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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第二章〈VS生徒会〉編
22/132

2―(10)「夜天」


 どうしてこの場所に貴様がいる――

 黒兎大河の最初の疑問はそれだった。

 それは同然のことだろう。この空間は外部との時間のずれを利用して作り上げられた、いわば密閉空間。

 内側からどうにかすることができても、外側からどうにかできるような代物ではないのだ。

 さらに言えば内部からであろうと、この空間は創造主である火鷹に干渉しなければ、大抵のことでは出入りすることすらできはしないだろう。

 それだというのに藍霧真宵は散歩でもするような気軽さで、それでいて気だるそうに悠然と、月明かりに照らされたこの場に姿を現した。

 右手には現代では見ない形の杖を持ち、それは、まるでファンタジーの世界に出てくるような杖だった。

 しかしそんなことはどうでもよかった。

 そんなものが気にならないくらいに――今の藍霧の異常性が際立っていたのだから。

 黒曜石のような艶やかな髪は月明かりに照らされ幻想的に輝き、その瞳は、夜の闇であろうと輝きを失わない碧の瞳だった。

「貴様、どうやってこの場所に入ってきた」

「見てわからないんですか? 普通に校門から入ってきました。そんな当たり前なことをいちいち聞かないでください。不快になります」

 藍霧に視線を向ける翔無と黒兎から一定の距離を空け、歩みを止めた。

「この場所は結界にも似た擬似的に作り上げられた、いわば密閉空間。外部から内部はおろか、内部から外部への干渉を遮断するものでしょう。

 一定の空間に境界を作り、時系列から一時的に切り離す。そうすることで干渉を遮断しているのでしょうね。

 ですが私から見れば基本骨子が甘すぎます。

 この程度でしたら、私に対してはなんの意味もありませんし、効力もありませんからね」

 無駄なので境界を壊しておきました。藍霧は気だるそうにそう言って、言葉を締めた。

 藍霧からしたら、その程度は気だるそうだけの作業なのだろう。さも当然のように言ってのける彼女からは、そのようなことが伝わってくる。

 だがそれは、能力者から見ればあり得ない現状だ。

 いかに能力が協力であろうと、境界を破壊する能力者というのは、今までに聞いたことがない。

 能力者の視点から見たとしても、藍霧は異常だ。

 それを対峙しているだけで直感した。

 冬道と向き合ったときは感じなかった本能から感じる恐怖を、この小さな少女から感じてしまっている。

 プライドの高い黒兎は、それが許せなくもあった。

「貴様。俺様を殺すと言ったが、理由を訊こうか」

「それを訊きますか。まぁいいですけど」

 藍霧は一拍置き、両性を魅了してしまうような、そんな中性的な微笑を浮かべて言う。

「貴方が先輩を傷つけたからですよ」

「なに?」

「聞こえなかったのですか? 貴方が先輩を傷つけたから――そう言ったんですよ」

 藍霧の名前の通り迷いのない言いきりに、先ほどまでの表情を崩して翔無が苦笑してしまう。

 恥ずかしげもなくそんなことを言える辺り、冬道に対する藍霧の信頼度が伺える一面だった。

「私は、先輩が傷つけられるのが我慢できないんですよ。私にとって先輩は全てであり、生きる意味。ですから赤の他人に先輩を傷つけられて、行き場のない憤りを感じていたんですよ。

