2―(5)「呼び出し」
冬道かしぎが不知火みなとと戦いを繰り広げてから数十分が経過した。
やはりというべきか、戦いには参加しなくとも見守るという形で付き添っていた藍霧真宵、白鳥瑞穂。そして最初に狙われた秋禅かなでは遅刻。
現在の時間は九時三〇分。時間的には一限目の授業が中盤に差し掛かった頃だ。
わざわざ授業の途中に入って恥をさらすより、授業と授業の合間の休み時間に入った方がいいだろうと、今は屋上で時間を潰している。
そんななか、冬道たちと一緒にいた火鷹鏡は屋上には行かず、授業で静かな廊下を歩いていた。
別に冬道たちといるのが嫌だったわけではなく、もともと、その時間に予定があったにすぎない。
火鷹が向かったのは風紀委員室。
この私立桃園高校は『生徒会』と『風紀委員』に専用の教室を設けている。
他の委員などに比べて雑用が多いということで、学校からの計らいだ。
もっともそれは、表向きな理由というだけで、本当の理由は他にある。
「……雪音さん、入りますよ?」
『ん? キョウちゃんかい? 遅かったねぇ。遠慮しないで入ってきなよ』
火鷹が耳につけているインカムから聞こえてきた陽気な声は風紀委員長、翔無雪音のものだ。
火鷹はドアを開け、風紀委員室に入る。
一見すれば普通の教室と変わらないように見えるが、ここは防音に作られており、なかから声が聞こえることはない。
わざわざインカムを使って入るかどうかを聞いたのはこのためである。
いろいろと不便なこともあるかもしれないが、裏向きな事情もあるため仕方がないことだ。
「遅かったねぇ。かっしーとの夜はそんなに激しかったのかな?」
高級そうなソファに横になりながら、翔無はいたずらじみた笑みを浮かべる。
「……はい。すごかったです」
両手を頬にあて、無表情ながらに幸せそうな乙女の素振りをする。
「いったいどんなプレイを要求されたんだい? ボクにも教えてくれないかな?」
「……それは、できませんよ」
「む。それはどうしてかな?」
「……雪音さんがそのプレイを聞いてしまえば、かっしーさんの虜になってしまいますから」
「そ、それは気になるねぇ。教えておくれよ」
ごくりと生唾を飲みながら翔無は火鷹の方を見る。
そんな翔無に近寄り、耳打ちで嘘っぱちのプレイの内容を火鷹は囁いた。
すると今まで平然としていた翔無の顔が一瞬にして真っ赤になり、彼女にしては珍しくソファから転がり落ちていた。
しかも起き上がった翔無はなにを聞いたかは定かではないが、目をくるくると回してわけのわからないことを口走っている。
さすが冬道がエロ担当と称するだけはある。
「……そういう話が苦手なのに聞かないでください。そろそろ学習してはどうでしょうか?」
「むぅ。そろそろ慣れたと思ったんだけどねぇ」
「……どうして行動には移せるのに聞くのはだめなのでしょうか?」
「その言い方だと、ボクがそういうことをいっつもやってるみたいに聞こえるからやめて」
「……失礼しました」
翔無の言葉に火鷹は、全く気持ちの籠ってない謝罪を送った。
こう見えて翔無雪音という少女は純粋なのだ。
見た目が子供っぽいため少しでも大人っぽく見られたいがために、こういうことを言って背伸びをしているだけだ。
実際はそういう話が大の苦手であり、それを克服しようと火鷹から何回もそういう話を聞いていたりする。
自分がやるには問題がないという辺り、おかしな性格をしている。
咳払いをして、気を取り直す。
「た、確かにそれはすごいねぇ。キョウちゃん、昨夜はご苦労さま」
「……嘘ですよ?」
「そ、そうなのかい?」
「……私もさすがにそこまでは耐えられませんからね。発狂してしまいます」
