2―(9)「午前零時」
カチカチカチカチ――
時計の針の進む音だけが空間を支配している。
まるで他の物体は時間という概念を忘れてしまったかのように、全ての動きを停止していた。
いや、停止というには語弊がある。
時計の針が動いているということはすなわち、時間の概念が生きていることを示している。
だからこの場合は、外部と内部との時間の進み方が異なり、遮断され、隔離されているというべきだろう。
時間が流れなければ全てのモノは意味を剥奪されるのだから、時間が止まるということは――『死』を意味しているのだ。
「――さて、と。こんばんは、黒兎大河生徒会長?」
翔無の抑揚のない透き通るような声は、隔離された空間によく響いた。
「相変わらず人を食って掛かるような言い方だな、翔無雪音風紀委員長。俺様を前にしてその口の聞き方を変えないというのは、ある意味、尊敬に値するぞ」
「それはどうも。でもボクに言わせれば、君程度の人間に口の聞き方を変えていたらキリがないけどねぇ」
「ふん。やはり貴様は成長しても貴様というわけか」
「当たり前なことを言うねぇ。でも、君は変わったよ」
より苛つくようになったよ――と翔無は本当に、本当に楽しそうに黒兎に言った。
両者の距離は実に十メートル。お互いのことを考えれば、二秒もあれば詰められる距離だ。
それでも――踏み込めない。踏み込まないではなく、踏み込めない。
「貴様は本当に俺様の癪に触るぞ。より苛つくようになっただと? そんなもの、俺様とて同じことだ。害を成す能力者を生かして、なんの意味がある?」
「冬道かしぎは監視の結果、殺すに値しないとでているよ。だから、彼を殺す必要性はない」
「監視の結果など無意味で無価値だ。人間の心など、たったひとつの出来事で変化する。そうなってからでは意味がない。協力する気がないなら、殺すべきだ」
「それは君の事情だろう? ボクには関係ないねぇ」
言葉は平行線をたどるばかりだ。
決して交わることのない両者の距離は、目で見える距離では到底敵いそうにないほどに――遠く、果てしなかった。
「君が冬道かしぎを殺したいのは、彼を手込めにしようとして失敗したからなんじゃないのかい?
秋蝉かなでを殺すのも目的の一部だったんだろうけど、一番の目的は冬道かしぎを殺せないまでも戦えないようにすること。
そうすることで自分の手込めにしようとしたんだよねぇ? でも結果的には返り討ちにあった。いや、相討ちって言った方がいいかな?」
ずきり、と肩から斜めにかけて斬られた傷が痛んだ。
いくら傷は浅かったとはいえ、刃物で斬られたならばそう簡単に完治するはずがない。ようやく傷が塞がったというところか。
嫌な汗が黒兎の頬を伝った。
「痛むのかい? それでよくボクと戦う気になったねぇ。そのプライドの高さだけは、感心するよ」
「この程度の傷など、蚊に刺されたくらいのものだ。この傷があろうがあるまいが、俺様と貴様の格の差を埋めることはできはしない」
「ふーん。本当にそう思ってるなら、君――死ぬよ?」
ちりちりと肌が焼けるような感覚。それがお互いの頬をかすめた。
殺気が冷たい風を熱風へと変え、焼き焦がしている。
「死ぬ、か。それは貴様が俺様を殺すということか?
