2―(3)「監視員と夜」
右側に風紀委員からの監視員、火鷹かがみから抱きつかれながら歩くこと早五分。
俺たちの間には全く会話がなかった。
ひと言ふた言すらも交わしていないのに抱きつかれているこの状況。真宵後輩ならともかく、火鷹だとなんだか気まずいような気がした。
お互いに自分から話すようなタイプではないし、共通の話題がない。
唯一の共通点が翔無先輩か……。あの人のことは話さなくていいだろう。
話したら話したで、後で報告されたらなにを言われるかわかったものじゃない。絶対になにか言われるに決まってる。
これはある意味、火鷹はいる間は気が抜けない。
「……どうしましたか? かっしーさん」
「ん? いや、なんでもねぇよ」
「……そうですか」
会話終了。なんで若い男女が揃ってて、五行にも満たない会話にしかならないんだ。
学校の帰り道だけでこれなのに、家になんか入れたらどうなるかわかったものじゃない。
監視っていうくらいだから、俺の部屋にいるつもりなんだろう。
ずっと無言で見られるってのは居心地が悪いな。
もういっそのこと風紀委員に入ってしまおうか。
そうすれば監視もなくなってこんなことを考える必要もなくなるんだ。
……いや、待てよ?
(これがあの人の策略なのかもしれない……)
俺の性格……というよりも、人間の感情を読んだ翔無先輩の策略。
だとすればここで風紀委員に入るわけにはいかない。
あの人の言いなりになるのは癪にさわる。絶対にあの人の言いなりにはなりたくない。
そんなことを考えること三分。
相変わらず会話はさっきの五行にも満たないもののみ。やはり気まずいような気がする。
「あっ。兄貴じゃないッスか。なにしてるんスか?」
十字路に差し掛かったところで、どこかに寄っていたらしき白鳥と会った。
長く染色された外ハネの金髪は、夕日の光を受けて綺麗に輝いている。
喧嘩好きのくせに制服を改造していない辺り、まだ純粋だと言えるだろう。
「見てわかんねぇのか?」
「う~ん……。あっ、キョウちゃんと一緒ッスね。なんでッスか?」
「風紀委員長に監視員としてつけられたんだよ」
「監視員? 大変ッスね」
全くだ。監視なんかつけられていい迷惑だぜ。
「なんで監視員なんてつけられたんスか?」
「超能力関係だよ。危険がないことを確認できるまでは監視をつけるんだとよ」
「兄貴は全然危険じゃないッスよ」
「お前がわかってても風紀委員長様がわかってくれなきゃ意味ねぇんだよ。困ったことにな」
やれやれと俺はため息をつく。
「白鳥はなにしてたんだ?」
「なにもしてないッス。適当にぶらぶらして回ってただけッスよ。やっと秋蝉先輩から逃げられたッスからね……」
「そりゃ大変だ」
「他人事だと思って軽く言わないでほしいッス」
他人事だから仕方がない。
秋蝉先輩は白鳥のことが本当に気に入ってるからな。昼休みはもちろん、授業と授業の合間にも会いに来ることがあるらしい。
放課後は演劇部に行くため、このように羽根が伸ばせるということだ。
「いいじゃねぇか。先輩に慕われて」
「慕われ方が違うと思うッス」
秋蝉先輩のあれはもはやガールズラヴの領域だからな。確かにちょっと違うか。
「これから暇ッスか?」
「あ? なんでだよ」
「暇なら遊びに行こうかなって思ったんスよ。キョウちゃんも一緒にいることだし」
「遊びにってゲーセンとかか? わりぃがそういうごみごみしたとこは嫌いなんだ」
「えー……。じゃあウチに出せる案はないッス」
そんなまな板みたいにぺったんこな胸を張られて言われても困るんだが。
「別に遊びに行きたいわけじゃねぇからいいけどよ」
「いや、せっかく会ったんスから遊びに行きましょうよ、兄貴」
「そんな気分じゃねぇんだ。無駄に疲れたし」
「まぁ、兄貴がそういうんなら仕方がないッスね。それじゃまた明日ッスっ!」
「おう。また明日な」
元気よく手をあげてぴょんぴょんと歩いていく白鳥にそう言い、その背中を見つめながら思う。
本当によく話す奴だな、と。
あいつが話してるだけで俺としては助かる。俺は基本的に会話は聞くだけだから、勝手に話してくれる白鳥の存在は大きい。
もしあいつがいたら、火鷹がいても気まずくならなそうだな。……だったら白鳥も家に呼べばいいのか?
