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氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
第一章〈勇者の帰還〉編
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1―(2)「普通の日常」


 私立桃園高校に通う俺こと冬道かしぎは、後輩の藍霧真宵と共に異世界に召喚された経歴を持っている。

 何の前触れもなく、接点のない俺たちは、同じ場所に喚び出された。

 淡い光に包まれたと思えば、次の瞬間に目の前に広がっていた光景には、あのときは驚かされた。

 中世の欧州ヨーロッパの城みたいな場所に、俺たちはいたんだ。

 目の前には褐色で容姿端麗な美女がいて、その人がヴォルツタイン王国の皇女様だったわけだ。

 正直なところ、わけが分からなかった。

 いきなり光に包まれたと思えば、見知らない場所に、学校のアイドル的な扱いを受ける後輩がいたんだ。

 こんな状況をすんなり理解できる奴がいたらぜひとも会ってみたい。

 ……あぁ、隣にいたっけな。全然動じなくて、無口無表情で皇女様に状況説明を促した後輩が。

 何とか気を取り直した俺たちは――真宵後輩は最初から冷静だったが――皇女様からこの状況の説明を受けた。

 俺たちは二人は、復活した魔王を倒してもらうために、異世界から召喚された。

 簡単かつ明確に説明したらこんな感じだ。

 皇女様がお決まりの能書きをべらべら話してたが、そんなのは聞き流してた。意味なんてなかったし。

 問題になるのは、俺たちみたいな平和な世界から召喚した二人で、魔王を倒せってことだ。

 精鋭部隊やら何やらが束になって戦って負けたのに、なんで俺たちに世界の命運をかけるのか。

 しかも魔王を倒さないと元の世界に帰れないなんても言われて、いきなり宿題を押し付けられたみたいだった。

 もちろんそんなことが出来るわけないのに、戦うことなんか出来ないのに、俺たちは可能性を示してしまった。

 魔王を倒すことが出来る伝説の武器である『天剣』と『地杖』を、俺たちは使ってしまったんだ。

 ただがむしゃらに、自分の身を守るために剣と杖をとった俺たちは、その瞬間に唯一、魔王を倒せる存在になった。

 あのときは、魔王を倒せるなんて思ってなかったが、今こうして生きてるってことが倒せた証明になってるんだよな。

 魔王に止めをさしたこの『天剣』も、それを最後に使っていない。

 使うような場面がないって言った方が正しいな。

 魔王を倒したあとは国を上げて祝杯をあげて、お祭り騒ぎに便乗して、こっちの世界に還ってきた。

 剣をとるような場面は、あれからはない。

 そんな場面に出会うなんて、もうないんだと思う。

 平和で『戦い』のないこの世界で、剣をとる必要なんてないから。

 あのときは剣なんかいらない、元の世界に還れるだけでいいだなんて言ってたが、今ではなんだかそれが寂しく感じる。

 五年間、俺は『天剣』を手にして戦ってきた。

 でも、還ってきたらそれはたったの五時間程度のことでしかなかった。

 生き残るために鍛えた肉体も、死にかけるような怪我を負った傷も、五年間で成長した身長も、還ってきたら元通りになってた。

 夢かと思ったが、やっぱり夢じゃない。俺の手には、五年間を共に過ごした『天剣』があったから。

 元勇者、確かにその通り。

 今の俺は『天剣』を持ってるちょっと普通とは違う高校生だからな。

 そんな俺は、今、普通の生活を送っている。

「兄ちゃん、朝だから早く起きな……って、もう起きてたのかよ」

 俺の部屋のドアを開けて入ってきたのは、妹の冬道つみれ。

 栗色の髪をショートカットにして、俺とはあんまり似てない勝ち気な表情をしている。

 中学三年生にしては、大人びてる容姿は人気を集めているらしい。