 秋蝉かなでに関わったときも、不知火みなとのときも――黒兎大河、貴方のときも。その中でも特に貴方には、殺したいほどの憤りを感じています――」

 藍霧がそう言った刹那、彼女を中心になにかが激しく渦巻いた。まるで藍霧の怒りを表すように激しく渦巻くそれは、なおも激しさを増していく。

 あまりの光景に、もはや息を呑むしかない。

「ならば貴様は、冬道かしぎに死ねと言われれば、命を投げ出すというのか?」

「でしょうね」

 黒兎の言葉に、藍霧は間を置かずにそう言いきった。

「私にとって先輩が全てです。先輩に言われたら例えそれが死であろうと、受け入れるでしょう」

 もとより彼女はがらんどう。他にはなにも求めてはいないのだから――

「先輩が助けてと言えば、私は他の全てを投げ出してでも駆けつけるでしょうね」

 もとより彼女にとっては、冬道かしぎ以外の全てが無意味で無価値だから――

「先輩が誰かを殺してほしいというなら私は、一切の戸惑いもなく殺すでしょう」

 もとより彼女にとって、冬道かしぎ以外は存在しなくていいものだから――

「先輩が誰かを助けてほしいというなら、私はその人に全力で助力するでしょう」

 もとより彼女は冬道かしぎの言葉には賛同以外にはあり得ないから――

 藍霧の当たり前のような物言いに、黒兎大河や翔無雪音はおろか、火鷹かがみですらもが同じことを感じていることだろう。

 全てが冬道かしぎに左右されている。それはもう、

「貴様、狂っているな。まるで意思ない人形のようだ」

 黒兎はそう言った。

 それは翔無も、いつもの藍霧を見ている火鷹でさえもが同感だった。

 とにかく藍霧真宵という女の世界の中心には、冬道かしぎという男の存在がある。それ以外は拒絶するように、藍霧は、他のものを受け入れていない。

 ……いや、受け入れていないのではない。

 冬道かしぎ以外はなんの意味もないのだ。無価値で無意味で、無関係な――そんな存在。

「いいえ。私の意思はありますよ。例え私に先輩が自分を殺せと言っても、絶対に殺すことはしませんから。私があの人の頼みを聞くのは、あの人の喜んだ顔が見たいから、幸せになりたいからに他ならない。私は、私のがらんどうの心を満たす先輩と一緒にいたい――ただ、それだけなんです。もし先輩がいなくなったら私は……先輩を奪った存在を、地獄の果てまで追いかけて、そして全ての根源から『いた』という事実を消滅させる」

 なんということだろう。ように藍霧真宵という少女は、冬道かしぎさえが存在していればなにも要らないということなのだろう。

 友達も、家族も、世界も――冬道かしぎさえいれば、なにも要らない。なにも必要としてはいない。

「狂っているといえばそうでしょうね。私は先輩がいなくなるのには耐えられない。ですからまずは――先輩に害をなす人を叩き潰しましょうか」

 一瞬だけ、大気が震えた。

 少女を中心に激しく渦巻くそれが、空気に溶けていくように拡散する。

 それと同時に黒兎は動き出していた。だがそれは攻めの動きではなく、逃げの動きだった。

 黒兎の頭では踏み込むのが最良の手段だったはずだ。なのに逃げの選択をしたのは、本能がそうさせたからにすぎない。

 逃げなければ本当に潰されるというのを本能が理解し、それを体で示していたのだ。

 しかしなお、それでも逃げ切れない。

「――――氷よ。雪女の甘い吐息を」

 よく透き通る抑揚のない声が、夜の闇の間を縫って黒兎の耳に届いた。

 今の黒兎は雷速で動くことができる以上、肉眼で捉えるということはまず不可能のはずだ。例え能力者であろうと、自身を強化しなければ追うことは不可能だろう。

 だというのにも関わらず、藍霧は狙ってきたのだ。

 氷系統の波動で編み込まれた氷柱つららで、黒兎の四肢を的確に狙い撃ってきた。

 しかも黒兎がいた場所にではなく、移動して、わずかに動きを止めたその場所にだ。

 無駄に乱発して、そのひとつが向かってきたならまだわかる。だがこれは四肢を狙った四つの氷柱だ。

 それはもう、藍霧が雷速を捉えたとしか思えない。

 氷柱を雷で蒸発させ、屋上のフェンスに足をかけた黒兎は、こちらを見上げる碧の瞳の死神に視線を向けた。

(あれは予想以上に危険だ。翔無雪音をどうにかする前に、あれを仕留めねばならんな――)