いや待て。たしかに白鳥がいてくれたら気まずくはならないだろうけれど、俺は火鷹が泊まることすら納得していないわけで、ましてや唐突に、それこそ無関係な少女を泊まらせる気はない。
監視員の仕事がなかったら絶対に泊まらせないのに、泊まらせなかったら監視の期間が長くなるだろう。
それを踏まえても泊まらせるのは火鷹を嫌だ。違うな、嫌だというのは語弊で、抵抗があるというのが適切な表現だ。
この現代において、男女七歳にして同衾せず、なんかを尊重する気はさらさらないけれど、やはり泊まらせたくはない。
心のどこかでどうせ泊まらないだろ、なんて思っていたが、それは単なる現実逃避のための夢想に過ぎないんだ。だとしたら火鷹少女、どんな手段を使っても泊まるはずだ。追い出すのは簡単だが、それでは、意味がない。
なら、俺はどうしたらいいのだろうか。ここで白鳥と火鷹のふたりを泊めるのか? 以前に真宵後輩を泊めるのを渋ったのに(言い訳をしていいなら、あのときは部屋が破壊されそうだったからだ)。
これといって泊めたくない理由はない。強いて言うなら面倒なことを避けたいというところだ。
どうする。このままふたりを泊めるか。戦友を泊めるのを渋って、今日会ったばかりの少女を泊めるのか……っ!?
選ぶなら三択だ。火鷹を追い出すか、火鷹だけを泊めるか、ふたりを泊めるのか。くそ、仕方ねぇ――
「……白鳥、ちょっと待ってくれ」
「んむ? どうしたんスか?」
ぴょんぴょんと歩いていた足を止め、白鳥はくるりと回転して向き直る。
「……お前、暇なんだろ?」
「暇ッスけど、どこか遊び行くんスか?」
「……いや。そうじゃねぇ」
「兄貴? どうしたんスか? なんか無駄にシリアスっぽくなってるんスけど?」
白鳥がなにかを言っている気がしたが、今の俺の心境は修羅の道だ。下らないことに耳を傾けられない。
「お前、俺の家……来るか?」
「兄貴の家にッスかっ!? もちろん行くッス――って、だからなんでそんな嫌そうな顔してるんスか!? もしかしてウチ、嫌われてるんスか!?」
弾かれたように俺の元まで駆け寄ってきた白鳥だったが、どうしてか泣きそうになっている。嫌いではないが、泊まらせたくないだけだ。
「でもどうしたんスか? ウチは構わないッスけど」
「いろいろあんだよ。それに考えてみろ。俺と火鷹がふたりっきりで盛り上がって話してるのを想像できるか?」
「無理ッス。気まずそうッス」
「つまりそういうことだ」
俺と火鷹のふたりきりの会話を想像した白鳥の即答ぶりに感心しながら、俺も同意する。
「それじゃ、行きましょうっ!」
そう言って白鳥は火鷹とは逆の左腕に自分の腕を絡ませてくる。
「そんな両側から掴まれたら歩きづれぇだろ」
「いいじゃないッスか。せっかくなんスから抱きつかせてほしいッスよ」
なにがせっかくなのかは全然わからないが、とりあえず非常に歩きづらい。すぐに家に着くからいいけど。
「あっこがれの兄貴のとっなり♪」
「そんな嬉しいのかよ」
「当たり前じゃないッスか。兄貴ほど男前の人の隣なんてそうそうにいれるものじゃないッスからねっ!」
「お前は俺を過大評価しすぎだ」
「そんなことないと思うッスけど……。キョウちゃんはどう思う?」
「……みーちゃんさんの評価通りかと」
「久しぶりに話したな、お前」
なんだか火鷹の声を久しぶりに聞いた気がする。いや、声を聞いたのは今さっきなんだけどさ。
「みーちゃんさんって……。名前かあだ名かどっちかにしてくんない?」
「……このままでいきましょう」
そのやり取り、俺のときもやったよな?
