渡ってきた。

 俺はそれを受け取って床に小気味良くつきながら、ディフェンスに回ってきた不知火を見据えた。

 トン。トン。トン。トン――――

 ゆっくりとボールをつき、不知火と睨み合う。

 右か左か。どちらから切り込むか。

 不知火は腰を低く構えて、いくらでも対処ができるようにしている。その姿は抜かれることを前提しているようにも、見えなくもない。

 トン、トン、トン、トン――――

 ボールをつく速さを上げ、腰を低く沈ませる。

 俺が動かないのと同じように、不知火も俺が仕掛けるまで動く気はないのだろう。神経を研ぎ澄ませ、俺の一挙一動を見逃すまいとしているのがわかる。

 体育館の床は滑り止めが効いていて、最初からトップスピードででも動けそうだ。

 そして俺は遂に――切り込んだ。

「く――っ!」

 右側から。一瞬で不知火を置き去りにした俺は、次々にボールを取ろうと前に立つ他のメンバーをも抜き去る。

 ゴールは目の前だが、そう簡単にはシュートをさせてくれそうにはない。

 置き去りにしたはずの不知火はあっという間に追い付き、反則ファールギリギリの、強引な当たりチャージングをしてくる。

 ただ、反則ファールをとるかどうかといえば、これは授業なのだから、本当に滅多なことでは反則ファールを取られたりはしない。

「ここで止める!」

「やらせねぇさ」

 そんな短い言葉のやり取りをした直後、俺はドリブルの速度ペースを一瞬だけ減速させ、再び加速する。

 俺のフェイントに引っかかりはしたものの、すぐに俺に食らいつき、振り払うことができない。

 このままやっても、不知火を振りきることはできないと判断した俺は、仕切り直しのために立ち止まる。

 どうやら、俺と不知火の運動能力は互角のようだ。

 なるほど。なかなかどうして、ここまで楽しませてくれるな、不知火。

 左右に揺さぶりをかけながら不知火の出方を見るが、やはり、俺の動きに合わせて臨機応変に動くのが不知火のようだ。

 しかしそれは、悪く言えば積極性がないということだ。

 相手の出方に即座に反応するその臨機応変ぶりは、たしかに目を見張るものがある。

 それが悪いこととは言わないけれど、積極的に仕掛けていくことも、ときには必要だ。

 俺はまたもや右側から切り込む。一瞬だけ遅れて食らいついてきた不知火だったが、それがフェイク――囮だったことにようやく気づいた。

 バスケはひとりでやるものじゃない。協力してやるものなんだ。無理してひとりて切り込む必要はない。

「ナイスだ、かしぎ」

「そっちこそな」

 ゴールにボールを置いてきた両希と手を、音を立てて合わせる。

 俺は不知火が離れた一瞬の隙を突いて、フリーだった両希にボールを渡していたのだ。

 それでも俺が動き続けたのは、不知火にそれを気づかせないためだ。

「やられたぜ。ちっくしょー……」

「お前が俺を止めようなんてあめぇんだよ」

「次は止めるからな」

「やれるもんならやってみろ」

 これが青春の汗っていうものだろうか。

 俺たちは汗を流しながらそんなことを言い合う。

 だけどとりあえず言っておくなら、試合自体は俺たちの勝ちで終わったんだけどな。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