 フェンスを軽く蹴ってそこから落下すると、黒兎は再度、雷速の世界に身を投じた。

 黒兎のアドバンテージというのは人間の速度を超越した、超人的な速度にある。誰も見切るのことのできない速さで、一瞬で片をつける。それが黒兎のやり方だったのだ。

 しかし藍霧の前ではそれが通用しない。なにをしているのかはわからないものの、自分の雷速が見切られてしまっていることは理解できている。

 ならば雷速を使わないかといえば、そうではない。黒兎の超能力は雷速で動けるというものではなく、あくまでも雷を操るというところにある。

 臆する必要はない。雷速が見切られようと、人間の反応速度で近づくふたつの雷の対処ができるはずはない。――そう、思っていた。

「――見えていますよ、全て」

 あり得ない。黒兎は呟かずにはいられなかった。

 藍霧は雷速が見えているばかりか、反応してみせた。

 真上からの落雷を同じ雷を放ち相殺。正面からの黒兎の雷を帯びた突貫力のある掌底は氷壁で防いでいた。しかも冬道が作った氷壁とは違い蒸発どころか、貫通さえすることができていなかった。

「捕らえて――絡めろ」

「チッ――!」

 藍霧の言葉に舌打ちをしつつ黒兎は、氷壁から伸びてくる氷の枝を掻い潜り、距離を置こうとする。

 そんな黒兎の意思に反して、氷の枝は意思を持っているようにうねりをあげ、蜘蛛の巣のように広がりながら、黒兎に迫っていく。

 氷の枝に触れれば絡めとられ、捕らえられてしまうのだろう。ならば、触れるわけにはいかない。

 だが逃げれば逃げるほど、蜘蛛の巣のように広がる氷の枝が侵食するため、逃げる場所がなくなってきているのもまた現状だ。

 このまま逃げ続けていようと、捕らわれるのは時間の問題だろう。しかし所詮は氷。溶かして水にし、蒸発させてしまえばなんら問題はない。

 黒兎は雷を放出して、氷の枝にぶつける。

 じゅう、と焦げるような音をたてて数秒を必要としたものの、氷の枝は跡形もなく蒸発した。

「――――風よ。荒ぶる獅子の怒りの咆哮を」

 藍霧の声が聞こえたかと思えば、黒兎の全身が切り刻まれ、鮮血を流させた。痛みは遅れてやってきた。あまりにも鋭い痛みに、意識を失いそうになるも黒兎は歯を食い縛り、耐える。

 黒兎はなにをされたのかがわからなかった。なにかに切り刻まれたということはわかっても、藍霧がなにをして、どうやって自分を切り刻んだのかがわからなかったのだ。

 藍霧は一歩も進んではいない。ただ言葉を発していただけにすぎない。それだというのに、切り刻まれた。おそらくは風を利用したのだろう。擬似的に鎌鼬を作り上げれば、動かずとも相手を切り刻むのは可能だ。だがそれではおかしいのだ。