「ずっと言ってるのに聞いてくれないんスよね」
「俺もあだ名にさん付けだからいいんじゃね?」
「どんなあだ名ッスか?」
「かっしー」
「ぶふっ! か、かっしーッスか?」
なんだよ。笑う必要ないだろ。
「捻りのないあだ名ッスね、かっしー」
「お前だって大した捻りはねぇだろ、みーちゃん。猫かっての」
「言うなら秋蝉先輩に言ってほしいッス」
「なら俺も翔無先輩に言ってくれ」『はぁ……』
言ったあとでお互いにため息をついてしまった。理由はあれだ。
「お互いに変な先輩を持つと大変ッスね」
「そうだな」
こういうことだ。秋蝉先輩も翔無先輩も変わってるからな。良い意味でだが。
そんな会話をしている間に家に到着した。……到着、してしまった。
ここまで来たら腹を括るしかないだろう。真宵後輩を泊まらせることをあれだけ渋ったのに、このふたりを泊めることを(渋々とはいえ)簡単に判断したことに、かなりの罪悪感がある。
……今度、真宵後輩を呼んで泊まらせよう。
白鳥が意外と普通の家だとか呟いていたが、お前はどんな家を想像してたんだ。
玄関を開け、靴を見る限りではつみれはまだ帰ってきてないらしい。
そのまま俺はリビングではなく、二階の俺の部屋に白鳥と火鷹を案内した。
「なんか、意外と普通の部屋ッスね」
「だからお前はどんな部屋を想像してたんだ」
「こう……ごちゃごちゃっ、とした部屋をッスね」
「男の部屋が汚いなんていう固定概念は捨てやがれ。……つーか前にも言ったな、このセリフ」
前はアウルのときだったな。女の子ってのは男の部屋は汚いって思っているのだろうか?
「……さて。それではこの家に来た目的を果たすとしましょう」
「っ!? この家に来た目的!? あ、兄貴になにするつもりっ!」
白鳥、お前って『~ッス』の口調じゃなくなるとそんな風に話せるんだな。今さらだが気づいてしまった。
「……私が来た目的、お忘れですか?」
「まさか兄貴になにかするつもりじゃ……」
「……いいえ。私がここに来た目的、それは――」
「そ、それは……?」
俺の隣で白鳥が緊迫しながら、息を呑む。
「――……彼の部屋のエロ本を探すためです」
「そ、そうだったのかぁーっ! う、ウチとしたことが不覚にも全く気づけなかった……っ!」
床に手をつき、悔しそうな声を白鳥は出していた。
いや、なぜに悔しがるんだ?
そんな白鳥の肩に、火鷹はそっと手を添える。
「……大丈夫です。過ちは誰にでもあります」
「き、キョウちゃん……!」
なんなんだこの小芝居は。どうして今日はこんなに小芝居を見せつけられなければならないんだ。
「……ではエロ本でも、探しましょうか」
「そうしよう」
「ちょっと待てよお前ら」
腕捲りをして気合いを入れて部屋に踏み込むふたりの首根っこをつかむ。
「話を聞いてりゃ勝手に人の部屋あさるみてぇなこと言いやがって」
「……あさるだなんてとんでもない。むしろ掘ります」
「そうだそうだーっ! 掘るッスよーっ!」
「どっちにしろふざけんな。縛り付けんぞ」
「……し、縛り付けるだなんて。いきなりそういうプレイをお望みなのですか……?」
「あー……もうどうすればいいのかね、君は」
顔を赤らめて口元に手をやりもじもじする火鷹を見て、本気で縛り付けたいと思ってしまった。
どうしてこの娘はそういう思考に行ってしまうのやら。どういう頭の構造をしているんだ。ピンク色の世界でも広がってるのか?