ふん。滑稽だな。殺すことを良しとしない貴様自らが、俺様を殺すというのだからな。
矛盾しているな、貴様。やはり人間は、ただひとつの出来事でどうにでも変わるものだ」
翔無には返す言葉がない。
能力者を殺したくないと言いながらも、彼女は今こうして、ひとりの能力者を殺そうとしているのだから。
なのにそれを仕方ないとしている。ひどい矛盾だ。
「話し合いをするために、ここに来たわけではないんだ。――さっさと殺し合うぞ、翔無雪音!」
「チッ――キョウちゃん、下がって!」
舌打ちをしながら、この空間を維持するためにこの場に居合わせている火鷹に叫ぶ。
同時に翔無の体が吹き飛んだ。
まるでなにかに吸い寄せられたように真横に吹き飛んだ翔無がいた場所には、黒兎がその剛腕を振り抜く形で立っている。
この男が十メートルの距離を埋めるのに、二秒という時間はあまりにも長すぎる。
彼からすれば元からそこの距離は自分の領域にすぎなかった。二秒なんて時間はいらない。
腕を振るえばどうにでもなる距離。
しかし黒兎の拳には当たったという感覚がない。
元からなにもなかった空間を殴り付けたような、そんな感覚しか残ってはいなかった。
翔無は自ら後ろに跳ぶことで勢いを殺したのだから当たり前だ。
浮遊している体を無理やり地面に叩きつける。
そして翔無雪音は、文字通り弾けた。
両手をだらりと下げた体勢のまま、黒兎の脳が体に動きを発する前に、踏み込む。
掌底を鳩尾に叩き込む。
風を切り裂きながら放った掌底は、しかし黒兎には届きはしない。
右足を回転軸にした黒兎は翔無が踏み込んだ瞬間に体をずらし、後ろに回り込んでいた。
脳から伝達されるのは所詮は電気信号。
雷すらをも操れる黒兎の前では、それを操るというものは当たり前なこと。
今度は黒兎の番だった。
黒兎の膝が少女の腹部に叩き込まれた。
そのあまりにも大きな一撃に、翔無の小さな体が持ち上がる。その一撃だけで、虚を突かれた翔無の口から苦痛の声が漏れた。
めきめきと骨が音を立てて軋む。
折れてはいないだろうが、罅は入ったかもしれない。
立て続けに持ち上がった翔無の体に肘を叩きつける。
――が、翔無はそれよりも速い。
空中で体の回転軸を作り体を捻る。縦回転で振り抜かれた翔無の膝が、黒兎のこめかみに突き刺さった。
砲弾めいたその一撃は、しかして黒兎を吹き飛ばすにはあまりにも微弱すぎた。
黒兎の剛腕が翔無の頭を捉えた。万力にでも締め上げられるように翔無の頭の鈍痛が強くなっていく。
魔手から逃げるために必死にもがくも、その指は微動だにしない。
そして黒兎の指は閉じられた。
だがそれは捉えていたはずの翔無の頭を砕くことなく、ただ空気を握りつぶしただけに終わる。
消えた。唐突に、なんの前触れもなく、翔無の頭が黒兎の指から忽然と姿を消した。
だからといって気配までは消えるわけではない。
背後から迫りくる悪寒にも似た感覚を感じ、黒兎は真横に跳躍することでそれを避けた。
そこに、翔無の踵が叩きつけられた。鈍い音を立てて叩きつけられた踵が、アスファルトをいとも簡単に砕く。
「――驚いた。ついにそんな芸当もできるようになっていたとは。これだから能力者は面倒だ」
バチ、と黒兎から青白いものが弾ける。
それがなんであるかを問いただすまでもない。
一度弾けだしたそれは、たった今思い出されたように勢いを増し、それはさながら、燃え上がる炎のように見えなくもない。
火の粉のように青白いものが周りに弾け飛ぶ。
「それはボクも同意見だよ。どうやれば体から雷なんか発せられるんだろうねぇ。黒兎大河、君は化物か?」
「空間を移動できる貴様がなにを言う。どちらにしろ、俺様たちは人間の枠組みにカテゴライズされないのは明白だろう」
振り向けば掴めそうな距離にいる翔無に振り向くこともせずに、黒兎は淡々と言う。
そう。翔無も黒兎も人間と呼ぶには異常すぎる。
人間と化物のどちらかにカテゴリするなら、化物というのが妥当だ。
だからこそ能力者というものは意味嫌われる存在であり、公にしてはならないものなのだ。
だから能力者を殺して秩序を正す者。
だから能力者を守って秩序を正す者。
たったそれだけの違いだというのに、ずいぶんと大きな溝ができてしまったものだ――
「雷――確かに速いけど、ボクとどっちが速いかな?」