「なんだ。俺が起きてたらおかしいのか?」

「前までだったら早起きなんかしてなかったから言っただけ」

「そうかい。んじゃ、さっさと朝飯でも食って学校に行くとしますか」

「兄ちゃんが学校行ってもサボるだけじゃないの?」

「うっせぇ。別にいいんだよ」

 俺はつみれと会話しながら、リビングに向かうために階段を降りる。

 廊下を曲がり、ドアを開ける。

 目の前に広がる光景は、最近ようやく慣れてきた我が家のリビングだ。

 テーブルにソファ、テレビと一般家庭にありふれた家具があるだけで、特に変わった物は置かれていない。

「もう朝飯出来てるから、さっさと片付けて」

「兄に対する言葉遣いじゃない気が……」

「いいじゃん。兄妹なんてこんな感じじゃない?」

 イスに座りながら、つみれは言ってくる。

 いい匂いが鼻をくすぐる。テーブルの上に用意された朝飯から漂うものだ。

 味噌汁に魚、納豆とまさに日本人食だ。

「でも、兄ちゃんが朝飯の注文してくるなんて思わなかったよ」

「むぐ? ……別に朝飯の注文くらいしたっておかしくねぇだろ。俺だって人間だぜ?」

 未だに懐かしいと感じる日本人食を口にしながら、俺は間違ったこと・・・・・・を言う。

 それにしても、つみれの飯は相変わらず美味いな。

「確かにそうだけどさ、この前まで飯なんか適当でいいって言ってたし、食べないときもあったからさ」

 それに、と言葉を区切る。

「前までなんか取りつく島もないって感じだったし。いきなり朝飯の注文してきたときなんか、別人かと思ったよ」

「心境の変化って奴だ。そういうときもある」

「ふーん。心境の変化、ねぇ……」

 疑いの眼差しを向けてくるつみれに苦笑しながら、黙々と朝飯を進めていく。

 形のいい眉を歪めながら、つみれは箸をくわえて俺に何があったのかを考えてるってところだろうか。

 ヴォルツタイン王国に召喚される前は、確かに取りつく島もないって感じだった。不良まではいかないものの、問題児くらいには映ってたと思う。

 何かを思いついたのか、くわえてた箸を俺に突きつけながら、微妙に核心をついてくる。

「分かった。あの最近一緒にいる黒髪の人でしょ?」

「そうだと言えば、そうなるが、そこまで関係はしてねぇ。いや、関係してるかな……」

「どっちだよ……あむ」

 どっちだよって訊かれても、真宵後輩とは旅を一緒にしたってだけで、心境の変化までには関係してない……はず。

 ヴォルツタイン王国に召喚されて、旅に出て、一緒に戦って、魔王を倒した。

 そうやって考えてみると、俺の後ろにはいつも真宵後輩がいた。

 真宵後輩が後衛でサポートしてくれてたから、俺は安心して戦うことが出来た。

 『天剣』なんていう伝説の剣を持ってても、戦い方は素人なんだ。

 背中を預けられる人がいたから、こういった心境の変化があったのかもしれない。

 認めるのは癪だが、たぶん、真宵後輩のせいだな。

「その首飾りもその人から貰ったんだろ?」

「あ? なんでそうなんだよ」

「だって、あの人もおんなじのつけてたし。兄ちゃんは金、あの人は銀。形はちょっと違ってたけどさ、おんなじ物だろ?」

「お前、よく見てんのな……むぐ」

 俺たちがお互いに『天剣』と『地杖』を持ち帰ってきてたのを知ったのは、還ってきてから三日が過ぎた頃だ。

 それからは首にかけてるって言っても、たかだか十日程度。

 つみれは真宵後輩とほとんど会ってないのに、よくそんなところまで見れたもんだよ。

「そう言うのって目に入るもんじゃない?」

「俺には入らんけどな」

「兄ちゃんはそういうのは無頓着だからだって。そんな兄ちゃんが首飾りなんてやるわけないじゃん。やっぱりそれ、あの人に貰ったんだろ」

「違うっての。同じものってのはあってるけどな……むぐ」

「じゃあ、選んでもらったとか?」