せっかく呼んだ白鳥もうまく火鷹に乗せられている。失策だったか。
これはこれで、つまらなそうではあるが。
「とりあえずそんなプレイをする気はねぇ。やりたいならひとりでやっとけ」
「……縛り放置プレイときましたか」
「お前の頭のなかにはそれしかねぇのか?」
「……そんなことはありませんが」
「だったら大人しくしててくれよ。頼むからさ」
「……むぅ。そこまで言われたら仕方ありません」
ほっと胸を撫で下ろす。ようやく大人しくしてくれるのか、この監視員の女の子は。
俺は息を吐きつつ、イスに座る。
「お前らも適当に座って楽にしててくれ」
「……ではベッドに」
「どうしてそこでベッドをチョイスするかね」
「……他に座る場所がありませんから」
「あぁ、そう。そりゃ仕方ねぇな」
ベッドに座らなくても背もたれにして床に座れるだろと言いたかったが、別に座ってても問題はない。
「そう言えば火鷹、お前って何年生だ? 二年生じゃねぇよな?」
「……三年生です」
「嘘だろ?」
「……わかりますか?」
「その見た目で三年生はねぇよ。つーことは一年か」
白鳥と仲がいいってことを考えれば簡単にわかることだったな。
「ウチとキョウちゃんは同じクラスなんスよ。真宵だけは別のクラスなんスけど」
「へぇ。だから昼休みは別々に屋上に来るのか」
「いやいや。真宵は同じクラスでも一緒に来ないと思うッスよ? あんまり絡まないッスからね」
「そうなのか? まぁ、あいつの性格ならそうだろうな。他人と接するの、そこまで好きな奴じゃねぇし」
異世界で一緒に旅をすることを決めても、最初のうちは気を許してくれなかった。
竜と戦ったあとは気の迷いであんな風に言っただけだとか言われて会話に答えてくれなかったし。
一ヶ月くらいしてようやく仲良くなったっけ。
エーシェは二ヶ月くらいかかってたな。
「お前と火鷹は仲いいのか?」
「普通ッスね。会ったら話はするッスけど、そこまで話したりするわけでもないッスから」
「ふーん。その割りには仲良さそうだよな、お前ら」
「気があったんスよ」
「……気が合いましたから」
真面目な変態と純粋な不良少女。一見すると真逆なタイプだが、プラスとマイナスで打ち消しあってる。
そんなふたりだからこそ気が合うのだろう。
本当に仲良さそうだからな、こいつら。
気の合ったふたりが会話する声を耳にしながら、ベッドの台の上に置いた時計を見る。
学校から帰ろうとしたときは四時半くらいだったのに、もう六時過ぎだ。
翔無先輩と下らない話をして、白鳥と火鷹と話をしてる間にこんなに時間が過ぎてたのか。
そろそろ部活を終えたつみれが帰ってくる頃だな。
とそのとき、制服のポケットに入れていたケータイが震えた。
「……かっしーさん、ケータイが鳴っていますが」
「わかってるっての。……つみれからか」
ケータイを開き、ディスプレイを見ると『冬道つみれ』の文字が表示されていた。
俺は呼び出しに応じて、ケータイを耳にあてる。
「あいよ。どうしたんだ?」
『あっ、兄ちゃん? 今日さ、友達の家に泊まることになったんだ』
「泊まり? まぁ、別に構わねぇけど」
『それでさ、夜ご飯は昨日の残りのカレーがあるから温めて食べておいてよ。一応、何人分かはあるからさ。問題はないはずだよ』
「なんの問題がないかぜひとも教えてもらいたいな」
『そりゃ決まってるよ。あの藍霧さんとアウル姉ちゃんと……あと何人かな? とにかく兄ちゃんの友達の女の子のためだよ』
「いらねぇ気遣いありがとよ」
『むっ。そんなこと言って、どうせ女の子連れてきてるんじゃないの?』
あまりにも的を射たセリフすぎて言い返すための言葉が出てこない。
我が妹ながらどうしてここまで勘が鋭いんだ。
『最近の兄ちゃんは女の子と一緒だからさ。あっ、蓮也兄ちゃんとかは来ないの?』
「あいつは来ねぇよ。蓮也のこと好きなんだっけ?」
『あははは! 昔の話だよ。今は、兄ちゃん一筋さ』
「なんでそんな決めセリフを堂々と言えるんだ」
『えー? うーん……ブラコンだから?』
「聞き返すんじゃねぇ。わかったよ。明日、ちゃんと起きて学校に行けよな」
『兄ちゃんじゃないんだからサボらないよ。じゃ、なんかあったら電話してね』
「了解。……あぁ、それと」
『ん? どうかした?』
「……カレー、助かった」
『ぷっ。どういたしまして、じゃね』
その言葉を境に耳には無機質な音だけが聞こえる。
どうして真面目に礼を言って笑われないといけないんだ。おかしいぞ。
ケータイを閉じ、机に置く。
「……誰からの電話ですか? 彼女からですか?」
「ちげぇよ。彼女がいたのなんて中学のとき一回だけだ。それからはずっと独り身だっての」
「……前はいたんですね。驚きです」
「うるせぇ。……っと、こんなこと言ってる場合じゃねぇんだった。諸君、問題が発生した」
「……急に劇画タッチになりましたが、どうしましたか? 敵襲ですか?」
「敵襲なんて問題にならねぇっての」
それこそ魔王クラスの能力者が攻めて来ない限り、俺が負けることは絶対にない。
今はそんなことよりも、もっと問題なのだ。
「今夜は嬉しいことにカレーで食卓を囲む」
「おぉっ! カレーッスかっ!」
「……それがどうかしたのでしょうか?」
「ご飯も炊いてある。おかずも冷蔵庫に入っている。だがしかし、ひとつだけ問題がある」
「……問題、といいますと?」
火鷹の問いに俺は一拍を置き、冷静に告げた。
「俺、カレーの温め方、知らねぇんだ」
瞬間。部屋の空気が絶対零度した気がした。
ど、どうしてそこでふたりして機能を停止するんだ? なにかマズイことでも言ったのか、俺?