 能力者が使える能力は、ひとつしかあり得ない。使い方によっては複数にも見えようと、原点を見返せば能力はひとつになる。

 しかし藍霧は、現時点で三つも能力を使っている。氷と雷と風――さらにいえばそれらを使っていることも異常だ。

 黒兎のように雷などの自然物を能力として使える能力者というのは、能力者のなかでも希少な存在だ。

 これらのことを踏まえ、黒兎のなかでひとつの結論が弾きだされた。

「貴様……能力者ではないな。――何者だ」

「そうですね。私は名乗った覚えはありませんが、あちらでは『夜天の波導術師』と呼ばれていました」

「夜天の波導術師だと? ふん。よくわからんが、貴様が能力者ではないということだけはわかった」

 それに思い返してみると、藍霧が使っていたものは冬道が使っているものと同じだった。

 つまりそれは、冬道と同等か、それ以上の危険性があるということ。それさえわかれば、あとは簡単だ。

「能力者であろうとなかろうと、貴様がそれ以上の存在というのは明白だ。ならば――俺様は、貴様を殺す」

 ばち、と空気が弾ける。雷を放出した音だ。

 ただ外側に放出するだけだった雷を纏うようにしたその姿は、まさに雷の鎧を纏う騎士のような姿だった。歩きながら、黒兎は己の唯一の武器である拳を握る。

 藍霧は杖――地杖をゆっくりと掲げた。途端、黒兎の周りに火柱が四つ、唐突に出現した。

「そうですか。でしたらこれで、私も気兼ねなく貴方を殺せます。――いえ、違いますね。もとより私は、貴方を殺すことに気兼ねなどしていなかったのですから」

 藍霧は眠たげな目をゆっくりと閉じると、掲げていた地杖をこん、とアスファルトにぶつけた。

 それが、再び攻防の幕開けとなった。

 空に伸びるだけだった火柱が曲線を描き、その中心にいる黒兎へと容赦なく襲いかかる。

 藍霧が動かずとも火柱が黒兎を焼き消すだけで、勝敗は決定する。

 だが、当たらなければ意味がない。

 雨の間を縫うような速さで動く黒兎には、その程度のものではなんの意味を成さない。

 いとも簡単に火柱から抜け出した黒兎は、文字通り閃光と錯覚させるような速さで、藍霧とのわずかな距離を消した。

 それで失われない速さで振るわれた黒兎の剛腕は、なおもってそれ以上の速さで振り抜かれた。

 しかし藍霧には、全くと言えるほど動揺は伺えない。

 スッ、と眠たげな両目が開かれる。

 あまりに自然な動作で行われたがゆえに、気をとられた黒兎の腹部に、氷柱の弾丸が突き刺さる。

 黒兎が後方に飛び退く。しかし、藍霧は逃がさない。

 ここに来てようやく動きという動きをみせた藍霧は、黒兎を驚愕させるのに十分すぎた。

 自分しかいないはずの雷速の世界。そこに付き添うようにただそっと、彼女は現れたのだ。

「貴様――」

 黒兎の剛腕が藍霧に伸びる。

 大木ですらも薙ぎ倒してしまいそうな剛腕は、か細い枝のような藍霧の腕によって外側に弾かれる。

 どこにそんな力があるのか。そんなことを考えるよりも速く、いつの間にか振り上げられていた藍霧の踵が、黒兎の後頭部に叩きつけられた。

 アスファルトを砕くほどの勢いで叩きつけられてなお、黒兎の動きは止まらなかった。

 腕力だけで起き上がり、雷を放出する。

 そしてそれ以上の速さで、藍霧の背後へと回る。

 この世界は自分の、自分だけの領域だ。ここで敗北するということは、絶対に許されない。

 それに藍霧の能力――波導は、それを形にするために言葉にしなければならない。いかに速かろうと、こればかりはどうにもならない。

「――――アインス

 藍霧はそう、短く呟いた。たったそれだけで、先ほどの黒兎の推測をいとも簡単に覆した。

 風が吹き荒れる。大地が吠える。黒兎の雷が掻き消された。その体が切り刻まれた。

 ごほ、と咳き込む口からは血の雫。自らも知らぬうちに限界を迎えようとしていた黒兎は、再び後ろに飛び退き、膝をついて藍霧を見据えた。

「着眼点はよかったですよ? 波導は詠唱をすることで形をイメージしている。この短いやり取りで見抜いたのは、純粋に称賛に値します。ですが――」

 ――相手が悪かった。藍霧は気だるそうに言った。

「波導……あぁ。私が使う能力みたいなものです。

 波導というものは遥か昔に滅んだ『魔導』の名残があるんです。それが波導を形としてイメージするための『詠唱』。波導使いなら誰でも当たり前に行う作業」

 それは勇者として異世界に召喚された冬道や、藍霧ですらも例に漏れず、波導を使うには詠唱が必要だ。イメージを形として固定するために詠唱し、そのイメージした形を波導として放出するためのもの。