「試してみるか? 貴様の移動と俺様の雷。――どちらが速いかを」
試すまでもないよ。翔無はそう言ってその場から一瞬で姿を消した。
ひゅん、と空間と空間を無理やり開いたような音が立て続けに鳴る。
空間移動、またはテレポート。
そう呼ばれるものが、翔無の超能力。
点と点を移動するテレポートには、移動するまでの時間がほとんど存在しない。ほとんどとはいえ、その時間は雷程度では追い付くことができない速度。
もはや速度と呼ぶことすらも怪しい。
いつの間にかいて、いつの間にかいない。
当たり前に存在して、当たり前に存在しない。
それが――空間移動。
超能力の代名詞に成りえるそれは、翔無の力を十分に発揮させる。
「――こっちだよ――」
耳元で声が囁かれた。
それは、冬道かしぎと戦ったときにもやられたこと。
黒兎は反射的に雷を後ろに放電させた。
一瞬だけ光ったそれは、目で追うことは叶わない。
だが――翔無の速さはそれをいとも簡単に凌駕する。
黒兎大河という能力者は雷速までは見切れたとしても、それ以上を見ることはできない。
だからそれを凌駕した翔無を見つけることはできないということだ。
ばちばち、と青白い雷を放電する黒兎。
仕掛けてくる気配がないが、なおも気を抜けない。
ただの一瞬が命取りだから。
そして唐突に、翔無は目の前に現れた。
現れてから行動を起こしたのなら、黒兎も反応ができていただろう。
しかし翔無は、現れる前から行動を起こしていた。
掌底を鳩尾に突き出すようにして、翔無は現れた。
ごふっ、と黒兎の口から血が溢れ出る。
確かに威力のある掌底だ。ただそれだけなら、黒兎は止まりはしなかっただろう。
翔無が掌底を叩きつけた場所は、冬道かしぎが斬りつけた場所と一致していたのだ。
いくら超能力なんてものが使えたとしても、体は普通のそれとなにも変わりはしない。
いくら女の一撃といえど、二重の意味で与えられた衝撃を耐えられるはずもない。
(いける――!)
ここが攻め時だと、翔無は確信した。
なにも今の一撃は傷を狙ったものではない。
あくまでも牽制。それだけのために行ったものだ。
予期せずして訪れたこの瞬間で一気に畳み掛ける。
掌底を繰り出した逆の腕で、黒兎の顎を思いきり殴り付ける。あまりの勢いに黒兎が天を仰ぎ、背中から倒れそうになるが、そこにはすでに翔無がいる。
がら空きの背中に飛び膝蹴り。再び前に倒れそうになる黒兎の前に瞬間移動し、さらに追い討ちをかける。
翔無は残虐とも呼べるそれを何度も繰り返した。
一切の休む暇も能力を使う時間も与えないように、自身も休まずに黒兎を滅多打ちにしていく。
血で赤く染まっていく翔無の拳はそれに比例して、感覚がなくなっていくようだった。
それでも、休むわけにはいかない。
ただ一度の隙が致命的になることを知っているから。
それに今、自分が付け入っていることを知っているから――手を緩めるには、いかないんだ。
(――……っ!?)
しかし翔無は、迫る異様な感覚に反射的に反応し、飛び退いていた。
腕をだらり、と下げ、糸の切れた人形のように膝をついている黒兎へと注意を向ける。
今の一連の動きで少なくとも黒兎は動けなくなっただろう――翔無はそう確信していた。
その代償として腕が一時的に使い物にならなくなったとしても、それは安い買い物だと割りきれる。
しかしなんなのだろうか? この胸騒ぎは。
その正体が次の瞬間、明確な狂気を孕み、翔無へと襲いかかった。
「――――」
翔無の体を襲った衝撃に、悲鳴すらもあがらない。
脳天から突き落とされたような感覚は、まさに脳天から降り注いだ雷によるものだった。
落雷。それを受ければほとんどが死に至るというのに、翔無は死ぬどころか意識がはっきりとしていた。
「――ようやく離れたか、翔無雪音。ほとんどダメージを与えられていないというのに、愚かなものだな」
「なっ――」
「貴様の腕、感覚がないのだろう? 俺様の雷に触れ続けたんだ。神経や筋肉が麻痺して当然だ」
先ほどとは逆に膝をつく翔無を見下しながら、黒兎は言葉を紡ぐ。
「貴様の攻撃パターンは読めていた。途中から一気に畳み掛けることを意識しすぎて、俺様に動きを読まれるということを完全に失念していたな?」
最初の数手こそもろに受けていたものの、それ以降はそうではなかった。