 朝飯に手をつけることも忘れて、つみれは俺に質問攻めをしてくる。

 ここ最近、朝はこの話題ばっかりだよな。

 目がキラキラしてて、興味津々なのが嫌ってほど伝わってくる。

「……なんでそんなに気になんだよ。別におかしくないだろ? 俺、一応高二だぞ? オシャレのひとつでもやるって」

「なんで気になるって訊かれたら、あたしが兄ちゃんの妹だからさ」

 ……意味が分からん。なんで妹だから真宵後輩のことが気になるんだよ。

「将来のお義姉ねえさんになるかもしれない人のことを知りたいって、当然の感情だと思うけど?」

「恋人にもなってねぇのに、嫁になる予定なのか」

「まだ恋人じゃないの!? 毎朝迎えにくるのに!?」

 両手をテーブルに叩きつけて立ち上がりながら、つみれは驚いた声を上げていた。

 そこまで驚くようなことでもないと思うんだけどな。

「毎朝迎えに来るからって恋人とは限らねぇだろ?」

「だって幼馴染みでもないのに毎朝だよ!? 普通に考えたら恋人だとか思うだろ!?」

「そんなもんか? 家が近いから来てるとかじゃね?」

「家が近いからって普通は来ないって。はぁ……兄ちゃんって、もしかして鈍感なのか?」

「さぁね。……ごちそうさま」

 俺は両手を合わせて、会話を終わらせるように朝飯を終わらせる。

 あっちじゃ鈍感だなんて言われたことはなかったけどな。

 だいたい、あいつが俺のことを好きだとか、そういう感情を抱いてるはずがない。

 俺もそうであるように、ただ単に一緒にいたいだけなんだよ。

「あっ、逃げんなよ兄ちゃん!」

「分かった分かった。早く朝飯を片せって言ったのはお前だろ? お前も早くしないと遅刻するぞ」

「む。明日は絶対聞き出す!」

 妙に意気込んでいるつみれは、朝飯を口の中にかき込んでいく。

 聞き出すなんて言われても、これが俺と真宵後輩の関係だし、異世界に召喚されて一緒に戦ったなんて言っても信じられるはずがない。

 ただ、恋人なんてのよりは深い関係を築き上げてしまったとは言える。

 ブレザーを羽織り、鞄を持って準備完了。

 すると、まるでタイミングを見計らったかのようにチャイムが家の中に響き渡った。

「タイミング、バッチリだよね。どっかから見張られてる?」

「ンなわけねぇだろ」

 とは一概には言えない。

 あいつのことだから、見張りなんてのは意外にやりかねないんだよ。

 俺はつみれに「遅刻すんなよ」と一言だけ伝えると、急いで玄関に向かう。ドアを開けて、外に出る。

「おはようございます、かしぎ先輩」

 礼儀正しく挨拶をしてきたのは、もちろん真宵後輩だ。

「おはよ。……今日も時間バッチリだったけど、まさかとは思うが見張ってたりしてないよな?」

「なんで私がそんなことしないといけないんですか。やる意味がありませんし、やる必要もありません」

「だよな。お前ならやりかねないから、心配してたんだよ」

「どういう意味ですか、それ」

 真宵後輩に「何でもねぇよ」と答えながら、学校に向けて歩き出す。

 真宵後輩の首からは、十字架のような形をした透き通るような銀色の首飾りが下がっている。

 俺がこの首飾りを見ていないのは、もう見慣れているからだ。

「なんですか、そんなにじろじろ見たりして。私の制服姿はそんなに珍しいですか?」

「珍しいってよりも新鮮だな。パッと見だと間違うかもしれねぇな」

「そんなに私の制服姿は新鮮なのですか……。確かに私からしても先輩の制服姿は新鮮ですから、おあいこですかね」

 相変わらず無表情を貫きながら、俺たちだけに共通する話をする。

「それにしても不便です。動きにくいです」

「あっ、それは俺も思った。あっちじゃもっと動きやすい服だったから、改めて制服来てみたら動きにくいんだよな」

「私はスカートですから先輩ほどの違和感はないとは思いますが、やはり妙な感じです」

 制服のスカートの裾を指でつまみ、すぐに離す。