「ボク的には君なら耐えると思うんだけどねぇ」
火鷹に話された内容を思い出して再び顔を真っ赤にしながら、翔無は言う。
「それで結局、昨夜はどうだったんだい?」
「……バスタオル一枚で抱きついてみました」
「そ、それで?」
「……ベッドに押し倒されて、楽しみました」
聞いた瞬間に翔無が沸騰した。
そういう場面を自分で想像して自爆したのだ。今どき珍しいほどに純粋な少女だった。
「お勤めご苦労様」
「……嘘ですよ?」
「キョウちゃん。もしかしてからかってるのかな?」
「……やや」
信頼して信用しているとはいえ、言葉を鵜呑みにし過ぎてもいけないと翔無は真剣に考えてしまった。
信頼していない相手には頑なに信用を見せないくせに、信頼している相手にはとことん優しい。
だからこそ火鷹の言葉を鵜呑みにしていたわけだが、本当に鵜呑みはよそうと思わせる会話だった。
それでも変えられないのだろうが。
そしていたずらじみた笑みを引っ込め、今までに見たことがないほどの真剣な表情で火鷹を見つめた。
言うなれば戦う人間の表情だ。
そんな翔無の表情を見た火鷹もまた、真剣な雰囲気をまとった。
「冬道かしぎ君はどうだった?」
「……見た限りでは普通の学生かと。女性関係がやや多いようですが、他に問題点は見受けられませんでした」
「問題なし、ねぇ」
どうにも腑に落ちない答えだった。
いくら戦いなれていない能力者だったとはいえ、能力者を相手に簡単に倒せるのだから、必ずなにかがあると思った。
だからこそ監視員をつけたのだが、なにもないという結果だった。
もちろん一日で成果が上がるとは思えないが、それでもなにかしらを掴めそうなものだ。
ただ、翔無が求めていたのは危険性の有無だ。
これならば安心することができる。
「……それと」
「ん? 他にもあるのかい?」
「……彼は予想以上の紳士でした」
「シリアスな雰囲気をぶち壊しだよ。まっ、ボクもシリアスはあんまり好きじゃないからねぇ。その方が助かるよ」
表情を崩して翔無は体を伸ばす。それに反して火鷹の雰囲気は未だに変わらない。
まだなにかあるのだろうと思い、もう一度、真剣な表情になる。
「……今朝のことですが冬道かしぎ、及び、秋蝉かなでが襲撃されました」
「襲撃? かっしーに襲撃をかけるなんて物好きな人もいるんだねぇ。それで、どうなったんだい?」
翔無は一度、冬道と拳を交えてその強さを身を持って経験している。
襲撃があったからといって態度を変えるようはことはしない。
「……右肩が弾丸により貫かれ、襲撃者は逃走しました」
「わぉ。かっしーがかい? それは驚きだねぇ」
口では軽い感じで言ってはいるものの、内心ではかなり驚いている。
今や冬道かしぎは超能力関係の人間たちの間では最重要危険人物となっている。
それだけ冬道の持つ力は逸脱したものなのだ。
「それで相手は誰なんだい?」
「……生徒会役員、不知火みなとです」
「はっはー。不知火くん? へぇ。『生徒会長の番犬』って呼ばれてる彼がかっしーに?」
「……はい。逃走時は白神紗良さんにより離脱していました」
「あー……シロちゃんか。確かにシロちゃんは不知火くんのことが大好きだからねぇ。気づいてないの、不知火くんだけなんじゃないかな?」
気づかれてないと思ってるのもシロちゃんだけだろうし、と翔無は笑う。
「まさか不知火くんがねぇ」
「……彼にはあだ名はつけないのですか?」
「ボクがあだ名をつけるのは気に入った相手だけだよ。不知火くんは嫌いじゃないけど、好きにはなれないねぇ」
翔無はそう言いながら、大きな机の引き出すからファイルを取りだし、なんページかめくる。
「おっ。あったあった」