「攻撃パターンさえ読めれば、あとは体の向きをずらして直撃を避ければいい。貴様の拳についた血は、俺様の傷からついたものだ。
――決して、俺様を殴り付けて付着したものではないということを、覚えておけ」
翔無は今度こそ絶句せざるをえなかった。
今の話が全て本当なのだとすれば、自分の猛攻は、無意味だったということになるからだ。
黒兎の言うとおり翔無は一気に畳み掛けることばかりに気をとられ、攻撃パターンが読まれることやしっかりと衝撃を与えられたかを考慮していなかった。
攻め時だから全ての攻撃が通用する――
その先入観が、翔無を逆境に追い込んでいた。
ほとんどの猛攻が最小限のダメージで済まされ、さらに触れた瞬間に微量ずつだが雷を流し込まれていた。
腕の感覚がなくなってきたのは殴り続けたからではなく、雷で神経や筋肉が麻痺してきていたからだ。
どうしてそんなことに気がつけなかったんだ。
それはやはり――自分と黒兎の力の差が、そうさせていたのだ。
幸か不幸か動かなくなったのは両腕だけ。
その他の部位は動くことは確認済み。あとは能力を組み合わせれば、お互いの状況は五分五分だといえる。
あとは――どちらがより長く喰らいつけるか。
それが、この戦いの勝敗を左右するだろう。
「それと貴様には――決定的な弱点がある」
黒兎のその呟きを問いただすよりも早く、翔無は瞬間移動を使い、黒兎から距離を置こうとした。
――が、移動した先にはすでに黒兎の姿があった。
どうしてだ、自分の方が速いはずなのに――!
翔無は立て続けに起こる事態に思考が追いつかない。
「いかに俺様よりも速く移動できるとはいえ――思考までは速くならないのだろう?」
「ぐ――ぁ」
黒兎の爪先が翔無の肩に突き刺さる。
まともに受け身をとることができなかった翔無はアスファルトを跳ね、なにかにぶつかり、ようやく勢いが止まる。
「俺様は雷を操る能力者だ。肉体の運動能力を向上させて移動速度を上げるのと同時に、思考速度も上がっている」
真上から黒兎の声が聞こえる。
翔無の勢いを止めたのは、瞬時に先回りした黒兎その人だった。
「貴様の思考速度はそのままだ。それで瞬間移動の速度に思考がついていけるわけがないだろう?」
ばち、と黒兎の拳に雷が宿る。
その拳をなんの躊躇もなく一気に振り下ろす。
「――それでも、負けられないんだよねぇ」
翔無はにやり、と笑い、瞬間移動で黒兎のから今度こそ距離を置く。
「そんなことはわかってるよ。ボクの瞬間移動の弱点は、その移動能力に思考が追い付かないってことくらいねぇ」
肩の骨の関節が外れたのか、だらりと下げられた両腕の長さが違う。
痛みからくる汗が頬を伝う。
「ふん。わかってなお俺様に歯向かうか。いいだろう。やはり貴様を目的の駒に使うのはやめだ。ここで――――死ぬがいい!!」
今までのものと比較できないほどの雷が、黒兎の体から放電される。
それは暗闇を照らし出すには十分な量だった。
黒のキャンパスを青白い線が鮮やかに刻まれていく。
翔無の顔から笑みが消え、戦う者としての思考に即座に切り替える。
そして翔無が瞬間移動するよりも早く、黒兎が雷を放つよりも早く――
「――死ぬのは貴方です」
火鷹の能力によって隔離されていたはずの空間が、大きく揺れた。
亀裂が入り、まるで硝子が割れたように砕けた空間を隔離する壁の向こうから、ひとつの人影が見えた。
この漆黒の闇を体現したような漆黒の少女。
右手には月を映し出すような杖が握られている。
少女はゆっくりと翔無と黒兎に歩みより、本当に気だるそうに告げた。
「死ぬのは貴方です、黒兎大河」
異世界から還ってきた勇者の少女は、黒兎大河に死刑宣告をした。
◇
午前零時――
生徒会と風紀委員がぶつかる時間になったか。
今日一日、俺は療養のため家で眠っていたかいがあり、俺の体は全快した――とまではいかないものの、半快したといったところか。
動かなかった体も、今なら戦うくらいならできる。
ちらり、とベッドの脇で雑誌を読んでいるアウルに視線を向ける。
『俺』が出ていかないように警戒しているのか、俺が寝付くまでは動く気がないと見える。
やれやれ。俺もとことん信用されてないよな。少しは信用してくれ。
翔無先輩の言葉を借りるなら「信頼していない人間を信用するほど甘くはない」ってところか?