 なかなか慣れないもんだな。二週間近くも制服着てるけど、違和感がありすぎて落ち着けない。

 あっちの世界じゃもっと違う素材で出来てる、着流しみたいなので過ごしてた。それなのに生地が頑丈で、どれだけ激しい動きをしても破れるなんてことはなかった。

 動きの妨げになるようなこともないし、着たときにまるで違和感を感じない。

 真宵後輩はミニスカートだったけど、やっぱり違うんだろう。

「あっちの素材で制服も作ってもらえばよかったです」

「その考えはなかった。そうすりゃ、こんな着心地の悪さを感じることもなかったか」

 俺たちが喚び出されたときは制服姿だった。

 替えの服なんて用意してる暇もなく初めての戦いを経験してしまったから、そのせいで制服は見るも無惨な姿になった。

 そのあとに俺は着流し、真宵後輩はスカートを受け取ったんだ。

 帰り際に制服を直してもらったんだが、真宵後輩の言う通りあっちの素材で作り直してもらえばよかった。

「だけどそんな余裕もなかったし、仕方ねぇよ」

「そうですね。あの冬道かしぎ先輩ですらも、別れ際には泣きそうになっていましたからね。制服なんかに拘っている余裕なんてないでしょう」

「……うっせぇ。お前なんか号泣してたろ」

「……うるさいです。恥ずかしいから思い出させないでください。あんな姿を先輩に見られたのは一生の恥です。黒歴史です」

「そんじゃ痛み分けってとこだな」

 あのときのことを掘り返されるのは、お互いに恥ずかしい。

 普段はクールキャラで通してる真宵後輩からしたら、別れの場面だからとはいえ、あそこまで号泣したのは言われたくないことだ。

 俺は単純に、男として言われたくないっていう理由だが。

 だけどまぁ、今まで旅をしてた仲間ともしかしたら一生会えなくなる別れだったんだから、泣いてしまうのは仕方がないとは思う。

 誰だって、一生の別れは辛いものだ。

「ときに真宵後輩よ」

「なんですか、かしぎ先輩」

「こっちに還ってきてから『地杖』、使ったりしたか?」

「使うはずがありません。『地杖』をこっちの世界のどこで使えって言うんですか? 日常生活で使うような場面もありませんし」

「俺の『天剣』よりは使えると思うぜ?」

 『天剣』は文字通り剣だから、それこそ使う場面なんてものに巡り会えるはずがない。

 それに引き換え『地杖』は戦う以外にも使える場面があるんだから、使ってても不思議ではない。

「そうでしょうけど、普通に考えて日常では使えません。どんな事態に巻き込まれるか分かったものではないですから」

「そんなもんなのか? ……使えそうで使えねぇな、これ」

 首からぶら下がる剣の形をした金の首飾りを摘まみながら、素直な感想を述べてみる。

「当たり前でしょう。『戦い』を前提としたものを、日常のどこに使うんですか。喧嘩にでも使う気ですか?」

「それも考えたんだが、並大抵の奴には負けないから意味ねぇんだ」

「考えたんですか……」

 真宵後輩は呆れたように俺を横目で見てくる。

 考えたっていっても、使う場面にならないから意味がない。というよりも使う場面になれない。

 肉体が鍛える前に戻ったっていっても、反射神経までもが元に戻るわけじゃない。だから、喧嘩になっても相手の動きが手に取るように分かるからすぐに終わってしまう。

 力の入れ方も、どこを狙えばいいかも分かるから、今のところ巻き込まれた喧嘩じゃ負けなしだ。

 あっちに行く前の俺は何をしてたのか、喧嘩に巻き込まれるなんて日常茶飯事だ。

 今じゃ、不良に見られたら頭を下げられるくらいだ。

 いわゆる、不良たちの頂点に立ったってことを意味する

 元勇者が不良たちの頂点だなんて、奇妙な話だよ。

「冗談だ。そこらの雑魚に使うわけねぇよ」

「こっちの世界で先輩が『天剣』を使うような場面になったら、どうなるか分かったものじゃないです」

「そしたらお前も『地杖』を使えばいいだろ?」