翔無が開いたページには『不知火みなと』という名前があり、その脇には不知火の顔写真が貼られている。
不知火みなと。
二学年Cクラスに在籍。
明るい性格やリーダーシップ、周りを惹き付けるなにかを持ち合わせている。
超能力が意識して使えるようになったのは、不知火みなとが八歳のころだと告げている。
保有している能力は弾丸の軌道を操るというもの。
我々『組織』が発見したときはすでに場数を踏んでおり、実力は能力者の中でも上位のもの。
『組織』には属しておらず、自分の意思で私立桃園高校に入学。
現在。最重要危険人物として話が進んでいる。
「最重要危険人物……この肩書きは、今やかっしーに与えられてるけどねぇ。不知火くんは『生徒会長の番犬』に成り下がっちゃったし」
翔無は『不知火みなと』の記述をある程度だけ読み、ファイルを机上に投げ捨てる。
「……ですが、実力は記述の通りかと」
「だねぇ。大方、かっしーは手加減でもしてたんじゃない? 不知火くんの実力を疑うわけじゃないんだけど」
「……それは聞いてみなければわかりません」
「そう言われると心配だねぇ。まぁどちらにしても、生徒会が動き始めたならボクたちも動かないとねぇ」
「……かっしーさんと秋蝉さんを風紀委員に入れる、ということですか?」
「それができないとこの先、いろいろと辛いんだよねぇ。特にテスト前の五日間はね」
翔無の言葉に火鷹は首をかしげた。
テスト前の五日間にいったいなにがあるのだろう、と思った。テスト前の五日間について、火鷹はなにも知らされてはいなかった。
これから伝えることだったのかそれとも、伝えることができないことなのか。
その辺りは定かではないが、火鷹はあえて余計な詮索はしない。
「とりあえず今は、あのクソ生徒会長からかっしーたちを守ろうか。どうしてもボクは、あいつの考えは受け入れられないよ」
「……かっしーさんはともかく、秋蝉さんを含めた能力を持たない人間は危険ですからね」
「えっと、カナちゃんにみーちゃん。あとはマイマイちゃんかな」
「……真宵さんなら問題ないかと」
「ん? どういうことだい?」
「……かっしーさんが『歩く核兵器』と称していましたので、実力はそれなりだと思われます」
マイマイちゃんというあだ名のネーミングセンスはさておき。
翔無の目がスッと細くなる。
あの冬道かしぎが『歩く核兵器』と称したのだ。藍霧真宵も彼と同等の力を持っていると見て間違いない。
そうなると『テスト前の五日間』に備えて、彼女の力も必要になってくる。
「とりあえず、かっしーの監視は続行。ついでにマイマイちゃんの監視もしといてよ。もちろん、バレないようにね?」
「……了解しました」
「あとは、そうだねぇ。昼休みか放課後に風紀委員室に来るように伝えておいてよ」
「……構いませんけど」
「あぁ、それと」
翔無はそういい、もうひとつの引き出しから制服を取り出した。
女子用ではなく男子用の制服だ。
「かっしーに持っていきなよ。今ごろ彼、血だらけなんじゃないかい?」
「……そうですね。では彼に渡しておきます」
火鷹は制服を受けとると風紀委員室からでていく。
それを手を振って見送った翔無は、静かになった部屋で息をつく。
目の前には、投げたとき偶然にも開かれてしまった生徒会長のページがある。
翔無はそれを忌々しげに手にとる。
「悪いけど、君の思い通りにはさせないよ。黒兎大河クソ生徒会長?」
黒兎大河と呼ばれた生徒会長の顔写真を指で弾きつつ、翔無は腕を組んだ。
◇
「白鳥、お前。少しは学習しやがれ」
「ご、ごめんなさいッス……」
あれから数十分後。当たり前というべきか、見事に遅刻してしまった俺たちは途中から授業に入るのもバカらしいので、屋上で時間を潰していた。