ふたりはお互いに顔を見合わせると、代表して火鷹が言ってきた。
「……インスタントではありませんよね?」
「あぁ」
「……キッチンの使い方がわからない、そういうことなのでしょうか?」
「あぁ」
「……なんでもできそうに見えたのですが、意外にもそんな欠点がありましたか」
「なんでもはできねぇよ。できることだけな」
「……そんなパクったようなセリフを堂々と言わないでください」
呆れたような声で火鷹は言う。というか、俺をそんなできの悪い子を見るような目で見ないでくれ。
「兄貴にそんな欠点が……。以外ッスね。それじゃあ仕方ないッスから、ウチらが夕食の準備をするッスよっ!」
「……私もですか?」
「もちろんっ!」
「……えー……」
心底嫌そうな表情をする火鷹をなんとか説得しようと、料理の素晴らしさを身振り手振りで白鳥が表現していた。
その様子は第三者の目から見ればその容姿とも相まって、とてもほんわかさせるような光景だ。
まぁ、料理といってもカレーを暖めるだけのはずなんだけどな。
ただひとつだけ、俺が言えた義理ではないのだが、ひとつだけ、疑問があった。
「お前ら、料理できるのか?」
「……バカにしていますか?」
「兄貴よりはできるッスよ」
どうしてそんなに冷たい言葉を俺に浴びせてくるのだろう。キッチンの使い方がわからないって言っただけじゃないか。
それはすなわち、料理ができないって言ってるのと同じではあるが、同年代の男子で料理ができないのはそこまで珍しくはないと思う。
俺的には純粋な不良少女の白鳥が料理をできることの方が驚きだよ。
「……仕方ありませんね。居候をする形ですし、それくらいは任されましょう」
「居候じゃなくて監視員だろ」
「ウチは居候ッスけどね」
「お前は俺が呼んだからいいんだよ」
「……私にはなんの言葉もないのですか?」
「ねぇよ。きりきり働け」
「……昨日はあんなに激しかったのに、貴方はそっちの娘を選んだのね。結局私は、使い捨てなのね……」
「昨日もなにもお前と話したのは今日が初めてだろうが。変なこと言ってんじゃねぇ」
こいつのエロ発言はデフォルト装備なのだろうか? 個性があるといえばあるのだろうけど、やめてもらいたいもんだ。
最近はなにかとため息が絶えない。
ため息をつくと幸せが逃げていくと火鷹も言っていたが、その分だけため息も増えるんじゃないのか?
ため息を吐いた瞬間が負の連鎖の始まりか。
「とりあえず、キッチンの方は任せていいんだな? 特に白鳥」
「なんでウチを名指しッスかっ!?」
「火鷹は見た目的には大丈夫だろうと思ってな」
「ウチの見た目はだめってことッスかっ!? 兄貴の好みじゃないってことッスかっ!?」
「そこまで言ってねぇだろ。ただあれだ、お前は見た目的にそういうのを任せてもいいか心配なんだ」
「ふんっ。甘いッスね。ウチに任せておくといいッスよ、兄貴」
どや顔をしてるところ悪いんだが、カレーを温めるだけの作業なんだぞ?