「そんな場面に出会ってみたいものですね」

 俺は「そりゃ無理な話だ」と肩をすくめた。

 元勇者の二人が『戦い』がない世界で『天剣』と『地杖』なんか使ったら、町のひとつやふたつ、簡単に地図から消え去るぞ。

「そういえば、あのニュースを見ましたか?」

「あのニュースなんて言われても分かんねぇよ」

 ニュース自体見てないから、内容言われても分からんだろうが。

「失礼しました。私も偶然目に入っただけなのですけど、人が誰かに襲われてたというものでした」

「……誰かに襲われたって、通り魔とかか?」

「あまり興味がないみたいですね」

「んー……興味がないって言えば興味なんてねぇんだけど、今さら通り魔とか言われてもな」

「確かに、そうでしたね」

 俺たちは通り魔どころか、魔獣とかモンスターとか、魔王と戦ったことがある。

 こっちからしたらニュースに上がるようなことだろうけど、あっちからしたらそれが普通だった。

 食うか食われるか。殺すか殺されるか。

 そんな環境に身を置いてただけに、通り魔と言われてもいまいち反応の仕方が分からない。

「それでは先輩は通り魔に襲われても返り討ちにしないようにしてください」

「あのな、通り魔になんてそう簡単に会えるもんじゃねぇぞ?」

「もしもの話です。先輩の場合、通り魔に襲われでもしたら、通り魔の方が心配です。先輩なら逆にボコボコにしてしまいそうですから」

一般人・・・をボコボコにするような真似はしねぇっての」

 俺からしてみたら通り魔でも一般人程度にしか見えない。

 ただナイフを持って襲ってくるだけ、その程度の一般人。そんな相手をボコボコにするようなことはしない。

「むしろ俺はお前の方が心配だ」

「……な、なぜでしょうか?」

「なぜって、そりゃ俺は前衛で戦ってたから通り魔なんかにゃ負けねぇけど、後衛で戦ってた真宵後輩は『もしも』ってことがあるからだよ」

「む。私だって通り魔なんかに遅れをとるような失態はしません」

 俺の言葉が気に入らなかったのか、真宵後輩は口先を尖らせていた。

「俺だってお前が遅れをとるとは思ってねぇよ。それでも心配なもんは心配なんだよ。お前には怪我なんかしてもらいたくねぇし」

 素直な気持ちだ。真宵後輩が通り魔なんかに遅れをとって怪我するとは思えないが、それでも絶対とは言い切れない。

 俺がいつでも側についてやることが出来れば、そんな心配はないんだが。

「……」

「なに黙りこんでんだよ」

「何でもありません。先輩に心配されるなんて、私もまだまだだと思っただけです」

「あっそ。まぁ、怪我だけはすんなよな」

 俺は言いながら、隣を歩く俺の胸辺りまでしか身長がない真宵後輩の頭に手をのせる。

「や、やめてください。こんな往来の場所で……。恥ずかしいでしょう」

「照れることねぇだろ」

 真宵後輩に弾かれて行き場の失った手を開閉させる。

 会話をしている間に俺たちが歩いていた桜の並木道を抜け、目線の先には私立桃園高校が見えてきた。

 私立桃園高校なんて名前だが、別に三國志の英雄は関係していない。

 ただ、そこに咲く桃色の花は全国的に有名で、それを見た人間を魅了するほどには美しい。

 入学の季節にはちょうどいい、祝いの花みたいな存在だ。

「ではまたあとで。失礼します、かしぎ先輩」

「あぁ、またあとでな」

 校門を抜け下駄箱に到着した俺たちは、靴を履き替えると反対方向に向かって歩き出した。

 一学年は左側の廊下、二学年は右の廊下の先にそれぞれの教室がある。

 そして三学年の教室は、下駄箱の正面にある廊下の先にある。

 だから俺は右に曲がったわけだ。

「はぁ……。よし、行くか」

 真宵後輩と別れて若干の寂しさを感じるが、それをため息に乗せて吐き出し、廊下を踏みしめた。



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