そんな屋上で、俺は白鳥に文句を垂れている。
もちろん不知火みなととの戦いで激度の筋肉痛になっている俺に、思いきり抱きついてきやがった。
筋肉痛であそこまで激痛が走るのもおかしいが、白鳥に学習能力があるのかどうかが疑わしい。
「痛みはありますか?」
「ない。回復波導が効いてんだろ」
真宵後輩の波導の腕は神掛かってるからな。右肩に穴が空いていたというのに、今ではすっかり塞がっている。
とはいえ。失われた血液を取り戻したり、制服に付着した血液を消すことはできない。
「どうすればいいのかね、この制服は」
ワイシャツは右側半分が血だらけだ。ブレザーを着てなかっただけまだ救いがあるものの、どうやって説明すればいいんだよ。
真面目に「狙撃手と戦ってましたー」なんて言ったところで、痛い子になったくらいにしか見られない。
俺の周りの評価からして『喧嘩をした』という感じにとられるに違いない。
「それに体がいてぇ」
「肩に穴が空いていたのですから仕方がありません。筋肉痛程度で済んでよかったではないですか」
「軽く言うけどこの筋肉痛、スゲーいてぇんだぜ?」
「私はわかりませんから」
「最悪だ」
確かに穴が空いたのに筋肉痛程度で済んでよかったというのもあるが、痛いものは痛いんだ。
俺はマゾじゃないからな。痛みを受けて喜ぶような性癖は持ち合わせてはいない。
「つーか、いい加減この体にもなれてもらいてぇもんだ。戦いに」
「普通の体が波導を使った戦いになれるはずがないでしょう」
「わかってるっての」
つまり俺は、戦う度に俺は筋肉痛で苦しまないといけないわけか。
元勇者なのに筋肉痛で悩まないといけないとは、なんともカッコのつかない。
「だ、大丈夫なの……?」
俺の顔を覗き込むように秋蝉先輩が言ってくる。俺のこと、苦手なんじゃなかったのか?
「大丈夫じゃねぇよ。見てわかんねぇのか?」
「だって冬道くん、見た目だけじゃわかんないんだもん。なんでも背負い込む感じがするから」
「あいにくと、俺はそういう風に背負い込むのはやめたんだ。意味ねぇし」
「ど、どういうこと?」
「なんでもねぇよ」
わざわざ異世界での俺の経験を語る必要もない。……というと少し冷たすぎるので、モノローグで軽く語っておく。
異世界での俺は勇者体質というか、主人公体質というか、なにかと痛みを隠すことが多かった。
仲間には内緒で裏でいろいろ進めたりして、痛い目にあったのはよく覚えている。
異世界での教訓。痛みを隠すとろくなことがない。
だから俺は痛みを隠さないようにしているわけだ。
「それと白鳥、お前は怪我はねぇか?」
「ウチッスか? ウチは兄貴に守ってもらったッスから、怪我なんかひとつもないッスよ!」
「そうか。なら、よかった」
本来ならあのとき、白鳥を俺の側にいさせないで真宵後輩たちと一緒に隠れさせておくのが最良だった。
それにも関わらず一緒にいて不知火に狙わせる――いわゆる囮にさせてしまったのは、失態だった。
白鳥には、能力を自分に振るわれるというトラウマがあるのだから、気持ちを考えたらやはり、囮にするべきではなかった。
「あ、兄貴? なんかズーン、ってなってるッスけど!? なんでそこまで気にしてるんスか!?」
「……いや」
「兄貴!? 兄貴がメチャクチャ気にしてるッスゥ!」
白鳥が俺の肩を揺らしてきて痛みが強いけれど、それ以上に反応が面白いのでそのままにしておくことにする。
「いや、兄貴? 怪我もなにもしてないッスから、そんな気にしなくていいッスから」
「……」
「えっと、ほら! 傷跡はあるッスけど、怪我はしてないッスから!」
「み、みーちゃん、なんで脱ごうとしてるの!?」