「なら任せた。俺は他の準備をしてるからよ」
「他の? なんの準備ッスか?」
「お前らの寝る場所とかだよ。まさか俺の部屋に寝かせるわけにもいかねぇだろ」
うるさくて寝れなくなると言う意味で。こいつらを俺の部屋で寝かせでもしたらうるさくて眠れないに違いない。
幸か不幸か、今日はつみれが泊まりだ。
だったらふたりをつみれの部屋に泊まらせることができるわけで、俺は平和に過ごせることになる。
その他には風呂とか着替えの関係がある。急なことだから白鳥は着替えとか持ってきてないだろうし、あとで教えとかないといけない。
キッチンにいなくてもやることが山ほどある。
「……いえ。私は監視員ですので、同じ部屋でないと困ります。真面目に」
「あぁそう。勝手に困っとけ」
「……どうしてかっしーさんはそこまでツンが強いのでしょうか? 女性に対しては優しくするものです」
「お前、俺が優しくなった姿でも見たいのか?」
「……申し訳ない」
「なんで武士みたいな謝り方なんだよ」
冗談なのか本気なのか全然わからないな。もう少し表情に変化を見せてもらいたい。
さて。やることが決まった以上、早速に移すことにしようか。
俺はふたりの移住の仕度、ふたりは食の支度。
時間は午後六時三〇分。
――――オペレーション、スタート。
◇
無駄にカッコよく決めたのはいいが、結局、夕食は普通に済ませて現在はふたりが入浴をしている。
ただ夕食のときに、どうして火鷹が漬け物しか食べないかと質問すれば「固い物が好きなんです」と妖艶な声で言われたとき、救いようがないと思ったのはここだけの話だ。
しかもツッコミ待ちだったようで、ツッコまれたあとはカレーに集中。
早くツッコミを入れてればあんなポリポリポリポリポリポリポリポリ……聞かなくて済んだということだ。
白鳥がなにも言わなかったから本当に漬け物が好きなのかと思ってしまった。
エロ担当、頑張ってください。
そんなモノローグを語っている俺はなにをしているかといえば、風呂を済ませて部屋で待機中だ。
こんなときはセオリー通り覗きにでも行くべきなのかもしれないが、俺は幼児体型を覗きに行きたいほどの幼女趣味ではない。
睡魔の誘惑と激闘を繰り広げながら、俺はふたりが上がってくるのを待っている。
時間は午後一〇時四〇分。入浴してから一時間半以上が経過している。
あいつらはいったいなにをしてるんだ? どうして体と髪を洗うだけでそんなに時間がかかるんだろうか?
……もしかしたら火鷹が、白鳥にエロ担当を発揮してるんじゃないか?
あり得ない話ではない。あいつはエロ担当、そういうのをやりかねない。
いやいや、火鷹口先だけだろ。……だよな?
そうだといいんだが、なんだか思い返してみると口先だけでないような気がしてくる。
まさか遅いのはそういうことなのか?
風呂場でエロゲならモザイクがかかるような展開があるのか?
なら、それを見に行かなくてもいいのだろうか。
こんな展開、普通なら起こりはしないだろ。異世界に召喚された俺が言うのもおかしいけど。
男として見過ごしていいのか? 誰しもが美少女と認めるふたりの交じりを見過ごしていいのか?