「ですが詠唱とはあくまでもイメージするための、いわば補助のようなものなんです。

 イメージを形にさえできるなら、詠唱の内容など、あってないようなものなんです」

 普通であればイメージしやすい詠唱をするだろう。けれど藍霧は違った。

 中身ががらんどうである彼女は、自分だけの言葉で波導のイメージを形にすることにより、詠唱の間に生まれる隙をなくした。

 それは誰にでもできるわけでもなく、がらんどうである彼女であるから成し得たこと。

 きっと冬道であろうと、同じことはできまい。

 さて、と藍霧は気だるそうに息を吐いた。

「そろそろ終わりにしましょう。飽きてきましたし。先輩を傷つけた貴方を生かしておく道理もない。

 超能力というものを間近に見ておきたかったのですが……まぁ、所詮はその程度のものだった――ということなのでしょうね」

 眠たげな眼差しで呟く藍霧は、嘘を言っていない。

 超能力というのは、とるに足らない存在だ――と、藍霧は本心からそう告げていたのだ。

「――――ツヴァイ

 膝をつく黒兎の足元から、氷の枝が絡めとっていく。

 十字架に張り付けられたような格好の黒兎に、藍霧は地杖の先端部分を突きつけた。

「俺様はまだ、死ぬわけにはいかない……」

「どうしてですか? あぁ、最初に言っておきますと、理由を聞いたからといって心変わりすることはありえませんから、そのつもりで」

 藍霧は動くことのできない黒兎に淡々と言う。

「能力者が憎くて憎くてたまらないからだ。貴様が能力者でなかろうと、それに準じたものならば、いずれ貴様も……同じ過ちを犯す! 俺様の唯一の家族の妹をただの娯楽で殺すような能力者など……俺様が全て殺し尽くす!