「こうしないと兄貴が復活しないからッス! ウチは……ウチは兄貴のためなら物理的にも脱げる女ッス!」
「それはいろいろとマズイと思うよみーちゃん!」
俺が目を瞑っている先でなにが行われてるんだ……? 脱ぐとか脱がないとか……いや、まさかな。
「……かっしーさん」
「あ? 火鷹じゃねぇか」
「あれぇ!? 一瞬で元気になった!?」
今までいなくなっていた火鷹が、屋上のドアを開いて俺のところにやってきた。どこに行ってたのやら。
そして火鷹が現れただけで復活した俺を見て、白鳥がショックを受けていた。
「……着替えを持ってきました」
「わりぃな。……ってどっから誰の持ってきたんだ」
「……雪音さんから預かってきました」
「あの風紀委員長からかよ。まぁ、今回は素直に感謝しとくか。こんな血だるまじゃ学校も歩けねぇし」
俺は鉛のついたように重い腕で制服を受けとり、血だらけのワイシャツとなかのシャツを脱ぎ捨てる。
見事に傷がなくなっていた。右肩に受けた傷じゃなくて、異世界で受けた傷がだ。
それ自体は嬉しく――傷があった方がちょっとカッコイイとは思うが――あるが、鍛えた筋肉まではなくならなくてもいいだろ。
どれだけ頑張ったと思ってるんだ。
「な、なんでここで脱ぐの!?」
なぜか秋蝉先輩が顔を真っ赤にしながら、俺に向かって叫んできた。
「ここには女の子しかいないんだよ!?」
「あぁ、そういうこと。あっち向けよ」
「向く前に冬道君が脱いだんでしょ! もう!」
ぎゃあぎゃあうるさい先輩だ。上半身の裸程度でなにを叫んでいるのやら。
いや。俺の感性が間違っているのか?
異世界では女の子の前で上半身裸くらいだったらキャーキャー騒がれてたのにな。
その理由が勇者補正だからと考えると、秋蝉先輩の反応が普通なのではないかと思えてくる。
肌に直接着ることになるが、まぁ、今日一日くらいならそれで過ごしていたとしても問題はないだろう。
さすがに制服のズボンまではここでは着替えるわけにはいかないので、とりあえず、着替えは完了。
そして顔を上げたのだが、どうしてか全員が俺から不自然に目を逸らしていた。
「先輩。それは少し刺激的ではありませんか?」
訂正。真宵後輩と火鷹以外がだった。
「なにが刺激的なんだよ」
「裸ワイシャツ。男子が女子にそういう幻想を抱くように、女子も男子の裸ワイシャツにはいろいろと考えることがあるのです」
「知らねぇよ。一番上まで閉じたら苦しいだろ」
「だからといって、第二ボタンまで開ける必要はどこにもないと思いますが」
「これは天剣をいつでも出せるようにするためだ。別に他意はねぇよ」
とはいえ真宵後輩の話が本当だとするならば、こいつらは俺の裸ワイシャツを見て恥ずかしくて視線を逸らしてるってことか。
どうでもいいが、こんな気まずそうな空気にされるのはなんとも居心地が悪い。
俺はしぶしぶ……というほどではないが、第二ボタンは閉じる。
そこでようやくふたりがいつも通りになった。
「と、冬道君は少し周りの目を気にした方がいいと思うよ? ……特に女の子の」
「なんで女の子限定なんだ。つーか、それじゃあ、ただのバカだろ」
そういうセリフはモテる奴にこそ言うべきだ。
俺に自分から話しかけてくれる人間なんか、この屋上にいるメンバーと柊と両希。あとは翔無先輩くらいのものだ。
最近は増えてきたとはいえ、普通の人間からの俺の風評は『触るな危険』といったところだ。
他人の視線なんて、気にするだけ無駄なんだよ。
「うちのクラスじゃ冬道君、結構人気あるんだけどなぁ……。本当に話しかけられたりしないの?」
「しねぇよ。たまにあっても答えると逃げられるし」