答えは――――イエスだ。
俺はぺったんこには興味はないからな。
そんな俺の思考を読んだかのようにドアが開かれた。
「……ぺったんことは心外ですね」
そして聞こえてきたのはやはり火鷹の声。
「やっと上がったのか。今までなにやってたんだよ……って、なっ!?」
俺がここまで驚いた声を出したのはいつ以来だっただろうか。
もう魔王と戦う頃は並大抵のことでは驚くことはしなかった。
だから驚いたのはかなり昔のことになる。
火鷹なんかに驚かされたのは腹が立つなんてことを考える前に、さすがの俺でも直視することができずにいた。
「き、キョウちゃん、なんでウチまでこんな格好?」
「……ひとりよりふたりの方が効果的かと。いえ、この場合は硬化的かと」
「下ネタはいらないっての」
いつもは俺が言うはずのセリフを白鳥に取られてしまったが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「なに考えてんだバカ共! 服着やがれっ!」
俺の部屋に入ってきたふたり、服を来ていないのだ。いや、だからってすっぽんぽんというわけではない。
バスタオルを一枚だけ体に巻いている。
他にはなにも身に付けていないのだ。
いくら俺といえどこればかりには恥ずかしがらずにはいられない。俺もそこまで鈍感ではない。
普段は制服や黒のストッキングでほとんど肌を隠している火鷹は、バスタオル一枚という格好により、白い太ももや肩をさらしている。
ツインテールに結ばれた髪はほどかれ、わずかに濡れていることにより冗談抜きで妖艶に見えた。
白鳥も同じような格好だが、普段から生足でへそだしであるため、火鷹以上の感想は抱かない。
「……ベッドに引き込んでもいいのですよ?」
「バカ言うんじゃねぇ。そんなことできるかっての」
「……どうしてですか? 私に女性的な魅力を感じないからですか?」
「うおっ!?」
いつの間にか近づいてきていた火鷹は、バスタオル一枚の隔たりしかないにも関わらず、背中に密着してきた。
耳にかかる吐息。同じシャンプーを使ったはずだというのに、いい匂いが鼻をくすぐる。
小さいが、それでも発達したふたつの山を俺の背中が感じ取っている。
こいつ、間違いなく当ててやがる。
「そういうことじゃねぇ。そんな成り行きみたいな感じにしたくねぇんだよ」
「……そういうものですか?」
「俺はな。お前は違うのかよ」
「……いえ。同じですね。申し訳ありません、困らせてしまいまして。今すぐ着替えてきます」
背中が感じていた感触が消え、ドアが閉まる音が聞こえて、ようやく息をはく。
異世界での体験で女の子に耐性がついたと思ってたんだが、どうやら違ったようだ。それにしても、
(いい匂い、だったな。あいつ)
なんの匂いだったか。冬道家で使ってるシャンプーなどとはまた違う、なにかのいい匂いがした。
ベッドの上で胡座の体勢のまま、横に倒れこむ。
不可抗力とはいえ火鷹を相手にあんな態度をとってしまったのはもう、一生の不覚だ。翔無先輩に絶対なにか言われるだろうな。
そう考えるとこのまま時間が止まってほしいとさえ思えてきた。
このまま時間が止まって、明日が来なければいいのに。そうすれば、からかわれることもない。
「はぁ……」
ため息もつきたくなる。
異世界では『勇者』っていう称号があったからモテモテだったけど、まさかこっちの世界でも女の子関係でため息をつくなんて思わなかった。
たぶん異世界に呼ばれても、『勇者』の肩書きがなかったらあんなにモテるはずがない。
異世界でモテてたことは自慢したいし、男として嬉しくはあるんだが。
「ダイビーング……エルボーッ!!」
「ご……っ!?」
「あ、あり?」
ドアが勢いよく開け放たれたかと思えば、白鳥の声が聞こえると同時に脇腹に激痛……いや、鈍痛を感じた。
まさかの不意打ちだ。いつもなら避けられる程度のことだったのに。
さっきの火鷹の一件から調子が狂ってやがる。
「兄貴? 大丈夫ッスか?」
「大丈……夫に、見えんのか?」
「いやぁ、いつもなら避けると思ったんスけど、どうかしたんスか?」
「……なんでもねぇよ」
引きつつある痛みを感じながら、俺は自分で思うよりも素っ気なく答えてしまった。
寝返りを打ち起き上がると、パジャマ姿のふたりが目に入った。
思いの外――特に胸の辺りが――ぶかぶかなんだが……つみれのパジャマだということは内緒にしておこう。
「……かっしーさんは思っていたよりも女の子を大切にする方なんですね」
「なんでだよ」
「……あの場面ならみーちゃんさんと一緒にベッドに引き込んで、三人でするところではありませんか?」