 貴様のような小娘が――俺様の邪魔をするな!」

 今までとは違う、本音からくる感情を表に出した黒兎は、見た目通り獅子の雄叫びを轟かせた。

 体から放出される雷は限界を凌駕し、自身を拘束する氷の枝を一瞬で蒸発させた。

 そして黒兎は、獅子の如く犬歯を剥き出しにした剣幕で、藍霧へと襲いかかった。


     ◇


 かつて俺様……俺には、当たり前の話ではあるのだが、家族がいた。

 妹がひとり。たったそれだけの家族。

 別に父や母が死んだからこうなったというわけではない。そもそも俺は、あのふたりをもう、父や母とは思ってなどいない。

 俺たちが異常を持っているということがわかった途端、手のひらを返したように俺たちを捨てた親など、親と呼びたくはない。

 それがわかるまでは、俺たちは、どこにでもいる普通の家族だった。

 当たり前にそこにいて、周りを見れば目に入るような……そんな、ありふれた家族だった。

 いつの頃だったか、俺たちは能力を使えるようになっていた。

 俺は雷を操ることのできる能力。妹は時を操ることのできる能力を持っていた。

 その当時の、能力者についてなんの知識も持っていない俺たちであろうと、それが異常であるということに、無意識的に気づいていた。

 だからこそ俺たちは、それを隠して生活してきた。

 だが子供の好奇心というのは、大人のように理性で抑えられるようなものではなかった。

 ほんの出来心。ほんの出来心から、俺たちは誰にも見つからないようにして、能力を使ってしまった。

 見つからないようにといっても所詮は子供の考える場所だ。きっと……いや、間違いなく誰かが見ていたのだろう。そうでなければ、今の俺はいないのだから。

 俺たちが異常であるとわかると親は、俺たちをいとも簡単に見捨てた。

 どことも知らない場所に連れていかれ、さようならの一言もかけられないまま、置き去りにされたのだ。今でも覚えている。あの、化物を見るような目を。

 そう。俺たちは、あいつらから見れば化物だった。だから俺たちは捨てられたんだ。

 自ら望んで手にしたわけでもないこんな異常のせいで、俺だけならず妹までもが、化物として扱われた。

 俺たちがなにをしたというのだ。どうして、俺たちは化物扱いされなければならなかったのだ。

 それを嘆いていても仕方がない。

 幸運にも俺たちが捨てられて数日もしないうちに、同じ境遇の人間の集まる場所に保護された。

 そのとき、心から安心した。

 俺たちの他にも、こんな異常を持っている人間がいるのだな――と。

 だがそれが、悲劇の始まりだとは――夢にも思っていなかった。

 俺たちが保護されたのは、能力を使ったとしてもバレることのない、地下シェルターのような場所だ。

 出入りは自由であるが、能力を使う際には必ずその場所で許可を得るという条件が必要だった。

 条件というのは、俺たち能力者を保護してくれた院長の許しをもらうというものだが、そこまで厳しいものではなかった。

 能力を持つ者は、成熟するまでは一定期間で能力を使う必要がある。だから相当なことがない限り、能力を使うなということはなかった。

 けれど、誰しもがそれに従うわけではなかった。

 保護された能力者でも人一倍、我が強い、最年長の男がいた。

 そいつはある日、自分の能力がどれだけ強いものか試したかったらしい。保護された能力者のなかでも上位の力を持つ俺に、喧嘩を仕掛けてきた。

 喧嘩といえど能力者同士の喧嘩だ。それはもはや、殺し合いの領域に達している。

 当時の俺は今ほど能力が扱えていたわけではなく、能力を存分に振るうことのできない俺は、そいつに圧され気味だった。

 しかも能力者といえど子供同士の殺し合い。加減を考えられるはずは、どこにもなかった。

 殺し合いの果てに、止める場所を忘れたそいつは、あろうことか俺を殺そうとまでしてきた。

 死んだと思った俺だったが、それが訪れることはなかった。それがどうしてか……いうまでもないだろ。

 妹が、俺を庇っていたのだ。

 化物と呼ばれていても、やっぱり俺たちは人間だ。心臓をひと突きされれば、容易く死に至る。

 俺の目の前で、唯一の家族である妹が、死んだ。

 その瞬間に俺は、精神が崩壊した。

 気がついたときには、妹を殺したそいつは、人間の原型をとどめてはいなかった。間違いなく、俺がそいつを能力を使って殺したんだ。

 それと同時に思った。

 超能力なんてものさえなければ、妹は死ぬことはなかったんだ――

 そのときから俺の能力者への復讐劇が始まっていた。

 俺は、能力者を絶対に許さない。

 ただの娯楽で誰かを殺すような能力者は、俺が皆殺しにしてやる。

 翔無雪音も、冬道かしぎも、不知火みなとも、火鷹かがみも、藍霧真宵も――殺してやる。


     ◇


「――――ドライ

 藍霧の小さな呟きは、黒兎の雷鳴を掻き消した。

 氷の枝から脱出した黒兎が藍霧に襲いかかるよりも早く、闇系統の波導により地面に叩きつけられた。

 骨の関節がめきめきと軋み、黒兎の動きを封じている。そんな黒兎を藍霧は、眠たげな目で見下していた。

「下らないですね。貴方が先輩を傷つけた理由というのも、家族を能力者に殺されたというところから派生されたものだったのですから」

「下らない……だと……っ!」

「えぇ。貴方のやっていることはただの八つ当たりです。それに先輩まで巻き込んで……下らないとしか言えないでしょう?」

 闇系統の波導の重力操作で押し潰されている黒兎に、藍霧は心底下らなそうに言う。

「貴方のやっているのはただの八つ当たり。妹を守れなかったという事実から目を背けるために、貴方は、能力者を殺すことで良しとした」

 藍霧の言葉に、なにも言い返すことができない。

 思い当たる節があるのだろう。自分が今やっていることは、妹を守れなかったという事実から目を背けるための八つ当たりだということに。

 そんなこと、わかっていたことだ。こんな能力者を殺すようなことを、妹が望んでいるとは思えない。絶対に思うはずがなかった。

 初めから無意味なのは承知の上だ。しかしそれでも止まることは、彼にはできなかった。

「ならば俺様は……どうすればよかったのだ!」

「知りませんよ。そんなこと、自分で考えてください」

 いつの間にか、黒兎の体にかかる重圧が消えている。

「先輩に手を出した貴方は殺さなければならないのですが……貴方程度の人など、殺す価値もありません。どうぞ勝手にやってください」

 藍霧は気だるそうにそう言い、踵を返してた。

 藍霧の言葉には、嘘や偽りも、情けもなかった。

 彼女は黒兎の境遇に情けをかけたから見逃したのではなく、おそらく本心から殺す価値がないと判断し、殺すことを放棄した。

 ただ、それだけのことなのだろう。

 しかし黒兎に背を向けて歩く藍霧に仕掛けようならば、容赦もせずに殺しにくる。けれど大人しくしているならば、殺す価値のない黒兎は、見逃してやるということだ。

 それはまさに、いつでも殺すことができるという証明でもある。

 ふと藍霧があぁ、と呟き、振り返った。

「殺しはしませんが、先輩を傷つけた以上――その報いを受けろ」

 まるで感情の籠らない表情で藍霧は地杖を振るった。

「――――フィーア

 その瞬間、黒兎の体がピッチングマシーンから投げられたボールのように、勢いよく弾き飛ばされ、校舎にぶつかることで停止した。

 あまりの勢いで壁のコンクリートに、黒兎の体の型が出来上がるほどだ。それほどまでに、今の一撃は威力があったのだ。黒兎の型から皹が広がっていき、壁が音を立てて崩れたのにも見向きもせず、藍霧は地杖を首飾りに戻す。