「それは先輩の第一声が『あ?』などという明らかに三下不良が言うような答え方だからでしょう」
「無意識に出るんだから仕方ねぇだろ」
そんな口癖よりも、今は俺が秋蝉先輩のクラスで人気あるということの方が重要な議題だ。
嬉しいか嬉しくないかで言えばかなり嬉しい。
あれだけ怖がられてると思ってたのに、人気があるなんて言われたからな。口癖、直してみようかな。
「……かっしーさん。雪音さんから伝言を預かってきています」
「あ?伝言?」
「また出た! 『あ?』っていうの禁止!」
「……今はどうでもいいだろ」
俺は秋蝉先輩にジト目を向けながら言うが、どうやら譲れないことらしい。
どうも最近は秋蝉先輩、俺に積極的に関わってくるようになった気がする。
「それで、伝言ってなんだ」
「……素直に聞くんですね」
「貸し借りはちゃんと返す主義なんだ。制服、あの人に用意してもらわなかったらいろいろと大変だったし」
「……そうですか。伝言というのは、昼休みか放課後、風紀委員室に来るようにとのことです」
「はいはい。昼休みか放課後な」
「……縄と鞭と三角木馬を用意して待ってるとも言っていました」
火鷹の言葉で、空気が固まった。
縄と鞭と三角木馬だと? あの人は風紀委員室に俺に来るように言って、いったいなにをする気なんだよ。呆れてなにも言う気になれやしない。
秋蝉先輩なんか思考回路がショートして倒れてるじゃないか。白鳥が必死に起こしてる姿、可愛いな。
「……冗談ですよ?」
「殴るぞ」
「……私、マゾですから感じてしまいます」
「お前、もしかしなくてもからかってるだろ? 楽しいかよ、そんなことやって」
「……やや」
「そりゃよかったな」
ようやく火鷹の性格を掴めてきたような気がする。
こいつはエロ担当なんだ。そういうことを言うときは大抵が冗談で、他人をからかってるときだ。
「で、風紀委員室なんかに呼び出して、なんの用なんだ? なんか聞いてねぇのか?」
「……私はなにも聞いていません。風紀委員室に来るように伝えるよう、言われただけですから」
「そうか」
火鷹にまでなにを話すか伝えてないとなると、割りと真面目な話になるのかもしれない。
だが信頼して信用している火鷹に話さず、俺に話すことってなんなんだ?
考えられることとしては、不知火みなと、あいつが関係していることだ。
どうせ今まで、火鷹はこれまでのことを翔無先輩に報告していたのだろう。
おそらくは俺の考えで間違いはないはず。
「……ふたりきりになるのでしたら気を付けてください。雪音さんは積極的ですから」
「嘘だってのはわかってるぞバカ」
「……つまりませんね」
「お前の暇潰しのために秋蝉先輩を気絶させかねない発言すんじゃねぇ」
まぁ、白鳥に膝枕してもらって幸せの絶頂期みたいな表情をしているから、結果オーライだったかな。
秋蝉先輩は白鳥のこと、本気で大好きだし。
相変わらず筋肉痛で痛む足に力を入れて、俺はその場から立ち上がろうとする――のだが、中腰になった辺りで力が入らなくなり、前のめりに倒れてしまった。
そして気づけば目の前には、火鷹の顔があった。それはもう、鼻と鼻がくっつきそうなほどの距離に。
「……お約束のパターンですね」
「こればかりは俺が悪い。そんでわざとやったみたいに言うんじゃねぇ」
「……違うのですか?」
「ちげぇよ。わざとでこんなことやるか」
「……そうですか。残念です」
無表情がなにを戯言を。言うならせめて、もう少し残念そうな顔をしろ。
俺はなかなか力の入らない腕に力を入れて立ち上がろうとするが、そんな俺の頬に火鷹が手を添えてくる。
何事かと思って火鷹を見ると、火鷹が頬を紅潮させ、潤んだ瞳で俺を見ていた。
な、なんだ? どうしたってんだ?