「しねぇよ。エロ担当なのは別に構わねぇけど、ほどほどにしてくれ」
「……善処します」
そういうことを言う奴に限って絶対に守る気はないのだろうが、言ったところで無駄だろう。
「……では、失礼させてもらいます」
「なにをしてやがる」
「……かっしーさんの腕に包まれているだけですけど、なにか問題がありますか?」
火鷹は本当に不思議そうに訊ねてくる。
おかしいだろ。なんでわざわざ胡座をしてる俺に座ってくるんだ。しかも俺の腕を勝手に腹に回している。
端から見れば俺が抱き締めてるみたいじゃないか。
「……抱き心地はどうですか?」
「悪くねぇ」
「……それはよかったです」
なんだろう。さっきのときとは違って、今の火鷹からは純粋に甘えてきてるような感じがする。
頭を俺の胸に預け、俺の手に自分の手を重ねている。……ん? これってまさかとは思うが、
「お前、狙ってないか?」
「……バレてしまいましたか」
「危うくキュンとするところだった。本気で抱き締めたくなるところだったぜ」
「……抱き締めてもいいんですよ?」
「遠慮する」
ここで言葉に甘えて抱き締めでもしたら、翔無先輩になにを言われるやら。
と、ここで白鳥が唸っていることに気づいた。
胡座の形にする足をゆさゆさと揺らし、不満げに俺たちを見つめていた。
「……みーちゃんさんも混ざりたいのですか?」
「うっ。そ、そんなことないし。ウチはいっつも秋蝉先輩に抱き締めてもらってるし」
「……座り心地、いいですよ?」
「うぅぅ……」
「……憧れの兄貴の膝の上、私が選挙してしまいますよ? いいのですか?」
「うぅぅっ! ウチも座りたいっ!」
まるで飛びかかるように俺の膝に飛び乗ろうとする白鳥のタイミングに合わせて、火鷹は俺の膝から降りる。
そして今度は白鳥が俺の膝に収まった。
「ほわぁ……」
「お前のキャラでそれはやめろよ」
「予想以上に座り心地が良くて……」
「お、おい、なんでそんなに眠そうな声なんだよ。人に座ったまま寝るんじゃねぇぞ」
「わかってるっふよー……」
いやいや。全然わかってないだろ。もうちゃんと言えてないし。頭が下がってるし。
「……みーちゃんさん、陥落です」
「寝るの早くねぇか?」
「……よほど座り心地がよかったのでしょう。私も危ないところでした」
そんなに座り心地がいいのか? 自分じゃよくわからない。いや、わかったら怖いんだけどさ。
「白鳥は部屋に運ぶけどお前はどうする?」
「……どうするといいますと?」
「俺の監視だよ。風紀委員の仕事なんだろ。そういうことなら俺の部屋にいるのも仕方ねぇし」
本当なら部屋にいれたままにしたくはないんだが、仕事っていうならそれは仕方のない話だ。
俺を信用できるようになるまでは監視してないといけないというのは、異常同士では当たり前のことだ。
異常を保有している以上は『波導』だろうと『超能力』でも関係はない。
いつ自分達に牙を向くかわからない存在を野放しにはできないのは、俺も痛いほどわかる。
「……私も別々に寝ることにします。夜は監視していなくとも大丈夫でしょう」
「あ? 妙な信頼寄せられてんのな、俺」
「……監視していてその必要はない。そう判断したというだけのことです」
俺を見て初めて表情を変えた火鷹の微笑みは、とても涼しげで優しいものだった。
「そんな表情もできるんじゃねぇか」
「……可愛いですか?」
「あぁ。可愛い可愛い」
「……投げやりじゃないですか?」
「そんなことねぇって。可愛いって思ってるっての」
「……本当ですか?」
「本当だ。少しは信用しやがれ」
「……そういうことにしておきましょう」
俺たちはそんな会話を交わし白鳥を部屋に運んだあと、別々の部屋で眠ることにした。
たった数時間だったが、火鷹との距離がたいぶ縮まったなと痛感する一日だった気がした。
◇次回予告◇
「とっさにお前に使ってたんだよ、ジャーマン・スープレックス」
「……完了しました」
「失礼な。どこにこんなに可愛らしい核兵器が歩いているというのですか?」
「ウチは兄貴についていくッス!」
「遅刻!? ど、どうしよう、今から走って間に合うかな、みーちゃんっ!」
「俺は不知火みなと。じゃ、そういうことで。失礼するよ」
「まぁ。悪役も悪くはねぇか」
「無茶言うなよ! 殺す気か!」
「大人しくしてやがれ」
「ミナから離れなさい!」
「不知火。お前、誰に俺たちを殺すように言われた?」
◇次回
2―(4)「襲撃」◇
「緊張感のない先輩ですね。それと、早く肩の治療をしましょう。肩に穴が空いていますけど。なんですか? 油断しましたか?」