「能力者を全て殺すと言いましたっけ? そんなことができるほど、世界は甘くありませんよ?」

 月明かりに照らされた藍霧の微笑はどこか儚げで、それでいて、冷たいものを感じさせるものだった。

 そして歩き出す藍霧だったが――その足が踏み出される前に、彼女の平衡感覚が失われ、そのままの姿勢で倒れていく。

 このままいけば顔面からアスファルトに激突する羽目になるが、しかしあいにくと、そんなことにはならないようだった。

「あっぶないねぇ。黒兎大河とあれだけの戦いをしたと思ったら、なにもないところで転ぶほどのドジっ娘だったのかい?」

 今まで藍霧と黒兎の戦いを傍観していた翔無が、間一髪のところで抱き抱えていた。

 もしも翔無がいなかったときのことは、とてもではないが考えたくもない。

「初対面の貴女にドジっ娘と言われる謂れはありません。不愉快ですからそういうの、やめてください」

「いやぁ……すごい毒舌だねぇ……」

 さすがの翔無も苦笑しながら、藍霧を座らせる。

「いきなり倒れたけど、どうしたんだい? どこもやられた様子はなかったみたいだけど。……ほとんど見えてなかったけど」

「あれです。かしぎ先輩から聞いてはいましたが、予想以上にこれは凄まじいのですね。恐れ入りました」

「だからどうしたんだい?」

「筋肉痛です」

 藍霧の言葉に翔無は言葉がでなかった。さっきまであれだけの戦いを繰り広げていた少女から、誰が筋肉痛で動けなくなるなどということが予想できるだろうか。

 少なくとも、翔無にはできなかった。しかしよく考えてみれば、予想できたことだ。

 冬道と藍霧は同じ種類の化物であるならば、イメージした動きを再現した場合に筋肉痛になるというのは、同じだからだ。

「これではしばらく動けそうにはありませんね。……非常に不本意なのですが、帰るまで手を貸してもらえないでしょうか?」

「初対面の人によくそんなこと頼めるねぇ。まぁ、もとよりそのつもりだったし、ボクは構わないよ」

「ありがとうございます。翔無さん」

「なんだ。ボクの名前、知ってるんじゃないか」

「名前くらいは知っていますよ。かしぎ先輩と一緒にいましたからね」

「君は本当にかっしーのことが好きなんだねぇ」

 なにを今さら、と藍霧は言う。

「私のかしぎ先輩への好感度は、すでにメーターを振りきっていますからね。好きも好き、大好きです」

「あー……えっと。それ、本人に言ってあげたらすごい喜ぶんじゃないかな? むしろ言ってあげなよ」

「嫌です。恥ずかしいじゃないですか」

 そんな無表情で言われてもなぁ……、と翔無は思う。

 他人にこれだけはっきり大好きだと言えるのに、本人に言えないとはどういうことだろうか。

 むしろ藍霧ならば冬道に真っ先に伝えそうな気もするのだが、見当違いだったようだ。どうやら彼女も、意外に純情なようだった。

 それより、と藍霧は翔無に支えられながら言う。

「貴女はあの人を支えてあげてください」

「え?」

「いえ。別に貴女でなくてもいいんです。条件があるとすれば、ロリで妹属性を持っている女の子……というのが重要になってきますね」

「それなら、ボクよりも君の方が向いてるんじゃないかい? ロリだし、妹っぽいし」

「あの人をなにかの弾みで殺してもいいというなら、私が支えてあげないこともありません」

 呆れた表情をする翔無に冗談ですが、と藍霧は言い、気を取り直す。

「黒兎大河はどこかによりどころを求めています。それが今は能力者を殺すというところにあり、私にそれを潰された。

 そんな彼には誰か、支えてくれる人が必要なんです」

 藍霧は、先ほどの一撃でアスファルトの上に倒れている黒兎を一瞥する。

 そこには、先ほどまでの猛々しさはない。