「……キスを、しましょう」
「意味がわからねぇ。なんでそうなる」
「……なんとなく?」
「聞き返すな。つーか、なんとなくでキスしようとするんじゃねぇ。殴るぞバカ」
「……私、マゾですから感じてしまいます」
「あぁ、お前、そういう奴だったな。とりあえず意味がわからねぇから離せ」
「……嬉しくないのですか? 美少女からのキスなんですよ?」
「お前が美少女だということは認めるが嬉しくねぇ」
「……そうですか。残念です」
「何回目だよ、そのセリフ。もしかしてそれ言いたかっただけじゃねぇの?」
「……ご想像にお任せします」
火鷹のなんともよくわからない一連の行動に、さらに錘が増えたような疲れを感じながら、俺は立ち上がる。
「……ですが」
同じように立ち上がった火鷹は、制服の乱れを直しながら、
「……キスをしたかったのは、本当ですよ?」
火鷹はそう微笑みながら、言ってきた。ほとんど表情の変化のなかった火鷹の笑顔は……すごく可愛い。
異世界では褐色系皇女様の笑顔。クール系格闘娘の笑顔。癒し系泣き虫娘の笑顔。
たくさんの笑顔を見てきたけれど、それらとは違う、可愛らしさを感じた。
そういえば俺は、どこにいても個性の強い奴らが周りにいたっけな。
世界が変わっても、考え方が変わっても、俺自身は、俺という人間の根源は、変わってはくれていないらしい。
それがなんとなくだが、嬉しくも思える。
「キスがしてぇなら、いつか俺の方から言ってやるよ。それまでとっとけ、ファーストキスをよ」
「……どうして私が、ファーストキスだと思ったのでしょうか?」
「なんとなくだ」
「……なんとなくでわかられるというのも、なんだか複雑な気分です」
「そうかい。白鳥、秋蝉先輩、起きそうか?」
「だめッスね。全然起きないッス」
白鳥に視線を向けるが、言葉通りのようだ。白鳥に膝枕をしてもらっている秋蝉先輩は、相変わらず幸せそうな表情をしている。
「めんどくせぇからそこに転がしとけ。そのうち起きるんじゃねぇの?」
「そんなことできないッスよー。こんなところに置いていったら風邪引いちゃうッスから」
そこなのかよ。お前が気にするところはそんなところなのかよ。
「……胸を揉んだら起きるかもしれません」
「お前が揉みてぇだけだろ」
「……バレましたか」
「バレバレだっての」
逆に今までの会話の流れを見ていて、わからない方がおかしいと思うぞ。
しかし、どうやって起こしたものか。
「普通に起こしてあげればいいでしょう。ただ単に気絶しているだけなのですから」
「それじゃ面白くねぇよ」
「面白さを求めていたのですか?」
「そこまでじゃねぇけど」
親指を無言で踏み抜かれた。
真宵後輩、いくら体重が軽いからってそれはさすがの俺でも痛いぞ。
とりあえず、白鳥が秋蝉先輩を起こすことに成功したようなので、俺たちは各自の教室に向けて歩き出す。
波導がなんだとか能力者がなんだとか言っても、表向きは学生なんだ。
そういうことは、ちゃんとやらないとな。
◇次回予告◇
「結構、胸あったんだな」
「さすがだねぇ。女の子の着替えを覗くなんて」
「彼は生徒会の役員なんだよ」
「興味ねぇんだよ」
「無理。私、他に好きな人がいるから。アンタ、私のタイプじゃないし。それに何回も付き合えないって言ってるじゃない。少しは学習したらどう?」
「うるせぇ。きゃんきゃん吠えてんじゃねぇよ」
「な、ななななんでそこでミナが出てくるのよ!」
「んじゃ、嫌いなのかよ」
「ご自由にどうぞ」
「勝手にやってろよ。そんな都合のいい話、聞けるわけねぇだろうが」
「た、確かにそうだけど……」
◇次回
2―(6)「生徒会役員」◇
「ふざけんじゃねぇ。都合のいいことべらべら喋ってんじゃねぇよ」