それとはちょっと違うんだろうけど。俺のことを純粋に心配してくれてるのだろう。
「――わりぃな、アウル」
だけどさ。俺だってやらないといけないことはある。
翔無先輩を助けないといけないだとか、黒兎大河を止めないといけないとか――そんなものはどうでもいい。
俺は不知火と個人的に決着をつけないといけない。
明かりのついた俺の部屋を、家の外から見上げながら、小さく呟き、歩き出す。
部屋にいる『俺』は俺が作った氷人形だ。
異世界で『氷天の波導騎士』と呼ばれた俺からすれば、視界を共有する氷人形を作ることは造作もない。
氷系統の波導を使う波導使いで俺と同等なのは、異世界中を探したとしてもひとりしかいない。
……まぁ、今はどうでもいいよな。そんなこと。
俺は足の裏に波動を集中させ、それを爆発させて長距離移動を連続して行い、空を駆ける。
夜の冷たい風を受けながら目指すべきは――誠に残念ながら私立桃園高校の校舎。
そこから戦っている気配が視える。
微妙におかしな感じもするけれど、それは、被害を出さないようにしている能力者のせいなのだろう。
何回か跳躍し、道に着地する。
「――待ってたわ、冬道くん」
「あ? あぁ、白神先輩か。こんばんは、こんな夜中にこんな場所でなにしてるんだ? ……って、俺を待ってたんだったな。なんの用だ?」
着地したときに気を緩めたせいか、衝撃で足が痺れていた。数分は動けそうにはないかもしれない。
俺はそれでもなんとか立ち上がると、白神先輩の方に向き直り、そう問いかけた。
しかしまぁ、わざわざ問う必要もない。
この人が言いたいことはわかっている。
「ミナを、助けてほしいの」
ほらな。やっぱり。
「お断りだね。前も言ったろ。俺は、俺を殺そうとした奴を、助けてやるなんていう人間じゃねぇんだよ」
「それはわかってるけど、アンタしかいないのよ!」
目に大粒の涙を溜めて、白神先輩は俺に叫んできた。
おいおい不知火。お前、自分に好意を寄せてくれてる先輩を泣かすなよ。幼馴染みでもあるんだっけ?
「だから都合がよすぎるんだっての。なんで俺が赤の他人を助けねぇといけないんだよ」
「それは、そうだけど……」
「だいたい、不知火をなにから助けるってんだ?」
「もちろん、黒兎大河からに決まってるじゃない」
黒兎大河から助けてほしい、か。
はっ。こりゃずいぶんと面白いことを言うねぇ。
「黒兎大河から助けるもなにも、そもそもあいつは助けなんて求めちゃいねぇだろうが。それなのに、どうして不知火を助けなきゃならねぇんだ」
「私が助けたいからよ! ミナは、黒兎大河に無理やり戦わされてるの……だから、私はミナを助けてあげたいのよ!」
「だからさ――」
俺はため息をつきつつそう言い、一旦言葉を切る。
痺れていた足はようやく感覚が元に戻ってきて、今すぐにでも動き出すことができるだろう。
それでも俺が動きださないのは、白神先輩に言わなければならないことがあるからだ。
「どうして助ける必要があるんだ? あいつはあいつの意思でお前を守るために、黒兎大河に従ってる。
それから助け出したいってことは、あいつの気持ちを踏みにじったのと同じことなんじゃねぇの?」
スッ、と俺は睨み付けるように目を細め、見据える。
「お前を助けるために不知火は戦ってるんだ。それを否定してやるな。白神先輩は、ただ、黙って守ってもらえばいいんだよ」
「なによそれ……それって、ミナが傷つくのを黙って見てろっていうこと? そんなこと、できるはずないじゃない!」
「俺に怒鳴るな、うるせぇ。仕方ねぇだろ? あいつは、そういう道を自分から選んじまってるんだからな」
俺はさらに言葉を続ける。
「このやり方が嫌なら、あいつは助けを呼ぶべきだったんだ。それを言葉にするべきだったんだよ。全てを背負いきるなんてことはできねぇんだから」
かつての俺もそうだった。
仲間を守りたいがために全ての重荷を背負って、その重みに潰されそうになって結局、仲間を泣かせた。
守るって言いながらも俺は、仲間を守れてなかった。
自己犠牲の『守る』は、それはもう、『守る』ってことではないんだ。
その行動。一見すれば美しい仲間想いの行動に見えるだろう。しかしそれは裏を返せば、
「不知火は、お前を信じられなかったんだ。……違うな。信じきることができなかったんだ」
外敵に触れさせないように守る。
それは力のある人間が力のない人間を見下した、ただの言葉の暴力だ。
自分がいなければお前は死ぬ。自分が近くにいなければお前はだめなんだ――そう言っているのと同じだ。
確かに力がなければ力のあるものには勝てない。当たり前なことだ。
全てのものから守るなんてできるはずはない。いつか必ず、自分よりも強い相手にぶつかることになる。
そんなときはどうするんだ?