「貴女なら、それができるでしょう?」

「君は彼のことが嫌いなんじゃないのかい? どうしてそんな相手の心配なんかしてるんだい?」

「別に私は彼のことは嫌いではありません。というか、私は嫌いだと思う人はいませんよ。ただ、彼が大好きな先輩を傷つけたから、先輩に心配をかけないようにこっそりと彼をいたぶろうと思った……まぁ、それだけです」

「すごい動機だねぇ……。あとやっぱりかっしーに告白した方がいいと思うよ? 玉砕するなんてことはないだろうからねぇ」

「嫌です。恥ずかしいじゃないですか」

「だからそんな無表情で言われても説得力皆無だよ?」

 まぁ、と間を置き、翔無も黒兎に視線を向けた。

「わかったよ。君がそういうくらいだからねぇ。君の言葉はかっしーの言葉と同じくらいに捉えた方がいい」

「かっしーとは、先輩のことですか?」

「うん、そうだよ。可愛いよねぇ?」

「可愛いですね。私も次からはそう呼ぶことにしましょうかね」

 藍霧の言葉に小さく笑い、翔無は火鷹を呼ぶ。

「キョウちゃん、マイマイちゃんを任せてもいいかな」

「……もちろんです。久しぶりの出番ですから」

「なにを言ってるんだい? 久しぶりって、さっきからずっとこの場にいたじゃないか」

「……いえ。こちらの話です」

 火鷹の言葉に首を傾げつつも、藍霧を任せ、翔無は黒兎の元に歩み寄る。

「……なんの用だ、翔無雪音」

 翔無が来たことに気づき、黒兎はなんとか体を起こす。

「なんの用だとはご挨拶だねぇ。君の敗けを笑いに来てあげたんだから、もう少し歓迎したらどうだい?」

 誰が敗けを笑いに来た人間を歓迎するのだろうか。

 とはいえ、翔無は言葉の通りに敗けを笑いに来たというわけではないのは、誰が見ても明白だ。

「能力者を殺すのには、そんな理由があったんだねぇ。正直なところ、驚かされたよ。君は、君のわがままのために能力者を殺してるんだとばかり思っていたからねぇ」

「ふん。誰にも言っていないのだから当たり前だ」

「だねぇ。いつか能力者を全員殺すんだから、能力者の仲間なんていらないと思ったんだろ?」

 黒兎はまるで、そうだと肯定するかのように翔無の言葉に答えない。

 肯定以外の全ての言葉が否定になるようなその態度に、翔無は寂しさを感じるしかなかった。

 だってそれは、誰よりも黒兎が人間同士の繋がりを大切にしているからに他ならない。

 黒兎は全ての能力者を殺したいと思っている。

 けれど能力者の協力を得た場合、いつか、その能力者まで殺さなければならないことになる。

 天涯孤独となってしまった黒兎は、その繋がりを絶つことは、おそらく出来ないだろう。

 だから黒兎は唯我独尊を気取り、仲間を拒絶した。

「寂しくはないのかい? そうやってひとりで戦って、ひとりで能力者を殺して、ひとりで死んでいく……」

「……黙れ」

「能力者を殺そうとし続けてもいつか必ず、君に対抗しようとして能力者が結束して、君を殺すだろうねぇ」

「黙れと言っているだろ!」

 黒兎は翔無の胸ぐらを掴みあげながら、物音のしない校舎で吠えた。

 ずき、と体が痛んだのだがそれよりも、翔無の寂しそうな表情に黒兎はそこからなにも言えなかった。

「わかってるんだろ? こんなこと、意味がないって」

 黒兎の手が、ゆっくりと胸ぐらから離されていく。

「もういいよ。こんなこと、しなくてもいいんだ。ボクが、君の側にいてあげるから。

 あぁ、安心しなよ。ボクは絶対に、いなくなったりしないからねぇ」

 翔無はいつもの、いたずらじみた笑みを黒兎に向けながら、楽しそうにそう言った。



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