やっぱり自己犠牲で一時的にそいつを守るのか?
今の不知火ならそうだろうな。かつての俺も同様だ。
「あいつはお前のことしか考えてない。同じように白神先輩もあいつのことしか考えてない。
そこでひとつ訊くが、自己を犠牲にしてそいつを守ったとして、残された人は喜ぶのか?」
とどのつまりはそういうことなんだよ。
自己を犠牲にしても誰も喜ばない。守るにしても守られるにしても、やることは同じなんだ。
「あいつは今の白神先輩と同じように、助けを求めるべきだったんだ。
ただ一言――助けてくれ、そう言うだけでよかったんだ。それが出来なかったからあいつは――なにも守りきることはできない」
靴の爪先で地面を二回、軽く叩く。
俺の言いたいことはもう言い終えた。
助けを呼ぶ――そんな簡単なことができないから、こうして、守りたい人を悲しませている。
例え守りたい人にしか助けを求められなかったとしても、一緒に重荷を背負って歩くことができる。
そうしてふたりで周りに助けを求めれば、いつか、自分たちに味方してくれる大切な味方が見つかる。
それが――異世界で俺が学んだことだ。
「もっと早くに助けを求めていたら、俺は、あいつと一緒に戦うことが出来たかもしれないのにな」
「今からは、できないの……?」
「できねぇな。白神先輩と一緒に戦うことはできる。だが、不知火みなとという男は――俺の敵だから」
俺は白神先輩から視線を外して反転。その道の先に待ち構えている男を視界に収める。
手には二丁拳銃。私立桃園高校の制服を着ている、男子生徒。
「白神先輩。不知火は貴方を守りたいと思っている。貴方も不知火を守りたいなら、どうするべきか……わかってるよな?」
柄にもなくずいぶんと長いこと話し込んでしまった。
あまりにも不知火が俺と似ていたからな。
不知火と俺を重ね。白神先輩と真宵後輩を重ねた。
俺はもう真宵後輩を悲しませないと決めてる。だから無意識に、真宵後輩と重ねてしまった白神先輩を悲しませたくなかったのかもしれない。
そして不知火がかつての俺とあまりにも似ていたから、嫌悪してしまったのかもしれない。
同族嫌悪。まさにその通りだよ。
俺とお前は似た者同士だ。だから俺は、過去の因縁を断ち切るために――お前の間違いを気づかせてやる。
「紗良から離れろ、冬道!」
「ずいぶん遅い登場じゃねぇか、不知火。そんなことで白神先輩を守れると思ってんのか?」
「守ってみせる。俺は死んでもアンタから、黒兎大河から、能力者から紗良を守る!」
「甘えんじゃねぇ。お前の独りよがりがどれだけ無駄かってことを……今から教えてやる」
復元言語を呟き、首飾りが件の形となり、収まる。
「さぁ。俺を楽しませろ、不知火みなと」
俺は口元に狂気に満ちた笑みを小さく浮かべながら、不知火が構えるのを見据えた。
◇次回予告◇
「無駄なので境界を壊しておきました」
「貴様、狂っているな。まるで意思ない人形のようだ」
「――見えていますよ、全て」
「貴様……能力者ではないな。――何者だ」
「下らないですね」
「ふん。誰にも言っていないのだから当たり前だ」
「寂しくはないのかい? そうやってひとりで戦って、ひとりで能力者を殺して、ひとりで死んでいく……」
◇次回
2―(10)「夜天」◇
「先輩を傷つけた以上――その報いを受けろ」